75.森の番人
「騎士サンはさー、どうして騎士になったんだい?」
悪霞を晴らす、大声。およそ愚行だ。先手を打ちたければお好きにどうぞとばかり、テキセンは、おびえを見せない。
「俺がやらねば、誰がやる。思ったまでだ」
おや意外、応えがあった。状況の割には穏やかに、強く、ヴィクトル。
「今も?」
「今こそ」
即答。吐き気も催す邪悪の中を、弓手と剣士は歩んでいる。ふたりには、そこそこの距離がある。
「ははぁ、《疾風に人は勁草を知る》ってやつだね!」
「……何?」
「俺の……お国の言いまわしだよ。根っこが騎士なら、地獄に生えども騎士ってトコかな?善王になったらしいぜ、最初に唱えた人は」
「統べ手が所望か、強さの先に」
「まっさかぁ!趣味じゃないね、時代遅れだし。それにさ、俺より前に同じを唱えた人がいるんだ。さぁ誰でしょう!」
「…………」
「騎士サンだ!覚えてない?」
「……そうだったか」
「そうだったとも!」
戦いの自分を研ぎ澄まし、戦士の時間を刻み続けるなら、ヴィクトルにとって昨日も昨年とさほど変わらない。みなを鼓舞するどこか、別の形で言ったやも知れない。不思議はない。どれほど経とうと、悪心はびころうと、芯は、たしかに変わっていない。
「ふん……」
「あっ!今のはご機嫌な『ふんっ』?それとも、その逆?」
お調子者をだまらせるのを、騎士が諦めた結果と、現状を理解してもよい。もしくは、包囲を解散し、隠密が必要なくなった事実を顧みるかだ。全ての使徒を見つけ終え、最後のひとりへ、向かっている。
「……如何な因果か。巨悪と遭うたび、賑やかなのとも巡り会う」
「ふふ、陰陽ってわかるかな?騎士サンはきっと相性がいいんだよ、ウルサイのと」
「……ふん」
「なるほど、ご機嫌ナナメな『ふんっ』は今のだ」
ふたりの距離は、いささか縮まっていて――わざわざ互いを守り合うほどの距離感でもなかった。
黒い光弾、他にどう形容できる、無数のそれが矢雨と降り注いだとき、テキセンは精霊弓をすかさず弾いた、ヴィクトルは剣を微動だにしなかった。
爆発があった。爆風が巻き起こった。吹ききれば、無傷の、弓手と剣士が立っていた。
「盾をもつ人」
闇の奥から、濃淡のない女の声。"果ての霞"がゆらぎ、わずかにひらける。現れる。たてた人差し指、それと、目深な被りのローブ姿。
「《きみ一人で行くなら、わたしは止めない》」
たてた人差し指が、女の背後へと傾けられた。示された方には、"穴"がある。女は、穴からやって来た。
「なんて素敵な自己紹介!驚きと親切をどうもありがとう!」テキセンは、皮肉を重ねたがった。(彼女、騎士サンだけなら通してやるってさ。わお!アブナイ罠の匂いなんて全くしないな!)これほど喧しい耳打ちもない。
ヴィクトルはぎろり応じる。我こそ死地へと赴いた仲間に今さら、腹など立ててはいなかった。
「また、任せるぞ」
「また任された!」
「可能な限り、急ぎ戻る」
「ごゆっくり!」
"盾"が、ひとりゆく。何もかも、手筈通りで。
――気味悪いくらいさ。
テキセンは思うのだ。
――はっきりした。彼女らも、これを望んでる。賭けと速攻の多対一じゃなく、確実と遅延の一対一をだ。わかったところで、だけど。
背後に控えた騎兵らは、伝令に出払った。進路は、とうぶん変えられない。必要もない。ヴィクトルの態度が、方針を明確に伝えている。
――見敵必殺、叩き潰す。
"夜烏"とすれ違うのに、肩を掠めんばかり。交戦はなかった。闇の奥へと、騎士は歩み去る。
「やぁやぁ、ふたりっきりらしい!」
おおよそは――と付け加えるかで、テキセンは飲み込んだ。相対三十メルから不動でも、鍔迫り合いは熾烈を極めている。舌戦は、魔術師の勝負に不可分だ。
「気を悪くしないでおくれよ、残した俺をハズレと思ったって……ああ!こっちはちっとも気にしちゃいない!俺のお尻ばっかり狙われたのだって、ぜーんぜん!」
奇襲を、ヴィクトルだけが免れた。"黒い光弾"の強度は、剣士を害するに足りたはずだった。
――主意匠は"消滅"。副次に"空力"的圧衝ってトコかな。摩訶不思議エネルギーを現して飛ばすのは、意外と楽な仕業じゃない。すくない選択肢が、色をのせて可視化する設計思想だ。場の局所的な変調と質量を付加された特異光子に頼る、長耳種のそれが古くてつまり、彼女のアレは"精霊矢"のパクりと見た。だけどさあの黒!イイ趣味してるね!
