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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:忘れじの谷
81/106

81.変節


 そまりかけの森がくれた、朴葉(ほおば)のお面で笑いあう。 

 さっと煌めく火のしるし。


 一条はもうひと束にもなった。


 彼女はみんなと、それを不思議がるからおかしい。

(ゼン、聞こえました?)

(うん。アカマキだ)

 最後のご挨拶かもしれない。おぼえた鳥たち(彼ら)の鳴きぐせとも、しばしのお別れどきとみえる。

「あ、チョロサマですよ!寝仕度でしょうか」

 意外にも――あんな一戦もあったのに――冷血動物を好むらしい。木立でいそがしいフランのあとを、そっとゼンは追いつづけていた。


 穏やかなところだ。


 初秋の陽ざしが山ひだに隠れると、風がひといきに凍えだす。

 みえない古傷が痛むばかりである。

 偏在する敗北のしるしから、のがれることはかなわない。


 たぶん慌ててなおしたからだ。フランの駆け足はぎこちなかった。


 ほんのすこしだけ。ほんの、ほんとうにすこしだけ。

 思い込みなのかもしれない。

 ちっとも不便はなさそうで、誰もおかしな顔をしない――ひと束になった一条とおなじく。

 胸がはりつめるのは、風のせいではあるまいに、ゼンは長いため息で、けれどしずかにおしのけた。

 今日にこぎつけたのである。

 誰もが暗につげるように。

 もっとよろこんだっていいはず。

 一理ある。

「そろそろ帰ろ」

 ゼンはいましがた意識した。このごろ、ふつうな笑顔を思い出せている。

「イトーが待ってる」




 ---




「そうだ!」と、イトーはだしぬけに、夕食の席を立つのであった。

 スリッパと板張りにつまずきかけるので、ほんとうに思いつきらしい。さわるのは、玄関口のはたの小棚、郵便物のたまりばだ。

「予定がだいぶはやまって……」

 にっと新調したての眼鏡をおしあげながら、食卓にそれを持ち帰る。

「明日ほどのご帰還になるようです」

 指先の署名は、ヴィクトル・サンドバーン。

 さすがにナイフとフォークを浮かしたままで、ゼンとフランはたがいをみやった。暖炉のいろと"白昼灯"で、どちらの目もきらきらとしていた。

「グリフォーンはさすがだね」

「何事もなかったでしょうか……」

「ぜったい平気だ」 

 ゼンははやばや、ステーキに手をつけなおしている。

「シュワルコフ公が悪くするはずないもの」


 "牡鹿角湖畔の町"事変における、戦力先行投入の是非や如何(いかん)

