87.偲ぶ
あたたかい残雪の日に、ゼンは遠足を決意した。
森はながい冬から急に目覚めて、あざやかな緑に衣がえしたばかりである。ひとりきりであった。最後の発表順がやってくるので、散策は話題探しだ。
なにか無難で、楽しいものがよいだろう。
植物、動物?さんざんやった。自然の観察……いまさらか。
剣のうんちくもやった。たとえば"構え"名称の文化的考察――"疾風の構え"はなぜ「疾風」なのか?
ほかに戦いの振り返り。ほかに文化人類学者のまねごと。
うつくしいアカマキたちのさえずりをききながら、昨夏に腰かけた石をさがしたりする。
それは墓標ではないかと、今になってから思われた。
葬送については、いかがであろう?
心配されるだろうか。
スミカ、ボルドヴェン、一目みただけの、たくさんの仲間たち。
死後ヒトは、象徴に押し込められてしまう。丸に三角、四角に棒きれ。そこに機能的要請はない。ただ視覚的なしるしに頼る。
正午をしらせる村の鐘が、ここではかえってよく聞こえた。渓谷のはずれの、生い茂ったのぼり路である。
あの日も弔いの鐘が鳴っていた。
きまって哀調をおびている。それは勝利の知らせでもあった。興味本位で駆けよってきた、花輪で祝福をほどこす町娘たちを、ぎょっとさせたのを覚えている。
戦いのあかい臭いから遠ざかり、おそれるところがはっきりとした。
ひとたび起こった現実に、「めでたしめでたし」はありえない。
トロッコ問題をイトーは教えてくれたけれど、欲張りが地金なものだから、能うなら、仕組みそのものを破壊してやりたい。
ヴィクトルが代わりに叱られてくれた。賭した犠牲の大きさに、長だけが責任を問われて、すんだ。
たらればである。
使徒七人の捕捉にこだわらなければ。
"光の鎧"をえてから突撃し、英雄たちの援護をうけながら、速攻できた。慢心だろうか。
せめてシュワルコフ公を待てば。
死なせた百何名は、みずからが選んで殺したのでないか。
フランの無事とて、さだかでなかった。
手をこまねけば、さらなる惨事があったのも事実。
"ビッグレッド"に飛翔を許せば、誰の手にも負えなくなったろうし……。
ぞっとする。
"鎧"がなければあと何人死んだ?
「運がよかっただけだ……」
恥ずべき軽率さをおだてられるたびに、はらわたが煮えくり返るのである。
結局、使徒のうち半数は取り逃している。
さいわい黒馬車の方は、一冬を経ても無事だった。
あからさまな護衛があっても、街道に賊は出るというが。サルヴァトレスがひとりでのしてしまって、騎士らが泡を食ったというのを、ハウプトマンがつづってくれた。
ほんとにおかしな馬車である。
やっぱりみんなを乗せなきゃ"商隊"じゃない――夫妻して紙面で力説してくれた。直近の文は、ダンコヨーテ南岸の観光から、すでにゆっくり帰還をはじめた由である。
ダルタニエンとはいつになるだろう?
本来はいっしょに"家"で住むつもりでいた。書庫になっている空き部屋だった。
それが療養ついでに、槍の稽古をうけているから――シュワルコフだから本場も本場になる――再会は、思うよりあとにちがいない。
大人のあいだでは、元からそんな話であったのかも。よかれシュワルコフ公の直弟子たちとは、かなりうまくやっているらしい。最先端の再生医療は、王国外では俄然あたらしく、経過観察がたいへんだとかも、手紙に聞いた。
いくさばでは、人体のありとあらゆる部分が壊れる可能性があるから、医学的には都合のよい実験場なのだ。とは、やっぱり何かで読んだ気がする。なら、心は?つぎはぎして治せるものなのか。
それにしたってお天気である。
うつくしい湖畔とは聞いていた。たしかに。のぼりつくして、いま枝しげみをくぐった先だ。ひろびろとして明るい水面が、青空をなげかえしている。まのあたりにする北北西の山岳は、白く高くすきとおっている。一円を取りかこむ芽吹きたての森が緑だ。