相性不利に期待値を、魔術師たちは考える。奇襲で「受け」を強いて、撃ち得を演出するのが常套だ。"夜烏"はしなかった。知るからだ。守護剣の名手は、遠隔にもその技を発揮する。
――身体がシビれちゃったら、もっと不利になるもんな~。
敵は、こちら側に詳しい。
――ふん、悔しかないね!こっちだって、むこう側に詳しい!たぶん。そこそこに。
「さぁて。騎士サンの通りがかりに、君の首は飛ばなかった。この意味がわかる?」
「…………」
「見抜いたからさ、その姿がまやかしだって!盾持ちの騎士はちがうね、君らもびびっちゃうワケだ」
洗脳の魔法は当代、だいぶ勝手が難しくなった。しかし、限りなく現実に近い虚構をつくって、本能を騙す術ならば有る。"夜烏"は、これに巧みだ。
――野性的に五感が鋭い子に対して、特に有効で。
無いものを有ると見慣れた魔術師にとっては。
――まるで緻密に描かれた絵画の鑑賞!目を凝らさなきゃ、たまに有無すら見落としちゃう。たまーにね。凝らせば……うん。見つけたよ、その境を。
テキセンは、天に向かって弓引いた。全円方位に百と降り注ぐ、黄金色の"精霊矢"。着弾、爆裂、晴れる霞。盛大に砕け散る音、それは鏡だ。巨大な鏡に、囲まれつつあった。
「これが君なりの具現化か。噂は聞いてるぜ、結界術師アナン」
ローブ姿も、砕け散っている――けれど彼女には届いてるさ、ほら。
「《口先ばかりで踊る道化。きみは、わたしの何をも知れない》」
「わぁー"尊き砂の言葉"だよねやっぱり!弧大陸じゃ激レアだ!あっ、またひとつ、君をわかっちゃったかも?」
「…………」
「帳を裂いて、彼女は再び現るる!被りを払ったなら、おや……夜に溶け込む肌色をしてるね。ステキだよ、と、俺は本心を贈る」
テキセンは、目につく話題をひとつ避けた。アナンの額に浮かび上がる、白い記号についてだ。
――刻まれた「錠」の紋様……隷属の、徴?
アナンと呼ばれるらしい。結界術に長けるらしい。"星降る大地溝"系の、若い女性らしい。
――それだけじゃ、"夜烏"の前身は明るまなかった。もちろん、王国軍の諜報部が全力を尽くし、全ての情報を開示してくれた、と信じたうえでね。
使徒で唯一、完全なる正体不明――だった。今はちょっと違う。
情報戦は、魔術師の勝負に不可分だ。ただ"うつろ語り"を続けるだけの、テキセンではない。可能性は、いくつとなく掴んだ。特にこれ、と見定めたのが――オル・トブ・ツェルの刺客、あるいは師範。完熟した結界術には、どんな才能でも二脱殻、只人には重たい。彼女、若作りがめちゃくちゃ上手いか……老いを克服してる?なら、魔法使いの弟子。現存する、魔女。
いずれの肩書きでも難敵で、テキセンはなんら困らない。探りを入れるのは、あくまで――確かな勝利ってやつを、みんなへ届けるためさ。彼を知り百戦なんとやらってね。
当代、廃れた魔術師対魔術師戦。古き良き、を辿るなら、二種類の戦い方が見つかる。まさに此度の対峙のように。
「俺ばっかり喋りすぎかな?や、君が静かすぎるんだ」
饒舌と寡黙。大別。開くか、秘めるか。一長一短。
「黙るのだって口先勝負の内ではあるけど……不便な選択をしたもんだね。友達だって、なかなか作れないでしょ。ああ、もしもに備えて助言をあげよう!話す時にはさ、ほら、人間味を見せるんだ。死人でも、もうちょっと楽しそうに喋るぜ」
「死人は喋れない。きみも喋れなくなる」
「おおっと!そりゃ、殺してやる、の遠回し?それとも、巡らせ終えたつもりの音響遮断術式の起動句?」
「…………」
「惜しい試みだった!落ち込まなくっていい、枝をつけた俺が上手すぎる」
この星は魔術師にとって盤上で、ありとあらゆるものが駒だ。究極には一挙手一投足、一声の有無にまで意味を宿し、武器と為せる。また、なんの意味を宿さずともよい。則るべき法則が「盤上」ゆえ、ある。"うつろ語り"をされたなら、同業者こそ耳を離せない。考えずにはいられない――いったい何を企んでる!ってね。トラッシュトークは、魔術師のタイマンにとーっても効果的。詠唱合戦が控えるなら、舌の準備体操にもなってお得だ!
