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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:悪心の呼び声
78/106

78.悪心の呼び声


 類稀なる幸運が、かさなり導く明日のことこそ、奇跡と、我らはたたえるべきだ。

 (よう)たる霞の内幕を、まったく把握できた者なぞ、当事者らにせよ、後人にせよ、あるべくもないその物語――けれど"悪心の呼び声"は、さだかに誘ったのであろう。夜を明かすために、これと我が名を掲げなかった、第三の騎士らの存在である。

 人相もうろんげに伝わるばかり、本当にいたのか?と問われた誰もが首を傾げてしまう、厨房係がまず一例だし。光の騎士はふたりいた、と誓って証言する補給官がとりつかれていたのは、はたして正気か狂気であったか。

 最前線の、影を駆け抜けた生還者たちといえば、おのれの手柄話を誇りたがらない。

 惨状がそうさせるのだった。

 悔やむ彼らとて騎士でなかったか。然り、裏幕にもまた死闘があった。疾うに片付いている。一見、かくは判ぜまいが。


「見習い殿!無事であられるか!見習い殿!」


 あたり崩落した建造物の瓦礫と、魔物の死骸の山間だ。踏み分けてはがなる、"隻眼"とあだ名されるこの男、こたび大戦にはせ参じた四十余名の冒険者の、実に頭領格である。

 進軍も道中、騎士たる騎士をもっと煩わせかねなかった諸問題――冒険者派閥のくだらぬ矜持喧嘩など――の、大部分をとりしきり、いさめていたのは、"赤鼻"でもなく"欠けっ歯"でもなく、この男なのだから、影の功労者にて相違ない。"牡鹿角"の冒険者組合へ出向いた救出部隊の陣容にせよ、彼のそれなりの実力と、おおきな人望について来た、という者ばかりである。"隻眼"は、"四剣聖伝説"のうち一剣のしるしにあやかったように、「隻眼」であるので験がよい。浅黒く痣と化した、顔面に無数の傷痕にせよ、何から何まで冒険者らしい、いかにも歴戦な風体で、好かれるのだ。

「見習い殿!」

 ただそんな形相が必死にがなっていると、若造の腰をひかせもする。

「ここに……っ!」

 (れき)に埋もれかけのキャメラクのことも、のびているコーネルスのことも、"隻眼"からして、区別がつかない。どちらも"見習い殿"である。

「おお!お怪我はっ?そちらの見習い殿は」

 しきりに、そしておしなべて呼ばれ、鷲爪西端騎士のはしくれとして、キャメラクの顰め眉もたいがいだ。けれど不平は漏らさぬようにつとめた。その権利がないのを、誰よりも認めている。

 騎士団の顔役ぶって、のこのこやってきたはいいが、事の顛末「ケツをふいた」のは、"隻眼"を筆頭とする外部戦力であった。異国のことわざを借りるなら、"火を見るよりも明らか"だ。

 見習い殿、と称してくれるのも、嫌味なかばか、まことの敬いなのか。"隻眼"の人となりまで、キャメラクはわからない。ただ「かたじけない」と皮水筒をうけとり、粉塵まみれのコーネルスの面倒をみにかかる。今でこそこうだが、先一戦の功労ぶりでは、軍配の上がる同期だった。

 

