65.謀略 下
勇気という言葉の意味を、人は誰から教わるものだろう。
教わって理解できるのだろうか。手ずから取り扱えるのだろうか。
どこかにある、と信じるだけで、終わる一生だってある。
フラン・フラムネルはそばで見てきた。まざまざと、「勇者」たちの生きざまを見てきた。
もっとも古き良き師はだれか?きまって思い浮かぶのは、年下の男の子であった。
「食べなさい」
気づけば見知らぬ小屋にいる。対面へ乱暴に座したのは、やはり見知らぬ女であった。
机上には木皿――内容物は塩に黒パン、ふかし芋――それとにごった水の杯。
目をしばたかせる。まつ毛から籾がぽろりと落ちた。
――かぶされてたのは、穀物袋……。
とりとめもなく判じてから、気がつく。
両手が拘束されていない。
「忠告が必要?」
痛々しい、ただれた美貌の女であった。
「手間をかけさせないで」
がたつく机上に、もうひとつ目につく。
横たわっている抜き身の剣だ。
ふれる女は、剣士と知れる。
――まっこう逆らうのは悪手。
彼ら彼女らの目の良さを、とても学ばないフランではない。
野球ごっこをしたことがある。球は石ころ、投手はヴァンガード。ゼンの打率は九割九分――私の"煌策"では五割。
負けの決まった剣盾礫だ。剣士必殺の間合いだった。十人十色とは聞くが、刃を伸ばせば触れる距離なら、わざわざ確かめるまでもない。
「……いただきます」
それも"悪心の使徒"だとわかっていた。
――なにもためらわないでしょう。
もそもそとした食材たちは、それなりおいしくいただける。こういうとまた彼におもしろがられるが、腹のすき具合で、経つ時がわかる。
毒はない、と思えていた。生かしたいからもてなすのである。
――ゼンが私なら……。
うつむき加減で咀嚼して、横目にできるだけの観察をした。
こじんまりした丸太小屋。窓が割れるほか小綺麗で、いついたのは、少々前だと思われた。前後はねむらされていた。
一度はざまに起こされた。おそらくこの小屋のおもてだった。
悪心の使徒だと確信を得た。
開口一番、脅された。
『抵抗すればこいつを殺す』
一味の巨人が刃を突きつけるのは、おびえたふりをした少年だった。出会ったばかりのゼンと重なる。ほんものを知るから、重なるだけだ。
『おねえちゃん助けて』
りきの入った演技であった。気の毒なほど、あんまりにも泣く。ちぎれた獣の耳は、かねて聞いていたしるしであった。
疑心が浸透せぬ前に、ひとまず鎌をかける。
『だまされません』
すると「少年」はけろっと泣きやむ。遊びたかったのにつまらない――もっと悪ぶった口ぶりだったが。ぺっと唾をはき、邪悪に変貌する。
"少年の使徒"とはそれきりだ。「狩り」へ行くのだと森へ消えた。あとを追う"仮面"は、その背を気にかけるようだった。
角ありの、魔術師風の男が、一味の長らしい。"仮面"は去り際、"角"にことわりをいれたし、"角"は"仮面"の手柄を褒めた。とぼしいながらこれらが根拠だ。
"角"の物腰は丁寧だった。
ムゼルドット・サラザーリと名乗る。ねっとりとした声色だった。うねるような角の縞模様は、間近で見てから節とわかった。
『怯える必要はございません』
解せぬ話をつらつらと語った。草食獣らしい、あの大きくて昏い瞳を、くっつくくらいによせてきて。
『あなたは神の血肉となるのです』
長話から要点である。それからまたねむらされた。
ひとまず小屋にふたりきり。ひょっと背後はわからないが、もはや面前の"女剣士"だけに思えた。眠りの浅いふとした拍子に、察せた名前を口走ってみる。
「シェリーさんは……」「黙って」
肯定も否定も構うまい――素敵なひびきの名前です――以後はその名で認識しよう。ひとまずお守りをしてくれている。
しるしをぬすみ見た。
