58.ある作家の手記
「イトーって、王国ではエラい人なの?」
かの少年の純朴さに、私はもちろん意表をつかれた。
なにゆえそう思われるのでしょう。聞き返すのに、たじろいでいたはずだ。
「銀行じゃ、バカ丁寧に応対されたし、大金もかんたんに引き出せた。つまり……ってきいて」
証拠十分、サルヴァトレスの告げ口だ。ほかに"尾山のもと町"の支店まで帯同したのは、御者のハウプトマン、それと護衛のダルタニエンしかいない。
たんに顔が広いのですよ。と、私はにごした。
それより、言葉で困っていることはありませんか。
「あるよ!聞きたいこと。"龍"と"竜"とで、発音がびみょうにちがうでしょう?これって……」
ヴァンガードがいなくなってから、少年の"さなかの言葉"はめっきり減った。かの少年が少年らしさを失ったようである。
気兼ねなく話せる大人として、私だけでもせめていてやれないだろうか。代わりとして、堂々と名乗りをあげるのに、あの男はいささか大きすぎた。
教育と洗脳の違いとはなんだ。公用語の利便性には異を唱えまい。押しつけていやしないか、と言っている。
植民地政策の悪趣味さは、歴史でなくとも帝国に学べる。
よかれと思って施すけれど、彼らにあったはずの大切ななにかれを、奪うことにはならないか、私は危惧してやまないのだ。
子らの自由が保たれるなら、私の物好きも高じたものである。いずれ不要になるのに無駄だと、侮る者を尻目にみてきた。
私の"さなか"の学習に付き合ってくれませんか?
方便を彼はうたがわない。気ままに話してくれる様子をみると、やすらぐところがある。
さっそく面目を失うようだが……節々で聞ける彼の公用語は、それは美しい発音だった。
「そう?」
丁寧であるのに滑らかだ。単語ひとつだけ取り上げるなら、首都圏の母語話者といって通じる。
「イトーが言うのを真似してるだけだよ」
おかしいかな、私よりうまいとさえ思う。あとは、こまかな文法の修正があるだけ。語彙と連結の獲得も、時間が解決するだろう。
当人が気が付いているかどうか、彼は物まね名人だ。
並外れた観察力ゆえだろう。
横着なサンズバル訛りを、おどけて披露してくれた事がある。
――ガン飛ばしてんじゃあねぇぞォ!
どこで聞いたのだったか?
あまりにそっくりなので、小言より先にわらいがでたほどだ。
こと私やサルヴァトレスの真似は、特徴的で簡単だ。と、彼は言ってのけるが、少女を思えば特別とわかる。(単純比較も酷な話である。少女とて意思疎通はなるし、期間でいえばかなり秀でている)
"ガン飛ばし"がいつだったか、私はきいた。
「花畑の町だよ」
思いだした。
病に侵された少女に注がれる奇異の目は、小さな騎士の背に跳ね除けられたが、遠目に見守る我々からして、気分のすぐれたものではなかった。
折しも、サルヴァトレスはかかったのだ。「ガン飛ばすなよ」ふだんなら喧嘩腰を咎めたろう私も、胸がすいた。
少年にも聞こえていたのであった。
「サルヴァ、自分で言うもの。俺なぁ真似すンな……って」
えがたい反面教師である。
知ってこそ量れる危ういものというのは、星に多分にある。そして彼らには分別がある。もういちいち正すこともあるまい。
そういえば、と、あたらしい地図を私は広げた。
「"潮騒の角"……」
サルヴァトレスの出自にあたる"砂香る国"にある、港町の名前であった。
「イトーは海を知ってるの?」
聞きかじりばかりも忍びない。"星の内海"の味を伝えると、少年は塩っぱそうに舌を出す。海原の色を目にしたがった。
規模感はまだむずかしいらしい。
「ダルでも足がつかないんでしょう?」
深いところは"星へと至る丘"を逆さにしてもたりない。
「どっちも、一度くらいはみてみたいな……」
人類未踏の極限領域に思いを馳せる。彼のような人物が、尽きせぬ好奇心のまま大人になれたら、真なる星の開拓者に、本来の意味での冒険者になれるのだろう。
「うん、すこしつかめてきた気がする。手ごたえがある、って言うのかな?」
仮眠から師が目覚めるのを、少年は待っているのであった。
