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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:悪心の呼び声
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79.覚悟


 飽きれ顔のメイウーが、さいしょに帰還をむかえてくれる。

「……手打ちでしょうね?」

「承知しましょう」

 彼女、一足先に墜落していた。舞空脚を備えているから、「とても痛い」ですんでしまう。それもそうとう頑張れば、拾ってやれないこともなかった。

「加勢が要ったか?」

「間に合いました」

「……静まってくれたようだ」

 はたらきものな唸り声である。決着もかたや駆けずりまわり、"尖兵"をあらかた掃除しおえていた。"波"が続く気配はない。生き残った火熊たちも、うたたねのあと散るだろう。

「これでめでたしめでたしかい」

 最後にテキセンが合流した。へとへと顔である。全員生還のよろこばしさを、芝居がかってたたえてから、"仮面"をのがしたメイウーの手抜かりを、ヴィクトルとともにおちょくりはじめる。

 輪の外でゼンは考え事だ。


 ――鎧がとけない。


 違和感には、テキセンが気がつく。

「……俺ってば、"夜烏"を倒したよな?」

「ええ?()()()()()()()()()

 よくない兆候だ。ゼンはすばやくあいだに入った。

「誓えますか」

「え……」

 テキセンは口ごもってしまう。言おうとしても、音が出てこない――ゆらぎのなかにいる。これは不用意に攻められない――ゼンは質問を変えた。裏門(からめて)にだって鍵はある。

「"霞"がたちこめていた間も……」見晴らしのよくなったあたりを、さっと見渡す。遠景の影かたちはそれぞれ、東と北にそばだった山、西と南に段々と市街地。敵影はなし。「生体感知はおこなえていましたね?」

 なるほどこれが"光の騎士"である。"心核"の用法具体までは伝えていなかった。

「不審な動きは、なかった……はず」

 テキセンは一足跳びに理解して、方位状況をたどってはつぶやきだす。念のため配置してあった、市街地の"心核"は健在だ。五人のあいだで、緊張が高まりつつある、まさにこのとき。


 南西の遠くむこう、陣地の空に、信号弾が打ちあがった。


「フランを頼みます」

 "白鎧"を駆って、ゼンは消えている。彼が走りだす時は微風も立たない。

「あの時だ……」

 おのれの決定的なあやまちに、テキセンはやっと気がついた。

「俺は闇夜を(がえ)んじた!」

 "枝をつけられた"のである。



 

 ---




 可能性にはそなえてあった。


 ――使徒が逃げた。 


 攻め入る前とあとだから、ここにきて意味が異なってくる。

 信号弾のことである。

 打ち上げる余裕があるのだから、不穏ながら指揮は機能している。と、みなすほかない。そして現況を加味して受け持つべきは。


 ――西方だ。


 ゼンは市街地を駆け抜けている。

 "鎧"には、好かれているのだか、嫌われているのだか。内手首にみた秒針が、かちり、かちりとゼロを叩くと、のこらず砕け散ってしまった。

 やるべきことはのこっているのに。

 膝をつき、しばらく息をととのえなければならなかった。せめて思考を整理する。

 

 ――町内に潜むなら、テキセンが気がつける……。


 止まってはいられない。

 魔物の死骸でとっちらかって、ほとんど廃墟然とした街並みを、すでに背にしていた。

 森だ。

 周辺の地形は、前もってたたきこんである。

 ふまえてこのあたり、クサい、と思う。これは狩人としてのカンだ。

 うねる獣道をのぼりつくす。まばらに茂った緑をゆく。闇雲に進むようで、ゼンはあちこちに目をやっている。

 追うも追われるも慣れ親しんでいた。

 砕けた枝、乱れた茂み、窪んだ泥。

 そしてにおい。

 人は臭う。


 ――やっぱり、クサい。


 風がそよとも動じない、イヤにしめった晩であった。

 光の記憶の残滓がちらつく。

 熱帯のあるような緯度に海抜だ。"幻夢"は、まことのような虚実で上書きする。"悪心"はそれが気にくわない。

 一度においを見失いかけた。

 "鎧"をまとうより前に、みずからにこべりついていた悪臭のためだ。くわえてかなり消耗している。夜目も常ほどきかなかった。


 ――……涼し草(ミント)


 気がつけた。

 あたり植生にそぐわない、その香りをもっとも手がかりにしていた。

 はたして。

 たどりつくその丸太小屋には、いかにもな灯りがともっている。




 ---




 みずからでなくともよい、というよぎりが、ヴィクトルをあきらかに腐らせていた。


 光の騎士とはかようなものか。おのれが二人いるだけだ。


 感動よりもむなしさがある。

 自分が至れないことに、ひがんでいたのも馬鹿らしい。

 

