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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:悪心の呼び声
66/100

66.満月


 "商隊"が行き着いたのは、地図に載らない村だった。


 長耳の、「追跡魔法」と聞こえはいいが、頼りの精霊は気まぐれである。棒を倒すよりマシな程度だ。よそ様の馬尻を、追いかけている節は大いにあって――かえって確信めいたものを得られた。

 たったひとつの入り口は、導かれなければ、獣道として見過ごしただろう。

 蔦が絡まるなかばの倒木。放棄された朽ちかけの馬車。文様の意味不明な苔むした石碑。

 そのむこう、かつては誰かがすんだのだろう。けれど今更いやしない、自然へ還った土地なのだ。いかにもそうして装われている。

 精霊たちには関係なかった。

 場所柄はむしろ決断だ。一縷の望みを、"商隊"は絶やさなかった。

 樹木の拱廊(きょうろう)をくぐる。出くわした、さびれた村である。

 (すさ)んでいても死んではいない。人々があり、生活があった。

 そよ風にがたぴしと鳴く、廃材仕立てのほったて小屋たち。戸口は数えて二十かそこら。窮屈な広場には傾いたガス灯が四本。地中で発酵させた人糞を用いるのだ。


 村人は散りぢりになって、"商隊"から逃げた。むろん大きな馬たちと馬車だから、そばをゆくだけで彼らの住処をおびやかすかもしれないが、それにしたって、そそくさ逃げられた。

 逃げ遅れたのをつかまえた。聞こえは悪いが、緊急事態だ。訊ねるべきことを、さっそく訊ねる。

 来訪者がほかになかったか、大人三人子どもが一人。

「はぁ……」

 と、気のない村人だった。若い只人の男であった。片脚をうしない、粗末な杖をついている。

 再度問うても、しばらくまごつく。聞く気の有無からしてあやしい。

 さらに押す。三騎もくれば、どたばたしたはず。それさえわからぬか?

 男は、頭をかきむしりフケを散らした。あたりを見るのに貴重な時間を費やし、ようやく口を開いても、そう言われましても、ときた。

「ここはね、棄民の村ですから」

 小さな村だ、何村だろうとわかるはずだ。

「いやぁ……」

 手がかりは得られそうにない。

 精霊たちはここまでだった。こまかなヒトの区別が、彼らにはむずかしい。村にはそれだけのひと気があった。

 隠れ場所にせよ事欠かない。

 しかしここではないかもしれない。

 せめて後ろを排除して、あとは三方、山か森。

 たよりの村人たちは、おびえきっていた。

 獣人、病人、戦傷者。物陰にのぞく、なにがしかの目を、戦士の脚でもっと捕まえてみる。甲斐がない。

 口を利いただけ、第一村人はましだった。

 どんな説得も無駄であった。銀貨も金貨もうけつけない。みんなだんまり、頷かない。肩をびくつかせ戸口へ消える。屋外の人影はとうとう失せた。

 蹴破ってまわる訳にもゆくまい。

 どこもガタつくボロの戸だ。その気になれば、何枚だろうと造作もないが、まるきり無関係ならば?


 地図に載らない村だった。

 たしょう奥まった所ではある。とはいえ街道から馬鹿げて離れてはいない。あえて人目を避けている。手記に残すにも困った場所だ。曰く"棄民の村"であった。

 事情だったら見て取れる。彼らは税を払えない。安全な土地で居場所がない。

 先天、後天、それぞれだろうが、迷信と、たぶん社会の仕組みが、彼らをここに追いやった。

 そして「棄民」を自称するのだ。来訪者に、山賊も騎士もあるまい。

 似た場所はもっとあったのだろう。ただ見逃してきただけで。


 この期にヴィクトルが不在であるのに、"商隊"は息ついた。役所の手入れと思われかねない。

 さる公国騎士の残した助言とは、

『借馬屋を注視しろ』

 だったか、あいにくそんな上等な店はなかった。以来、別行動である。

 

 馬車から目を離さぬよう、サルヴァトレスは声をあらげた。

 なめられたとき、賊に化けるぞ。

 ここに法の秩序は及ばない。おのれを守らぬ国の理屈を、遵守したいと人は思えるか。

 清く貧しく、そんな生き方もあるのだろうが、富もうとするなら、道はか細い。

 うしろぐらいなら、省みればいい。けれど囁きに屈する者どもにとっても、身を隠すには格好の土地だ。

 

