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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:忘れじの谷
83/106

83.経過


 時計をあわせて今日がはじまる。ゼンは朝五時に玄関を出た。


 ――「(とき)」とはかつて、誰かの専有物であったそうな。打ち鳴る鐘がそれを配布し、祝祭をしらせ、四季をかたどる。

 それもやがては世俗の手にわたった。自由になって、持ち運ばれもして、誰もが時間にひたれている。

 小説もそうだ、時の運び屋だ。

 記憶を、歴史を、血と肉と魂の変遷をきざみ、万人に再配布しながらも、前後撞着を許容する。

 読者はおもしろがることも、おびえることもできる。

 と、ゼンはこのごろ、何かで読んだ。


 ヴィクトルの帰還の翌朝であった。

「散策はしたか?」

「ええ、こうして」

 こぶしにふかした息が白い。不自然な間をゼンはあやしんで、やっとおとなりの顔をみあげた。なんだかさびしそうであった。

「ここから北北西の半腹に……」

 落葉と枝が鳴る、鹿の道をいま借りている。暗々とした樹々のはるかなむこうが、ヴィクトルには見えているようだった。

「それはうつくしい湖畔がある」

 見回りはさぼらずこなしていたよ――のぞまれる答えとちがったらしい。

「行ってみます、今度の休みに」

「あたたかい日がよいだろう」

 あいにく時の流れには逆らえない。冬めくおだやかな夜明けだった。

「暮らしに不満は?」

「まったく!」

 とくに遠慮する間柄でもない。

 言うに言えないあたたかさが日々にあり、ゼンはどうにか伝えてやりたかったが、思いついたものはくだらない。

「道具箱がいいですね」

 腕で四角をつくってみせてやる。各自室ベッドの足もとにある、大きなヤツだ。その気があれば、なかで住まえる。

「なんだか、宝箱みたいで」

 よそにしてもうだいぶちらかっている。アムソフィヤの潔癖ぶりを、ゼンはまだ知らない。

「そうか……」

 訊くべきだろうか、審問会のなりゆきについて――ゼンは思いすごした――言わない、ということは、とくに言うことがない、ということだろう。

「昨日、騎士らが訪れたろう……」

「ええ」

「ずいぶん消沈させたな」

 意外であった。説教というわけでもないらしい。

「……もっと取り繕ったほうが?」

 ゼンはにこやかにフランを送り出したが、アーロイスがいて、かろうじて許したのだ。やりたいだけで騎士はつとまらない。

「本音を」

「いや……」

 ふん、とヴィクトルははばからなかった。

「ただのおもしろがりだ」


 水煙がひややかである。もはや木立はあとにして、苔むした岩壁の、ひろい空間に出ている。

「順調か?」

 詰問じみているとは思わない。

「ほどほどです」

 俺がこなして有効だった手立ては、お前にもすべて試みさせる、といった旨を、はじめヴィクトルは唸ったのだった。

「やはり手本がないと」

「よし……」

 ヴィクトルが平然と歩きだすのは、暁闇をうつす水面のうえである。

 



