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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:悪心の呼び声
71/106

71.戦端


 悪心は、はじめに(とお)ほどもぎ取った。罪のない人々の頭であった。

 ぽたぽたしたたる魂を、しげしげ眺めて、冷めるのをまつ。むくろと捏ね上げ、"肉の木"を育てた。

 闇の倦む空に陽はのまれている。暮れも明けるもついぞ知れぬが、幾ばくもない猶予と知れる。それでも、フランは希望を捨てない。

「シェリー」

 (にえ)として枝に吊るされながら、そっと呼びかけるのだった。(はた)にひとりきり見張りの女は、抜き身をぶらりと下げている。

「……何?」

 彼女も抑えた声だった。きっと悪魔に聞かれぬためだ。

「アンネちゃんは、もう無事に?」約束通り、逃がしてもらえたのだろうか。

「……さぁ」女はそっぽをむいてしまう。「解放は、されたでしょうね」

「……ありがとう、シェリー」

 まごころからフランは言った。

「おかしな子」うしろめたそうに、女はわらう。「わかっているの、私が誰だか」

「ええ、ラシェリー。あなたはずっと親切だった」

「……黙りなさい。慣れあう気はない」

 その人は、悪心の使徒であるかもしれない。けれど悪人だとは、フランには思えない。握る剣にせよ、大切にぶらさげたままだ。まるで守ってくれている。


 囚われの身にあるあいだ、シェリーが面倒をみてくれた。きっと最後の日だろう今日まで、水も食べ物もたえなかった。この頃すくなくなったのも、たぶんあてがわれたぶんを、こっそり半分よこしてくれた。

 はっきりとした暴力は、逃亡をこころみた、あの一度きり。

 焼き潰された顔を治せたのは、シェリーが"教主"の許しを得たから。

 脚を治した直後に、顔は焼かれた。術の冷却が確実に間に合ったのは、シェリーが時間を稼いでくれたから。"治癒"の制約を知ってか知らずか、真意もまたさだかでないけれど。


 ――とにかく私はいま無事です。


 過ごした一時の痛みなど。おとりに残されたアンネを思えば苦にもつかない。ふさわしい手当てを受けれただろうか?

