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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:悪心の呼び声
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70.出陣、進軍、決戦前夜



 巨羊の群れの大行進だ。もれなくその毛を煤まみれにしている――もうもうと、分厚い雲が一面波立ち、頭上を低くゆき過ぐ模様が、出発の朝の景色であった。

 二十数台からなる軍馬車列も中段を、"商隊"はあずかる。騎士と冒険者の境であった。

 折しも羊の群れが空を去るころ、北進の岐路に、"際涯なる(しば)れの山岳砦"を間近で見ゆる。うっすら誇りとされながら、その全容は、ふもとでは霞がちである。

 天の恵みだと、騎士長は喜んだ。騎士ら兵卒らはもれなく乗り物をくだり、騎士の敬礼を砦に送った。土地の騎士でないヴィクトルもならった。

 (いくさ)にむかうこの足だから、習わし、祈り、敬意の表明。ダンコヨーテの騎士は言う、なにも無駄ではなかったと。

 歴史の話になる。

 "統世の代"も目前、四賢公らの手が及びきらずいた、各領境域での苛烈な戦闘は、"嘆きの戦火"と総称されている。

 戦わなくともよかったはずだ。通信の不備、意志疎通の齟齬、独断と偏見。終息に要した年月は、暗い過去として直視されない。

 かつては無名の山岳砦は、まさにそのころ、対ジガヴェスタ防衛拠点として完成した。

 シュワルコフ領境守護の為である。

 それも多くは、(いくさ)の影と戦うこととなる。なによりきびしい凍てつきと飢えは、あらぬ敵の刃より、ずっと残酷だった。

 不毛とは言ってくれるな。

 果てながら戦闘は実現する。

 ふもとの町の人々は、焼け落ちる我が家の炭のにおいも、隣人の血の香も嗅がずにすんだ。

 確固たる守り手の意志が、あってくれたから。


 過去の称揚に、騎士団の士気は高まった。

 些細な事と思うやも。けれど戦を前にした戦士の心理とは、これくらいで良くも悪くもなるものだ――そのようなことを御者台で、テキセンは語るのだった。いっときかぎり黒馬車に、新たな同乗者である。

「惜しいね。こんな大行軍に、吟遊詩人がいないのかい?折よくも、晴れた象徴に軍勢一同の最敬礼!語り継がれる一大英雄叙事詩のはじまりに、もってこいな情景なのに……ああ、主役はもちろん俺達だ!」

 語られるのはゼンである。

 御者台をともにするのだから、懐いているのだと思われている。相槌が「そうですね」ほか定型文でも、子どもであるから満足らしい。

 ゼンからすれば仕事の内だ。


 ――敵はいつでもこちらを見れる。


 索敵である。

 隣を、うるさいテキセンとするか、おうへいなメイウーとするか、二択であった。

 はたして選べたかわからない。メイウーは、"薄灰色"では窮屈だからと屋根を陣取るのだ。日が照りだすと、日傘とかいうのを広げる始末。

 ()()()の白皮製で遮熱がどうの、テキセンはテキセンで、うんちくを垂れだした。知らない動物だ。と、口を滑らせてまずかった。狩りの武勇を語るまでみえる。

 のんきなことだ。

 メイウーにせよテキセンにせよ、連絡所にあらわれたそのときが、もっとも気張っていた。

 あんな敵のいないところでむきになって、敵地へむかう今に腑抜けている。どういう了見なのだろう。

「……いいか、どうだって」

「ん、なんだって?」

「いえ、なんでも」

「そうかい?」

 かげりを知らないテキセンだ。

「この路、退屈するだろう。次には聞かせてあげようか、俺の猟犬のお話だ!」

 待った甲斐、ならあったのだろう。

 まがりなりにも軍勢が整った。

 今は縦長になって、山道を進む総勢二百名とすこし。百二十頭の軍馬がひく、さまざまな用途の荷台。一日二日ではまかなえないし、五日の仕業で大したものだ。

 未明の広場に集った頭数をみて、みずからに足りないものをゼンはさとれた。

 斬り込むだけで済んだらいいが、世界は自分と敵だけではない。理屈の上ではわかっていた。実感は、目にしてからだ。これだけ集っても、"果て"の軍勢に数で及ばず、守られるべきひとりひとりにだって、とうてい足りない。