黒く塗れた断髪。するどいながら、うつくしい緑のひとみ。いかにもオトナな女性の風格。
半面ただれた顔の痣が、痛々しくて、見るもつらかった。
おそろしかったわけではない。
「じろじろ見ないで」
冷たくたって、手は出されない。食事を終えるとまた袋だった。後ろ手を椅子に拘束される。
じゃらりごとりとよく鳴るし、夏にもひんやり。足枷もしかり、鉄の鎖だ。錠までかかる音がした。
――"指先に灯し火"ではむずかしいでしょう……。
"煌策"であれば即断できようか?それも大きな音が鳴る。
もうすこし探ってもいい。
――逃げ道は……。
囚われの身でも、あまりおそろしいとは思わなかった。
もっと怖い目を味わった。
――彼が傷つくほうが怖い。
もちろん、暴力による支配は恐ろしい。自由がないから不安にもなる。しかし胸をつく、もっと大きな感情は。
――きっと"商隊"に心配かけます……。
ほとんどそうした矢印だった。そして「勇者」を知っていた。彼ら、彼ならどうするか、いつだって思い描くのであった。
「あの、お手洗いに……?」
「……立ちなさい」
そこでなさい、とは言われなかった。
正味この道、人さらいとは想定内だ。
試行するのをやめないかぎり、いずれ硬貨は裏をみせる。慌ててしまって栓がない。理不尽な賭けに負けてもいいよう、できるかぎりの備えはしてきた。
『観察だよ』
ゼンは言った。
『暗がりで、なんにも見えなくたって。それもひとつの手がかりだ』
彼ほどの五感はやしなえないし、異能がなくとも、視線がわかった。シェリーはこちらをじいっとみている。腕をひかれ、感触からして、どうやら外へ連れ出される。
――滞在のつもりがある?
部屋の隅でも汚さないのだ。たぶん茂みで用を足す。もよおしていたのは本当だった。いま足枷はされていないが、ずっと目隠しのままである。ほかに。
丸太小屋の玄関には錠がある。
シェリーは無駄口をたたかない。
人家は近くに?望み薄だろう。
ほかには誰もいないように思える。それは敵も味方もだ。
袋越し、いたってもの静かであった。
――そうだ。
聞こえない、これは手がかりだ。
八人、九人の"商隊"で過ごしてきた。音のない景色はなかった。
まわりまわって"天使が通る"こともあるけれど、風の音、鳥の音、ゆきすぐ旅人――もっと大きな存在感が、音色を絶やしはしないのだ。
――小屋のおもてに、馬はいません。
彼らは蹄で催促したがる。ふんすぷるると、ご挨拶をする。尻尾でハエを追いたてる。
――……良くも悪くもですね。
シェリーの脚はシェリーだけだし、おのれの脚はおのれだけだ。
座面のかたい椅子だった。また括られても努力はやめない。ほかにはどんな助言をもらった?
『お嬢さんの"煌策"には、剣士を負かせる力があるとも。だが……』もはや懐かしい声だ。
『実力行使は最後の手段とするべきだ』唸り声である。『刹那を見ている我ら剣士は、魔術師の時を遥かに凌駕する』
『それでももし必要と思うとき……一対一の確信を得てくれ。可能なら見抜け。ソイツは柄を握ってるだけか?はたまた、あっといわせる達人か?』
『かえしてどんなに強者であれ、集中力とは有限だ。必ず――』
『『隙をつけ』』
――シェリーは手練れ、なのでしょう。
目隠しはされたままでいる。聞ける身のこなしからなんとなくだ。
――いずれ戦うにせよ、どうにか距離を稼がないと。
ごそごそしてみる。シェリーは怒る。
かたくなさからして、言葉を弄するのも危うい。すくなくとも機は、いますぐではない。
袋の暗闇で、長らくじっとしていると、何をしているのだかわからなくなる。
起きているのか?眠っているのか。
手首の鎖環を何度も数えた。
麻袋の裏地に、吐息の熱がからみつく。
おもての風が強くなってきた。森がざわめき、小屋がきしむ。
ほかには?