 シュワルコフ領(アルスノード)都につどうお偉方が、ヴィクトルをどういじめたがったのか、まったく知れたものではないが、審問会の最悪は、"盾"の没収やもときく。

 なあなあに実行させるほど、シュワルコフ公は薄情な御仁ではない。

 つまさきの壊疽したダルタニエンが、都会で万全な整形術と療養にあずかれるよう、誓ってうけおってくれたし、しばしお別れの黒馬車には、護衛の騎士もつけてくれている。

 だから家にも、三人だけだ。

 そうとも"家"だ。あらたな帰るべき場所だ。

 ヴィクトルの懐からぽんと湧いて出た、人里はなれた一軒家である。

 もとは"見回り小屋"であったというが、ピカピカな黒樫の羽目板が、だれかのおさがりだとは考えにくい。


 ――だいたい個室がいくつもあるんだ。


 扉のたてつけだって、どれも完璧どころのさわぎではない。

 "魔法の居間(リビング)"ならぬ"軒並みな居間(リビング)"の、暖炉にともった赤い火は、野風でそよぐことを知らない。


 ここらの土地は、どんな大公の支配下でもないそう。なんたら辺境伯による、今となってはめずらしい権力的中立地帯で、騎士らの保養にしばし云々。

 ゼンも聞いたが抜けてしまった。そのうち勉強しなおしである。

 ともかく、これがエウロピアでの"騎士"の名だ。

 言うように、シュワルコフ公の後援もあった。ヴィクトルの盾とくみあわさって、なんだかすごいことになった。

 金銀財宝わしずかみ。というよりは、信頼のかたまりだ。

 きこりははりきる。すぐに家が建つ。すこしでも村で姿をさらせば、誰も手ぶらで帰そうとしない。

 世界に世話になりどうしだ。と、ゼンはいつでも忘れていない。返せるだけの技を求めていた。




 ---




 朝課をすませ、新着の図書を読みふけっていると、もう昼前であった。

 いちおう姿見で襟をただして、ゼンは戸締りにかかる。ひとりは久しぶりな気がしていた。

 村まで、フランたちなら歩きで二、三十分を所要する。脚があったら便利なものを、「配慮」をくれてなにもおいていない。だから先に出ている。

 今朝の便にはぞろぞろと、どこそこ騎士たちがご挨拶にきたので、ついでに送ってもらえたのもあった。熱意に満ちみちた彼ら、本命はヴィクトルのはずだ。


 ときに、思わぬところに、思わぬものがあると、誰だってぎょっとするものである。

 出がけもまもない。"一条"をよく想起させる――ずっと開けているし、目端には聳える絶壁を見るが――なじみたての林間の道に、ぽつねんと、彼女はいた。

「ごきげんよう!」

 まったく知らない顔である。

 村人たちなら遠慮する、こんなところに何用だ。

 そう告げたっていい風貌だ。

 とにかく珍妙なのである。


 ――……魔術師?


 すとんとおちた白い貫頭衣の輪郭で、異物感をましにましている。

 あやしさは悪人のしるしたりえない。ゼンは警戒色をあらわにせぬよう、じょじょに歩み寄りつつあった。もちろん鞘は按じていた。

 ふと直感できる地点がある。

 これ以上、うかつに進むべきではない、と。今なら一息でなくせる距離だ。

「君は……」

 謎の女は言った。

「"少年"だ」

 それは明るい声だった。

 しかしわからない。

「どなたでしょう」

 とぼけた女の仕草だと、ゼンには思えた。できるだけ、はっきり言った。

「ご用件は」

 教訓がある。

 着の身たち方に気を配れ。どんなしるしか見逃すな。

 清潔な布地だ、一枚つづり――?とにかく不思議だ、二目とみない。おもてにださない右手の方に、しゃららんと鳴る腕輪をしている。気軽で粗末なつっかけは、ここら"軒並みな居間(リビング)"のつもりらしい。

 色素がうすくて、あたりから浮くのだ。髪は意外なほど短い。耳輪がおおきい。ひとみには、やさしそうでも異彩がやどる。

 若々しい。なのに、そうとう()()()()()()()

「ご用件?」

 女は視線をよませない――……僕を知ってる――ゼンは気がつく。だれもがこの頃、"少年"を規定したがるものだが。

「ご用件かァ!」

 たぶん女はどこ吹く風だ。ちろりと、はじめて目が合うそのとき。

「しいて言うなら……」

 しゃららん、と腕輪が鳴った。


 ――お手並み拝見♪


「!」

 ゼンの抜剣を阻むのは、したたかに粘る水だった。

 左手の"掌熱"で対抗措置、まっこうからの水弾を、右の"煌策"で撃ち落とす。

 たちこめる、するどい蒸気でくらみそうになる。指ではじきあげた柄を、とるのもつかのま"剣気放出"。大地にはえた水の触手に、両脚を絡めとられていた。


 ――主属性『水』の高位魔術師。剣士の殺し方をよく知ってる。


 間近な右方へよこっとび、ゼンは木立を盾にした。

 追撃してくる水弾の嵐は、いまや高圧水流だ。ぬった幹の影がぞくぞくと、麦穂のようになぎ倒される。

 まともに構えば刃も砕ける。しばらくはただの鋼であった。

 

 ――六。

  

 かたや"煌策(こうさく)"の持続限界は七秒。万事をうまく活用せんと、あえてゆっくり駆け抜けている。


 ――五。


 覚悟をさだめた。最低限の剣気ももどった。

 女は立ち位置を変えようとしない。なら飛びこむのは敵陣だ。術師には罠がつきものだからだ。

 壁のたぐいとは思ったが、迫ってくるとは思わなかった。面制圧しにせりあがる、なみなみとした濁流に、正面きってゼンは挑んでいる。


 ――敵はこちらを知りつくしている。

 