 体裁上でも務めははたした、といった足取りで――実際そうであった――"隻眼"は、仲間の安否確認のため、山の捜索を再開しだす。

 だいぶやられた。

 生き残っているとすれば、呼び名はかぎられている。

「"三本指"!いるか!」

 ながく"四本指(クアドロ)"で通していたが、この頃、なじみの女に二本目をいかれた。駆け出しの時分、火熊にくれた一本目よりもおそろしかったとは、笑い話である。

 しるしですぐに見分けられた。なぞの肉塊から突き抜けた腕が、(チョキ)をつくっていざなっている。

「二本じゃ握りもままならんぞ!」剣をとりおとして、"赤子"の下敷きだったのだ。のけるのを手伝ってやる。

「ぶふっ」伊達男が血のりで台無しだ。「ただの(デードス)も悪かない」

「動けるだろうな」

「もち」

「よし」頭目ぶるのに、かつてはためらいもあったものだ。「むこうの"見習い殿"らをひろって……」

「生存者の護送?」

 "隻眼"は頷いた。

 招集の甲斐はあったのだ。すくなくない生存者が、組合の地下壕にはひそんでいた。

「これじゃ陣地もやべぇだろう」唾でまぶたをこすりつつ、"三本指"は言う。「領外にむけて?」

「どこへだっていい」ここ以外なら、"隻眼"はふくむ。「お前が仕切れ」

「……応」

 長い付き合いだった。

「無事でな、"隻眼"」

「余分な旗を立てるなよ」

 死神に名を聞かれると、あらぬところからお呼びがかかる。こんな戦場であった、誰も真名は使いたがらない。"隻眼"は捜索に戻っている。

「……"牛頭"!」

 巨体であるからはやかった。

 瓦礫を背にして鎮座するのに、ともすれば手遅れかとも思えたが、柄を握る手も、おおきな角も、「牛頭!」と繰り返すのに、びくりと動いた。

「もらったな」

「……昼寝のけんりは?」

「残念だがない。誰を覚えてる」 

 "牛頭"はしばらく、ぐずぐずとした。熾烈剣士がさいわいして、最低限の傷は癒えている。回復体位だったのだ。

「ヘムキンが死んだ。ポッチョも、ヤースも……」

 誰とも判ぜぬ名を、さらにくわえてもらしてから。

「たぶんだめだ」

「思い出せ。起き上がれ。そして探せ、可能性のある奴を」

「そういうお前は」

「あとは"メヌケ"だ」 

「……ん」

 持ち直すにはかかるだろうが、今があるだけ物種だ。拾えるものはひろわねば。

「"メヌケ"!メヌケ!」

 口走るのに、すこし意外なあだ名であった。

「息はあるか!」死人であったらこうは訊けない。

「……んあー」

 最後にみかけて、思ったままだ。崩落をまぬがれた路地に、メヌケは寝そべっていた。

「ぱくぱく言ってるよぉ」 

「一皮剥けたな、ええ?」

 袋小路を背に戦ったのだ。「うまいじゃないか」あたり、人面犬のむくろがごろごろとしている。ふるえる唇でメヌケは、精一杯の笑い顔をした。

「心の臓がまだおさまんない」

 ひっひと胸をふくらますのであった。


 勇敢さとは、臆病さなのだ。

 いかにも荒くれな彼らこそ、見かけによらず謙虚で、いたく分を弁えている。

 長けた危機管理能力があるから、着実に中堅どころで、日々をやりすごせてきた。

 今回なぞまぐれだ。


 ――……いつんなったら終わってくれる。


 奇妙なあやめの闇空のした、"隻眼"は、メヌケと捜索を再開している。

「……アンタにだから言うけどよ」

 つまずく礫がよく響く。あたり静まり返っていた。

「初見でこれさ、ビビっちまって」見やると、股間が黒く濡れている。

 "隻眼"は吹き出しかけた。お前、大成するぜ。言ってやる気で、(かど)を見ていない。

 立ち止まる、メヌケの青ざめようで察する。「うお」さっと振り向くと目があった。半目をむいた生首だ。

「貴君らの首級だ」

 死人はしゃべらない。掲げもっているその人である。

「帯にめされよ」

「ああ……」

 無事を確かめるまでない人物だ。

 なにも"隻眼"だけではない。ものなれたふうに瓦礫を渡り歩き、彼も戦死者をあらためていた。

 しるしは、くたびれたとんがり帽、着古されたケープに腕甲、たくわえた白髭。

 老人である。

 ありていに言えばだが。

「加勢ままならず、相済まなかった」しゃんと伸びた背筋をかたげて、老人は言った。

「や……」

「もう一区画だけあらためる」

 生存者を、しわがれた声は希望している。もうその場にいない。風もそよがなかった。

「……何モンだ、あの"老兵(ロートル)"は」


 前線のほかにも"使徒"がいた。

 それから、"こぐま座"の騎士らの"(むくろ)"も。

 前者は避難民にまぎれるかたちで、だまし討ちをくらった。

 混乱に乗じては、伏兵とおぼしき、尖兵と"躯"による奇襲。

 全滅だとしておかしくなかった。

 全滅して然るべきだった。

 阻んだのが"老兵"である。

 ものの数合の立ちあいで、騎士らの"躯"を「処理」するのをみた。

 大波もかくやの尖兵を、単騎で八割は押し返したろう。そうして背中を守ってくれた。

 暴れようである。

 "連絡所"を切り刻んだ剣気こそ、ほとんど"使徒"のものだが、現状の一帯を仕立てたのは、半分は敵軍で、半分は"老兵"である――よきにつけ、東にちらつく怪光線の所業ではない。いまのところは遠雷だ――破壊の罪とがを、"老兵"は負うことになるだろうか?さすれば声もあがるはず。無償の手助けもやぶさかではない。

 未来を信じていることに、我ながら"隻眼"はおどろいた。

「クソ命拾いしたぜ」

 "使徒"ひとりを始末するのに、冒険者が何人がかりだった。こぼれた尖兵までさばくとなって、息も絶えだえなありさまだ――息があるだけマシだとも――傍で散るのをまじまじと見て、呼べないあだ名ばかりになった。

