71.戦端
悪心は、はじめに十ほどもぎ取った。罪のない人々の頭であった。
ぽたぽたしたたる魂を、しげしげ眺めて、冷めるのをまつ。むくろと捏ね上げ、"肉の木"を育てた。
闇の倦む空に陽はのまれている。暮れも明けるもついぞ知れぬが、幾ばくもない猶予と知れる。それでも、フランは希望を捨てない。
「シェリー」
贄として枝に吊るされながら、そっと呼びかけるのだった。傍にひとりきり見張りの女は、抜き身をぶらりと下げている。
「……何?」
彼女も抑えた声だった。きっと悪魔に聞かれぬためだ。
「アンネちゃんは、もう無事に?」約束通り、逃がしてもらえたのだろうか。
「……さぁ」女はそっぽをむいてしまう。「解放は、されたでしょうね」
「……ありがとう、シェリー」
まごころからフランは言った。
「おかしな子」うしろめたそうに、女はわらう。「わかっているの、私が誰だか」
「ええ、ラシェリー。あなたはずっと親切だった」
「……黙りなさい。慣れあう気はない」
その人は、悪心の使徒であるかもしれない。けれど悪人だとは、フランには思えない。握る剣にせよ、大切にぶらさげたままだ。まるで守ってくれている。
囚われの身にあるあいだ、シェリーが面倒をみてくれた。きっと最後の日だろう今日まで、水も食べ物もたえなかった。この頃すくなくなったのも、たぶんあてがわれたぶんを、こっそり半分よこしてくれた。
はっきりとした暴力は、逃亡をこころみた、あの一度きり。
焼き潰された顔を治せたのは、シェリーが"教主"の許しを得たから。
脚を治した直後に、顔は焼かれた。術の冷却が確実に間に合ったのは、シェリーが時間を稼いでくれたから。"治癒"の制約を知ってか知らずか、真意もまたさだかでないけれど。
――とにかく私はいま無事です。
過ごした一時の痛みなど。おとりに残されたアンネを思えば苦にもつかない。ふさわしい手当てを受けれただろうか?
シェリーが悪人だとは、フランには思えない。
どんな人なら「悪人」なのか。
欲望のまま力を振りかざす人。
命を命と思わない人。
まさにむこうの悪魔の少年、フィルデーのような人物をいう。
それとなくなら聞き及んでいた。たぶん言葉を、選びぬいてくれていた。
それは嬉々としたさまである。
列に並べた町人の首を、ひとつふたつとまた刎ねて、躯の小山を築くのだ。
うずたかい山はもうふたつめだ。
フィルデーは披露したがった。
よく見ていろよと"肉の木"に吊るした。
りっぱでいびつな砂場の城を、見せびらかしたがる子と譬えるには、あまりに獰悪の化身であった。
もう目隠しはない。なおさら最後の日とわかる。怯える人々が、斬り刻まれてゆく。
つまれている。
あらぬ方々へ曲がった四肢。恐怖にかっと見開きかれた目。絶叫のまま開け呆けた口。いまでも涙をおとす瞳、もう濁ってしまった瞳。
死にざまというのは唐突だ。
生きて動けた人間と、一続きである気がしない。
フィルデーは知ってつまらなそうにした。
これがはじめての体験ではない。
はじめの十人で泣かなかったので、それじゃあもっとたくさんだ、と人を並べて見せしめる。
泣かないからだと悪魔は笑うが、よくいう、どのみち皆殺しの気だ。
お前は最後だ。悪魔は迫るが、いまさらなにを怯えよう。
立ち向かえ、ただ立ち向かえ。
使徒は七人、おのれはひとり。
ただいますぐにはむずかしいが、かならず来る、助けなら来る。
ただどうかはやく、一人でも多く助かるうちに。
虐殺がはじまるより前に、シェリーはこっそり伝えてくれた。見てみぬふりをなさい、野菜のヘタを取っているのだわ。
