60.旅人のズル
「ぬかったんだね?」
「ぬかったのさ」
黒馬車の腹をゼンは見つめていた。暗がりで、仕事は果たしたと思われる。
「平気そうだよ」一緒にねそべるハウプトマンを、ちろり見た。
「なら十七ミルを」
「はい」
好奇心から、以前にももぐりこんだことがある。けれど工具をとるのは今日がはじめてだ。
「押さえててくれ」
それもすっかり要領を得ていた。背中をずりずり移動してはふたり、似たような真似を繰りかえす。
「……よし、ご苦労さん」
「もういいんだ」
「これ以上ってぇなると大がかりだ。逆さ吊りなりなんなり……」
「ヴァンガードがいれば楽できたのに」
「ないものねだりだ、それこそな」
一足先にぬけだして、襤褸布にねそべっていたハウプトマンを、ゼンはひっぱりだしてやる。
外はまぶしい。ふたりして目をしかめた。
「やれるだけやった。これでダメなら参っちまうぞ」
先だっては何たら機構を換装したし、サスもブレーキも目視健在。不良がのこるなら根は深い。
膝と尻とをぱっぱと払っていると、ハウプトマンは手ぬぐいをくれた。
「このあとは?」
「試走ができれば理想だが……」今は馬たちの休み時なのだ。かわりとばかり運転席へ飛び乗って、ハウプトマンはブレーキを踏みしだく。「まぁ、よかろう?」
悪かろうと、どのみち手がでないのであった。
「やっぱり、たいへんなのは部品?」
「うむ。領都まで漕ぎつけばどうにかなろうが、それも時間がな」
お取り寄せには時間をくうという。もちろんお金だってかかる。
「休みに悪かった」
「いいんだ、ヒマしてたし」
降りしな、ハウプトマンはにやりとした。
「ははぁ、ヘタにさわったな」
油でもついていたらしい、頬をごしごしとぬぐわれる。暗所での目利きを、ゼンは貸していたのであった。
「どうせまたよごれるよ」
「なんだ、例の用事はいいのか」
「まだ平気」
「ふふ、小遣いはでんぞ」
「いらないって」
手入れの為に外していた「泥除け」を、ふたりで戻しにかかる。いってしまえば、擬装用の覆いであった。
「しかし、ここら聖域の数には救われるな……十字のを貰えるか?」
「うん」
赤い工具箱に手をつっこむのは、何度目だってわくわくする。
「……この箱の中身ひとつひとつも、申請でしょう?」
「そうさ」
持ち出し規則をぬかったために、懐中電灯なるものがないことを、ハウプトマンは惜しんだのだ。"白昼灯"に似たものらしい。
「明るいけれど、あれは天井なしじゃ使えないものね」魔法の制約だ。
「だったとしても、格が違うな」
なにせ電力を求めない、"白昼灯"は夢の魔道具だ。
のこる一仕事のあいまに、車輪まわりの仕組みを、ゼンはしげしげと再確認した。
「剣の手入れなんて目じゃないや」
「見なれんだろう?そりゃそうだ」
合成樹脂の泥除けだった。毛深い腕にかかっては、みるみる装着されていく。覆い隠される機構にせよ、さきほどながめた腹にせよ、"先史"の機械を回想した。
――ネジやバネ、それに歯車……。
知らないのにわかる。どちらも研ぎ澄まされている。
「……こんな形とは思わなかった」
「んー?」
馬とともに行ける旅路――かつて抱いた憧れだった。思いもよらぬ実現を、何度目だろう、かみしめた。
神秘と見紛う工学の結晶が、おのれを助けてくれている。
「黒馬車の特別さなら、またわかったかな。って」
「そうとも、特別さ!ズルいくらいにな……ねじりを?」
「はい」
ゼンはもうほとんど手持ち無沙汰だ。道具を出したりひっこめるだけ、ハウプトマンの作業をながめる。
「けども旅人ってな何かしら、ズルする手段を持ってるもんだ」
「そうだね」
「いくつ知ってる?」
「……"追い風"とか?」