 "見習い殿"たちは、ケツをふいたのが「冒険者」だと思っている。

 "隻眼"が思うにちがう。

 ケツをふいたのは、あの"老兵"だ。

 誰も名を知らぬ英雄だ。

「あの爺さんなら、前がはれたのに」メヌケはつぶやく。"霞"のむこうには、化け物しかいない。

「……俺たちのためかもな」

 "隻眼"は、幸運に甘んじることにした。にがい蜜の味であった。


 余分な旗を"隻眼"は嫌うが、明日の話をしてやろう。

 いつか焚火に憩うしずかな夜話で、意外な博識ぶりの"三本指"あたりが、思いつくのを聞くやもしれない。

 "老人の橋"の逸話である。

 橇もすべらぬ歴史的積雪。底をなめきった砦の物資。くすぶるジガヴェスタ方面敵勢力。

 死守した、たったひとりの生還者。

 それから。

 この地方の危機に瀕してはふらり現れる、謎の老剣豪のうわさ。

 行方をくらました"ある生還者"と、まったく偶然にも、しるしを符号させるその人。

 思い出させるようではないか。

 点と点とをつなぐなら、只人ならざる三桁の齢だ、まさか同一人物ではあるまい。

 弧大陸にはぽつりぽつりと、こうした名も無き騎士たちの物語がある。彼らは必ずしも、"白鎧"を帯びない。


 "隻眼"たちは、今を生きていた。まだ偽りの夜が深い。

「何もんだろうがこっち側、そんだけわかりゃ十分か」

「ちげぇねぇよ……」

 どこからか道をたがえたらしい。それまでも、そこからも"隻眼"は、信じられないものばかり見た。

 ほかに生存者はのぞめない。陣地へ帰還すべく急ぐ道中であった。怪光線にうがたれてできた懸崖を、くだろうとする――"老兵"に制止される。

 かえりみると、老兵は見向きでつたえた。メヌケと牛頭も唖然として、見るのは南の方だった。見晴らしがよかった。"隻眼"はむしろ肌で感じた。大地が鳴動している。 

「……こいつはいったい」  

「なに」礼にも似た仕草で、とんがり帽子をおさえている。「()()も我らと変わらぬよ」

 "老兵"のしわがれ声には、守り手の枯れぬ威容があった。

「集うべくして集うのだ」

 ふきつのる風が轟音をたてた。感じたことのない風だ。目がくのはやはり、闇のもっと深い方である。




 ---




 ◆


 常勝無敗の然る騎士なりや

 三度(みたび)の引きとは賢さたらん

 全き勝利を持ち帰る

 二目とみないその盾は

 全き勝利を持ち帰る

 常軌のおよばぬ一閃で

 闇の雫をふりはらう

 またとなし汝

 騎士たる勝利の騎士なりや 

 たっとき狼裾の騎士なりや


 ◆


 くだらぬ勲歌(いさおしうた)である。

 敗北すわ死を意味する戦場(いくさば)を、逃げおおせた数ばかりわらえる。

 煮えきらぬ不満の欠片を、後生大事にかかえてきた。

 貢献をあかしたかったのだとも。

 執念深い者こそが、秀でた仕事をするのだと信じてきた。

 国家に飼いならされた騎士。

 (ろう)されることもある。

 否めない。

 俺がやらねば誰がやる?

 愚にもつかない言い訳だ。

 紛い物などではないのだと、夢にたたられた、死にぐるいの集まりだ。

 標榜するだけの砂の城だ。

 まことにかなうべくもない。

 さて、引き分けと敗けでは、なにがちがう。なんらちがうまい。


 ――……彼岸の勝利だ。


 乱舞していた、死の鎌が。

 つわものの"影"が二体と、"躯"と、押し寄せる尖兵とを、ヴィクトルはどれほどかさばいてきた。

 どれほどか、とは、常軌を逸する程度であった。

 それも"竜"の出現をもって拮抗にかたむき――足もとから触手攻撃だ――熱線までをそばにしながら、攻めの姿勢をやすまず、いよいよ。

 勝機が、ぐっと遠のくのを感じた。

 "シェリフマック"のしぶとさが憎い。並々ならぬ時を稼がれた。

 そしてメイウーたちの墜落をみた。距離はひらくが、背中に擁するかたちが今だ。

 メイウーが空にいた、ということは。


 "仮面"の面倒をだれが見る?


