57.待つ
七日に一度は必ず休み。ヴィクトルとの稽古のとりきめだった。
最初の休みの日が今日だ。
ヴァンガードとなら気易かった。今日は休みだ、よく休むんだぞ!――こっそり振っても怒られなかった。師匠が変われば事情もちがう。
「休みの日は休め」
いかめしい唸り声である。
「有事のほかは剣を抜くな」
さすがに素直なゼンである。
休もう、そうとも休むべき。けれど具合はよろしくない――「休む」って、なにをするべき……?
疲れてもいない昼下がり。本棚の本は、ここにきて読みつくしてしまっていた。ただ横になるのもつまらない。ぽけっとしてみて思い浮かぶのは、剣、剣、剣。剣のことばかり。
復習は大切だ、イトーだって言う。せめて頭の中でしよう。
あれがだめだった、これをこうした方がいい。できないそれは、どうすればできる?こまった、柄に手がかかる。
黒馬車が稼働する間であれば、見張りの仕事でつぶせたが、明日の昼までもう動かない。いっそうそわそわする。
――誰かとお喋りしようかな?
切り札だった。
「ったぁ、生真面目だねー!どいつもこいつも」
宿をとらない日に稀だ、料理番にも非番があった。
「大人の遊びを見せてやら。俺様の用意をなめんなよ?」
長ぁい釣り竿を、サルヴァトレスは持ち出したのだった。渓流釣りを試みるのだと。
「ここら、探しゃあモノがあっからいーわな!」
エウロピアに入ってからというもの、"サルヴァの城"の侵食がとまらない。釣り道具なぞ、一式二組も召喚できた。うちのひとつを押しつける、その相手とは。
「旦那、軽くやり用を教えてくれや」
「……何?」
唸り声である。見張り然として突っ立っていた、彼にとっても休日だった。
「夕釣りになるが……」
近場の川辺にゆかんとする顔ぶれを、ヴィクトルはたしかめる。
「まぁ、構わんか」
意外と嫌な顔をしない。あれはまんざらでもない風です、フランがこっそり耳打ちして去った。彼女は代理の料理当番のひとりで、サルヴァトレスに火加減の指示を仰いだのだった。
「あたぁ煮込むだけさ」
なるほど用意がいい。
川のほとりは、涼しい瀬音で満ちている。"商隊"はちょうど山ひとつ、登ってくだったところであった。
清水を得られるばかりでない、ここは旅人にとって特別な場所だ。
一帯が"聖域"である。
そう、"一条の道"にも見られたそれだ。神に守護されて、安全を確約された空間である。
地図をひろげてみればわかる。街道脇のこの河原一帯が、"聖域"として公認されていた。
目ざとく実際を見渡すと、方々に三角標が打ち立てられて、物理的な境を明示している。ためしにどれかと傍立てば、ほかのどれかが見つけられない。エウロピアは"神在りし土地"、水の神への信仰は厚く、それだけつまり広いのだ。
"聖域"は、街道沿いに点在し、旅人たちが頼ってふつうだ。はたして道か聖域か、どちらが先にできたのでしょう?イトーに眼鏡を押し上げさせる。
"使徒"らは、すぐそばにいるかもしれない。神経質なこの頃でも、"聖域"であれば心配なかった。ヴィクトルの態度からもわかる。
「――こんなものだ」
柄の代わりに竿をとり、ひととおりの指南をしてくれた。手本に釣った魚は、とっとと放してしまう。
「この辺りで流すと良い。気配を消して待てば、いくらも釣れる」
俺は上流へ行く、とヴィクトルはひとりになろうとする。やはり"聖域"だから平気だろう。
つと振り向いたかと思えば、
「……足を滑らすな」
唸り声である。
ゼンは目を丸くした。おかしくなって、サルヴァトレスとわらう。ああも張り詰めて唸るのがそれか、と。
「知ってたんです?ヴィクトルが釣りするの」
「あてずっぽうさ」サルヴァトレスは竿を投じた。「けど、いかにもだらぁな」
"待ち"に優れたヴィクトルだから、釣りが得意でも道理であった。
「坊主はよぉ、むしろ追うのが好きかろ?」
また図星である。
ゼンも釣りくらい知っていて、あんまり試みないでいた。やるかと訊かれて断った。長く続けていられないのだ。針にかかるか、かからないかの魚影なぞ、もどかしくってたまらない。
