80.或る軌跡の終着
【これは誰かの口述記録】
もう夜が明けそうだ。
ほんの断片のつぎはぎなくせに、まったく膨大な読み物だった……"三日月旧都決戦"をしのぐコード・アビス。生還率50%の特攻作戦。
数多の名もなき英雄たちが、生まれて死んだその戦い、"悪心の呼び声"の完結をもって、いよいよ世界は彼をみつける。
もっとも――詩人が授けた忌み名より、"百花英魂戦線"と呼ぶのを、人々はいまも好むようだね。
常識の更新、また更新。
……あらたまったのは悪識か?
ともかくひとつの特異点だった。そのとき、不思議なことがたくさんおこった。よくうたわれるものは、わざわざあげない。
『前線から帰還後の、巧みな防衛指揮により……』
西端騎士長をおしだした、前面的な記述になる。調書文言から次の一文をのけるか否かを、騎士長補佐はまよったようだ。
『すわそのとき。彼方から光の矢雨が降り注ぎ、醜悪な魔物どもを一掃した』
"弓手"のそれではなかろうさ。タイムラインからして、神殿聖騎士の参上と符合する。その手の勢力と、僕は考える。
……当時、騎士長か。
同情する。あまりにも多くの部下を、彼は失った。
筆頭準騎士ボルドヴェンもそのひとり。
所見によると、死因は多量の内出血。熾烈剣士らしい。回復体位で、どうどうと座したままであったと。
もっとも険しい局面を生き延びたにもかかわらず……。
あるいはそのために使徒を逃がした。
これは邪推だ。
ただ英雄として死んだ、そういうことにしておこう。
いさましい姿が、牡鹿角では銅像にもなった。
マイナーな救いをさがしてみる。
たとえば……。
たとえばだ。
そう、
『見習い騎士コーネルスは、冒険者の適切な処置により一命を』
気道閉塞とある。幸運だったな、知恵者がいあわせたらしい。
冒険者といえば。
牡鹿角にはひとつならず避難壕があって、事態発生時には、少なからぬ冒険者もかくまわれていた。と、推測される。
臆病風にふかれたのでない。希望を座して待つほかない、矜持との戦いであったはず。
そして魔の手で蓋がこじあけられたとき、戦う術を持つ者達は、ひとり残らず戦って死んだ。
その誰かに成り代わりひそんでいた、無名の使徒の正体はついぞ知れない。現在にわたっての懸念事項だ。
さて。
目立たない情報を、ここまではあえてとりあげてみた。何かのバッファになればいい。
……。
肝心の……。
善人の馬車についてだが。
イトー氏による最後の発砲が、対象に命中することはなかった。
『弾丸はヒン、と唸り……』
ここには彼の回顧録もある。
『そのかえす刃で間近にせまると』
……。
被害実際は、容易に補填しうるものだった。と数字からは読み取れる。
馬車馬四頭の喪失。
二頭がその場で死亡し、あとの二頭が逃走用に奪われた――付言すると、ときの使徒らはいずれも、先一戦での外傷を回復していた。
少年だった彼の愛馬は……。
どんなにページをめくってみても、涙の多寡はしるされていない。