「ははぁ、行く夏は荷台で憩い、冬は御者台でぶるぶるときた」
「"坂道ならし"!」
「平地も坂も知ったことことか。シュワルコフにはもってこいだな」
「……"蹄減らし"」ぞっとする魔法であった。
嫌そうな顔をしたのを、ハウプトマンは気がついたのだろうか。
「人命を救うこともある」
ふたりとも、しばし黙した。
「ああ、それた打って変わってあるじゃあねぇか」
なんであろう。
「"疲れ知らず"さ」
ゼンは知らない言葉かと思った。疑問符が消えない。
「一般表現じゃないの」
"魔法"の区別がつきづらいのは、たいがいわざとだというが。
ハウプトマンはおかしげに首をふるだけだ。
「……え。もしかして、この馬車にも?」
「おうともさ」
言ってなかったか?ハウプトマンは教えてくれる。
「疲れ知らずた、言うけれど、乗ったら乗るだけ、くたびれるのさ」
搭乗者の生気転用である。幌つきの馬車なみに、ありふれたものだそう。
「へぇ……!黒馬車の魔法は、三つきりだと思ってた……」"魔法の居間"、"軽量化"、"時駆け"で三つだ。
「三つだとも!特別なのはな?」
旅人のズルの話であった。
「こんなもんか」
「うーん、そうだね?」
からりとした晴天を、ゼンはふとあおいだ。なんとなし、動体の接近を感じたのである。
――魔バトか……。
びゅん!と頭上を越してゆく。もはや見慣れた空の生き物だ。
「そうだ、鷲獅子!」
「おっとぉ、そいつぁとびきりだな!」ハウプトマンはがしがしと、装着したての外装を叩く。「黒馬車だって負かしちまう」
「でも、ほとんどの人は乗れないね?」
「そこばかし競えるな、わはは」
グリフォーンこそ、公国騎士の機動の術である。
かつてエウロピアの人々と、竜に立ち向かった幻獣で、当代にしてその総数は、統括騎士の頭数にも満たない。それは気高い生き物で、数を減らしたいまでこそ、人の囲いにくだったが、かねてから乗り手を選んだという。大公、領主、有力な騎士――騎士は騎士でも、統括騎士。
けれどヴィクトルにいわせてみると。
『……あの生物は背中を許さん』
"光の騎士と飛竜"とはいかない。吊下げ式の荷台にしがみついて、運んでもらうのがせいぜいだそう。
ましてグリフォーンのご機嫌取りが、統括騎士には頭痛の種だ。あらかじめ親交を深めておかないと、いざという時そっぽを向かれる。
「いや、笑い事じゃないな。他に手がありゃよかったが……」
急いでいたにもかかわらず、ここにきて道ゆきに遅れが出ていた。シュワルコフの起伏には、黒馬車の頭脳もしてやられたのである。
それも岐路までこれたから、領都まで"時駆け"で早いはず。あとは平坦ぎみで、やや東へと引き返す道だ。
「たとえばそうさな……《鉄道》なり、《自動車》なり」
イトーは教えてくれないでいた。
「む?初耳か!」
アメイジアの不思議な乗り物の話に、ゼンは目を白黒させるのだった。
「どれだけ走っても疲れない……それって、すごい」
持ち出し規則を通りっこないし、どちらも個人の所有はグリフォーンほど稀だそう。
「メシだってここじゃ用意してやれん。油よりまぐさ、そうだろう?」
アメイジアでも、まだまだ馬が走るのだ。
「さて……」
かたわらで、黒馬車の外見がもと通りである。秘めたる工学はもう感じない。
「せめて不調の尾をひかにゃいいが」更なる遅延を予防するため、ここで打てる手を打ったのだった。
散らかしたぶん、お片付けがある。工具箱を相手しにしゃがんで、ハウプトマンは額をぬぐう。
「時季も時季だな」
「つめたい水をとってこようか」
「おお、そりゃいい」
片付けが苦手とはいわせない――道具のもとの居場所が、僕じゃあいまいだもの!