 シェリーが悪人だとは、フランには思えない。

 どんな人なら「悪人」なのか。


 欲望のまま力を振りかざす人。

 命を命と思わない人。


 まさにむこうの悪魔の少年、フィルデーのような人物をいう。

 それとなくなら聞き及んでいた。たぶん言葉を、選びぬいてくれていた。

 それは嬉々としたさまである。

 列に並べた町人(まちびと)の首を、ひとつふたつとまた刎ねて、(むくろ)の小山を築くのだ。

 うずたかい山はもうふたつめだ。

 フィルデーは披露したがった。

 よく見ていろよと"肉の木"に吊るした。

 りっぱでいびつな砂場の城を、見せびらかしたがる子と譬えるには、あまりに獰悪(どうあく)の化身であった。


 もう目隠しはない。なおさら最後の日とわかる。怯える人々が、斬り刻まれてゆく。

 つまれている。

 あらぬ方々へ曲がった四肢。恐怖にかっと見開きかれた目。絶叫のまま開け呆けた口。いまでも涙をおとす瞳、もう濁ってしまった瞳。

 死にざまというのは唐突だ。

 生きて動けた人間と、一続きである気がしない。


 フィルデーは知ってつまらなそうにした。

 これがはじめての体験ではない。

 はじめの十人で泣かなかったので、それじゃあもっとたくさんだ、と人を並べて見せしめる。

 泣かないからだと悪魔は笑うが、よくいう、どのみち皆殺しの気だ。

 お前は最後だ。悪魔は迫るが、いまさらなにを怯えよう。


 立ち向かえ、ただ立ち向かえ。

 使徒は七人、おのれはひとり。

 ただいますぐにはむずかしいが、かならず来る、助けなら来る。

 ただどうかはやく、一人でも多く助かるうちに。


 虐殺がはじまるより前に、シェリーはこっそり伝えてくれた。見てみぬふりをなさい、野菜のヘタを取っているのだわ。

 来たる決戦にそなえ、正気を保つため、フランは最後の助言に従った。


 救えずにいて、ごめんなさい。

 力およばず、ごめんなさい。

 見てみぬふりする私を、今だけどうか許してください。

 光の騎士は教えてくれた。光のむこうで得た知恵だ。


 悪心は、人の心を食べ育つ。


 負の感情を好んでは食す。

 そうしてすくすく育つのだ。

 神子のそれならなおさら美味という。


 やまない悲鳴。充満する恐怖。いきいきとした狂気。

 心をひたさず堪えるのだ。


 とはいえ、いくら耐え忍べても。

 躯の山は築かれる。

 干上がった泥の湖底であった

 着々と、それは育つのだ。


 穴だ。

 そこには穴があった。


 直径、優に十メル超。なにをはばかろう、地獄の門だ。


 何が役立つかわからない。フランは観察をやめないでいた。もちろん、希望を捨てていない。

 むかいは町の岸のはず。"果ての霞"が濃くなって、遠景はもはや望めない。

 聞ける悲鳴がおとろえたのは、並んだ数が減るせいだ。悪魔が剣を振るのをやめた。

「……声ちいさくね?あきてきたわ」はらった刃でちょいちょいと招く。「おいベン!残りやっといて」

「うす」

 巨人が代わって剣を薙ぐと、人の頭なぞ潰れてしまう。

 血しぶきに爆ぜて、胴だけふらり。よろよろとして、倒れ伏す。

「ぎゃは!へったくそー」

「きをつける」

「こりゃいいや!もっとやれ!」

「うす、こりゃいいや」

 ふと、誰かしらの舌打ちだ。どうにも小人の槍手らしい。

(……変わっちまった)

 脚が治ってから、巨人の様子はおかしかった。もっと穏やかな人だった。小人もそれを嘆くのだろう、こぼす相手は"仮面"であって、たぶん信用しあっている。いけにえの列をともに御すにせよ、さほどたのしそうではない。

「なーに言ってんのお前?」耳聡く、フィルデーである。鮮血を浴びるのにもあきて、積みかけの小山に胡坐をかいた。「やっとこさ思い出したのさ。これがこいつの根っからの、"理不尽と暴力"だっつーの」