何も聞こえない、と思えてくる。
――しずかです。
いまも対面にシェリーはいるのか?
本当に?
ためしに脚をよじってみた。足かせがつかえて大きく鳴った。
みずから作った音なのに、思わずすくむほどである。
シェリーは何も言わないでいる。
――あれ……?
彼女はそこにいないのでないか。視線はとっくにつかまえられない。優れた戦士なりの、例の静かな足並みで、音もなく去ってしまったのでは?
先ほど用を足してから――もうずいぶんです、二、三時間?――ひょっと小屋には、いまひとり。
――だめ、確信にはたりない。けれど今こそ好機なら……。
そのとき、むかいの椅子が軋んだ。数時間ぶりの存在感だ。シェリーはずっと目の前にいたのだ。くるったように鼓動がはねた。
――……よかった、はやまらずに。
どうやら訪問者があった。土を抜くのは蹄音だ。鼻息のご機嫌からして、駆け馬である。
シェリーは慌てていない。おそらく窓をたしかめて、玄関の開錠するまで、床はほんのり軋むだけ。
扉があいて、しまる音。
ここまで間違いない。
吹き込む風が室内をさらって、正真正銘、ひとりの静けさだ。ひとりの静けさらしい。ひとりの静けさと思いたい。もちろんすぐには動けない。
――見せかけだったら……?
どんな魂胆で?知れないが、まだ目前にシェリーがいたとして、なんらおかしくない。
――決め手、決め手は……。
かぎられた状況下である。やれることなぞきまっている。汗ばんだ手を握りしめて、やっぱり聞き耳だ。つと窓枠をきします風がやんだ。
――シェリーは外にいる!
しるしたる声が、外からきこえた。ひそめ気味だったから、気のせいではないと祈るしかない。
大事のひとつは、機を逃さぬこと。踏み出す勇気は持ち合わせていた。
『世間は不利を言うけどさ』ジニーも教えてくれた。『魔術師にだって剣士を負かせる。物語たちはいってるよ』要はやりようなのだ。『とかくありったけの知恵を、巡らせることさね』
二分一の勝負に、みたび勝てた。麻袋をついにはねのけたとき、シェリーの不在はかぞえない。
手かせを静かに外せるか。
足かせを静かに外せるか。
小屋の扉にかたく錠を施せるか。
このみたびである。
ときに、"万能解錠呪文"というのがある。その考案者たるや どうせクーネル・ドゥファスだろう。
対象が魔術的防護をほどこされない錠にかぎり、二分の一の確率で無条件に解錠する。のこる二分の一の確率で、どうやったって開かなくなる呪いを付与する。わかるとも、いたずら厳禁だ。
『鍵よ、汝を開け』
ふるたび、狙った目がでてくれた。ほんのみたびのささやき声で、"煌策"にありえた全ての危険性を回避しつつ、拘束から脱出、玄関には魔術的施錠を付与できた。
――これですこしでも時間を……!
身をこごめては、足音を殺す。
割れているのは裏手側の窓だ。それなり大きく開けている――好都合です――可能なかぎりしずかにしたい。硝子の破片を踏まぬよう気を配る。意識が散って、くぐるのに、窓枠にかけた手を深く切った。なんとか声は出さなかった。思ったよりも空は明るい。ぎりぎり昼間の範疇だ。
――私では夜目が利きません。
また僥倖だ。裏手の森までしのびあし、たどりついたら、ついで速足。さっと見返る丸太小屋は、木々と静寂につつまれている。
――逃げきれるかも……!
