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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:悪心の呼び声
65/106

65.謀略 下


 勇気という言葉の意味を、人は誰から教わるものだろう。

 教わって理解できるのだろうか。手ずから取り扱えるのだろうか。

 どこかにある、と信じるだけで、終わる一生だってある。


 フラン・フラムネルはそばで見てきた。まざまざと、「勇者」たちの生きざまを見てきた。

 もっとも古き良き師はだれか?きまって思い浮かぶのは、年下の男の子であった。

「食べなさい」

 気づけば見知らぬ小屋にいる。対面へ乱暴に座したのは、やはり見知らぬ女であった。

 机上には木皿――内容物は塩に黒パン、ふかし芋――それとにごった水の杯。

 目をしばたかせる。まつ毛から(もみ)がぽろりと落ちた。


 ――かぶされてたのは、穀物袋……。


 とりとめもなく判じてから、気がつく。

 両手が拘束されていない。

「忠告が必要?」

 痛々しい、ただれた美貌の女であった。

「手間をかけさせないで」

 がたつく机上に、もうひとつ目につく。

 横たわっている抜き身の剣だ。

 ふれる女は、剣士と知れる。


 ――まっこう逆らうのは悪手。


 彼ら彼女らの目の良さを、とても学ばないフランではない。

 野球ごっこをしたことがある。球は石ころ、投手はヴァンガード。ゼンの打率は九割九分――私の"煌策(こうさく)"では五割。

 負けの決まった剣盾礫(じゃんけん)だ。剣士必殺の間合いだった。十人十色とは聞くが、刃を伸ばせば触れる距離なら、わざわざ確かめるまでもない。

「……いただきます」

 それも"悪心の使徒"だとわかっていた。


 ――なにもためらわないでしょう。


 もそもそとした食材たちは、それなりおいしくいただける。こういうとまた彼におもしろがられるが、腹のすき具合で、経つ時がわかる。

 毒はない、と思えていた。生かしたいからもてなすのである。


 ――ゼンが私なら……。

 

