61.盛夏の前に
"騎士も名を知らぬ湖"の畔、おおう若葉が陽を透かしていた。
「そうだ……」
馬の尾結いにあました火の色を指にかけ、彼女はそっとこぼしたのである。
「もうお祭りの季節なんですね」
ふくみなく、彼女なりの、夏のあらわしかただった。
ひとり聞きとどけてゼンは、みずからがまだつたないと思う。輝く水面からすべるほほえみに、うまく笑いかえせただろうか。
「うん、もうすぐお祭りだ……」
守護剣を選ぶと決めた日だった。
---
彼は心苦しいのだ。
ただでさえ遠いこの道のりに、もっと時間をよこしてくれとは。
「どれくらいなんですか?」いたって素朴に少女はいった。
「一年だって、ヴィクトルは……」
選べばすぐさま実行できる。かの少年の美徳ではあった。
けれど言いっぱなしで、かたまってしまう。
頷くことを強いている。
胸がしまる。
ほかに道ならあるはずだ。
わがままにも遠回りを選ぼうとしている。
「そうしましょう」
少女はやはり頷いた。
「ゼンがしたいなら、私もそうしたいです」
「でもうかない顔だ」
「私にだって不安はあります」
きいてくれますか?目顔でかたる彼女を、少年は待った。
「……何年かかるかわかりません。この道です。それでも聖国まで、私と一緒に行ってくれますか」
なにをいまさら、当然だ、と少年はこたえた。なら私にも当然です、と少女はうけおった。
つかえた毛だまりはそれでとけた。
「"商隊"とのお別れがはやまるのは、さびしいですけれど……」
遅かれ早かれ来たる日だ。彼女もそれを理解していた。
そして黒馬車の助けなしでは、海を渡った向こうの世界で、ほんとうに途方もない時を過ごすことになる。せっかく覚えた公用語にせよ、通じるわりに、嫌われている。
「いつまでにつけ、とは言いつかっていません」
いたずらっぽい、見ない顔だ。立てた膝のスカートに少女は、ぐずるように頬をうずめた。
「……ええ。甘えちゃいけませんね」
彼女はいつまでも悔いるのだった。
あのとき、もっとうまくやれた。
のぞめないほどの力を使い果たして、それでも無力だとなげく。
彼女はついに弓をとった。
騎士たちがゆく山道を、荷台もつっぱね歩きどおし、必要ないのに馬車を押してひく。
その身を案ずる大騎士の苦笑までを、この日の少年はまだ知らないが。
「領都についたらどうするかは……またヴィクトルと相談だ」
ゆく道ならしかとさだまった。
「ありがとう」
「はい、私もします。私にできること」
"花畑の少女"の指輪を、彼女はきゅっと胸元で握った。
いまや信念のしるしだ。
"抜け道"でもこれだけはなくさず、あとからふたり、ほっとした。
「打算はあるよ」少年はいう。「ヴァンガードを待つのに、ちょうどいいかなって」
「ですね!」少女は屈託ない。「彼なら一緒に行ってくれます」
「……次の夏には会えるかな」
"祭り"、と聞くのはこれからだ。
---
見た夏の数で年をかぞえる――"さなかの国"の少年少女は、思うに夏至で年をえる。
ひいては件の祭りとやらが、境を象徴するのだろう。
彼らは単に「祭り」と呼ぶが、ここでは"火の祭り"としよう。
火の神の村の掟によれば、神子(ないしそれに近しい代理)には、祭事にそなえる義務がある。具体、七日七晩にわたって、火の神の祠へと通うのだ。またこの準備期間においては、御許のなんぴとも火を熾してはならない。
「それって、フランもなの?」
然り。夜道を行くのに、神子は灯りを備えない。
「暗いところは苦手なのに……」
村の広場から祠まで、聞くところ距離はさほどないが、参道は、夜半にうごめき不気味だという。(落葉針葉樹の魔木の林に、参道はあるそうな。コニの木だろう。あたたかい時期、根をはりなおすことがある)
灯のない夜道を神子は通い、祠にひとり取り残される。
火をいただけないかと、神に願うのである。
はじめの六日は、もらえないのだと決まっている。
七日目の晩にようやく、火種は下賜される。
神子は大切に持ち帰り、広場にたかだかと積んだ薪にくべる。
火の降臨に村人たちは歓喜し、"火の祭り"が開催される。
"譲り火神話"の再現……むしろ源流か。
補:ほかに広場で祝詞を述べるといった仕草を、育て手が担ったというが、神子が若かったためかもしれない。また神子の不在時に役目を代理するのは育て家の人間で、おそらく序列が設定されている。
広場にくべた神の火を、少年が見た日もあったのだろう。
生家を失うより前だから、"神子守の儀"にぬりかえられて、よくおぼえていない、と彼はいう。
じき豊富な残飯、祭りの夜は戦士団がおとなしいことなどを、思い出してくわえてくれた。「夏」を連想するのは、更にそれからだとも。
もっぱら少年は、少女の心細さを思うようだった。祭りこそ、夜闇を嫌わせたのではないか。
「フランには嫌なものだったのかな。夏も、お祭りも……」
彼女に見たおももちの意味がわからないのだと、少年は悩んでいた。
「ありがと、イトー。もう行くよ。ヴィクトルが稽古をつけてくれるって」
手入れを終えた刃をおさめ、いまにもゆかんとする彼を、私はささやかに祝福し――呼び止めた。
「うん?」
火の神の村に、"バースデイ"の概念はあったのか?
「生まれた、日?わかんないや」
今度こそ、私はこころよく送り出した。
つぎの盛夏が、少年少女にとって特別なものとなるといい。




