77.第三の騎士
勇者が現れ悪を断つ。騎士が現れ悪を断つ。歴史は飽かずに韻を踏む。
――ヘドが出るぜ。この星の為になんてなァ、煮ても焼いても食えやしねぇ。サルヴァトレス様は、しょーみ懲り懲りだ。
心身を擦り減らし、前へ、を止めない、馬鹿どもの気が、ついぞ知れない。サルヴァトレスは大義が嫌いだ。利他を敬う無力が嫌いだ。己で己が救えないのなら、災難だったと諦めて、よりよい来世で励むがいい。と、本気で思う半生だった。
――それがいつからだ、夢見ちまって。
誰にも抜け出せない砂地獄を、決意のひとつで逃れてきた。外に繰り出れば、調和を演じた。打算をよくよく知るからだ。そのうち、境がわからなくなった。どこまで演じて、どこまでが性だ。足元も、だから掬われる。徹する役に眩んで、引き際も誤る。かつてないような失態を犯した。打算で雇った少年少女に結局、救われた。
作ってしまった、借りは大きい。
ならば特別、今日の行いに、手前の主義を、大声でこそ唱えまいが――すなわち、"賢者危うきに近寄らず"。はたまた、"存ぜぬ王にお触れなし"――徹頭徹尾の行動原理であるからして、やはり。
――やれやれ、焦げついた鍋底さらうよかひでぇ!
許されたし、愚痴のひとつやふたつくらいは。料理人様の本分ではないのだ。言い聞かせもする。暗がりを照らす殊勝な心がけなどない。あくまで。通すべきスジを通すためだ。果たすべき義理を果たすためだ。己の哲学に背かぬためだ。夢をあやまたず、叶えるためだ。
西へ、踵を返すワケと、おんなじだとして、偶然だ。
なんもかんもに目をつぶったって、そう、サルヴァトレスは、戦が嫌いだ。腕っぷしには、まるで自信がない。要らないように、立ち回って来た。正面切って、なぜ斬り結ぶ。殺しが要るなら、やり様は、魚の捌き方より多い。
「くたばりやがれ三流ッ!」
「口の悪ぃガキだこった!」
殺しの秘訣に基づくのなら、俎上で暴れる"狂犬"などは、下拵えの段で、何ら薬味に漬けておくべきである。さしものゼンでも手こずるそれを、腕っぷし頼りで捌くなど――イカれてらぁな!――しかし、サルヴァトレスは受けて立った。真正面から、立ち向かった。
「サルヴァ!?」
ゼンもまた案じよう。混戦はまだ明けの予兆。サルヴァトレスはダルタニエンを救ったが、"狂犬"に目をつけられたサルヴァトレスを救えるのは、サルヴァトレスのほか居はしない。
「らぁッ!」「ちッ!んだァッ、てめ!」
ゆえ、誰にとっても意外であった。舌打ち混じりは"狂犬"の方ときた。料理人は、しかと強かった。両の短剣で翻弄している。足りぬ刃渡りで、長剣と渡り合い、引けを取らない、どころか。
――押してる!フィルデー相手に!?
ゼンの所見である。サルヴァトレスの剣筋は、熾烈剣技のそれと似ている。自称するには"曲芸剣"。踊るよう、滑るよう、魅せるよう。手数で攻め立て、受け流す。短刃を、指で拾っては投擲、手放すのもまるで辞さない。"人面犬"を撃ち落とし、"蛭頭"の頭に突き立てた。フィルデーへ向け牽制に、第三、第四の柄すら放る。すると、後がないはずだ。「馬鹿がッ」投擲した刃は数えて四つ、腰の短鞘も数えて四つ。ところが、ないはずの「後」が続いている。
「っ、おちょくりやがってッ――」
フィルデーの大上段を受け止める、やはり二振りの短剣だ。他ならぬ、短剣使いの諸手におさまり、どころか、腰鞘のふたつまでを満たしている。飛ばせば帰らぬ物の理、回収したなら、いったいどこで?これがわからない。死合うどこかだ、いったい如何に?これもわからない。料理人の好む得物に、"魔剣"のような曰くがあるはずもなく。竜を狩るにか、厨房仕事にかなら、似つかわしいのがどちらと明らか。すなわち、惑わしの技である。ひとえに、振るい手の手腕である。奇術も飛び越し、魔法の域だ。昨日までのサルヴァトレスには、とてもあるまじき力量だ。
「ザコはザコのまんま死ねってのっ、クソッ!」