---




「これが滝……」

「はじめてか」 

「すごく大きな音です」

 ごうごうと、それは滝つぼだ。年がら過ごせば、なにごとにだってなれようか。かがやく碧色なほとりで、カッコウがまだにぎやかに鳴いていた。

「ここへと至るまでの道、よくよく振り返ってみた」

 唸る手もとにはメモがある。

「俺に益ありと思われた鍛錬は、お前にもすべてこなさせる。これがその最たるひとつ」

 ゼンが一緒に見上げると、しぶきに虹がかかっている。かなりのものだ。

「俺は一年より多くをかけたが」

 くしゃりとメモはしまわれた。あいかわらず琥珀のひとみであった。

「なにもそこまで真似ずともよい」

 その昼、ヴィクトルはグリフォーンで発った。 




---




「そりゃもーすごかったんだから!」

 アムソフィヤ、底抜けの陽気さで笑う人だ。

「"道場破りのサンドバーン"ってね」

「へぇ……」

 彼らが思い出話をするときは、肉親じみた声がする。


 先入観のないままに"守護剣"にのぞんだことを、アムソフィヤはたかく評価した。

「初心者が陥りがちな罠なんだけれども」

 その場から動くとてんで使えない、という一線だ。想像しやすい。

 のぼりくだりの坂をゆきながら、また切り株の上で踊る日さえ、ゼンにはあった。むしろそれくらいしかなかった。基本にうるさいヴィクトルが、あえてだんまりでやらせてくれて、たいへん奏功したのであろう。

「とっくに守護剣士のツラしていいね」

「ヴィクトルにはとても及びません」

 アムソフィヤの見識はひろい。

『矢削ぎの門』『瞑背の要』『泡沫の兆』『不落の城』

 ぎょうぎょうしく呼ばれる、守護剣奥義の実態にさえくわしい。順に距離、方角、感度、容量への特化をいう。

 ヴィクトルの唸るところ、どれも基礎中の基礎である。全部とりそろえてようやくだ。そして師弟して同じな主義らしく、技の名前など関心がなかった。適切に発揮できればよい。でなければむしろ余計な取っ手だ。

 しいて言わば、ゼンは「城」が欲しい。

「目標が明確でけっこう!」

 アムソフィヤは嫌味なく手をたたく。ついで質素な腕時計をみる。ゼンも懐中時計の鎖環をたぐる。たちかえって秋日和の、正午まで折り返しであった。

「もちっと観察させてよね。二、三日して本式といこう」

 アムソフィヤは器用に筆をとると、革表紙の手帳になにやら書きつらねだす。もう一組をちらちらと見てもいる。

「フランちゃんにも、なにか用意してやらなくちゃ……」

 なにはともあれ学習法の策定だ、とは"水君"らしい、かしこい物言いであった。

「そら!そろそろ交代しよう、ヴィクター!?」




---




「まただ!」

 唸り声である。

「らしからん」

 たがいに雪がつもっていた。曇天のむこうの陽ざしに、あたりの森が白々と明るい。ぎらぎらと、白刃も然り。

「俺はなんと伝えた」

「習慣に策を見出すな……!」

「悪癖と化すぞ!」

 なれない雪は言い訳にならなかった。理詰め、理詰めの対人剣稽古である。


 ここでひいたな、何故押さない――押すのですか?返すのでなく?それだと……――頭を割れない?なぜそう思う!