 真相にたどり着くまで、"商隊"ははやかった。

 訪問者にせよ、滞在者にせよ、誰かの所在を明かすのは、この村にとって密告だ。そしてどんな対価にせよ、住処には代えがたい。

 ここが中継地点にすぎぬとすれば、追跡は絶望的だった。

「僕は、ここだと思う」

 帯びた剣柄に、ゼンはてのひらをかけどおしでいる。村の中とまで確信はないが。

「……近くにいる気がするんだ」

 そうして針はしめされた。二手に分かれて、"商隊"は探り続ける。

 思いのほかきつく縛られていた。

 使徒は村人に扮しているかもしれない。

 目下おとなしい彼らも、なにがきっかけになるのやら。

 日没が近い。

「いまのところ、敵視はないよ」 

 戦力分散、強行だ。

 忍耐強くあばら家の戸口を叩いてまわる。かたや村外周を探索し、痕跡を採集する。

 ここを終着とのぞみたい。それは同時に危険度をいう。待ち受けるほうがずっと有利だ。こちらは見えない。むこうは見えている。使徒の頭数が、既知より多い可能性だってある。

 ヴィクトルの不在が痛んだ。彼の事情だから、また責められない。


 とくとくと時は過ぎた。手がかりらしい手がかりは、ゼンとダルタニエンが小山をまるまる駆けずりまわって、まあたらしい蹄の跡から、馬の死骸をみつけたくらいだ。

「まだぬくかった」

 手配犯を追う"山狩り"ではないか、村人たちは厭うようだった。

「俺たちはアメイジアから来た!この(くに)の役人じゃあない!」

 知れ渡っても、みな顔を隠したがる。

 ぽつりぽつりと聞けるようになるのは、くず話ばかり。物で釣ってやっと、知ったかぶりにいろいろ言うが、中身はどれもうつろなのだ。


 少女?あっちの家で見たよ――もとから住まう娘がいる。

 新顔をみた気がしなくもない――いいや、やっぱり見ていない。

 そっちに誰か行ったかもしれない――調べつくした小山であった。


 ついにすべての戸を、合意のもと開け終えた。フランは見つけられなかった。脇をお邪魔して、家捜しにかかるサルヴァトレスは、村人たちに見えていない。 

「中にゃいねェ」

 付近の小山もあと半分、定時の報告と安否確認に、ちょうど一同つどったときだ。

「《ウチのガキをどこやった!》」

 つっかかってくる村人がいた。ハウプトマンと軽くもみあいになる。こちらの台詞だ、イトーが通訳した。

「いなくなった、いなくなったぞ!アンタらが来てからだ!」 

 たしかに見かけた少女ではある。しるしは黒髪、やつれていたが、背はフランとおんなじくらい。

「馬車ン中に匿ってんだろ!?出てこいアンネ!油売りやがって!」

 娘思いの父親であればいい。監視下でほどほどにあらためさせた。"魔法の居間(リビング)"を明かせはしないが、どのみちひとりの少女も乗せていない。

「……偶然じゃない」ゼンは断言した。「攪乱する気だ」

 因果をあやまってはならない。

 "しるし"が割れてはじめて、ふつうの追跡魔法は機能する。

 性別、体格、年齢、髪や目の色、そのほか(しるし)だ――情報が、そろっていれば強固だが、半面、似通った別人にたどりつく可能性もある。

「ヤツら、やっぱりすぐそばにいる」

 闇はそこここで蔓延っている。(シラミ)潰しを続けられるか?錆びたガス灯が、ちかちかと灯る頃合いだった。

「あッ、見て!」

 北西も未探索の山あいに、鋭い光がうちあがる。

 




 ---




 人の来訪をはばかる村にも、人が営む以上、人の目がある。

 それすら厭う者がいたらしい。

 山も奥まるはずれに、かの丸太小屋はあって、戦端は前で開かれた。 

「巨人を!」「槍使いっ」「女ァ!」

 めいめい向かう敵のしるしを、"商隊"の戦士たちは叫んだ。

 何もかも即興だった。

 月光がしめす敵影はみっつ、ともども立ち去るすんでの格好、そのほか、良くも悪くもみとめられない。

 危ない橋なら渡り通しだが、もっとも脆い足もとだ。


 見えているのが、敵の全戦力ではない。


 それでも。

 灯りのともらぬ"はずれの丸太小屋"に、もしもフランがいてくれなければ?

