84.わたしの旅
雨かと思ってみあげれば、枯葉がころげる音色でした。
いつからでしょう、ながらく同じページにいたようです。
「あなたの旅はわたしの旅です……」
ヒロインの台詞をなぞります。
言ってみたいなあ、とあこがれてから、言ったような気がする、とも思いました。
くすぶっている炉傍の寝椅子で、わたしはそっと表紙を閉じます。この巻の主役はメイドさんでした。
こういうのがもっと読みたい、と伝えたら、なんでも聞いてもらえます。
こちらの『戦禍の七人』は一大長編です。続刊が手元にそろわないうちから、読みきってしまうのが、なんだか惜しいです。
本はたいへんな郵送物ですから――わかります――読んでみて、もしほんとうに気に入ったなら。と、イトーは繰り返します。ぜったい気に入るのに、それはわかってもらえません。
『正直な人』『リューとアガペー』『ナマルスクホーン』『かたうでのないおじさん』
なぜならノイジェット作に外れなしです。その人がほんとは誰なのか、知らないふりなのがお約束です。
おもてに出ようと思います。お休みの日でも、ちょっとは体を動かさないと。
窓の格子ごしにみたように、胸がさびしくなる肌寒さです。
旅にでてからはじめての冬を、むかえようとしています。
ことしは雪がちになるかもと聞きました。
雨の日は、髪をなんどもすくけれど、気に入った形によくまとまりません。雪に囲われては、どうなのでしょう?
裏手でばったり出くわしたヴィックは、やたらとうきうきしています。
「薪割りですか?」
「まあな……」
顔はいつものお顔ですが。山盛りの木材にかこまれて、幸福なようです。ちょうどむこうに、荷運びの方と荷馬の群れが、ぽくぽくと帰ってゆくところでした。
「足りていますよね?」
「うむ、どのみち冬には間に合わん」
そちら一面にあるように、乾かさなければなりませんから。
経過が良好であれば、わたしたちがこの"家"で燃すこともないのでしょう。ただそれをするのが楽しいんだそうです。
お邪魔しないように、と思いましたが、ヴィックから雑談をふってきました。
「うまくやれているか、そちらは」
本で読むしかわかりませんが、たぶん「おやじみたいな話題選び」です。ノイジェットなら、そう表現します。わたしは嫌いじゃありません。
斧が拍子よく、高らかに鳴っています。
やがて、必然的なうつろいでした。
「ソフィのお酒は心配です」
度数があるなら見境なしです。おつまみがたとえ塩コショウでも、それはしたたかに飲むのです。
さいしょはひとりで夢中なのですが、じきに、干した杯を手にすわった目つきで、そばにいるのが誰であっても、
「飲むか、さもなくば、立ち去るべし!」
むずかしいことを言います。
こんな次第ですから、"家"でお酒は禁止です。彼女も週に何度と決めているのは、よかれでしょうか。(ほんとうに決めているのでしょうか?)今日も朝まで帰りません、それか、お店の蔵を空にするまで。
ソフィはすばらしい魔術師です。
体内で酒精を分解する術がないのかと聞きました。
あるんだそうです。
でも気持ちよくないからイヤだといいます。
いつか急性中毒で死んでしまいます。
シんでも警戒線はゆるがないし、罠の強度は増すくらいだヨ、ご心配なくと、減らず口です。そうではありません。
「よく言っておく……」
せっかくの時間なのに、愚痴で困らせてしまいました。ヴィックはひとりにしてあげましょう。
近かったのでなんとなく、外炊事場をたしかめます。煉瓦の土台が赤々として、お掃除がゆきとどいています。
リビングの一隅にも、ちいさな火床があって、ちょっとの料理はできますが、やっぱり火力がちがいますね。
暮らしには火がたいせつです。
このごろ冷えてきて、みんなお風呂が楽しみですから、あつかい甲斐があります――そこのかまど風呂です――寝るときのみんなのゆたんぽも、わたしがあたためます。誰が熾してもよいのですから、ただのこだわりです。
いよいよ寒さを覚悟する朝に、服を温めておいてもらえたのが、わたしもうれしかったので。
ストーブで煮たジャム!おいしかったのを思い出しました。
いまからでも作ってみましょうか……。
でも、ひとりで楽しめるか不安です。
今日はそれぞれの一日ですが、お休みのお昼には、さまざまな催しがつきものです。
みんなでなにか科学実験をしてみたり、料理をつくってみたり(お料理だって、化学です)……そういえば、サルヴァ秘伝の瓶詰製法を試したのでした。そろそろ食べごろではないでしょうか?
