86.氷解
もとはすれちがいをなくそう、という趣旨だった。身近ですごすからこそ、伝え忘れることとは多々ある。
感謝の念もそうだが――ここではもっと突飛な、"魔法使い"についてや"巨竜伝説"などをいう。
他人が他人である以上、みぞを完璧になくすことなぞ不可能だ。だからこそ日々が大切にされた。雪が深まるにつれ時はかさんだ。
我らがなにをおさめたか記録しつくすには、誰かもとなえてくれたように、文字の制約があまりにきびしい。
ただそれはひとつ、暗い昼べの、暖炉の熾の傍であったり、窓越しの欄干にちいさな雪だるまがちょんとのる、小雪のあかるい日であったりした。
そしてふたつ、日々に得た内容はいつまでたっても、言いふらすのがはばかれた。
『追いつく便りに驚きはしたが、思えば不思議がることでもない!』
テキセンからの連絡は、彼らが弧大陸を先発つ日まで途絶えることはなかった。橋やトンネルや降雪に、彼らがくらった足止めについて、我らは気の毒がったものだが、この先おんなじほど悩まされるとは、露ほども知らずにいる。
ともかく事情が時をかせぎ、ふたりの指導者はほとんどいあわせてくれた。これを幸運と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
「"我が言葉がごとくうつつは得れり"――原初の約束はかなったらしい」
指導者のかたわれ、アムソフィヤ・ネスフィヨルドはおそらく、のきなみな"水君"ではなかったと思われる。
「人々は古くから死や癒しを、空想のなかにもとめてきた」
『ドゥファスのいう"門"がなんたるか、刑而下ではとても不明だが、形而上では完結している。当代あまねくヒト種に備わった、想像を具現化する力、それを供給する道だ』
「人はあらゆる物事を後天的に学ばなければならない、この不自由こそ自由と呼べる。ついに魔法を手にしたボクらは、"神"のごとき自由だって得られてよいはず」
『なのにどんどん枷されている』「みずからを縛ったりもする」『なぜなのか?』
ふたりはときどき、互いの認識をたしかめあった。
『たとえば属性を分かつ、これはまさしく枷である。どうして?』
「音の羅列に音階を、線と色遣いに様式をみいだしたがる……なんだって規定し、名付ける、こいつが人の性だろう?」
『そうだね。選り分けることで、むしろ最大限の許容を』「より多くの納得を」『引き出そうとする』「何から?」
「『"大衆の無意識"から』」
「だって水と氷の違いって何だい」
状態変化であろうか――?さかしく私はとりあった。
さむがりな水分子は、摂氏零度で元気が出ない。陣形をとって固まりたがる……。
「では炎と雷なら?」
雲の中のちいさな氷のつぶが、こすれあって電気の素をうむ。たくわえられて、たまりすぎた余分が、雷として放出される。地を打ち野火と化したそれは、もう雷ではない。と、解釈される。
すべてを、我らは規定している。
「境界は人が定めている。定めているから限界らしきものが生まれる。ひとまず"極み"とか呼ばれている」
『現状の淵にふれている"魔導"に、初見でかなうはずがない』
「ではどうするべきかな?」
彼らは欠かさず、実際的なことも説いた。
「当分にかぎっての外れ値がボクだ。人は天才だと呼ぶが……機会は万人に保証されている」
『急がば回れだ。事実から目を背けないように!』
「なにも複雑な量子理論を解けとは言わない」