 ――フランの救出は絶対。でも、それで何もかもは終わってくれない。


 一万の兵がいたって知れている。あるいは十名の、一騎当千の英雄かだ。

 最前線の担い手として、メイウーとテキセンはたしかに際立った。


 ――……強いのは、みとめる。


 一戦まじえるまでもない、ふたりは手練れの戦士と知れる。

 ただ、見てきて思う「強者のありかた」に、どうしてもそぐわない部分があって、心から納得できないでいる。

 ともに戦う仲間として、どこまで信用してよいものか。よもやヴァンガードの代わりなどもってのほか。第三の騎士など、やはりどこにもいないのだ。


 当初の方針を違えて、軍団は北進していた。

 これまた待ちの成果である。冷静にみつめなおす時間があった。

 新たな行き先を、"牡鹿角(おじかづの)湖畔の町"という。

『昨日の今日でよく知らないが……急な変更らしいじゃないか』出陣前に、テキセンは訊ねるのだった。『よほど確信が?違ってたらその……女の子がさ』

『この地には機密情報を取り扱う、軍務書記官なる役職がある……』出立の演説をひかえたヴィクトルが応じた。

『知ってるよ!安否確認のハトを飛ばすんだろ?』後の予定などお構いなしだ。『はじっこの村なんて危ないからさ、気がついた時には全滅……!なんてのを避けるために』

『……毎朝夕に発さられるそれは、定型文に、担当官が署名を施すだけの形式的な――』

『わかった!署名にインチキだ!』

 テキセンはぎろりを浴びる。

『もったいぶって話すんだから!ほら、昨晩みたいにハキハキと!』

『……貴公の見立てはおよそ正しい。

 招集令発動も直前のことだ。北方の一等町である"牡鹿角"にて、書記官の担当交代があった。

 ふつう、その追加や交代に際しては、領都を介しての通達と筆跡証明が伴うものだが、遠方の時差を鑑みて、平時であれば気にも留めん。

 ただ朝夕の安否確認をそれぞれ別人が行うことは、特筆なくしてあり得ない』

『それが、ありえちゃったんだ?』

『限られた肩書きだ。"牡鹿角"では、前任者の仕事が長かった。あらたな書記官の名は、名簿上、実在して相違ないものの、筆跡証明がみあたらない。

 このささいな不審を我らはつきつめ、状況から限りある鳩を飛ばした。

 一点狙ったのが、新任書記官の出身村。かの筆跡は、本人のもので間違いないか?と』

『あは、その返事が間に合ったわけ!』

『比較用署名の添付。それと、よく似ているが本人ではないか、何かしらの意図から変じられている、との走り書き……後は知れていよう』

『直接書けない緊急事態ね』さっと、言った口先をテキセンはおさえた。『それって連絡所が掌握されてるってコト……』 

『貴公の思うようであれば、著しく士気を損ねる。まして今このとき、おおやけにする気はない』

『な、なんで俺には言っちゃったのさ!?』

『……喧しいからだ。せいぜいその軽口に留めると誓え』

『ううっ、わかった……誓って言わない』

 そしてヴィクトルは軍団を鼓舞した。


 一分(いちぶ)百五十の行軍とはゆかん、と、かの統括騎士は評するのだった。理想的な進軍速度と比べた、此度(こたび)の北進路についてである。

 東西横断よりも起伏から迂路に富み、直線距離はさほどでも、"牡鹿角"への到着は、ぎりぎりの見込みとなっている。

 それが新月当日の昼。

 もとは"翡翠羽"への前々日着、七日の行軍を想定していたためで、刻限間際も更にきわ。猶予を秘める者にとって、しめつけられる日々となった。


 進軍二日目。

 背中を追って、指揮車にあてた伝書鳩が届く。

 南に見ていた"のこぎりの歯"は、"翡翠羽"へ至ることなくやんだ。現地にこぎつけた正騎士からも、異常なしとの知らせ。

 やはり陽動だったらしい。釣られていれば間に合わなかった。

 東西もとくに異常なし。もっとも黒い最北、"牡鹿角"にも斥候は出している。便りがあってくれるなら、遅くともここ三日のうちだ。 


 三日目。

 統括騎士が気がついた。空を南進する伝書鳩が少ない。

 内容をわずかに差し替えた安否確認文を、"牡鹿角"には送っている。正規の軍務書記官ならば伝わる隠文に応じないという。


 四日目。

 "牡鹿角"方面の斥候と連絡がつかない。

 付近町村を担当する準騎士などには、待機および現地防衛につとめるよう伝達。

 本軍勢の集結地点や日時を拡散することは、機密保持の観点から避けられた。


 五日目。

 誰の口からともなく、駆け付ける先は絶望的だと、しげくささやかれるようになった。

 すれちがう旅人との世間話、連絡担当官のちょっとした言動、頭脳部の緊張感、そうした所からみな察するものだ。

 率いる統括騎士と騎士長は後手だ。不信感の増長も余儀ない夜、北へ進路をとった訳を打ち明ける。

 冒険者らにははやくも徒労の感。騎士団では、仲間内に帰らぬ者が出たやもと知れて、士気の低下は免れない。


 北方偵察を率いた正騎士は、ナロトステという名であった。どんな人物だったかは、ゼンにも覚えがある。

 剣戟においては駆け引きがうまく、おさめたときの実直な態度とあわせて、とても好印象だった。裏付ける一幕がある。

 招集令発動も手前、大町の町長がゴネた。軍事に疎いというか、どこかよそ事の感というか。ヴィクトルはそれを平和ボケだと刺したがともかく、「領境間際での大規模な出動は面倒を招いて云々」とモジモジしてくれる。

