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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:統べ手無き土地
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47.騎士 下


 騎士が、ひとり疾走している。悪心が空に満ちている。

 "穴"へ接近するほどに、周囲の光景は"あの世"に倣う。ここはとうに"悪心の領域"。真昼の空に、陽もなく、雲もない。頭上を染める一色は黒、いや赤、いいや紫、やはり黒。まことの夜空と質を(たが)う。遠景が、実像を失って霞んでいる。思い出したように、輪郭線を震わせる。やがて影と溶けた。

 何も見通せない暗闇とは、往々にして恐ろしい。人は、頭の中にしか存在しない恐怖の形を、見通せない闇の中に召喚してしまう。勝手に恐怖を作り出し、勝手に恐れるのが本能だ。悪心は、人が恐れるとよく知っていて、先に何があると知れない偽りの夜を、この星にもたらそうとたくらんでいる。

 

 ――まやかしだ。


 騎士は弁えている。

 "僅かな輝きさえあらば、真夜であろうと、我は見通す。況や、偽りの夜ならば。光を失くせなどしないのだ"。

 五つの人影を、遠くにしかと捉えていた。使徒らが逃げ行こうとしている。逃がすものか。進め、進め。

 瘴気が濃くなる。重苦しさに、落ち着きのなさが、空気に代わって覆いかぶさる。ひどい臭いだ。臭いの正体を、騎士は知っていた。

 死と腐敗。

 人が認めず拒絶する、いつか必ず訪れる恐怖。命あるものはいつか死に、そして腐りゆく。避けられない。"果ての穴"は、悪臭を漂わす。本能を刺激して止まず、気を抜けば身を竦ませる。みずからは無縁と驕る人に、根源たる恐怖を連想させる。

 この先、進めば死があるぞ。

 脳裏に植えつけ、前へ、を阻むのだ。

 だが騎士は弁えている。


 ――まやかしだ、こんなもの。


 どれだけ血肉の朽ちるを強いろうが、心の有様(ありよう)までは殺せない。健全な魂のゆく道を、まやかしで脅かすことなどできない。

 地獄の再現など、知ったものか、夕暮れ時のいったい何が恐ろしい。

 悪心の空の下では、世界を構築すべき重要な要素が、どこか欠落している。この領域に踏み入れば、戦いは始まって、終わらない。鋼の刃を持つ、持たざるさえ、大事の二番だ。とかく、この()ならざる不穏な気配に屈してはならない。


 ――"我は騎士、()()()()()()()()"。


 力なき者を守るのは、力ある者の義務。その義務を果たす者が"騎士"。

 力の有無に関わらず、守る、という意志のもと、何かと努める者が"守手"。

 貴賤はない。優劣はない。後先はない。ヴィクトル・サンドバーンは師に斯く教わった。

 公国の騎士、光の騎士、神子の守手(もりて)――(まも)り手のかたちには、千の呼び名があるものだから、解釈のひとつにすぎないが。義務を義務でなく、赤心から果たせるようになったとき、騎士はまことに"騎士"と成る。力と義務をうたっても、努めがなくば何も能わない。ゆえすなわち、"守手"の姿勢を欠かば、なんぞの騎士を肩書こうと、真なる"騎士"とは呼べぬのだ。


 ここに、守手志す騎士は。ヴィクトルは、"誓約"を結んでいる。騎士になったその日に。己の剣と心にかけ、具体。

「剣握ること能う限り、あまねく人の危機において我は、守手たる姿勢を怠らぬ」と。 

 なんと馬鹿げた"誓約"だ。なぜ?成立がそも、疑わしい。"誓約"は、本物の意志をなくして結べない。"星の理"だ。ところが騎士ヴィクトル・サンドバーンの"誓約"、その意味するところ。

「己が死するまで、全力を尽くし、あらゆる者を守る」

 であるから、なんと馬鹿げている。

 かような誓いが立つのなら、光の騎士にでもなったらいい。その方が、ずっと簡単だ――皮肉する者がままあった。"公国騎士"など笠に着ている先達どもだ。格好だけのでまかせと、叙勲する新前の背をわらったのだ。実のところ、"誓約"成立の証たるあの光が、どんなに輝いていたとして、見届けられたのは、当人のほかにいなかった。

 さて、なれば今日――"公国騎士"を肩書く者どもの、いったいぜんたい何人(なんぴと)が、ひとりで、"悪心"へ向かって駆け出せたろう。

 この()の"ふつう"をここに示そう。

 ひとりで、"果ての悪心"には立ち向かえない。不可能だ。ともに戦う仲間があって、みなぎる闘志があって、ようやくせめて、だ。さもなくば果ての狂気は、人の意志など、いとも簡単に挫いてしまう。


 騎士が、ひとり疾走している。悪心が空に満ちている。

 ヴィクトル・サンドバーンにとっては、振る舞いが全てだ。足取りは軽い。意志の一本で重圧を跳ね除けている。"誓約"がこれを後押ししていた。永久の闇など、許さない。


 じきに世界が、"果ての霞"で侵食されきった。あたり開けているようで、閉ざされている。あたかも見通せているかの闇が、「意識の外」を遮断している。そこに在るのと知れない全てを、きっかけなくして見つけられない。

 だからヴィクトルが、王国兵らも多数、行く先にあり、と気がつけたのは、声の届く距離にしてようやくだった。土防壁の手前に、幾人かが振り向き、ざわめく。背後に、五組もの駆け足を捉えたためだ。善性に基づき、兵士のひとりが叫んだ。

「どうした、あんたらっ!こんな前方へ危な――」


 ――いかんっ。


 良心が、悪心に斬り捨てられている。ヴィクトルは見過ごすしかなかった。"必殺剣"ならば届く。しかし抜けない、巻き添えが出る。防壁間際、"尖兵"との押し引きに、"使徒"らが乱入したかたちだ。


 ――彼奴らの闘気は侮れん、思って出し渋りをしたが。


 技は技、力は力。闘気は剣気を阻むもの。剣気で受ければ、戦士はなお堅い。"必殺剣"が対人に「必殺」足り得る剣域はたかだか十メル。踏み込んであと三つ、とはかったばかりで、遅かった。なにより"必殺剣"は、一撃から甚だしい消耗を対価とする。臨むはずだった一対多に、万全を期した慎重さの持ち主こそヴィクトルであるが。


 ――斯様なことなら惜しまずに……!


