76.混戦
十六秒。三つの"影"と対峙したヴィクトルが、うち一影を叩き斬るまでに要した時間だ。許されるだけの観察も済ませている。
――統手の遺骸が見当たらん。
霞が濃い。穴の全周を目視すべく、更に前へ。既に眼前ではある。ゆえ、"影の傀儡"が阻もうとする。よほどの巨悪を蓄えるらしい。穴ひとつにつき、守る影ひとつ。とは、もはや古びた常識である。ヴィクトルは囚われていない、ゆえ、驚きもしない。"巨人"と"胸部鎧"が、のこり二影の示す徴、それぞれ熾烈剣士と守護剣士だ。
――時間稼ぎに方策を変じた?即席の連携ではあるまい。
"影"は、複雑な戦法を苦手とするのが本来。可能にしているこの二影、かつてずば抜けた英傑と知れる。ともに死線を潜った仲なのだろう、とは、寂寥にも撃剣弛ませぬヴィクトルだ。迫れば退かれ、進めば阻まれ、隙という隙を見出せなくなり、二進一退を強いられている。明々白々、数的不利で――あちらは影、俺は形だ――侮りと自信はちがう。押し進む。畏敬はあって、囚われていない。
――いずれ或いはゆく道か……。
"刹那"を見る者同士の戦いは往々、長引くもので、考えもする。偉大な軌跡にすら終着や見えり、戦いに絶対などない。潰えるか、実りなどあるのか。
――ふん。弱気だな、俺とした事が。
ここがこの星の最前線。万夫を跪かせる重圧があって、ヴィクトルはやはり、囚われていない。戦況を俯瞰する。
――時間は敵方の味方。目前の決着はそう簡単につかん。加えて、これは……。
芳しくない。穴外周をなぞりはじめ、再認識した。その巨大さを。そしてその不自然さを。
――侵攻の小康状態が、今?まさか。この大きさで?
不気味が過ぎる。ここまで"尖兵"とは出くわしていない。使徒と"影"だけだ。ただでさえ経験にない。"穴"は、人の目につきはじめて目覚める。目覚めれば、"集団暴走"もかくやの魔物を吐き出す。その地獄の釜口、実に直径二十メル超。蓄えている"悪心"を、隠し通したならたくらみだ。
「む!」
"必殺剣"が必要だった。深淵を覗く時、内側にびっしり張りついて潜む"蛭頭"を認めた。金切り声が無数に上がる、歓喜している。ヴィクトルはすべてを間に合わせる。守護剣技にて"影"らを固め、大きく飛び退く、適宜待つ、刃を収め、ふたたび抜く。押し寄せるのを、薙ぎ払っている。
――稚拙な罠だ、と嘲るには早かろう。
待ち伏せには伏兵、踏み入ったのがヴィクトル自身、これで終わりとは到底、考えていない。剣気を免れた"蛭頭"らを、片手間に熨しつつ本命を知る。"影"らが距離をはかるのは、必殺剣にあてられたからではない、戦いの「核」を期するからだ。「彼」は、"蛭頭"に次いで穴から飛び出で、撃ち入ってきた。"烈火"の刃が鳴り散らす。守護剣技が通り辛い、"免疫"を持つ高位の剣士だ。二、三合あって膠着、ともに後退、仕切りなおす。"影"と並んだのは"生木の構え"、華々しく振るわれたが"五花"の剣筋。剣才に富む英雄の背を、追って成った騎士ヴィクトルであるから、「彼」の剣技を目にするこの折が、同じ側でないのを悔やむのだ。其の者の徴、生前と同じく、濃い髭に、只人なりの偉丈、翻すのに青い外套。
――二度目か、これで……。
悪趣味がゆえに悪心だ。死者の冒涜、その再利用。誰何を立てるまでもなかった。
「貴殿の名はしかと記憶している」
"骸の傀儡"は、あちらへとらわれた亡骸から為る。生きざま、力の反映を、"影"が五分なら"骸"は八分から。虚ろな目のほか、かつての形を良くも悪くも保つ。
「シェリフマック・ドールラン」
難敵だ。言わずもがなに。
――聞き及んでいた可能性にせよ……残念だ。
どの道、斃すが手向けになる。ヴィクトルは何も囚われていない。これより戦況、一対三。添え物に、有象無象の果ての魔物。想定以上は想定していた。
――急けば隙だと付け込まれるな。
長期戦になる。問題はない、ヴィクトル・サンドバーンにとっては。斬り抜ける、ひとりだろうと。しかし耐え得るか、騎士を今かと待つ仲間たちが。なにより。
――これで終わってくれるものか……?
