81.変節
そまりかけの森がくれた、朴葉のお面で笑いあう。
さっと煌めく火のしるし。
一条はもうひと束にもなった。
彼女はみんなと、それを不思議がるからおかしい。
(ゼン、聞こえました?)
(うん。アカマキだ)
最後のご挨拶かもしれない。おぼえた鳥たちの鳴きぐせとも、しばしのお別れどきとみえる。
「あ、チョロサマですよ!寝仕度でしょうか」
意外にも――あんな一戦もあったのに――冷血動物を好むらしい。木立でいそがしいフランのあとを、そっとゼンは追いつづけていた。
穏やかなところだ。
初秋の陽ざしが山ひだに隠れると、風がひといきに凍えだす。
みえない古傷が痛むばかりである。
偏在する敗北のしるしから、のがれることはかなわない。
たぶん慌ててなおしたからだ。フランの駆け足はぎこちなかった。
ほんのすこしだけ。ほんの、ほんとうにすこしだけ。
思い込みなのかもしれない。
ちっとも不便はなさそうで、誰もおかしな顔をしない――ひと束になった一条とおなじく。
胸がはりつめるのは、風のせいではあるまいに、ゼンは長いため息で、けれどしずかにおしのけた。
今日にこぎつけたのである。
誰もが暗につげるように。
もっとよろこんだっていいはず。
一理ある。
「そろそろ帰ろ」
ゼンはいましがた意識した。このごろ、ふつうな笑顔を思い出せている。
「イトーが待ってる」
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「そうだ!」と、イトーはだしぬけに、夕食の席を立つのであった。
スリッパと板張りにつまずきかけるので、ほんとうに思いつきらしい。さわるのは、玄関口のはたの小棚、郵便物のたまりばだ。
「予定がだいぶはやまって……」
にっと新調したての眼鏡をおしあげながら、食卓にそれを持ち帰る。
「明日ほどのご帰還になるようです」
指先の署名は、ヴィクトル・サンドバーン。
さすがにナイフとフォークを浮かしたままで、ゼンとフランはたがいをみやった。暖炉のいろと"白昼灯"で、どちらの目もきらきらとしていた。
「グリフォーンはさすがだね」
「何事もなかったでしょうか……」
「ぜったい平気だ」
ゼンははやばや、ステーキに手をつけなおしている。
「シュワルコフ公が悪くするはずないもの」
"牡鹿角湖畔の町"事変における、戦力先行投入の是非や如何?
シュワルコフ領都につどうお偉方が、ヴィクトルをどういじめたがったのか、まったく知れたものではないが、審問会の最悪は、"盾"の没収やもときく。
なあなあに実行させるほど、シュワルコフ公は薄情な御仁ではない。
つまさきの壊疽したダルタニエンが、都会で万全な整形術と療養にあずかれるよう、誓ってうけおってくれたし、しばしお別れの黒馬車には、護衛の騎士もつけてくれている。
だから家にも、三人だけだ。
そうとも"家"だ。あらたな帰るべき場所だ。
ヴィクトルの懐からぽんと湧いて出た、人里はなれた一軒家である。
もとは"見回り小屋"であったというが、ピカピカな黒樫の羽目板が、だれかのおさがりだとは考えにくい。
――だいたい個室がいくつもあるんだ。
扉のたてつけだって、どれも完璧どころのさわぎではない。
"魔法の居間"ならぬ"軒並みな居間"の、暖炉にともった赤い火は、野風でそよぐことを知らない。
ここらの土地は、どんな大公の支配下でもないそう。なんたら辺境伯による、今となってはめずらしい権力的中立地帯で、騎士らの保養にしばし云々。
ゼンも聞いたが抜けてしまった。そのうち勉強しなおしである。
ともかく、これがエウロピアでの"騎士"の名だ。
言うように、シュワルコフ公の後援もあった。ヴィクトルの盾とくみあわさって、なんだかすごいことになった。
金銀財宝わしずかみ。というよりは、信頼のかたまりだ。
きこりははりきる。すぐに家が建つ。すこしでも村で姿をさらせば、誰も手ぶらで帰そうとしない。
世界に世話になりどうしだ。と、ゼンはいつでも忘れていない。返せるだけの技を求めていた。
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朝課をすませ、新着の図書を読みふけっていると、もう昼前であった。
いちおう姿見で襟をただして、ゼンは戸締りにかかる。ひとりは久しぶりな気がしていた。
村まで、フランたちなら歩きで二、三十分を所要する。脚があったら便利なものを、「配慮」をくれてなにもおいていない。だから先に出ている。
今朝の便にはぞろぞろと、どこそこ騎士たちがご挨拶にきたので、ついでに送ってもらえたのもあった。熱意に満ちみちた彼ら、本命はヴィクトルのはずだ。
ときに、思わぬところに、思わぬものがあると、誰だってぎょっとするものである。
出がけもまもない。"一条"をよく想起させる――ずっと開けているし、目端には聳える絶壁を見るが――なじみたての林間の道に、ぽつねんと、彼女はいた。
「ごきげんよう!」
まったく知らない顔である。
村人たちなら遠慮する、こんなところに何用だ。
そう告げたっていい風貌だ。
とにかく珍妙なのである。
――……魔術師?