 こだわらなければ手傷は負わせられた。王国兵も、あるいは死なさずに済んだ。選択を悔いる。"瞬歩"で駆った、弾丸もかくや。これも制約がある。ヴィクトルの場合、一度の跳躍がやはり十メルそこら。むやみに数を重ねれば、身体をひどく焼く。経験だ。

 追いつくまでに全部で五人、守れなかった。しんがりを、仮面の使徒が受けてたった。使徒の中では、頭抜けた手練れだ。一合のみあって退かれる。"使徒"らはそろって土防壁を跳び越えた。入れちがいに"蛭頭"の軍勢が、壁のむこうから溢れくる。混乱の王国兵らに、しばし加勢が必要だ。


「魔物は引き受ける!救命と防壁維持に注力しろ!」


 術者が欠けて、魔防壁の機能が破綻していた。これは良くない。原則の話をしよう。こと対"悪心"戦において、王国兵らは非常に優秀だ。紐づく要素がいくつもある。

 あらゆる兵士を専心級以上に仕立てる、支援魔法の存在。規格統一された集団戦法。そして戦訓から練り上げられた、特製の土魔防壁の活用。 

 戦場においての物量に、質で対抗するには、ふつう、限度というのがあるものだから、魔防壁こそ、実には命綱とみていい。基礎部は厚みを持たせて強固に、上部は薄い()()を形成して脆く。這い上がろうと試みれば、返しが崩壊、侵入を遅延する。術者はこれを再生する。「質」が能うだけ受け入れ続ければ、いずれ勝利は訪れる。

 今度の侵攻の"波"も撃退せしめただろう、使徒の乱入さえなくば。しかし現状、防壁はつまり生命線が崩壊している。迫る魔物群は、人型あやかり総じて堅い。ヴィクトルの剣気でさえ、一振り断てて三つで上等、悪ければないし仕留め損なう。


 ――いいや、仕損じん!

 

 三つ、六つ、九つ、"蛭頭"を断つ。王国兵らが湧いた。

「騎士だっ、公国騎士だっ!」「騎士が来たぞーっ!」

 士気の高揚には、お節介(ヴァンガード)の指図が効いている。


 ――悪くない。


 肩書きも、時と場合で役立つものだ。胸元に収めた()()()()が知らしめている。剣を振るのを止めないままに、発言の意図を省略できた。

「壁の向こうの状況はっ?」

「一面、魔物がうじゃうじゃと!」階級章が准尉を示している。この防衛線の指揮官だ。「行く気ですか、お一人でっ」

「先には貴国の英雄がいると!」

「詳細は我々にもッ、この視界ですから!」"果ての霞"を、准尉は言っている。「砲撃要請が一度きり、以降の連絡は途絶……!」

 対"悪心"に先駆けた、王国きっての精鋭と聞く。そう簡単にやられるとは、ヴィクトルにも思えない――兵士()らも同じく考えたから、戦線をここまで押しあげたのだ――質問を変える。

「この防衛線、貴君らのみで維持できそうかっ?」

 准尉があたりを見渡した。「衛生兵、報告!」ただちに応えがある。「支援術師二名死亡!」准尉が向き直る。「少々、苦しいやもしれません……ッ」

「左様か――」壁の手前を掃討し終えて、ヴィクトルの決断は早かった。"誓約"に基づき、躊躇いはない。「向こう側に出て広く薙ぐ!この"波"が捌けたなら後退されよっ」足踏みすれば二兎追う狼だ。

「あっ……騎士殿を援護しろーっ!」

 防壁を駆け上っている。身をひるがえす、向こう側へ。


 ――おぞましい。


 光景である。無数に、血を滴らせた赤い影、"蛭頭"は醜悪の尖兵だ。耳をつんざく金切り声で歓迎してくれる。ヴィクトルは、"必殺の構え"――刃を鞘に収めている。大群の後方に着地。防壁左手沿いをひとつ薙ぎ払う。剣気が吹き荒ぶ。"霞"が晴れ渡る。赤い影らが刻まれ、塵と舞う。反対、間近に迫る二、三を処理する。再度"必殺の構え"をとった。右手沿いもひとつ薙ぎ払う。同じ結果が繰り返される。どっと、のしかかるただならぬ疲労感。一撃で事が済むからこそ()()なのだ。連発など本来、想定されていない。

「ギェアアアアアッ!」

 終わりを象徴しながらも"悪心"は、自らの往生際を弁えない。剣域を免れた東西の果てから、"蛭頭"がまだ押し寄せる。


 ――"必殺剣"はあと一振りで限度……。


 出し惜しみはまた死を招く。しかし、三度の消耗は、これより控える追撃戦に、あるいは己の死を招く。


 ――それでも。


 "必殺の構え"を取って、今か、という時。


『滅却せよマギヤの炎星!』


 巨大な火弾だ。いくつとなく天から降り注ぎ、防壁沿いを焼き尽くす。方々、"蛭頭"が焦げて絶叫している。

「む……」

「あとは我々でも!」

 防壁にのぼった王国兵らだ。剣帯歩兵が一人二人と飛び降りて、"蛭頭"の残党に立ち向かう。

「……任せたぞ!」

 ヴィクトルは飲み込んだ――引き際だけは誤ってくれるな――彼ら、職業人である。それ以上に、志ともなうから、ここにいられる。

 使徒らを追うべく、ひとり駆けていた。あたりすっかり"霞"に満ちて、とうに影も形も見当たらない。だが、追わないで済む理由も見当たらない。目掛くだろうは"果ての穴"。コルゴッサ大尉の情報によれば、沿岸二キロル、湖のほぼ中心に現れたという。


 ――あの防衛線は、およそ中間地点になるか。


 この先、この()の最前線。先駆けたのは大きくも寡兵、未だ健在である、との前提も、背後に"使徒"の奇襲を受ければ苦境は必須だ。


 ――進め。


 悪心の瘴気がますます濃くなる。ながく異様なほど静かだった。剣戟の音も、魔物の声も聞こえないでいる。良くも悪くも、痕跡のないまま、やがて出遭うのが。


 ――穴だ。


 そこには穴があった。更なる異様を控えていた。待ち構えていた、声である。捉えてやっと明らかになる。"穴"の彼岸で、たむろするのは使徒の群れだ。影を数えると全部で()()――兼ねてより多い――うちのひとつがうたうのだった。


『ガモス!ガモス!ドベルヴァ!マラクッ!

 ガモス!ガモス!ドベルヴァ!マラクッ!』


 初見のひとりめ、声の主。低く湿った声音からして男。しるしは獣頭、一対の角。長杖(スタッフ)羽織り(ローブ)。推定、魔術師。

 初見のふたりめ、羽織り(ローブ)、それから目深に被り(フード)。相貌は不明、目立つ武装なし。身体つきから推定、只人の女。


『ガモス!ガモス!ドベルヴァ!マラクッ!

 ガモス!ガモス!ドベルヴァ!マラクッ!』


 居並んでいる。従えているようにも見える。のこりの使徒らを傍観させて、"角有り"は、黒い天を仰いだ。


 ――まるで()()の唱えかのような。


 不気味な呪文が想起さす。風に聞く噂であった。

「おおおお、我らが神よおおおお!」

 神、と聞く。何を馬鹿な。ヴィクトルは思った。"穴"をいよいよ目前に、脚を止めたが刹那であった。


 ――"悪心"が信仰など持ち合わせるものか。


 かつて欠片ほど持ったとて、ひとたび"使徒"と化したなら、人を象る欲望の塊に過ぎない。いったいなにを敬える。しかし、あるいは。


 ――欲するその形こそ、神、ならば……?

