73.メイウー
メイウーが語ることを、公国人は信じない。
弧大陸が"星へと至る丘"と呼ぶあの大山脈、世界竜の亡骸の向こうには、龍に庇護された大国がある。
神の恩恵を受けない人々は、代わりに偉大な龍の力を借り受ける。
エウロピアの吟遊詩人は、英雄で歴史を語る。"龍ヶ護国"の講談師は、龍とともに星を語る。
見えている、世界の広さがまるで違う。
龍の国から、メイウーはやってきた。
言っても誰も、信じはしない。
構わない。
――龍を信じてるから私は飛べる、龍と育ったから私は強い。
歴史の公国人は、決死の思いで空を飛んだという。
おかしな話だ。
自在に飛ぶには膨大な魔力と、繊細な技巧が必要?まさか。龍を真似れば誰だって飛べる。
――私ほど自由に飛べるのは稀だけれど。
「"羽"が"黒鷺"と交戦開始!」
走る伝令を見送った上空、仕切り直しのメイウーだ。
――癪ね。確かに強いわ、あの偉丈夫。
不気味な"仮面"は立ち尽くし、首だけめぐらせ視線を外さない。ぶらり構えない直剣は、思惑を読ませず気味が悪い。
「厄介なのが、ひとりいる」ヴィクトル・サンドバーンが唸ったから、「たやすいわ」とメイウーは胸を張ってみせた。
『最悪、頭を押さえるだけでいい。時間さえ稼げば――』
『別に、とってしまってもいいんでしょう?』
『……無論だが』
『それが条件って決めたから、私が私に誓うのよ』
『油断をするな』
『あたりまえね、手抜きはしない主義だから』
騎士はほかにも、うるさく言った。
「指揮に従えんのならば、居ない方が救いだ」とか「よく弁えろ、独力でどうこうなるような戦場ではない」とか、はじめ二、三日は上からうるさくて、のちに悪心が近づいてからは「油断はダメだ」と心配性にうるさくなった。
敵が敵ならば協調だってする。わがまま盛りでばかりと思われては恥も知る。みずから買ってでた仮面の相手、騎士が託した要の配置を、真っ当に果たしてやるつもりが、メイウーにはある。
「"蹄"が"針鼠""大熊""女狐"と会敵!」
"蹄"はすぐに"山""川"とあわさった。おのれで全部すませる気概も、今ではほかがいて有難い。
――弱気じゃない、私としたことが……!
翔けて遊ぶばかりでは龍にまた恥知らず。勝負に生かすがための空である。メイウーは鋭く放つのだった。得物たる、双剣の片割れだ。
仮面へ目がけ飛翔する"白陰"、剣気を乗せるのは手中の"黒陽"。
陽が動けばおのず陰も動くもの。
浮かぶ"白陰"は、ひとりでに"仮面とやりあった。"黒陽"に託すだけの力があった。合間にメイウーは宙を翔け降りる。着地の隙は狩らせない。
"復讐と嘆きの双子"と渾名される、白陰と黒陽は二振り一対の魔剣である。"十の魔剣"の一角として名だたる剣に、使われる使い手であってはならない。
白を手繰り寄せ黒をふるった、黒を放り投げ白をふるった。諸手に構えては受けて、隙あらば一人二役の剣撃を見舞う。前と前、前と横、定番の前後ろ。
――初合は読み違えただけ、本気で構えればどうってことない!
息巻くものの仮面は崩せない。堅い守りは"五花"流か。目が利く剣士だ、"双子"の性質にはやくも対応しきっている。
双子はひかれあう。どれだけ無茶に放っても、手繰り寄せれば、片割れのもとに帰ってくる。
双子は真似しあう。手から離れる間は、のこった片割れとかならず動きを一致する。
――そう思うじゃない?