来たる決戦にそなえ、正気を保つため、フランは最後の助言に従った。
救えずにいて、ごめんなさい。
力およばず、ごめんなさい。
見てみぬふりする私を、今だけどうか許してください。
光の騎士は教えてくれた。光のむこうで得た知恵だ。
悪心は、人の心を食べ育つ。
負の感情を好んでは食す。
そうしてすくすく育つのだ。
神子のそれならなおさら美味という。
やまない悲鳴。充満する恐怖。いきいきとした狂気。
心をひたさず堪えるのだ。
とはいえ、いくら耐え忍べても。
躯の山は築かれる。
干上がった泥の湖底であった
着々と、それは育つのだ。
穴だ。
そこには穴があった。
直径、優に十メル超。なにをはばかろう、地獄の門だ。
何が役立つかわからない。フランは観察をやめないでいた。もちろん、希望を捨てていない。
むかいは町の岸のはず。"果ての霞"が濃くなって、遠景はもはや望めない。
聞ける悲鳴がおとろえたのは、並んだ数が減るせいだ。悪魔が剣を振るのをやめた。
「……声ちいさくね?あきてきたわ」はらった刃でちょいちょいと招く。「おいベン!残りやっといて」
「うす」
巨人が代わって剣を薙ぐと、人の頭なぞ潰れてしまう。
血しぶきに爆ぜて、胴だけふらり。よろよろとして、倒れ伏す。
「ぎゃは!へったくそー」
「きをつける」
「こりゃいいや!もっとやれ!」
「うす、こりゃいいや」
ふと、誰かしらの舌打ちだ。どうにも小人の槍手らしい。
(……変わっちまった)
脚が治ってから、巨人の様子はおかしかった。もっと穏やかな人だった。小人もそれを嘆くのだろう、こぼす相手は"仮面"であって、たぶん信用しあっている。いけにえの列をともに御すにせよ、さほどたのしそうではない。
「なーに言ってんのお前?」耳聡く、フィルデーである。鮮血を浴びるのにもあきて、積みかけの小山に胡坐をかいた。「やっとこさ思い出したのさ。これがこいつの根っからの、"理不尽と暴力"だっつーの」
よりどりみどりの首だった。少年はわしづかみ、槍手にむかって投げつける。おびえるのをみて、にたりとした。
「いーからとっとと次の連れて来い」
「……ああ」
他方、大きな山の上、カァ!と舞い降りる烏が一羽。
ふもとで瞑想にふけるのは、二本角がしるしの"教主"であった。
「おや……この瘴気のなか、死肉を貪りに?」大きな昏い目で、死人の山を仰ぎ見る。「それほどの欲望、我らが神もお許し下さいましょう。ほどほどに啄ばむがよろしい!」
ついで霞のなかから、誰かの影だ。しるしも言葉もはっきりしない。
「サラザーリ」ふしぎな女性の声だった。
「如何ですアナン?死の淵に向かう者どもは」
「《近いは近い。誰だかはわからない》」
「何者なのかが肝心なのに!あなたの耳目も万能たりえぬとは」
「《……言った。遮られるんだ。もうなにもきこえない》」
「やはり光の?」
「《使徒がいる》」
「くだんの盾持ちは」"教主"はこちらをうかがった気がする。「我らの道を封じた、ともすれば光の騎士やもしれぬと」
「《うとましいけれど、可能性。ほかにも強い力のしるしだ》」不思議な女の声はふるえた。「《きっとここに来る》」おびえていたかはわからない。
「いけませんねぇ、いけませんねぇ。早々にお呼びたてせねば」
「《……鎧があっても手勢でかせげる。もうかかれないか?》」
「どれ、外界はまだ昼のうち……しかし内界がこの濃さならば」
「《いそげ、嫌な予感だ》」
「よろしい。"核"をいただき、此度にこそ完全体を……!」
カァ、カァ。山頂の烏が二度鳴いた。