 いまや一対四である。

 次に熱線をひかえた(あぎと)は、やや西方にそれてくれた。何を狙ったのか、思考にあてる余地はほぼない。

 くりかえす、一対四である。それも敵手はいずれも国級、否や大陸級――つよさのくらいなぞ、ふだんなら思いつきもしない。

 

 闇を啓開するのに、いつもひとりだ。


 ひたりきり、死への嗅覚がにぶっている。熱線の照射をおえて、のそりと全身をだしきった"竜"はむろん、ヴィクトルの認知外であった。

 名だたる英雄の孤軍奮闘をみるのが、あなたはきっとはじめてではない。

 だからわかるだろう。 

 ヴィクトルは取り残されている。瘴気がもたらす気迷いに、あるはずのない道へ踏みこもうと、まさに。

 "仮面"らがだっと退避する訳も、次の顎がむく方も知らずに。


 ヴィクトル・サンドバーンはひとりであった。


 守護の姿勢をとるべきだった。

 とればまだ防げる、それだけの騎士のはずであった。

 軌跡は、こうしてついえるのである。


 ――我が心命は、光と共にあらん。


 その声が聞こえねば、あるいは。

 気迷う我が口がとなえたのではない、ヴィクトル・サンドバーンは我に返った。

 灼熱に覆う赤禍を前に、まばゆい光が立ちはだかっている。

 まがいなりにも、師であるからわかった。()()はすくなくとも、"ゼン・イージス"ではない。

「……何者か!」

「神殿聖騎士、エリオネッラ・カザフィ」

 見ればわかるとも、"光の鎧"だ。はためくマントも純白だった。

 間一髪で救われている。

 にもかかわらず、いとけなき夢は猛りたかぶるのであった。

「何故、何故だ……」唸り声である。「今更になって!」

「……"我ら騎士は"」

 "飛泉の構え"はくずささない、どこか繊細さを帯びた男の声だ。

「"いたずらに剣を帯びてはいない"――」

 首だけ振り向く余裕が、その騎士にはあった。面の意匠は、未来の眼鏡をおもわせる。

「"善に殉ずる者として、悪を行う者に、義憤をもってこれで報いる"」

 熱線が晴れきっている。

「何ら違うまい?」エリオネッラは、まずは"鎧"を、次いでは"盾"を指さした。「この地は恵まれている。貴殿のような守護者たちに」

 ふきつのる突風の正体を、ヴィクトルは見た。

 "光の騎士"とは、竜騎士である。

 



 ---




 泥を片肘で押しのけて、テキセンは半身をはね上げたところだ。 

「メイウー!」「無事よ!」

 北方の、"光の鎧"に見とれていると、"ビッグレッド"の顎までが、こちらを目掛けてくれたのだった。

 よかれいずれかの騎士がいなしてくれて、光線の威力は減衰。しなびたそこら"心核"の即席結界でも、防護が間にあった。


「アアアアアアッ!」


 四枚羽の"ビッグレッド"は、説得力に欠けたはばたき方で、どうやら空を夢見るらしい。


「ルルルルルッ!」


 かたや説得力に満ちあふれている。"ビッグレッド"の頭上をおさえ、悪夢を阻むものがいた。

「……美しい」

 なげかわしいかな、飼いならされた王国のそれは、軒並み小型化が進んで、ワイバーンとか呼ばれている。

 メイウーが懐かしむのはちがった。

 赤翼に黒鱗は、四脱殻(百年)級のしるし。生え変わりを重ねてうねる、二本角がたくましい。歴戦個体とみなしてよかろう、正真正銘の"ドラゴン"である。

 彼ら、怒れば獰猛で、けれど理知に富み、忠義にどこまでも厚い。

 そして根っから絆された戦士以外には、背中をけっして預けない。高潔な魂でなくてはならない。

「連れたのは神殿聖騎士ね」

 この戦場には、"光の騎士"がふたりいるのだ。

 それで勝ったとはいいきれない。百年に一度の戦場だった。

 "ビッグレッド"が退いたことで、地獄の釜口があけっぴろげである。おぞましい、怨嗟の渦がこだましている。

 予期される次段は、そんじょの"集団暴走(スタンピード)"もしのぐか大波。なにせ増長した"穴"の直径は、"ビッグレッド"から逆算するに、"()()()()()"も同然。しかも活性化して真っ盛り。

「前代未聞だぞ」

 なにからなにまで、テキセンにとってさえそうだ。大地が鳴動するのを察して、ふりむいた南に見たものなど増してだ。霞がじょじょに晴れてゆく。

「……誰が呼んだのさ!?」

 一面、深紅の洪水である。湖底の泥をけっちらかして、火熊の"集団暴走(スタンピード)"に見えた。疲労困憊のせいかもしれない。ぐりぐりと、気の毒な我がまなこをこすって、テキセンは恐るおそる見なおした。

「ああ、見間違いじゃないッ!」距離が無情に縮まるだけだ。「ほんとのほんとにもう手がないよ!」認知阻害結界が起動しない、"心核"にだって寿命はある。見やるメイウーは、高い踵を踏み鳴らしながら、深刻そうに深呼吸をしていた。