「君らの隠し玉がさ、霞の奥にはあるんだろ?薄気味悪い具体がなんなのか、あんまり想像したくはないし……何であれ、騎士サンはぶった斬っちゃうだろうけど」
数的有利に固執せず、統括騎士は前へと行った。敵の都合とも噛み合って――好都合さ、ここに彼は必要ないからねっ!――お調子者は内に叫ぶのに留め、外面では騎士を真似てみせた。
「ふんっ。こちらも遅れはとれまいな……!」
日に万の精霊矢を、テキセンは放てる。この軽く一引きに四十そこらなど、射ったに数えるまでもない。
迎え撃つ黒い光弾は、反応が、明らかに鈍かった。アナンの"印"を結ぶ手つきが、遅れたからだ。爆風、炸裂する虹の光彩。勢いでも白矢が勝る。
「あはっ!翔ぶ矢に今更びっくりだ!うんうん、わかるよ。仕込みのどれもが役に立たないんだから、動揺だってするさ。ええと?認識阻害に、投射物反射に、行動抑制に……その他こまかいあれやこれや、悪いね!ぜーんぶ看破しちゃってる」
ただ"うつろ語り"を続けただけの、テキセンではない。認知外の領域とて、世界は存在する。ここでは主に、"果ての霞"に阻まれた視界の外を言う。駒として用いたのは、泥だったかもしれない、水だったかもしれない、枯れ枝だったかもしれない。すくなくとも、アナンに何かと、掴ませなかった。
「器用なのは認めるケド、剣士相手に選ばないようなショボい小細工は、俺に対しても無駄骨だ……なんて!端から言っても信じないよね?だからさ、散々付き合ったんだ。言うでしょ、"現せば真だと人は執る"。これからも証明するよ!もーっとわかりやすく。泣きを見る前に、よーく断っとく!」
煌々と輝く、白雲の大弓。弦を深く引かれ、番う黄金の矢は、あらわるに雷電を伴った。
「俺は、かーなーりー強い」
偽らず開く、これがテキセンの戦い方。極太の光線が、偽りの夜を射抜かんと翔ける。
見届け人は誰もいなかった。伝令も、尖兵も、この戦場を見つけられなかった。アナンが張り巡らした結界術は、テキセンの"対抗"を以て完全に消滅はせず、果ての霞の性質と合わさって、魔術師と魔術師だけが孤立する、しばしの時間を、不意につくりだした。大局を俯瞰すれば、些細な状況だ。結果も、ふたりの魔術師が生生死死にどう当てはまるかの、四通りで精々だ。
ただ。
損失を被った明らかなものが、ひとつある。
魔術史だ。
しばしで、些細で、精々の、時間にして状況が、誰の目にも触れられないのは、この星の魔術史にとって損失だった。誰かがこの戦いを詳細綿密に、記録しなければならなかった。「如何に」だけではなく「何故」まで、すべて解せる目を通してが、望ましい。星を探して尽くして十も見つかれば僥倖の目だ。あいにく、居合わせずいた。
魔法が魔法と呼ばれて、まだここ千年。"魔法"と、目覚ましく活躍した、大きく派手な戦いは、いくらも見つかる。だが、剣が猛威を振るうより前、「不思議な力」と知られた後、人と人とが、いかに戦ったかの再現は、当代そうそうあらわれてはくれない。
力は、想像に宿り、思考をもって発現する。人が行使したそれ、もしも"星の理"が生まれなければ、「自在法」とでも呼ばれたはずだ。
『無明の闇、わたしがその中から生まれてきた闇夜――』迸る雷電から悟って、アナンの唱えは間に合うだろう。辛うじてしかし"締結"を見る。『かがやいているが、光の外を、光は知らない。闇は全てを抱いている』
ぐにゃり。歪んだ、光線が。飲み込まれてゆく、アナンの胸元へ。まるい闇が、ぽっかり待ち受けていた。あっけなく、大光量は消え失せつつある。
技入り乱れ、記号を重んずる戦いになる。テキセンはここから先、光が必要だと判断した。
『心波の条。羽ばたけ、月光蝶!』
儚い青光りが六つ、ポーチの中から飛び立った。この期に"心核"を攻勢転用しないのは、賭けだ――これで品切れだからね!――使い魔は他にもう呼べない。
"月光蝶"たちが舞う、使い手の周囲をほのかに灯す。その輝く鱗粉は黒い光弾を減衰させ、白矢の一射に自由をもたらす。
応じてアナンは。
『起き上がれ、泥の偶』