 よりどりみどりの首だった。少年はわしづかみ、槍手にむかって投げつける。おびえるのをみて、にたりとした。

「いーからとっとと次の連れて来い」

「……ああ」

 他方、大きな山の上、カァ!と舞い降りる(からす)が一羽。

 ふもとで瞑想にふけるのは、二本角がしるしの"教主"であった。

「おや……この瘴気のなか、死肉を貪りに?」大きな昏い目で、死人の山を仰ぎ見る。「それほどの欲望、我らが神もお許し下さいましょう。ほどほどに啄ばむがよろしい!」

 ついで霞のなかから、誰かの影だ。しるしも言葉もはっきりしない。

「サラザーリ」ふしぎな女性の声だった。

「如何ですアナン?死の淵に向かう者どもは」

「《近いは近い。誰だかはわからない》」

「何者なのかが肝心なのに!あなたの耳目も万能たりえぬとは」

「《……言った。遮られるんだ。もうなにもきこえない》」

「やはり光の?」

「《使徒がいる》」

「くだんの盾持ちは」"教主"はこちらをうかがった気がする。「我らの道を封じた、ともすれば光の騎士やもしれぬと」

「《うとましいけれど、可能性。ほかにも強い力のしるしだ》」不思議な女の声はふるえた。「《きっとここに来る》」おびえていたかはわからない。

「いけませんねぇ、いけませんねぇ。早々にお呼びたてせねば」

「《……鎧があっても手勢でかせげる。もうかかれないか?》」

「どれ、外界はまだ昼のうち……しかし内界がこの濃さならば」

「《いそげ、嫌な予感だ》」

「よろしい。"核"をいただき、此度にこそ完全体を……!」

 カァ、カァ。山頂の烏が二度鳴いた。

 "教主"はこちらへ歩み出している。もとい"肉の木"を目指している。使いにでがけの槍手を呼び止めた。

「お待ちなさい!せっかくです、皆で見届けようではありませんか。あまりは兵の(しろ)にでも」

「もうやんの!いいじゃん、いいじゃん」るんるんとしてフィルデーがしたがう。

 いけにえの列はもうみえない。下ごしらえは終わってしまった。使徒七人が集っている。フランは希望をまだ捨てない。


 "教主"の手には長杖だ。湖底をうちしだくと、みちりみちりと幹がしなった。

 "肉の木"がもっと育つのだ。

 つられて視線も空高くなる。教主サラザーリは大穴とのはざまで、獣頭なりの恍惚さを見せた。

「んんん、これこそ我が悲願!偉業を成すのは、この私!さぁ、かの巨神竜をここに――」

「待て!何か来る」

 さえぎる"仮面"は如才ない。霞をやぶって飛びかかるそれを、刎ね飛ばすまではやかった。

「けっ、気狂いした馬鹿犬だ」

 "槍手"はつっつき不気味がる。もはや生き物がいるべき空間ではない。

「……では気を取りなおして」

 (こうべ)をいちどゆるりと垂れて、"教主"は穴を抱擁せんばかり、両腕をかき開く。ねっとりした声色だった。


我此処に(セストワ、)定むる(リラルヴァ、)(ラ、)(イザー)

 我此処に(セストワ、)定むる(リラルヴァ、)(ラ、)名前(トワァ)――』


 声ならぬ声が教主にならうのを、聞く者は聞いた。

 不浄な祭りの主催者だけが、口をうごかす、そのはずである。しかしあるのは斉唱だ。

 深淵より這い上がらんとする、未知の何かは欲していた。

 顕現の(かなめ)を。

 生贄を。

 "肉の木"、これこそ生贄台だ。

 一節、一節、唱えがあるたび、(あるじ)なき声はふとくなる。不可視の万手が忍び寄る。フランは希望をまだ捨てていない。


汝が(ナクラク、)形は(イザラク、)巨神竜(アルテマロン)

 汝が(ナクラク、)名前は(トワラク、)世界竜(バフォムット)

 偽りの形(イザラベリ)偽りの名(トワラベリ)これをここ(サルトト)相反し仕るは(ラヴォレリ)心力(ハルトプファ)

 すなわち(ラフ)ここまで(トトマフ、)定めしは(リラレヴァ、)全き真実なり(ケイリスト)

 さぁ我が(アアセト、)八つの(アウガス)呼びかけに(カマラン)答えたまえ(レントトン)

 出でよ(ガモス)出でよ(ガモス)終わりの(ドベルヴァ)下僕(マラク)ッ!

 出でよ(ガモス)出でよ(ガモス)終わりの(ドベルヴァ)下僕(マラク)ッ!』


 フランは観察をやめないでいた。だからそれもみた。"仮面"の脚を、"槍手"が肘で小突くさまだ。おいダミアン、と小声で"槍手"。なんだ、と"仮面"はくぐもった。

「馬鹿犬の死骸、どこ行った?」

「何?」

 フランは答えを知っている。


出でよ(ガモス)出でよ(ガモス)終わりの(ドベルヴァ)下僕(マラク)ッ!

 出でよ(ガモス)出でよ(ガモス)終わりの(ドベルヴァ)下僕(マラク)ッ!』


 "仮面"はくまなくあたりを見回す。転がるのは、つみ損ねた人の残骸ばかり。たしかに犬のそれはもう見当たらない。

「……ッ!」

 息をのむのがつたわった。何ができるかはわからない。ただただフランは一息ついた。冷静でいよう。大きく吸って、吐くまでが、ひとつの行動様式だった。


出でよ(ガモス)出でよ(ガモス)終わりの(ドベルヴァ)下僕(マラク)ッ!』


 アー!アー!アー!"教主"の唱えに負けじとばかり、山の烏がけたたましく鳴く。おかしな烏だ。生き物がいるべき空間ではない。

「そこから下がれっ!フィルデーッ」「あん?」

 あわてふためく"仮面"がみえた。"肉の木"によりかかるフィルデーがみえた。()()()()()に散り還る、山の烏がうつくしい。フランは、ただただ見ていただけだ。


出でよ(ガモス)出でよ(ガモス)!ドベルッ――」


 あたり一帯を白みきらす、それは力の奔流だった。

「ヴァッ……!?」

 "教主"の胸から下が()()。霞をつんざくが轟音が、あとから遅れてやってくる。

 "肉の木"が破壊されている。

 自分も撃たれる、とは、フランはちっとも思えなかった。希望はあればあるだけいい。正体不明の「力」は四方八方に軌道をわかつと、さだかな意志で使徒らをめがけた。それぞれを回避に専念させる。かたや。


 ――落ちる……!