――ひょっとあの滝の水源かな……。
奇遇にも先客があった。とおく三時の岸に、ほんのりたなびく白い布――生ける境界標である。気がつく彼女にむかって、ゼンはささやかに手を振った。
相容れないところはあるが、アムソフィヤのことは好きだ。
とくに意味もなく合流し、てきとうな一声をかわしたくらいで、なんとなく湖岸の散歩をふたりではじめる。ゆったりと時計回りである。微風はつめたいこともあった。
これ以上のぞむべくもない教師陣だと思う。一冬をともにした大人たちのことである。
「なに考えてたの」
たぶん読心術だ。アムソフィヤはちょっとのぞきこんだ。
「まあ、いろいろと?」
嘘は言わない。
だろうね、とアムソフィヤはくっくっと笑い、手ごろな小石を、つっかけで蹴飛ばした。それで湖に波紋をたてた。いくつになってもやるものなのだ。
「……主には、明日より昨日の出来事を」
ひとりとりおこなうつもりでいた。心のこだわりを沈黙させるための、儀式のようなものを。
ついぞ実行できそうにない。
「エマの遺髪です」
ずっと右手ににぎりしめていた。たてがみと尾の、鹿毛というより黒い毛で、上品な布に丁寧にくるまれ、束となっている。アムソフィヤが見逃すはずないから、あえて聞かないでいてくれたのだ。
「手放せなかった……」
ゼンはしばらくひとりでしゃべった。ないしその気でいただけで、刹那に思っただけかもしれない。
シュワルコフ公が一緒に泣いた。隣でしずかに泣いてくれた。
戦場のあとしまつどきである。何が起こったか知らなかったから、帰還して、黒い丘に居並ぶグリフォーンをみて、ちょっとよろこんだ。
かたやあたりの兵士を労って、ダコックになにやら耳打ちされて、ヴィクトルに深く礼を言う、シュワルコフ公がいた。
壮年の肖像画と一致するのは、ピンとはねあげた口ひげくらいで、はるかに若々しいまであった。ごつごつとした完全武装で、巨人顔負けのがたいをしていた。
その人が、小さくなって、告げたのである。恩に着る、遅参を詫びると、もっとうれしそうでもいいのに。率先して教えてくれたのである。
あとはただ寄り添うだけだった。
――それぞれ失ったものはあるが、なにせ"少年"なのだ。
ずいぶん経って、離れてからだ、聞こえていたとは思うまい。シュワルコフ公が、特別扱いしようとするのがわかった。
――一番の功労者にして、もっとも深い傷を負った。
めそめそしながら抱くのは、勝手な反発心だった。
"穴"から遠ざかったはずで、死臭がまとわりついている。遺体を収容するための、むしろがあっちに敷かれている。
あんなに人が死んでるじゃないか。
ボルドヴェンの訃報もきいた。
あなたの愛する民たちで、同胞だったんじゃないか。
うまくやったら、殺さずすんだぞ――僕があんなにへましなければ、あちらこちらでしくじらずいれば――こんなに死なずに、すんだんだぞ。
いくさばで安心するために、ためらわず刎ねた命だってある。
思いやらずにばからしい。身勝手ばかりでへどがでる。
ただの馬だと思おうとした。
もっと自己嫌悪した。
いまでこそ知る、シュワルコフ公の昔話は、酒場の詩人の歌づてにおぼえたものである。
両脚をやられた若き日の公は、期せず駆けつけた愛馬に救われた。
背を借りて戦場を駆けめぐる。しかし多勢に無勢で、速さが足りない。"霞"で孤立しきってもいた。
"蹄減らし"に賭けるほかに、ふたりが生き残るすべはなかった。
暑さが遺体をすぐくさらせる、同じような夏の夜であった。人の死者でも手があまる、同じような夜更けだった。
火葬はフランに任せきった。炎の色は見ていない。
最後にふたりで走ったのは、使徒追跡のときだった。最初で最後の"蹄減らし"である。
最高に気持ちがよかったと、ダルタニエンに自慢したそうな。
あれから、まともに構ってやらなかった。しっかり遊んでやったのはいつだ。
まだその辺りの草しげみを、夢中で食んでいたりして?