 

 大それたことだ。徒党を組んだ使徒にせよ。率いているのは、神を唱えるあの"角有り"――なのか?さすれば、あれは"使徒"でなく、"統手"――いずれ明らかになる。今ではなかった。

 邪悪の凝縮を、ヴィクトルは肌で感じとれた。収束地点は"果ての大穴"――為せるのか、召喚とやら。


「オアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 たしかにそれは実現する。大地を激震させる、咆哮とともに。穴を満たすほど巨大で、ただ。


「……これが、神?」




 ---




 散弾銃は広場で吼えた。ハウプトマンの引き金だ。ひっくり返った"蛭頭"がヴァンガードに叩き潰される。

「誓え、無事で帰ると!」

「誓うさ、大将らも無事でいろよ!」

 避難活動も大詰めだった。こじんまりした人影の中に、巡礼の少年少女もいる。

「ほんとうにもう、痛いところは?」

「ないよ、ありがとう。きちんと治ってる」

 心配性が服を着ているのがフランだ。ゼンを完全に回復させて、"治癒"は冷却期間に入る。この先、すべてが一大事。


 ――だけど、僕らは行く。


 前へ。を、とうに選んだから。

「つまんねーくたばり方すンじゃねぇーぞ!」サルヴァトレスは素直でないのだ。

「おうちは、かならず守るから……!」ダルタニエンなら心強い。

「あたしも始祖様くらいの名手だったらね……」ジニーはもう一言、ヴァンガードにたくした。「どうか、頼んだよ」

「もちろん、誓って連れ帰る。この命に代えようと」

 これは戦争だった。前にも後ろにも、十全などない。個々の決断が尊重されるのは、信仰であり、この星の理だった。


 神子と守手と拳の戦士は、北通りを突き進んでいる。先駆けた騎士に加勢するため。また「使命」を果たすため。なにより、みずからの意志に従順であるため。


 出遭ったこの()の厄介に、立ち向かうのは、自分でなくていい。まして子どもでなくていい。否む理由は、いくつでも見つかる。けれど少年少女は意志をあらわした。この"果ての悪心"に、いま立ち向かう。立ち向かいたい。"商隊"は複雑そうだった。

『私には、できることですから』フランはかたくなだった。『私の使命ですから』

『僕も行きたい』ゼンもやはり、かたくなだった。『僕の役目で、約束だから』

『それに』少年少女は言った。『ひとりで戦う人がいる』ヴィクトルを助けなくてはならない。

『ふたりの"意志"は、本物なんだね』ヴァンガードは確かめた。『使命や役目を言うけれど、もしもそれらがなくたって、おんなじことが出来ると思うか?』

『はい』『うん』返答までに、すこし間があった。けれど、熟考のためで、偽りなかった。だからヴァンガードも頷いた。止められたとすれば、彼しかなかった。

『わかった、俺が重ねて認めよう。君らは能うだけの力を持っている』男は目をよく見て語った。『意志を携え、前へを選んだ。ふたりの気持ちは、王様にだって曲げられない』


 北通りの果てにたどりつく。沿岸の土防壁を越える。魔物の影はない。王国兵とも出会わない。

「防壁を増やしてから帰るんだって」

「一キロル先だそうだね」

 泥の湖底を駆け抜ける。禍々しさがたちこめる。奇妙に塗られた空の色を「反転している」と、ヴァンガードは形容した。来たるのは、冒涜的で理不尽な闇だ。誰も直視をしたがらない。けれど誰かがせねばならない。

 このとき、ゼン・イージスは立ち向かうひとりであって、独りではなかった。悪心の瘴気に浸ったところで、ちっとも怯えはしなかった――僕には、戦う力と訳がある。 

 死臭が鼻をついたとしても――悲しいにおいだ……。

 ただよう"果ての霞"が、視野を狭窄させても――妖精のまどわしそっくりだ。

 経験が、心の強さに味方した。

 しるべがないまま先に進む。ゆく方をいつからか(たが)えてはいまいか、静けさに気がかりを覚えて、じきだ。

 さく、さく、ぱりっ。

 踏んでいた泥が砂になった。どんな因果かはわからない。

「……ここからは静かに歩こう」

 ヴァンガードの腕からフランはおろされて、両の指先に"緋矢"を展開する。ゼンも剣を抜いていた。また当分、歩いた。何も見つからなかった。土防壁も見つからなかった。一キロルはだいぶ過ぎたはずだった。


「ウ、ウ……」


 どれほど進んだことだろう。"霞"を除けるのは呻き声。ぬぅっと、源は不気味であった。

「にげ、て…………」

 まっくろな影?いや人だ。生者だ、それも黒こげの。よたり、よたり、と踏んだが最後、ずしゃあ、っと、頭から転げてしまう。ヴァンガードが駆け寄るも、すでに息を引き取っていた。

「もとの人相は知れないけれど……」

 王国兵、なのだろう。煤にまみれた認識票を、諸手に()()()()()()握りしめている。意味を悟って、ヴァンガードは立ち、身構えた。少年少女をかばう形で、一歩前へ。時をまさしく。


「オアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 臓腑も浮かす咆哮と、それを解せるが後先か。一挙に"霞"が晴れるあたりに、一面、転がる焼死体をみる。なんの仕業だ。百メルはむこう、咆哮の主が仕業と推せる。

「ありゃ、でっかいな」

 いつぞやケヤキの頭領も、比してままならない図体だ。

「あれも、"果ての魔物"なの」

「そうらしい」

 果ての魔物の"頭領"と呼ぼう。

 おこがましくも、半人型だ。皮を剥かれて赤黒い。輪郭の大半が頭部。さながら、人と竜の子(トカゲ)のあいの子で、悪趣味、というのを体現している。落ちくぼんだ眼窩、腐した魚じみた瞳、ぺちゃんこな鼻、カエルも負かそう幅広の口。咆哮においては、がちゃがちゃと汚い歯――あるいは牙――並びを見せつけた。束状の頭髪と思えば、それは触手だ。うにょうにょ蠢くのに、意思を感じる。

「ヴィックはどこに?無事でしょうか……」

 目前の脅威にも、まず他者を慮るのがフランだ。もっとも"頭領"といえば太い両腕で、湖底を掻きむしるのに夢中であった。(こちら)側へどうにか全身を、お披露目しようと試みている。つまり半身がまだ"穴"のむこう、身動きままならないはずで。

「あいつのことなら、よっぽど平気さ。それよか俺らだ、こいつはよくない――」

 王国兵らは屠られた。この間合いにして、如何にして。


「くるぞ、炎の息吹(ブレス)が!」


 古の物語に学ぼう。高位の竜種のそれとすれば、城壁をどろどろに溶かし、城下の町並みを溶岩だまりに変貌せしめたという。怒れる巨竜が三日三晩にわたって吐き続け、ひとつの国を灰塵に帰した、そんな伝説もある。

