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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:シュワルコフ領
57/106

57.待つ


 

 七日に一度は必ず休み。ヴィクトルとの稽古のとりきめだった。

 最初の休みの日が今日だ。

 ヴァンガードとなら気易かった。今日は休みだ、よく休むんだぞ!――こっそり振っても怒られなかった。師匠が変われば事情もちがう。

「休みの日は休め」

 いかめしい唸り声である。

「有事のほかは剣を抜くな」

 さすがに素直なゼンである。

 休もう、そうとも休むべき。けれど具合はよろしくない――「休む」って、なにをするべき……?

 疲れてもいない昼下がり。本棚の本は、ここにきて読みつくしてしまっていた。ただ横になるのもつまらない。ぽけっとしてみて思い浮かぶのは、剣、剣、剣。剣のことばかり。

 復習は大切だ、イトーだって言う。せめて頭の中でしよう。

 あれがだめだった、これをこうした方がいい。できないそれは、どうすればできる?こまった、柄に手がかかる。

 黒馬車が稼働する間であれば、見張りの仕事でつぶせたが、明日の昼までもう動かない。いっそうそわそわする。


 ――誰かとお喋りしようかな?


 切り札だった。

「ったぁ、生真面目だねー!どいつもこいつも」

 宿をとらない日に稀だ、料理番にも非番があった。

「大人の遊びを見せてやら。俺様の用意(よーい)をなめんなよ?」

 長ぁい釣り竿を、サルヴァトレスは持ち出したのだった。渓流釣りを試みるのだと。

「ここら、探しゃあモノがあっからいーわな!」

 エウロピアに入ってからというもの、"サルヴァの城"の侵食がとまらない。釣り道具なぞ、一式二組も召喚できた。うちのひとつを押しつける、その相手とは。

「旦那、軽くやり用を教えてくれや」

「……何?」

 唸り声である。見張り然として突っ立っていた、彼にとっても休日だった。

「夕釣りになるが……」

 近場の川辺にゆかんとする顔ぶれを、ヴィクトルはたしかめる。

「まぁ、構わんか」

 意外と嫌な顔をしない。あれはまんざらでもない風です、フランがこっそり耳打ちして去った。彼女は代理の料理当番のひとりで、サルヴァトレスに火加減の指示を仰いだのだった。

あたぁ(あとは)煮込むだけさ」

 なるほど用意がいい。


 川のほとりは、涼しい瀬音で満ちている。"商隊"はちょうど山ひとつ、登ってくだったところであった。

 清水を得られるばかりでない、ここは旅人にとって特別な場所だ。

 一帯が"聖域"である。

 そう、"一条の道"にも見られたそれだ。神に守護されて、安全を確約された空間である。

 地図をひろげてみればわかる。街道脇のこの河原一帯が、"聖域"として公認されていた。

 目ざとく実際を見渡すと、方々に三角標が打ち立てられて、物理的な境を明示している。ためしにどれかと傍立てば、ほかのどれかが見つけられない。エウロピアは"神在りし土地"、水の神への信仰は厚く、それだけつまり広いのだ。

 "聖域"は、街道沿いに点在し、旅人たちが頼ってふつうだ。はたして道か聖域か、どちらが先にできたのでしょう?イトーに眼鏡を押し上げさせる。

 "使徒"らは、すぐそばにいるかもしれない。神経質なこの頃でも、"聖域"であれば心配なかった。ヴィクトルの態度からもわかる。 

「――こんなものだ」

 柄の代わりに竿をとり、ひととおりの指南をしてくれた。手本に釣った魚は、とっとと放してしまう。

「この辺りで流すと良い。気配を消して待てば、いくらも釣れる」

 俺は上流へ行く、とヴィクトルはひとりになろうとする。やはり"聖域"だから平気だろう。

 つと振り向いたかと思えば、

「……足を滑らすな」

 唸り声である。

 ゼンは目を丸くした。おかしくなって、サルヴァトレスとわらう。ああも張り詰めて唸るのがそれか、と。

「知ってたんです?ヴィクトルが釣りするの」

「あてずっぽうさ」サルヴァトレスは竿を投じた。「けど、いかにもだらぁな」

 "待ち"に優れたヴィクトルだから、釣りが得意でも道理であった。 

「坊主はよぉ、むしろ追うのが好きかろ?」

 また図星である。

 ゼンも釣りくらい知っていて、あんまり試みないでいた。やるかと訊かれて断った。長く続けていられないのだ。針にかかるか、かからないかの魚影なぞ、もどかしくってたまらない。