悪心にはさぞ疎ましかろう。胡散臭い剣術を、即座に叩き伏せられないと悟ってフィルデーは、仕切り直して足元、小型化した"赤子"の一体をだだくさに引っつかんでいる。投げつけた。おぎゃあ!と泣いたら、宙にて爆ぜる。まき散らかされて回避困難、強腐食性の体液だ。
『繁吹け、水の楯!』
唱えて応じるサルヴァトレス。ずん!と、泥を踏み抜いた。靴底から横合い噴出させるのが、なみなみならぬ水流である。「盾」と称して一種の「水壁」、赤ん坊爆弾の爆風を、洗い流してものともしない。
「はっはぁ!こりゃいい!」
感嘆と、さながら己が仕業でないかに。然り。戦場に見栄える魔術など本来、料理人の持ち技にはない。短で長と競る膂力も然り、剣士の目を惑わす剣術も然り。輝くそれらは「可能性」、言うなれば、星からの借り物だ。ゼン・イージスには今にわかった。似した力を身に宿し、闇を照らした経験がある。
「よう坊主!駄犬の躾はトーブン任せろ!」威勢の大声は、"悪心"も間近で怖じていない。飾りッ気を抜き、サルヴァトレス・ドルトルその人の心威だ。「カビ臭ェこの惨状に、とっとと終ぇをくれてやれッ!」
「はいっ!」
負けじとゼンは声を張り上げた。意識を張り巡らす。彼女は近い。
――通してくださいっ。
聴こえただろうか、その意志が。ゼンは捉えた。その方を見た。出迎える為、場を拵えた。具体的には、剣を振るった――きっと彼女はこうするはずだ。
『赤気揺蕩う焔の明幕』
もしもこんなとき、どうしよう。少年少女は相談してある。旅路に注いだ光と闇が、あらゆる想定を用意させていた。行く手を遮る炎の壁も、並び立つなら道を為す、広げて結べば舞台を仕立てる。神子の"明幕"は混戦を貫き、守手が脅威を排除したばかりの円一帯を取り囲んだ。外界と隔離されたそれは、聖域だった。
「フランっ!」
「ゼン!」
炎の道を駆け上がったフラン。抱擁で迎えたゼン。この星に互いがまだ存在している。ぎゅっと、全身で確かめたらすぐ、ちょっぴり離れて、指先どうしを握りあった。汗も滴る熱帯夜であるし、汚れまみれのふたりであったし――何より、ここは戦場だった。再会を喜ぶのに、数秒だって贅沢過ぎた。仲間たちが、命を賭して時をつくるのだ。ゼンは必要なだけをたしかめ、フランも必要なだけをこたえた。
「怪我は?」
「ありません!」
「ご飯は?」
「食べました!」
「後ろのみんなは?」
「それは――」
フランの知る限り、ぎりぎりだった。後方支援陣地にも"蛭頭"の大攻勢があったのだ。町民の生存が見込める冒険者組合の地下室へ救出部隊を出動させ、手薄になった直後だった。町に潜ませた伏兵だろうと、騎士長補佐は推測した。火力術師の爆裂魔法が唸りどうしで、ジニーは絶え間なく精霊弓を引いたし、フランも幾度と"光槌"を突き立てたが、馬車防御線まで浸透されてしまえば、大きな術は利かなかった。
剣士が足りなかった。あのハウプトマンが得意の銃を手離して、倒れた剣士の剣を執るほどだ。柄の握りも忘れかけた熟練級は、それでも、震えて動けない若い伝令を押しのけて救った。勇姿と窮状を前に、フランは秘策を想起し、提案せざるをえなかった。危険と、もしかすると大きな代償をともなう提案だった。
ハウプトマンはすかさず、やる、と言った。馬車を潰されちゃたまらねぇ。言ったのは、サルヴァトレスも同じだった。フランは選んだ。こう唱えた。
『其の戦士に注ぐは友恩の杯、光水湛える金の聖名。
剛健叡敏な身躯の極と誠の心威に神秘を授く。
これもまた仮初めの才、一時が夢。
汝これ現と驕るは罪なれど、
支え手成りしこの戦場には斯く、光の御加護が降り注がん』
"支え手への祝福"は、ゼンが光の中からもち帰った"御言"だ。"悪心の空"の影響下に限って行使できる、最高級の、類とするなら支援魔法。担えるのは、一度にひとりだけ。ジニーの思いつめた表情を認めて、フランは、どうしてもハウプトマンを選べなかった。後方は、サルヴァトレスがたちまち盛り返した。
「……私が見た"商隊"は、無事でした」
わずかな逡巡を経て、必要なだけを、フランはこたえた。