 真っ先に一喝したのが、いあわせたナロトステである。柔和な団長に代わらんとばかりはげしく物申し、事が上手く運んだ後には、出しゃばりすぎましたと方々に頭を下げる。

 ナロトステ隊の行き先は、くじ引きで決まったのだった。無事を祈りたくとも、便りがない。


 六日目。

 車列後方にて複数の馬車に不具合。山道に車軸をやられたとかで足止めを食らう。

 北方からの定時鳩が完全に途絶えた、そう知れ渡った翌朝だったため、細工しやがったな腰抜け野郎、言いがかりやがってクソ野郎。と、冒険者間で大悶着。

 作戦参加が困難なほどの重傷者が一名、ほか複数の軽傷者が出るほどだった。

 ヴィクトルが怒鳴り散らかした。

 志願同行してくれている町医者は、軍医不在のいま何にも代えがたい存在だ。戦前から余分な手間をかけさせるなと、柄に手をかけての剣幕。

 苛立ちと不安が蔓延っている。

 ゼンもとうとう忍耐しかねたのが、この日の昼だった。重ねられる作戦会議中である。

「私らばっかり手の内を晒せだなんて、なんだか不公平じゃない?」

 "仮面"を任される手筈のメイウーは、

「首を取ってくればいいんでしょ?たやすいわ」

 主張しながら、もっと「何か」ができるのだ、とちらつかせる。

 なんでも、フラン救出に役立つ技量らしい。ほのめかすばかり、具体を明らかにするのは渋る。騎士との自由決闘を思って、まだ駆け引きのつもりだ。会議によぶんな差しさわりだった。


「遊びに行くんじゃ、ないんですよ」


 意外な発言者だったらしい。メイウーはみはって見向きした。会議に毎度出席するのは、少女近縁ゆえばかりではない、ゼンだ。

「やる気、あるんですか?人命がかかってます」

「わかってるわ――」「わかってません」

 殺気、それすなわち指向性を持って放たれる、"闘気"である。

「ずっとです。今もだ。必要のない時ばかり、狸みたいに尾をふくらませて、何かの意味がありますか。

 力はおもちゃじゃない。あなたには尊敬がない。必要なければ、刃は鞘におさめるべきだ。できない人にはそもそも、フランをさわって欲しくない」

「ゼン」

 唸り声である。うけて豹変したよう、みえただろうか。

「ごめんなさい……」

 ふかく頭をさげるのである。

「どうか手伝ってくれませんか、お願いします」

 大人であればあり得るだろうが、と。メイウーを絶句させたのであった。いびつなあまり気味が悪い、器のしるしが少年である。

「……もっとも長く仰いだ師は、アールヌイ・ドヴァーケンという」

 とうとつに、間を切り出すのはヴィクトルだった。やがて明らかになる、手の内の話らしい。

「独自の守護剣流派を編み出した、ダンコヨーテの騎士であった。全部で十三の道場門戸を叩いたが、彼から得たものには勝ちえない。

 剣を執ったのは四つの時分。定石のレヴェリに、ディオーレ流、タチバナ流をまじえた対人剣。あとは紛いの必殺剣を日に三度。子どもだましの小手先であれば、ほかにいくつか。つぶさに明かすまであるまい」

 ふん、と口調はかるかった。

「この程度で満足できるか?俺の口頭から守護剣技まで網羅する気であれば、一、二晩は覚悟しておけ」

 しん、としそうな空気をやぶって、ぷふっとイトーが吹き出した。笑いだ。意味をえずゼンが見上げると――自虐ですよ。調子にのれば話が長い、彼なりの冗談だ――耳打ちされる。

 あのヴィクトルが、場を和ませようとでも?それも先ほどまでは、冒険者たちを激烈に叱咤していた。

 琥珀のぎろりを、ゼンは垣間見る。言葉は誰かにむきながら、意志はこちらをむいていた。まかせろ、そんな含意である。

「ま、まぁ、そうね?」メイウーは肩をすくめた。いかにもなんでもないふうに。「全部あけすけじゃ面白くないわ。私はね、むしろ小手先から教えてあげる。これだって知らなきゃ驚くんだから!」

 場は丸くおさまったし、いちじるしい進展があった。フラン救出の方策が、明確に定まったのである。




 ---




「わかってるんだ、八つ当たりしただけだって」

「まちがってない、ゼンくんは」

「えらそうに言ったけど、力の話だってそう。僕もずっと……」

「ぴりぴり?」

「うん、ぴりぴりしてた。ごめん、()な感じで」

「ぜーんぜん!友達のだもの、こわくないよう」ダルタニエンはほがらかだった。「ゼンくんが言ってくれたから、メイウーったらもうおとなしいよ」

 それならよかった、ゼンもわらえた。

「……あれからヴィクトルは、力の種別を言ってくれたね。僕にはよくわからなかった。ダルにはわかる?ジコケンジとか」

「メイセイでしょう?」発音がつたないだけだ。「……ぼくも、ちっちゃいころは思ったなぁ。剣ってかっこういい!って。それも、剣のふりした木の棒じゃなくて、はがねでできた本物の剣が。