湖底から呼び寄せた。ずんぐり泥の図体、股下ほどもなく、鈍くも、ちいさな知性を見せる。三体、四体そこらが交互に、ぼとぼと伸ばした身を挺し、ないし、泥を投げ飛ばして矢を防御する。
すべては、白矢と黒弾が絶えず飛び交う中の出来事だ。双方、距離を保ちつつ、立ち位置を魔術師相応、機敏にかえた。使い魔たちが、主を助けた。戦いの段階が、進んでいた。"ああ言えばこう言う"のが、詠唱合戦。理屈の説明に、簡便な譬えが許されるなら、延々と続く後だし剣盾礫を思えば良い。理解の助けにはたしてなるか、彼か彼女が「有る」と唱えたなら、それは「有る」のだ、心得たらいい。
『光あれ!』
『夜が勝ち誇り、昼はただ恥じ入る』
テキセンが空へと光源を撃ちだし、アナンはこれを"霞"で包み込む。
『見よ、天空を押しわたるあの大いなる灯り!』唱えども、打ち上げた輝きは奮わない、テキセンは一手損じた。
『日の出はきらい。理不尽だから』追い打つアナン。輝きが弾け、霞んで失せる。空は、闇が掌握しきった。
『咲いた咲いたが悪意の花なら、せめて綺麗に刈り取ってやる』
『きみが尊ぶ生を憐れむ。生とは所詮が死の強要』
『どこでそんなに拗らせちゃったのっ。有って物種、統べて鶴亀で――』『檻中の夢に過ぎぬが今生』
唱えを上書きされるテキセン。身体強化の無効化と、一息分の詠唱阻害を食らう。起点だ。致命的だ。趨勢が、ぐっと傾く。
『吹けば弛む結び、其らは、糾合も烏合の衆』
独壇場に、アナンが含ませた属性は「風」。突風が吹き荒び、月光蝶を攫う。羽の一対が揉まれ捥がれて散った。攻勢は止まない。
『飛ぶなれば塵。塵なれば汝また塵へ還るもの』
『石瓶に命泉、弾け滅するに向かう水!』
炎波と水しぶきがぶつかりあった。蒸気が鳴り散らかした。及ばないのは"対抗"側だ。焼かれて落ちる、月光蝶。テキセンに残された光は三つ。
『濁りの波紋。強かに縛れ泥』
『反して現る性に自壊する!』
『凍れ』
水土の親和をアナンは説き、矛盾を見つけてテキセンは突いた――強かな泥など有難い――罠だった。月光蝶がまた失われる。降りかかる泥片は水と土へかえり、ほんの水滴が、触れた羽を凍てつかせていた。
『我が庭先に、この星の関節は外れ、天も地も崩れ去る』
『地無かりせば 天も無かりし……!』
テキセンの"対抗"は苦し紛れだ、足場を保つので精いっぱい。世界に亀裂が入り、岩くれと崩落するのに、抗えない。月光蝶がのまれた。残る光は、ひとつ。
『光食いて食いても飽き足らず、夜な世を統べるは我――』
『鳥なき里の蝙蝠っ』
『支配者には同然』
アナンの足が、地から浮き上がる。妥当だ。限定的な飛行能力を得るに適うだけ、ほぼ全唱に仕込みがあった。夜を規定し、夜を支配し、自らが夜となり、彼女は自由だ。寡黙をあらためた、では正確さに欠く。秘める者が開いたとき、"星の理"は、素性を問わずに味方する。ただその実践だ。短詠唱は一般、早くも脆い。克服するのが、秘める戦い方。ふつう、唱える口はひとつしかない。ゆえ、一言に重みがある方が勝るし、一言の暇に、倍唱えられる者が勝る。なら。
『漆黒を招く晩鐘が打ち鳴る』『まぶたを閉ざす夜よ、闇夜』『影の黒い手先ども、獲物を求めて鎌首もたげよ』
三重詠唱など、強さの押し付けも過ぎる。一口で、三度の唱えが実際、放たれた。効果は、音定位攪乱、視野狭窄、それから――考え、真に受けようものなら術中だ。
『我が言葉に耳を澄ましているな』
「うっ――!」
飲み込まれて終いだった。ふつうの魔術師なら。ほうけた抜け殻となり、膝から崩れ落ち、あとはどうとでも終いの運命を、受け入れるほかなかった。
刹那。
そう、"刹那"だ。"戦士の時間"だ。
テキセン・ガルド=シルヴィンには、"刹那"が見える。
魔術師が「見える」と言ったなら、何を馬鹿な、と星の戦士は嗤う。だからだ。だから、魔術師は"刹那"を見辛く――とくべつは生まれる。
常識が、ふつうととくべつを線引く。線引きが、"星の理"をつくる。これらを超越しやすい巡りに、生まれ落ちた人々がいる。テキセンは、己はもしやその一員だという自覚を持って、長耳たちに肩書きを借りた。
"森の番人"、と。