エウロピア人がだしぬけにそれを語ることで、イトーの顎を外しかけた日もある。
『時が築いた膨大な道具・資産に、手をつけないんじゃソンってことさ』
「およそゆきつくのは車輪の再発明、ここではつまり」
『創造性と共感性の均衡で……』
「わかってこその新発明だ!」
ふわふわとした異空間に、放り込まれた思いであった。旅出て以来、頭をがんとぶたれるのは、それがはじめてではなかったが。
「たとえば光学的不可視と認識的不可視で、組み立て方がちがうとしても……」
『所詮は人のスケールさ。どんなあらたな規格にも言える』
「認知論だ」
『防御策だ』
「魔術戦なんて今日びはやらないが……」
稀なるそれに挑むかもしれない。流行はいつ変わるともしれない。
『ときに"規定力"とは何だろうな?』「はい、イトー君」
挙手せずにいて指されるのだから、生贄だった。おそるおそるの回答は、こんなところである。
「魔力、あるいは、行使数をさだめる何か……」
不正解とは言わないが。アムソフィヤは納得ゆかないそぶりで、常識に抗議するのであった。おちゃめに唇をむき、肩をすくめたのだ。テキセンが紙面から味方した。
『古典的な"魔力"の引用は、当代あんまし勝手がよくなくてさ』
「我田引水の許容量なんだよね、重きは」『そうとも』
テキセンが記すところは常に、対話の先を読んでいた。
『許せよ?年寄りは昔話をしたがるものだ。もう千年かそこら前は、もっと大きな対価が要った』
「爆食いや爆睡がほんの名残なんだよ、なんてお得!」
『ちょっと込み入る物忘れとかな』
私もさすがに勘づいたのである。刹那をもたらす"闘気"と、魔法もたらす"魔力"――ならざる"規定力(?)"とで、いったい何が異なるというのか。
「あはー!何がちがうんだろうね、ホントに!」
わからないことだらけで、彼女はうれしそうであった。
「アメイジア製のブーツだって、一万キロルの行軍の前じゃ無力だ。でも"瞬歩"じゃ溶けない、何故なのか?服だってそうさ、戦士その人は摩擦抵抗で身を焦がすのに!」
どれも、たぶんこうだと推測できるだけ――それでも知ったかぶりたがる、やっぱり人の性である。
『みずからの影は踏めやしない』
「だからメルポリは支持される」
魔法論について、ニ十のテキストがあるとする。ほとんど読むだけ徒労に終わる。
『詠唱作家はその点、弁えている。彼らは詩人なクセして、空想家じゃない』
「画期的だった」
『日に何度までだとするべきだ。何度つかえて一人前だ。なにをこんなにとなえるべきだ』
「どうして、をあえて省き、方法論に徹している。それは大きく受け入れられた」
『強く納得されたんだ』「されてしまった、とも解釈できる」
『条件・制約・対価で何らかをもたらす……』「古来まじないの基礎ではあるけれどもね」
窓はおおきく開け放たれていた。もう緑が芽吹くようなころ、言葉のうえでは我々は、もっともらしい理解をふやしていた。たとえばヒトは――。
時を超越する秘技、"言語"を有しており。
点を指せば、面まで認知せざるをえない。
つよく共感の生き物であり。
想像で傷つける。
はたまた、ひねくれものにもなれる。
みなでおこなう連想反射訓練は、一時熱狂的な流行り方をした。
赤い林檎ときけば、青いぶどうを思うまい?しかし「甘い果実」でくくれるから、得点は高くない。
炎と氷ではいかがであろうか。
海老と歯車なら?
