67.獣憑き
こんな話がある。
◆
平穏と名高い某村から、救援を求める狼煙が上がった。
襲撃だ。
騎士なりなんなり馳せ参じて、時すでに遅し、死屍累々のありさまである。
賊の仕業ではないのだろう。
命のほかにはとられていない。
魔物の仕業ではないのだろう。
結界はうまく機能している。
跡形もない不遜な奴だ。刻むだけ刻んで、残酷な奴だ。
捜索の果てに、生存者はない。
ただイチジクの枝に、首をくくった男をみつける。
すべて事情を察するわけだ。
◆
"獣憑き"と呼ばれる人たちがいる。"徴"へむけた揶揄ではない。
歴史上、様々な解釈がなされてきた。妖精のいたずら。魔女の呪い。奇病。
そう、なにも悪しざまでなく、"獣憑き"は、只人に固有の「病」といえよう。
アメイジアでは事実、指定難病とされている。つまり。
稀であり、適切な配慮が不可欠であり、発生の機序が不明であり、根本的な治療法が存在しない。
不随意で、激痛をともなう肉体的変性と、人間性の消失を主症状とするこれは、先進医療で「共鳴性多変質症候群」と呼ばれる。
発症にあたって、さまざまな引き金――共鳴条件を有する。準じて多様な変身例は、いずれであれ、簡単にあらわされる。
化け物、と。
---
「どこまでゆけど、俺が真の騎士足りえん訳だ」
満月が彼をそうさせるのだ。
「古の言葉では、狂気と意味を重ねるそうだな……」
この星に人の形をした魔物はいない。けれども、魔物じみた人間ならありえる。
"獣憑き"は、獣であるのを強いられるのだ。みさかいのない破壊衝動、飢餓感からなる食人欲求、いちじるしい知能の低下。
「十余年、辛うじて付き合ってきたが……」
これほどまで肩を落とす彼を、ゼンは見たことがない。
「すまない」
唸り声である。
「どうしよもなかったです」
ふたりは"薄灰色"にいた。ゆく道の昼番を兼ねている。ゼンはつとめてヴィクトルだけを見た。かねて見知ったなりだった。
「むしろすくわれました、ヴィクトルの理性には」
「……理性だと?昨晩の俺に?」
「ええ」思ったままを、ゼンははばからない。「あなたは、理性のお化けですよ」
獣と化す間に、自意識は失われきっていないという。いかな奔放横暴をはたらいたのか?しでかしたことをみな覚えていられて、当人は当人の本性を疑い、さいなまれる。
ふつうは、御せないものだから。
「可能性でいわばあった」
なにかに急き立てられて、突っ走ったのを覚えているが、誰を相手取ったかはあいまいだという。
「三人組を食い殺せたか、お前まで食い殺したか」
"獣憑き"に悲運は尽きない。
「あるいはお前が、俺を殺したか」
討たれる者。期せずに殺めて、みずからを殺める者。変身の苦痛から逃れたがる者。隠遁生活を選べないなら、行き先は、絞首台か、断頭台か。先進国なら受けられる保護も、なかば研究対象としてである。
「恨め」
どうやったら恨める。
綱渡りの糸がはちきれるすんでで、制止までしてくれたわけだ。
ふつうに準ずるなら、意思疎通だってまず不可能。発声器官を失うか、あって片言。それがエマにも通じる息の合いようだった。ヴィクトルにとってもはじめての試みで、数的不利の危機を脱し、同士討ちだけは免れた。落ち度があるなら。
「僕です」
もっとやりようはあったはず。
「僕が悪い」
"神子の守手"は誰だというのだ。
「ヴィクトルがどうとか、関係ない」
「大いに関わり有る事だ!」
おのれの膝に、はげしく拳を打ち下ろすのである。はらむとてつもない怒気は、内へうちへとむけられていた。
同じ信念に突き動かされている。
同じ後悔に苛まれている。
必要なときに剣がとれない、もどかしさなら知っていた。真にはわかってやれないが、ゼンは鏡を見た気になれた。
フランであれば、もっとちがったろうか?彼女はここにはもういない。
「……今日のヴィクトルはもう、化け狼でない」礼節よりも率直さを、ゼンはおもんじた。「明日も、明後日も、次の『新月』もだ」
肩書きに頼るときが来た。
「騎士ヴィクトル・サンドバーンに、僕は用があります」
「……ああ」
傷をなめあうのはやめだ。
「フランを、かならず助けます。でも僕ひとりじゃ、おなじ失敗をくりかえす。力を貸して、騎士サンドバーン」
「無論だ」
唸り声である。
---
天井を指で示すと、手のひらの傷がひきつった。
「ずっと、僕らを見てました」
"巨人"の剣気にやられた手袋のずたずた具合には、戦い終えてから気がついた。