 大上段でもよいスジを、ここぞとばかりに避けてしまう。もはやたびたびの指摘であった。

 背が高いだけ面を臨める。腕が長いだけ間合いがとれる。対人剣のことわりであり、ゼンはこれまで「劣る側」に徹していて、つまり。

「いつまでも子どもでいるつもりか」

「いいえ……!」

「よし、次!」




 ---




「いつからだい」

 アムソフィヤの哲学ぶりであるから、ますますこの冬、イトーは退屈しないですんだ。

「なにがです?」

「……ひさかたぶりに、ふたりで話しこんだのだけれど」

 そんな彼女をもってして、哲学少年と言わしめる、ゼン・イージスの話であった。彼はそらんじたという。

『奈落の底に何があるのか、つきとめずにはおけないと。お供の諫言にしたがわず、みずから穴へと降りてゆきます』

 おのれが"騎士"だと信じ込む、男の物語であった。

『その暗闇に入るがために、この世の光を見捨てて行きなさる。どうぞご無事に、また帰らせて……』

 名残雪にまぎれて、待雪草が芽吹いている。

「彼自身がそうでないかと?」

「ふ、それこそご(ろう)じろだよねぇ!」アムソフィヤの引用もすばやいものだ。「ああ光のお導き、騎士の上澄み!」

「いかがお答えしたのです」

「そりゃ、しごくかんたんに」

 もー最近じゃこれが口癖だ、と、昨日も一昨日も聞けた。

「やれやれだね、君は!」

 我らのみなす"少年"が、とうに少年のそこにいない。

 そばのだれかれを指標にようやく、日々つじつまをあわせることで、ようやくらしさを取り戻す。

 鐘はとっくに鳴り終えたのではないか。


 ――だとしても……。 


 いつであったか、似した話をした日のことを、イトーはよぎらせた。




 ---




「今年は冬がはやいねぇ」

 さぶいさぶいと、みずからを抱きさするわり、アムソフィヤは常の衣装であった。

「この谷がとくべつはやいのかな?」

 この先も、手製の首巻きをくわえるくらいだ。彼女はよく、少年少女を案じてくれていた。

「雪んこの日もあれ、するの?」

 風邪ひいちゃうよ、とはあからさまである。狼の言い分も聞いてやるべきだ。

「止めたところでやりたがる」

「あきれたねぇ!」

 ごうごうと、碧なほとりで我らは見ていた。

「……少々指摘をしてくる」

 それで友人の友人同士の、あの特有の空気感に、私は見舞われる。いずれは親しくなれるだろうが、そのためには今後一切『素人質問で恐縮ですが』はよすべきだ。

「イトー君は?」しゅっしゅと声にだして、アムソフィヤはそぶりをした。「剣、かじったの」

「はは、握り心地からあやふやです」

 特性について、昨夜は談じたのであった。先天的な個性が、道をどれほど呪うかである。どちらに取り柄もない私は、そうとうな半端ものだ。

「ただ、こんな環境ですから」記録ならやめていない。「耳目ばかり肥えるものです」ゼン少年に関するヴィクトルの見解を、私は文字をつうじて再展開する。

 一度の指摘で、別人のようによくなるそうな。

 こだわり癖がどこかへいった。気づきと柔軟性に富んでいる。

 裏を返せば、へたな一言で個性を殺しかねない。

 剣術百面相。

 あの大男とよく似てきた。

「ボクもあらためて、初回の感想戦をしてみた。見事なものだった」

 抜かない剣士は無防備だ。あわよく繰り出せたとして、刃を破壊されたら手が出ない。

「あなたにはいつだって、それができたでしょうって」

 我らはゆきつく。なにがあの少年を、かようにもすばやく、いまの肩書きに仕立てたか、である。 

「まったりに見えるそうだね、飛翔する弾丸でさえ」

「"戦士の時間"?」

「そう……ないし"刹那"に生きる彼は――」

 アムソフィヤは確信しているらしい。

「彼らは、ボクらからして、何倍の日々を生きている?」

 どこまでふつうかわからない。けれど合点はたやすい。

 まして戯れているときの子どもの瞬間は、主観的に永遠と記憶されうる。

「おそろしい情報の取得量だ」

 私の年間読書で何万文字だ。一生をかけた総量であれば?アムソフィヤとあわせたとして、いずこで追いつき、抜かされよう?言語の上達ひとつとっても、このごろ圧倒されるまであった。