――さっと飛び込めばとれるんだ。
背中になるべく木陰を帯びて、水面へ忍び寄る。素手でひっつかむか、"煌策"で叩く。御許ではたしかそうしていた。熊みたいだと、"精霊"には笑われた。
「っとぉ、ぼちぼち……」
サルヴァトレスのあげた針は、滴る水けをつかまえただけだ。流れか魚かに、餌をまんまと食われてしまった。
「流しなおしだ」
サルヴァトレスは苛立たない。
鼻歌まじりで針をいじくる。万事よければ竿をなげなおす。なかなかサマになっている。
餌集めならゼンも貢献できそうだ。川辺であるから事欠かない。
――なつかしい。
意外と熱中できた。虫やミミズを拾ううち、そこらの茂みに頭をつっこんでいた。獲って食う気は毛頭ないのに、食えそうな虫を探してみたりした。
でっかい飛び跳ね虫をつかまえた。もちろん魚の餌になるし、炒ったら人のおやつにもなる。
――でも食いでなら魚だ。
"海老で鯛を釣る"。そうした見方なら釣りもアリやも――エビもタイも、食べたことないけど。
「そら、効率を言やよ、ドカンとやったらはえぇんだ」
サルヴァトレスは言う。
「そこをわざわざ手間暇ってぇのをかけてェ、駆け引きすんのが釣り……らしいぜ?ゴラクよゴラク、息抜きだわな。俺ぁまるでにわかだが」
そろそろおいしいところでないかと、様子を見に来たのであった。
「どっこい、ちっともだ」
ゼンは罠猟を思いだせた。待つ間は、待つのも忘れて他事をやる。確かめるのだけ楽しみだ。かかっていればもうけものだし、かからないならまた別をやる。
――待つのが不得意なんだから……。
性分はやはりこれかと焦る。稽古の課題とかさなった。
「……んッ、逃がしちまったか!?」
餌はじゅうぶん集まっただろう。傍で三角座りして、ゼンは見守ることにした。ちょっと怒りんぼうなサルヴァトレスが、辛抱強い訳を探すのだ。
「ありゃ~……俺ぁヘタだねこりゃ!」
「《サルヴァには、僕にはないものがある》」
「んー?」
「どうしたら、うまくなれますか?」
「釣りかぁ?」
ちょっと見合って、間があった。
「お門違いもいーとこだ」
下唇をとがらせた、ひょうきんな横顔だったと思う。
「言ってませんよ!まだ――」ゼンは剣に夢中だった。
「ちげぇのか」
「そうですけど……」
ひゅっ!と竿が投じられた。へっ、とサルヴァトレスがつづく。
「俺ぁ……」
「腕より長ぇ刃はあつかえねー、ですね?」
「わかるじゃねぇーの」
「でも、サルヴァがハンパとは思いません」
口癖のように卑下する彼だが、間違っているとゼンは確信していた。"商隊"が見ない港町だって、サルヴァトレスなら知っている。
遥けき"叛逆する砂の大陸"から、海を渡ってやってきて、彼は弧大陸の東西を横断しかけた。それも徒党はあつらえなかった。
偉業である。
料理人は、料理人である以上に、れっきとしたひとりの戦士であった。相談相手として、これだけ相応しい人はそうそういない。
「聞くだけだぜ」
観念してくれた。
はじめて六日の守護剣について、ゼンは自分なりの考えをまとめてみる。
"守護剣"とは、待つ剣技である。
敵方の先制を凌ぐことで、"虚"を植えつけるのが基本のキの字だ。
"虚"、それは推定魔法理に生じる、大なり小なりの「隙」である。
この"虚"の理不尽さを以てして"守護剣"は、エウロピアも"統世の代"に猛威を振るった。リベルサンズから"熾烈剣"が伝わるまで、"守護剣"こそ最強の剣技として、疑う者はいなかった。
依然と強力な剣技であるが、重大な制約は、既におおやけになってしまっている。
「辛抱強く待たなくちゃならない……」
"我、専守の心得にて待つ故に攻め手を確と退けん"。
使い手に、攻撃の意志がよぎったその時、守護剣の"虚"は生じない。
人を選ぶ剣技だ。
鼻っ面を咄嗟にぶたれても、まばたきするなと言うようなもので、これは目の良い剣士とっても――とってこそ難題である。
すこし振り返る。
"虚"をなす"毒"をあえて受け、その身で感じる。
はじめは、これが唯一の稽古内容であった。
守護剣士たるヴィクトルに、ひたすら打ち込み、敗北する。