 でもね、そのうちきがつけた。本当にかっこうよいのは、剣じゃなくって、剣をもってる、かっこうよい人……」

「前にも聞かせてくれたっけ」

 ダルタニエンはやはり大人だと、ゼンは思った。

「これとおんなじじゃないかなぁ?冒険者と騎士。

 かっこういい剣をもとめてる人。剣をふるって、がんばりたい人。そう、ゼンくんやヴィクトルみたいに」

「それなら、剣じゃなくたっていい」ゼンは再確認した。「ダルは僕たちとおんなじだ」

「えっ!そうかなぁ!」

「家族のためにとった槍でしょう」

 ダルタニエンはいっときつまる。

「……ヴィクトルにねぇ、おこられちゃった」

「え、どうして!」

「つぎは本気をだせよって」

 ゼンはすぐさまひらめいた。"はずれの丸太小屋"戦のことだ。

「ゼンくんがいて、援護があった。勝てないわけがなかったんだ……」

「マッチの棒とはかぞえがちがうよ」ゼンも痛いほど自覚がある。「僕もたくさんためらった」それに、と息つぐ。「ヴィクトルの目はするどいけれど、すこしも間違えないわけじゃない……もちろん僕は信じてる。ダルなら槍の使徒に負けっこない」

「……後だしばっかり、ずるいかなぁ。

 ほんとうなんだ。

 必殺の手を、何度かのがした 

 突けばたおせると思う手が、そのときになると出なかった」

「いいんだ、いいんだよダル。それがふつうで、きっとよいことだ。

 でもね、ダルが危なくなるのはだめだ。自分がやられる、そうなる前には……僕は嫌だよ。敵のためにダルが死ぬのは。フランも、せっかく帰って悲しむよ」

「うん、うん、ありがとう。次はやれるだけ、やってやる」

「その意気だ」

 すこし静かになったあと。

「あのねぇ、メイウーのことだけど」

「うん?」

「知らない()たちが、厩舎にいたんだぁ。メイウーたちの、馬だと思うんだけど」

「え、"蹄減らし"で早かったって、満足そうに言いふらしてたのに」

 脚がないから黒馬車でしょう?ゼンは夜闇をふりむいた。人垣と熱気があるだけで、彼女らはみつからない。当番ではないのだ。

「おいてきちゃったその子たち、よろこんでた。すごくはやく走れたんだって。大事にされてたみたい。かげんをみなくちゃ、できない技だ」

「馬の命を、気にしたの?あのメイウーが」

「すくなくとも、むりに走らせられながら、死なずにすんだよ。寿命はたしかに、すりへったろうけど」

「……悪い人じゃあないのかな」ひとつ手がかりとしてやってもいい。ゼンは連想した。「ね。ぴりぴりって話、いつだっけ?」

「ぴりぴりじゃなくて、ぱちぱちじゃない?タンサン、それと大火熊~」

「ああ、そっか!」

 六日目の晩。

 夜も浅い内から襲撃をうける。北方から、地元の魔物の大群だ。

 何かから逃れて来るのだろう。

 もっとも先陣で息もきらさず、それどころか雑談交じりに、これらを退けた冒険者二名の話題で、翌早朝の行軍は持ちきりだった。





 ---




 七日目。

 地形の起伏が隊列を乱す。昼過ぎには縦に伸び切ってしまった。

 戦力集結を重視。遅れを覚悟で整うのを待つ。

 目的地には二日後の新月、夕刻手前に到着の見込み。ほんとうのほんとうに限界だ。


 時をもちいて、再三の会議がひらかれる。"牡鹿角"に直近で、最後に立ち寄る村であった。

「……遅延には、馬の不調がふくまれるそうだ」報告をうけとったヴィクトルである。

「四の五の言ってられません、当村から接収の検討を」ダコックは危機に対して現実的だ。

「体調不良者を村落防衛の名目でおろす。さすれば一台分ほど余裕ができよう……悪手だろうか?」士気の面では良かれ悪かれだ。

「……戦地で挫かれて全く使い物にならないより」うしろをみまわし、ダコックは声を落とす。「よろしいやもしれません。我が騎士団においても……気の弱い者は、すでに相当参っている」

 悪しき何かが心を食むのだ。

 それは戦場がもたらす、どんな気の昂りともちがう。原因不明の四()不調者は、ひとりやふたりですまなかった。

 総十名ほどの志願者枠は、すぐ満枠になった。村落防衛隊である。近隣をふくめ夜襲の被害は明確であり、最低限の体裁はあった。

「……この状況で、"こぐま座"の旗がひとつもあがらぬとは」

 北方域をつかさどる、少数ながら精強な騎士団だ。"牡鹿角"での面倒ごとは、ときどきで"鷲爪"とわかちあうところ。

「人員不足とはいえ……」

 ダコックはなげくのだ。初動の捜査協力には応ずる旨あったが、めだつ後報なし。あらたな伝達は今朝となった。かの団長と音信不通につき、先方は混乱のさなか、あらためて動員不能の由。可能性がまた閉ざされた。