 散弾銃を手に突入するハウプトマンが、遠からず答えを出してくれる。事の次第で捕り逃してみろ、いよいよすべての手がかりを失う。 


 ――失敗はクソだ。


 とりつくろうため、さらなる無茶を強いられる。

 ゼンは必死だ。たとえ"光の騎士"であれ、ただいまその身に"鎧"はなかった。

 状況でいえば四対三で、およそ五分五分。器用な短剣使いと、的確な精霊弓の援護を侮るわけではないけれど、この星では剣士が強すぎた。

 炸裂する虹の光彩を、"女剣士"はものともしない。正面でかかるサルヴァトレスは、五秒かせげれば上等だ。

 ゼンは得意な戦い方を、"巨人"に押しつける。力勝負に取り合わない。走った。小突いた。身を翻した。幹を駆けのぼって、額を踏みとばす。はたで打ち鳴る槍と槍、小柄が薙ぐほうを跳び越えて、サルヴァトレスに割り込んだ。


 ――悪ィな坊主っ……!

 ――ほら、立てなおして!


 "巨人"が手隙だ、放っておけない。

 持ち場を行ったり来たりして ゼンは要らぬ擦り傷をいくつもこさえた。

「まだなのっ、ハウプト!」

 打開のしようならあるが、ひたすら答えをまっている。

 "巨人"の剣をはねのけた。砕く思いで、膝を踏み蹴る。(うめ)くのだから効いている。すこし退く、場を俯瞰する。

 槍手と槍手は互角、ただちの援護は無用。サルヴァトレスも要領をえたらしい。回避に専念、ひきつける間に、"女剣士"の肩を、指先大の"貫きの矢"が抜いた。

 僅差だが有利。ふまえてなおゼンは待ちきれない。

「わからんっ!」

 ちいさな小屋の中から、ハウプトマンである。返答としては尋常な速度だ。


 ――わからないって何!?フランはいるか、いないかだ!


 決断を迫られている。尋問ためには、使徒を生け捕らなければならない。それは必ずしも、()()()()でなくともよい。

 実現するための剣が、もはや少年の手にあった。


 ――……選ばなきゃ。


 どれでもいい。敵方の首がひとつ飛べば、雪玉式で事は片付く。この加減からなる均衡は、たぶんダルタニエンだけが察している。 


 ――……彼か。


 巨人の剣士が狙い目だった。

 一撃は侮れない。

 つづく二撃目にはあくびが出る。

 大柄だから、脚を狙うのが常套手段だ。

 潜り込む。膝を断つ。それから、それから。殺せるだろう。


 ――……クソ。


 即決即断、これができない。枷がある。錠はみずから施したのだ。

 ほかにも道ならあるはずだ。

 そうとも、脚を不能にするだけでもいい。

 葛藤にまた、ゼンは刹那を費やした。いつだってこれを、敵は見逃さない。


 ――あ!?


 奇妙な視線だ。見られている。ちかくに新手がいる。


 ――攻撃の示唆!?


 混濁した情報である。瞬時に判別できないでいた。意図して濁されていたのやも。

 力の予兆、それと殺気。でどころは夜空、不自然に一角が真っ黒い。

 "飛泉の構え"でゼンは受けて立つ。"巨人"の脚を斬りつけたばかり。

「あぅ!」

 闇が雨となり降り注ぐ。ダルタニエンは捌く隙に、敵方の槍をもらった。サルヴァトレスはもっと回避に専念、"女剣士"に自由を許す。その剣気といえば、無防備なジニーをめがけていた。守るため、ゼンだけが飛び込めた。

 仰ぎ見なおすとまんまるな月。ぽかりと浮かぶほか、いまや無害な空である。


 ――まただっ、あの"術師"……!