 物の理をフランは思った。後ろ手の拘束はとけていない。

 むかうのは"穴"だ。

 かなりの高さだ。

 どこへにしたって、無事ではすまない。

 浮遊感にどうあらがうべきか、身をよじりはした。けれど、まさかそこまで希望せずにいる。

「……とんでる!?」

 気づけば風にいだかれていた。なびく黒髪は、いまや我がものだけでない。

「ええ、飛んでるわ」

 知らない香水の女性であった。

「たとえ"さなかの言葉"でも、その単語だけは私も知ってる……」

「うしろっ!」

 浮かぶ美貌のむこうを、フランはとっさに指させた。落ちゆくばかりの"肉の木"の残骸が、巨腕と化して襲い来つつある。


焦熱燬然(しょうねつきねん)す螺旋の光鎚(こうつい)


 撃ち落とす先が"穴"でよかった。すくなくとも危機そのときに、走ってくれた誰かの上ではない。

「驚いた、あなた神子なのね」すました顔で女は見なおす。剣をふたつも帯びるから、たいした剣士なのだろう。軽々とかかえなおしてくれる。「お友達に代わって、助けに来てあげたわよ」

「えっと!」

 なにから清算すべきだろう?

「ありがとうございます!私、フラン・フラムネルですっ」

 まずはこれ、次はこれ。正しく選べていたらいい。

「そうね、神子である前に人の子だわ」

 意外にやさしくわらう女性だ。

「私はメイウー。龍と同じで名があるだけ、そして――」

 メイウーには、宙が踏めた。"果ての霞"をかき分けて、躍り出るのは、はやくも町並みの上空である。これでは使徒らもとうてい追えない。

「龍が如くに、空を()けるの!」




 ---




「《ひとり殺っ(One down)た》」

 テキセン・ガルド=シルヴィンが言った。精霊弓による極大射程狙撃を、成功させた知らせだった。

「ばっちし"統手"を射抜いたよ。あのアタリじゃ、よっぽどこの()にゃ帰ってこれまい」

 ついた片膝持ち上げるとき、白雲の弓は光に還りつつあった。三メル級の代物だから、余韻でさえも神々しい。

「あの子はっ!?」見守るだけのジニーには、とてもなせない業だった。

「信じな、じきに帰って来るとも」

 かわらぬ模様でテキセンは笑んだ。


 戦馬戦士が駆けずりまわる、町はずれの小丘であった。

 陣地構築のため、後から後から馬車が駆け入っては、防衛線の一部となってゆく。ここにきて数が一丸でないのは、計算違いをかさねた結果だ。

 差出人不明の伝書鳩が届いたのは、常なら昼の会議の時分。それも届くはずのない、ふつうの鳩だ。

『猶予なし、急がれたし』

 なにもかもが不明のそれを、助言ととるか、罠ととるかで、黒馬車は独走を選んだのである。かぎられた、英雄たちを乗せていた。

 騎兵が連なり、そのほかがつづき、今だ。

 テキセンのはなった"導きの目"で、状況はそれなりに把握できている。瘴気に阻まれ"目"は何機も落ちたが、一部は深部までたどりつけた。 

「靄さえなけりゃ、もっとやれたんだが……」

 たらればである。使徒の少年まで斃せていれば、戦果としては最大限――とくべつ鋭いのがいるね。間一髪で避けられた――どこかで息つくのだから、長耳の性とは免れない。誰も責めない。そもそもの前提、超二キロル級の狙撃である。

「おみそれいった。こりゃどんな良銃でも敵わん」

「うんうん、落ち込むこたぁないんだ髭クン、俺が凄すぎるんだからさ!」

 小男の鼻をつつくためだけに、テキセンはしゃがみこんでみる。

「悪いこた言わない……もっと褒、め、な、よっ」

「ああ、でかしたとも!」

 安易に踏み込んでしまって悪手だ。テキセンの首根っこを固めにかかる、ハウプトマンの腕は太い。がはは!とむさい胸板をのがれるためには、参ったを唱えるはめになるだろう。