すとんとおちた白い貫頭衣の輪郭で、異物感をましにましている。
あやしさは悪人のしるしたりえない。ゼンは警戒色をあらわにせぬよう、じょじょに歩み寄りつつあった。もちろん鞘は按じていた。
ふと直感できる地点がある。
これ以上、うかつに進むべきではない、と。今なら一息でなくせる距離だ。
「君は……」
謎の女は言った。
「"少年"だ」
それは明るい声だった。
しかしわからない。
「どなたでしょう」
とぼけた女の仕草だと、ゼンには思えた。できるだけ、はっきり言った。
「ご用件は」
教訓がある。
着の身たち方に気を配れ。どんなしるしか見逃すな。
清潔な布地だ、一枚つづり――?とにかく不思議だ、二目とみない。おもてにださない右手の方に、しゃららんと鳴る腕輪をしている。気軽で粗末なつっかけは、ここら"軒並みな居間"のつもりらしい。
色素がうすくて、あたりから浮くのだ。髪は意外なほど短い。耳輪がおおきい。ひとみには、やさしそうでも異彩がやどる。
若々しい。なのに、そうとうやりなれている。
「ご用件?」
女は視線をよませない――……僕を知ってる――ゼンは気がつく。だれもがこの頃、"少年"を規定したがるものだが。
「ご用件かァ!」
たぶん女はどこ吹く風だ。ちろりと、はじめて目が合うそのとき。
「しいて言うなら……」
しゃららん、と腕輪が鳴った。
――お手並み拝見♪
「!」
ゼンの抜剣を阻むのは、したたかに粘る水だった。
左手の"掌熱"で対抗措置、まっこうからの水弾を、右の"煌策"で撃ち落とす。
たちこめる、するどい蒸気でくらみそうになる。指ではじきあげた柄を、とるのもつかのま"剣気放出"。大地にはえた水の触手に、両脚を絡めとられていた。
――主属性『水』の高位魔術師。剣士の殺し方をよく知ってる。
間近な右方へよこっとび、ゼンは木立を盾にした。
追撃してくる水弾の嵐は、いまや高圧水流だ。ぬった幹の影がぞくぞくと、麦穂のようになぎ倒される。
まともに構えば刃も砕ける。しばらくはただの鋼であった。
――六。
かたや"煌策"の持続限界は七秒。万事をうまく活用せんと、あえてゆっくり駆け抜けている。
――五。
覚悟をさだめた。最低限の剣気ももどった。
女は立ち位置を変えようとしない。なら飛びこむのは敵陣だ。術師には罠がつきものだからだ。
壁のたぐいとは思ったが、迫ってくるとは思わなかった。面制圧しにせりあがる、なみなみとした濁流に、正面きってゼンは挑んでいる。
――敵はこちらを知りつくしている。
刃をかざして攻勢にでると、つと"水流"はやむのであった。設置型の術式と、"守護剣"は相性が悪い。まして敵方有利の目くらましである。
無謀もいいとこ突破した先は、ぞっとするほど透きとおる、しずかな水の中だった。
"水球結界"とでも呼ぼう。
水のかたきといったら重力。かまけずわがままな構造をたもっている。
さて大問題。
これまでだいぶ無頓着であった。身動きの勝手が、水中と地上とではおおきくちがう。
すました顔で、女はこちらを待ち受けている。もちろんおなじ水槽だ。一振りすれば届いただろう、地上の剣気のふるまいであればだ。
一歩ゆくにものろいのろい。むすぶ唇に、そこらじゅうから圧力がかかる。こじあけられた。むせそうになる。なにより――つめたい――と、ゼンは感じた。主属性は水にちがいない、しかし。
――肺にッ……!