「貴殿にまで大事あっては困るぞ」これで励ます気だから、ヴィクトルだ。「団員らの不平を一身に受ける気にはなれん」

「もしもの時は、そうですね。なんとしてでも()()()を這い上がりましょうとも。そして部下にはとつとつ言い聞かせます、ヴィクトル殿に従うようにと」縁起でもない冗談だ。

 "統括騎士"とは所詮よそ者。地元の高位者が苦境に没し、かたやのうのう生き残った微妙な立場、というのをヴィクトルはよく味わってきた。

 次戦におけるダコックの配置が後方なのも、ふまえて葛藤ながらである。貴重な"団長級"を腐らせかねない。後ろの万全は、しかし保たれる。


 すりあわせるものも尽きてしまって、段取りとしてはすばらしいことだ。使命感がそうさせるのだろうか、おひらきも同然ながら、不思議と人が散らばらない。面々はもはやおなじみの頭脳部と、前線志願者たちである。

 折しも、指揮車にあらたな知らせが舞い降りた。はばたきに大鷲ほどの迫力、ずんぐりとした魔バトであった。

 連絡担当官がただちに筒をほどく。小走りで円陣にやってくる。

「領都経由の機密文書です」

「おや……」受け取るのはダコック。「……大事のようだ」読み上げられるその要約、


 南方招集ハ空振リセリ。


「――敵の欺瞞工作であったと」

「ほらね!私の勘ってば当たるのよ」すらりと組んだ脚のうえで、それみたことかとメイウーだ。

 南方招集は公然の秘密であった。騎士らの"研修"の正体であり、一帯の冒険者がかぎられている訳である。

「……ついにこの時が」

 ヴィクトルは衝撃を隠せていない。

「見逃した、ということはありえたが、誤ったのははじめてだ」ここ百年、アメイジアだよりの悪心出現予測だった。

「あたるも《八卦》じゃもう占いだ」

 テキセンは解せないことわざを言う。

「……厳密には領都東方だったな」はっとヴィクトルはつないだ。「駐留王国軍には、シュワルコフ公がともに?」

「はい」その騎士長補佐は、騎士位を持たない大尉相当官である。騎士団参謀役として仕事をまっとうした。「シュワルコフ公をはじめ、"領都付き"を含む計七名の統括騎士に、大師団規模の大軍です」

「師団だぁ?」鼻をふき鳴らす"赤鼻"。「どんなだかわかんねぇよ、頭の数で言ってくれや」

「三、四万名だろう」

 ひゅうう、"欠けっ歯"がにぎやかす。構わずにヴィクトルは続ける。

「当方面の情勢とて共有済み……シュワルコフ公は聡明な軍師でもあられる。安保の例外規定に則って、既に王国軍と北上をはじめているはず」

 対悪心戦力として公国に駐留する王国軍には、数はもちろん、日々の行動範囲に制限がある。安全保障の観点からして、いくら友軍と言えど、自国土を他国の大軍勢が、好き勝手行き来するのを許す訳にいかない。

 ただし制約には抜け道がある。それが条約の例外規定。

 同程度の公国軍戦力がともにある限り、駐留王国軍も自由な機動が許される。進軍速度は公国軍に依存するにせよ、待ちぼうけよりずっとましだ。

「グリフォーンは?」うつむいていたゼンだ。

「領都まで夜通し蹄を減らして、一日と少し……」眼鏡をなおしてイトー。視線を送る先でダコックがうなずき、「グリフォーンの機嫌が良くとも、さらに半日といったところでしょう」溜息。「最速でもこちらの開戦前後かと」