"教主"はこちらへ歩み出している。もとい"肉の木"を目指している。使いにでがけの槍手を呼び止めた。
「お待ちなさい!せっかくです、皆で見届けようではありませんか。あまりは兵の料にでも」
「もうやんの!いいじゃん、いいじゃん」るんるんとしてフィルデーがしたがう。
いけにえの列はもうみえない。下ごしらえは終わってしまった。使徒七人が集っている。フランは希望をまだ捨てない。
"教主"の手には長杖だ。湖底をうちしだくと、みちりみちりと幹がしなった。
"肉の木"がもっと育つのだ。
つられて視線も空高くなる。教主サラザーリは大穴とのはざまで、獣頭なりの恍惚さを見せた。
「んんん、これこそ我が悲願!偉業を成すのは、この私!さぁ、かの巨神竜をここに――」
「待て!何か来る」
さえぎる"仮面"は如才ない。霞をやぶって飛びかかるそれを、刎ね飛ばすまではやかった。
「けっ、気狂いした馬鹿犬だ」
"槍手"はつっつき不気味がる。もはや生き物がいるべき空間ではない。
「……では気を取りなおして」
頭をいちどゆるりと垂れて、"教主"は穴を抱擁せんばかり、両腕をかき開く。ねっとりした声色だった。
『我此処に定むるは形
我此処に定むるは名前――』
声ならぬ声が教主にならうのを、聞く者は聞いた。
不浄な祭りの主催者だけが、口をうごかす、そのはずである。しかしあるのは斉唱だ。
深淵より這い上がらんとする、未知の何かは欲していた。
顕現の要を。
生贄を。
"肉の木"、これこそ生贄台だ。
一節、一節、唱えがあるたび、主なき声はふとくなる。不可視の万手が忍び寄る。フランは希望をまだ捨てていない。
『汝が形は巨神竜
汝が名前は世界竜
偽りの形、偽りの名、これをここ相反し仕るは心力
すなわちここまで定めしは全き真実なり
さぁ我が八つの呼びかけに答えたまえ
出でよ!出でよ!終わりの!下僕ッ!
出でよ!出でよ!終わりの!下僕ッ!』
フランは観察をやめないでいた。だからそれもみた。"仮面"の脚を、"槍手"が肘で小突くさまだ。おいダミアン、と小声で"槍手"。なんだ、と"仮面"はくぐもった。
「馬鹿犬の死骸、どこ行った?」
「何?」
フランは答えを知っている。
『出でよ!出でよ!終わりの!下僕ッ!
出でよ!出でよ!終わりの!下僕ッ!』
"仮面"はくまなくあたりを見回す。転がるのは、つみ損ねた人の残骸ばかり。たしかに犬のそれはもう見当たらない。
「……ッ!」
息をのむのがつたわった。何ができるかはわからない。ただただフランは一息ついた。冷静でいよう。大きく吸って、吐くまでが、ひとつの行動様式だった。
『出でよ!出でよ!終わりの!下僕ッ!』
アー!アー!アー!"教主"の唱えに負けじとばかり、山の烏がけたたましく鳴く。おかしな烏だ。生き物がいるべき空間ではない。
「そこから下がれっ!フィルデーッ」「あん?」
あわてふためく"仮面"がみえた。"肉の木"によりかかるフィルデーがみえた。虹色の粒子に散り還る、山の烏がうつくしい。フランは、ただただ見ていただけだ。
「出でよ!出でよ!ドベルッ――」
あたり一帯を白みきらす、それは力の奔流だった。
「ヴァッ……!?」
"教主"の胸から下がない。霞をつんざくが轟音が、あとから遅れてやってくる。
"肉の木"が破壊されている。
自分も撃たれる、とは、フランはちっとも思えなかった。希望はあればあるだけいい。正体不明の「力」は四方八方に軌道をわかつと、さだかな意志で使徒らをめがけた。それぞれを回避に専念させる。かたや。
――落ちる……!