「ごめん、ごめん()()!暑いってば!」

 シュワルコフの地らしくない、異様な熱帯夜になりそうだった。

 笑いが起こるだけましな一角だ。

 正常な世界ではみつけようのない、歪んだ闇が空を覆っている。あまねくところでのさばっている隠微な異質さに、見て見ぬふりができるのであれば、なるべくつとめるべきなのだ。


「あぁ、地べたは暑いったら!」

 大空を()けてきた者の、帰還して二言、三言目であった。

「一帯がすっかり"魔法理異象(アノマリー)"ね」

 一言目はもちろん「どうよ、たやすかったわ!」だ。手うちわだけは欠かさずに、涙ながらの再会を見届けた。

 ジニーはくしゃくしゃになったまま、フランを手放そうとしない。

「あの、ゼンは……」

「先に行ったよ、俺の"猟犬"と」テキセンのそれには、"追い打つ楔"と名があった。つづき先駆けた英雄たちは、救出成功のしらせを心待ちにしながら、いまにも斬りこむすんでのはずだ。

「私も、私も行かないと……!」

「まずはあんたのお医者だよ!」ジニーはがんとして逃がさない。「あの子のいちばん気がかりさ」

「私は平気です!だってシェリーに……」

「シェリー?」

「……いえ。とにかく私はいいんです」

 一晩くらいゆっくりすべきだろうに、フランもそういう少女であった。 

「でしたら、先によろしいですか……」状況にたいして、イトーは現実的であれた。「こちらの方から」

「騎士長補佐のヴァッチヨです」こんどの不幸と幸とを手短に言ってから。「人命救助のため、お伺いしたい点が幾つか」

 限られた人手であるから、効率が求められている。情況にわずかでもくわしいのが、フランだ。

「大丈夫、あの子(ゼン)はひとりじゃない」黒髪をすいて、ジニーはなだめる。「みんなでうまく行くように、ちゃあんと考えたんだから」

 救える人がいるかもしれない。大義名分を盾にされて、フランはもはや頷くしかなかった。


「想定よりも……」メイウーだ。付近を視察しおえて帰った。「落ち着いてるようね」

 後方の情勢を言っている。とんとんと、高いかかとを踏み鳴らしながら、テキセンに呼びかける。 

「私たちも行きましょう。脚も冷えきったことだし」

 騎士団の術師が"花火"を上げても、おびきよせられる魔物はなかった。いまも打ちあがる、飛び立ちの合図だ。

「やれやれ、お役目とあっちゃしょうがないな!」

 テキセンは気障(きざ)に二指の敬礼を払う。

「じゃあまた、神子のお嬢さん!」

 いちおう、メイウーに抱っこされながらである。

「坊やには無事を伝えておくわ」「君が来るまでに片付けとくよ!」

 硝子の階段でも、駆けあがるかのようである。見送る地表にまで、しばしやりとりがつたわった。

「メイウー、ちょっと臭うな?」

「はァ?落っことすわよ!」

「ちがうちがう、"霞"のことさ!お嬢は、うーん……月光花のいい匂い!」「嗅がない!」「ちょまっ、落ちおち―――!」

 高度を稼いだあとは、氷滑りにでも興じるようだ。あっというまに見えなくなった。


「たいした連中だ」

 ハウプトマンはよく理解していた。嘘ごまかしでああはふるまえない。

「龍技に"森番"。ほとんど奇跡な巡りあわせさね……」

「……俺らも負けてられんな、リリー?」「うん、もちろんだよ!」

 こんな新婚旅行もそうそうあるまい。後方防衛の任に、馬車主夫妻は加担しにかかる。戦士の名簿にはのらないが、為せることとはあるものだ。なにより闇に踏み入ったが以上、今が一時の平穏だとて、戦端はすでに開かれている。