山ほどの敗北だ。
凌がれた瞬間に、意識が飛ぶ。
おそろしい。
なんとか立って踏ん張れはして、三度は細切れにされただろう空白に、あとから気がつける。
ヴィクトルがよこす"毒"の仕業で、彼我の実力差を反映すると思われるから、納得はしやすい。
"毒"には抗体ができるから、実力うんぬんを言わず、受けるほど"虚"は小さくなる……はずだ。
「ほんのうすうす、実感します」
三度の細切れが、やっと二度の細切れくらいにはなった。折り返す四日目のことで、稽古の種類も増えた。
肝心の「待つ」番がきた。
できない。
ただ待ち受けることが。
ヴィクトルは見せかけを駆使してくる。ただ打ち込むのと別に、無作為に殺気を放ってくる。
すると、からだがおのずと反撃をはじめる。
手が出ないまでも、力むのだ。
最適な角度を求めて、どうしても"構え"がゆらぐ。
「これではいけないんです……」
「旦那はあんて?」
「……焦るな。って、それだけ」
「ほーん」
剣にまつわれば饒舌なヴィクトルが、稽古となると語ってくれない。
「動いてだめと思うと、次はハン、ハンサ……ええと」
「反射?」
「そう、反射!が、かたくなります」
「そらまずあれよ――」
空振りどおしの釣り竿を、サルヴァトレスはいちどおさめるのだった。
「考えんのばっかし徒労ってワケだ」
「え……」
「何が"待ち"なのか、わかりゃしめぇ」
ひとりのままで気がつけたろうか。
「坊主が手前で思い込んでるうちゃ、なおのことにっちもさっちもさ」
何気なく言ってくれた。しかしゼンは、あんぐりとあいた口がふさがらない。当たり前なのにわからないでいた。どきどきとした。
――僕は、思い込んでるだけだ……!?
"対人剣"の待ち方ならわかる。けれど"守護剣"の待ちは「どれ」なのか知らない。まるで直感に従っており、その直感とは、とてつもなく不確かで、むしろ有害なのかもしれない。
「知らねぇぜ。だが、誰しも案山子みたく突っ立たなきゃならねぇってなら、守護剣ってなぁ流行ったかよ」
流行ったわけがない。熾烈剣があらわれるより前に、もっと攻略できたはずだ。
「それによ、いくら旦那がお黙りさんでも、肝心な"待ち"が何たるかをのっけに言わねぇ、んなこたあるけ?」
意地悪されているのでなければ。
「何か考えがあんだろさ」「《何か考えがあるんだ……》」
サルヴァトレスは親指でさした。上流の、ヴィクトルが出向いた方であった。
荒瀬でもあるのだろう。ずっと音色が力強い。ときどき息の長い風が吹くと、しぶきで額が涼しかった。
「釣りにせよ、待ち方ァよりけりだ。頭でっかちになるよか前に、手前の持ち味活かしやがれ」
「僕の、アジ?どんなでしょう……」
「そらおめぇ――」
「サルヴァ、まるでボウズだなぁ」
大物が釣れたのであった。糸も垂らさぬそのときだ、ぬらりとダルタニエンである。釣果の桶をのぞきこみ、はられた水面のしずけさを、ふとい指先でちょちょいとみだす。
「へっ!砂ん中で育ったンだぜこちとら、ハナっから大漁た思ってねぇよ」
「ぼく、腹ペコなんだなぁ~……」"銛漁の構え"だ、ゼンは思った。
「うぉいうぉい!何を!」
「塩焼き……」
「だぁー!ヨソでやりやがれ!」魚がおびえて散ってしまう。「作ってやッから!」
「ほんとうだなぁ!?」しっしと威嚇されるがまま、ダルタニエンは下流へむかった。
かなりの意気込みであった。十分も経てば、もしや木桶をいっぱいにする。
「釣ったハジから食っちまうぜアイツ」
獣人は生ものに強いのだ。"鷲頭の狩人"なぞ、活きのいいネズミを丸呑みにできた。鮮明な一方、ゼンはあいまいで仕方ない。
――"御許"では、ほかにどんな料理をしてたっけ……。
ずだ袋をひっくり返したら、身に覚えのない鉄板鍋が出てきたことがある。小ぶりにしたって、おかしな忘れ方だった。日常的に使っていたはずなのに。
「また覚えなおしゃいーさ」
サルヴァトレスはその時も言った。たしか"麓の町"の宿だった。
「……あんの話だった?」
「いえ。おかげで、わかったことあります」
「そうかよ?」
「ありがとうサルヴァ」
