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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:忘れじの谷
90/106

90.一報


 そう、しかるべき時と場所に、影とはおちるもの。見回りをおこたったせいだと、誰かれを咎めることはない。


 ある森の、暗い枝葉のあいまをぬって、一騎のグリフォーンが降り立った。しかし荷台を釣っていない。駆っていたのは緑装束の騎士だ。おおきな鷲羽根をひとなでて彼は、ひょいと下乗しな言った。

「ごきげんよう。ほんの視察を所望します」

 月光だまりにひびく、詩人のような美声であった。

「おそれながら、お帰りください」

 洞穴の格子門を背に、対する守衛は抜き身をふりかざす。守衛、といっても、若い彼女はみすぼらしい身なりで、迷い人に扮している。いかにも野営の火がくすぶっている。

「一切の来訪を、事前に聞き及んでおりません」

「いやはや、この盾と星々にかけて誓いましょう。我は君主隣人に仇名すものではない」 

 "柊の騎士"とかあだ名されているかの騎士は、自覚的な来訪者である。今世ひとまずの肩書きを、ジガヴェスタ領筆頭統括騎士という。

「ふと通りがかりでした……嫌な予感がしたのです」

「ま、またですか……」

「うん、またなんだ。すまない」後ろ手のまま、"柊の騎士"はずんずんと進む。「けれど私がこの直感を違えたことが?」刃を首でおしのけて、異性がずるがる微笑をたたえる。「ねぇ、ケニー」

「……」

 ケネスサンドラはそれから不平を垂れながらも、しぶしぶ洞穴の格子門をひらき、上司に面を通し、いちおうの許可を得て、にこにこしている"柊の騎士"のために、その監獄中を案内することになる。

「わくわくするね、《ショッピングモール》とは」

 と、"柊の騎士"は評したりした。高い天井に煌々としたこの明るさが、いかに融通されるのか、ケネスサンドラには実際わからない。

 じめじめとした地下牢ではない利点なら明らかである。最小限の人員でも警備体制に瑕疵はない。勝手に動く階段をふたりで下っていた。

「この先だ?例の問題児たちは」

「はい。ひろく十倍の重力が適用されています」

 三倍とされる上階層でさえ、なかなかにしんどい。ケネスサンドラはあいまいな理解で言っている。

「……《シャッター》はいつもしまっているの?」

「え……」

「適用したのはいつからだ」

 光にさらされているべきなのだ。檻はくまなく見えるよう、すくなくとも上層階のそれらはあった。

 "柊の騎士"は一線を踏み出す。ありがたい技術供与だが、検証が不足している。中世程度な諸リテラシーの、エウロピアを高く買いすぎだ。なおさら"迷宮"内部では。 

 ブティック店のシャッターを、"柊の騎士"ははね上げる。


 穴だ。

 そこには穴があった。


 ――やぶをつつけば穴みっつ……。


 いるべき囚人たちはいずれも、檻もろとも飲み込まれている。

「私も内情に詳しくは……ただ五倍ではだいぶ暴れるとかで!」

 やっと考えがまとまったらしい、置いてきたケネスサンドラが言った。彼女にはこの闇が見えていない。


 ――照明が落とされたのはこの店舗のみ。電源設備に工作?内通者……?


 "柊の騎士"は引きちぎるように剣を抜きはらった。十倍だから、さすがに肩も凝る。されど誰かがそれをせねばならない。

「よいですかケニー、落ち着いて聞いてください」

 彼こそ目覚めを促したのである。"穴"からつたわる声なき声が、"柊の騎士"に感謝していた。

「これから私が伝える言の葉を、一言一句逃さぬように……!」


 ジガヴェスタ領の秘密の森で、かの"迷宮監獄"は長らく運用されてきた。近く放棄を迫られる。

 出来事はダミアンサンの墓標がまさに打ちたつ頃であり、"商隊"再結成の前夜であった。




 ---




 "家"のまんまえで少年少女は出迎えた。予定を繰り上げあらわれる、懐かしき我らが黒馬車だ。

 ジニーが御者台を飛び出てきて、ぎゅっとしてくれる。

「元気だった?変わりない?」

「はい!」

 風邪の一度たりともひかないでいた、フランが自信満々にこたえた。

「見間違えたらどうしようかと、心配しちゃってたけども」

「ふふ、ジニーにはまだまだかないませんよ」

 ゼンの背の伸びぐあいのちぐはぐなところは、自他ともに周知の事実である。なにかの帳尻をあわすように、仕立てのいらない冬だった。

 注目すべきはむしろハウプトマンだ。

「……まえよりデカい、よね?」「デカいです……!」

「そうか?」ぬん、と降車する影は小柄、ひげもじゃな笑顔も変わらない。「気のせいだろう」

 だけれど、ふふふ、とたたんでくれる前腕の陰影は、どうみてもみがきがかかっている。

「数日はゆっくりされるのでしょう?」イトーもいあわせていた。

「いつでも準備はできてるよ」

「あ、テキセンからお便りがあります!」

 話題が混雑するのである。


 使徒アナンの痕跡は、海の外へと続いているのだと、テキセンは最後にのこしていた。親愛なるチューバッカによろしくとはその追伸である――"チューバッカ"なるものの意味は不明だが、文脈からしてけむくじゃらを言いたいらしい。認知論とはつまりこういうことだ。