彼女が氷にも親しいとすれば?窒息にはだいぶ猶予がある。と、考えつかぬ敵手ではない。二度目の"剣気放出"を、ゼンは敢行せざるをえない。
――なんて"強度"ッ。
意味のことなら、なんとなくである。全力でやっと弾きとばす。しぶきがざあざあふりしきるさなか、"煌策"はまだしまっていない。
だっとようやく近づけた、女を腕ごとまきとって、ただの鋼の刃をゼンは。
「そこまで」
どこからともなく、唸り声である。
"煌策"が、ほぼほぼ同時に砕け散った。負けを重ねたとゼンは思い、女の首筋から刃をひく。ぱぁっと笑顔な彼女であった。
「ねぇ、この子ったらまるで勇者様!」
村の方角である。ヴィクトルがいる。ひらけたむこう、ずうっとうしろに、フランとイトーの影もみえる。
「とんだ魔法剣士だよ。短期で二度の剣気放出に?なにをかくそうこの勇気!」
とても好意的な顔で、女はかがむ。頬を気安くむにむにしてくる。
「すりむかなかった?そりゃもうもぐ気で巻いたんだけど」
「ええ、覚悟をしてました」
よっぽど死ねた一戦である。もとよりその気でうけてたった。
乏しい情報で、敵城に突っ込むなど馬鹿だ。ひとまず退くのが最善手だった。
――いつでも選べるわけじゃない。
対魔術領域で不足のない教師を用意してみせる、とヴィクトルからは聞き及んでいた。
ちょっとの想像力でいい。ついでに言えば、何者であろう。こちらはよっぽど殺しかね、むこうには無限の術があった。
「むふ、しょうじきだいぶ期待以上だ。我が愛しのヴィクターがたいそう入れこんでるってね、うわさの"少年"?」
これっくらいの不意打ちは、とーぜん捌けてくれなくちゃ。異彩をはなつひとみで告げる。けれども握手はやわらかかった。
「ゼン・イージスです」
「よろしく!ボクは、アムソフィヤ・ネスフィヨルド――」
「紹介しよう……」間近になりつつヴィクトルだ。
「ああ、ヴィクターとはふる~いお友達でさっ!」
あいだにはさがるアムソフィヤは、いやに大きな声である。いかにもやかましそうな顔を、ヴィクトルにさせる。
「かねて告げたよう、しばし教師として――」
「うんうん!しがない"迷宮探索家"としての極意ぶォァ!?」
ゼンも多少はおどろいた。アムソフィヤの顔面を、ヴィクトルはむんずとひっつかむでないか。おなごはもごもご抜け出せない。まるで容赦ない長い指は、岩をもくだく戦士の指だ。
「共に住まうは"流瑠流転のネスフィヨルド"、すなわち……」
わかるだろう、とヴィクトルは目で許しをもとめた。
「これで当代"水君"だ」
回避挙動には余裕があった。
突きささんとする、まるで針である。八方の虚空からとつじょ襲い来る水流を、ヴィクトルはひらと一歩でかわしきった。
「もーっ!」
"水君"。
一如に、当代最高の水属性魔術師をいう。
なるほど、これで。
「なんでばらしちゃうのさー!」
ぷんすとしたアムソフィヤのわめき声は、山かいによくこだました。




