72.少年と少年
「伝令ーッ!伝令ーッ!会敵、北の一画!"狂犬"見えり!"狂犬"見えり!」
半包囲索敵が機能している。騎兵が叫び散らすおかげで、ゼンは標的の位置を知れた。悪くなかった。駆けつけるのさえ、遅すぎなければ。
"狂犬"を釣ろうと粘ってくれたか、"蹄減らし"を唱え損ねたか、第一報をくれた伝令は今や、人馬もろとも斬り刻まれている。断末魔は届かなかった。
「うるせぇハエがいるかと思えば……」長けた直剣を振り払うのである。「んだァ?まーたてめェか」
欠けた獣耳がしるしであった。使徒の少年、フィルデーだ。纏ったぼろは黒々としていた。染み込んだ血がそうさせる。あらたな染みをこさえるのを、どうにか妨げなかったものか。
――次はさせない、すくなくとも。
「っぽど死にてぇらしー、なァッ!」
卑劣な少年がまず狙うのは、立ち向かう誰彼ではなくて、恐怖にこごえる、傍付き騎兵の方だった。
「ひっ」「さがって!」
痛々しい嘶きだ。戦馬の両前脚が、"剣気"にすぱり断たれている。
「失せろッ!」
転げ落ちる伝令、飛び掛かるのをやめない悪魔、割って入るのが、守手の少年。
衝突。鍔ぜりあっている。
「お荷物背負って何しようってんだぁ、え?」
「走って!はやく!」
「らッッ!」「ふ!」
第四花"熾烈剣"、フィルデーがちらつかせる剣技の正体だ。
"必殺剣"に次ぐ先制速攻が理念。大胆にして、無謀とさえ思える剣運びで、肉を切らせて首を断つ。手負えば特有の治療術でおぎなう。
高位の熾烈剣士であれば、腕の一本さえ安いという。はたしてその高位の括りにもなるか、ある騎士が落としたはずの手首も、フィルデーには健在であった。
諸手を駆使した一撃には、死への説得力がある。凌ぎ、凌ぎ、凌いでゼンは、伝令が逃げる時間を稼ぐ。
このとき。
忘るるなかれ、熾烈剣士らが苛烈な剣によぎらせる、無謀さにせよ、隙にせよ、いずれも技の一部なのだ。
すなわち"誘い"の術である。
いける!と、思い過ごして転がる首を、むこうはほくそ笑んでいる。戦士の直感に付けこむ、厄介な技である。
もっとも。
熟達の守護剣士ヴィクトルは、フィルデーのそれを、未熟であると一笑したが。
――だまされないッ。
ゼンの首は転がらない。手首のひとつも取らせない。
前一戦では、直感に直感を重ねることで、致命的な"誘い"を回避できた。
ほとんど運だ。
今であれば、磨きつつある理性の盾が、おのれを確実に守ってくれる。
受けた。
致命の剣筋を。
のらない。
"誘い"の大振りに。
一息はやめに、ゼンはしりぞく。間が抜けて振り下ろされるのは、鼻先に大上段。
わざと遅らせた一振りだ。
裏に"即打ち"か"影抜き"か、ほかに何ら奇想天外な体術か、隠した手立てを学ぶには、実地で高くついただろう。
「チッ」
目論みにのらず済んだらしい、と油断しない。その舌打ちでさえ術中やもだ。
仕切り直すのに、相対距離十メル。膠着、剣士の間合いであった。
「"剣"が"狂犬"と交戦開始!"剣"が"狂犬"と交戦開始!」
憎々しげに、フィルデーは睨むだけだった。追うにはいささか遠かった。なにより、はざまの"剣"が邪魔だ。