「あいにくばかりですまないが……」

 突然のダミアンサンにもみるように、むこうの脅威は絶えていない。ハウプトマンもそれを言う。

「人畜の集団不審死か」ちょうどヴィクトルが帰宅する。

「うわさは聞いてるとも、コルパシアの泉がにおうとか」アムソフィヤも一緒だった。彼女もしばらく同道の手筈であるから、馬車主夫妻にご挨拶。「どうぞよろしく!」


 "軒並みな居間(リビング)"から"魔法の居間(リビング)"へ、みなで荷運びにかかっている。ながら情報の整理があった。この手の指揮はハウプトマンだ。

「助言通りに道を違えて、むしろ到着が早まってな」

 黒馬車が世話になっていた騎士たちは、直近ところかわってダンコヨーテの所属であった。彼らは異常の調査にむかい、別行動のおかげで"時駆け"を行使できたのである。

「ここからさほど遠くない」

 いつもの"良くも悪くも"だ。ことが単なる水源汚染でないとすれば、"商隊"は加勢するべきだろう。


 少年少女といえば、覚悟と掃除をすっかりすませてある。おいていくものがたくさんあった。"家"をちょっとだけあらためた。

 おのおの自分の机を撫ぜ、ほんとうに悔いはないか書庫を再確認する。あまった時間で、リビングのひっそりとした暖炉を鑑賞する。

 戻ってくることは、たぶんもうない。

「やっぱしさびしいかな?」

「いいえ、ソフィが一緒ですから」

「むふ、かわいいこというね~」

 重量超過は心配ないだろう。ちょうどサルヴァトレスはバカンスを満喫しており、ダンコヨーテで合流予定であった。


 そして黒馬車はゆく。村へとつづく一条の道である。

 おきまりの黒い屋根うえで、ゼンはかえりみていた。アムソフィヤとの初戦でひどい目に遭わせた木立も、来年には元通りだろう。ここは幻想の馳せる土地である。

 息のあがった大型犬が、行く手を阻むよう滑り込むのは、村か外かの岐路であった。黒馬車のあらたな引き手の軍馬たちは、ヴィクトルの手綱に従順にしたがう。

「こら、あぶないよ!」アムソフィヤも御者席にいた。

 おん!とひとつ相槌をうつなり、大型犬はお座りしてどかない。へっへと舌をだしながらも、自信満々で凛としている。主を待つのだと、ゼンにはわかった。いまにもみえる遠影は、"正直な配達人"のものだった。

「よかった……!」

 いつ発つものかわからないと、ちょうど今朝の便で伝えてあった。だから息せききらしてくれた。彼は肩掛けかばんから、くりあげた急ぎの便をもたらしてくれる。

「こちら、"少年の騎士"様に!」

「どうもありがとう……」

 屋根をおりた先頭で、ゼンはむかえていた。受け取ってみると、いかにも手紙らしい手紙である。差出人は――?

「それと"勝利の騎士"様宛てにも……!」

「長らく世話になったな」

 脱帽してふかく返礼する配達人の少年の様子や、

(続報かい?)

(……今でなくともよいだろう)

 といった、御者台の意味深なやりとりを、ゼンはわかってもよそにしている。"薄灰色"からあとのみんなを呼び寄せて、待ち遠しかった。

「あけるよ!」

 一同やっと輪になって集っている。


 "少年の騎士"殿へ。


 まず不明な差出人のこの書体であった。


 ――ヴァンガードの直筆だ。


 ちょっとへにゃとしたところはあるが、見間違えやしない。内容はゼンが読み上げる。


 予想通りに気さくな挨拶。こちらの順調な経過をおおげさによろこぶひとこと――ヴィクトルが別に報せていたようだ。

 そしてまた彼の経過。

 寝起きままなる程度には、だいぶ前から回復していたものの、まともに文字が書けるまでは、ナイショにしていたかったこと。

 そろそろ本格的な運動療法(リハビリ)にとりかかれること。

 残念ながらだいぶ『なまっちまって』おり、『ちょいと修行が必要そう』で、『悪いが完璧に元通りになるまで』は、さらに時間を要しそうなこと。

 とくに時間的な制約の観点で、医者はかなりの困難を予期しているという。一方で『かならずやり遂げる』と断言し、再会を思わぬ日は『一日たりともなかった』と、力強くインクをほとばしらせる。


 悪くない。ちっとも悪くない。

 手紙はいつもはじまりだ。端々をにぎりしめてゼンは、みんなの顔をみまわした。

「いこう」

 立ち止まった日などなかったが、今こそ口にすべきと思った。

「再出発だ」


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