 使徒らはとっくに遁走していた。これで終わらせてたまるものか。




 ---




 泣き崩れるジニーを背後に、ゼンは()く駆けだしている。

「ひとりで行っちゃあ!」ダルタニエンの静止もむなしい。サルヴァトレスはその手当てだった。


 "丸太小屋"には、ふたつのむくろだ。

 物入れに窮屈に詰め込められた、首のない男性。木こりで暮らす、小屋のあるじだろう。

 一部屋かぎり、さびしい机につっぷしていたのは、顔を焼かれた少女。

 しるしは、かなりフランと似通った。フランが着るべき服を着ていた。

 乏しい灯りの中だから、ハウプトマンには判ぜなかった

 ジニーは早とちりをして取り乱した。

 のぞいた玄関口からでも、ゼンには見抜けた。


 ――あれはフランじゃない。


 なにか近くでじっくり見るまでない。だから走る、がむしゃらに追う。ただただ最後の機会と思えた。


 ――すくなくとも、命を奪ったね……。


 "巨人"の脚には一振り浴びせた。闘気で耐えても際限はある。

 小道とみなすには、開けた森の狭間であった。月明かりの青さに血痕がしみていた。そうでなくともよく香る。

 ひひぃん!と聞こえた。いななきである。連中はいまにも木立から、逃走用の馬を引っ張り出すところだ。

 

 ――剣域まであと一息でッ!


 すくなくとも"巨人"は捕れる。露骨に脚を引きずって、足並みがそろわない。そこを驚くべきかな。

「ベンッ、お前は行け!」

 "槍手"だ、手綱をかなぐり捨てて舞いもどる。いかにも最後をうけおった。

「ばかにするな、これぐらい」

 うけて"巨人"もむきなおる。苦悶ながらに親しく笑んでいた。


 ――……かばいあうのか。


 対峙して目前、ゼンはチクりとした。決意がにぶる。これじゃどっちが悪者だ。

「フランをどこへやった!」

 返事に期待はしていない。正当性を確認せねば、気が済まなかったのだ。

「ひとりでのこのこ!馬鹿ガキがよっ」

「……さっさとやろう」"女剣士"も戦う構えだ。

「ゆだんだめだ、こいつやるぞ」

 一対三。ゼンは得意な方である。けれど今晩、ナルガズトーワとはいかない。


 ――無理だ。


 負けやしないが、手はもう抜けない。

「やッ!」

 "槍手"のお突きをいなして、ゼンは回った。"女剣士"を背中でさばく。"憤怒の構え"のこのあつかいは、シェリフマックから見て覚えたのだ。

 手負いの"巨人"はやはりにぶい。ものの半歩の間合いでも、足さばきだけで統制できる。"槍手"の二突き目を構っている。

 盤面は一度ととのった。

 横一列に"巨人"、おのれ、"槍手"、"女剣士"になるよう、たくらんでいた。

 槍にはばまれ、"女剣士"は手がでない。"巨人"を思えば"槍手"は薙げない。次のお突きにせよ、引く動作が要る。

 一対一を繰り返すのが、数的不利の攻略法。ひいて相手の道を狭め、困難な選択を強いる。


 ――とれる……とらなきゃ。


 思うほど、一筋縄ではいかなかった。同士討ち覚悟の()()を、またもや意外、"槍手"は繰り出したのだ。 


 ――やる!

 

 挟み撃ちだ。"巨人"に構えば、槍には無防備。跳べばどちらも避けられる。ただし着地の不利を負う。

 覚悟には覚悟でむくいよう。

 "巨人"の横薙ぎを、まっとうにゼンは受けつつある。


 ――……使い手の意識せぬ方に、"剣気"はうまく働かない。


 勢いの、死んだ刃をつかみとる。(いくさ)にあたって備えがあった。実戦にあたう手袋だ。

 おのれの柄は左手にたくしていた。"槍手"の薙ぎを凌ぐのに、不動の大地の力を借りる。突き立てながら右手では、"巨人"に自由を許さない。

 "槍手"は背後でたじろいだだろう。すぐさま引かねば、むこうにとっては決定打たりえた。時をみはからいおのれの柄を、ゼンはすっかり手放している。

 "巨人"のベルトをたぐりよせるのだ。先だっての傷は大腿部、めがけて踵をねじこんだ。

「つぅ……!」

 覚悟に覚悟でむくいたのだった。"槍手"の突きには動揺がみえた。掠める脇腹にせよ鎖帷子だ。大地から柄をとりもどしてゼンは、"女剣士"を払って牽制、仕切りなおしである。

「こんガキ!馬鹿に肝据わってやがる!」

「いった、ゆだんだめ……」

 対峙している、一対三。簡単ではない。けれど内容は悪くない。"巨人"はみるからにのろく、"女剣士"も穿たれた肩を使いづらそうだ。


 ――もう二、三十秒でいい。稼げば援護がくる。


 事情は敵も同じだった。

 

『私は影にて宿りし(めい)


 彼我の距離が安全の基本だ。虚空を響かす、くぐもった男の声に、ゼンは大きくとらざるをえない。

 増えるのは視線。ほとばしる影。凝縮するのに人型で、間もなく実体を宿すのだ。"光の騎士"として、ゼンは見抜いた。


 ――"傀儡"とは別。転移魔法……!?