軌跡のひとつをなぞり返そう。ある英雄の軌跡に相違ない。
長耳は、排他的な気質と知られるが、誤りだ。とくに"白葉の森"を守る「番人」で構成される、ガルド=シルヴィンの集落は、やさしかった。そもそもに、生まれながらの守手は稀なゆえだ。訪ねた家無しのテキセンは、たとえ外見が同じなだけの余所者だとして、無下に扱われたりしなかった。
テキセンには、この星で生まれた記憶がない。野に、気付けば大人で、ひとりで、長耳だった。長耳は、親の愛情無しでは生まれない。ゆりかごで、この星について、これでもかと学んでから生まれる。はずで、テキセンは――時に名無しの長耳は、なにも思い出せずいた。
名無しは目覚めじき、"東方の賢者"と巡り会った。「射貫く道の人」と、行くあて授かった。出自を知りたい。ガルドを訪ね、訊ねたのだ。自信はあった。生まれたなら、育ったならここだ。誰もテキセンの真名を知らなかった。"白葉の森"のどこにも、親らしきを知る者すら、いなかった。家無しが、目覚めながらの弓使いを披露すると、長は目を見開いた。
「汝は稀人やもしれぬ」
この星の人らは、認めたがらない。この星には、異世界からの来訪者が、どれほどか暮らす。彼らはしばし、この星で名を馳せる。馳せやすい。人々は、やはり、認めたがらない。
エウロピアの地では、例外を見られる。守護剣技始祖オルダ・レレイア・リレイは、異世界より来たりし剣士と、おおやけに認められている。オルダは元の世界へと帰る術を、剣技伝道の対価に求め、得られないままこの星で没した。守護剣士なら、守護剣に守られた公国人なら、弁えなければ不義理な話だ。
では、他は。
あの賢王は、あの英雄は、あの偉人は、その魂は。ほかの世界を背負ってはいまいか。
わからない。もしも、だったとして。
誰も口にはしたがらない。
禁忌にも近い。"星の理"がささやくのだ。試みてはならない、と。この星を真に守るべきは、たしかに、この星の人でなくてはならない。だが、ゆえにこそ、異世界人を暴いてはならない。暴けば、異世界人は、本当にこの星の人ではなくなる、さすれば、星の守りが脆弱になる。然り。暗黙の了解となった。異世界人はいる、しかし、いる、と指さしては、当代ならない。
稀人と、だから呼び替える。「稀に見るほど優れた人」に隠された真意を、知る人は知る。それは、異世界人の別称だ。類稀なる才を備え、この星を救いに訪れた客人を言うのだ。
異世界人は、知恵、技術、経験――前世の糧をよく活かすという。"二巡目が、誰しも一巡目より得意"。テキセンは、今が二巡目だと確信がない。一巡目を思い出せずにいるからだ。特別な「目覚めながら」は、やたらと冴えた精霊弓術しかない。ほかに、博学な長耳でも首を傾げる古語と、纏わる知識をときどき、お喋りついでに飛び出させたところで、なんの強みとなるだろう――いや、魔術師ならではの強みにはなったが。
テキセンは、己の出自を定かにしたい。目覚めも今も変わらない。"白葉の森"で得られた答えは灰色だった。はっきり白黒つけられるのは、長耳を知り尽くす長耳の始祖"アール"の転生体だけだ。放浪のさなかにあると、伝わっている。
ガルド=シルヴィンたちは、テキセンの旅立ちに向け、ゆりかごへまさにするよう、これでもかと教えを施した。弓に限らず長耳の技を授けた。長耳の習俗を授けた。ガルド=シルヴィンが如何なるものかを授けた。ガルド=シルヴィンを名乗ることを許した。"森の番人"の肩書きと、証たる"白守の腕輪"さえ貸した。
「森に根付く意志抱くいつかの日にこそ、真に授けよう」
ガルドが至上とする誇りまで、気安く「やる」など彼らは言えない。十分すぎた。テキセンは、帰る場所まで授かっていた。
"森の番人"が、人の英雄として名を轟かせたなら、転生アールの長い耳は必ず聞きつける。ただの暗中模索より、光明はあったはず。進展ないまま、百年経って。
「やるじゃない、魔術師の癖に!」