 ――さっと飛び込めばとれるんだ。


 背中になるべく木陰を帯びて、水面へ忍び寄る。素手でひっつかむか、"煌策(こうさく)"で叩く。御許ではたしかそうしていた。熊みたいだと、"精霊"には笑われた。

「っとぉ、ぼちぼち……」

 サルヴァトレスのあげた針は、滴る水けをつかまえただけだ。流れか魚かに、餌をまんまと食われてしまった。

「流しなおしだ」

 サルヴァトレスは苛立たない。

 鼻歌まじりで針をいじくる。万事よければ竿をなげなおす。なかなかサマになっている。

 餌集めならゼンも貢献できそうだ。川辺であるから事欠かない。


 ――なつかしい。


 意外と熱中できた。虫やミミズを拾ううち、そこらの茂みに頭をつっこんでいた。獲って食う気は毛頭ないのに、食えそうな虫を探してみたりした。

 でっかい飛び跳ね(バッタ)虫をつかまえた。もちろん魚の餌になるし、炒ったら人のおやつにもなる。


 ――でも()()()なら魚だ。


 "海老で鯛を釣る"。そうした見方なら釣りもアリやも――エビもタイも、食べたことないけど。

「そら、効率(コーリツ)を言やよ、ドカンとやったらはえぇんだ」

 サルヴァトレスは言う。

「そこをわざわざ手間暇ってぇのをかけてェ、駆け引きすんのが釣り……らしいぜ?ゴラクよゴラク、息抜きだわな。俺ぁまるでにわかだが」

 そろそろおいしいところでないかと、様子を見に来たのであった。

「どっこい、ちっともだ」

 ゼンは罠猟を思いだせた。待つ間は、待つのも忘れて他事をやる。確かめるのだけ楽しみだ。かかっていればもうけものだし、かからないならまた別をやる。


 ――待つのが不得意なんだから……。


 性分はやはりこれかと焦る。稽古の課題とかさなった。

「……んッ、逃がしちまったか!?」

 餌はじゅうぶん集まっただろう。傍で三角座りして、ゼンは見守ることにした。ちょっと怒りんぼうなサルヴァトレスが、辛抱強い訳を探すのだ。

「ありゃ~……俺ぁヘタだねこりゃ!」

「《サルヴァには、僕にはないものがある》」

「んー?」

「どうしたら、うまくなれますか?」

「釣りかぁ?」

 ちょっと見合って、間があった。 

「お門違いもいーとこだ」

 下唇をとがらせた、ひょうきんな横顔だったと思う。

「言ってませんよ!まだ――」ゼンは剣に夢中だった。

「ちげぇのか」

「そうですけど……」

 ひゅっ!と竿が投じられた。へっ、とサルヴァトレスがつづく。

「俺ぁ……」

「腕より長ぇ刃はあつかえねー、ですね?」

「わかるじゃねぇーの」

「でも、サルヴァがハンパとは思いません」 

 口癖のように卑下する彼だが、間違っているとゼンは確信していた。"商隊"が見ない港町だって、サルヴァトレスなら知っている。

 遥けき"叛逆する砂の(リベルサンズ)大陸"から、海を渡ってやってきて、彼は弧大陸の東西を横断しかけた。それも徒党(パーティ)はあつらえなかった。

 偉業である。

 料理人は、料理人である以上に、れっきとしたひとりの戦士であった。相談相手として、これだけ相応しい人はそうそういない。

「聞くだけだぜ」

 観念してくれた。

 はじめて六日の守護剣について、ゼンは自分なりの考えをまとめてみる。

 "守護剣"とは、待つ剣技である。

 敵方の先制を凌ぐことで、"虚"を植えつけるのが基本のキの字だ。

 "虚"、それは推定魔法理に生じる、大なり小なりの「隙」である。

 この"虚"の理不尽さを以てして"守護剣"は、エウロピアも"統世の代"に猛威を振るった。リベルサンズから"熾烈剣"が伝わるまで、"守護剣"こそ最強の剣技として、疑う者はいなかった。