 青光りする夜闇だった。生まれ落ちたのが、"仮面の使徒"である。剣を抜いている。三人組をかばうようだ。

「ベンを連れて引け」

 仮面越しだからくぐもった。理性のたった声だった。

「ダメだね、じきその坊やのお友達が来る」「おちおち馬にものせられねぇ!」

 まやかしでない。

 たしか「ダミアン」とか呼ばれていた。

 只人なりの偉丈夫(いじょうぶ)で、たずさえる、実直剣をも短く見紛う。

 転移魔法は、こなさなければならない前提が多い。個人でなせるなら、悪心の力の転用か――隅をつつくのを今はよそう。

 当座の問題はその人の実力が、剣を握ったヴァンガード級、ということだ。

 ふーっ、とゼンは息ついた。単純な足し算だ。一対三でほぼ五分だった。一対四なら?

 

 ――さすがに……ッ!


 苦しすぎる。"仮面"を先鋒に、 使徒らは一斉に攻めたくった。とうぶん息をつく間はない。

 "仮面"の上段は半端でない。"女剣士"に首をとられかけた。"巨人"はのそいが、もとの威力が威力だった。槍をもらって、鎖帷子が裂けた。

 

 ――浅い!


 あの湖畔の戦いとはちがう。しかし確実に追い詰められている。

 手番が一巡、二巡した。反撃の余地がみつからない。

 しのぐ、いなす、しのぐ、いなす。

 逃げようもない。

 どんなに上手くやったところで、かならず二方はとられてしまう。まだ十秒にも満たないはずが、一時間ぶりの呼吸に思えた。


 ――ハッ、ハッ、ハッ。


 あと何秒要る?その何秒が、刹那にいるから、無限にひとしい。いちばん頼りはダルタニエンだが、じっさい傷はどうだった。


 ――ハッハッハッ。


 待つ。ひたすら信じて待つしかないのだ。たとえ誰にも追いつけないのが、残酷な真実だったとして。


 ――ハッハッ!


 うるさいな。気が散った。


 ――……あ?


 無限と思ってまた何秒だ。あらたに増えた視線の主が、ダルタニエンならはやすぎる。それと。


 ――ハッ!


 それらはげしい息遣いとは、おのれが発するものではない。

「グルルルルル!」

「何奴っ!」

 "仮面"がくだんの仮面の下で、どんな顔をしたか見ものである。驚きざまならゼンも負けない。何せはじめて目にするのだった。

 

 ――人狼。


「ラァッ!」

 青き月明かりにさらされて、かの救い手の白銀(しろがね)の毛並みは、目もくらまんばかりに輝いていた。

 彼は森から跳び出でると、戦いのさなかにひととき立ちはだかり、全身の毛を逆立てた。吠えた。なりふりかまわず、使徒の一群に飛び込もうとする。逃す手はない。ゼンは続いた。


 "銀狼"としよう。

 巨人じみた体躯である。

 人をなぞらえるのに、人と乖離した輪郭である。

 鋭い爪は"剣気"と火花を散らせる。隆々とした前かがみの背筋は、しなやかさがあり、うつくしい。

 "満開"なぞより荒々しかった。だれがどうみても"獣人"ではない。

 獣だ。

 単に怒り狂えるそれと、異なるところがあるとすれば、理性のひとみが琥珀色である。


 "銀狼"は、"仮面"の刃をうけおいながら、かたてまに槍を捕まえて、使い手ごと明後日へぶん投げた。

「マテウッ!?」

 あわてる"巨人"を、ゼンは押し返す。大きな背中に背中を重ねて、"女剣士"の足をすくった。

 "巨人"をゆうに吹き飛ばしたのは、"銀狼"の脚力である。"仮面"の突きは、ゼンがさばいた。"銀狼"の脇をつかせない。

 今度はおのれがおぎなう番だ。

 