物の理をフランは思った。後ろ手の拘束はとけていない。
むかうのは"穴"だ。
かなりの高さだ。
どこへにしたって、無事ではすまない。
浮遊感にどうあらがうべきか、身をよじりはした。けれど、まさかそこまで希望せずにいる。
「……とんでる!?」
気づけば風にいだかれていた。なびく黒髪は、いまや我がものだけでない。
「ええ、飛んでるわ」
知らない香水の女性であった。
「たとえ"さなかの言葉"でも、その単語だけは私も知ってる……」
「うしろっ!」
浮かぶ美貌のむこうを、フランはとっさに指させた。落ちゆくばかりの"肉の木"の残骸が、巨腕と化して襲い来つつある。
『焦熱燬然す螺旋の光鎚』
撃ち落とす先が"穴"でよかった。すくなくとも危機そのときに、走ってくれた誰かの上ではない。
「驚いた、あなた神子なのね」すました顔で女は見なおす。剣をふたつも帯びるから、たいした剣士なのだろう。軽々とかかえなおしてくれる。「お友達に代わって、助けに来てあげたわよ」
「えっと!」
なにから清算すべきだろう?
「ありがとうございます!私、フラン・フラムネルですっ」
まずはこれ、次はこれ。正しく選べていたらいい。
「そうね、神子である前に人の子だわ」
意外にやさしくわらう女性だ。
「私はメイウー。龍と同じで名があるだけ、そして――」
メイウーには、宙が踏めた。"果ての霞"をかき分けて、躍り出るのは、はやくも町並みの上空である。これでは使徒らもとうてい追えない。
「龍が如くに、空を翔けるの!」
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「《ひとり殺った》」
テキセン・ガルド=シルヴィンが言った。精霊弓による極大射程狙撃を、成功させた知らせだった。
「ばっちし"統手"を射抜いたよ。あのアタリじゃ、よっぽどこの星にゃ帰ってこれまい」
ついた片膝持ち上げるとき、白雲の弓は光に還りつつあった。三メル級の代物だから、余韻でさえも神々しい。
「あの子はっ!?」見守るだけのジニーには、とてもなせない業だった。
「信じな、じきに帰って来るとも」
かわらぬ模様でテキセンは笑んだ。
戦馬戦士が駆けずりまわる、町はずれの小丘であった。
陣地構築のため、後から後から馬車が駆け入っては、防衛線の一部となってゆく。ここにきて数が一丸でないのは、計算違いをかさねた結果だ。
差出人不明の伝書鳩が届いたのは、常なら昼の会議の時分。それも届くはずのない、ふつうの鳩だ。
『猶予なし、急がれたし』
なにもかもが不明のそれを、助言ととるか、罠ととるかで、黒馬車は独走を選んだのである。かぎられた、英雄たちを乗せていた。
騎兵が連なり、そのほかがつづき、今だ。
テキセンのはなった"導きの目"で、状況はそれなりに把握できている。瘴気に阻まれ"目"は何機も落ちたが、一部は深部までたどりつけた。
「靄さえなけりゃ、もっとやれたんだが……」
たらればである。使徒の少年まで斃せていれば、戦果としては最大限――とくべつ鋭いのがいるね。間一髪で避けられた――どこかで息つくのだから、長耳の性とは免れない。誰も責めない。そもそもの前提、超二キロル級の狙撃である。
「おみそれいった。こりゃどんな良銃でも敵わん」
「うんうん、落ち込むこたぁないんだ髭クン、俺が凄すぎるんだからさ!」
小男の鼻をつつくためだけに、テキセンはしゃがみこんでみる。
「悪いこた言わない……もっと褒、め、な、よっ」
「ああ、でかしたとも!」
安易に踏み込んでしまって悪手だ。テキセンの首根っこを固めにかかる、ハウプトマンの腕は太い。がはは!とむさい胸板をのがれるためには、参ったを唱えるはめになるだろう。
「ごめん、ごめんにょ!暑いってば!」