 うつむき加減で咀嚼して、横目にできるだけの観察をした。

 こじんまりした丸太小屋。窓が割れるほか小綺麗で、いついたのは、少々前だと思われた。前後はねむらされていた。

 一度はざまに起こされた。おそらくこの小屋のおもてだった。

 悪心の使徒だと確信を得た。

 開口一番、脅された。

『抵抗すればこいつを殺す』

 一味の巨人が刃を突きつけるのは、おびえたふりをした少年だった。出会ったばかりのゼンと重なる。ほんものを知るから、重なるだけだ。

『おねえちゃん助けて』

 りきの入った演技であった。気の毒なほど、あんまりにも泣く。ちぎれた獣の耳は、かねて聞いていたしるしであった。 

 疑心が浸透せぬ前に、ひとまず鎌をかける。

『だまされません』

 すると「少年」はけろっと泣きやむ。遊びたかったのにつまらない――もっと悪ぶった口ぶりだったが。ぺっと唾をはき、邪悪に変貌する。

 "少年の使徒"とはそれきりだ。「狩り」へ行くのだと森へ消えた。あとを追う"仮面"は、その背を気にかけるようだった。

 角ありの、魔術師風の男が、一味の長らしい。"仮面"は去り際、"角"にことわりをいれたし、"角"は"仮面"の手柄を褒めた。とぼしいながらこれらが根拠だ。

 "角"の物腰は丁寧だった。

 ムゼルドット・サラザーリと名乗る。ねっとりとした声色だった。うねるような角の縞模様は、間近で見てから(ふし)とわかった。

『怯える必要はございません』

 解せぬ話をつらつらと語った。草食獣らしい、あの大きくて(くら)い瞳を、くっつくくらいによせてきて。

『あなたは神の血肉となるのです』

 長話から要点である。それからまたねむらされた。


 ひとまず小屋にふたりきり。ひょっと背後はわからないが、もはや面前の"女剣士"だけに思えた。眠りの浅いふとした拍子に、察せた名前を口走ってみる。

「シェリーさんは……」「黙って」

 肯定も否定も構うまい――素敵なひびきの名前です――以後はその名で認識しよう。ひとまずお守りをしてくれている。

 しるしをぬすみ見た。

 黒く塗れた断髪。するどいながら、うつくしい緑のひとみ。いかにもオトナな女性の風格。

 半面ただれた顔の痣が、痛々しくて、見るもつらかった。

 おそろしかったわけではない。

「じろじろ見ないで」

 冷たくたって、手は出されない。食事を終えるとまた袋だった。後ろ手を椅子に拘束される。

 じゃらりごとりとよく鳴るし、夏にもひんやり。足枷もしかり、鉄の鎖だ。錠までかかる音がした。


 ――"指先に灯し火"ではむずかしいでしょう……。


 "煌策(こうさく)"であれば即断できようか?それも大きな音が鳴る。

 もうすこし探ってもいい。


 ――逃げ道は……。


 囚われの身でも、あまりおそろしいとは思わなかった。

 もっと怖い目を味わった。


 ――彼が傷つくほうが怖い。


 もちろん、暴力による支配は恐ろしい。自由がないから不安にもなる。しかし胸をつく、もっと大きな感情は。

 

 ――きっと"商隊(みんな)"に心配かけます……。


 ほとんどそうした矢印だった。そして「勇者」を知っていた。彼ら、彼ならどうするか、いつだって思い描くのであった。

「あの、お手洗いに……?」

「……立ちなさい」 

 そこでなさい、とは言われなかった。


 正味この道、人さらいとは想定内だ。

 試行するのをやめないかぎり、いずれ硬貨は裏をみせる。慌ててしまって栓がない。理不尽な賭けに負けてもいいよう、できるかぎりの備えはしてきた。

『観察だよ』

 ゼンは言った。

『暗がりで、なんにも見えなくたって。それもひとつの手がかりだ』

 彼ほどの五感はやしなえないし、異能がなくとも、視線がわかった。シェリーはこちらをじいっとみている。腕をひかれ、感触からして、どうやら外へ連れ出される。


 ――滞在のつもりがある?


 部屋の隅でも汚さないのだ。たぶん茂みで用を足す。もよおしていたのは本当だった。いま足枷はされていないが、ずっと目隠しのままである。ほかに。


 丸太小屋の玄関には錠がある。 

 シェリーは無駄口をたたかない。

 人家(じんか)は近くに?望み薄だろう。

 ほかには誰もいないように思える。それは敵も味方もだ。

 袋越し、いたってもの静かであった。


 ――そうだ。


 聞こえない、これは手がかりだ。

 八人、九人の"商隊"で過ごしてきた。音のない景色はなかった。

 まわりまわって"天使が通る"こともあるけれど、風の音、鳥の音、ゆきすぐ旅人――もっと大きな存在感が、音色を絶やしはしないのだ。

 

 ――小屋のおもてに、馬はいません。

 

 彼らは蹄で催促したがる。ふんすぷるると、ご挨拶をする。尻尾でハエを追いたてる。


 ――……良くも悪くもですね。 


 シェリーの脚はシェリーだけだし、おのれの脚はおのれだけだ。


 座面のかたい椅子だった。また括られても努力はやめない。ほかにはどんな助言をもらった?

『お嬢さんの"煌策"には、剣士を負かせる力があるとも。だが……』もはや懐かしい声だ。

『実力行使は最後の手段とするべきだ』唸り声である。『刹那を見ている我ら剣士は、魔術師の時を遥かに凌駕する』

『それでももし必要と思うとき……一対一の確信を得てくれ。可能なら見抜け。ソイツは柄を握ってる()()か?はたまた、あっといわせる達人か?』

『かえしてどんなに強者であれ、集中力とは有限だ。必ず――』 

『『隙をつけ』』


 ――シェリーは手練れ、なのでしょう。


 目隠しはされたままでいる。聞ける身のこなしからなんとなくだ。


 ――いずれ戦うにせよ、どうにか距離を稼がないと。


 ごそごそしてみる。シェリーは怒る。

 かたくなさからして、言葉を弄するのも危うい。すくなくとも機は、いますぐではない。

 袋の暗闇で、長らくじっとしていると、何をしているのだかわからなくなる。

 起きているのか?眠っているのか。

 手首の鎖環を何度も数えた。

 麻袋の裏地に、吐息の熱がからみつく。

 おもての風が強くなってきた。森がざわめき、小屋がきしむ。

 ほかには?