この世の夜の、もっとも深みを斬り晴らしにきた、覚悟と懸念は別々だ。疾うにはじまりこの戦い、さて、終わりはいつ訪れる。
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同情の余地があった。ラシェリー・ファミラマバーチにまつわる過去が、騎士長ダコックの剣に一塵の躊躇いも生み出さずにいられたか。否である。対峙するその女剣士が、
「やさしいのね」
と、皮肉めいてわらうとき。
「まさか」
と、ダコックは強がるしかなかった。力量差から決着して然るべき時間が、既に経っていた。両者、良くも悪くもの健在である。
ダコック・アッカン・シュワルコッヘは、家名への推しはかりなく実力で、騎士団長の座に辿り着いたと自負している。真実である。『シュワルコフがこの地で実権を取り戻しに来た』などと、面倒な政治好みが吹きたてる風評を押しのけ、実直に任をまっとうしてきた。
街道を脅かし、西の大山に潜む賊団の、討伐指揮を執ったことがある。女を輪姦し、子どもを焼き殺すような悪党を、斬って捨てたことがある。大義名分があった。今とてあるはず。この地の危機だ。この星の危機だ。
だが同情の余地もあった。受け持つ相手の女には。顔に火傷の痕がある。徴が身元を導いた。炎からの生還に、高度な医療を――王国の力を必要とした。だから詳細が残っている。診療記録は半ばで途絶え、手配書の資料がもはや分厚い。罪状。一件の殺害及び、二件の傷害容疑。被害者は全て男、みなして性器を切り取られていた。殺しの方は、焼殺だ。公国で提供される医療の限度では、元の身体はかえらぬと、患者が知った後になる。
さて、いかな背景を拾えるだろう。あるいは推察できる。復讐だった、と。
黒髪と美貌に、すこし剣の腕のたつ田舎娘が、夢と希望に満ちて都会へ繰り出し、冒険者一党を探すどこかで、だまされ、薬をふくまれ、弄ばれた。よくある悪い話なのだ。彼女を騙した悪党どもが、どうしようもなく卑劣で腰抜けだったのが、悪い話をいっそう悪しくする。
公国の防火法は厳しい。縦長の集合住宅を密集させるシュワルコフ領ではとくに。小火ですむなら鞭打ちで、一棟焼けば断首も有り得る。だから――腰抜けどもは大胆な過ちを重ねた。
蛮行にふける。
油皿をぶちまける。
燭台を転ばす。
火が、燃え広がる。
そのとき、彼女は置き去りにされた。縛られたままで。三人がいて、誰も、誰もだ、ほどかなかった。火の出所を語れるからだ。しかし彼女は生き延びた。災難は続く。
意識のない間に、濡れ衣を着せられかけたことにせよ。下手人が、タチの悪い有力者の親縁だったことにせよ。真実が語られた後にも、主犯格の諸々に対する供述「わざとでない」が、ついにまかり通ったことにせよ。悪人に下されたのが、鞭打ちより遥かにやさしい罰だったことにせよ。
公国にとて法はある。だが機能しないのなら、民はどう救われたらいい。誰も是正しないでいたこの世の歪みこそ、新前冒険者ラシェリーを殺し、悪心の使徒ラシェリーを生んだ訳だ。訳なのだろう――愚鈍な男では、騎士長の座になど就けはしない。
ダコックは思っている。
彼女は、どうにかして守られるべき存在だったはずだ。斬って捨てるべきなのは、今日の彼女をつくった何某だけだったはずだ。少なくとも、こうなるよりずっとずっと前に。復讐がため、足りない力を悪心に借りて、彼女はもはや、後戻りができない。統括騎士なら容赦なく刎ねるだろう、その焼かれて爛れた首筋を、情状酌量を下して守れる最後の砦が――なんと傲慢な自負だろうか――よりにもよって――私の剣だ。
ダコックには躊躇いがある。
無力化を、命までとらず、なんとか図ろう。
など、困難を試みるからだ。困難、とは、ほとんど望めないほど難しい、という意味だ。相手は、新前冒険者ではなく悪心の使徒、もはや正騎士も顔負けの熾烈剣士である。真に悪しきを見過ごしてきた、誰かの罪の贖いを、一身引き受け肩代わるには、もっと、圧倒的な力が必要だ。騎士長ダコックには実力がある。しかし「圧倒的」には、とてもたりない。