シュワルコフの地らしくない、異様な熱帯夜になりそうだった。
笑いが起こるだけましな一角だ。
正常な世界ではみつけようのない、歪んだ闇が空を覆っている。あまねくところでのさばっている隠微な異質さに、見て見ぬふりができるのであれば、なるべくつとめるべきなのだ。
「あぁ、地べたは暑いったら!」
大空を翔けてきた者の、帰還して二言、三言目であった。
「一帯がすっかり"魔法理異象"ね」
一言目はもちろん「どうよ、たやすかったわ!」だ。手うちわだけは欠かさずに、涙ながらの再会を見届けた。
ジニーはくしゃくしゃになったまま、フランを手放そうとしない。
「あの、ゼンは……」
「先に行ったよ、俺の"猟犬"と」テキセンのそれには、"追い打つ楔"と名があった。つづき先駆けた英雄たちは、救出成功のしらせを心待ちにしながら、いまにも斬りこむすんでのはずだ。
「私も、私も行かないと……!」
「まずはあんたのお医者だよ!」ジニーはがんとして逃がさない。「あの子のいちばん気がかりさ」
「私は平気です!だってシェリーに……」
「シェリー?」
「……いえ。とにかく私はいいんです」
一晩くらいゆっくりすべきだろうに、フランもそういう少女であった。
「でしたら、先によろしいですか……」状況にたいして、イトーは現実的であれた。「こちらの方から」
「騎士長補佐のヴァッチヨです」こんどの不幸と幸とを手短に言ってから。「人命救助のため、お伺いしたい点が幾つか」
限られた人手であるから、効率が求められている。情況にわずかでもくわしいのが、フランだ。
「大丈夫、あの子はひとりじゃない」黒髪をすいて、ジニーはなだめる。「みんなでうまく行くように、ちゃあんと考えたんだから」
救える人がいるかもしれない。大義名分を盾にされて、フランはもはや頷くしかなかった。
「想定よりも……」メイウーだ。付近を視察しおえて帰った。「落ち着いてるようね」
後方の情勢を言っている。とんとんと、高いかかとを踏み鳴らしながら、テキセンに呼びかける。
「私たちも行きましょう。脚も冷えきったことだし」
騎士団の術師が"花火"を上げても、おびきよせられる魔物はなかった。いまも打ちあがる、飛び立ちの合図だ。
「やれやれ、お役目とあっちゃしょうがないな!」
テキセンは気障に二指の敬礼を払う。
「じゃあまた、神子のお嬢さん!」
いちおう、メイウーに抱っこされながらである。
「坊やには無事を伝えておくわ」「君が来るまでに片付けとくよ!」
硝子の階段でも、駆けあがるかのようである。見送る地表にまで、しばしやりとりがつたわった。
「メイウー、ちょっと臭うな?」
「はァ?落っことすわよ!」
「ちがうちがう、"霞"のことさ!お嬢は、うーん……月光花のいい匂い!」「嗅がない!」「ちょまっ、落ちおち―――!」
高度を稼いだあとは、氷滑りにでも興じるようだ。あっというまに見えなくなった。
「たいした連中だ」
ハウプトマンはよく理解していた。嘘ごまかしでああはふるまえない。
「龍技に"森番"。ほとんど奇跡な巡りあわせさね……」
「……俺らも負けてられんな、リリー?」「うん、もちろんだよ!」
こんな新婚旅行もそうそうあるまい。後方防衛の任に、馬車主夫妻は加担しにかかる。戦士の名簿にはのらないが、為せることとはあるものだ。なにより闇に踏み入ったが以上、今が一時の平穏だとて、戦端はすでに開かれている。
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「あーりゃりゃ、もうめちゃくちゃだ」
"教主"のちぎれた下半身をフィルデーは足蹴、泥にまぶしてもてあそぶ。あきたら、しゃがみこんでやる。
「どーすんのこれ」
「う、う……」
