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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:忘れじの谷
89/106

89.卒業


 なにか宮殿のような内部構造であった。石造りの階段をくだったさきで、広々としながら窓がなく暗く、あちらこちらから水が滲出しており、どうしても迷いがちになる。

 湖の小島にあらわれた"迷宮"踏破を命ぜられたのは、卒業式の朝であった。

「かんたんにやってのけたねぇ」

 ただしアムソフィヤが掃除をしたあとだ。管理された脅威を退けながら、行って帰ってみただけのこと。いまさらふたりで訳もない。

「スライムのお化けには驚きました……!」

「おお、そうだろう?」

「巨石をごろごろ~って転がしてきて……すごい使役です!」

「……そうだろう?」 

 いかにもボスづらの、原生の巨牛をさばいたあとに降ってきた、透明な、半人型の"アレ"までが、アムソフィヤ製の"スライム"だったか、いささかあやしいものである。

 ともかく引率ヴィクトルの剣を抜かせずにはすんだ。

「腕をあげたな、斯様な大仕掛けを」

「あっはっは」

 ゼンは聞かなかったことにしてやる。

(うん、ぜぇんぜん初耳ね。こわ……)

 酒場に急ぐふりをした、アムソフィヤのひとりごとであった。なるほど、使役スライムとは格のちがった肌感だった。

 

 いざというときは、なんじのかかとを信じよ――無責任な方針で放りこんでくれたものだが、現実なんてこんなものだ。ないものはない。たとえばとくに命綱。

「ゼン、お昼までひまですか?」

「うん」

 ふたりでこのごろチャンバラ(ちゃかじゃん)が趣味である。口実づけた雑談であり、いまになって、おおかた思い出話になってしまう。

 最新版イトーの寝ぐせ傑作三選。ヴィクトルが割った大量の薪のゆきさき。アムソフィヤがまとう一枚布の見分けかた――おんなじようで何枚もあるのだ。

 あとは黒馬車を待つばかり。秋とどちらが先だろう?

 この稽古場とあいまみえるのも、たぶんかぞえるほどであった。

 扇にひらかれた森のひとかどであり、ふみならされて草も生えない。あってあたりまえのなにもかもが、徐々にさまがわりした結果である。

 木材仕立ての懸垂機、剣かけ、日よけの屋根、小会議用の机、みんなでニスを塗ったベンチ。

 西の小道をゆくとあの滝が、支道をゆけばあの湖が。東にすこしもどれば"家"がある。

 あたりの樹々の模様など、くまなく覚えてしまうほど。

 だから異常は目につかないか、ふたりはすばやく目を走らせた。とうとつながら遊びはしまいだ。

「ヴィクトルを」

 聞くが早いかフランは行った。いまの彼らにさえそうさせる、危機的な悪寒が走ったのであった。




 ---




 人は死したらどこへ行く?

 かっと光がかがやいた。あやめもわからぬそれをつかみにかかって、男は、たぶん敗けたのであろう、おのれをすこし思い出せた。




  ---




 少年が、剣をおくので男は問うた。

 なぜ殺さない。

「救いはまだあります」

 立ち上がる力がのこっていない、男は木の根によりかかる。解くべき武装を、すでに失っていることに気がつく。


 ――おまえが裁きの剣を曲げることがあるとしたら、それは贈り物によってではなく、慈悲の心によらなくてはならない。


 もはや価値のない箴言だった。おのれの名だって思い出せぬのに。

「ダミアンサン・アメンペック、それがあなただ」

 チッチロリが鳴いてる。

 自由意志による無力化を、この幽霊にほどこしたらしい。少年はそれから、蝋ぬりの仮面をそっとうばった。


 信じられないような光景を、男はむこうで見てきたのである。

 暗闇の渓谷に瞬く白銀の光。焦げつく大地に燃え盛る玉座。守られていたのは、聳えたつ、星をも喰らわんばかりの(かいな)

 連中はそれを呼び込んで、手に触れられる実体にしようとした。おぞましい目的のために。人類を一掃して、この星をどこかわざとらしい、常ならざる場所へと変貌させるために。


「あなたには家族がいる」

 そうだ、家族。

 少年の声に、男は引き戻される。

「あなたは"永久の国"の英雄だった」  

 記憶をむしばまれるのは、光と闇から逃れた対価だ。

「気高い人だった……」

 しかし束の間、ダミアンサンは思い出せたのである。




 ---




「無事なのか……」

 往時の影もないがらがら声で、ダミアンサンはつぶやいた。判じづらいがそれらはおそらく、彼の妻の名、娘たちの名。

 ダミアンサンをもってして、力及ばぬ窮状に、そして闇と親しい属性のために、むこうに目をつけられたのだろう。不当な契約を強いられて、彼はかれなりに意志をはたした。

 ゼンは勘ぐっている。"黒剣"には妄念をはらう力があるのではないか?手にしていたのは実験都合で、たまたまだった。

 トンネルを抜け出す、ほんの手助けができたならいいが。もっとはやければどんなによかったか。

 もはや彼にほどこせる唯一の「治療」とは、かすかな希望の火をともして、痛みをやわらげることだけだ。

「半年前までの消息がたしかです」

 ダミアンサンの家族についてだ。いくさの続く土地であり、終息にむけて王国軍の介入が秒読みだった。

「……今この足では赴けないし、あなたの代わりは務まらない。ただその時があれば誓います」

 できるだけ正直でいたいものだ。

「あなたの家族に手を差し伸べる。ゼン・イージスの名にかけて」

 尽くせる最大限だった。

「騎士よ」

 おそらく盲いたダミアンサンは、うつろなりに手でつかみかかった。ほんのいっときのことである。覇気を取り戻す。 

「おのれのともしびを手放すな――」

 引き寄せた耳元であとを言い切る。ぜぇ、と一息つく。うなだれる。

「お亡くなりになりました……」かがんで脈をとっていた、フランがいった。

「……彼はなんと?」見守っていた、唸り声である。

 ゼンは立ち上がる。その箴言が仮面でくぐもることはなかった。

「……"朝まだきに影は蔓延るものだ"」


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