「そう、急がなきゃ……準備は?」
「はいっ!」
巡礼の少年少女が揃っている。守手と神子が揃っている。二人は一緒でなくちゃならん――言った誰かは、きっと悪路を見据えていた。
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炎の内幕はいま、守られねばならない場所だ。光明が、そこにはある。サルヴァトレスは知っていた。道中を"蹄減らし"で追い抜いた若い騎兵は、"城門窮す"を唱えていた。つまり後方の現状が、短期にも再び悪転している。なればこそ、これは最善手だ。
――嬢ちゃんは謝ったが。
なんら条件付きとはいえ、否応なしに神子が選べるなら、身を守る鎧がないぶん、"支え手"とは人柱である。
――都合の良い腕の磨き所を、おちおち失くしちゃあタマんねぇ、そりゃホントさ。
大義を厭う料理人だ。厨房戦力として貢献してこそ、"商隊"に、気を遣われていた。戦うか、否か。無理強いはさせたくない、などと。
――お人好しどもめ。悪ぃーだろうが、効率がよ。
可能性を裏切って、サルヴァトレスはここにいる。フランを送り届けるのに、騎兵、他冒険者と択が尽きずに、これほど無類の信頼をともなう胡散臭さも他になかろう。時をして。
『守手よ、騎士よ――』
聴こえただろうか。その"祝福"が。聴こえただろう、炎の内幕から。知らぬ言語の唱えだとして、人は、意味を解せるときがある。通ずるべきもの、通ずるように。"星の理"である。
フィルデーも無論、解せたはず。だからおそろしく目を見開いた。
「光の……ッ!?こっちのガキが!?」憎々しく歯ぎしり。「どうなってやがるアナンッ!」がなった、つま先で泥を抉った、剣気を振るった。
「やらせッかっ!」
"狂犬"を抑える。ゼンに代わってこれがとにかく、サルヴァトレスの役目であった。"明幕"を裂かんとする剣気に立ちはだかった。打ち消した。続く"雷"の刺突までを阻んだ。長剣で数えて一合も、短剣で数えれば倍を越す。炎壁の間際で唸る剣戟は加速し、拮抗は悪心の苛立ちを炙る。
「クソがッ、サラザァーリィいいいいい!何遊んでやがる!?」
"竜"だ。脅威だ。盤面を、ひっくり返すに十分過分。かの破壊光線に猶予の一息なども、とっくに過ぎていい頃で、しかし、挙動が不審だ。上空に気をとられている。巨腕を振り回し宙を掻く仕草は、目障りな蝿に悩まされるヒトとなんら変わらない。まさに二射目の熱線が、無害に、悪心の空を迸った。これと交錯する輝きがあった。競って極太な、白光の奔流である。直撃しては"竜"をも怯ます。羽虫と喩えてしまうに、彼女らは、あまりに優雅に舞い過ぎた。
「メイウーたちだぁっ!」
ダルタニエンは頬をほころばせた。その余裕があった。脚を負傷して以来、ダコックやボルドヴェンと背を預け合っている。戦士たちは揉まれた死地に、連携の飛躍的な向上を実現した。あとは、やはりか、耐えるだけ。悪心の手先はいずれも、絶好の機を逸している。
「役立たずどもッ!」
「は!落ち度はどこだかッ」
悪心に、付け込む隙があるとすれば、人の感情を模倣てしまう点だ。
「トドメの刹那に舌なめずりたァ、手前のやり方な新前、三下、ド素人!」
たとえば、悦に浸るなど。仕事人ならありえない。
「観念しやがれ、イカれたガキが!」
「ちッ、どっちがッ!」
"祝福"を、前線へ持ち込めるか否か。「騎士を待つ」今次作戦の二の矢は、神子の救出成功を以て放たれていた。立ち向かう者たちが、前へ、先んじたのにせよ、統括騎士ばかりを頼る無謀ではなく、むしろ、悪心を逃さない慎重さがあった。まさに下ろされる神秘の帳、守手が、意志を口にしている。
『我は騎士、終末の世に訪れし白銀の守護者――』
目の当たりに、ふくれあがる憎悪が、
「狂ってんのは、テメェらだろうがぁぁッ!」
戦場のすべての魔物を、少年少女へけしかける。幾度目かにして、もっとも勢いのある"波"だった。こなれた守り合いは、挫けずこれを続々と退ける。"剣気"が舞った、"光槌"が聳え立った。