好みの木の実を見つけては、まだもうちょっととわがままをいう。
口笛を遠くまでならせば、ひょいと帰ってきはしまいか。
実感も何もない。
鹿毛の毛並みをとかすことが、もうただありえない。
せめておそろしくなかっただろうか。痛くはなかっただろうか。
のきなみにいう「馬車馬」のように、荷車の擦り傷に、さいなまれるようなことこそなかった。硬い石畳のうえで疲労のあまり、とつぜんに心臓を破裂させて、冷たくなるようなことこそなかった。
だからってよいものか。
はたまた最悪か。
なにせ別れは不意のもの。もっと残酷な別れ方だって。
ながく馬勒をみるのもつらかった。知らない馬でも、顔をあわせてつらかった。
それくらい、もはやめそめそしないが。
好物をえたときの、よろこびの足どり。疾走に、はためき波うつたてがみ。あたたかい背の甘酸っぱい汗のにおい。すごく心地よい首筋のてざわり。たのもしい鼓動。ふたりで感じた風。思い出すのである。
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はじめにあった棒と縄よりも、ずっと高度な武装を得てきた。概念がその最たるひとつだ。辛辣に訴えかけてくる。
「人は所詮、手の届く範囲のものしか守れない……」
それさえ危ういようではいけない。
守る、を標榜する者にとって、敗北の回避は大前提。"白鎧"は前提を担保するものだが、あいまいな可能性とやらを重くみる。つまり今のはげしさにかかっている。
「若者のくせに、倦み疲れてるね」
アムソフィヤはぴったりついてきていた。
「あたかも老人ぶっちゃって!」
素足の、字もろくに知らない子ども時代は、終わったものだと自覚している。ゼンには、アムソフィヤがありがたかった。
「"黒き白鳥、白き鴉よ"……」テキセンの手紙の引用とわかった。「希望で高鳴り恐れで沈む、君の幼年時代は過ぎたのかもね。けれど、さまざまの苦労を知ったって、自分以外になれと迫ることはない。"少年"?」
彼女には、そんなに励ます気がみえない。それでよかったのである。
「うらやましいよ、ドアからほんの足を出しかけで。ボクはまだまだ思うのさ、君たちはどんな大人になるんだろう?」
ここにもいた。未来を信じてくれる大人だ。
ゼンはふと、よそごとに物思いをする。フランが一節披露してくれた、それは詩であった。
"わたしたちの旅がもはや 空想をかきたてるようなものではなくとも"
心打たれた。
空はどうして青いのか。虹の根元はどこにあるのか……子どもが幻想に馳せる不思議な感覚は、どこから失われてゆく?
わかっていた。
幻想を打ち砕くのは、真実などではない。みずから知りたがり、現実に直面したときでもない。
一方言えば、まだまだ伸びるぞ――アムソフィヤのひとことふたことを、当面至上の忠言として、ゼンはしかと受け取った。
「正確に描ききるには、今というキャンバスは小さすぎるな」
アムソフィヤがいうからには、すがめる目線の先に画架があった。
木材仕立てで、大きな灰色の紙が乗っている。湖面をむいたそこで筆を手にするのは、"正直な配達人"だった。
彼も少年である。
どんな少年かは知らない。もすこしばかり、大人だろうか。
アムソフィヤがひとりむかってゆくのに、ゼンは近づかないことにした。
つねのよう彼が連れている、大きくかしこい牧羊犬が、アムソフィヤに愛嬌をふりまいた。家畜の誘導、探し物、荷運び、見張りに、郵便速達、なんでもこなす忠犬であると、村では名高い。
アムソフィヤは一帯の景色のあちらこちらを指さして、どうやらなにかを指南しだす。少年は用紙を手に、しきりに頷いてきく。
離れぎわ、こちらにすっと会釈するので、ゼンも目礼でこたえた。
「おじいさん!」
画家のたまごらしい。うしろにあったほったて小屋に、颯爽とかえってゆく。オン!と牧羊犬がつづいた。
あれまた見回り小屋であろう。くもった窓でのぞきしれないが、煙突からはもうもうと白煙があがる。きっと内側は暖かい。
「知り合わないんだ?」引き返しつつ、アムソフィヤは言った。
「……友達は作らないでいました」
なるべく正直でいたいものだ。
「不用意に親しくなることで、何か不幸をもたらすような気がして……」
うつくしい湖には、うつくしい小島があった。名前のわからない一本の木が、水鳥たちのよりどころとなっている。
「ちがう」
鳥たちをおどろかせてしまった。アムソフィヤは、ぱちぱちと音の出そうなまばたきをした。
「不幸に遭わない人はいない。彼らもいずれは……」
季節は冬を忘れていない。今夜またすこし降るだろう――盗み聞きした、アムソフィヤの言付けである。
「目を背けたかっただけなんです」
やさしい村が苦手だった。いっぺんもまともに過ごせなかった。
森や山べをゆくときだって、首鐘の音色でききわけて、牛羊たちを避けるようにした。
ふともちあがる根に、つまずくのがおそろしかった。
逃れたかったのだ。
しかし、そいつに向き合わずして、何が"聖巡礼"なのか?