 刃をかざして攻勢にでると、つと"水流"はやむのであった。設置型の術式と、"守護剣"は相性が悪い。まして敵方有利の目くらましである。

 無謀もいいとこ突破した先は、ぞっとするほど透きとおる、しずかな水の中だった。 

 "水球結界"とでも呼ぼう。

 水のかたきといったら重力。かまけずわがままな構造をたもっている。

 さて大問題。

 これまでだいぶ無頓着であった。身動きの勝手が、水中と地上とではおおきくちがう。

 すました顔で、女はこちらを待ち受けている。もちろんおなじ水槽だ。一振りすれば届いただろう、地上の剣気のふるまいであればだ。

 一歩ゆくにものろいのろい。むすぶ唇に、そこらじゅうから圧力がかかる。こじあけられた。むせそうになる。なにより――つめたい――と、ゼンは感じた。主属性は水にちがいない、しかし。

 

 ――肺にッ……!


 彼女が氷にも親しいとすれば?窒息にはだいぶ猶予がある。と、考えつかぬ敵手ではない。二度目の"剣気放出"を、ゼンは敢行せざるをえない。


 ――なんて"強度"ッ。


 意味のことなら、なんとなくである。全力でやっと弾きとばす。しぶきがざあざあふりしきるさなか、"煌策"はまだしまっていない。

 だっとようやく近づけた、女を腕ごとまきとって、ただの鋼の刃をゼンは。


「そこまで」


 どこからともなく、唸り声である。

 "煌策"が、ほぼほぼ同時に砕け散った。負けを重ねたとゼンは思い、女の首筋から刃をひく。ぱぁっと笑顔な彼女であった。

「ねぇ、この子ったらまるで勇者様!」

 村の方角である。ヴィクトルがいる。ひらけたむこう、ずうっとうしろに、フランとイトーの影もみえる。

「とんだ魔法剣士だよ。短期で二度の剣気放出に?なにをかくそうこの勇気!」

 とても好意的な顔で、女はかがむ。頬を気安くむにむにしてくる。

「すりむかなかった?そりゃもう()()気で巻いたんだけど」

「ええ、覚悟をしてました」

 よっぽど死ねた一戦である。もとよりその気でうけてたった。

 乏しい情報で、敵城に突っ込むなど馬鹿だ。ひとまず退くのが最善手だった。


 ――いつでも選べるわけじゃない。


 対魔術領域で不足のない教師を用意してみせる、とヴィクトルからは聞き及んでいた。

 ちょっとの想像力でいい。ついでに言えば、何者であろう。こちらはよっぽど殺しかね、むこうには無限の術があった。

「むふ、しょうじきだいぶ期待以上だ。我が愛しのヴィクターがたいそう入れこんでるってね、うわさの"少年"?」

 これっくらいの不意打ちは、とーぜん捌けてくれなくちゃ。異彩をはなつひとみで告げる。けれども握手はやわらかかった。

「ゼン・イージスです」

「よろしく!ボクは、アムソフィヤ・ネスフィヨルド――」

「紹介しよう……」間近になりつつヴィクトルだ。

「ああ、ヴィクターとはふる~いお友達でさっ!」

 あいだにはさがるアムソフィヤは、いやに大きな声である。いかにもやかましそうな顔を、ヴィクトルにさせる。

「かねて告げたよう、しばし教師として――」

「うんうん!しがない"迷宮探索家"としての極意ぶォァ!?」

 ゼンも多少はおどろいた。アムソフィヤの顔面を、ヴィクトルはむんずとひっつかむでないか。おなごはもごもご抜け出せない。まるで容赦ない長い指は、岩をもくだく戦士の指だ。

「共に住まうは"流瑠流転のネスフィヨルド"、すなわち……」

 わかるだろう、とヴィクトルは目で許しをもとめた。 


「これで当代"水君(スイクン)"だ」


 回避挙動には余裕があった。

 突きささんとする、まるで針である。八方の虚空からとつじょ襲い来る水流を、ヴィクトルはひらと一歩でかわしきった。

「もーっ!」

 "水君(スイクン)"。

 一如に、当代最高の水属性魔術師をいう。

 なるほど、()()()

「なんでばらしちゃうのさー!」

 ぷんすとしたアムソフィヤのわめき声は、山かいによくこだました。



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