龍の国で、今日の相棒と出会った。小生意気な小娘だ。意気投合した。接して、不思議と懐かしい、かつて知った魂かもしれない、とは、この先も胸にしまい続ける。似た者同士ではあった。どこが?と誰かに怪訝とされても、自分達には明らかだ。どこと行くあてない癖に、目的だけは確固とし、いつか必ずやり遂げると、信じる者同士。何かと「できっこない」と笑う有象無象どもに、「やりもしないくせに」と大笑いを返せる、最強のふたりだ。
だからだ、とまた、言って良い。当代、"星の理"が、戦士と魔術師を区別したがる。戦士に大きな魔術は使えない。魔術師に闘気は宿らない。
思い込みだ。
と、跳ね除けられる。
現に、とくべつはいる。
引かれた線を跳び越す者は、必ずいつか現れる。
為されるはずがない、と盲信される偽りの限界を、構うものか、と突き破れる者は、在る。
不断の努力、重ねた死闘、熟考の末の閃きを以て、"星の理"を味方につけた、この星の一握り。
それと。
"星の理"に縛られたふりをした、異世界人。
――ズルいよな、強くて二巡目で、更に強くなれるなんてさ。でもアナン、君だっておんなじだろ?
戦場で、あと一歩、が及ばないとき、人は死ぬ。
テキセンの一歩は、"刹那"が補った。相棒に旅すがら教わって得た、戦士にだけ感じ取れると思い込まれた、短くも、長い長い一瞬。一級に比べたら拙くも、魔術師のそれ。可能にしたのは、秘かな努力と、生まれた星の巡りの、両方だ。
テキセン・ガルド=シルヴィンには、刹那が見える。頭がいくつとあっても足りない詠唱合戦に、これほどない利をもたらした。明らかにした。アナンは――悪心の使徒で、結界術師で、魔女のアナンは、異なる星に由緒を持つ、稀人だ。
『――ああ!夜を、信じる人もいるっ。俺こそが君を肯ぜよう!』
繰り出した、起死回生の一手であった。すべてを「夜」に飲まれるかも間際、テキセンは正気を取り戻せている。
定石を外せば、悪手と人は捉えがちだ。テキセンは気にしない。"ああ言えばこう言う"のが詠唱合戦の基本。相手が「有る」と言ったら「無い」と主張すべきだ。相手が「右が正しい」と言ったら「いいや左だ」と反抗すべきだ。テキセンはここに来て、定石を外した。アナンの右へ、ならった。
何が起こったか。"影の黒い手先ども"が、"獲物"を見失い闇へ溶け還った。傍から見た目に、大挙した虻がテキセンを覆うも、何が起きるでもなく、ぶわぁっと行き過ぎた。
意表をついた受け流し。"開く"、テキセンだからこそ可能にした。"秘める"に比べて口ほどにもない――煽られたとて"開く"を選んだ者は諾々と受け入れる。期待値の問題だ。偽らず開く、を積み重ねた先には「今度も真を言うだろう」が、待ち構える。開く者が、ひと欠けらの嘘を秘める時、"星の理"ですら騙される。
――三重詠唱を彼女は切った。トドメの腹づもりを損ねたね!
多重詠唱には反動がある。前借りと返済の原理だ。対価として相応の時間、アナンは「唱え」を自ら封じることになる。
――追加の一唱えは、夜の支配者ボーナスってトコだ?恐ろしやそれも精神支配!用心、ダメ押し、惜しみなく、君は強い魔術師だよアナン。だけど、ちょっとだけしくじりもした。なにせ蝙蝠、見失いもする。
光が、ひとつまだ灯っていた。舞う、最後の月光蝶だ。これを期せず奪われていたら、"刹那"があるとて事情も違った。
――なくせなかった。勝利の鍵だから。
番えるは黄金の矢。矢じりに託すは月光蝶。
『悪を、一度はじめれば畢竟、重ねる以外、強さに道はない』
構え。
『道に光射し闇は開けり、我は今宵を今々出やる』
狙い。
『俺の言葉で明日を説こうか。君が夜はけして追いつけやしない、この、夜明けの番人に!』
放つ。
構えるまでに。いちどは崩れた世界の景観を奪回、アナンの支配力を限定した。
狙い澄ますまでに。地に足をつきなおしたアナンの、早すぎる次手が始まっていた。
『天へと至る道は禍つ龍の軌跡――』
本人ではない、泥人形らが地から湧きたち合唱している。掠れた声にも明々瞭々、"神槍"の提起句だ。あのドゥファス作、超高難易度と悪名高い。使い魔の自動詠唱を以て、など、尋常な魔術戦では考えられない。
――でも、彼女ならやり遂げる。それだけの技が、彼女にはある。
罷り通れば、そこら剣の英雄すら屠る。
――とーぜん俺だって死ぬ!わかっちゃいるさ!