今日の聖域の川べりを、ゼンは既に何度か訪れていた。たっと向かって、すぐそこだ。そばで「見張り」をこなしてくれているダルタニエンに目配せする。
貯水より、流れはずっと冷えていた。木桶でざっとくむほかに、ひたしていた「それ」も、ひとつ拝借。
(ダルも試してみる?)
ダルタニエンは、見ないふりながら、はっとした。かがやく犬歯は、まもなくすごすごとおさまった。
(だめだよぅ、一度手をつけたら、とまんない……)
夜の楽しみにしたいらしい。ゼンの行きは駆け足、帰りは早歩き――そう、振ったらいけないんだ――はちみついり……と背後できこえた。持ち物には、小瓶がひとつ増えている。
「おー、そいつが例の」
ひとまず冷えた手ぬぐいを、ハウプトマンには渡してやった。けれど魂胆は小瓶にあった。
「そう!ハウプトだったらわかるでしょう?」
いいのか?ときかれて、ゼンは何度も首をふる。
「どれどれ……」
木桶にいかめしい手がひたる。
「俺もはじめてだがな、マツの葉サイダーは!」
手作りするのに、手順はこうだ。
マツの葉からヤニを取り払う。よく洗う。瓶に詰める。水と砂糖と塩とショウガとはちみつと、なんやらかんやら適量に入れる。しっかりふたをした大瓶は、御者席などで、日光をたくさん浴びせておく。
数日待ったらできあがり。
微生物たちががんばって、しゅわしゅわを作ってくれるのだ――!
髭もじゃの口が、いまひとあおりする。これは人体実験というやつだ。
「…………」
「どう?ぬるいかな……?」
サルヴァトレスが監修したから、絶望的ではないはずだった。実験でなくて、立派な味見だ。
「うん、うん……」
ひとまず被験者は倒れない。こまかく頷いては、何度か瓶をあおりなおす。もごもごとゆすぐ。あっちこっちを見やる目が、ゼンをなかなか緊張させる。
「お、おかしい……?」
「や、悪かぁないな!」
ゼンはフクザツだった。職業人の腕を借りるのに、ズルするようでうしろめたかった。そして出てきた評価は十中、五か六。口ぶりでなくて素振りでわかる。
「……ちゃんとぱちぱちしてる?」
「おお、微炭酸だ」
ビタンサン、というやつは、大人を仰天させないらしい。御者台で、発酵の過程を世話してくれたひとりだから、というのもあるだろうが。
「あのね、このこと……」
「内緒だろう?嬢ちゃんにゃ」
用心深く頷くのに、ゼンの面持ちはかたい。
「強いて言や……もっと冷えてた方がいいな?」
「やっぱり……!?」
「デカい氷が冷凍庫にゃあるだろう。貨物室で添い寝させたらどうだ」
「とけちゃわない?夜までに……」
「懐中電灯は忘れたが……保冷箱なら持ち出せた」
ハウプトマンは、あたりをさっと見渡すと。
「あー、たまらんな!こんな日は!水浴びがしたい!なぁ坊主、もっと木桶に頼めるか!」
急に大きな声である。芝居を察して、ゼンはとっくに駆けだした。「待ってて!いまとってくるよ!」これなら行ったり来たりしても、フランに怪しまれない――はずである。
「ふむ……俺はまたぬかったかな?」
日なたにのこされて、ハウプトマンはひとりごつ。
驚くフリをするべきだったか?少年がまだ見ぬ自動車を、教えるべきではなかったか?