走り出している。もう村出たばかりの「かよわい少女」ではいられなかった。
茂みからふと飛びついてくる、でばねずみの魔物を"煌策"で払いのけたし、蜘蛛の巣が顔にかかっても、よけいに動じたりなどしなかった。わざわいして木の根にすっころんでも、すぐ立ち上がれた。
息もあがりはじめたころである。
――あっ……!?
いやな肌触りであった。
――何かの結界……!警戒線!?
なるほどむこうも備えがあるのだ。これはどうなるかわからない。
見上げた木の葉の隙間には、一番星がまたたいた。暗がりが、急速に森へ押し寄せつつある。
――ここじゃだめ。
いっそ足をとめた。冷静になって、あたりを見渡す。
――そこです!
多少はひらけた枝のはざまだ。人差し指で、東南東の空をしめした。
『なんでもかんでも、ひとりでやろうた思わんこった。そらあん時ゃ上等だったな!いざというときゃ、そいつで大人がかけつける』
王国人はこれを、照明弾と呼んだ。
『赫灼する幻日の火球』
射出される"火球"が枝をよけたのを見届けて、すぐさま走り出す。走り出したつもりだった。
「きゃっ!?」
どん!と背中をつきとばされた。転んでしまって、もう起き上がれない。
「言ったでしょう、手間をかけさせないで……」
木陰の奥からシェリーの声だ。疾うにそこまで追いついていた。
「つ……」
つきとばされたのではない。足にふれるとぬるりとした。かかとの腱をたたれたのだ。
――すごい剣気……。
もっとも過激な対応だった。
『肝心ななぁ、自分がどんなに扱われるかだ』サルヴァトレスのどら声がよぎる。『手荒いか、猫かぶりか。何が欲しくて馬鹿なマネしやがる?』
"角"のサラザーリは言っていた。血の一滴も惜しいから、手荒な真似はさせるなと。
――死んでしまえば、ただの肉……。
神子の利用価値は生きているからこそと聞く。
嘘ではないだろう。
少なくとも今日明日に殺されはしない。やっぱりゼンは教えてくれた――人は水なしで四、五日、食べ物なしでも二十日かそこらを耐えられる。
最後の最後はわからない。けれど。
見透かすようにシェリーは睥睨する。
「……人って、簡単には死ねない」
もはや間近であった。
「たとえその面の皮一枚はいでもね」
夜闇に沈む森の中、鼻と鼻ほど近づいて、シェリーをもっと理解する。ただれたあとは、火傷の跡なのだ。
「せいぜい大人しくなさい。そうすれば……綺麗な顔のまま死ねる」
勇気と無謀は紙一重。非力な魔術師には、賢明さがもっと求められる。
――ここまで……ここまでですね。もう見逃してはもらえません。
「……はい」
いわれるがままに、傷を治癒し――シェリーは"治癒の神秘"を知っていた――担がれるまま、逃げ損ねた道をさかのぼる。
――……最大限はほどこしました。
正味この道、人さらいとは想定内。"商隊"は、口をそろえて誓ってくれた。
『必ず助けに行く』
シェリーの香水なのだろう。涼し草のかおりが、どこかかなしい。
いいつけを破ったような気がする。
見た。聞いた。語りかけた。
"悪心"を前にならざると、戒められるそれぞれの訳を、ヴィクトルはこう付け加えた。
――惑わされるから。
なにも"悪心的恐怖"を憂慮するのにかぎらないのだ。
――シェリーは、ふつうの女の人です……。
町や旅路ですれ違う、どこかの誰か。ちょっとした只人の女剣士。
かなしい過去が、たぶんあって、失うものを、たぶんあわれむ。
どんな少女も憧れるような、お洒落に気遣う、オトナな女性。
ふつうと大きく異なるとすれば。
彼女は悪人と定義されている。
――その時が来たとして、私は……?
はざまにさしこむ青光、今宵に満ちた月だけが、こぼれる雫の軌跡をしるした。