 依然と強力な剣技であるが、重大な制約は、既におおやけになってしまっている。

「辛抱強く待たなくちゃならない……」

 "我、専守の心得にて待つ故に攻め手を確と退けん"。

 使い手に、攻撃の意志がよぎったその時、守護剣の"虚"は生じない。

 人を選ぶ剣技だ。

 鼻っ面を咄嗟にぶたれても、まばたきするなと言うようなもので、これは目の良い剣士とっても――とってこそ難題である。

 すこし振り返る。

 "虚"をなす"毒"をあえて受け、その身で感じる。

 はじめは、これが唯一の稽古内容であった。

 守護剣士たるヴィクトルに、ひたすら打ち込み、敗北する。

 山ほどの敗北だ。

 凌がれた瞬間に、意識が飛ぶ。

 おそろしい。

 なんとか立って踏ん張れはして、三度は細切れにされただろう空白に、あとから気がつける。

 ヴィクトルがよこす"毒"の仕業で、彼我の実力差を反映すると思われるから、納得はしやすい。

 "毒"には抗体ができるから、実力うんぬんを言わず、受けるほど"虚"は小さくなる……はずだ。

「ほんのうすうす、実感します」

 三度の細切れが、やっと二度の細切れくらいにはなった。折り返す四日目のことで、稽古の種類も増えた。

 肝心の「待つ」番がきた。

 できない。

 ただ待ち受けることが。

 ヴィクトルは見せかけ(フェイント)を駆使してくる。ただ打ち込むのと別に、無作為に殺気を放ってくる。

 すると、からだがおのずと反撃をはじめる。

 手が出ないまでも、力むのだ。

 最適な角度を求めて、どうしても"構え"がゆらぐ。

「これではいけないんです……」

「旦那はあんて?」

「……焦るな。って、それだけ」

「ほーん」

 剣にまつわれば饒舌なヴィクトルが、稽古となると語ってくれない。

「動いてだめと思うと、次はハン、ハンサ……ええと」

「反射?」

「そう、反射!が、かたくなります」

「そらまずあれよ――」

 空振りどおしの釣り竿を、サルヴァトレスはいちどおさめるのだった。

「考えんのばっかし徒労(トロー)ってワケだ」

「え……」

「何が"待ち"なのか、わかりゃしめぇ」

 ひとりのままで気がつけたろうか。

「坊主が手前で思い込んでるうちゃ、なおのことにっちもさっちもさ」

 何気なく言ってくれた。しかしゼンは、あんぐりとあいた口がふさがらない。当たり前なのにわからないでいた。どきどきとした。


 ――僕は、思い込んでるだけだ……!?


 "対人剣"の待ち方ならわかる。けれど"守護剣"の待ちは「どれ」なのか知らない。まるで直感に従っており、その直感とは、とてつもなく不確かで、むしろ有害なのかもしれない。

