90.一報
そう、しかるべき時と場所に、影とはおちるもの。見回りをおこたったせいだと、誰かれを咎めることはない。
ある森の、暗い枝葉のあいまをぬって、一騎のグリフォーンが降り立った。しかし荷台を釣っていない。駆っていたのは緑装束の騎士だ。おおきな鷲羽根をひとなでて彼は、ひょいと下乗しな言った。
「ごきげんよう。ほんの視察を所望します」
月光だまりにひびく、詩人のような美声であった。
「おそれながら、お帰りください」
洞穴の格子門を背に、対する守衛は抜き身をふりかざす。守衛、といっても、若い彼女はみすぼらしい身なりで、迷い人に扮している。いかにも野営の火がくすぶっている。
「一切の来訪を、事前に聞き及んでおりません」
「いやはや、この盾と星々にかけて誓いましょう。我は君主隣人に仇名すものではない」
"柊の騎士"とかあだ名されているかの騎士は、自覚的な来訪者である。今世ひとまずの肩書きを、ジガヴェスタ領筆頭統括騎士という。
「ふと通りがかりでした……嫌な予感がしたのです」
「ま、またですか……」
「うん、またなんだ。すまない」後ろ手のまま、"柊の騎士"はずんずんと進む。「けれど私がこの直感を違えたことが?」刃を首でおしのけて、異性がずるがる微笑をたたえる。「ねぇ、ケニー」
「……」
ケネスサンドラはそれから不平を垂れながらも、しぶしぶ洞穴の格子門をひらき、上司に面を通し、いちおうの許可を得て、にこにこしている"柊の騎士"のために、その監獄中を案内することになる。
「わくわくするね、《ショッピングモール》とは」
と、"柊の騎士"は評したりした。高い天井に煌々としたこの明るさが、いかに融通されるのか、ケネスサンドラには実際わからない。
じめじめとした地下牢ではない利点なら明らかである。最小限の人員でも警備体制に瑕疵はない。勝手に動く階段をふたりで下っていた。
「この先だ?例の問題児たちは」
「はい。ひろく十倍の重力が適用されています」
三倍とされる上階層でさえ、なかなかにしんどい。ケネスサンドラはあいまいな理解で言っている。
「……《シャッター》はいつもしまっているの?」
「え……」
「適用したのはいつからだ」
光にさらされているべきなのだ。檻はくまなく見えるよう、すくなくとも上層階のそれらはあった。
"柊の騎士"は一線を踏み出す。ありがたい技術供与だが、検証が不足している。中世程度な諸リテラシーの、エウロピアを高く買いすぎだ。なおさら"迷宮"内部では。
ブティック店のシャッターを、"柊の騎士"ははね上げる。
穴だ。
そこには穴があった。
――やぶをつつけば穴みっつ……。
いるべき囚人たちはいずれも、檻もろとも飲み込まれている。
「私も内情に詳しくは……ただ五倍ではだいぶ暴れるとかで!」
やっと考えがまとまったらしい、置いてきたケネスサンドラが言った。彼女にはこの闇が見えていない。
――照明が落とされたのはこの店舗のみ。電源設備に工作?内通者……?
"柊の騎士"は引きちぎるように剣を抜きはらった。十倍だから、さすがに肩も凝る。されど誰かがそれをせねばならない。
「よいですかケニー、落ち着いて聞いてください」
彼こそ目覚めを促したのである。"穴"からつたわる声なき声が、"柊の騎士"に感謝していた。
「これから私が伝える言の葉を、一言一句逃さぬように……!」
ジガヴェスタ領の秘密の森で、かの"迷宮監獄"は長らく運用されてきた。近く放棄を迫られる。
出来事はダミアンサンの墓標がまさに打ちたつ頃であり、"商隊"再結成の前夜であった。
---
"家"のまんまえで少年少女は出迎えた。予定を繰り上げあらわれる、懐かしき我らが黒馬車だ。
ジニーが御者台を飛び出てきて、ぎゅっとしてくれる。
「元気だった?変わりない?」
「はい!」
風邪の一度たりともひかないでいた、フランが自信満々にこたえた。
「見間違えたらどうしようかと、心配しちゃってたけども」
「ふふ、ジニーにはまだまだかないませんよ」
ゼンの背の伸びぐあいのちぐはぐなところは、自他ともに周知の事実である。なにかの帳尻をあわすように、仕立てのいらない冬だった。
注目すべきはむしろハウプトマンだ。
「……まえよりデカい、よね?」「デカいです……!」
「そうか?」ぬん、と降車する影は小柄、ひげもじゃな笑顔も変わらない。「気のせいだろう」
だけれど、ふふふ、とたたんでくれる前腕の陰影は、どうみてもみがきがかかっている。
「数日はゆっくりされるのでしょう?」イトーもいあわせていた。
「いつでも準備はできてるよ」
