表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:シュワルコフ領
60/100

60.旅人のズル


「ぬかったんだね?」

「ぬかったのさ」

 黒馬車の腹をゼンは見つめていた。暗がりで、仕事は果たしたと思われる。 

「平気そうだよ」一緒にねそべるハウプトマンを、ちろり見た。

「なら十七ミルを」

「はい」

 好奇心から、以前にももぐりこんだことがある。けれど工具をとるのは今日がはじめてだ。

「押さえててくれ」

 それもすっかり要領を得ていた。背中をずりずり移動してはふたり、似たような真似を繰りかえす。

「……よし、ご苦労さん」

「もういいんだ」

「これ以上ってぇなると大がかりだ。逆さ吊りなりなんなり……」

「ヴァンガードがいれば楽できたのに」

「ないものねだりだ、それこそな」

 一足先にぬけだして、襤褸布にねそべっていたハウプトマンを、ゼンはひっぱりだしてやる。

 外はまぶしい。ふたりして目をしかめた。

「やれるだけやった。これでダメなら参っちまうぞ」

 先だっては何たら機構を換装したし、サスもブレーキも目視健在。不良がのこるなら根は深い。

 膝と尻とをぱっぱと払っていると、ハウプトマンは手ぬぐいをくれた。

「このあとは?」

「試走ができれば理想だが……」今は馬たちの休み時なのだ。かわりとばかり()()()へ飛び乗って、ハウプトマンはブレーキを踏みしだく。「まぁ、よかろう?」

 悪かろうと、どのみち手がでないのであった。

「やっぱり、たいへんなのは部品?」

「うむ。領都まで漕ぎつけばどうにかなろうが、それも時間がな」

 お取り寄せには時間をくうという。もちろんお金だってかかる。

「休みに悪かった」

「いいんだ、ヒマしてたし」

 降りしな、ハウプトマンはにやりとした。

「ははぁ、ヘタにさわったな」

 油でもついていたらしい、頬をごしごしとぬぐわれる。暗所での目利きを、ゼンは貸していたのであった。

「どうせまたよごれるよ」

「なんだ、例の用事はいいのか」

「まだ平気」

「ふふ、小遣いはでんぞ」

「いらないって」

 手入れの為に外していた「泥除け」を、ふたりで戻しにかかる。いってしまえば、擬装用の覆いであった。

「しかし、ここら聖域の数には救われるな……十字のを貰えるか?」

「うん」

 赤い工具箱に手をつっこむのは、何度目だってわくわくする。

「……この箱の中身ひとつひとつも、申請でしょう?」

「そうさ」

 持ち出し規則を()()()()ために、懐中電灯なるものがないことを、ハウプトマンは惜しんだのだ。"白昼灯"に似たものらしい。

「明るいけれど、あれは天井なしじゃ使えないものね」魔法の制約だ。

「だったとしても、格が違うな」

 なにせ電力を求めない、"白昼灯"は夢の魔道具だ。


 のこる一仕事のあいまに、車輪まわりの仕組みを、ゼンはしげしげと再確認した。

「剣の手入れなんて目じゃないや」

「見なれんだろう?そりゃそうだ」

 合成樹脂(ゴウセイジュシ)の泥除けだった。毛深い腕にかかっては、みるみる装着されていく。覆い隠される機構にせよ、さきほどながめた腹にせよ、"先史"の機械を回想した。

 