「やッ!」
諸手の"白"で面を割りにかかる。受けられる、そして拮抗だ。かたや宙に浮く"黒"は暇をすべきで――これを思念でさしむけた。
「むぅ!」
読まれた――これも捌くの!やるじゃないっ。
無理くりメイウーは押しをやめない。凌がれようとも拍子を変じ、"白黒"波状に攻めたてる。持ちかえ持ちかえ七度ほど、二対一を強いるのにどうか、いつの間にやら、有利を取り返されてしまう。
――この男、全部が見えてるのッ?
「珍妙な"曲芸剣"だな」
「大道芸と一緒にしないでっ」
遺憾ながらの仕切り直し二度目。大きく空に退けたから、話す余裕ができたのだ。
どうにも思い通りに運ばない。
「よほど疑問と見える」男の呼吸は深かった。「来たると知れれば所詮一人前……」
ご丁寧に講釈をくぐもらせる。稽古のつもりか。
使徒のくせ、堂々戦士然とした態度であった。振るう剣筋しかり、やけに潔く、どこか場違いだ。
「いっそ一振りではどうか、無理な二振りより目もあろう」
「言うじゃない……!」
仮面の指摘には得る的がある。
"双子"に宿せる力は、どこまでも一対一人前で確か。思念に頼れば弱まるのも確か。
そこにメイウーが疑問を抱くのもまた、確か。
もとい仕掛けを見抜かれる迅速さにせよその敵、達人なれば驚きはなく、達人の秘めた「技」だけが、奇妙で奇妙で仕方がない。
飛び道具に、強い剣士ならそれなりにいる――けど、この男は別格だわ――"不伝の先見力"のことを、第六感、とメイウーは理解していた。そして"双子"の浮いた挙動は本来、第六感を無効にできる。無効にできるべきなのだ――見えないものまで見えている、あんたのそれこそ曲芸よ……!
メイウーは秘策を切った。
降下、接近までは同じ、ただし地を踏まない、二度と帰らない。翔けるままに打ち合い、空を跳ね続ける。どうせ刃の間合いで何が違うのか?無論まず、高さが違う。宙で踏み込める、すなわち娘が、背で偉丈夫に勝つ。面を割りやすく、世界の重さを借りやすい。これこそ舞空剣の真骨頂。
"邪にも聖にもならない"投剣を、ちまちま試みてなんになろう。魔剣は飛べどもメイウーは剣士、勝ちを期するなら剣士の間合いだ。
「ぐ……!」――どうよっ!
男の背だった。外套が裂けた。浅くもついに入れたのは、不可視の壁を飛んでは跳ねて、ついに天まで蹴ったあと。ようやく意表をつけたのだ。
「……逃げに徹するのだればまだしも」"仮面"であるからくぐもった。「あなどれんな――」
「なっ……!」
様子を見る、など日和るのではなかった。たたみかけ終わらすべきだった。満ちる悪心に強気を逃した、ここ一番でしくじった。
舞い戻った空にて、メイウーは動けない。仮面に影を踏まれている。それどころか。
『落ちろ』
――嘘!?