 ---




「あーりゃりゃ、もうめちゃくちゃだ」

 "教主"のちぎれた下半身をフィルデーは足蹴、泥にまぶしてもてあそぶ。あきたら、しゃがみこんでやる。

「どーすんのこれ」

「う、う……」

 血泡を吹きながらサラザーリには、驚くべきかな意識がまだある。半身を失い(ふち)を目前にしながらも、"満開"はそれだけ強いのだ。

「《こちらじゃ、ちょっと治せない》」霞の中から女の声だ。

「お前どうする?むこう行く?」

「わだ、わだじは、神ィ……」

 心がけだけはたいしたものだ。死に体にして執着を捨てない。

 儀式の完遂は、あとひとつのところで成らなかった。"呼び声"は静まり、"存在"は鳴りを潜めている。

 この先にはまたひとりの名無しが、躯の山の糧となるばかり、変革も何も起こらない。

「《心核を失った。また出来損ないになる》」

「核?核かぁ……」

 神子なら核に相応しかった。生そのものが超常的な強度、つよい叶える力を持っているから。

 核であれ。

 肉であれ。

 楔であれ。

 一身にしてまかなえる、はずであった。

「デカいのいないとキツいの?」

「《せいぜい百人。盾持ちだけ怖い》」

「あいつマジうぜー、ぜってぇ殺す」

 フィルデーはひとまず歯ぎしりをしてみた。

 いまいましい、例の狼騎士め。右だか左だか、とられた手首はもと通りだが、殺してやらねば損した気分だ。

「こっから逃げんのクソ癪じゃねぇ?」

 逃げる、と口にしてみて、フィルデーはみずからの機嫌をますます損ねそうになる。

「……"核"ならそれなりのがあんじゃん、ここにさ」

 いい悪だくみで上書きされた。

 あたりには山盛りの絞りくずがある。"存在"のおやつか、兵をこねるのに使う気だったが、肉の足しにくらいなるだろう。

 そして核には。

 強い願いの力が要るなら、ここにまさしくあるではないか。

 死してなお叶えたいほどの願望、否、欲望のかたまりが。

 悪魔の少年のゆがむ口端は、とどむるところを知らないでいた。"教主"と呼ばれた男の、(くら)く濁りかけの目を、ふかぶかと覗き込んでいる。

「となえは何回、要んだっけ?」





 ---




 町が腐っている。

 "悪心"にまつわる忌まわしき叙述に、散見されるその表現だ。

 なにも偽るところはない。

 むこうがもたらす腐れた瘴気を、人は本能的に嫌悪する。

 これにくわえて。

 "こちら"の世界の意志なきものが、"あちら"の力にながく浸ると、物理的にも、魔法理的にも、あるべき強度をうしなってしまう。

 そうとも、町が腐っていた。

「むやみに触れるなよ」

「あう!ご、ごめんん……」

 槍手はつつきたくなる性だ。

 ダルタニエンが石突きでふれた途端に、路傍の花壇は崩れ落ちた。さらさらと、もう灰色な砂くれである。

 夏の花々も、堅牢な煉瓦の外ぶちも、日ごろに輝くものだから、いまにますます目につくだけ、何もかもの彩度が落ちていた。

「なんと痛ましい……」

 町中のものが腐れていた。ダコックをひどく苦しめるのは、なにも臨する死戦でない。ボルドヴェンの態度も似ていた。

「これではたとえ命が無事でも、人々は帰る住処を……」

「いや……」「大丈夫」

 悲嘆に暮れるのははやすぎだ。断言できる騎士たちがいた。

「もと通りになります、かならず」あるべきそれを、ゼンは指さした。「空を取り戻せさえすれば」

「何もかも、我々次第ということだ」唸り声である。