 あの()()()の目指した形が、竜、とあてては冒涜だろうか。ヴァンガードは見立て、息吹、と言った。ゼンにもいささか理解があった。大きな力は、予兆をともなう。フランの"光槌"なり、ヴィクトルの"必殺剣"なり。ただ今度のは、ずっと大きい――ううん、ずっと()()()……――不可視の力で、例のがま口に収束しつつある。


「オオオオオオオオオオオオオオオ――」


 人や竜をよく真似ている。"頭領"は上半身を仰け反らせ、胸をぐんぐん膨らませてゆく。おもいきり吸って、吸って、吸うほどに、まざまざ続きが予期できる。

 ここで、いずれか戦士の"刹那"を借りて、理想を言うのは簡単だ。

 一も二もなく退くべきだ。

 とっくに過ぎた考えだ。

 ただちに駆けても、逃れられるのか?

 湖底の泥は、どこから乾いた。硝子質に、ぱりり、とさえ鳴った。王国兵らは丸焦げにされた。あるべきもっと後方に、第二防壁は見つからなかった。ないし"息吹"に耐えられなかったのではないか。

 結論は出ている。

 どうにかこの場で凌ぐほかない。


「ふたりとも、俺の後ろに!」単身ならば、あるいは逃げおおせる大男が「やるだけやってやるっ」とまで意気込んで、「……ん」ふと睨むのは西方だった。

「見ものだな。続けたらどうか」"霞"を晴らす唸り声である。

「ヴィクトル!」「ヴィック!」

 会話の音を頼りに、駆けつけてくれたらしかった。いつにも増して、険しい顔つき。黒こげの遺体に囲まれるせいだ。察したうえで、ヴァンガードは頼った。

「任せても?凌ぐより穿つ領分でね」

「ふん、知れたことを」

 ぎろり。で、やりとりは完結するのだ。大男を肩で押しのけヴィクトルは、もっとも前に立っている。

「俺から離れるな」

 背中は疑問を寄せつけない。使徒の行方は?その身に怪我は?なにより、剣一本でどう立ち向かう?力の収束を、"頭領"が終えた。もちろん、あとは吐くばかり。


「ロアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 見渡すかぎりを覆いつくすのは、赤紫色の火炎だった。


『……我、専守の心得にて待つ故に攻め手を(しか)と退けん』


 ほんの余した時間には、騎士の呟きだけが許される。それは答えのひとつであった。洗練された"飛泉の構え"が立ち様だ。左前の半身(はんみ)、握りを額に、刃は体側面に落とす。以降、微動だにしなかった。

 赤紫に、世界は塗り変わる。上下左右に、前後も不覚――騎士の背中が、あらねばの話だ。平然と立ちはだかっている。背後に矢じり型の"聖域"をこさえている。

「……すごい!」「ちっとも熱くありません……!」

 大気を唸らす轟音と、禍々しい鈍光ばかりが、おそろしい"息吹"の余波の全てであった。

『斬る、じゃなくて、守る剣さ』

 手がかりなら、ゼンはいつぞやもらっていた。ヴィクトルの「真の剣」についてだ。ヴァンガードがこっそり言ってくれるのに、ふぅん……と、斜めに頷いた。

 剣は、斬るのが役目のはずだ。守るにしたって斬らねばならない――ゼンは先から魅入られどおしだ。常識を、ひっくり返して守る剣がある。そこにあるだけで、危機を退く。ヴィクトルの(つるぎ)は、何も斬ろうとは試みていない。


 ――剣であって、剣じゃない。ヴィクトルの剣は……。


 当代、役目がだいぶ廃れても、意味をよく残した()()の名がある。

 

 ――盾だ。


 剣の形をした盾だ。

 鋼鉄製のそれであろうと、剣士の剣気は貫くからと、戦場(いくさば)に侮られるものであって、しかし、降り注ぐ矢やつぶてから、弱者をあまねく守るのに、盾は、存在意義をなくしきらない。

 いっそ、剣気を弾ける盾があるなら?

 人ひとりの手におさまって、城壁をしのぐ盾があるなら?


 火の粉ももれない。完璧だった。いかにも邪悪な炎流が、莫大に、延々、とめどなくとも、騎士はすこしも揺るがない。ととのった息と、わずかな肩の浮き沈みだけがある。

「これさ、ヴィーのお株は。『覆す(つき)の大楯』……それか『照破する月の雫』ってとこか」

 神業の名は、ヴァンガードでも同定しかねた。名道場が集大成として授けたがる大仰な技名を、ヴィクトルはいちいち区別しないのだ。あまりに素っ気がないものだから、勝手に汲んではからかってやる。

「じき止むぞ」かわらぬ唸り声である。

「どうだった、使徒は」

「取り逃した。対岸に馬を隠していた」

「"蹄減らし"ね、そりゃ無理だ」

 火炎の波が引き潮だった。気の毒なことに、王国兵らの亡骸はどれも跡形もなかった。炎熱の残滓まで退けてヴィクトルは、ぐるり、柔軟に剣柄を回した。ヴァンガードも、ぐるりと肩を回した。

「するってと、なにはともあれ目前の巨悪か。お前が唱える()()()なんて、珍しいもんを聞かせてもらった」

「時には悪くなかろう、(げん)を担ぐのも」

 背中がふたつ並び立った。どちらも大きな背中であった。

「はは、俺もあやかろうかな」

 拳士は拳骨を鳴らしたら、ベルトのポーチにすかさずやった。小瓶を取り出し、口にふくんで、傷痕だらけの諸手に吹きかける。植物由来の気つけ薬だ。名残の仕草だ。歴戦の拳にも、殴るたび自傷した時代があった。とっくに不要になってなお、縁起を担ぐ儀式であった。「負けない」という、誓いがこもる。

「一仕事、アレを斃しにゆくとしよう」男は小首で振り向いた。「もちろん、みんなで力をあわせてね」

「うん」「はいっ」少年少女が頷いた。

「オオオオオオッ!オオオオオオオオオオッ!」化け物が唸っている。

「息切れか……」騎士はいっそう顔をしかめた。

 "息吹"には冷却期間を要するらしい。太い両腕でもがくのに、"頭領"は戻る。この時間で四人は作戦を組み立てた。

「そうだね、みたとこ――」"頭領"もとい"穴"までの距離、百三十から五十メル。誰の技に頼っても、即必殺とはならない。接近は必須。ただし、戦士の早駆けはあえて用いない。「ゆっくりだ、まずは」