 ――ネジやバネ、それに歯車……。


 知らないのにわかる。どちらも研ぎ澄まされている。

「……こんな形とは思わなかった」

「んー?」

 馬とともに行ける旅路――かつて抱いた憧れだった。思いもよらぬ実現を、何度目だろう、かみしめた。

 神秘と見紛う工学(こーがく)の結晶が、おのれを助けてくれている。

黒馬車(これ)の特別さなら、またわかったかな。って」

「そうとも、特別さ!ズルいくらいにな……ねじりを?」

「はい」

 ゼンはもうほとんど手持ち無沙汰だ。道具を出したりひっこめるだけ、ハウプトマンの作業をながめる。

「けども旅人ってな何かしら、ズルする手段を持ってるもんだ」

「そうだね」

「いくつ知ってる?」

「……"追い風"とか?」

「ははぁ、行く夏は荷台で憩い、冬は御者台でぶるぶるときた」

「"坂道ならし"!」

「平地も坂も知ったことことか。シュワルコフにはもってこいだな」

「……"蹄減らし"」ぞっとする魔法であった。

 嫌そうな顔をしたのを、ハウプトマンは気がついたのだろうか。

「人命を救うこともある」

 ふたりとも、しばし黙した。

「ああ、それた打って変わってあるじゃあねぇか」

 なんであろう。

「"疲れ知らず"さ」

 ゼンは知らない言葉かと思った。疑問符(ハテナ)が消えない。

「一般表現じゃないの」

 "魔法"の区別がつきづらいのは、たいがいわざとだというが。

 ハウプトマンはおかしげに首をふるだけだ。

「……え。もしかして、この馬車にも?」

「おうともさ」

 言ってなかったか?ハウプトマンは教えてくれる。

「疲れ知らずた、言うけれど、乗ったら乗るだけ、くたびれるのさ」

 搭乗者の生気転用である。幌つきの馬車なみに、ありふれたものだそう。

「へぇ……!黒馬車の魔法は、三つきりだと思ってた……」"魔法の居間(リビング)"、"軽量化"、"時駆け"で三つだ。

「三つだとも!特別なのはな?」

 旅人のズルの話であった。

「こんなもんか」

「うーん、そうだね?」

 からりとした晴天を、ゼンはふとあおいだ。なんとなし、動体の接近を感じたのである。


 ――魔バトか……。


 びゅん!と頭上を越してゆく。もはや見慣れた空の生き物だ。

「そうだ、鷲獅子(グリフォーン)!」

「おっとぉ、そいつぁとびきりだな!」ハウプトマンはがしがしと、装着したての外装を叩く。「黒馬車(こいつ)だって負かしちまう」

「でも、ほとんどの人は乗れないね?」

「そこばかし競えるな、わはは」

 グリフォーンこそ、公国騎士の機動の術である。

 かつてエウロピアの人々と、竜に立ち向かった幻獣で、当代にしてその総数は、統括騎士の頭数にも満たない。それは気高い生き物で、数を減らしたいまでこそ、人の囲いにくだったが、かねてから乗り手を選んだという。大公、領主、有力な騎士――騎士は騎士でも、統括騎士。

 けれどヴィクトルにいわせてみると。

『……あの生物は背中を許さん』

 "光の騎士と飛竜"とはいかない。吊下げ式の荷台にしがみついて、運んでもらうのがせいぜいだそう。

 ましてグリフォーンのご機嫌取りが、統括騎士には頭痛の種だ。あらかじめ親交を深めておかないと、いざという時そっぽを向かれる。

「いや、笑い事じゃないな。他に手がありゃよかったが……」

 急いでいたにもかかわらず、ここにきて道ゆきに遅れが出ていた。シュワルコフの起伏には、黒馬車の頭脳もしてやられたのである。

 それも岐路までこれたから、領都まで"時駆け"で早いはず。あとは平坦ぎみで、やや東へと引き返す道だ。

「たとえばそうさな……《鉄道》なり、《自動車》なり」

 イトーは教えてくれないでいた。

「む?初耳か!」

 アメイジアの不思議な乗り物の話に、ゼンは目を白黒させるのだった。

「どれだけ走っても疲れない……それって、すごい」

 持ち出し規則を通りっこないし、どちらも個人の所有はグリフォーンほど稀だそう。

「メシだってここじゃ用意してやれん。油よりまぐさ、そうだろう?」

 アメイジアでも、まだまだ馬が走るのだ。

「さて……」

 かたわらで、黒馬車の外見がもと通りである。秘めたる工学はもう感じない。

「せめて不調の尾をひかにゃいいが」更なる遅延を予防するため、ここで打てる手を打ったのだった。

 散らかしたぶん、お片付けがある。工具箱を相手しにしゃがんで、ハウプトマンは額をぬぐう。

「時季も時季だな」

「つめたい水をとってこようか」

「おお、そりゃいい」

 片付けが苦手とはいわせない――道具のもとの居場所が、僕じゃあいまいだもの!