『我が心は星の剣、我が身体は星の盾――』
かろうじて優勢なのは――坊主と嬢ちゃんだ――サルヴァトレスは、もっとも近くで俯瞰してこそ、だから油断した、という訳では決してなかった。ひとえに物量ゆえなのだ、どうしても、フィルデーに張り付けない数秒ができたのは。位置取り悪く"波"におされた、短刃は巨体の"赤子"と相性が悪かった。たまたまだ。だが偶然は、戦士を殺す。
『眼前の魔を打ち斃すその時まで、我が心命は――』
せめても、だった。これ幸いと離脱したフィルデーが、何をたくらむのか、サルヴァトレスは見逃せなかった。対処しきれず背を向けた魔物に、たとえ全身を焼かれようとも、いまは、これが務めだった。そして見たのだ。
"悪心"が、襤褸の懐から取り出すのが。
「銃だッ!」
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些か時を遡ろう。進軍もはじまり、昼の作戦会議に、のちの常連が集っている。メイウーがまだ、狸の尻尾を膨らませている。
『あと一人、詳細を聞かされてないわ』
それが使徒フィルデーに関してだった。ヴィクトルは説明を後回しにしていた。面倒な目を、どうせ見るからだ。
『……フィルデー・クロノステラは、少年の形をした虐殺者だ。明らかなだけで三十余名、無辜の良民を殺めている。激情に任せた"熾烈剣"を振るい、力量にはややムラがある。先だって手傷を負わせはした。が、回復済みと考えるべきだろう』
"悪心"は使徒を助く。神子が善人に施すよう――似ていてしかし、まるで歪んでいる。超常の癒しも、段階を逸脱したおおきな力も、"果て"から得るには高くつき、永遠の従属を対価とする。あるいは一説、結びつきが深ければ「老い」をも克服するという。なれば、はてさてアレは、見た目通りの少年か。
『担当は、ゼンがする』
唸り声にまず、テキセンが目を丸くした。年並みならぬゼンの冴え切った素振りを朝晩見てなお、少年は少年と思う長耳だった。
『なるほど?この子が、七人目の"英雄"なんだね。にしたって、ほんとに適役かい。危険が、過ぎやしないか』
『程度で言えば、左様。使徒らに数えて一、二の剣士がダミアンサンとフィルデーになる……だが――』メイウーが顔をしかめたのは、このあたりだ。『そのどちらともゼンは交戦し、結果を引き分けた。よって如何なる配役だろうと、過ぎるのは杞憂の方だと断言する』
一番でないと気が済まないのが、しばしの戦士の性だった。この場合のメイウーはとくに。
『ふんっ、だいたい一体幾つよその子、やれるの?"悪心"の膝元でも!』
戦士に齢は関係がない。ヴィクトルは出立前夜の演説を繰り返すつもりなどなかった。ゼン・イージスの「正体」を、これ見よがしに語るつもりもなかった。面倒ゆえ。手近な事実を確かめるだけだ。
『貴様、銃火器との交戦経験があるか』
何を出し抜けに、この騎士は。介した一同まで面を食らう。とんだ話題の転換だった。メイウーも声高々に、ない、とはよもや胸を張れない。つっかえ押し黙るだけである。
『他の者は』
ぎろり、があたりを睨め回す。
『へっへ、ここぁエウロピアだっせ旦那、アメイジアじゃね。なんでぇひょんなことお聞きになさら』
"欠けっ歯"は笑ったが、共通認識だ。"銃"は当然、アメイジアにしかない。つまり、戦場で仇となりかねない固定観念である。ヴィクトルは改めた。
『……フィルデー・クロノステラが、銃と弾丸を所持しているからだ』
戦士を凍てつかす文句だった。硝煙を嗅がぬ土地の人が、どうして銃を恐れるか。簡単だ。アメイジアの強国ぶりなら、幼子でも知る。アメイジアが歴史に喫した最大の負け戦なら、武道を歩めば風に聞く。内紛である。北が南を大勢殺した。何が違った。銃の有無だ。彼方から飛来する砲弾を防ぐ術こそ、剣気と魔術が備えはして、予兆の音すら置き去り翔け寄る、鉛の礫の雨に対処できるのは、類稀なる戦士だけだった。刃と刃の戦なら負け知らずの手練れが、何万と死んだ。