 一歩一歩を慎重に。道程の具体と、選択の理由は以下。

「お嬢さんの"光槌"が鍵だ。うまく射程に捉えたら、のこりを一気にたたみかける。それまでは、相手の隠し玉に注意したい」

「敵は往々にして狡猾だ。大型なれば、相応の知性を有している。ああして"穴"で足掻くのも、()()()()であると否めん」

 進みはじめていた。もう十メルだ。"息吹"ほか、なんら予備動作は認められない。

「使徒らはあれを神、と呼んだぞ」

「ほほー!なかなかの自信作だ」

「輪郭ばかりはな。さて細部は……」

「ちょいとお粗末に思えるね、神サマを言っちゃ」

 進んで、あわせて、二十メル。むこうの射程に入ったらしい。

「ロオオオオオオオッ」

「上から来るぞっ!」

 飛来している、火弾であった。直上十メルそこらから、数、無数にして不特定。一発一発、大人ひとりを呑み込める。

 "魔物"も魔法理に干渉できる。かの火弾にせよ"魔術"の一種だ。そして魔術を、魔術で払うのを"対抗"、その他で減衰させるのを"抵抗"と呼ぶ。

 ときに守手の少年は、弾丸ならば捌けども、"抵抗"の経験にまだ乏しい。つまり"闘気"で受けるか、"剣気"でぶつか。ヴィクトルは後者をあざやかにやった。

「はッ」

 一振り、偽りの夜天を引き裂かんばかり。もたらす結果とは、進路頭上の火弾の消滅である。あましたぶんは湖底の広範に降りそそぎ、無害に爆裂し散らかす。

「息吹に火弾ね。お品揃えはまだありそうだ」

「ウウウウウ、オオオオオオオッ!」

 進んで更に、二十五メル。"頭領"は大地を掻きむしるのをやめ、"穴"の深くへ、その身をいくらか引っ込めた。

「……むこうに帰る潔さなど」

 はった水桶にとぷりと沈めば、図体のぶん、中身とは溢れ出す。"頭領"の脇からうじゃうじゃと、"蛭頭"の赤い濁流だ。金切り声がもううるさい。

「以降、魔物のそれぞれを大型、小型と識別呼称する」

「小粒のかけらも見逃せないな?」

「左様」

 防衛小隊は壊滅の憂き目。沿岸防壁も今や張りぼてだ。町はもぬけの殻ときて、ゆくゆく避難野営地には、守り手の数より、守られる人の数がずっと多い。

「されど我々には能う仕事だ」

「おう!一肌、俺も()()()としよう!」

 ヴァンガード・アーテルは、己の内に「鎧」を秘めている。とうとつだろうか?いや()()のはず。()の常識まで、既知のはず。「鎧」は、戦士に好まれない。最たる例外に"光の鎧"がある。だから拳士は手本にしてみた。戦士は拳士で、剣士ではない。"光の騎士"にはなれない戦士だ。よって、どこまでも独創的で、唯一無二で、まったく馬鹿げた先駆者だ。

「っしゃあ!」

 拳をてのひらに打ちつける。一種の行動様式である。続く唱えで、光はあふれた。


『夜明け待つ、暁の君へ!』


 総身をつつむ紫で、曙光(しょこう)のもたらす夜明け色。兜をはぶくその鎧状は、莫大な"闘気"の具現化だ。伝う"光の鎧"らと、きっとよく似て異なっている。男のたくましい全身も、握る拳も透けていた。


 ――どうだい、格好いいだろう。

 ――うん!


 目配せにゼンはほほえんだ。

 "暁の鎧"と名付けたそうな。いかなる(ことわり)の威力も、紫光を介して激減させる。"剣気"のみなぎる刃も弾ける、本気もとっておきの鎧。強者に枷ありきとはいえ、ゼンは引き出させた実績がある。"腕試し"も決着に垣間見た、謎の光の正体とはこれだ。


 進んで、合計三十メル。赤い影どもとまもなくふれあう。フランの乱打する"光槌"をうけても、勢い止むこと"蛭頭"は知らない。"頭領"も火弾のおかわりをくれる。

「ギィアアアアアアアアッ!」

「飛来物には構うな!」唸り声である。「小型を任せるッ」少年少女も頼られている。

「はんぶんこだな!」ヴァンガードが消える。「どおりゃああああ!」

 右翼は彼の独壇場だ。踵落としの一撃で、手前を掃討するのは無論、衝撃波で後続をひっくり返した。

「一、二!一、二、三!」

 数えた数より、消えた魔の数だ。"暁の鎧"が拳撃に追従する。ときに主から分離して、ひとりでに敵を討ちさえする。

「「「一、二!」」」

 拳士が実質、複数人いた。掛け声までも増して鳴りわたる。独立半径、最大十メル。防御とひきかえ"暁"の紫光は、男が思った四肢に重なれる。胸部鎧は保ったままの、一撃三倍の拳撃が主力となった。

「息継ぎの間は僕が!」「はいっ!」

 左翼を担う少年少女だ。守手が、断って断ってはひるがえる。神子の「撃ちます!」を聞けたら跳びのく。


焦熱燬然(しょうねつきねん)す螺旋の光鎚(こうつい)


 それは力の奔流だ。連発しても"強度"が落ちない。醜悪の尖兵をことごとく焼き、灰塵もなにも残さない。

 数秒間、呼吸をととのう間が要った。無防備だから、うしろへやれない。守手は前目で引きつける。これを繰り返し、繰り返し、繰り返す。驚くほどに上手くいった。


 進んで、はやくも五十メル。騎士ヴィクトルの功労ありきだ。火弾がそそいで絶え間ないのに、剣気の傘を欠かさなかった。手隙の暇には、それとなく左翼に加勢。もっとも大事が先導で、敵方の悪だくみに、ずっと睨みを利かせていた。

 だから警告まですばやい。

 "波"の衰えと、ぴたりと止んだ火弾が不穏だ。

「集えっ、"息吹"だ!」

 守護剣士の背後に、散らばっていた三人が――フランはゼンに担がれて――舞い戻る。あたり未だ相当数いる"蛭頭"らが、金切り声をいっせいに上げた。

「ギィエエエエエエエッ!」

 跳びかかる威勢の掛け声ではない。赤紫の大火炎に、のみこまれたから断末魔である。同士討ちなる概念は、"果ての世界"にないらしい。

 くわえて、もしや察せたろうか、予備動作のない"息吹"であった。炯眼にして慧眼の、警告ありきで間一髪だ。

「しょっぱな大げさに吸ってみせたのも、アレの手の内だな」

 火力そのものは衰えない。間近になって過激でさえある。盾たるヴィクトルの気迫も相応だ。

「疲れはしませんか」ゼンはとにかく感心だ。

「置くだけのこと。火弾の方が面倒まである――晴れるぞ」

 狂暴な炎熱を振り払うのは、名剣であって"魔剣"ではない。ひとえに技を発揮するのに、騎士は剣を選ばない。

「むっ」盾が唸った。「まだ散るな!何か来る!」

「見えた!デカいぞッ」

 触手である。"霞"を裂くのに、汚く赤い。東西両翼から迫り、湖底をなにもかもさらう気だ。"頭領"が背中で操るのだった。

「左――!」

 ヴァンガードが消えた。紫の閃光が奔った。ふりぬかんとする右拳には、三層の"暁"を収束させている。

『ジンジョウ!』

 爆音。低い鐘の音を幻聴。紫光の炸裂に大触手は、ケヤキよりふとい重量物なり、のそりと跳ねとばされてゆく。穿たれないだけ頑丈だ。

「右ッ」

 拳の「左!」に応じてかたや、ヴィクトルも疾うに消えている。剣で断つより、受けるのを選んだ。行動原理は「守る」確実だ。凶悪な物の理を、"飛泉"で阻んで騎士は倒れない。踵が土を盛り上げている。拮抗をやがて作り上げる。