血泡を吹きながらサラザーリには、驚くべきかな意識がまだある。半身を失い淵を目前にしながらも、"満開"はそれだけ強いのだ。
「《こちらじゃ、ちょっと治せない》」霞の中から女の声だ。
「お前どうする?むこう行く?」
「わだ、わだじは、神ィ……」
心がけだけはたいしたものだ。死に体にして執着を捨てない。
儀式の完遂は、あとひとつのところで成らなかった。"呼び声"は静まり、"存在"は鳴りを潜めている。
この先にはまたひとりの名無しが、躯の山の糧となるばかり、変革も何も起こらない。
「《心核を失った。また出来損ないになる》」
「核?核かぁ……」
神子なら核に相応しかった。生そのものが超常的な強度、つよい叶える力を持っているから。
核であれ。
肉であれ。
楔であれ。
一身にしてまかなえる、はずであった。
「デカいのいないとキツいの?」
「《せいぜい百人。盾持ちだけ怖い》」
「あいつマジうぜー、ぜってぇ殺す」
フィルデーはひとまず歯ぎしりをしてみた。
いまいましい、例の狼騎士め。右だか左だか、とられた手首はもと通りだが、殺してやらねば損した気分だ。
「こっから逃げんのクソ癪じゃねぇ?」
逃げる、と口にしてみて、フィルデーはみずからの機嫌をますます損ねそうになる。
「……"核"ならそれなりのがあんじゃん、ここにさ」
いい悪だくみで上書きされた。
あたりには山盛りの絞りくずがある。"存在"のおやつか、兵をこねるのに使う気だったが、肉の足しにくらいなるだろう。
そして核には。
強い願いの力が要るなら、ここにまさしくあるではないか。
死してなお叶えたいほどの願望、否、欲望のかたまりが。
悪魔の少年のゆがむ口端は、とどむるところを知らないでいた。"教主"と呼ばれた男の、冥く濁りかけの目を、ふかぶかと覗き込んでいる。
「となえは何回、要んだっけ?」
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町が腐っている。
"悪心"にまつわる忌まわしき叙述に、散見されるその表現だ。
なにも偽るところはない。
むこうがもたらす腐れた瘴気を、人は本能的に嫌悪する。
これにくわえて。
"こちら"の世界の意志なきものが、"あちら"の力にながく浸ると、物理的にも、魔法理的にも、あるべき強度をうしなってしまう。
そうとも、町が腐っていた。
「むやみに触れるなよ」
「あう!ご、ごめんん……」
槍手はつつきたくなる性だ。
ダルタニエンが石突きでふれた途端に、路傍の花壇は崩れ落ちた。さらさらと、もう灰色な砂くれである。
夏の花々も、堅牢な煉瓦の外ぶちも、日ごろに輝くものだから、いまにますます目につくだけ、何もかもの彩度が落ちていた。
「なんと痛ましい……」
町中のものが腐れていた。ダコックをひどく苦しめるのは、なにも臨する死戦でない。ボルドヴェンの態度も似ていた。
「これではたとえ命が無事でも、人々は帰る住処を……」
「いや……」「大丈夫」
悲嘆に暮れるのははやすぎだ。断言できる騎士たちがいた。
「もと通りになります、かならず」あるべきそれを、ゼンは指さした。「空を取り戻せさえすれば」
「何もかも、我々次第ということだ」唸り声である。
ここにきて他人を思えるのだから、この先も"鷲爪"の騎士らがくじけることはあるまい。神妙に頷き返すのだった。
騎士たちは今ふちにいる。
湖のふちだ。
干上がったそのむこうに"果ての靄"が充満している以上、むやみやたらの進軍はならない。
再確認をするべきだろうか。
不可避の視野狭窄を、"霞"はもたらす。「そこにある」のを知っておかねば、至近のものも見失える。
まして遠方を明瞭に意識するには、何かしら派手な手掛かりが不可欠。
つまりこの先、ひらけているのに、とじられている。