耳垢はつよい手札である。
魔法理的抵抗術の一環であった。
それからたしか、詩文・古文のたしなみかたを、より深めようとするときだった。アムソフィヤの逸れた小話は、記憶の片隅で存在感をたもちつづける。
「ちいさくわかりあうことが、力を高めることだった……」
志を同じくしながらも、たがいを明け透けにはできない、難解な派閥の時代。戦争を制したのは、時間の観念を得意とし、驚異的な再生力を有した少数一派であったという――時間と再生、ただでさえ思うところだ。
魔法は人の数だけ存在できるが、個人の規定力ではたかが知れる。だから派閥で、規則があった。
ときの"剣士"はもっぱら、"魔術師"の盾であったそう。継承された典型例に、歴史と強度の付加を思う。強度と言ったが、それにしたって。
「みつけて、いっそうはっきりさせたんだよね。価値を」
彼ら"西暦の魔術師"たちは、けっして最古の"魔術師"ではなかったが、たいへんに優れていた。
「情報に……いや」
そしてアムソフィヤ・ネスフィヨルドも、負けじのきなみな"魔術師"ではなかった。繰り返し、くりかえし、知らせてくれた。
「"情報"に」
指で作ったかぎつめで、ひっかくようなしぐさを、みえないなにかにのせるのである。
一度ならず、彼女はそれをおこなっていた。
二重引用符であろう、たびたび連想するだけだった。
アムソフィヤと離れてからだ。私は気がつくのである。
物事の"強度"が、くっきりとみえる視力を得ていた。
まじないをかけられたかのようだ。ずっとそこにはあったのに、ただ見過ごしてきたなにもかもを、いまいちどあらためなければならない。そんな義務感にも駆られた。
むろん、いつでもひっかくわけではない。
「このあたり、"長耳"の方がくわしいかな」
肝心の託す伝文は間に合わず、行き違いに別れの言葉が届くだろう。アナン追跡の目途がたったといい、それは突然の航海を意味していた。
すばらしい魔術師たち。彼らはついぞ言わなかったが、とっくにたどりついていたのではないか?つまり……質量かける光速の二乗のその先、"星の理"が仄めかす、くだんの公式に。
わからない。「なんにもわからない」。彼らは先んじて、用心深く総括したがった。
科学を重んじ、借用しながら、何も決めつけない。それがいまどきな強さの秘訣だからだ……。
学びの多い日々だった。
私たちの未来に期待して、莫大な投資をしてくれた大人が、あちこちにいた。
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明るい白昼灯のなかの"軒並みな居間"である。暖炉の音がよく響いている。見事な発表内容にもかかわらず、拍手はなかった。本日の発表会の主役は、アムソフィヤであった。
「当然の帰結だろう?」
番をただいま終えたことで、一同とおんなじ机の椅子をひく。
誰も、声さえ出なかった。ゼンもさることながら、イトーがもっとも衝撃をうけている。と、観察するだけの余裕はあった。
「公表は」ややして、唸り声である。
「まぁ、ボクの死後にでも?」
早く死にたがっているようで、フランをむすっとさせる。茶の用意のため、ひとりしずかに立った。
「王国人なら、とっくに気づいていそうなものだけれども」
やかんで湯が沸く音がしている。
書き込んだ黒板を背に立って、アムソフィヤは言ったのである。
『天空に城を思い浮かべても、明日できることなんてかわりゃしない。ボクにとっても、世界にとっても……』
それが"星の理"のはずだ。
『ただし!』
と、締めくくる先がもっともらしかった。"軒並みな居間"を絶句させた。
「内緒にするかは君たちしだい。信じてもらえるか?また別のお話だ」
「……危険すぎる」
「そうとも!」
ゼンはみている。
親友を、口封じのため斬って捨てる。信じられない選択肢が、ヴィクトルによぎってよいほどだ。
理性があるからそれをしない。意味がないからそれをしない。
遅かれ早かれ、誰かが追いつく。もっとも常識から遠く、淵をみているアムソフィヤ。彼女はお行儀よくすわったままで、ありがと!と、フランの給仕を受け入れていた。
続きがあった。
「当代まして人々の想像は、重力と同様にボクらに作用していて――」
茶をたしなむのに準備をしている。信じられないほどつまんだそれは、あまい砂糖ではなく、塩だ。攪拌するのに、ただただ指先をかざすだけ。
「もはや青酸の一服よりも確実に……」
手にとり、やさしく口をつけてから。
「ボクらを葬れる」
「想像とは、重力と同じくらい現実に人間に作用するものであり、青酸の一服と同じくらい確実に、人間を殺すことがある」――『金枝篇』ちくま文芸文庫 J.G.フレイザー 著 吉川 信 翻訳