 何も聞こえない、と思えてくる。


 ――しずかです。

 

 いまも対面にシェリーはいるのか?

 本当に?

 ためしに脚をよじってみた。足かせがつかえて大きく鳴った。

 みずから作った音なのに、思わずすくむほどである。 

 シェリーは何も言わないでいる。


 ――あれ……?


 彼女はそこにいないのでないか。視線はとっくにつかまえられない。優れた戦士なりの、例の静かな足並みで、音もなく去ってしまったのでは?

 先ほど用を足してから――もうずいぶんです、二、三時間?――ひょっと小屋には、いまひとり。


 ――だめ、確信にはたりない。けれど今こそ好機なら……。

 

 そのとき、むかいの椅子が軋んだ。数時間ぶりの存在感だ。シェリーはずっと目の前にいたのだ。くるったように鼓動がはねた。


 ――……よかった、はやまらずに。


 どうやら訪問者があった。土を抜くのは蹄音だ。鼻息のご機嫌からして、駆け馬である。

 シェリーは慌てていない。おそらく窓をたしかめて、玄関の開錠するまで、床はほんのり軋むだけ。

 扉があいて、しまる音。

 ここまで間違いない。

 吹き込む風が室内をさらって、正真正銘、ひとりの静けさだ。ひとりの静けさらしい。ひとりの静けさと思いたい。もちろんすぐには動けない。


 ――見せかけだったら……?


 どんな魂胆で?知れないが、まだ目前にシェリーがいたとして、なんらおかしくない。 

 

 ――決め手、決め手は……。


 かぎられた状況下である。やれることなぞきまっている。汗ばんだ手を握りしめて、やっぱり聞き耳だ。つと窓枠をきします風がやんだ。


 ――シェリーは外にいる!


 しるしたる声が、外からきこえた。ひそめ気味だったから、気のせいではないと祈るしかない。

 大事のひとつは、機を逃さぬこと。踏み出す勇気は持ち合わせていた。

『世間は不利を言うけどさ』ジニーも教えてくれた。『魔術師にだって剣士を負かせる。物語たちはいってるよ』要はやりようなのだ。『とかくありったけの知恵を、巡らせることさね』

 二分一の勝負に、みたび勝てた。麻袋をついにはねのけたとき、シェリーの不在はかぞえない。


 手かせを静かに外せるか。

 足かせを静かに外せるか。

 小屋の扉にかたく錠を施せるか。


 このみたびである。

 ときに、"万能解錠呪文"というのがある。その考案者たるや どうせクーネル・ドゥファスだろう。

 対象が魔術的防護をほどこされない錠にかぎり、二分の一の確率で無条件に解錠する。のこる二分の一の確率で、どうやったって開かなくなる呪いを付与する。わかるとも、いたずら厳禁だ。


鍵よ、汝(イフタフヤー)を開け(、シムシム)


 ふるたび、狙った()がでてくれた。ほんのみたびのささやき声で、"煌策(こうさく)"にありえた全ての危険性を回避しつつ、拘束から脱出、玄関には魔術的施錠を付与できた。

 

 ――これですこしでも時間を……!


 身をこごめては、足音を殺す。

 割れているのは裏手側の窓だ。それなり大きく開けている――好都合です――可能なかぎりしずかにしたい。硝子の破片を踏まぬよう気を配る。意識が散って、くぐるのに、窓枠にかけた手を深く切った。なんとか声は出さなかった。思ったよりも空は明るい。ぎりぎり昼間の範疇だ。 


 ――私では夜目が利きません。


 また僥倖だ。裏手の森までしのびあし、たどりついたら、ついで速足。さっと見返る丸太小屋は、木々と静寂につつまれている。

 

 ――逃げきれるかも……!