「……ふーっ、とにかく飛ぶわよ!」空とて無制限には舞えない。お荷物をしょえばなおさらだ。

 ぎりぎりをみはからってメイウーは、テキセンの首根っこをひっつかむ――ひっつかもうとした。それで。


「友軍だ!」


 聞こえたのである、その声が。

「照準をおろして!」

 はて疑うべきは目か耳か。赤い毛むくじゃらの中に、太陽がのぼった。南にいたはずの"光の騎士"だ。

「坊や……」

 どうどうと轟音であった。

 火熊たちは目もくれない。はたをなんでもないよう行き過ぎる。

 たぶんやったのは、彼がはじめてだろう。中段の頭領熊から降りたつ人物を、メイウーとテキセンはむかえた。その白騎士の片腕には、火の神子が抱かれている。

「ヴィクトルは!?」

 ほとんどかき消される、少女の声であった。進軍はまだ半ばだし、獣という獣が雄たけびをあげている。地獄からおしよせる大波とまさに衝突しながら、もうもうと火炎を吹く熊の先陣。やはり空から火を吹く飛竜、光線でむかえうたんとする"ビッグレッド"。

 つかのま休めるこのひだまりは、とんでもない幸運のたまり場だ。これより前で一命をとりとめるなら?とんでもない悪運の持ち主だ――さすがのテキセンも軽口をたたけない。

「ご覧のどこか、と思うけれど……」

 しょげる少女を、テキセンはみたくない。代わりに見上げた光の騎士は、炎でほの明るい空を、指示するところであった。真っ白けな装甲に、指先が黒い。うしろの火熊が、ちょうどはけきった。

「来たよ」

 さっと頭上を影がゆきすぐ。ふきつのる突風は、なにかを召喚した。それは颯爽と落ちてきた。たいがいの人間は、飛び立てば落ちるだけなのである。

「待たせたな」

 自由落下をこなした、唸り声である。

「まったくです」

 騎士と騎士とはたがいをみとめ、そっと頷きあうのであった。狼の騎士は、ひとつ少女を気にかけた。

「壮健そうで何よりだ」 

「お返しします……!」

 感極まっている場合ではない。彼らが一番わかっている。ヴィクトルは手短に言った。

「影一体を連れ、"仮面"が穴へ逃亡……」ほかに目立つ脅威は排除した、という意味にすぎないが、メイウーはばつが悪そうである。「聖騎士が後を追った」

 のみのように舞う光の点が、まがいの巨竜を牽制し、穴へと降りるのを、ゼンはみとめていた。その隙にヴィクトルを届けてくれた"飛竜"も、じきに追随するだろう。()()()では脚が不可欠だ。

 そして追跡を欲張った、ということは、()()()の問題は、既存戦力(こちら)で片付けられると、聖騎士何某はみなしている――とまで、ゼンには理解できていた。発言の要点は変わらない。

「捕虜四名を負傷者と後送。指揮は騎士長が」

「把握した」

 うしろのことはもう任せるしかない。ここはこの()の最前線。絶対的に火力が要った。だからフランを抱いてきた。なお足りないかもしれない。

「余力は?」ずばりテキセンに、ゼンは訊ねた。

「……こまかいのであれば!」大弓の輝きはまだふるっている。「残弾は出たとこ勝負だが」

「"ビッグレッド"が飛ぶわ!」飛竜が騎手を追ったからだ。メイウーは相棒をゆさぶった。「テキセン!」

「ああもう……!」

 すごい輝きです、フランがつぶやいた。幾筋もの光の奔流が、四枚羽をくしゃくしゃにしていた。あんなものをみすみす大空へ逃せば、被る害は、いたずら好きな飛竜の比でない。現状の彼我の距離、概算三百メル。時間稼ぎはすべてテキセンにかかっている。

「明けたら七日は寝てすごすからね……!」

 しぶしぶなりに"ビッグレッド"は着地した。火炎の海をへだてながら、泥がこちらまで跳ねてくる。ぼどぼどとした羽をだめにされて、どうみても怒り狂っている。

「まだ飛べそうか」メイウーをむいて、ヴィクトルは唸った。

「……たやすいわ!」

 矢筒から矢が尽きるより前に、細道を駆け抜けねばならない。

「接近に際して"ビッグレッド"の――」いいあだ名だとゼンは思った。「頭をおさえていてほしい」頼りにしている少女をみた。 

「フラン?」「いけます!」 

 それから逆隣に、本音をささやいた。

(もしもがあれば承知しません)

(……任せなさい)