 ここにきて他人を思えるのだから、この先も"鷲爪"の騎士らがくじけることはあるまい。神妙に頷き返すのだった。


 騎士たちは今ふちにいる。

 湖のふちだ。

 干上がったそのむこうに"果ての靄"が充満している以上、むやみやたらの進軍はならない。

 再確認をするべきだろうか。

 不可避の視野狭窄を、"霞"はもたらす。「そこにある」のを知っておかねば、至近のものも見失える。

 まして遠方を明瞭に意識するには、何かしら派手な手掛かりが不可欠。

 つまりこの先、ひらけているのに、とじられている。

 めっぽう不利な進む側だ。

 不慮の孤立は避けられたし。けれど団子では同士討ちもある。我此処に有りと筒抜けでもよければ、声を張り上げながらゆけ。

 ないよりマシの攻略法が、伝令騎兵の配備であった。いまも騎士らのうしろで控えている。

 前線要員に各一騎のほか、横隊のすき間をつなぐ役、ときに応じて行き交わせる役。あからさまに言って、死に役だ。

 じりじりと、つま先ににじり寄る邪悪を味わいながら、しかるべき、前へ進めの合図を、戦士たちは待っている。

 横隊化して半包囲を押し上げる。できるかぎりの使徒を補足し、無力化する。

 誰も疑わない。

 これで正当な作戦だ。

 誰かがそれをせねばならない。


 みずからはどちらかといえば、なせて帰れる側にいる。そんなだいじな不公平さを、ゼンは考えつきもしないでいた。 

 ここにきて「待ち」を体得できて、どこか満足してさえいる。ヴィクトルを真似て腕を組み、霞をにらみつくすだけだ。

 先には「救出成功、対象は無事」を示す、緑の花火――信号弾をみとめたおかげである。

 赤や、よしんば黄色を見ては、どうだったかはわからない。

 失敗の赤色なら、ひとりで突っ走っただろうし。

 身柄は確保、"しかし"。の黄色なら、前も後ろもままならなかった。

 揺らげば、瘴気にあてられて、そこの騎兵のように()()()()やも。朝餉で石畳がいろどられ、乗られた馬まで動揺しだした。

「わわ、だいじょうぶだよぉ……!」

 ダルタニエンが見出したことだが、騎手の心に、馬は感化されやすいらしい。

 人とちかしい生き物だからだろう。

 騎士団の戦馬たちはむしろ、気丈にこらえてくれていた。  

 再三忠告してたりない、悪気(あっき)の満ちる中である。この色褪せた世界は、生き物がいるべき空間ではない。

 空にも地にも、後も先も、我ら訪問者のほか、生物の気配はない。

 命あるものはここを好かない。

 動くとすれば、それは。

 かなた後方で、信号弾が打ちあがっていた。ここは目視の限界距離でもある。かがやく色とは。


 緑、緑、赤。


 最前線に赴いて、意味を読めない者はいないが。

「陣地異常無シ……作戦続行可、戦力送ル」

 いちおうじみて、ダコックは読みあげてくれる。内容のわり、ぎこちなかった。

 生き物のはなしをしてきたはずだ。

 ここ"牡鹿角(おじかづの)"は、シュワルコフ西部最大級の湖畔町。鳥瞰すれば三叉状の、"牡鹿角湖"西岸にこの居住区はあり、住まうべき人口は、およそ千二百名。

 人っこひとりみかけていない。

 南部から軍団は進入し、英雄と騎兵とでさらに、北北東をめがけて駆けた。一部とはいえ町を斜めに抜けてきて――人っこひとりみかけていない。

 せめて敵の根城からはなれた、もっと西端部であれば、のぞみがあってはくれまいか。

 もの言わぬ躯ばかりでは困る。

 輪をかけて、遺体さえ見つからなければ?