「その気もないなら、あなた、退くか死ぬかよ」
「いいや、この気で本気だ。本気だったとも」
でなくば、共に戦線を支える仲間に、部下に、示しがつかない。"霞"へ踏み入り、はじまりもはじまりに志高く抱いた、「肌で感じるこの枷の重たさを、若き見習いたちに伝えねば」とも、ここで朽ちればどこへも繋がらない。
「退く気も死ぬ気も見当たらない。みすみす君を逃す気もない」
結果が伴わないのなら、何を唱えども言い訳だ。ダコックは剣柄を握りなおしている。決心までに長かった。女の首を、刎ねるつもりだ。
「そう……だけれど、これならどう?」
時間を使い過ぎたのだ。と、ダコックに悟らせたのは、ラシェリーが退くか死ぬかと憐れんだときだ。悪心が、迷いにつけこまぬはずがない。まさに駆けつけた伝令騎兵が、"霧晴鐘"――青銅製の手持ち鐘――をかき鳴らしていた。
「"尖兵"来たる!"尖兵"来たる!"尖兵"来たる!」
ただ木っ端"尖兵"だけであれば、「その気」の騎士長の剣は、爛れた首にまだ届き得る。だから女は、これならどうかと、やはり憐れむのだ。
ダコックは、二振りの剣を相手取ることになった。霞の奥から訪れたあらたな敵が、一振りを増やした。良くも悪くも、使徒ではなかった。
――ナロトステ。
この大戦に先駆けて、命を投じた者の名前だ。"骸の傀儡"は、生前の形を保つからより悪い。正騎士ナロトステは、ダコックにとって、敬い合った戦友だ。奪われ帰らぬ、怒りと悲しみ。ないまぜ、苦境を強いられる。今更だろうと、気を引き締めるべきだ。悪心が、迷いにつけこまぬはずがない。
「あなた、もう死ぬだけね」
身の毛もよだつ金切り声が、むこう"霞"を裂いていた。"尖兵"らが押し寄せるのは、更にこれからだ。
混戦と相成った。推定「第一波」、散発的な"蛭頭"を捌きながら、ダコック、ボルドヴェン、ダルタニエンの三人は、使徒と"骸"を相手にしている。長く補いあってきた、あるいは、補いあえてきた背中に隙もできる。共闘とはなにも、隣の死合いに加勢できるかが問題ではない。仮初めだろうが、安全地帯をつくりだすのが肝心だ。ひとりに対して、ひとりを拘束、味方に自由を担保する。これが、混戦のさなかでは、うまくできない。
「ぬぅッ!」
ボルドヴェンの背面を、槍手マテウがついに穿った。ダルタニエンは、ラシェリーと"蛭頭"に分断されている。ダコックがナロトステを押しのけ、禿頭の巨人イーベンバウルの剣に割り込んだ。ボルドヴェンが挟撃されかねなかったからだ。もはや「受け持ち」など、悠長さはない。
「これしきっ」
筆頭準騎士ボルドヴェンは巨人種。体格と膂力に生来恵まれ、日常の温厚さと似つかぬ、押しつける戦いを選べる性が、鷲爪西端騎士団でも随一、恐れられている。準騎士を未だ肩書くのは、その熾烈剣技がまだ途上にあるからで、しかし、すなわち無能を意味していない。ダコックが視線で合図する。ボルドヴェンは顰め面を傾げて応える。
――止血術は施せそうか。
――少々、厳しいですな……!
ボルドヴェンがマテウの槍を払ったら、ダコックが気張りを見せて引きつけた。巨人種の相手はできるだけ巨人種がするべきだと、道中、口酸っぱく語ったのは他ならぬボルドヴェンだ。傷を塞ぐ暇とてないが、イーベンバウルを捨て置けない。鍔迫りあっている。
"ベン"という呼び名で知られるらしい。イーベンバウル・レブセブルには、ドラッドネルト域で暴行の犯罪歴がある。ほかは、多く明らかでない。悪心の威を借りて今、「巨人種だから」ではとても解決しない、並外れた剣撃を荒々しく押しつけてくる。
「ぐッ……」
先ほどにボルドヴェンを貫いたのは三叉の槍だ。深い傷口の数も三つ。闘気で頑健さを保てども、力めば出血増すばかり。巨人と巨人の戦いである。かたや殺意の滾った剣である。
――弱った……っ!