めっぽう不利な進む側だ。
不慮の孤立は避けられたし。けれど団子では同士討ちもある。我此処に有りと筒抜けでもよければ、声を張り上げながらゆけ。
ないよりマシの攻略法が、伝令騎兵の配備であった。いまも騎士らのうしろで控えている。
前線要員に各一騎のほか、横隊のすき間をつなぐ役、ときに応じて行き交わせる役。あからさまに言って、死に役だ。
じりじりと、つま先ににじり寄る邪悪を味わいながら、しかるべき、前へ進めの合図を、戦士たちは待っている。
横隊化して半包囲を押し上げる。できるかぎりの使徒を補足し、無力化する。
誰も疑わない。
これで正当な作戦だ。
誰かがそれをせねばならない。
みずからはどちらかといえば、なせて帰れる側にいる。そんなだいじな不公平さを、ゼンは考えつきもしないでいた。
ここにきて「待ち」を体得できて、どこか満足してさえいる。ヴィクトルを真似て腕を組み、霞をにらみつくすだけだ。
先には「救出成功、対象は無事」を示す、緑の花火――信号弾をみとめたおかげである。
赤や、よしんば黄色を見ては、どうだったかはわからない。
失敗の赤色なら、ひとりで突っ走っただろうし。
身柄は確保、"しかし"。の黄色なら、前も後ろもままならなかった。
揺らげば、瘴気にあてられて、そこの騎兵のようにもどしたやも。朝餉で石畳がいろどられ、乗られた馬まで動揺しだした。
「わわ、だいじょうぶだよぉ……!」
ダルタニエンが見出したことだが、騎手の心に、馬は感化されやすいらしい。
人とちかしい生き物だからだろう。
騎士団の戦馬たちはむしろ、気丈にこらえてくれていた。
再三忠告してたりない、悪気の満ちる中である。この色褪せた世界は、生き物がいるべき空間ではない。
空にも地にも、後も先も、我ら訪問者のほか、生物の気配はない。
命あるものはここを好かない。
動くとすれば、それは。
かなた後方で、信号弾が打ちあがっていた。ここは目視の限界距離でもある。かがやく色とは。
緑、緑、赤。
最前線に赴いて、意味を読めない者はいないが。
「陣地異常無シ……作戦続行可、戦力送ル」
いちおうじみて、ダコックは読みあげてくれる。内容のわり、ぎこちなかった。
生き物のはなしをしてきたはずだ。
ここ"牡鹿角"は、シュワルコフ西部最大級の湖畔町。鳥瞰すれば三叉状の、"牡鹿角湖"西岸にこの居住区はあり、住まうべき人口は、およそ千二百名。
人っこひとりみかけていない。
南部から軍団は進入し、英雄と騎兵とでさらに、北北東をめがけて駆けた。一部とはいえ町を斜めに抜けてきて――人っこひとりみかけていない。
せめて敵の根城からはなれた、もっと西端部であれば、のぞみがあってはくれまいか。
もの言わぬ躯ばかりでは困る。
輪をかけて、遺体さえ見つからなければ?
一説、"果ての魔物"の原料とはなんぞや。
信号弾が続けて上がった。赤、緑、緑。
色の加減と、明滅の回数から解読できる。
「第一標的殺傷、使徒残り六名、魔物の出現未確、同じく"影"など出現未確……」
フランが裏付けてくれた情報だろう。思っていたほど悪くない。
「一安心ですかな」
ボルドヴェンが息つくのに、ヴィクトルはむっとしたはずだが。
「春先の川面だ、準騎士ボルドヴェン」ダコックの方がはやかった。「雪融けをひかえるのに、浮かれて漁に出る者が?」
「は、軽率でした。騎士長ダコック」
頼もしいことだ。
そのまま南西の空を見逃さぬようにいると、今度は影だ。
飛ぶ鳥の失せた闇模様である。我が物顔にゆけるなら、カラスか、魔バトか、いや人だ。
ふわりメイウーが降り立った。
「こんな手前に?見逃すとこだったわ」
「やぁやぁ花火は見ただろう!?俺のお手柄、みなさまご存知~?」