 市街地のはてまでは、点々としるしが残されていた。石畳に、ちいさく炎が灯るのである。ついぞ用いなかった"しるべ脂"の燃焼だ。

 森に入ってしばらくしてからは、ひびく音を頼りにあとを追えた。

 剣戟の音である。

 いまは静まり返っている。


「あそこ!」


 腕にはフランを抱いていた。思いやるのを言い訳にして、だいぶのんびりやってきた。

 敵情がいかようであろうと、どのみち勝者は明らかなのだ。"ほのあかるい丸太小屋"であった。

「ゼン!?」

 腕をのがれたフランが先に、その惨状を目にする。やっとヴィクトルに剣を抜かせた。

 やはり勝者はゼンである。

「……うん」

 しかし虫の息だ。

 ヴィクトルは虚をつかれた。

 "光の鎧"をまとっていない、"少年"が虫の息だった。

 入ってすぐの壁を背に、座り込んでいる。 

 首すじの出血をおさえるのにも、利き腕の挙上がままならない。仕方なく、ぶらぶらと落ちかけた左の指を駆使している。

 はだけた肩口の裂けた鎖帷子、大腿に生えた短剣の柄、ヴィクトルが踏みかけたのは、とれた耳だ。

 とっくにフランが診にかかっている。

「よくあらためないと……!」

 むくわれるかな奇跡的にも、"治癒"が温存できていた――わかっていたから突き進めたのか?けれども死人はよみがえらない。


 そしてここには死者がいない。


 気を失している使徒が三名。女剣士と、巨人に槍手。

 いまに手狭な山小屋である。

 ひっくりかえった小椅子に物入れ、切っ先をさんざあじわった丸太壁、天井につきささる掬叉(ピッチフォーク)、中央には整然としたままの机。見回り小屋だ。

 痕跡を一望するだけで、いかな交戦がおこなわれたのか、ヴィクトルには手に取るようにわかった。

 だからこそ不審である。


 ――……なぜ火が灯っている?


 机上には地図。照らさんとする油皿に灯り。夜目が利かぬほどに、使徒らが弱っていたからだ。

 どうしてゼンは援護を待たなかったのか――三手に散られては取り逃す。

 くわえ、攻め入る側があるいは有利だ。


 灯りさえ吹き消してしまえば、連中は同士討ちをする。


 させなかった。


 ゼン・イージスの父親代わりがほどこそうとした、多様な格闘術の語彙は、当時、体格差のためあまり生かせないでいた。いまとて大人を相手に不便だが。

 いただけるものを、ゼンは頂戴していた。根本的な、ヒトの仕組みである。

 頭をいかに揺するかだ。どこをとったら痛みに屈し、どこを押したらひるむかだ。無力化するのに、かならずしも(つるぎ)はいらない――そんなあまりの理想論。

 刹那のことである。あまねく理解がおよんだヴィクトルの胸のうちに、めらめらとなにかが燃えあがった。

「大馬鹿者!」

 "治癒"はまだはじまってさえいない。


「不殺の誓約を立てたのか!?」


 ゼンは心なしほほえんだ、そして。


 それはできませんでした。


 と、ささやいたらしい。試みた、ということだ。

「かわりに――」

 出血でぼんやりとした意識をやぶって、少年は言った。

「"最善"を、常に尽くすと……」

 殺さずに済む、全ての戦いに?


 ふと目覚めかけた小人の槍手が、なにやら悪くあがこうとする。絶句していたヴィクトルが、ふらりと歩をすすめた、ちょうどその足もとだった。

「《恥知らずめ……!》」

 踏みつけるのに、よぶんな力がこもる。

「いけない……」

 かえりみるにも、気まずいほどだ。 

「……守護剣が、うまく利かず」

 だからここまで苦戦した、との少年の自己弁護は、おのれの未熟さを示すだけで、誰かれを責めるわけではないらしかった。"治癒"がはたらきはじめている。


 かの一戦を乗り越えて、ヴィクトルでさえ気だるいのである。

 のしかかる倦怠感を、はねのけながらの追撃戦。

 

 ――悪人のために、俺はできたか。

 あの竹林で見たのと、おなじ少年か。これが光の騎士なのか。

 この子を殺しかけたのはなんだ。

 彼の心が鍛造した枷?

 ちがう。

 矜持だ。

 誰のものだ!

 俺のくだらぬ矜持(プライド)が……この子を殺しかけたのだ――


 長い処置が、完璧におわった。さもありなん、ゼンはとろんと座り込んだままである。彼が一息ついて、合図であった。

「……フラン、あかりを打ち上げろ。三度だ」

「はい!」

 外へと彼女を追いだす前後も、使徒らを見分するふりをして、ヴィクトルは目を合わせられずにいたが。

「ヴィクトル」

「なんだ」

 立ち上がらざるをえなかった。聞かずにはいられなかった。なんとか近寄る、しゃがみこむ。


「僕はもっと強くなりたい」


 少年のかわらぬ決意であった。

「……俺が半端だった」

 しぼりだす、唸り声である。

「俺の覚悟が」

 憂慮があった。大いなる力の所有者が、ふとしたはずみでむこうになびけば、何者にも手がつけられなくなる。

 けれども彼にそれを選ばせる世なら――どのみちさしたる救いはなかろう。

 ヴィクトルが胸に手をあてがうと、もうひとつ、あかりが小屋にともった。


『……我が盾にかけて"誓約"する。お前ののぞみをかなえよう』




 ---




「おや……」

 光はイトーからでも見えた。小丘の陣地も後方の、いまでは安全圏にいる。


 ――捜索がうまくいったのでしょう……。


 奇跡という奇跡が降り注ぐ戦場だった。ほんの一部を見聞きした。だから"火球"のかがやきに、よぎらせたのも楽観であった。

 後送された重傷者の手当てが、だいぶ一段落している。数がそもそも多くない。命があるならかすり傷。みな仕事をやめようとしない。

「そろそろ準騎士殿のご様子を……」

「承知しました」

 町医者を前方へ送り出すと、あたり立っているのはイトーだけだ。包帯の変えどきかと思った。

 しずまりきった一瞬に、背筋で嫌なものを感じる。

 むく三方が夜闇であった。

 光をこちらに抱く以上、戦士でなくては見通せぬ。

 

 なにか気配がした。まちがいなくした。闇のなかに、何かがいる――ゼンくん?


 馬鹿な、そんなはずがない。

 はやる手でベルトの拳銃をとって、撃鉄をおろしている。

「……どなたです」

 誰何に答えぬ友軍などない。

「止まりなさい!」

 だからうごめく夜闇に照準していて。


「止まれッ」


 それが最後の発砲であった。



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