すばしこい小柄の戦いに見慣れているなら、二メル五十を誇る巨体たちの挙動には、やや鈍重さすらを覚えるだろう。実際のこれに、遅さ、など、まったく存在しない。一撃、二撃、三撃、四撃、傷を抱えている方が、凌ぐに押されて窮地も道理だ。しかも、真横に迫る二、三の"蛭頭"にまで気がついて、ボルドヴェンにはもう、まるで手が出ない。そのとき。彼は救いに来た。見目、とても、すばしこい。
"霞"を裂いたが深紅の閃光、イーベンバウルの剣に巻きついた。光の主は踵で泥を滑っている、拘束を解き放ち、飛んで身軽だ。"蛭頭"に降り立つ、たちまち一突き、二払い。駆け抜けた。マテウの槍を押しのけ、ラシェリーの足首に"煌策"を絡め転ばした。ながらに、断ち斬った"蛭頭"が更に二頭。ナロトステの懐でひとつ受け流し、ふたたび、イーベンバウルに立ちはだかる頃、赤い輝きは消え失せていた。七秒の展開が、ゼンの"煌策"の限界だった。
「ヴィクトルは!」
皆が「まだ!」と答えた。声で、視線で。
「そうっ……」
"尖兵"出現を見計らってゼンは、主戦場へ導いてくれと、鐘鳴らす騎兵を頼ったのだ。混戦に、立て直す時間をまさに提供した。ボルドヴェンは傷を塞げた。ダコックとダルタニエンが、付近の"蛭頭"を一掃できた。ただし純粋な加勢とは、いかなかった。
「トンズラこいてんじゃあねェーぞッ!」
"狂犬"である。"霞"を破り泥を蹴り、突き進んでくる。フィルデーはもう逃げない、と確信できたから、ゼンは戦場を変えられたのだ。決着はなにもついていない。視線が交錯する。
「次の"波"がすぐに来ます!大きいです!」ゼン・イージスにはわかった。「人は僕が!みんなは魔物を!」
ぎょっ、ともしよう提案だ。使徒四つと"骸"一つを、ひとりですべて相手取ろう、と主張するのが少年だ。
「ナロトステは、せめて私がっ」
せめてもに過ぎる。それでもとダコックは叫んだ。戦況はほぼ、談じた通りになるだろう。なにせ。
「そのムカつくガキから殺せぇぇぇッ!」
悪しき執心を、ゼンは存分に買っている。
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死闘を越えて戦士は育つ。実戦を越える糧はない。ゼンの"守護剣"は混戦、ここで花開く。観察と見よう見まねが、根っから得意だった。試行、失敗、問題の発見、学習、試行を、繰り返してきた土壌があった。"自分"とさんざ対話し培った習慣、いわば第二の天性だ。
――何かを守りながら、たくさんと戦うのは難しい。自分ひとりを守るのだって、難しかった。
常識を、覆す背を未だ追っている。何故なら、まだまだ五分咲きだ。
『我、専守の心得にて待つ故に攻め手を確と退けん』
黎明期の守護剣士たちは、戦へ臨むにあたって、その題目を欠かさず唱えたという。だからゼンも倣った、呟いた。きっと正しく験を担げた。
もし、相手取る刃が四つを上回ろうと、下回ろうと、ゼンは自ら仕掛けなかった。はじめは、ただ待つ。とにかく待つ。堪え堪えて、動かない。これで良い。これは強い。先制を許すこと――"虚"を生み出すため、守護剣士に要求される行動様式だ。では、何を以て「先制」を解釈するのか。
――境界線を、ヴィクトルは教えたがらなかった。
だから、つくりあげる必要があった。自分のやり方を、見つけだす必要があった。導いたひとつに、不動、これは強い。間違いなく、守護剣の発動条件を満たすらしいのだから。まさしく初撃はそのよう往なした。青筋立てたフィルデーは、飢えた野犬より単純だ。毒を盛られた皿と知りながら、貪りつかずにいられない。食らいつくのを待ちに待ち、紙一重で迎撃、"虚"を植え付けた。先の一対一で披露したより、だいぶ、かたく固めてみせた。ならば続くだろう混戦では如何に。いつまでも都合よく不動を貫けるほど、戦場に幸運の蜜は降ってくれない。
――大丈夫。動いてたって、同じくらいに上手くできる。してみせる。だって、ヴィクトルにはできた。