 今日の聖域の川べりを、ゼンは既に何度か訪れていた。たっと向かって、すぐそこだ。そばで「見張り」をこなしてくれているダルタニエンに目配せする。

 貯水より、流れはずっと冷えていた。木桶でざっとくむほかに、ひたしていた「それ」も、ひとつ拝借。

(ダルも試してみる?)

 ダルタニエンは、見ないふりながら、はっとした。かがやく犬歯は、まもなくすごすごとおさまった。

(だめだよぅ、一度手をつけたら、とまんない……)

 夜の楽しみにしたいらしい。ゼンの行きは駆け足、帰りは早歩き――そう、振ったらいけないんだ――はちみついり……と背後できこえた。持ち物には、小瓶がひとつ増えている。


「おー、そいつが例の」

 ひとまず冷えた手ぬぐいを、ハウプトマンには渡してやった。けれど魂胆は小瓶にあった。

「そう!ハウプトだったらわかるでしょう?」

 いいのか?ときかれて、ゼンは何度も首をふる。

「どれどれ……」

 木桶にいかめしい手がひたる。

「俺もはじめてだがな、マツの葉サイダーは!」

 手作りするのに、手順はこうだ。


 マツの葉からヤニを取り払う。よく洗う。瓶に詰める。水と砂糖と塩とショウガとはちみつと、なんやらかんやら適量に入れる。しっかりふたをした大瓶は、御者席などで、日光をたくさん浴びせておく。

 数日待ったらできあがり。

 微生物たちががんばって、しゅわしゅわを作ってくれるのだ――!


 髭もじゃの口が、いまひとあおりする。これは人体実験というやつだ。

「…………」

「どう?ぬるいかな……?」

 サルヴァトレスが監修したから、絶望的ではないはずだった。実験でなくて、立派な味見だ。

「うん、うん……」

 ひとまず被験者は倒れない。こまかく頷いては、何度か瓶をあおりなおす。もごもごとゆすぐ。あっちこっちを見やる目が、ゼンをなかなか緊張させる。

「お、おかしい……?」

「や、悪かぁないな!」

 ゼンはフクザツだった。職業人の腕を借りるのに、ズルするようでうしろめたかった。そして出てきた評価は十中、五か六。口ぶりでなくて素振りでわかる。

「……ちゃんとぱちぱちしてる?」

「おお、微炭酸だ」

 ビタンサン、というやつは、大人を仰天させないらしい。御者台で、発酵の過程を世話してくれたひとりだから、というのもあるだろうが。

「あのね、このこと……」

「内緒だろう?嬢ちゃんにゃ」

 用心深く頷くのに、ゼンの面持ちはかたい。

「強いて言や……もっと冷えてた方がいいな?」

「やっぱり……!?」

「デカい氷が冷凍庫にゃあるだろう。貨物室で添い寝させたらどうだ」

「とけちゃわない?夜までに……」

「懐中電灯は忘れたが……保冷箱なら持ち出せた」

 ハウプトマンは、あたりをさっと見渡すと。

「あー、たまらんな!こんな日は!水浴びがしたい!なぁ坊主、もっと木桶に頼めるか!」

 急に大きな声である。芝居を察して、ゼンはとっくに駆けだした。「待ってて!いまとってくるよ!」これなら行ったり来たりしても、フランに怪しまれない――はずである。


「ふむ……俺はまたぬかったかな?」

 日なたにのこされて、ハウプトマンはひとりごつ。

 驚くフリをするべきだったか?少年がまだ見ぬ自動車を、教えるべきではなかったか?