「撃ちます!」

 ゼンは好機をよみとって、フランに一息つかせていた。狙うべき箇所を、さし示している。なるべく根元をねらうんだ。 


焦熱燬然(しょうねつきねん)す螺旋の光鎚(こうつい)


 いちど勢いを失えば、重量物の次はにぶい。「オオオオッ!オオオオッ!」大光量に灼かれ、"頭領"だって苦しみもがく。ヴァンガードが反転、飛びついて、馬鹿力で押さえつけるのだから、いよいよ逃れるすべもない。「オオオオオオオオオオッ!」たっぷり十秒、灼ききった。

 光がおそろしいのだろう。難をまぬがれた左翼の大触手は、悪心の空にうにょりと蠢き、間合いをもてあますらしかった。断ったといえ、右翼もまだ長い。近づく今後に用心だ。

 前へ、距離も折りかえす。次なる試練は、性懲りもなく金切り声。ただし。

「飛んでやがる!」

 正確には投擲されるのだ。"頭領"の、頭部に生やす中触手――あくまで「大」と比べての「中」だ――が、投げ手である。"穴"から湧いた同胞を、まきつけ、ふりかぶり、着々と投げまくる。

 "蛭頭"どもは高さを得たら、飛び鼠(モモンガ)よろしく滑空できた。いつのまにやら四肢に皮膜をこさえ、ひらいてとじての緩急だ。着地の具合がはかりにくい。罠である。注意を頭上にやろうとしている。

 ゼンはいち早く気がつけた。すかさず叫んだ。

「地面が先ッ!」

 ぼこぉ!と、湖底を突きやぶる、こんどは小触手とでも呼ぼう。それなりの数が踊りくるった。 

 ゼンはかわして、フランを助けた。卑劣なやつらだ、念入りに斬る。

 ヴィクトルは、聞くがはやいか脚さばきで避け、難なく数本斬り捨てた。

 ヴァンガードはちょっと出遅れた。もしくは、かまう必要がなかった。脚をとらえかけられるのに、"暁"を解放、紫光で消し飛ばす。

「ギィエエエエエエエエッ!」

 "蛭頭"たちもご到着だ。

「こいつはなかなか!」

 厄介である。地中の触手に空の魔物。対処がなっても、前進は危うい。

「埒が明かんなっ」

「"波"が捌けるのを待つか!?」

「ねぇ!ヴァンなら、こいつら引っこ抜けない!?」

「おっ、よしきた!」ちょうどかわしたところであった、大男はひしとつかんでしまう。こうなれば、地獄の果てまで逃がさない。「おりゃああああっ!」

 土くれふるって、いやいや出てきた。小触手は"穴"のほうまで繋がっている。

「撃ちます!」


焦熱燬然(しょうねつきねん)す螺旋の光鎚(こうつい)


 もはや分担に言葉はいらない。ヴァンガードが抜き、フランが滅した。ゼンは味方の懐を守って、ヴィクトルが"蛭頭"を斬り払った。

「左翼!」

 大触手の再来である。変化する攻勢に、駆け出しているヴィクトルだ。勢いを殺すには距離が要った。進路を阻む小触手をなで斬り、安全地帯を一時作り出し、受ける。空の対応をヴァンガードが代わった。

「「「一、二、三!」」」

 落とせる数は十を優に超す。

 ヴィクトルが大触手を受けつつあるかたや、ヴァンガードがこんど、小触手の群れにねらわれる。反撃にかかる。

 空の対応を、ゼンが代わって折悪く――足元が僕にも!間に合わない……っ――剣の振り下ろしざまだった。跳べない。巻きつかれたのは右腕である。せめて剣柄を左手へ投げ渡す――"とっておき"さえあれば……!――ありはするのだ、すぐ傍に。

「縄を――っ!」

 利かない腕で、とっさの一振り。触手には切れ目を入れただけ。絡む力こそよわめて、脱せず。大人の助力はえられない。

「はいっ!」

 だからフランが、ゼンを守った。


火床(ほど)(はし)深紅(しんく)煌策(こうさく)


 "刹那"がなくとも機転は利かす。両掌から深紅の閃光。小触手を断ち、ゼンを解放。額に冷や汗ものだった。なにせフランも全身、巻きつかれつつある。けれど怯えはしていない。信仰めいた確信である。ゼンはかならず守ってくれる。

 利き腕に、守手が剣を執っている。たちまち振るった。八つ裂きにして敵を退けた。


 ――ありがとうっ!

 ――こちらこそ!


 声を音にする時間もおしい。だが視線ですべてが伝わった。ゼンは上空をふたたび担った。ヴァンガードには次の仕事がある。


 ――任せたぞ!

 ――がんばる!


 左翼の大触手を、ヴィクトルが受け切ったところだ。ドッとヴァンガードがあらわれ、加勢する。


 ――代わる!お前はふたりに!

 ――よかろう。


 少年少女のあたりに、ヴィクトルが帰還する。地を薙いだ、空を薙いだ。"蛭頭"は大地からも迫り、火弾がまた降り注いでいた。瞑目するフランが"一息"を終えた。


焦熱燬然(しょうねつきねん)す螺旋の光鎚(こうつい)


 十秒間。光が触手を灼き切るまでに、大小の剣士があとを庇った。火弾の迎撃。"蛭頭"の両断。意地悪な小触手の駆除。ただどうしてもいっとき手が足りない。ヴァンガードにむけ、火弾が一発すり抜ける。


 ――構うなっ!