テキセンは、定石をまた外した。"対抗句"を掲げなかった。いくつとある理由のうち、縁起を担いで、みっつを拾おう。
ひとつ、対抗を唱える口が惜しいから。
ふたつ、戦いはとうに尋常な領域にはないから。
みっつ、"神槍"は意識を逸らすための――目くらましだからっ!
二キロル先の硬貨をも、テキセンは射抜く。冴えた矢筋は目覚めつき、しかし、ガルド=シルヴィンに教わらずして、これほど繊細な技は身につけずいた。
狙っていたのは、六十メル先に針穴ほど、地のとある一点。アナンが立つのとは明後日の方角。
目掛け。
放たれている、黄金矢。迎え落とさんと、岩弾の嵐。
アナンの手印が土の記号を結んでいる。誘導性を持つ黒い光弾を、テキセンは「追いつけやしない」で予防済みだ。
ときに。
矢に宿る黄金と白雲の使い分けを、誰が見分けたか。アナンは見分けた。魔法理的作用には黄金を、物の理的作用には白雲を。だからこそ、必死に迎え撃つ。
魔術戦のほぼ全てが、網羅されつつあった。
開くに秘める。有無詠唱。多重、自動、自由律、速攻、即興、引用、古典、掛け言。弓と手の形をしたそれぞれ「杖」。光と影という、記号。
情報量の圧倒を捌きながら、出す手を過っても、出される手を見逃しても、敗北だ。それが魔術師だ。刹那的な剣士とは、求められる強さが異なる。剣気闘気に敵うべく、彼ら彼女らは元来、何を得意とするか。陣地構築だ。待ち伏せだ。遭遇戦でも、同じこと。記号を施し、環境を作る。必要とあらば、戦いながらに。
二者二様の切り札が残されていた。
アナンは、湖底に、大きく複雑に刻んでいた。順に内へと、真円、正三角、ふたつの弧をとじ、さらに真円を閉じ込める。自身はその中心に立つ。
――ドル札の裏のピラミッド!"予見の目"の記号で、絶対領域を築こうとしてたんだ。剣士だって殺せる手を、いくつもいくつも隠してるね。だけどさ、君の得意を「知らない」とは、俺だって口にしちゃいない。時間稼ぎの神槍ごときじゃ、見逃さないよ……!
知らないから卑怯、とは唱えられない魔術師戦。有利と不利がここにも明白。唱えられない方が、今に不利。テキセンが刻む記号は、ずっとお手軽だった。真円のうち、正三角形ふたつでできる――六芒星って、わかるかな。
『――星穿つ、カバラの』"神槍"が、結ばれつつある。結ばれなかった。
岩弾をかいくぐり、泥の一点に突き立つ、黄金矢。後に完成を見て、先に唱えられるのは、テキセン。うたった。
『カーゴメ、カゴメ』
"起動句"と、これを特別に言う。"結界術"用の提起句だ。濃緑色の閃光が、籠目に、地から昇り輝いた。それは閉じ込める為の、檻。中心、閉じ込められたのが、アナン。支配者は、テキセン。
「ふぃー、言った通り!だったでしょ」
テキセン・ガルド=シルヴィンは、かなり強い。籠目の檻を現すため、仕込みに着手したのは、はじめもはじめ「光あれ」から。いや、鏡を円方位に射ち砕いた時からだ。後には、アナンが秘かに刻もうとする筋を――魔術師が好んでまわしがちな節を――詠唱合戦中にそれとなく促し、相乗りした。
月光蝶を数えれば、仔細がわかる。打ち上げ闇にのまれた光に、ひとつめがいた。地水火風の属性に落とされ、それぞれひとつずつ。最後の一矢に、光を宿したままひとつ。術式の記号的正反から、調和と拡散までを美しく指定した、理想の構成。用いた六つの"心核"は、いずれも"庇護の大樹"の宝玉実。柔ではない。落ちて輝きを失ったと見たなら、それこそ見落としだ。必要なら形をかえ、地をゆき、泥を這い、六芒星の五頂点まで完成させていた。蝶から転じた形とは、蛇だったかもしれない、蛙だったかもしれない、芋虫だったかもしれない。すくなくとも、アナンに何かと、具体は掴ませなかった。使徒たちは戦端に、"追い打つ楔"なら見ただろう。テキセンの"猟犬"の名だ。"導きの目"の声を、聞いたかもしれない。テキセンの"鳥"の名だ。どれも、おなじ"心核"を用いている。使徒らの所在特定にも、これは役立った。"果ての霞"中に、散りばめてある。