 一説、"果ての魔物"の原料とはなんぞや。


 信号弾が続けて上がった。赤、緑、緑。


 色の加減と、明滅の回数から解読できる。

「第一標的殺傷、使徒残り六名、魔物の出現未確、同じく"影"など出現未確……」

 フランが裏付けてくれた情報だろう。思っていたほど悪くない。

「一安心ですかな」

 ボルドヴェンが息つくのに、ヴィクトルはむっとしたはずだが。

「春先の川面だ、準騎士(セムル・)ボルドヴェン」ダコックの方がはやかった。「雪融けをひかえるのに、浮かれて漁に出る者が?」

「は、軽率でした。騎士長(コマンダ・)ダコック」

 頼もしいことだ。


 そのまま南西の空を見逃さぬようにいると、今度は影だ。

 飛ぶ鳥の失せた闇模様である。我が物顔にゆけるなら、カラスか、魔バトか、いや人だ。

 ふわりメイウーが降り立った。

「こんな手前に?見逃すとこだったわ」

「やぁやぁ花火は見ただろう!?俺のお手柄、みなさまご存知~?」

 ほんのふたりでにぎやかになる。

「一振りほどの仕事はしたな」 

「言うねぇ、騎士サン!」

 テキセンの底抜けの陽気さだ。

「俺はおんなじのを百発だって撃てるんだぜ?もっと言うことないのっカナ~」

「いや……」居住まいをただじて、ヴィクトルは真摯にむきなおった。

「実には両名、よく役目をはたしてくれた」

 もとは我らがあやまちだ、と"商隊"の騎士たちは態度にふくんだ。

「見事だったと認めるとも。深く感謝する」

 ゼンも礼していつわりなかった。

 名のある冒険者たちは、目をまるくするまでないが、いささか芝居じみていた。

「聞いたかい、お嬢?この先、百年生きても聞けるかしらんぜ」

「ま、足慣らしにはなったわね」

 メイウーはなかば本気で言うようだ。

「感謝されるなら、まだこれからよ」

「ああ、連中はまだ中にいる」

 こちらとて、無策で霧中をゆくはずがない。ヴィクトルは確認する。

「"統手"は死までを?」

「お腹のあたりでこれだぜ、これ」

 みぞおちのあたりを手刀でちょいちょい。腹立たしいことに、唇をむいても二枚目のテキセンだ。

「……仕損じを考慮しておけ」

「心配性だねぇ~」肩をすくめると、純白のケープがふわふわとした。長耳の戦装束だった。「ま、百人までならかかってこいさ」

 覚悟はよいかと、訊ねるまでもなさそうだ。

 もうかたわらでは、フランの様子はどんなだったかと、メイウーとゼンが話しあっている。たがいに見方がかわったらしい。

「来ました、最終方針です」

 ダコックが指す、それを待望していたのであった。南西に輝く信号弾だ。


 橙、緑、赤。


「町ニ生存者アリ」

 誰かが唾をのみこんだ。

「総数不明、陣地安全ニツキ、救命支援ヲ開始」

 すなわち我らの為すべきこととは。

「変わらんな……使徒との短期決戦に尽力」

 穴の沈静化は長期を視野に、封じ込め包囲などなし。せめて使徒だけは逃してならない――そうでなくては、延々とこれが繰り返される――寡兵でのぞめる最善手だが、たらればの極みを言っていた。今一度、唸り声である。

「辛い一戦になる」

「さっさとやらなきゃもっと辛いわ」

 みな黙したままうなずいた。

「信号弾を?」騎兵長の腰の荷から、ダコックは巻物(スクロール)を抜き出そうとする。

「そうだな。緑、緑、赤にて――」

 ヴィクトルは、そのすぐ影を見たのである。

「いや」

 うつむいている、とりわけ青ざめた若い騎兵だ。嘔吐したのも彼である。帰そうにも留まると言って聞かない。騎兵とて多くはないから、ありがたいことではあるが。

「我が方の早期位置露見は、多少なり避けられたい」

 伝令を送ろう、という目くばせだった。

「左様ですな。では……ラパフェン」

「うっ……あ、はっ……!」

 名指しに若人はかたまった。この空間で常人は、自分の影にも怯えるものだ。

「送るのは一騎かぎり、大役だぞ。緑、緑、赤、しかと送れ」

「は……はっ!馬上にて失礼っ、ご、ご武運をお祈りします!」

「行ってよし」

 いななきと、石畳をしだく蹄音が遠のく。

「すまないねホルツ、騎兵長(きみ)の頭越しに」

「いいえ騎士団長(コマンダ)、まったく正しいご判断であるかと」

 残った古参らも次々と声をあげた。

「若いのの給金では、この先の仕事はとても!」

「どれ、むしろ惜しいことを!」「何?」「褒美がひとりぶん増えましたぞ!」「わはは」

 見合わぬ対価は誰しも同じ。彼らとて、愛馬の蹄を減らすのだ。ただ信じているから走ってくれる。英雄が、必ず邪悪を打ち倒す。

「では……」

 最前線指揮官にもあたる、騎士たる騎士が唱えた。

「基幹七名、弧線状陣形に開け。騎兵、所定の位置につけ。伝令、両翼に以下を各個伝達……これより我ら、牡鹿角湖湖底"果ての霞"内、肉眼索敵を敢行する。各員、一分(いちぶ)六十の歩速、前へ――」


 総員抜剣。


「進め」

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