 ――すまんな。


「おおッ!」爆炎越しの雄叫びだ。大触手がちょうど灼いてきられた。「ヴァンガードッ!?」ゼンの手もつい止まったが。

「へっちゃらさ!」

 "暁の鎧"に兜があった。残り火をおしのける偉丈夫には、煤よごれだって見当たらない。

「"息吹(ブレス)"ッ!」

 三度目にして良くも悪くも、予備動作が伴っていた。くわえて、もっと邪悪であった。"頭領"は(あぎと)に、何を集める?ぞっと背筋が寒くなる――今までのとちがう……!?――「恐怖」を、ゼンは思い出したほどだ。すくみあがって、動けなかった。ヴィクトルの背中に守られなければ、きっと何もなせないまま死んだ。


「ロアアアアアアアアアアッ!」


 それもまた力の奔流だった。照射されている、極太の熱線である。禍々しく赤紫の、光、と呼んでは光を(けな)そう。いかにも穢れて、滅びをうたう、そう、理不尽な暴力だ。射線上にむらがる"蛭頭"どもがみな、ジャッ!と鳴っては霧散した。

「ふんッ!」

 これもヴィクトルは受けきれた。気張り声をひとつあげただけ、真正面にて凌ぎ続ける。刃にはねた禍つ輝きが、四方八方にさんざ飛びかっては、大地を裂き、天を貫いた。想像するだに難くない、それら余波にさえ、わずかにかすれば、人の軌跡などたやすく途絶える。

 刮目する"刹那"、ゼンは脳裏によぎらせた。もはや思い出のひとつであった。波立つ草原に、あれは神秘のお披露目会。"光槌"をまえにヴァンガードはたとえた。『本気の剣をヴィクトルが抜く――そんな領域の業だ』疑問であった。『ふせげるの。ヴィクトルになら?』口にはしなかった。今にわかった。再三あって、わからされた――できる。ヴィクトルは、なんだって防ぎきる……――その剣士は、騎士は、背中は、盾は、理不尽な暴力にどれほどさらされても、ちっとも歪みはしないのだ。


 ――この旅で、強い戦士をたくさん見つけた。ヴァンガードはぬけてると思った。でも、ほんとの"剣士"とはちがう。剣士なら、とくにふたり。ひとりはもちろん、"五花"のシェリフマック。ひとりは"必殺剣"の……ううん、"守護剣"のヴィクトル。


 どれの強さに価値がある?くらべるのはバカだ――強さのかたちは、それぞれだから……――ゼンは悟った。だから優劣を抜きにして、動揺と高揚のはざまに、さらなる決意の芽生えがあった。

 大切なものを守るため、剣をやめずにいた少年だ。そしてようやく、みつけたのである。どんな不条理もおしのけて、うしろのすべてを守り抜く背中を。たとえ(せかい)をかち割れる、"勇者"がどこぞにいようと、なんなのだ。目前にあるヴィクトルが、生けし盾ヴィクトル・サンドバーンこそが、この()で最高の剣士にちがいない。


 ――今日じゃなくていい。すぐ明日じゃなくてもいい。でも、いつか。いつの日か。ヴィクトルみたいな剣士に、僕もなりたい。なれるかな。

 

 あるいはだ。

「終息するぞッ!前進!」

 盾が進軍の号令をとった。やたらと()に入っていた。まもなく"光槌"の射程であった。四人は脅威の排除を、細心に繰り返した。飛ぶなり這うなり"蛭頭"、熱線が止むなり降り注ぐ炎弾、抜きつくしつつある小触手、見飽きもしようが侮れない。

「"光槌"の射程圏内です!」

「"波"の引き際で一挙に仕掛けるっ」

「おう!」「わかった!」「はいっ」

 人好きしない唸り声が、どうしてこうも指揮に馴染む。さもありなん。戦いの(のち)に、たとえばゼンは知るだろう。ヴィクトルが胸に掲げている、盾の紋章(エムブレム)、その意味を。


 (くだん)の"盾"は、たなごころ大にして、艶消し銀の肩当ての、さらにまた、三叉の帯のただ中におさまる。お節介の指図をうけてから、輝きをずっと湛えていた。とある"肩書き"を象徴していた。

 肩当ての意匠で察せる人もいる、ヴィクトル・サンドバーンはまず"騎士"だ。"光の騎士"に憧れて、(つるぎ)を磨いて、ついに成ったが、公国の、騎士であった。この()の悪しきに立ち向かい、あまねく者を砕身して救う、"光の騎士"には、成れなかった。

 だとしても。

 "公国騎士"を、ヴィクトルはまっとうした。大それた"誓約"を、誰かれに陰でわらわれようと、務めをはたして、勝利を連ねた。そしてついには"盾"を得た。齢も弱冠二十代の暮れ、一躍その大騎士座に就いた。騎士たる騎士だ。()()()()だ。"公国騎士"ではとても括れない、とくべつな呼ばれ方――"肩書き"さえを、ヴィクトル・サンドバーンは冠して許されている。すなわち。


 "統括騎士"だ。()()()の騎士だ。


 首飾りとしてその"盾"は、ふだん胸元にしまわれている。あしらわれた紋章こそ、エウロピア連合公国、統一の証、"統括紋章"である。

 ドラッドネルトを象った、竜の首を獲る雄々しき獅子。シュワルコフを象った、公明正大司る天秤。ジガヴェスタを象った、豊穣もたらす水の瓶。ダンコヨーテを象った、他領も認める賢君を示す、王冠戴く狼の頭。

 四つが合わさり"統括紋章"。これを、大楯のふちで囲ったならば、"統括騎士団"の徴とおもって、弧大陸では常識である。

 "統括騎士"は、公国騎士でも選りすぐりの名手、四大領地より各十人までが肩書ける。かならずしも座は埋まらない。当代ではたった、三十しかいない。実力と、実績と、光の騎士と並べても恥じぬ、"心威"を持つから"統括騎士"だ。

 証たる"盾"の佩用(はいよう)の、(かた)り偽りは、断首の大罪。この罪で実際、刎ねられた首はない。誰も試さない冒涜ゆえだ。それほど"盾"は、高潔で、尊ばれる、騎士たる騎士の象徴なのだ。


 ヴィクトル・サンドバーンは"盾"を抱いた"統括騎士"だ。王国流で肩書かせるのなら、彼もまた公国の――なんたるか、或る少年に続きは譲ろう。

「熱線ッ!」

「ロアアアアアアアアアアッ!」

 それは悪意の奔流だ。最前で、統括騎士が跳ね除けている。

 ヴィクトルにとて、しくじれば死だ。そこにためらいはない。守れる命がひとつ増えるなら、おのれが為せる全力を為す。これで完全な意志である。恐れがつけいる余地はない。

 盾は、武具として廃れても、当代も守護者の象徴(アイコン)だ。エウロピアの地の騎士の祖は、神殿聖騎士らの物語に負けじと、心命を賭して民を守った。国が統べられるずっと以前から、盾の紋章を背負ってきた。その名と形に込められるのは、歴史であり、意志である。大切なものを守るため、最前に出て、尽くしてやまない、守手の系譜が紡がれる限り、守護者の象徴としての、盾は、この先も永久に滅びない。

「捌けるぞっ!正面!」「"波"も止む!」「ふきんに触手なし!」

「お嬢さん!」

「撃ちますっ!」


焦熱燬然(しょうねつきねん)す螺旋の光鎚(こうつい)