『……確かなの』
『王国から得た、確度の高い情報になる。もう一つ断言するが――』
反骨心に、ヴィクトルは事実をひたすら浴びせかける。信じ難いやもしれないが。
『俺の知る中で、弾丸と対峙する経験をもっとも積んだ剣士が、かの少年だ』
銃。弾丸。おそろしい。よほどの剣士も容易く葬る。フィルデー・クロノステラは所有している。単発式の大口径拳銃。装填するのが、悪趣味にも"とっておき"と愛称した、最後の小銃弾だった。名に負う王国英雄が、命と引き換え、のこり一発になるまで使わせたのだ。
記録に残るだろう。鎌月の二十八日、現地首都時間、午後五時五十九分、"牡鹿角湖畔の町"にて、適正発砲――登録魔法陣が正常に作動、正当な所有者による引き金を確認――規制を免れた古式のそれだ。古びた法は人を害する。現行魔法陣で「死人」は銃と弾丸を扱えず、"フィルデー・クロノステラ"とは、死人の名である。
「銃だッ!」
僅かに泳いだ銃口から、放たれている、凶弾である。卑劣にも、それは少年少女から、よりにもよって少女を選り好む。音の倍にも勝りし、疾く。しかし決死の大声より、遅く。
阻めるとすればただひとり、ゼン・イージスは、どこからだろう、"ふつう"をだいぶ逸脱していた。そして偶然は、戦士を生かしもする。弾丸に、たまたま、慣れっこな少年である。訳もない。忙しなく、土壇場で、大切を目掛けようと、予期ができたなら、数えるくらい、なお一発限り。その少年は剣士で、守手で、あるいは、類稀なる軌跡の描き手だった。
小銃弾は虚しくも、鋼の刃と真っ向かち合い、剣気に滅され、じっ!と唸った。まったくこの星から消え去っている。到底、少女に届きはしない。少年が、少年の形をした悪意を、ぎろり、睨みつけた。
――よくもフランを狙ったな。
聴こえただろうか、その義憤が。誰しもが聞いた。誰しもが見た。或る、星の頂の輝きを。
『我が心命は、光と共にあらん』
圧倒的だった。
全容を見落とさないために、相応、優れた目が要った。あまねく明らかなのは、泥の湖底に増える足跡、数回限り打ち鳴る鋼の音、遅かれ早かれ戦いの勝者。それと。
「君は最後だ」
輝きが手始め、刹那の静止におくった一言である。フィルデーの目前だった。どこかで「い゛っ」と悲鳴をとらえたなら耳聡い。胸倉をひっつかみ天へ、高く高く放り投げたのだ。あとはとにかく。
弾丸もかくや、いいや、此度の戦場の何よりも速く。白光が曳いた尾を、追える者なら懸命に追ったとも。
光の――観察によほど余裕がなければ、これで形容の限界だ――手中の直剣は、その実、あまり振るわれなかった。さて剣の有無すら大事だろうか。如何なる剣気であろうとも、光を貫けはしなかった。往なされて刃が、火花と滑るだけだった。深紅の一筋がしばし踊った。左の掌打が急所を的確に突き、右の甲打が顎を激しく揺すった。一連が時と場所を変え、三度、繰り返された。
昏倒に、ラシェリー、イーベンバウル、マテウが、泥を枕にして眠る。おりにはいずれも、利き手を失っている、焼いて止血を施されている、もう片腕も、折られるか外されるかしている。
"波"が、鳴りを潜めていた。強烈な光の生まれにひれ伏す合間に、神子の大火が焼き払っていた。熾された火はみな消えていた。それでいて明るい。眩い。彼がそれを携えるからだ。鎧だ、人々は認知する。
洗練されている。千年先か、千年前か、当代ならざる設計と、察せたとしよう、口にはできまい。実用よりも着飾りで、板金鎧は知られている。総身となれば過多とつく。祖型を似通わせるだけ、実態が違う。常識を塗り替えるのが、"光の鎧"だ。纏っている。
ゼン・イージスとは、"光の騎士"である。長い旅路を歩んだ名前だ。"巡礼"のあるべき形だった。まっとうに遂げた守手はたとえ、全史を顧み、さほど多くない。だから星は許すのだ。道ゆきに、枝分かれした「ありえた」を、一本残らず束ねたならば、なるほど、その騎士の剣は、星をも砕いてふさわしい。
「ぐえっ」