 すかさず"ビッグレッド"の咆哮だ。ひらく(あぎと)が、おぞましく四つに割れている。

「来るぞ!」テキセンはいまも撃ちっぱなしだ。あからさまに顔色がよくない。

「見えている」唸り声である。 

 不思議に浮いた腰の鞘から、ゼンも剣を抜きはらう。加勢する。

「あのときのように、"盾"と"剣"で」「よかろう」

 "ビッグレッド"の一撃は、鋭さをもっと増すようだった。直線上を無に帰すのに、ほぼ即着。わかちあうから苦難が苦でない。


 ――あのときのよう、とは言ったけど。


 ゼンはもっとも余裕のない身だ。

 あるだかないだかのそば道に、仲間たちを急き立てている。なせばなるだけの力があっても、"鎧"は彼らまで守ってくれない。

 いつのまにやら腕に帯びている、時のはかりをちらり見た。

 誕生月に贈ってもらった懐中時計なら、"魔法の居間(リビング)"においてきたはずだ。けれどもともかくそこにある。

 理不尽に針がふれている。

 なにが目減りするのかは知れない。知るべきことなら、教えてもらえるはずなのに――ともすればおのれの寿命と思えた。

 熱線の照射が終わっている。


「ゆけ!」


 英雄たちが散った。

 おじけをしらぬ火熊たちは、いまだ奮戦具合にあった。軍勢の旗色は五分。火の海をあぶれる小粒のほかに、地中を飛び出る触手をのしながら、二人の騎士は駆け抜けてゆく。

 尋常なやり方ではない。

 もっと慎重にこなすべきだ。

 そんな常識を押しつけるのに、彼らは逸脱しすぎていた。


 障害のない空を翔け上がるから、メイウーがいちはやい。

「今よっ!」

「はいっ!」

 神子を射程に運べている。


『"焦熱燬然(しょうねつきねん)す螺旋の光鎚(こうつい)"』

 

「すごい光ね」

 その大火をもってまるで包めやしない、"ビッグレッド"の巨大さであった。

 頭部を撃つのがようやく、それもひしゃげるだけだ。焼けてはくれない。ぐぐぐと抗い、光の滝行めいている。

「《もっと鋭くないと……!》」

「……一度退くわ!」

 "ビッグレッド"が腕をふりざま、しゃっと投げかけてくる触手は、テキセンの援護の一射が弾いてくれた。というのも機動がにぶっている、脚をとられていたかもしれない。


 ――背中をとっても拡散熱線のえじき……!


 神子の神秘はたいしたものだが、敵方の射程にはとてもかなわない。

 致し方なし、一目あおぎみてゼンも察している。


 ――頭部破壊が有効なのは、通常、連中にとって指令の受信部だから……。

 

 はて、アレの急所も頭であろうか。

 跳ぶように駆けてかなりの距離を稼いだものの、ふところとはまだ呼べない。巨大さが遠近感をくるわせる。

 急速な再生を、四枚羽は遂げるだろう――撃ちっぱなしの矢が、いよいよ尽きたのだ――より禍々しく、菌糸のように生え狂い、もはや原型をとりつくろうとしない。

 然り概観にせよ「巨竜」であるが、鱗と見えてひんむかれた人面だった。差し色にはぎょろぎょろとした巨大な目だまが、無数に埋まっている。

 咆哮とともに後ろ足ですっくと立ち、むけた腹には第二の顎。縦向きだ。ねちゃりと開けたあかつきに、濁流のごとく尖兵を産み落とす。質量保存の法則なぞ無視である。

 手前ひらけているようで、触手原に到達した折であった。頭上からは極太の触手が、超音速で唸っては迫る。


 ――薙ぎ払う!

 ――援護します。

 

 互いを間近に立ち止まる。ヴィクトルが刃を納めるあいま、ゼンは足元をさばききる。終わりしな、頭上を二連撃。叩き返す。

 ほとんど刹那のできごとだ、誰も悠長なのではない。

 欠かせない時間だった。様式という情報が、それを現実たらしめる。


 "必殺剣"。


 かりそめの"波"が消し飛ぶのをみて、ゼンは瞬歩をはじめている。誰なら続いてくれようか?うしろはまったく案じていない。

 頭上でなにかが炸裂し、思いもよらぬ虹をかけた。"ビッグレッド"の両手中から、極太の触手が取り落とされる。第二の顎にも遅れて着弾、みるからにひるませる。弓手の、いよいよ最後の三本の矢だ。一呼吸もって研ぎ澄ましていたのだ。

 ありがたい。

 よかれ"ビッグレッド"が四つ足に戻ると、立つもあわやな激震であった。騎士の師弟は跳躍して逃れている――否や、ここぞの大攻勢である。醜悪なほんの鼻づらまで、もはや肉薄しきっている。

 そして赤い肌身のいたるところから、てんで不規則に射出される触手を、必殺剣で即薙ぐことを、盾たる騎士は選んだのであった。


 ――構わんのだなッ!?