冒険、というもっとも華々しいウソに塗りたくられて、成果ばかりならききよいが。
たくさん見て聞き、頁をあばき、知らなかった、ではもうすまされない。この星には、たしかな地平が存在する。「世界の果て」がただの絶壁ではないことを、骨の髄から味わっている。
ここ十二時の湖岸で昼食をいただくことにする。サンドウィッチのたぐいを、フランに山ほどもたされかけた。
「愛されてるね」
そうなのだろう。背にむすんでいた大袱紗をひらき、席をもうける間に、小屋の番人で足の悪い老翁が、ひとこと礼をいいにきた。
それからは"配達人"の話であった。
才能がある。
アムソフィヤが持ち合わせていた、ちいさな粗画をみせてもらった。悲しさと希望が同居する、非常にすぐれた人物画だ。
「立派ですね」
エウロピアの智識院では芸術を学ぶこともできる。橋渡しをできる人物がここにいる。みつけた機会をのがさずに、彼は人生を変えようとしている。
「僕なんて喉が渇いてからやっと、井戸を掘ることになった」
「それも水に事書くよかマシさ」
わらえる。
しばらく哲学的な議論ができたと思う。背伸びに付き合ってもらった、というのが正しかろう。やれやれだね、とアムソフィヤは何度も口にした。"水君"らしい物言いだった。
「ほの暗い水底だからこそ、潜ってみるっきゃない時もある」
「どれだけ深いかわからなくとも?」
「どれだけ深いかわからないこそ」
「……馬には乗ってみろ、ということですね」
「おやおや……」
"配達人"が画架へ戻るのをみて、お暇することにする。彼の腹はふくれているだろうか。
先の老翁は、食べ物を受け取ろうとしなかった。みずからと孫が手づから稼いだ、一鉢のスープと少しのパンで満足しようとする。
ふたりして、仕事であればかまわない。だからアムソフィヤは、依頼にあたってじゅうぶんな薪を、苦手分野を克服のあかつきには、毎日の鍋にあふれるスープを約束したのだという。
「それならこれを控えないと」
取っ手をあおる仕草を、ゼンはしてみた。将来それをする自分が想像つかない。
「飲みすぎは約束を忘却させる、悪いまじないだと本に」
「こざかしいねぇ!?」
はじめて言われた。
「ただでさえこんな世の中なんだよ!もっと困ってみたときに、いったい何をやめたらいいのさ?」
しようがないお人である。
苦学生時代には、恋敵ヴィクトルの長靴をなめて、寝食と酒を得ていたのだと――どこが本当だかわからない。ともかく今はこれであって、まちがいなくいくつかの分野においての権威だ。魔術、芸術、それから。
湖の小島を、ゼンはふたたびたしかめた。はかったように中央に浮かんでいる。
「"迷宮"ですよね」
「気がついた?」
画になる小島だが、さざなみの挙動がちょっと不思議だ。地学にはさほど明るくないものの、直感のほかに、見張りや記録者を置いていること、この冬、アムソフィヤは朝帰りをかさねながら、いつの日もさして酒くさくなかったこと、いくつかの判断要素はあった。
「なじみの画家を呼ぶまでなかったよ」
あとはなんとなしお互いだまって、小島をしばらくみつめたあとに、湖岸を引き返すのだった。
アムソフィヤは、どちらかといえば知りすぎている人だ。
べつに光速度不変の原理だとか、慣性系がどうだとか、彼女が何気なく持ち出すこうどな物理は、王国の図書にならえば、それなり身につく。
けれど長耳テキセンとやりあったような、魔法理的な頭のおおきさは、軒並みな只人の"魔導"ではありえない。
どこで学んだか率直に訊ねた。
『ボクより詳しい人にね』といった。
『魔法使い?』
『とてもよく似ている』
クーネル・ドゥファスのとある"羊皮紙"を、アムソフィヤは秘匿している。前もってつづった出版物には、この世の疑問をたくしておいたという。誰に読ませるためでもく、期待していなかったのだ、よっぽど奇特な読者以外には。
『たった一度の文通だ』
彼女でなくてはたどりつけない、迷宮内でみつけた"羊皮紙"は、彼女にむかって語りかけたそうな。
言いふらすな、と紙面は誓わせようとした。誓って、ありえない知識を得たのだ。
『うん、だからまったく言いふらしてない。よーく選んでる』
アムソフィヤの言い分である。
名の立つ"迷宮探索家"として彼女は断言する。"迷宮"、それは時空のトンネルである。