自由落下に叩きつけられ哀れ、フィルデーの鳴き声だった。両の手首を、すかさず刎ねられている。焼いて止血を施されている。仰向けに伏せる首筋に、騎士の剣の切っ先が、ぴたり、張り付いた。
「竜を大人しくさせるんだ」
"光の鎧"の内から響く、十一の少年の声である。応える少年の声は、つねづね怒鳴り散らすあまり枯れ切っている。
「は、は、傲慢なキシ公!手前じゃなんも守れやしねぇ、いつ――」騎士の左の拳が消え、「だぁ゛っ」フィルデーの鼻っ面にめり込む。血がしぶく。
「ごめん、急いでる。竜を止めて」最善をほかに見出せるなら、拳など、ゼンは選ばない。
「痛ぇなッ」頑丈、威勢を衰えさせずに悪心は。「せーぜー選べバーカ!前か後ろ、お前が、選んで、お前が、捨てりゃあいい!」敗北を認めない。真実を語る。戦いの全ては終わっておらず、窮する人が方々に居ながら、騎士の身はひとところにしかあれない。
「やめないんだね」
「やめる訳!」
「そう。もう訊かない」
次に消えるのは、騎士の右の拳だった。先と異なり、利き拳だった。長剣は湖底に刺し置かれていた。轟く打音など凄まじかった。命を、それが宿すとすれば、合間に聴くのは、命乞いだった。
「ぢ、死ぬっ!そっちゃ、死ぬ!」
構わずにゼンは打った。
「死んぢまうっ!」
構わずにゼンは打った。
「殺ざないでっ」
構わずにゼンは打った。
「……これくらいじゃ、君は死ねない」
意味を重ねてつぶやいて、理不尽な暴力を、ゼンはねむらせる――僕らは、向きが違うだけ……――当人ら以外、誰が気がついた。少年ならざる少年どうし、鏡合わせの存在なのだ。
「おーこりゃ意外と!タッパがあらァな坊主」
「サルヴァ」
歩み寄る。騎士と並び立つ。まるで健在である。銃だ、の刹那、遮二無二叫べば唱えは利かずも、無詠唱なら"水盾"が間に合った。戦士には稀なる技だ。可能性が勝ったに過ぎない。サルヴァトレスでなければ、おそらく無事ですまなかった。
「ありがとう、いろいろ」
「なーに、貸しぁまとめてひとつでいーぜ」
「うん」
「ジョーダンだっつの!んで――」
冗談ぶりは、続かない。
「始末は、連中の」
俺が代わってやってもいい、のふくみに、ゼンは頷かないでいる。ねむった使徒らを担ぎ寄って、一同が――ダルタニエン、ダコック、ボルドヴェン、そしてフランが――輪に集っていた。
ときに、"光の鎧"の全てを把握してゼンは、不思議に思った機能がある。訳を今ひとつ理解する。仮面とは、感情を隠すのに役立つが、意志を伝えるのに、だいぶ不便だ。
「あ……」
傍から誰もが騎士を見ていて、誰ともつかず声を漏らした。騎士はまず、己の首筋に、親指をあて押し込んだ。すると、兜に異変がおこる。シュッ!とどこかで、するどく鳴った。面の細隙の覗き穴――なのだろう――から放たれていた、空色の輝きが失せる。頭部を覆うすべてが動きだし、金属質に奏でながら、しかしさながら生き物のように、"鎧"にすっかりしまわれた。
露わに目線を配りながら、たしかに彼は語ったのだ。十一の少年の声を聴くはずで、老成した若人のそれが、脳裏に走ったという。
「"届かぬ光より、夜を信じる人もいる"……そんな詩を、僕はどこかで知りました」
騎士のくすんだ金髪は、獅子の鬣色をしていた。ほかは、どうしてかみな、忘れてしまって、その"光の鎧"の主の徴を、つぶさに伝えた者はいない。
「裁きは必要です。けれど、戦場で僕らが使える秤は、絶え間なく揺れる。だから――」
無力化、それで語弊はなかろう。教えた誰かがいたからだ。ゼンは加減を、敵に施した。意志と選択である。同じを何度も繰り返す。繰り返せる。殺しが要るだけが戦いならば、もっと、ずっと、簡単に済ませられた。"光の騎士ゼン・イージス"になら、なおさら。
「騎士サンドバーンから委譲される権限のもと、使徒らの拘束を提案します」
悪事を為して、悪人は生まれる。その拘束から死刑まで、独自裁量に基づいて下せる肩書きが、公国にはある。"統括騎士"だ。誓いに「位を濫用せず」と立てる者は多い。彼らがひとたび「悪心に与する者」と見定め、宣言した対象には、余人による殺傷制圧まで、公国法が許容する。つまり今回、あとは程度だ。