脚をなくしたあの伝令は、ほかの騎兵が拾ってくれる。信じてゼンは振り向かない。苦痛にのたうつ戦馬の命を、せめて安らかにと断った。
「あのさぁ」ぼりぼりと頭をかきむしって、フィルデーは言う。「もーあきたんだわ、お前。遊んでやんねーよ?今度は。ソッコー死に失せろ」
「…………」
「無視こいてんじゃねぇぞ!毛の生えた雑魚がひとりノコノコとッ」
殺気をたぎらせるわりに、好みのお突きも放ってこない。
伏兵を気にかけているのか。
"果ての霞"の視界不良は、使徒らも同条件である。と、統括騎士の経験は言った。"使徒"とは、悪しき力を借りるだけで、根本的な性質はふつうの人間と同じくする――はずなのだ。
「"蹄"が"針鼠""大熊""女狐"と会敵!第十画!」
あらたな騎兵が駆けつけて、引き返した。フィルデーは力んでも、やはり追えないでいる。表面上は膠着である。
むしろ内心、ゼンは焦った。伝令の符号を読み解くところ。
――ダルが一対三に……。
しかも現地から遠い。助けにゆきたい。けれども、ならない。
大事な決め事を、身勝手に破る訳にはいかないのである。
決め事とは、戦いに肝要な作戦、そう作戦なのだ。ゼンは役目を担っていた――使徒フィルデーを見つけたなら、能うかぎりに拘束すること。これを欠かせば、死人が増える。
――ごめんねダルっ!なんとか堪えて……っ。
作戦会議を道中、何度もやった。"大盾"を輝かせるヴィクトルは、いつだって様になっていた。
『此度の使徒討伐にあたって……"穴"近辺が主戦場となる場合、最前線要員のほかの戦力は原則、投入しないものとする。"果ての霞"による不測の接敵ひいて混戦が、予見されるからだ。
ここには、各人が主任する使徒を定めたい。貴君らに抑えられないのなら、剣後に盾はないも同然、苦肉の策だ。基本は一対一。可能なら始末しろ。困難ならば、力を合わせ耐えろ。最終的には私が行く。忘れるな。敵は、戦うか逃げるかだ』
さらなる騎兵が、うしろを走った。
「"羽"が"黒鷺"と交戦!第十五画!」
ようやく事を得たとばかり、フィルデーはにたぁと口端を裂いた。
「ははァー、いくつも雑魚を揃えたか……んでてんでバラバラに!はッそりゃ悪手じゃねぇの?どっちの城だかわかってねーわ」
「…………」
悪魔が真実を語ることもある、ここは敵城にて相違ない。悪心の瘴気が満ちみちている。肩にのしかかる重圧で、心奮わねば立つのもやっと、仲間がいねば逃げ帰りたい、ただこれらに毅然と。
それでも。
と、立ち向かえる人間だから、みなして突き進んできた。
「お前が終わったら……」フィルデーは、ゼンなぞ眼中にないそぶりをした。「一人またひとり、プチプチ殺してやっから楽しみにしとけ」
大きな口だ。
「今のうちだぜ、命乞いなら。お前は最後にしてやったっていい!手足をもいで……や、そっちがいい、そいつに決まりだ。せいぜい祈れ、他の雑魚が先にくたばっちまわないように」
しようもないと思えるとすれば、ほんとうの夜を知らないだけだ。心の隙間をちくちくちくちく、その口撃に刹那にせよ竦めば、いとも簡単に命をとられる。
また騎兵が走った。
「現在"山""川""蹄"が"針鼠""大熊""女狐"と交戦!第九画!」
ゼンははっとした。
――ダルがひとりじゃなくなった……!