我々は"薄灰色"にいる。はやくも代り映えないこの坂道に、ころころと話題を転がした。
非凡な剣士らは疲れを知らない。馬車がのそいとき、明けてから暮れるまでを、勤勉にも稽古に充てる。
いまが思い出になったとき、山々に木魂する剣戟の音が、私にとってしるしとなるだろう。
秘かによろこばしく思う。造山帯のうつくしさ、自然の声――"栄え愛得る地"に澄み渡るそれらは、ありふれたものとは言うまいけれど、体験を前にして、どこか予期できる節があった。
よもや、ひとりの騎士とひとりの少年(今やどちらも騎士だが、あくまで絵として)、彼らの対話を肌で感じながらとは。
そう、稽古とは対話なのだと、いつか私も理解した。
巧拙の枠を越え、関わるともどもをはぐくむ。優劣はない。
傍観者である私には、ふたりの景色はわからない。あるいは、いつか教えてもらえるだろうか。
「ながく探りさぐりだったけれど……」
彼がつかんだものとは、実に対面した心の機微なのかもしれない。二週を終え、三週もなかば、それが長いか短いか。
「勉強になった?こんなので。こんどはなにを書いたの?」
書きとめるのを、私はやめられない。以前、「習性」なのだと弁護したら、少年はさぞ面白がった。思い浮かべた情景をきけた。
動物たちが冬に向け、食べ物あつめにいそしむ森の中、あざやかな木の葉にうもれた切り株椅子で、私がひとり書きものをしている。
また鋭い。記録とは人の蓄えだ。私のそれがどう役立つかは、私自身にもわからないが。
これまでの旅の記録は一度、"尾山のもと町"から国へ送った。嵩張ったぶんを減らせたし、新たな用紙をかなりそろえたから、少年少女のためにも、なにかと気兼ねない。(少年はとうぶん剣を手放せないだろうが、少女はより高度な計算問題に意欲的だ。)
「よぉ」
ハウプトマンがいっときくわわる。御者の交代にそなえる間にわらった。
「古物市で埃をかぶった謎の汚い手帳にでも、大枚をはたく男だ」
私のよき理解者だった。ところで、という。
「制動装置の挙動が芳しくない、近く点検せにゃならん」
上り下りが急増したためだろう。我らが黒馬車は王国製なりに先進的で強靭だが、手入れ不要を意味しない。
「部品が入用なら相当な足止めだ……」
不安の種をまいて出て行ってしまう。
御者台から戻るのはサルヴァトレスだ。
「なんでぇ、知らねぇの!」
炭酸水の話題だった。少年はまだ飲んだことがない。
「ここら酒よか安上がりだぜ」
シュワルコフは炭酸泉に恵まれていた。料理番の要望さえ無ければ、"魔法の居間"の二十リッター容器の中身は、どれも泡でぷくぷくだったろう。
「え、作れるの?」
作れないこともない。サルヴァトレスに協力を要請する。
「俺サマの領分たぁ……言えなくもねぇか?」
せっかくである、おあつららえな瓶も調達しよう。
「どんなんがいるって、センセー?」
ありふれたものをあえて手作りする、夏の自由研究だ。少年少女の思い出を、すこしでも彩ってくれるといい。
……そろそろ騎士が目覚めたらしい。
【追・雑記】
エウロピアの自然は、硝子細工のようである。その美しさとは、水の神によって保たれるのだと、公国人は信じている。
漠然とおもった。
ともすれば、ひじょうに繊細で、危険な均衡のもとに成り立ってはいないか。
信仰が衰えれば、神の力は弱まる――硝子細工とは直喩。
識者が語るように、「統手」の性質が世界を形づくる。とすれば、アメイジアに宿るあの手づかみの現実感は、たしかに女王に基づくところ?
幻想性とは対極の理屈高さ。かの地をととのえるのは人であり、女王である。ゆえ完璧ではあれない。行き届かぬ荒野があり、それらとて計算づくに利用する。
ファンタズマとをわかつ絶対性――アメイジアは、神在りし土地にはならなかった。
↑神が権威を持つより先に、王が全てを掌握したため。
輪番制の大公とちがい、女王には唯一性がある。古代にならった「やり方」で、古代には古代の神がいた。(神と王には主従があった)
……女王信仰のきれはしか、これも?