――これだけ用意周到凝らしても、剣士のゴリ押しはちょちょいと跳ね除けかねない。厄介な話だよね。
闘気で受け、剣気で裂く。剣士に、おおよそ魔術は通用しない。この星のことわりだ。
覆せる人はいる。
堅すぎるなら、貫ける矢を番える。速すぎるなら、速さを殺す術を備える。本物の"刹那"が脅威なら、来たる千手先を読んで仕込む。誇張なく、テキセンはやってのける。実践となった此度の相手は、只の剣士より遥かに厄介な、魔女、ではあったが。
目前まで歩み寄っている。迎撃のひとつ、彼女は取れない。
「ふふ、この星は舞台で、俺らは役者か。ずいぶん詩的で素敵な"引用"だったよ、アナン」
ただのワルモノにしちゃ――と、前身を示唆するかで、テキセンは飲み込んだ。決着がまだついていない。
「降参するんだ!命大事でも恥ずかしかないぜ。相手が俺だってんなら、猶更ね」
と、説いてみたところで、アナンは"籠目"に思考を封じられている。しばしの無抵抗、ついで白旗のあげようもない。
「……どうしたもんかな」
早撃ちひとつで奪える命――選択肢は色々とあるけど――どれもすかさずは選びにくかった。
情けも束の間。
行使者を失って、強度を保てなくなった術がある。孤立した戦場を仕立て上げた、複数の結界だ。崩れきったのだとテキセンが知るのは、あまり好ましくない形にて。
「オアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
大音量。
肌も痺れさす咆哮と、それを解せるが後先か。散らされる"果ての霞"の中に、迫る大行軍をみた。
「ギィアアアアアッ!」「おいおいおいおい!」
あらんかぎりに白矢を掃射する。溢れる"果ての尖兵"は、"蛭頭"と、どこかの戦場で呼ばれていた。
「騎士サン、まさかやられちゃいまいね!?」
穴の直近に、彼はいるはずなのだ。大咆哮の主の膝元でもある――なんだってんだ、あの大怪獣っ!
全影を見て、巨大とだけ知る。情報量が襲ってくる。優先順位はなんだ。先送りにした問題だ――籠目の檻!まだもつはずっ。
間もない。"慢心は人の最大の敵"。テキセンの抱いたのが真に慢心かはさておき、今日の相手はとかく悪かった。
"魔女"、と呼ばれる存在が当代もいる。とくに人知を越えた魔法を行使する、女性魔術師を言う。アナンがその一人であるとは、テキセンの見解だ。正しい。
時の魔法が、魔女の看板。多重詠唱は、これの応用。将来「唱える」と定めた言葉を、先取りして唱えるのだ。ならばあるいは、可能ではないか。「未来のどこかで、予め用意した言葉を唱える」のも。すなわち、たとえ思考が及ばない状態でも、これ、と定まっているならば、意志をのせた、詠唱を――"対抗句"をも、完成させられる。
『うしろのしょうめん、だあれ』
籠目の光が、失われていく。ここに、結界術がまた崩壊だ。
この戦い。見届け人に欠けるのは、魔術史にとって損失だった。人々の目覚めの機会を逃している。極まった魔術師は、かなり強い。
ただ、"星の理"はあって縛って然るべきだ。魔法の自由に待つのは、無法、である。
――因果逆転をこんな尺度で!?ズルすぎっ、これだからさ稀人は……ッ!
テキセンは警戒し尽くしていた。詠唱合戦中に、"予見の目"の起動句が隠されてはいないか。無かった。断言できる。できねば負けだった。なにせ脅威。限定領域で、限定的な近未来予見――起こり得る可能性を、幅狭にも理解させるそれは、剣士の刹那すら殺す術のひとつ。
『我に宿りしは、神知の目』
今、起動句を唱えたアナンのさきほどには、籠目に閉じ込められる未来が見えていた。だから、的確な"対抗"まで用意ができた。
光が失せ、予見の目は起動している。
アナンの眼中に、テキセンはいる。
夜は、これからもっと深くなる。
「なべて世は舞台、我らみな役者に過ぎぬかな」――『お気に召すまま』ウィリアム・シェイクスピア