 ――完璧ですッ!


 "ビッグレッド"の再生速度は、"カエル頭"の比ではない。四つに咲きどうしの奇抜な顎にせよ、必殺剣でひんむかれたのを、これで正しいと主張せんがばかり、またたくまに取り戻していく。 

 立たれてしまえば届かぬし、落ちてまた跳んで、では、わずかばかりの好機も失する。

 可能性にかまけてゼンは、()()()蹴り飛ばせていた。

 物理法則を凌駕する、流星のような突撃だった。

 そして脅威の口腔に刃を突き立て、(つるぎ)たる騎士として、"剣気放出"を敢行した。




 ---




 地上からでも一部始終が、メイウーにはよく見えていたとも。

 光の騎士の突撃をもって、"ビッグレッド"はふくれあがった。頭部をはじめ、奇怪にぶくぶくと――いっときのことである。

 いまに拮抗状態だ。

 尋常でない再生力だ。

 四枚羽など――もはや翼とはみなせぬが――びくりびくりと、なおもはばたき浮かんとしている。飛翔を無理に実現するから、図体のわり、破壊力が「それほどでも」ない。

 しかし殺せぬのなら。殺せるとして、果てしない対価を求められるなら、どちらに分がある?明確だ。

 メイウーとて精根尽きかけである。安全圏から手が出ずに、歯噛みしながらの物見であった。隠された任務でもあった。

「《もう一度、私を空に!》」守ってやらねばならない。興奮のあまり"さなかの言葉"であることに、彼女は気がついていない。

「……片道手形よ」

 言わんとすることは、メイウーにもわかった。

 頷けない。

 まず遠すぎた。

 現状いいとこ二百メルはある。


 ――陸路は不能……。


 危険なうえに、遅々としすぎる。

 いま斬り捨てた"蛭頭"にせよ、主戦場をこぼれた雑魚だ。隔てるのは、死蝋にたかる火炎だけではない。


 ――たしかに、望みがあるなら空。


 "光の騎士"らの活躍をうけて、現状の"ビッグレッド"は対空手段をとれない、と都合よく仮定してみよう。

 ここ一時間で飛びすぎた。

 そして撃ち落とされすぎた。

 試みるのはたやすいが、はやばや飛行限界に直面し、自由落下に身をゆだねることになる。


 ――私は平気、でも。


 神子の少女は無事ではすまない。せめて守ってやらねばならない。メイウーが刹那に出した結論である。

「《できるだけ高く!はやく!》」

 一番の切り札でさえ、先には通用しなかった。なのに彼女は迫るのであった。

「お願い、飛んで!」

 犠牲か、なにも得ないのか。




 ---




 まがいものにはちがいない。

 うずまく欲望を、竜という概念の皮でつつんだ、この"ビッグレッド"のことである。

 もっと異なるよこしまな何かを、招かんとしていたはずだ。

 

 これまた失敗作であり――試みた男は"統手"ではない。


 ゼンが得た確信のいくつかである。ただ、おのれがただいま何を為すのかは、いまいち判然としないでいる。

 時空を超越する、真っ暗闇のなかにいた。

 

 悪心とは何か?

 悪心の使徒とは何か?

 彼らにとって神とは何か?


 わかるとも。

 "統手"を落とせば、使徒の結束はかならずほころぶ。

 ヴィクトルは、第一目的としてこだわった。部分的に正しい見立てだった。

 

 角の教主、ムゼルドット・サラザーリこそが、一連の事態の首謀者である――?


 肝心の前提があやまっていた。 


 北アメイジアも東海岸には、女王に遷都を決断させるに至った、邪教の一派が当代もひそんでいる。

 忌まわしきその地。

 特別自治区。

 大国がついに除けなかった、目の上のたんこぶ。

 彼ら、かの土地が信奉したがったのは、女王でなく神であった。

 きよらかな神であればよかったが。


 得るべきでない情報が、たえず脳裏に流れ込んでくる。


 ――長き誦唱を経て、かの門をひらけ。


 ――そして牢獄に火をはなて。


 ――地上の火ごときで、そやつは焼けぬ。


 "星の理"である。

 情報には強度がともなう以上、知られざるべき物語、忘れられるべき物語がある。

 剣士の概念も強度を増して当代、よりにもよって「この星」で、"ゼン・イージス"をまっこう消し飛ばせるとすれば、それは単なる"悪心"ではない。

 その物語、その神話体系の――"呼び声"の、真なる主とは何ものだったか。過ぎた幻想の越境だ。つぶさに語るべきではない。


 さて"剣気放出"――ちゃぶ台返しのような技である。

 決着の一手として、とある戦士は拳を用いた。まったく同じ要領であった。

 概念の拡張・増幅はむろんお手の物。より本質的には、規定力の放射によって、対象の、存在否定をおこなえる。

 打ち込まれる方は、然りあらがうわけで、すさまじい逆流が起こりうる。


 相打ちが何を意味するか?