 鳩が届いた時差を考慮し、援軍始動の希望とはみていい。

「……軍勢とまではかなわんが」ヴィクトルはふかく思案気である。「精鋭を待つ持久戦なれば」

「持久戦だって?」

 テキセンはくつくつ笑う。

「彼らと一晩過ごそうってかい。夢見はさぞかしすばらしいね」

 口ほどには嫌っていないらしい。

「……為せたらどれほどのぞましいか」

 ヴィクトルが言うのは希望の話だ。

「穴の小康状態を期待し、我らは辺縁部で使徒らを待ち受ける。安全地帯確保に徹し、深部突入は戦力を待つ……」

「すぎた楽観ね」つまらなそうにメイウー。「使徒がいるなら、もう()()()()()」それから残念そうに。「……あなたたちの望みも潰える」

「……左様。行くからには、我らは直面を強いられる」ヴィクトルにはもうわかっていたのだ。「現状戦力で、収拾がつかぬ規模のそれと」

 心なしか落ちかけた日の色からして、大げさだとは誰も言えないでいた。

 夕闇にはだいぶん早い昼である。一日分の距離をへだててこれだ、ヤツらの膝元ではどうか。

 村を発つにあたって、斥候を送る。買い取った丈夫な馬で早駆けて、"赤鼻"と"欠けっ歯"が意気揚々と行った。


 遅れを取り戻すべく、松明をかかげ、夜間にかけての強行軍。

 異様にはやい日暮れに足を踏み入れるから、ともしびが求められるのは、思うよりずっと早かった。

 時計の針か、世界の景観か、どちらかが狂っている。長く正気を保ちたいのなら、時の知らせは懐にとどめおくよう、老いた冒険者が助言をくばった。


 ついに八日目。

 薄暗い日中、最厳戒態勢。

 昼夜を問わずに魔物の襲撃。

 見られている、とゼンは思った。

 むこうが近い。

 これほど変わってくるものか。道脇に繁るただの森すら、まるきり異界の様相である。

 心の強いものはまだいい。そうでないものの景色といえば。


 用心深い御者の兵士は、樹木のなす薄暗い小径(こみち)にふと眼をやって、うなだれた。底なしの井戸を覗いたらしく、落ちた意識は帰らなかった。

 とある繊細な魔導士の目には、あらゆるものが蠢いてみえた。空も大地も木も君も、虫だ、虫でできている。身震いをした。失禁していた。

 思わず頬を払った騎手がいる。不快な羽音がまとわりつくからだ。おのれを小手の爪さきで、ふかくえぐっただけだった。

 最後方にてその冒険者は、背中を撫でられ振り向いた。当然そこには誰もいない。判然としない何かがつぶやく。声だ。何といっている?

 一台の馬車が車列をのがれ、無断で道を引き返した。


 斥候の帰還をもって、狂気は最も高まった。

 光景からして時刻は知れない。ともかく闇に捧げるともしびが、橙色にぬらぬらとしていた。

 俺が斬ったのはあんなじゃなかった、あんなもんは知らねぇ――回らぬ呂律で、"赤鼻"は訴える。落馬もさながら転げ降り、ガタガタとたたぬ足腰で、統括騎士に泣きすがる。この先に行っちゃならねぇ。

 いかに乗りこなしてきたのだろう。一頭ばかりの駆け馬は、狂って暴れまわるので、殺してしまうしかないと、ダルタニエンが判断した。

 つぶさには何も知れぬまま、負の感情だけが伝播する。

 無理だあんなの、人の手にゃおえねぇ、誰もかないっこない。

 汁という汁を顔面からまき散らす"赤鼻"が、実際はなんと繰り返すのか、正しく聞き取るまでなかろう。士気の喪失は必至というとき。


「それなれば、なればこそ、何人かがゆかねばなるまいな」


 立ち向かえる勇者が必要だった。ヴィクトル・サンドバーンがそうだった。

 彼は統括騎士として皆を集めた。堂々たる佇まいで、まずは仲間を称えるのだった――失神した"欠けっ歯"を、"赤鼻"は連れ帰ってくれた。脇にしかと抱えて、暴れ馬から落とさなかった。気骨のある男だ――嫌味がなくて、まっすぐだった。


 ひとりではない、忘れるな。かならず傍には仲間がいる。たとえほとんどが挫けたとして、最後の時まで私が共に戦おう。

 先に来たる数千の軍勢と、百の英雄でなければ敵わぬ相手やもしれない。

 だがしかし、求められるのは今なのだ。

 今、その目覚めで摘みとらなければ、恐怖は更なる恐怖を招き、未来はほろびをうたうばかり。

 はじまりは然り、シュワルコフもはずれのひとつ町、見て見ぬ振りならたやすいが、次は?

 シュワルコフ全域、次はジガヴェスタ、ひいてダンコヨーテにドラッドネルト。それで弧大陸の半分だ。

 逃げ続けた果てに我らは、いったいどこへと逃れられよう。

 寡兵では能わぬとして、努めなければならぬのだ。耐え忍ぶ切っ先として、誰か、誰かが、うしろへ道をつながねばらならない。

 だからどうにか、ここで今、私と戦ってはくれまいか。


 勇者の胸には盾の紋章が、火を射返して輝いていた。それが照らしてくれるかぎり、人々は、蔓延する狂気に()てられず、恐慌を兆すことももうないようだった。

 たったひとりの少年は、傍観者として感心していた。

 どことなく厭世的で、なにかと面倒そうなあのヴィクトルが、かような魂を秘めた人物などと、出会ってすぐにも気づけたろうか。

 頼みのひとつも融通しない、いかにも偏屈、しかし実力者。実際は稽古を渋ったくらいで、それさえ事情は曲がった訳だが。

 その人が"騎士"といまも知らねば、かような(げん)を繰り広げるのは、ヴァンガードだと思っただろうか。

 かの陽気さとは対に思えていた。

 すくなくとも、肩をならべて、背中をあずかり、まっすぐ見直し、頼もしさをもう錯覚しない。

 良くも悪くもだ。"悪心"が間近であればあるほど、人の本性は露になるもの。

 であれば今夜の有り方こそが、いつわりのない彼なのだろう。


 少年は夜の歩哨に立つ。

 狂気の芽生えは焼き払われたが、夜闇への恐れはこべりつくらしい。人々は、怯えをこめて、あらゆる方向を無差別に見張りながらも、何を警戒せねばいけないのか分かっていない。


 ――僕には何ができる?