「思いすごしで、なかったなんて……」
場をあらためて、"魔法の居間"の中だ。ゼンにとってはなかば愚痴だった。手すきの大人たちが聞いてくれた。
さっと見返すと誰もいない。何かが来ると思えば魔バト。ヴィクトルが気を立てるのとも、時期が重なった。冒険者たちがちらちら見やるのだ。
"平穏満ちる町"からである。満月の晩に動けないのを、敵は見て知っていた。
「"遠見"に似るが……お前を嵌めた幻影から推するに、結界術師の可能性が高い」唸り声である。
「まぼろしを?結界で?」
「たとえば空間に細工をしておき、あらぬ景色を映し出す。あるいはのぞき窓とする……」
騎士たるもの、領外の技にも詳しいようだった。
「あくまで示唆だと、とどめておいたが――」と、ヴィクトルがちゃぶ台にすべらせるのは、公用語で『閲覧制限:特定機密情報』と赤印を捺された書類つづりである。それなりに分厚い。「"清涼なる湖畔の町"での交戦情報を反映した、王国軍による敵情考察だ」
ゼンもこれからはしげく目を通す。然るべき許可をえていないから、アメイジアにばれたら銃殺刑だ。
「我々の追跡法が、織り込み済みな訳ですね……」イトーがつぶやいた。
連中は、フランと似した少女を用意して、しるしをより通ずるように、顔を焼きつぶした。しかし"商隊"の駆使する追跡魔法が、精霊頼りのそれだけと知り、攪乱の仕方を変えた。
『ヒトの区別どころじゃないね……』"棄民の村"でジニーは言いくわえた。『奥まると、あたり精霊はだんまりなんだ。まるで何かにおびえてる』
精霊魔法は、精霊との対話の処理に重点があり、声が聞こえねば役立たない。敵には阻害する術がある。
追い追われるなか、痛ましい巻き添えがあった。とくに亡くなった少女、アンネである――救いとするべくは、彼女には癒えきらぬ数々の打ち傷があり、親族といえば、娘の死を聞いてまず舌鼓が出る父親だけだった、ということだ――精霊魔法を封じれたのだから、連中にとって、アンネは余分な荷になった。だから"はずれの丸太小屋"に、つめたく放置された。服を着せ替えたのは、もともとおとりとして、生かして連れて行く気だったからだ。死の偽装なら、時間稼ぎとしてつたない。
打ち上げられた"火球"の合図しかり、フランがいたのはほぼ間違いないし、報われるかなアンネの死が、その後のフランの生存をやや裏付けてくれる。ふたりの少女は手がかりをのこした。
机の裏を。
新前弓手のための布手甲に、血文字で書かれていたのであった。この星にふたつとない、ジニーが"スミカの花"の刺繍を施して、誕生月に贈ったものだ。
問題の机の裏側は、イトーが手帳に控えておいた。なぞりかえす。
「安全、刻限、新月の三単語……方位記号の西にしるし」
やはり偽装なら回りくどい。
布手甲のありかとは、アンネの後ろ手だった。死のことわりにあらがうかのよう、それはかたく、大切に握りしめられていた。
「残せるならば手がかりを……そのような話もしました」
「あの子らしいよ。真っ先に伝えたがるのが『安全』だなんて……」
うたがわしいものだ、本当に「安全」かどうかは。
たとえ命が無事だとしても、顔はおそらく焼きつぶされている――ゼンは思っても、言わないでいた。
「信じましょう。時間のゆうよは次の新月」あくまで事実をつきつめる。「いちばん暗い、夜の日です」
「ヤツらの好みそうなことだ」唸り声である。「時をもうけてまで、何をしでかす気かはしれんが……」
良くも悪くもあと二週間。謀略の初日からかぞえると、互いに長くて短い戦いになる。
「それだけヴィクトルをおそれてた。おそれてる」頼るしかない今に、ゼンは歯をくいしばるのだ。
「"商隊"の助けも必要だ」ヴィクトルは目線をくばった。
「何なりと微力を尽くしましょう」御者につき通しの"商隊長"を、イトーは代理する。
ダルタニエンは仮眠していた。逃亡とみせかけた逆襲を危惧するのに、もっとも夜番を引き受けてくれたのが彼だ。
昼の見張りは、サルヴァトレスが代わってくれていた。より多くの休息を、騎士らに与えるためだった。
ゼンはよくわかっている。仲間のおかげで、道はまだ途絶えていない。だから建設的だった。
「次は?」
「とにかく最寄りの連絡所だ」
「情報収集?」
「それもあるが」
琥珀の瞳はうったえるらしい。まだまだ耐えねばならないぞ。
「戦力を集うのだ」
黒馬車はひた走る。敵は西方にいる。