あわせた背中が、ゼンにとって解釈の祖型だ。踏むとき、退くとき、"構え"をとるとき、総じて「先制」が曖昧であれ、守護剣は、自在に振るえて良いはずなのだ。実際、ゼンはうまくやった。あの日の師ほど巧くはないが。"第三花"に触れ、満ちて欠けた月わずか一つずつ、始祖オルダも驚かす早咲きだ。俗に言うなれば、天才的だ。イーベンバウルを放心させた。マテウを硬直させた。ラシェリーにたたらを踏ませた。使い分けすら、うまくできていた――。
"守護剣"には三種の"毒"がある。心・技・体のそれぞれに基づいて、三種だ。刃がふれあうその時に、剣気を通じて"毒"は流れ込む。あとは強さ比べだ。"虚"の形に結果は現る。心で勝るならば放心、技で勝るならば硬直、体で勝るならば後退を強いる。効果の次第は、彼我の差の次第。どれも互角なら"毒"は通じない。また、食らわす"毒"の総量が増せば、受け手に耐性を宿し得る。"虚"をうまく逃れる手練れの戦士を、"免疫"がある、とあらわして、しばしの守護剣士たちは恐れるものだ。
ふまえ、十の道場を渡り歩いても学べぬ秘技を、ゼンはこの戦いで発揮した。すなわち、"免疫"の回避、そして、貫通だ。"毒"の種類を、意図的に使い分ける。または、一本に絞ることで、より強力な"毒"とし、送り込む。これは強い。
守護剣に盛んな公国においてさえ当代、この技を教示できる人材は稀である。対人守護剣技への過信がもたらす、陰ながらの衰勢、その弊害だと、事実をみつめ危機感を覚えている人材は、やはり稀である。かつての「基礎」は「秘技」となり、"教え手の資格"を持つ者は、一縷を、除けば絶えて久しい。具体、ダンコヨーテの大騎士アールヌイ・ドヴァーケンが没した後ともなれば、かの門下にて最も勤勉に守護剣を磨いた、ヴィクトル・サンドバーン、ただ一人だ。さて、努力ありきの幸運やここに。ゼンがこの星でただ一人知る、守護剣技の手本人は、界隈に、当代最高の守護剣士、と秘かに誉めそやされて――当人以外に――憚りない。
――僕の"毒"が通るのは三回に二回。巨人と「体」で勝負しちゃダメだ。槍手に「技」はまだ通じてる。女剣士には「技」より「体」であたろう。フィルデーには「心」を強く持たないと。
小さき獅子の奮迅と、謳えば後世、詩人はよろこぶ。現実は、泥と傷に塗れるばかりの戦いだった。なにせ刃の数が三つから違う。転ばせば転んだし、斬らば自らも血を流した。致命をなんとか避け続け、危機を守護剣技で盛り返す、これを繰り返す。防戦もほぼ一方に、独力の勝ち筋など端から求めていない。耐える。ひたすら耐えるだけだ。
「イキりやがって!まぐれの曲芸でッ」
死闘もどこか、的を得ている遠吠えだった。ゼンこそ、なにより自覚している。いま行うのは、ヴィクトルのほとんど模倣であって――僕はヴィクトルになりきれない――仮にどれほどか並べたとしよう、形は必ず違うものだ。身の肉が全てこそげてしまわぬ間に、仲間が加勢に戻るのを、ひたすら信じて、待つ、だけだ。
第二波"尖兵"には、新顔がふたつ加わっていた。おもだって食い止めるダルタニエンとボルドヴェンに、難儀を余儀なくさせている。
二分の一、赤く爛れた肌の"人面犬"。疾い。多い。人語を発し、とくに「助けて」と鳴く。噛みついてくる。首を刎ねれば死ぬ。まだやさしい。
もう二分の一、これは端的に名状し難い。たとえば緩歩動物――長命虫であるとか――を模した芋虫、ただし、とんでもなく巨体である。橙巨牛も凌ぐほど。全身、黒ずんだ肌色で、人状の腕そして脚を無数に生やす。おぎゃあおぎゃあ、と、人の赤子のように泣く。すぼめた口から飛ばす吐物は、あまりの異臭に催涙効果と、泥をも溶かすたちで危うい。動きは、のろい。数、かぞえるほど。ただ厄介、意外にも堅い。更に厄介、ようやく両断せりと思えば、分裂し、大きさを半減、個体を増やす。そして、おぎゃあ、と二倍で泣き喚く。
混沌があった。もはや退けずに、すこしでも加勢をと、剣を抜いた伝令騎兵らが、馬をやられては斃れていった。騎兵長ホルツもこのとき死んだ。悪心の放縦に、戦士たちはよく抗ったが、生き残れたのは名を立たす四人だけだった。
"蛭頭"が叫ぶ。"人面犬"が鳴く。"赤子"が泣く。気を滅入らせる。勢い止むこと、"波"は知らない。