 嘘とは必ずしも悪意的ではない。はじめて、という体験は、どこまでもひとりにつき一度。ネタばらしったら興ざめだ。

「よー大将?」

 馬車のかげから現れた、サルヴァトレスである。

「試したけ」

「炭酸がちと弱いな」

「んあー……ま、やり用ならあら」

「今夜の件か?」「ああ――」

 ゼンがおっつけ戻る頃には、立ちぼうけの髭がいるだけだ。


「ははぁ、ちょうどこんなさ!」

 やれ、とハウプトマンが言うから、ゼンはやった。然るべきたくらみを完遂したのち、黒馬車の屋根から、木桶をひっくり返したのである。

「濡れ鼠だが、クソ暑いのよかマシだ。ブンブンやかましい羽音だって止む」

「なのに、そばには快適な白葉の森?」

「あそか森ごと聖域なのさ」

 したたる髭で語るのは、最後の仕事の記憶であった。

 荷台の影に襤褸布をひろげて、ふたりで腰かける。

「人命救助が、レンジャーの使命なんだよね」

「そんときゃそうなった。巡りあわせだ」男は適当に顔をぬぐう。「訓練じゃ、人型の的だって撃つ」

 直近、巨悪を前にした"商隊長"の武勇を、ゼンは人づてだが聞いた。勇気さえあれば、ではどうにもならない。

「……詳しかったんだ、ハウプトは」

 "悪心"がどんなものなのか?

 熱帯雨林で戦ったという、敵の正体が朧げなままでも、ゼンにはもはや説明不要だ。今や知りすぎていた。


 "巡礼"とは苦難の旅路である。


 真相やいかに。けれど神子は然り、そちらへむかんとする。

 ハウプトマンには先がまざまざと見えていた。だから同乗を、はじめひととき嫌がった。

「余計な気がねぁ言いっこなしだ」

 やはり先手を打つ人だ。

「あの湖畔だって、誰が言いだした?」

 ハウプトマンである。この男もまた、アレを見たなら戦わずいられない。そうした性で生きている。いまは"商隊長"だった。

「……ダンコヨーテも北方内陸の冬は」展望を語る。「そりゃ厳しいもんだそうだ。けれど南はじまで至りゃ、年中あたたかくて美しい砂浜がある。足をのばすのは欲張りか?」

 ゼンは思い浮かべながらきいた。そこには黒馬車と"商隊"がいる。

「ユートレムを見ないんじゃ、せっかくここまできた意味がなかろ。水の都ってやつさ」

 髭面がこちらをむく。まだ濡れている。

「どれにしたって、寄り道になるが……」

 "巡礼の少年少女"にとって、という意味で、たぶん男は言ったのだ。

「そんなことない」

 この人生に逸れ道というのはない。と、ゼンは信じていた。"商隊"と出会った時からだ。

 夏の微風を全身でうけながらふたり、おだやかさというのを、あますことなく享受していた。

「……この地は美しい。そして安寧がある。誰しもがそう見て、暮らせるのは、守る誰かがいる裏返しだ」

 かつて担った中に、彼もいた。

「その誰かから……もしも助けを求められるなら、能うかぎりの助力を惜しまん」

「……次も戦うの。この黒馬車で」

「戦う?」ずんぐりした首を男はすくめる。「そんな大げさなもんじゃあねぇ、ちぃとの手助けだ」

 胸でする、ひと呼吸があった。

「何年も待つ……そりゃ厳しいがな、観光がてらにひと月ふた月、やれることだってあるだろう」

 ジニーとも相談したことだという。

「……実は思ってたんだ。領都についたらもう、お別れかなって」

「なんだ水臭い!聞いてないぞ」

「わっ!びしょびしょだ!?」

「わははっ」

 あたり小鳥がさえずり、梢を揺らした。


 こうも穏やかな旅路が、どこまでも続いてくれたらいい。

 これが"聖巡礼"である以上、もはやかなわぬ願いであると、"商隊"にはわかっていた。

 危機とは常にそばにある。

 たとえまばゆい陽のもとであれ、凝らさねばならぬ影があるように。

 だがしかし。

 すくなくとも今日だけは、せめて今宵だけは。

 この聖域に、水神の加護よあれかし。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