「はっ、どうせの礼ならもっといいモンにとっといてくれ」
ふたりで釣り餌の候補をあさっている。そろそろ灯のいる暗さであった。
「俺の指南じゃ銭コにもなるめぇ」
「なら短剣さばき、教えてください」
「押しが良くなりやがった」
「えへへ」
一番よさげな餌をつけてみた。
釣れない釣りでも、悪くはないやも。ゼンはわくわくしていて、もうそわそわはしない。
「たまにゃほかの息抜きがいるぜ」
「毎日の料理、つかれますか?」
「……そー言われちゃ、そういうモンか」
ひゅっ!と、バッタが投じられる。すごくよい釣り竿らしかった。
「……ヴィクトルのために、用意しました?」
「二組あったら都合がよかろ、師匠と弟子でよ。そんだけさ」
サルヴァトレスは用意がいいのだ。きっと深いところまでみえている。
「日がなピリピリしてるなまいっちまうがな」
「ピリピリ……」
この間した連想遊びを、ゼンはよぎらせる。
ぱちぱち――ダルタニエンは言った。あとは何をみた、きいた。
山火熊のふく火。
焦げた緑。
長靴にこべりつく泥と炭。
――旅の終わり。
「サルヴァは……もっと西へ行きますね」
「あん?」
"忘れ物"を取りに戻るため、サルヴァトレスは商隊の料理番になった。
彼にとっては、引き返す道。
一度すごした時を思うと、ただならぬ決意である。
「ゆくのでしょう、リベルサンズ。海をわたって」
いずれゼンも踏むだろう土地だ。そのころ黒馬車には頼れない。
「つごうがよくなれば、行きませんか、いっしょに」
"使徒"のことがある。"守護剣"のことがある。ヴァンガードのことがある。
ひとつの可能性にすぎない。
「……あぁー」
きいたことのない腑抜け具合で、サルヴァトレスは空を見やった。まだ暮れのこっている。
「どうすっかねぇ」
「ひとりがいいですか」
しばし頬を掻いて、こたえた。
「まァな」
じょりじょりと鳴る無精髭だった。せせらぎとまじって、たしかに聞こえた。
「砂海の水先案内人てぇなら、そらふんだくるぜ」
「よいのですか、対価があれば!」
どこまでもまっすぐに思い、今は料理人たる男を、ゼンは見た。活躍ぶんの支払いは、どんなに身内だろうと妥当で、なんにもやましいところはない。
「考えといてやら……んお?」
ところで、釣りの最中であった。
上から下へと垂らした針は、こいつで何度目だっただろう。その釣り人も傍観者も、注意散漫でいい所だが、曲がりなりにも戦士であった。
「《かかってる!》」「よッ!」時合いはどちらも完璧だ。「ととっ、っと!」
「《やっと釣れたね!》」
「あー、なんつってるかわかるぜ」
投じた餌のわり、手のひらだいの魚であった。ヴィクトルが手本に釣ってみせたのと、さほどかわらない。
「旦那なら逃がしたろうが……こんなもんでもツマミにゃなるわな?」
待つときをふくめて、釣りの楽しみ。時間がどうとか、手間がどうとか、結果がどうとか、頭でっかちではソンだ。
しばらくして。
河原に足を取られながら、イトーがやってきた。ひょこと水桶を覗き込んで。
「ほう、ヤマメですか」
一匹きりの魚を言った。夕食を知らせに来たらしい。引き上げどきである。「ヴィクトルー!」みんなで呼ぶと、気配が動いた。
下流からも近く、大漁ですよー!ときく。うれしそうな美食家フランであった。
「そうだ、これもあります」
「おーっ、マムシかぁ!」
先だって森で捕まえたのを、枝にくくっておいたのだった。
「こいつも一品、ちゃちゃっとやるか!」
ふつうに焼くだけでも、蛇はうまい。それもサルヴァトレスに託せば、薬味と塩胡椒とでたたいて捏ねて、もっとおいしくしてしまう。商隊の料理人はすごいのだ。
「サルヴァ」
「なんだよ」
「おいしいご飯を、いつもありがとう」
「そりゃ満更でもねぇ!受け取っといてやらぁ」
別に、おいしいご飯に釣られた訳ではない。砂漠じゃ料理の気がむかねぇと、サルヴァトレスがそっぽをむいたって、西の最果ての、更にそのまた西も、ともに行けたらいいと、ゼンはまごころで思うのだ。
色よい返事が聞けるのを、待つことにする。