「異論ありません。騎士イージス」「感謝します、騎士長ダコック」
ダコックは頷いてすぐ、ボルドヴェンに顎を振った。使徒らに縄をかけにかかる――総意がはやくも定まったに等しい。残る、見慣れた顔ばかり。ほとんど"商隊"だ。ますます「殺せ」は言い出さない。言い出しそうな人物の顔色は、ダルタニエンが窺った。
「サルヴァ~?」
「……甘ェんだ!ったく――」
どんな悪態か続いただろう。急いでる。ゼンが口にして百秒未満。急いでいようと必要な、生殺議論を重ねるのに短く、戦雲が急を告げるのに悠長過ぎた。
「いけない。落ちる」
北だ。メイウーが、"竜"を往なしてだいぶ経つ。人を、町並みを、かなり守った。無為に空を貫いた破壊光線など、数えきれない。ただし当然、一度に一射。源と言えば、顎からばかり。悪い話になる。進化を、"悪心"は知っている。
"竜"が次に空へ向けるのは、穴から晒せる背びれの全部だった。峨峨として、山の子の群れ。その峰が各々、灼熱に発光する。力の予兆だ。いけない、と、ゼンが唱えた。力は解き放たれた。禍々しく赤く。細く、しかし、無数で、威力十分。"竜"がわずかに身をよじるだけ、空に、逃げ場は限られた。
そしてメイウーが落ちたのだ。無事を案ずる暇もない。戦場に出来事とは、重なるものだが。
「まっじぃんじゃねぇの、今は……!」
南だ。その音がはたして聴こえたか。聴こえただろうとも。"悪心の霞"を晴らすため、広く響くよう、それは作られた。
「霧晴鐘……」
無論、"竜"にも届いたはずで。
「城門破られたり!城門、破られたり!」
あらゆる悲報より、よくみな聞いた。ぐるる、遠く"竜"が鳴らす喉だ。破滅をもたらす顎が、おそらく今にも開かれる。鐘の音を、きっと向くのだろう。
"蹄減らし"で駆けつけたのは、騎士団の補給官だった――本来の伝令役が全滅したのだ――彼はボルドヴェンに首根っこをつかまれ、馬上よりたちまち引きずり降ろされる。目を白黒させるうち、騎士団長に「対魔術防御態勢!」と怒鳴られると、剣を抜くより、膝を折って祈るのを選んだ。震えきっている。常人には、そういう場所だ。
「集まって!僕の背後にっ」
かたやゼンも叫んでいる。光の兜を展開している。
「やれんのか!」
サルヴァトレスが列にならった。
「五分!フランには"水盾"をっ」「合点!」
強き者が、できるだけ前へ。備えは足るか、万全か、再点検の余裕はなかった。疾うに押し寄せた破滅の息吹。"飛泉の構え"で、光の騎士が立ちはだかって最前、もはや赤禍に包まれた。
間一髪――本当に?――剣として盾として、ゼンは凌ぎつつ、よぎらせるのだ。
――足りない。
宿命、なる忌まわしい言葉を、そのうち誰かが教えてくれる。未熟な言い訳として、使いたくなかった。
――"鎧"があって、どうして。
守る力が、こんなにも弱い。優れた師ならば、いるはずなのに。日がまた昇れば、教えてもらえる。どこまでも背を追ってやる。当然のように、思っていた。
――ヴィクトルは、ヴィクトルは……?まさか。
前か後ろかと"悪心"は問うた。可能性とは、ときに無常に潰えるものだ。
---
オーケー、どうやら気持ちよーく眠ってた。泥んこの中でだ。ちょっと前まで、空で風を切ってたはずなんだけど!ああ、頭がくらくらする。きちんと手足はついてるか?いったい俺は誰だっけ?あぶない、借り物をなくすとこだった――テキセン・ガルド=シルヴィン、だよな。
さぁて他には何を忘れて……そうだよっ、メイウー!どこいった!?俺を庇ってまともにくらった!インチキくさい拡散熱線めっ、町を消し飛ばしたアレと、おんなじ強度ときたもんだ……っ。
「お、嬢……」
いきてるか?どこにいる?声が、うまく出やがらない。これじゃ"唱え"も利かない役立たず、どころか、今いる場所からぴくりとも動けない。起き上がれない。どうしたってんだ俺の体……!