「知らねぇぜ。だが、誰しも案山子みたく突っ立たなきゃならねぇってなら、守護剣ってなぁ流行ったかよ」

 流行ったわけがない。熾烈剣があらわれるより前に、もっと攻略できたはずだ。

「それによ、いくら旦那がお黙りさんでも、肝心な"待ち"が何たるかをのっけに言わねぇ、んなこたあるけ?」

 意地悪されているのでなければ。

「何か考えがあんだろさ」「《何か考えがあるんだ……》」

 サルヴァトレスは親指でさした。上流の、ヴィクトルが出向いた方であった。

 荒瀬でもあるのだろう。ずっと音色が力強い。ときどき息の長い風が吹くと、しぶきで額が涼しかった。

「釣りにせよ、待ち方ァよりけりだ。頭でっかちになるよか前に、手前の持ち味活かしやがれ」

「僕の、アジ?どんなでしょう……」

「そらおめぇ――」

「サルヴァ、まるで()()()だなぁ」

 大物が釣れたのであった。糸も垂らさぬそのときだ、ぬらりとダルタニエンである。釣果の桶をのぞきこみ、はられた水面のしずけさを、ふとい指先でちょちょいとみだす。

「へっ!砂ん中で育ったンだぜこちとら、ハナっから大漁た思ってねぇよ」

「ぼく、腹ペコなんだなぁ~……」"銛漁の構え"だ、ゼンは思った。

「うぉいうぉい!何を!」

「塩焼き……」

「だぁー!ヨソでやりやがれ!」魚がおびえて散ってしまう。「作ってやッから!」

「ほんとうだなぁ!?」しっしと威嚇されるがまま、ダルタニエンは下流へむかった。

 かなりの意気込みであった。十分も経てば、もしや木桶をいっぱいにする。

「釣ったハジから食っちまうぜアイツ」

 獣人は生ものに強いのだ。"鷲頭の狩人"なぞ、活きのいいネズミを丸呑みにできた。鮮明な一方、ゼンはあいまいで仕方ない。


 ――"御許"では、ほかにどんな料理をしてたっけ……。


 ずだ袋をひっくり返したら、身に覚えのない鉄板鍋(フライパン)が出てきたことがある。小ぶりにしたって、おかしな忘れ方だった。日常的に使っていたはずなのに。

「また覚えなおしゃいーさ」

 サルヴァトレスはその時も言った。たしか"麓の町"の宿だった。

「……あんの話だった?」

「いえ。おかげで、わかったことあります」

「そうかよ?」

「ありがとうサルヴァ」

「はっ、どうせの礼ならもっといいモンにとっといてくれ」

 ふたりで釣り餌の候補をあさっている。そろそろ灯のいる暗さであった。

「俺の指南じゃ銭コにもなるめぇ」

「なら短剣さばき、教えてください」

「押しが良くなりやがった」

「えへへ」

 一番よさげな餌をつけてみた。

 釣れない釣りでも、悪くはないやも。ゼンはわくわくしていて、もうそわそわはしない。

「たまにゃほかの息抜きがいるぜ」

「毎日の料理、つかれますか?」

「……そー言われちゃ、そういうモンか」

 ひゅっ!と、バッタが投じられる。すごくよい釣り竿らしかった。

「……ヴィクトルのために、用意しました?」

「二組あったら都合がよかろ、師匠と弟子でよ。そんだけさ」

 サルヴァトレスは用意がいいのだ。きっと深いところまでみえている。

「日がなピリピリしてるなまいっちまうがな」

「ピリピリ……」

 この間した連想遊びを、ゼンはよぎらせる。

 ()()()()――ダルタニエンは言った。あとは何をみた、きいた。

 山火熊のふく火。

 焦げた緑。

 長靴にこべりつく泥と炭。

 ――旅の終わり。

「サルヴァは……もっと西へ行きますね」

「あん?」

 "忘れ物"を取りに戻るため、サルヴァトレスは商隊の料理番になった。

 彼にとっては、引き返す道。

 一度すごした時を思うと、ただならぬ決意である。 

「ゆくのでしょう、リベルサンズ。海をわたって」

 いずれゼンも踏むだろう土地だ。そのころ黒馬車には頼れない。

「つごうがよくなれば、行きませんか、いっしょに」

 "使徒"のことがある。"守護剣"のことがある。ヴァンガードのことがある。

 ひとつの可能性にすぎない。

「……あぁー」

 きいたことのない腑抜け具合で、サルヴァトレスは空を見やった。まだ暮れのこっている。

「どうすっかねぇ」

「ひとりがいいですか」

 しばし頬を掻いて、こたえた。

「まァな」

 じょりじょりと鳴る無精髭だった。せせらぎとまじって、たしかに聞こえた。

「砂海の水先案内人てぇなら、そらふんだくるぜ」

「よいのですか、対価があれば!」

 どこまでもまっすぐに思い、今は料理人たる男を、ゼンは見た。活躍ぶんの支払いは、どんなに身内だろうと妥当で、なんにもやましいところはない。

「考えといてやら……んお?」

 ところで、釣りの最中であった。

 上から下へと垂らした針は、こいつで何度目だっただろう。その釣り人も傍観者も、注意散漫でいい所だが、曲がりなりにも戦士であった。

「《かかってる!》」「よッ!」時合いはどちらも完璧だ。「ととっ、っと!」

「《やっと釣れたね!》」

「あー、なんつってるかわかるぜ」

 投じた餌のわり、手のひらだいの魚であった。ヴィクトルが手本に釣ってみせたのと、さほどかわらない。

「旦那なら逃がしたろうが……こんなもんでもツマミにゃなるわな?」

 待つときをふくめて、釣りの楽しみ。時間がどうとか、手間がどうとか、結果がどうとか、頭でっかちではソンだ。

 しばらくして。

 河原に足を取られながら、イトーがやってきた。ひょこと水桶を覗き込んで。

「ほう、ヤマメですか」

 一匹きりの魚を言った。夕食を知らせに来たらしい。引き上げどきである。「ヴィクトルー!」みんなで呼ぶと、気配が動いた。 

 下流からも近く、大漁ですよー!ときく。うれしそうな美食家フランであった。

「そうだ、これもあります」

「おーっ、マムシかぁ!」

 先だって森で捕まえたのを、枝にくくっておいたのだった。

「こいつも一品、ちゃちゃっとやるか!」

 ふつうに焼くだけでも、蛇はうまい。それもサルヴァトレスに託せば、薬味と塩胡椒とでたたいて捏ねて、もっとおいしくしてしまう。商隊の料理人はすごいのだ。

「サルヴァ」

「なんだよ」

「おいしいご飯を、いつもありがとう」

「そりゃ満更でもねぇ!受け取っといてやらぁ」

 別に、おいしいご飯に釣られた訳ではない。砂漠じゃ料理の気がむかねぇと、サルヴァトレスがそっぽをむいたって、西の最果ての、更にそのまた西も、ともに行けたらいいと、ゼンはまごころで思うのだ。

 色よい返事が聞けるのを、待つことにする。


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