 走り出している。もう村出たばかりの「かよわい少女」ではいられなかった。

 茂みからふと飛びついてくる、でばねずみの魔物を"煌策"で払いのけたし、蜘蛛の巣が顔にかかっても、よけいに動じたりなどしなかった。わざわいして木の根にすっころんでも、すぐ立ち上がれた。

 息もあがりはじめたころである。


 ――あっ……!?


 いやな肌触りであった。


 ――何かの結界……!警戒線!?


 なるほどむこうも備えがあるのだ。これはどうなるかわからない。

 見上げた木の葉の隙間には、一番星がまたたいた。暗がりが、急速に森へ押し寄せつつある。


 ――ここじゃだめ。


 いっそ足をとめた。冷静になって、あたりを見渡す。


 ――そこです!


 多少はひらけた枝のはざまだ。人差し指で、東南東の空をしめした。

『なんでもかんでも、ひとりでやろうた思わんこった。そらあん時ゃ上等だったな!いざというときゃ、そいつで大人がかけつける』

 王国人はこれを、照明弾(フレア)と呼んだ。


赫灼(かくしゃく)する幻日(まほろび)火球(かきゅう)


 射出される"火球"が枝をよけたのを見届けて、すぐさま走り出す。走り出したつもりだった。

「きゃっ!?」

 どん!と背中をつきとばされた。転んでしまって、もう起き上がれない。

「言ったでしょう、手間をかけさせないで……」

 木陰の奥からシェリーの声だ。()うにそこまで追いついていた。

「つ……」

 つきとばされたのではない。足にふれるとぬるりとした。かかとの腱をたたれたのだ。


 ――すごい剣気……。


 もっとも過激な対応だった。

『肝心ななぁ、自分(てめぇ)がどんなに扱われるかだ』サルヴァトレスのどら声がよぎる。『手荒いか、猫かぶりか。何が欲しくて馬鹿なマネしやがる?』

 "角"のサラザーリは言っていた。血の一滴も惜しいから、手荒な真似はさせるなと。


 ――死んでしまえば、ただの肉……。


 神子の利用価値は生きているからこそと聞く。

 嘘ではないだろう。

 少なくとも今日明日に殺されはしない。やっぱりゼンは教えてくれた――人は水なしで四、五日、食べ物なしでも二十日かそこらを耐えられる。

 最後の最後はわからない。けれど。

 見透かすようにシェリーは睥睨する。

「……人って、簡単には死ねない」

 もはや間近であった。

「たとえその面の皮一枚はいでもね」

 夜闇に沈む森の中、鼻と鼻ほど近づいて、シェリーをもっと理解する。ただれたあとは、火傷の跡なのだ。

「せいぜい大人しくなさい。そうすれば……綺麗な顔のまま死ねる」

 勇気と無謀は紙一重。非力な魔術師には、賢明さがもっと求められる。


 ――ここまで……ここまでですね。もう見逃してはもらえません。


「……はい」

 いわれるがままに、傷を治癒し――シェリーは"治癒の神秘"を知っていた――担がれるまま、逃げ損ねた道をさかのぼる。


 ――……最大限はほどこしました。


 正味この道、人さらいとは想定内。"商隊"は、口をそろえて誓ってくれた。

『必ず助けに行く』

 シェリーの香水なのだろう。涼し草(ミント)のかおりが、どこかかなしい。

 いいつけを破ったような気がする。


 見た。聞いた。語りかけた。


 "悪心"を前にならざると、戒められるそれぞれの訳を、ヴィクトルはこう付け加えた。


 ――惑わされるから。


 なにも"悪心的恐怖"を憂慮するのにかぎらないのだ。


 ――シェリーは、ふつうの女の人です……。


 町や旅路ですれ違う、どこかの誰か。ちょっとした只人の女剣士。

 かなしい過去が、たぶんあって、失うものを、たぶんあわれむ。

 どんな少女も憧れるような、お洒落に気遣う、オトナな女性。

 ふつうと大きく異なるとすれば。

 彼女は悪人と定義されている。


 ――その時が来たとして、私は……?


 はざまにさしこむ青光、今宵に満ちた月だけが、こぼれる雫の軌跡をしるした。 


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