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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:シュワルコフ領
61/106

61.盛夏の前に


 "騎士も名を知らぬ湖"の(ほとり)、おおう若葉が陽を透かしていた。

「そうだ……」

 馬の尾結い(ポニーテール)にあました火の色を指にかけ、彼女はそっとこぼしたのである。

「もうお祭りの季節なんですね」

 ふくみなく、彼女なりの、夏のあらわしかただった。

 ひとり聞きとどけてゼンは、みずからがまだつたないと思う。輝く水面からすべるほほえみに、うまく笑いかえせただろうか。

「うん、もうすぐお祭りだ……」

 守護剣を選ぶと決めた日だった。




 ---




 彼は心苦しいのだ。

 ただでさえ遠いこの道のりに、もっと時間をよこしてくれとは。

「どれくらいなんですか?」いたって素朴に少女はいった。

「一年だって、ヴィクトルは……」

 選べばすぐさま実行できる。かの少年の美徳ではあった。

 けれど言いっぱなしで、かたまってしまう。

 頷くことを強いている。

 胸がしまる。


 ほかに道ならあるはずだ。


 わがままにも遠回りを選ぼうとしている。

「そうしましょう」

 少女はやはり頷いた。

「ゼンがしたいなら、私もそうしたいです」

「でもうかない顔だ」

「私にだって不安はあります」

 きいてくれますか?目顔でかたる彼女を、少年は待った。

「……何年かかるかわかりません。この道です。それでも聖国まで、私と一緒に行ってくれますか」

 なにをいまさら、当然だ、と少年はこたえた。なら私にも当然です、と少女はうけおった。

 つかえた毛だまりはそれでとけた。

「"商隊"とのお別れがはやまるのは、さびしいですけれど……」

 遅かれ早かれ来たる日だ。彼女もそれを理解していた。

 そして黒馬車の助けなしでは、海を渡った向こうの世界で、ほんとうに途方もない時を過ごすことになる。せっかく覚えた公用語にせよ、通じるわりに、嫌われている。

「いつまでにつけ、とは言いつかっていません」

 いたずらっぽい、見ない顔だ。立てた膝のスカートに少女は、ぐずるように頬をうずめた。

「……ええ。甘えちゃいけませんね」

 彼女はいつまでも悔いるのだった。

 あのとき、もっとうまくやれた。

 のぞめないほどの力を使い果たして、それでも無力だとなげく。


 彼女はついに弓をとった。


 騎士たちがゆく山道を、荷台もつっぱね歩きどおし、必要ないのに馬車を押してひく。

 その身を案ずる大騎士の苦笑までを、この日の少年はまだ知らないが。

「領都についたらどうするかは……またヴィクトルと相談だ」

 ゆく道ならしかとさだまった。

「ありがとう」

「はい、私もします。私にできること」

 "花畑の少女"の指輪を、彼女はきゅっと胸元で握った。

 いまや信念のしるしだ。

 "抜け道"でもこれだけはなくさず、あとからふたり、ほっとした。

「打算はあるよ」少年はいう。「ヴァンガードを待つのに、ちょうどいいかなって」

「ですね!」少女は屈託ない。「彼なら一緒に行ってくれます」

「……次の夏には会えるかな」

 "祭り"、と聞くのはこれからだ。




 ---




 見た夏の数で年をかぞえる――"さなかの国"の少年少女は、思うに夏至で年をえる。

 ひいては件の祭りとやらが、境を象徴するのだろう。

 彼らは単に「祭り」と呼ぶが、ここでは"火の祭り"としよう。

 火の神の村の掟によれば、神子(ないしそれに近しい代理)には、祭事にそなえる義務がある。具体、七日七晩にわたって、火の神の祠へと通うのだ。またこの準備期間においては、御許のなんぴとも火を熾してはならない。

「それって、フランもなの?」

 然り。夜道を行くのに、神子は灯りを備えない。

「暗いところは苦手なのに……」

 村の広場から祠まで、聞くところ距離はさほどないが、参道は、夜半にうごめき不気味だという。(落葉針葉樹の魔木の林に、参道はあるそうな。コニの木だろう。あたたかい時期、根をはりなおすことがある)

 灯のない夜道を神子は通い、祠にひとり取り残される。

 火をいただけないかと、神に願うのである。

 はじめの六日は、もらえないのだと決まっている。

 七日目の晩にようやく、火種は下賜される。

 神子は大切に持ち帰り、広場にたかだかと積んだ薪にくべる。

 火の降臨に村人たちは歓喜し、"火の祭り"が開催される。

 "譲り火神話"の再現……むしろ源流か。


 補:ほかに広場で祝詞を述べるといった仕草を、育て手が担ったというが、神子が若かったためかもしれない。また神子の不在時に役目を代理するのは育て家の人間で、おそらく序列が設定されている。


 広場にくべた神の火を、少年が見た日もあったのだろう。

 生家を失うより前だから、"神子守の儀"にぬりかえられて、よくおぼえていない、と彼はいう。

 じき豊富な残飯、祭りの夜は戦士団がおとなしいことなどを、思い出してくわえてくれた。「夏」を連想するのは、更にそれからだとも。

 もっぱら少年は、少女の心細さを思うようだった。祭りこそ、夜闇を嫌わせたのではないか。

「フランには嫌なものだったのかな。夏も、お祭りも……」

 彼女に見たおももちの意味がわからないのだと、少年は悩んでいた。

「ありがと、イトー。もう行くよ。ヴィクトルが稽古をつけてくれるって」

 手入れを終えた刃をおさめ、いまにもゆかんとする彼を、私はささやかに祝福し――呼び止めた。

「うん?」

 火の神の村に、"バースデイ"の概念はあったのか?

「生まれた、日?わかんないや」 

 今度こそ、私はこころよく送り出した。


 つぎの盛夏が、少年少女にとって特別なものとなるといい。

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