阿鼻叫喚も絶頂かというとき、かたや、一対四を耐え抜く少年が、起こりうる最も下振れで、窮地にいよいよ陥ったとき――つまり、守護剣技で誰も固められなかったとき――決断を見せたのが、ダコックだった。ナロトステの"骸"を、押しのけている。刃を鞘に収めている。一連こなしつつ、口走っている。
『此の身命を賭して前敵屠る一刀をここにッ!』
第一花"必殺剣"にも、題目はある。興りの覚悟を示している――これを抜く時は、死ぬ時だ、と。千年に渡り、剣士の概念が強度を増して当代、幸い、その一振り程度で死など強いられない。とはいえ、対価の消耗は甚だしい。膝をついてさえ中等で、立ち姿のまま息も絶え絶えなら上等だ。ダコックは特等にあたる。抜き放っている。
扇状に放出された強大な剣気が、戦場の"霞"を斬り晴らしてゆく。射程七十余メル。団長級に恥じない手並み。見渡すかぎりの"尖兵"が両断され、死ぬ個体は死ぬ、そうでなくとも足を止める。ナロトステの"骸"も固まっていた。刃で剣気を受けはして、たちまち流すには相応の力が要るものだ。生前ならあるいはもっと容易に。しかし"骸"だ。隙とみてダコックは"疾風"で攻め入った。冴えわたった早業である。ナロトステは間一髪、束縛から抜け出し、受けた。かつては正騎士、その矜持にも思えた。ゆえに。
――すまない。
ダコックはつい謝った。帰らぬ友に対し。正々堂々たる決着を、この混戦では望めそうにない。ナロトステの首は、ボルドヴェンがとっていた。"骸"は灰となり崩れ落ちた。
手が空いたのはダルタニエンも同じくだ。ゼンの背中を助けに割り込んでいる。間に合った。立ち向かう者たちに楽観が一抹、過ぎった。誰の、と取り立てず、総体としてこうだ。
――"尖兵"が勢いを失している、今から数えるほどの間にも、状況をきっと好く転ばせる。守護剣を咲かすゼンが揮えば、四対四にも勝機が輝くだろうから。できる。できるはずだ。時を稼ぎ統括騎士を頼る策は、この"波"の調子では厳しい。ならば急ごう、決着を。
「ははははっ、馬鹿どもが!なんもかも遅ぇっての!」
見透かすかに、わらったフィルデー。たしかに。決死の思いと血で埋め合わせた時間は、いったい、何の味方をしていた。
「昼寝は済んだろ!?そろそろ起きやがれっ、ムゼルドット・サラザーリ!」
"穴"へ。蝟集する邪悪な力を、見過ごせる者はいなかった。真夏に、悪寒が背筋を吹き抜ける。"霞"でどちらとつかぬのに、全ての視線はその方を捉えた。北だ。立ち向かう者も、世に憚られる者も、ひとしく、戦う手を止めていた。
「オアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
世界が激震する。"霞"が吹き飛ぶ。半キロル遠くに全影を見る。それでいて大きい。赤黒い。"清涼なる湖畔の町"には、紛いの悪神が現れた。質が違った。神。その威容がある。くくりで言わば"統手"たちは、土地によって形を変える。一例。
「巨、竜……?」
愕然と騎士長の漏らしたがまさしく、竜、と解釈できるだろう。太く有腕。ところどころが腐れている。窮屈に"穴"からよじり出す四枚の翼など、ぼどぼど溶けては再生を辿る。
「あはッ、デカすぎてつっかえてやがる!」
"穴"が此度も枷となり「竜」は全身を持ちだせていない。悪心がなお嬉々とする訳が、巨大さだ。枷の直径を鑑みて、百メル級はくだらない。
出来事とは重なるものだった。戦場の"霞"がうすれたことで一同、見えぬはずのものが見え、聴こえぬはずのものを聴く。たとえばそれは。
三百メルむこうの暗闇で、瞬いている虹の光彩――精霊矢の炸裂だ。
より手前には"蛭頭"の奇声――第三波は予期するより近い。
"霧晴鐘"が、東方を北へ駆け抜けている――伝令騎兵の生き残りだ。鐘をかき鳴らすなら、一大事の伝達だ。
「"城門"窮す!"城門"窮す!」
騎兵の数は多くなく、既にほとんどが無事でない。だから。と、死地へ飛び出せるならば彼も、英雄と呼ばれ然るべきだ。青ざめた顔に決意を漲らせ、障泥を蹴るのは若きラパフェン。目掛くだろうは、騎士サンドバーン。"波"に隔たれているにも関わらず、制動をかけない、突っ切る気概だ。
――道が欲しそうだな?開けてやるよ!