どこかふるえていたのであった。いままた力がみなぎってきた。
手中には剣がある、友達は無事、何も心配することはない。
悪心になど、くじけるものか。おのれは、光の騎士である。
「燃えてるよ」
「はァ?」
フィルデーは取りつつあった"雷の構え"を、何の話か意味わからん、そんな形相でし損じた。
「城の話だ。君らの城は、燃えてる城だ」
「あに――?」「それで君らは、逃げるねずみだ。城が燃えて、尻尾には火がついてる。じゃなくちゃ、ちりぢりでいたりしない。逃げるさなかだから、君はひとり。ちがう?」
「ッ!」
敵は、戦うか逃げるかだ――うけて統括騎士は半包囲を指示した。牡鹿角湖の角の模様とは、山間がなすものである。東に逃げても、馬は走れない。
『逃走するなら"穴"か西かだ』唸り声だった。『一塊に待ち受けるようであれば、騎兵にあやかり、戦力の合流に専念せよ。そうでなくば……』
逃げるのにせよ、待ち受けるにせよ、敵はちりぢりにいてくれる。
生き物が集えば、気配は増すもの。"霞"は彼らをもおびやかしうる。
フィルデーは、"穴"を離れてひとりきりでいた。ゼンには訳がわかっていた。我らは仲間を信じているが、彼らは仲間を信じていない。
「線状解散、線状解散!以降、区画通達なし!」
補足できた使徒、ここまで七分の六。敵城だろうが、うまく入り込めている。
「そう、あとひとり。まだ見つからないお友達の数も」
「てめェ……」
すさまじい歯ぎしりの音であった。ましてやゼンは耳がよかった。
「"盾"と"矢"が"夜烏"に会敵!」
続けざまである。
「"矢"が"夜烏"と交戦!」
さらに。
「"盾"が前進、"盾"が前進!」
"教主"の死亡確認までを、ヴィクトルは試みるのだろう。
みずからの務めを果たそうと、ゼンも思った。
「もーいーよ……日暮れを待つまでなかったみたい」
かくれんぼの楽しさは、制約があってこそ。と、ゼンは考えたことがある。共感には期待していない。
フィルデーはわなわなと"構え"を変じていた。大上段の"烈火"であった。
「んなに、んーなに死に急ぎてェか!」
「君はどうしたいんだっけ」
「ぶち転がす!つまっ先から細切れにッ!」
「やれるものなら、やってみて」
「チッ!」
巻き散らされる湖底の泥に、晴れる周囲の"果ての霞"。
遠巻きの、あらたな騎兵は退かなかった。"狂犬"の猛威はともすれば世界をのみこむ。ゼンは信用されている。
――もう殺させない、誰であろうと。
激突。
大上段にて力は互角。
右上、左上、左下と打つ。返す右下で鍔迫りあった。力の均衡が重要だ。
――押しすぎない、押させすぎない……。
勝負にはまだ急がない。
結ぶ刃の描く軌跡は、下段に中段、頭上を越えた。
対称に至る左下にむけ、一歩、二歩までゼンは後退。図った手順の内である。
結んだ刃はふたたび頭上へ、右の下段でふっと緩んだ。
死ねッ!――またそれだ?
たぎる殺意の大上段を、ゼンは"地平の構え"で待ち受ける。
我が身と刃は世の一部なりし。凌ぐ、耐える、をひとつ体現する、まさに守りの構えであった。
交わる。
「ふっ!」「――!」
そして緩んだのだ、フィルデーの気が。わずかばかりに、されどさだかに。
切り返すには短い隙だし、受けた刃は外せない。けれどもこのくらいの横着ならままなる。
「はッ!」
ゼンの繰り出した横蹴りで、「かっ……!」もののみごとにフィルデーは舞った。泥にいくつか転げてやっと、勢いのまま起き上がる。滑る脚ざま闇雲に剣をふるう。
無理な追撃なぞゼンはしない。でたらめな剣気を、その場でさばいた。着衣の切れ端も裂かせなかった。
「守護……ッ!」咳つくせいで、フィルデーは言いきれていない。「小賢しいマネッ――!」「僕は」
悪心を、"見ざる聞かざる応えざる"。敵地でひとみは閉じられないし、耳にまぶたはないのであるから、要は「間に受けるな」という教訓である。
やりようだったら、先達に学べ。ゼンはそのようにした。
「いつだって僕は、昨日の僕より強い。最後に君とやった日より、もっとずっと強い、だから」
きまって命のやり取りこそが、本心を逸脱させる原動力だった。
「君なんかにもう、絶対、殺せない」
ゼン・イージスは弁えている、戦いに「絶対」などない、それでも言う。守手としてふさわしかろう、最大限の煽りの文句だ。
あるいは、決意の表明である。
"疾風の構え"の切先は、地獄の"狂犬"にさしむけられた。
「……ク、ソ、ガキがァァァッ!」
雷の突きが放たれる。
さぞかし食えない心がけに彼らは、暴力でしか報えない。