 ――彼は強い。 


 が、あるべき姿を思ったら、どうということもない。

 "銀狼"が、三人組に夢中になると、ゼンは"仮面"と一対一だ。やはり背中を預けあうにせよ、これがもっとも安全な分担と思えた。敵手をあらためる。


 ――対人剣名手。仮面で目線がくみ取れない。踏み込み幅、ほぼヴァンガード。後ろ手に未知の魔法を行使しないか警戒。


 手堅い中段の攻防から、刃元で斬り結ぶ。真っ正面、力勝負に勝機は皆無。はやめに抜け出す、切っ先同士で牽制がある。

 たがいに隙をみつけられない。

 間合いをはかって、またいなしあう。


 ――なにをとっても僕の不利……。


 思えるだけの余裕があった。

 この手の「強い剣士」とは、来た道、もっともやりなれていた。相応な時が、そろそろ稼げる。

「ガルルルゥ!」

 おそろしい、"銀狼"の唸り声である。

 使徒三人組も気圧されるほどだ。ゼンがちらりとみてみたその時、"槍手"は片腕をへし折られ、"女剣士"は腹をかばい、"巨人"は得物を取り上げられていた。

「シェリーがやばい!」"槍手"が叫ぶ。

「退くぞ!」"仮面"である。

 結果論だ。

 ヴァンガード級の剣士を倒す。一対一をつかもうと、ゼンは躍起になりすぎた。

 飛び退いていたのである。戦術の上での仕切り直しは、大局をみて悪手であった。なにがなんでも、"仮面"を拘束し続けるべきだった。


 敵の第一目的は、この場を退くことなのだ。


 隠し種をくらった。ちらりと前を見ない隙に、"仮面"がいなくなっている。


 ――背後!?


 視線でやっとわかったのだ。せめて狙いはおのれでなかった。いまに"銀狼"を牽制し、"仮面"は"巨人"をひょいと担いだ。おぎなうためにゼンは突っ込む。

 

 ――まずい……!


 どういうわけだか"銀狼"は硬直した。月が落とした彼の巨影を、"仮面"の刃が貫いてからだ。健在に飛ばされる三々四五の"剣気"から、白銀の毛並みをかばうために、ゼンはそのそばを離れられない。

 順々、使徒らが馬にありつく。これで互いに剣域を外れる、ゼンは前のめりにいて。

 

 ――追うな!


 声なき声が射止めるのだった。"銀狼"の琥珀の一対がある。


 ――なんで!?

 ――無理だ。すまない。限界だ。


 断片的な意識が流れ込む。ゼンはダメもとの一振りだった。しかしこの距離、今日の"剣気"で散らせるのは、馬の尾の毛でいいところである。しばし並走を試みるも、"蹄減らし"だ。()かれてしまう。


 いよいよ逃がした。

 

 ただ黙然(もくねん)と両膝をつく。

 消耗、それもあるだろうが。

 積み重なったおのれへの落胆。

 つかみ損ねた数多の機会。

 不透明な次回の展望。


 ――次?次なんてあるのか。


 信じられないほど身が重い。いまや"光の騎士"とはいえど、十一度目の夏だった。

「ルルルル……」

「あ……」

 ふりむくと、もはや輪郭が遠巻きだ。苦し気な"銀狼"の、唸り声である。彼はざっと、月影に青い森へ飛びこんだ。何度目か。

「助けられて……足りなかった」

 回復可能な傷だと、よろこぶべきだ。ダルタニエンがやっとくるまで、ゼンは座りつくし、呆然と空を眺めていた。

 いつの間にやら雲が(さか)り、夜の主ははざまに光芒(こうぼう)をさらすのみである。

 月。

 "銀狼"が駆けつけたあのとき、頭上に引き下ろすかのように、はっきりとかがやいていた。見紛うことなき、その形。


「わかりきったことだったのに……」

 

 "満月"の夜に、ヴィクトル・サンドバーンはいない。

 師にして優れた守護剣士。公国人民の盾たる統括騎士。弧大陸に名を轟かす大英雄。

 そのいずれの有り様でも、満月のとき、彼はありえない。

 のぞんだところで、かなわないのだ。


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