「あ、テキセンからお便りがあります!」
話題が混雑するのである。
使徒アナンの痕跡は、海の外へと続いているのだと、テキセンは最後にのこしていた。親愛なるチューバッカによろしくとはその追伸である――"チューバッカ"なるものの意味は不明だが、文脈からしてけむくじゃらを言いたいらしい。認知論とはつまりこういうことだ。
「あいにくばかりですまないが……」
突然のダミアンサンにもみるように、むこうの脅威は絶えていない。ハウプトマンもそれを言う。
「人畜の集団不審死か」ちょうどヴィクトルが帰宅する。
「うわさは聞いてるとも、コルパシアの泉がにおうとか」アムソフィヤも一緒だった。彼女もしばらく同道の手筈であるから、馬車主夫妻にご挨拶。「どうぞよろしく!」
"軒並みな居間"から"魔法の居間"へ、みなで荷運びにかかっている。ながら情報の整理があった。この手の指揮はハウプトマンだ。
「助言通りに道を違えて、むしろ到着が早まってな」
黒馬車が世話になっていた騎士たちは、直近ところかわってダンコヨーテの所属であった。彼らは異常の調査にむかい、別行動のおかげで"時駆け"を行使できたのである。
「ここからさほど遠くない」
いつもの"良くも悪くも"だ。ことが単なる水源汚染でないとすれば、"商隊"は加勢するべきだろう。
少年少女といえば、覚悟と掃除をすっかりすませてある。おいていくものがたくさんあった。"家"をちょっとだけあらためた。
おのおの自分の机を撫ぜ、ほんとうに悔いはないか書庫を再確認する。あまった時間で、リビングのひっそりとした暖炉を鑑賞する。
戻ってくることは、たぶんもうない。
「やっぱしさびしいかな?」
「いいえ、ソフィが一緒ですから」
「むふ、かわいいこというね~」
重量超過は心配ないだろう。ちょうどサルヴァトレスはバカンスを満喫しており、ダンコヨーテで合流予定であった。
そして黒馬車はゆく。村へとつづく一条の道である。
おきまりの黒い屋根うえで、ゼンはかえりみていた。アムソフィヤとの初戦でひどい目に遭わせた木立も、来年には元通りだろう。ここは幻想の馳せる土地である。
息のあがった大型犬が、行く手を阻むよう滑り込むのは、村か外かの岐路であった。黒馬車のあらたな引き手の軍馬たちは、ヴィクトルの手綱に従順にしたがう。
「こら、あぶないよ!」アムソフィヤも御者席にいた。
おん!とひとつ相槌をうつなり、大型犬はお座りしてどかない。へっへと舌をだしながらも、自信満々で凛としている。主を待つのだと、ゼンにはわかった。いまにもみえる遠影は、"正直な配達人"のものだった。
「よかった……!」
いつ発つものかわからないと、ちょうど今朝の便で伝えてあった。だから息せききらしてくれた。彼は肩掛けかばんから、くりあげた急ぎの便をもたらしてくれる。
「こちら、"少年の騎士"様に!」
「どうもありがとう……」
屋根をおりた先頭で、ゼンはむかえていた。受け取ってみると、いかにも手紙らしい手紙である。差出人は――?
「それと"勝利の騎士"様宛てにも……!」
「長らく世話になったな」
脱帽してふかく返礼する配達人の少年の様子や、
(続報かい?)
(……今でなくともよいだろう)
といった、御者台の意味深なやりとりを、ゼンはわかってもよそにしている。"薄灰色"からあとのみんなを呼び寄せて、待ち遠しかった。
「あけるよ!」
一同やっと輪になって集っている。
"少年の騎士"殿へ。
まず不明な差出人のこの書体であった。
――ヴァンガードの直筆だ。
ちょっとへにゃとしたところはあるが、見間違えやしない。内容はゼンが読み上げる。
予想通りに気さくな挨拶。こちらの順調な経過をおおげさによろこぶひとこと――ヴィクトルが別に報せていたようだ。
そしてまた彼の経過。
寝起きままなる程度には、だいぶ前から回復していたものの、まともに文字が書けるまでは、ナイショにしていたかったこと。
そろそろ本格的な運動療法にとりかかれること。
残念ながらだいぶ『なまっちまって』おり、『ちょいと修行が必要そう』で、『悪いが完璧に元通りになるまで』は、さらに時間を要しそうなこと。
とくに時間的な制約の観点で、医者はかなりの困難を予期しているという。一方で『かならずやり遂げる』と断言し、再会を思わぬ日は『一日たりともなかった』と、力強くインクをほとばしらせる。
悪くない。ちっとも悪くない。
手紙はいつもはじまりだ。端々をにぎりしめてゼンは、みんなの顔をみまわした。
「いこう」
立ち止まった日などなかったが、今こそ口にすべきと思った。
「再出発だ」