……ソフィのことをとやかく言えません。
夜は平日でも、わっかな白昼灯のおかげで、いろんなおたのしみがあります。
磁石とヒモに、骰子でもくわわれば、百通りの娯楽がみつかるはずです。なのに贅沢なことに"家"には、古今東西のボードゲームまであります。
通りがかりに、ゼンとイトーが「気づけば一手」で進めているチェス盤の、戦況を確認してみました。三手むこうはわかりませんが、この白の女王の命運は、騎士にかかっているでしょう……。
すこし本棚たちを整頓してみます。一室がもう書庫なのです。まだまだ空いたところが多いですが、じきに……。
はっと一大事に気がつきました。
発表会がまわってくるのに、なんにも決まっていません……ゼンなら初回のそれを、とても上手にこなしていました。
『人はどこからやってきたのか』を主題に、有名な神話や伝承、おまけに地方の民謡までを簡潔にまとめたのです。
楽園の男女。木から石から。氷と炎の雫から。土と水とをこね上げて――それから、"光の卵"の殻をやぶって。
生まれ出てきた"神なる人"は、奇妙な衣服をまとい高等な魔術を行使した。エウロピアによくあるお話だそうです。
あとは天からふりそそぐ。地のいずこから這い出てくる。それまた"迷宮"だという説を、ソフィは支持しているようでした。
いまも逆さまかと思うくらいむずかしい本を、彼は自室で読んでいます。
「ありがと、フラン……」
相談に訪れたはずが、片付けだけで大満足です。そっと扉をとじました。
"誰しも二巡目が得意"。それはゲームの話のはずです。そうでなくては読書のはずです。
彼の一生が二度目でないかと、知りもしない大人たちがうわさするのを、わたしは盗み聞きをしました。
ただくやしいな、と無性に思います。
だって彼はいまをいちばん頑張っている。
「だとすれば、とんだ食わせものですねぇ……」
イトーはくつくつと笑います。もっと悔しくなりました。わたしよりずっと信じていたみたい。
「負けませんから……!」
へんに意地になって、相談相手をまたのがしてしまいます。
ところで、わたしの当面の課題は"破魔矢"をものにすることと――ほんのまぐれでしか、現状は撃てません――既得神秘の応用、即興詠唱の獲得です。
非対称戦の演習では、わがままを言って一人の役をやらせてもらったけれど、わらえるくらいにへたくそでした。
木の棒なのに、"剣士"はとてもおそろしい。彼らが殺意を全開にすると――たとえそれが、訓練のための、明らかな偽物とわかりきっていても――脚がふるえます。恐れおののいてかけっこしたって、とうぜん逃げ切れません。いいんです。せめて最大限自然にふるまえるよう、いつかはなりたい。
ゼンは"光鎚"の獲得を試みました。具合を悪くして、それきりです。さいわいソフィの監督下でした。
当代勇者様と"風王"以外に、有名な「魔法剣士」はいまいないのだそう。裏を返せば、『"万能不到"はすでに破られている』これはテキセンが手紙に記していました。
ゼンにもできないはずがない。と、ソフィは裏手でつぶやきました。できうるからこその「症状」であると。
ここまで日記帳、兼自由帳のとなりのページの内容でした。
これにしようかな?という発表題材が、見つからないかと目うつろいです。
別になんだっていいんです。人前で話す練習ですから。なんなら、やりたくないなら、やらなくたって。
でもだからってあきらめるのも、自分に負けた気がします。負けなくたってすむ相手です。
卵の殻とお塩にみる炎色反応……。
キン!と鳴るくらい上等な木炭の製法……。
水中でも燃え盛る、超高熱反応の実践……。
小麦の粉で大爆発のしくみ……。
書き出してはいるものの、あんまりかわいくありません。
ひとりきりなのにおかしくって、机にむかってわらいました。
すこし休憩です……詩のつづきを思いつきました。
◆
わたしが楽しそうでいると 彼も楽しそうにしてくれる
少年であることを彼が ときどきでもいい 思い出してくれますように
あたりまえだから言葉にできない 欠けているから大声で言います
ありがとう
わたしたちの旅がもはや 空想をかきたてるようなものではなくとも
影のささない暮らしです
これがわたしの旅 なんて幸福な旅