ここで死ぬのかも、しれないな。立ち上がりたくても立てなくなったら、生き物ってな死ぬもんだ。神サマ、これが聴こえてるか?代わりに、仲間に謝っといてくれ。俺は分担を放棄したんだ。魔物の波に乗り、掠める熱線に怯えながら、魔女と踊るのは、流石の俺でもきつかった。ただ、強がりが嫌でも性分だから、『立て直すわよ』ってメイウーが迎えに飛び入った時は、トンビにさらわれる油揚げになりながら、内心だいぶほっと、しれっと言い返したんだ。
『どこからどう手を付けるってんだ!?ていうか持ち場はどうしたのっ』
『全域がアレの射程なのよ、持ち場もへったくれもないじゃない!』
共犯がいてそりゃ安心したよ。受け持ちを倒したんなら倒したって、メイウーが言わないはずがないもの。
『一理あるっ。なら俺らでやろう。誰かが引きつけないと、あの《"ビッグレッド"》を!』
『どこの言葉?ぶさいくな響きね!』
『ともかくあだ名さ!竜に見立てちゃ、礼も失するかなって!』
『ふふ、そうよ!ぴったりだわ!』
この時にもう、メイウーは深手を負ってた。覚えてる。振り落とされないよう腰に腕をまわしたら、べっとり血のりが生暖かった。限界だったんだよ、とっくに。俺は俺で、アナンを相手にリソースを消耗し過ぎてた。湖底に散りばめた"心核"も、くたびれて当分使えやしない。だってどれだけ酷使した。初期偵察に、使徒らの居場所の特定に、詠唱合戦、領域外の対抗戦……それで手札がなくなった。万策尽きたんだ。後悔だったら、尽きないな。ごめん、メイウー。"楔"でガブりといけてたら、ダミアンサンになんら枷をつけて、君は死なさずに済んだかもしれない。余計なお世話よ!って、死んだ長耳を前にして……涙を流してくれたかもしれない。ああ、起きたばっかのはずなのに、またねむたくなってきた――。
「しっかりなさい!ちょっと、テキセン!」
メイウー?あの世から、メイウーの声がする……それか、似せた悪魔の仕業かも。どっちでもいいや、死に時だもの。
「待ってなさい、いま助けるから。動かないで……」
動きたくても、動けないんだな、これが。だけどそっちにはすぐ行くよ……。
「この声は聴こえてるのね?」
聴こえてるよー。聴こえてるから、あと五分、ねかせて――あ……?ふしぎ、なにかが楽になった、かも。のどのつかえとか、すこしよくなった。
「これでどう、喋れそう?」
「ぅァ……」
喋れないな。まだ死ぬ寸前、それか生後まもなくってとこ。
「毒のせいね。間に合いなさいよ、私には効いたんだから……っ」
ぼやぁっと見える。ぼろぼろでもかわいらしいメイウーか――メイウーにそっくりの天使か悪魔が、手にしているのは、オレンジ頭でぶっとい注射器だ。中身は、王国製の"蘇り薬"。低血圧によく効くらしい、
「ぜっ!?」
この星で死人は蘇らない。だから「蘇り」は正味、おおげさだけど。
「っは~!目ぇ覚めた……!」
生をかみしめ、半身を起こしてみる――うげぇ、気持ち悪い!首から滑り落ちたんだ、メイウーに斬り刻まれてタコの切り身みたいになった、冒涜的な形状の触手がさ!吸盤には毒の刺つきときた。全身まきついて、俺を絞め殺すつもりだったらしい。ぜんぶこいつのせいだったのか。なんだよくそ、脅かしやがって!
「よかった」
メイウーが素直。めずらしい。おめめをうるうるさせてるのも、めずらしい。すごくキスをしてやりたいが、彼女が俺基準でお子様のうちは、手を出さないって己に誓ってる。
「お嬢も、無事だったの」
「ふん、どこで育ったと思ってるの?紛いの息吹になんか、負けないわ。落とされはしたけれど」
つまり俺がいなけりゃ、頬にすす汚れもつかなかったってこと?
「悪い、だいぶ足引っ張ったね。じゃ怪我は……お腹の出血は?」
「お腹?平気よ。あなたが"血止め"を行使したんでしょ」
「そうだっけ……?そうだったかも?」
「少し休みなさい、無闇に動かないで。触手も危ないわ。どこに埋まってるかわからない」
なるほど、頭を打ったら安静に。いろいろまだ、混乱してるらしい。それか"蘇り薬"の副作用だ。とんでもないもんばっかり、あたりに見える。数百メルむこうじゃ、"ビッグレッド"が"穴"から全身をのそり出し切ったところだし。
「なんてこった、"光の騎士"がいる……」
「ええ、あの坊やね」
「違う。いや、違わないんだけど――」
飛びながら傍目に見た輝きで、坊やだろうとは思ったよ。メイウーが見てる、南の方のは。
「そっちじゃないんだ」「え?」
北を見て、俺は言ったんだ。"ビッグレッド"の足元だ。
「もう、ひとり……?」
メイウーにも確かに見えてるらしい。霞を晴らすあの光。まるでまともじゃないこの場所で、俺らがまだ、まともでいられてるなら、の話だけど。
「ああ。この戦場には、光の騎士が、二人いる」
ただいま戻りました。(24/12/27)
改稿に集中しています。筆者存命の限り、更新はいずれ必ず行います。誓って。(24/01/02)