「覚悟は?」「無論」「そんじゃ――」

 この期に及んで騎士ヴィクトルは、となりの目配せを――馬鹿げた拳士を頼りに思った。


 ――俺が凌ぎさえすれば、この男が必ず道を拓く。


 ほかには(おの)が師のたったひとりである。戦場(いくさば)で、これほど心強い戦士とは。

 とくに巨悪を相手取り、守護剣は守備に優れても、これ、と決め手は遠のきがちだ。守勢ばかりではいつしか負ける。苦肉の策で習得したのが、必殺剣だった。それも消耗甚だしく日に三度で限度。今日にせよあと一振り。それなりの脅威を受け流してきて、振り絞っての一振りになる――決定打には欠こう――されど光明をみてやまない。星を砕ける術があるなら、ならぶ拳の一撃だ。


 ――"果て"も目前に、これほどの疲弊……なお奮ってやまん。やはりはじめてだ。


 かの戦士が、いや、かの戦士らがいるからだった。不浄をはらう聖なる光が、魔物の巨頭を圧し潰している。まるまるのみこみ、一秒、二秒、三秒、灼いている。


 ――報いねばならんな。小さきけれど力ある者たち……。 


「行くぞっ!」

 ヴァンガードのかけ声で、ゼンはとびきり気を引き締めた。大の戦士らがドン!と消える。現れ、消えては、ぐんぐん遠のく。"頭領"の懐にもぐりこむまで、数えてあと何秒もない。


 ――何秒だろうとこの合間、フランを守れるのは僕だけだ……!


 "雨の町"以来、いろいろなものが、ちょっと変わった。フランの視線がひとつであった。あまい感じがすくなくなって、あたたかく、より、やわらかく。とくにやわらかい意味ならおぼえた。


 ――信頼だ。


 裏切れない。

 

 ――誓って守る。僕がフランを守りきる!


 フランは"光槌"に集中しきり。大の戦士らが"頭領"にたどりつくまで、浴びせ続ける手筈であった。よって。

「ギィアアアアアアアアッ!」

 囲まれたところで、相手取れるのはゼンだけだ。地中から飛び出た"蛭頭"である。


 ――わかってたよ。


 ぜんぶで四匹。大の戦士らと入れちがいざま、小触手が通った土中をきたのだ。フランは動揺していない。と、もちろんゼンは知っている。執った剣を振るっている。

 ひとつ斬った――フランみたいな「火力」は、僕にない……。

 ふたつ斬った――それでも、ふところなら剣士の僕だ……!

 みっつ斬った――ッ!間に合え……!――四つ目の影は、三つ目の奥だった。かぎ爪があわや、フランに届くか――あれ……もう倒せてる?

 振るった数は三つであった。"剣気"でも、もしや放てねば、かぞえ違いか幻覚だ。

 現実らしい。

 "星の理"に親しむ人なら、真相を理解できるだろう。信じる者しか信じない、それは常識外れの死闘であった。

 ゼンは疑問をとうにほかって、決着のときに備えている。ひとまずほかに敵影はなし。

 大の戦士らは"頭領"も目前。光の柱が、いま、やんだ。"頭領"の巨頭は、ほぼ消し飛んで――いたのは、ほんの一時のことだ。むくりむくりと再生をきざす。盛り上がる肉が、輪郭を取りもどしつつある。

 最前ふたりには想定内だ。だから肉薄する。終わりを贈りに駆けつける。"対魔剣"の知識でも引こう。「再生する魔物」の撃滅法は至極単純。二度と復元がかなわないほど、()()()()()()にするがいい。


「ヴァンガードッ」


 騎士は吼えた。準備良し、の合図であった。"穴"も超至近にて制動。"頭領"からして、四、三メル。すなわち剣士必殺の距離。"必殺の構え"をとって、魔物の首のよみがえりを眺めた――堪えろ、まだだ。

「おおおおおおおッ」

 拳士が吼えた。跳びかかっている。"暁の鎧"を脱いでいる。右の拳に全力なのだ。五層をなした紫光の巨拳を、振りかぶるから無防備だ。

 これも信頼の形であった。再生も大詰めの"頭領"の背部、なえたフリをした中触手らが、ここぞとばかり無数に立ち上がる。迎え撃つべく、鋭く伸びた。見ても拳士は溜めをやめない。(おの)が身をけして守ろうとはしない。


 ――今!


 連携だった。平野も掃討しうるそれは、"必殺剣"と名付けられた。削がれた触手がばらばら舞った。赤い輪郭も削げている。刹那、無力化された脅威へ目掛け。


「ふっとべぇぇぇぇぇ!」


 紫光の巨拳は突き立てられた。"頭領"の首断面にうずまり、轟く六度の爆音は、"果ての世界"も恐慌させたろう。"頭領"の全身が、大音量を浴びるたび、ぶくぶく膨れ上がってゆく。過剰な力を注ぎこまれ、あとは、終わりがあるだけだ。

 光景の、かたや後方で。

「きゃっ!」

 フランがちいさく悲鳴をあげた。ゼンにかかえられ、ふっと沈んだかと思ったら、いつのまにやら空にいた。訳は眼下だ。

 ばちぃん!

 では、ちょっと生易しい。うちあわさった、両翼の大触手である。"頭領"の最後の攻勢だった。ぽけっと、終わりに見惚けたなら、とっくに潰れて死んでいる。避けた結末だ。守手が油断を知らないからだ。

 少年少女は落ちながら見た。枯れた湖のただ中に、光の柱が突き立っている。"光槌"よりは、だいぶ細いが、偽りの夜天を穿てる輝きだ。首なし"頭領"の巨体が、まもなく爆散する。大触手も、もちろんふっとぶ。その余波の、すさまじさたるや。

 風が吹き荒ぶ。いまに乾いた、湖底の砂土を巻きあげる。勢い止むこと、天まで知らない。悪心の空がうちはらわれる。一滴、光が注いだら、あっという間の出来事だった。

 遠景が鮮明になる。輪郭線を取り戻す。白雪をかぶった、青い山並みが広がっている。死臭が風で掻き消えた。しめり臭いのに、不快でない。雲なき空に、夏の間近さをおぼえる力強い陽射しが帰還して。偽りの夜が、とうとう明けた。




 ---



「はっはぁ!やっつけたな!」

「ああ」

 踵を返す大の戦士らが、拳をぶつけて勝利を祝った。遠目からしても、笑みがまぶしい。

「あんなに嬉しそうです!」

「うん、よかった……」

 少年少女からしても、はじめてづくしの激戦だった。実際くたくた、すっかり乗り越え、大人たちなら、あの余裕。おぞましいソレに立ち向かうのに、大きな背中で導いてくれた。彼らを何と呼ぶべきなのか、ゼン・イージスは知っている。この(せかい)の人々らが、何と呼びたがるかを知っている。まさしく彼らこそ。


 ――"英雄"だ。



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