嘘とは必ずしも悪意的ではない。はじめて、という体験は、どこまでもひとりにつき一度。ネタばらしったら興ざめだ。
「よー大将?」
馬車のかげから現れた、サルヴァトレスである。
「試したけ」
「炭酸がちと弱いな」
「んあー……ま、やり用ならあら」
「今夜の件か?」「ああ――」
ゼンがおっつけ戻る頃には、立ちぼうけの髭がいるだけだ。
「ははぁ、ちょうどこんなさ!」
やれ、とハウプトマンが言うから、ゼンはやった。然るべきたくらみを完遂したのち、黒馬車の屋根から、木桶をひっくり返したのである。
「濡れ鼠だが、クソ暑いのよかマシだ。ブンブンやかましい羽音だって止む」
「なのに、そばには快適な白葉の森?」
「あそか森ごと聖域なのさ」
したたる髭で語るのは、最後の仕事の記憶であった。
荷台の影に襤褸布をひろげて、ふたりで腰かける。
「人命救助が、レンジャーの使命なんだよね」
「そんときゃそうなった。巡りあわせだ」男は適当に顔をぬぐう。「訓練じゃ、人型の的だって撃つ」
直近、巨悪を前にした"商隊長"の武勇を、ゼンは人づてだが聞いた。勇気さえあれば、ではどうにもならない。
「……詳しかったんだ、ハウプトは」
"悪心"がどんなものなのか?
熱帯雨林で戦ったという、敵の正体が朧げなままでも、ゼンにはもはや説明不要だ。今や知りすぎていた。
"巡礼"とは苦難の旅路である。
真相やいかに。けれど神子は然り、そちらへむかんとする。
ハウプトマンには先がまざまざと見えていた。だから同乗を、はじめひととき嫌がった。
「余計な気がねぁ言いっこなしだ」
やはり先手を打つ人だ。
「あの湖畔だって、誰が言いだした?」
ハウプトマンである。この男もまた、アレを見たなら戦わずいられない。そうした性で生きている。いまは"商隊長"だった。
「……ダンコヨーテも北方内陸の冬は」展望を語る。「そりゃ厳しいもんだそうだ。けれど南はじまで至りゃ、年中あたたかくて美しい砂浜がある。足をのばすのは欲張りか?」
ゼンは思い浮かべながらきいた。そこには黒馬車と"商隊"がいる。
「ユートレムを見ないんじゃ、せっかくここまできた意味がなかろ。水の都ってやつさ」
髭面がこちらをむく。まだ濡れている。
「どれにしたって、寄り道になるが……」
"巡礼の少年少女"にとって、という意味で、たぶん男は言ったのだ。
「そんなことない」
この人生に逸れ道というのはない。と、ゼンは信じていた。"商隊"と出会った時からだ。
夏の微風を全身でうけながらふたり、おだやかさというのを、あますことなく享受していた。
「……この地は美しい。そして安寧がある。誰しもがそう見て、暮らせるのは、守る誰かがいる裏返しだ」
かつて担った中に、彼もいた。
「その誰かから……もしも助けを求められるなら、能うかぎりの助力を惜しまん」
「……次も戦うの。この黒馬車で」
「戦う?」ずんぐりした首を男はすくめる。「そんな大げさなもんじゃあねぇ、ちぃとの手助けだ」
胸でする、ひと呼吸があった。
「何年も待つ……そりゃ厳しいがな、観光がてらにひと月ふた月、やれることだってあるだろう」
ジニーとも相談したことだという。
「……実は思ってたんだ。領都についたらもう、お別れかなって」
「なんだ水臭い!聞いてないぞ」
「わっ!びしょびしょだ!?」
「わははっ」
あたり小鳥がさえずり、梢を揺らした。
こうも穏やかな旅路が、どこまでも続いてくれたらいい。
これが"聖巡礼"である以上、もはやかなわぬ願いであると、"商隊"にはわかっていた。
危機とは常にそばにある。
たとえまばゆい陽のもとであれ、凝らさねばならぬ影があるように。
だがしかし。
すくなくとも今日だけは、せめて今宵だけは。
この聖域に、水神の加護よあれかし。