 深まる夜に、動揺する彼らを励ます言葉も、闇を晴らす鎧も持てないでいた。


 ――これだけだ。


 身をもって、ただ立ち向かえ。

 必要とあれば剣を抜いて、狂った魔物を追い払う。必要なければ剣をおさめ、明日に向かう道を見つめた。

 こんな日にも子どもの夜更かしを気遣う大人がやってくるまで、最前線に身を置いた。


 彼を見たまえ、我々も見習おうじゃないか。筆頭準騎士ボルドヴェンは、見習いたちの背を押すのであった。

 統括騎士殿はああ仰ったけれど。俺らより強い冒険者たちが、そろいもそろって震えている――見習いたちがぼやくからだ。

 彼は特別ですよ、コーネルスが言った。

 ほう、どう特別かね、とボルドヴェンは言った。

 すでに強さを持っています、団長さえ打ち負かせるほどの、とキャメラク言った。

 ははは、と笑うボルドヴェンは、群衆からはつきぬけていた。昨日の行軍を引き合いに出した。

「ゼン・イージス。かの少年の名を、今では知らないものがない。凄腕の槍手とふたりで、百人前にはたらいたからだ。

 誰かが彼に訊ねたよ。

 どうしてそんなに強いのか?それもどうやら騎士長よりも。いったいどうして勝てたんだ。

 私も一緒になって聞いた。彼の答えに興味があった。

 そんなに気になるならと、彼は解説してくれたけれどね、その前に、おかしな顔して言うんだよ。

 みな勘違いしている。自分はダコック騎士長より強いとはかぎらない。ただあの日一度きり勝てただけだ、と。それから――」

『騎士長は油断をしました。それはたぶん、僕が子どもであるからだ。

 油断のせいで、はじまるそのとき、刹那をのがした。騎士長であれば、いなしに徹して、待ったをかけれた。仕切り直せたはず。けれどしませんでした。

 正々堂々とした人だからだと、おもいます。

 油断も戦いの一部であると、ものいわぬ剣から感じました。

 出おくれた隙を取り戻そうと、騎士長はがんばったけれど、取りもどす前に僕が勝った。それだけです。

 仕切り直しがあれば?

 わかりません。次どうなるかも、わかりません。

 ただですよ……九十九回勝てた相手でも、九十九回負けた相手でも、百回目があってくれるなら、僕は全力で戦います。

 どんな相手も変わりません。強いも弱いもありません』

「私は目が覚める思いでね。彼がむしろ問いかけるんだから、なおさらだ」

『強い弱いを、みな気にします。どれだけ意味があるんでしょう?

 強さは役に立ちますけれど、たからものにはなりえません。

 僕も、考えることはあります。

 戦いの中であるならとくに、相手が強い、自分は弱い。でも、それは生き抜くためだ。ただしくものをみて、どうにか勝つためだ。

 だってそうでしょう。強いからかならず勝てますか?弱いからかならず負けますか?

 だから僕は、やれるだけをやる。やりたいです』

「みんな口ごもってしまったよ、何かを問うのはもう野暮だった。

 どうしたら強くなれるかまで、ゼン少年ははっきり答えなかったけれど、わかる者にはわかったろうね、彼がどうして強いのか。

 どうだい、我々に足りなくて、彼にあるものとはなんだろうな」

 強さじゃないのは、わかるだろう――ボルドヴェンが(おお)きな顔で微笑むので、見習いたちは見あわせた。

「ふふ、"やってやる"という気概さ。まずは何事もそこからだと、私は思ったよ」


 夜半にかけ見張りが交代すると、仮眠から覚めたお調子者が、陽気さを振りまくのであった。

「どうしたどうした、いったい何を怖がるんだい!騎士サンの名演説から何を学んだ?ただの夜更けがあるだけじゃないか!」

 英雄たちが不在のあいだ、闇をおどかさないように、冒険者たちはちぢこまっていたのだ。

「ふふふ、まぁまぁよしとしよう。今宵震えるむさい子ちゃんたちには、とっておきの物語でも贈るよ!