ほんのふたりでにぎやかになる。
「一振りほどの仕事はしたな」
「言うねぇ、騎士サン!」
テキセンの底抜けの陽気さだ。
「俺はおんなじのを百発だって撃てるんだぜ?もっと言うことないのっカナ~」
「いや……」居住まいをただじて、ヴィクトルは真摯にむきなおった。
「実には両名、よく役目をはたしてくれた」
もとは我らがあやまちだ、と"商隊"の騎士たちは態度にふくんだ。
「見事だったと認めるとも。深く感謝する」
ゼンも礼していつわりなかった。
名のある冒険者たちは、目をまるくするまでないが、いささか芝居じみていた。
「聞いたかい、お嬢?この先、百年生きても聞けるかしらんぜ」
「ま、足慣らしにはなったわね」
メイウーはなかば本気で言うようだ。
「感謝されるなら、まだこれからよ」
「ああ、連中はまだ中にいる」
こちらとて、無策で霧中をゆくはずがない。ヴィクトルは確認する。
「"統手"は死までを?」
「お腹のあたりでこれだぜ、これ」
みぞおちのあたりを手刀でちょいちょい。腹立たしいことに、唇をむいても二枚目のテキセンだ。
「……仕損じを考慮しておけ」
「心配性だねぇ~」肩をすくめると、純白のケープがふわふわとした。長耳の戦装束だった。「ま、百人までならかかってこいさ」
覚悟はよいかと、訊ねるまでもなさそうだ。
もうかたわらでは、フランの様子はどんなだったかと、メイウーとゼンが話しあっている。たがいに見方がかわったらしい。
「来ました、最終方針です」
ダコックが指す、それを待望していたのであった。南西に輝く信号弾だ。
橙、緑、赤。
「町ニ生存者アリ」
誰かが唾をのみこんだ。
「総数不明、陣地安全ニツキ、救命支援ヲ開始」
すなわち我らの為すべきこととは。
「変わらんな……使徒との短期決戦に尽力」
穴の沈静化は長期を視野に、封じ込め包囲などなし。せめて使徒だけは逃してならない――そうでなくては、延々とこれが繰り返される――寡兵でのぞめる最善手だが、たらればの極みを言っていた。今一度、唸り声である。
「辛い一戦になる」
「さっさとやらなきゃもっと辛いわ」
みな黙したままうなずいた。
「信号弾を?」騎兵長の腰の荷から、ダコックは巻物を抜き出そうとする。
「そうだな。緑、緑、赤にて――」
ヴィクトルは、そのすぐ影を見たのである。
「いや」
うつむいている、とりわけ青ざめた若い騎兵だ。嘔吐したのも彼である。帰そうにも留まると言って聞かない。騎兵とて多くはないから、ありがたいことではあるが。
「我が方の早期位置露見は、多少なり避けられたい」
伝令を送ろう、という目くばせだった。
「左様ですな。では……ラパフェン」
「うっ……あ、はっ……!」
名指しに若人はかたまった。この空間で常人は、自分の影にも怯えるものだ。
「送るのは一騎かぎり、大役だぞ。緑、緑、赤、しかと送れ」
「は……はっ!馬上にて失礼っ、ご、ご武運をお祈りします!」
「行ってよし」
いななきと、石畳をしだく蹄音が遠のく。
「すまないねホルツ、騎兵長の頭越しに」
「いいえ騎士団長、まったく正しいご判断であるかと」
残った古参らも次々と声をあげた。
「若いのの給金では、この先の仕事はとても!」
「どれ、むしろ惜しいことを!」「何?」「褒美がひとりぶん増えましたぞ!」「わはは」
見合わぬ対価は誰しも同じ。彼らとて、愛馬の蹄を減らすのだ。ただ信じているから走ってくれる。英雄が、必ず邪悪を打ち倒す。
「では……」
最前線指揮官にもあたる、騎士たる騎士が唱えた。
「基幹七名、弧線状陣形に開け。騎兵、所定の位置につけ。伝令、両翼に以下を各個伝達……これより我ら、牡鹿角湖湖底"果ての霞"内、肉眼索敵を敢行する。各員、一分六十の歩速、前へ――」
総員抜剣。
「進め」