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『アメイジアから承認が下りた。最前線組には、更新された敵情考察の閲覧許可を与える』赤印の捺された分厚いつづりを、統括騎士は掲げたのだった。『此度対峙するであろう悪心の使徒の内、七分の六の素性がほぼ明らかだ。かねての数戦を踏まえた俺の所見も、適宜付け加えよう』
羽をもがれた双剣士が、咄嗟に思い浮かべたのは――テキセン!――旅の道連れの名前だった。
不甲斐ない。どこにも助けなぞ求めてならない。「"矢"が"夜烏"と交戦開始!」、ちょうど伝令も走っている。
――頼れない、頼れないわね。だってこれは、私の戦い。
『一応、聞いておこうかしら?私の持ち分ってやつを』
『貴公が受け持つ、仮面の偉丈夫ことダミアンは、戦時中行方不明となった"永久の国"の英雄、ダミアンサン・アメンペックと特徴の多くを一致させる……』
『東方紛争まっさかりの地ね。もとは国つきってわけ』
『有り得る。使徒の中で、もっとも技量に秀でた剣士で、英雄級には相違ない』
『悪心堕ちした英雄……"魔人"か。改心に期待できそうだけれど』
『説得に余裕が?』
『向こうが降参するそぶりなら、考えてあげてもいいかしら』
『……何に囚われているかさえ知れん』
『言ってみただけ。私だって、価値ある剣士の死は惜しむのよ』
『……"仮面"がアメンペックと同一人物であると、保証はままならん。しかし可能性が勝つ。というのもだ、呼び名にしるし、優れた剣士、そしてもうひとつ重大な要素が、かの陰ひなたをひとつ結びつけた』
『勿体ぶるわね』
『"影"だ』
『なんの洒落?それとも、"傀儡"のこと?』
『違う。実在のダミアンサン・アメンペックは、"影"にまつわる異能を行使した。仮面もまた、類似のそれを行使できた』
『異色すぎね、網にもかかるはず……形態は?』
『転移に金縛り』
『とんだ初見殺しだわ』
『初見殺しであっただろう』騎士は含んだ。『具体的な能力域と制約は、王国にも不明だ』
『……不意の瞬きは背後に注意と』
『異能を省いたとて、一筋縄ではとてもゆかんぞ』
『よほど高く買うのね。かつて一国の英雄とはいえ』
『前一戦で俺は有利をせしめたが、むこうが不慣れであったまで。純とした対人剣技のみを評してもかの人物……統括騎士並みでくだるまい』
墜落。
無様に泥塗れになるメイウー。ようやく動けた。落ちる間は、少しもままならなかった。
着地を狩れただろうに、仮面は攻めてこない。むしろ距離をつくるほどだ。余裕か、何ら思惑か、ダミアンサン・アメンペックの人となりか、立ち上がるのを、待ち構えている。
「"影"って……そういうこと」
なるほど合点がいった、今度の死合い、相性が最悪だ。
自慢の魔剣の特性も、空馳せる脚並みも、影統べる仮面に通用しない。
「あなたが見てるのは、全ての影。死角を持たないんだわ」
「だから言った、いっそ一振りではどうか」
「……」
弱みをつつく瘴気の中で、できない言い訳ばかりが思いつく。
大柄が勝る剣士の闘場で、手元に残るのは飾り気のない剣技だけ。
相手は統括騎士相当、闘志も萎えさす重圧のもと、はたしてこれに勝てるのか。
「"剣"が"狂犬"と交戦開始、"剣"が"狂犬"と交戦開始!」
本当にやる気があるのかと、みため十三、四の少年が問うた。
殺気にあてられ走った悪寒に、あわだった全身を、メイウーはまだ忘れていない。不意をつかれたせいだと、ときには毅然に振舞った――私に匹敵……?こんな子どもで――と、おしこめるのが悔しかった。
故郷には、幼くして優れた戦士がいくらでもいた。
おのれは特に優れたひとり。
些末な自負だった。
後から知った。
"影"にまつわる技のいくつかを、あばいたのが当の少年で、それも互角にやり合ったらしい――坊やに出来て、私じゃできない?
「……笑い草もいいとこよ。」
闘争心。今、メイウーに溢れ出したもの。
人はどうして強くなるのか。
守る者、顕示する者、研鑽を喜びとする者などさまざまいて。
メイウーは、忘れかけていた。困難の克服、万人の打倒、"星の頂"への到達、これらこそ故郷を飛び出した日の志でなかったか。
誰にも、負けてはいられない。少年にも、仮面にも、無敗を謳われる騎士と死合うために。
"盲目の竜の眼を奪う"と、護国では言う。容易いばかりの仕業をいかにも、やってやったぞと誇る奢りを。
なればこそ。
面が割れねば、立ち回りから工夫しよう。
強力な技を隠し持とうと、制約は何かしら見つかるだろう。
困難を覆した時こそ人は、やってやったぞ!と本心で叫べる。
これが、メイウーには何よりの喜びだ。
「滾るじゃない……!」
だから彼女は、前へ。