「ボクでも目が滑るような野暮ったい背表紙の本を、ぺらぺらとまくりまくってる」

 そんな要領で読めるもの?――ええ、これは三周目だから。

「うふ、それがお遊びだって」

 我らは共通項をみいだしていた。これっぽちも、彼をねたんでいない。

「"鉄は熱いうちに。実は甘いと思えるうちに"、だもんね!」

 よい関係を築けそうだ。


「アレの特異性は、基礎の強度にある」

 水びたしなのをぬぐっている。ヴィクトルのしたたりようを、アムソフィヤは手をかざして、はじいてやった。私は私で拭きものをやった。

「ふつう、ひとりでこなせば、こなしただけ歪む」

 冷えるだろうに、彼はこの場にとどまった。いままた我々と見守っている。

「それがない」

 鏡のような"精霊"と打ちあえたからと、当人はいう。

「誰も彼にはなれないの」再現性の話である。

「やる気の問題だ……俺が思うに」

 むずかしいことをやすやすと、こちらの騎士もたいがいだ。

「剣を志す同年代など、目があえばあうだけ見つかる」

 ただし羨まれるところがあるなら、とくわえて。

「飽くなき欲求が、常にふたつあった、ということだな」

 ここにきてから、彼はすらすらとよくしゃべる。

「俺の師も左様であったという。夢中で剣を学んだと」

 常のからかいぶりだから、またはぐらかされてたまるものかと、当時たいへん憤ったというのを、ヴィクトルはわらった。意外な人物像かもしれない。

 その"精霊の夢"というのは、すくなからず保護者に気味悪がられる。ヴィクトルの夢も、父君の剣幕で途絶えた。

「せめて有益なものを学べていればな」

「いいじゃん、今のもかっこうよくて!」

 そう、夢の産物で、ヴィクトルは水上歩行を優美にこなす。画家を呼び寄せて一枚飾るべきだ。

「よかろうな、"虹もかからんよりは"」

 まさに輝いていた。


「でもさ、平気だったかな。ことさらゼン君のばあい」

 間をおいて、アムソフィヤは思いついたようだ。

「精霊だって()()()()()()

 はて、と我らは彼女をみた。

「お話するには、お駄賃がいる」記憶こそ通貨になるという。「ふつうは幼児期健忘ぶんのを食らえばすむけど」

「そうなのですか……?」

「そうらしいのよ、だから――」

 とつじょだ。アムソフィヤは馬でもいなすよう、両脇の我らに手をむけた。

「ちょい待ち!」

 最たる興奮のしようである。

「この話、ボクらで済ませちゃもったいなくない!?」

 それはたしかに。

 であれば機会をいつ設けるかだ。

「むふふ、なんだか妙案が……」

 のちに興味深い説を聞く。"神子"は俗人と異なって、"精霊の夢"を見続けられるのではないか?

 ただ彼女たちに、自覚がないから潰えぬだけで――たしかめるなら、大人になってからがよかろう。

 しばらくして、アムソフィヤはぶんぶん手を振った。彼ら、いまひとところにいる。

「さぁ、お昼休みにしよー!」

「あと五分!」「お願いします!」

 聞き分けのない少年少女に、

「もー!やれやれだね、君たちは!」

 アムソフィヤはこれが口癖になるのだ。  




 ---




「手紙……じゃないね」「どなたからですか?」

「ええ、残念なお知らせやもしれません」

 お昼休みだよ、と伝えれば、素直な少年少女の時代であった。

「ロイスさんは明日、発たれるそうです」

 気を使ってか、稽古場には顔を出さなかった。しかし礼儀に一筆というわけだ。アーロイスはきまって"家"にも長居せず、村の宿場で夜を過ごす。

「……ほー、ほー!」

 かたや新顔のアムソフィヤである。別れというのに、うれしそうに忍び寄ってきた。少年少女は稽古のあと片付けにかかって、もう遠い。

「もちろん、あるんだろうね……?一夕の宴が!」

 私の内心には、ほのかな緊張感がはしった。まえもって「要注意」ときかされた項目に、それはあった。

 酒である。

「……そうですね、僕は少々ご挨拶だけ――」然るべき報告を、試みようとはしたのだ。折悪くヴィクトルだけは外していた。

「イトー君、さてはァ……!」

 がっしと腕をつかまれて、私がどうして場を立ち去れよう。彼女のあやつるこの粘った水には、ゼン少年でも難儀する。

(誓ってもらおうか。今宵に何が起こってくれるか、ヴィクターにはナイショだ……!)

 先が思いやられたものだ。

 ちなみに彼女は――うしろの騎士の聞き耳をしらず、これからこってりしぼられる。


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