聴こえたか。ゼンには聴こえた。救いに似せり、悪趣味がゆえに悪心が、にたり、わらうから、やめろ、と口にして抗った。何も無駄だった。刹那にほんの予兆。力の集約が「竜」の顎にあった。大きく開かれている。鐘の音をまさに向いている。
「ロオオオオオォォォォアアアアアア!」
熱線、極太に射出されている。禍々しく混濁した赤で、戦場を貫き、塗り替えた。"波"の一角が霧散した。湖底の泥が霧散した。ラパフェンと軍馬が霧散した。はるか後方で、朽ちかけた町並みが霧散した。
誰が防げた。誰も防げなかった。ただ一人、能うだろうか対魔守護剣技を備えた名うての騎士は、あの「竜」の足元にいるはずだった。防がなかった。あるいは、防げなかった。"霞"はすべて晴れた訳ではなかった。真実はわからない。わからないとは、どうしてこうも恐ろしい。
「終わりだっつー訳!わかんだろ?」
フィルデーはもう、手を下さなかった。「竜」が一息つくこの合間が、立ち向かう者の余命なのだと悟らせた。咆哮と破壊に気をとられても、時は止まってくれていない。あたり第三波で溢れかえって、また混戦だ。芳しくない、どころではない。ほとんど、埋もれるありさまだった。死骸。死骸でない種々の"尖兵"。押し返したとも、戦士たちは。ただ、背を補いあう余裕はとてもなかった。
「うぅッ……!」
ダルタニエンが脚を焼かれた。細切れの末路に、赤子大になった"赤子"の仕業だ。足元に氾濫していた。振り払う。隙ができる。脇腹に、マテウから"突"を見舞われつつある。防げる者は、仲間の三人にいないはずだった。だが剣戟は鳴った。"突"は何をも傷つけなかった。阻むのに突如現れたのは、二振りの短剣であった。
「さ、サルヴァ~!」
「おー」
飄々と生返事。救い手の名を、サルヴァトレス・ドルトルという。フィルデーの顔面は、上機嫌から不快一色へ。
「雑魚が今更ッ、何になる!」
「ははァッ!ごもっともだぜクソガキが!」
一理ある、と当人がまさに高笑い。男、肩書くには"料理番"。知れ渡る戦士としての腕前、およそ専心級。"英雄"、にはとても及ばない。もっとも。混戦のただ中、胡散臭い風貌が不意に現るまでに、はたして、敵味方ひとりでもその存在と接近を察知できていたか。まったく否だ。大食いのダチの腹を守る選択をせねば、クソガキの首を掻っ切るくらいは、もしやできたかもしれないが――ひとまざ勘弁しといてやらぁ。
「だがよ、目ン玉ひんむいてよォーく見とけ。あの光を――」
南だ。後ろだ。炎だ。縦に。極太に。それは立ち昇るようにも、振り下ろされるようにも見える。瞬いた。動いた。混戦のふちをなぞり、焼き尽くす。"蛭頭"の奇声がやんでゆく。"人面犬"の鳴き声がやんでゆく。"赤子"の泣き声がやんでゆく。混沌を、滅せるその大火の名を、
『焦熱燬然す螺旋の光鎚』
といった。
唱えはどこにも不要で、しかし、主を間近に必要とする。
「誰が運んだと思ってやがる?」