 "星の理"は肩入れするだろう。果てしない対価をもって、人理(歴史)をつないだ時代もあった。

 いまふたたびまた。

 誰かがそれをせねばならない。

 形骸化した感情で、ゼン・イージスは、さらなる力を剣柄にこめた。闇の中で、時計の針がふれるのをやめる、刹那。


『"煌翼背し白騎士の破魔矢"』


 あやふやな境界がさだかになった。

 単調な二項対立の、ゼンがもといた世界であった。

 気高き一条の光であった。

 きっと太陽がよこしたのである。闇空から鋭く降り注ぎ、余韻の()をたて、とぎれるところだ。"ビッグレッド"の四つあごを、再びむきだしにしてくれている。

 "心核"が露出していた。

 半壊したムゼルドット・サラザーリの屍骸。ゼンの目前である。


 ――もう一振り要る……! 


 "ヴァンガードの直剣"だけでは足りない。これは(あぎと)のつっかえ棒だ。抜けば即座にまた、名状しがたきあの闇だ。

 そして。

 あれ、と願えばそれはあった。

 自然と右手に、ゼンは執っていた。"魔法の居間(リビング)"においてきたはずの、"黒曜石の剣"であった。


 再生や分裂を、煩わしいと思うなら、木っ端みじんにするがいい。


 簡単に言ってくれる。

 デカすぎるやつはどうしてくれる。

 もうひとつ解決策ならあった。

 はなから核を叩くべきだ。


 ――同情する。でも、君の望みの為だけに、この星をゆずる訳にいかない。


 巨竜の再現についてのメイウーのご意見や、テキセンによる魔術的推察のあれこれは、また後日あらたむるところである。

 角の教主、ムゼルドット・サラザーリ。(つるぎ)をつうじてゼンが見た、その人物の過去や、人知のおよばぬ外なる世界については――二度と不用意に交わらぬよう、うまく鎧がぬぐってくれる。


「……さよならだッ!」


 "竜"は畏怖される存在である。

 いくたびとなく"騎士"をまかしてきた。

 けれど騎士が、竜に打ち勝つ日だってある。

 そうなるまで、立ち向かってきた。

 とんだ文脈の誤選択であった。記述しうる(しるし)をまとった以上、所詮は人のスケールだ。


 "ビッグレッド"がはじけ飛んでいる。


 騎士のつとめはまだ終わらない。とどめをすませるや否やゼンは、ひらめく火のしるしに目をやった。晴れぬ闇空に、それは際立っている。


 才能というのはわからない。

 厳密には、最善を選び尽くした秀才の道だ。

 あり得ぬ飛躍をとうとつに実現した、と思うなら、ちょっとよそ見をしすぎている。心象を自在に打ち立てるのに、"神子"は拍車をかけたにすぎない。

 ただし器は人のもの。高所自由落下の先は、死だ。


 駆けつけるだけが必要ではない。

 あれ、と願えばそれはあった。こればかり"魔法の居間(リビング)"には備えていない。 

 純白のマントは光に還った。代わってゼンが背負うのは――もとい鎧が生成するのは――小型で原始的な、ターボジェットエンジンである。点火している。

 "風の翼"でおこなう姿勢制御は、自然さのあまり、ゼンになんの疑問もいだかせない。

 翔けつけている。相対速度がいまゼロになる。うまくフランを腕におさめた。

「無茶するんだから!」

「おあいこですよ!」

 重力をいなしきるのに、じゅうぶんな推力であった。けたたましい音を立てながら、おだやかに着地できている。


 "光の鎧"は可能性の鎧。

 知るべきものは知っている。

 いつでもなんでもとはいかない。正しいときどきでなくてはならない。他人のふところはまさぐれない。

 あくまで由緒が許すのだ。

 "ビッグレッド"を退けたことで、なにか大きく得たらしい。けれどもゼンにはわからなかった。


 はたして終わってくれたのか。


 "果ての霞"が明けてなお、かげりの深い大空であった。

 偽りのないの夜が来ている。



 H.P.ラヴクラフト氏をはじめとする、数多の創造者たちに、多大なる敬意をこめて。 kokubyo 25/1/14


「(権威者は)いたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです」――『ローマの信徒への手紙』13章4節 新共同訳

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