 選ぶといい。ひとつはこうだ、"陰気な老爺が霧夜に囁くような気色のわる~い妖怪談"、もひとつはこうさ、"とある英雄的弓手の痛快至極な冒険譚"!――さぁどっちを聞きたい?決まってるよな!最後の夜の番人が、俺なんだからツイてるよ」

 冒険者たちは活気づいた。いい年こいた彼らであるから、童顔に言われたい放題は楽しくない。ある者が言った――若造が、たえねえ減らず口を。

「見た目じゃ年は知れないぜ、なんたって俺は長耳だ。君よりずっとお兄さんかも」

 適当つきねぇ野郎だぜ!昨日は三百、おとついは十七、今日のてめぇは何歳だ?

「暇な間にあてっこしよう!なんなら賭けでもしてみるかい?」

 割に合わねぇ、数がありすぎる!

「もちろん、この手に書きだすさ」

 待てよ、こいつぁ四十年前の話を知ってんだ、ってな、あの老冒険者(ロートル)が言ってたぜ。四十過ぎにゃちがいめぇ!

「冒険譚のあとだっていい!何かヒントがあるかもよ?」

 話すだけすりゃ聞いてやる!

 そうだ、いっぺんやってみろ。

 きちんと金は持ってんだろな!

 わはは!

 むしってやれ!

 ははは。


 そんなことがあったらしい。深夜帯のいそがしさをよそに、あくる朝は開票でもりあがっていた。

「ああした浮薄さにも、時には用がある」

 ヴィクトルに聞いて、ゼンは思った。自分になせない役割だ。


 ――うるさいおしゃべりとばかり……。


 たぶん道々、励まそうとしてくれていた。昨夜の冒険譚なるものが、御者台で聞けたものと同じであれば、とても一晩ではもの足りなかったろう。

「気を抜くな!夜番は行くうち、休めるだけ休め」

 忠告してまわるのに、いかめしいながら、おそろしくない唸り声である。雲なき曇りの朝間にも、軽妙な出発の気色だった。


 時を前後する。常なら昼におこなうはずの会議を、夜警配備まえに済ますところだ。

 "赤鼻"と"欠けっ歯"をのぞいた面ぞろえである。ほかの戦力状況は以下。

 馬車五台と数騎が、付近村落防衛および要介護者後送の名目で引き返している。

 補助要員をのぞく、戦場に立てる者の数は、名簿をなぞるとちょうど百名。減りはした、されどこれだけ留まった。うまく考えるべきだろう。

「総あらいといきましょうか」

 "牡鹿角"の地形や要地の点検を、ダコックがとりしきった。というのも「ええ、私におつきあいください」志願者がふたりかけたぶん、配置を最前線へうつすのだった。代役としては力量十分だが。

「後方指揮に不安は?」

「優秀な補佐に一位(いちい)がおります。上手くやってくれますとも」

 非戦闘員用の保護陣形が詰めなおされる。住民の避難計画に活用できそうな建造物の再確認――頑丈な造りでも水辺の教会などは避けるなど――なにも転用できなければ、当座は荷台をもちいた防壁形成を試みる、手筈の再周知。

 一周する発言のとりは、魔導兵科の一位大魔導士であった。

「取り決め通り、我ら魔導小隊は後部配置を保ちます」

 覚悟はきまっているらしい。彼らの最後の存在意義とは、前線が壊滅した際に、収容した民間人や負傷者を、とにかく後方へ逃がす、その時間を稼ぐことだ。

 猶予はあますことなくつかえたはず。ここまでもっとも入念かつ柔軟に打ち合わせされたのは、開戦劈頭にのぞまれる、救出作戦について。悪しきもしもを仮定する大人は、ひとりもいなかった。

「ほんとにお願いできますか」

「たやすいわ!」

「…………」

「安心なさい、手抜きはこれっぽっちもしない主義なの」

 さばさば調子のメイウーである。ゼンはぺこりと頭を下げなおした。

「貴公らの能力想定をまともにうければ……」ヴィクトルが唸るのは、すぎた楽観のためだった。「勝率はさほど()()()()

「本当なら?本当だとも!」テキセンは高らかにいう。「見栄張ってる訳じゃあないんだなぁこれが!」

「だがもしも――」ようやく出てきた悪しき"もしも"さえ、「ちっちっちっ、ありえないね」テキセンは阻もうとする。

 "赤鼻"と"欠けっ歯"が離脱した穴を、騎士団長がうめてくれる。それにしたって、差し引き必然ひとつ足りない。

 念のためあらためてみよう。既知の使徒七名に対して、最前線はゼン、ダルタニエン、メイウー、テキセン、ダコック、ボルドヴェンで六名。ヴィクトルはここに含めない。"影"やさらなる使徒、首領級などの対応を想定している。やはり差し引きひとつ足りない。

「護衛は不要なのだな」ヴィクトルは念に念を押した。

「何度も言った、足手まといになるだけだ」テキセンはきっぱり譲らない。

「……任せるぞ」

「ああ、任された!そしてここに誓おうとも」

 どうしてだろう、その男。不敵にみせてくれるほど、説得力に満ち溢れていた。 

「誰も一対二にはさせないよ」

 これが彼らの決戦前夜。心威ある戦士達はいま、悪心の呼び声に誘われる。


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