46.騎士 中
悪心。誰しもが持ち、抗うべきもの。ともすれば人は、それが己に根差すと気がつかない。
陽にも翳りが有るように、昼間も永久には続かぬように、闇は、必ずあなたに訪れる。
立ち向かわねばならない。挫けてはならない。地平の向こうに落ちた日が、いつかふたたび昇るまで。
果ての悪心。誰にでもある心の澱みが、果ての世界で集積されて、触れあえる形をとったもの。
人の認めたがらない、あらゆる負の力を糧に、抽象は現実へ置き換わる。
彼らは力を育み続ける。向き合わないかぎり。
彼らは生まれ続ける。人が、心を持つかぎり。
夜は必ず訪れる。
悪心は時に、呼び寄せられる。人は時に、みずから歩み寄る。
ここは"統べ手無き土地"。奔放に人が生きやすい、無法の土地。悪心は特に活きいきと育つ。
現すきっかけは、なんであったか。
あるいは、盗人が贈る逆恨み。
あるいは、慈悲深さに咲いた残酷。
あるいは、無邪気が降らした赤い雨。
はたまた、もっと遠くに起源はあるやも。むしろ法こそ育んだやも。
それは、可哀想だと思うばかり、見て見ぬふりの夏三巡。
または、掟の名のもとふるわれた、理不尽と暴力。
答えはない。
どれか、これか、ほかか、知る由などなく、彼らはこの地で現れた。糧にし鍵にし現れた。
夜が昼に、おきかわろうとたくらんでいる。
誰かが立ち向かわねばならない。
せめてもに。
夜は今や、触れあえる形を、とってくれている。
"良くも悪くも"だ。
当代にしてこの星の人は、己に宿りうる悪と、剣を交えて戦える。
---
湖畔の教会に、灯りは掲げられていない。迫る脅威に悟られぬよう、吹き消されたからだ。人々は鎧戸を締めきった。息をひそめた。できるだけの備えはしたはずだった。
「助けて!」
逃げ遅れたのだろう。むせび泣く幼い声、扉を必死に叩く音。人々は勇気を振りしぼり、一度はおろしたかんぬきをあげる。魔物が間もなくやってくる。それでも、と。恐怖に立ち向かったはずだ。正しい選択をしたはずだ。よもや、招き入れんとする、その人の子を模した何某こそが、真の脅威とは露知らず。
立ち向かえる者が駆けつけて、遅かった。
教会の暗がりに、血だまりばかりが満ちている。
「ガキのくせに剣もってんじゃーん!?おーもしろいモン、み~っけ」
教会は主廊。ほほえみと、襤褸をまとった少年が、大の戦士らが警告した"悪心の使徒"であると、惨状を目前、ゼンは知れたので、疾駆と"長尾"から放たれる殺意の第一撃を、"鉄門の構え"にて往なしきれた。
「っハァ!」
歪む口角をゼンは見ている。戦いの自分が、疾うに覚醒している。
――鋭い!だけど、これくらいならッ!
右上、左上、左下と打つ。返す右下で鍔迫りあった。力の均衡が重要だ。
――押しすぎない、押させすぎない……!
勝負にはまだ早い。描く軌跡は下段から、中段、上段、頭上を越える。対称に至る左の下段まで、一歩、二歩とゼンは後退。力量を図る――聞こえはいいが、強いられる節も否めない。結んだ刃はふたたび頭上へ、右の下段でふっと緩んだ。
――危ないっ!
予感はあった。誘われている予感だ。競り合いにもし、勢い余ればつんのめり、今頃、首を刎ねられていた。避けた危険だ。仰け反っている。横薙ぎ一閃が鼻先を掠めている。使徒の剣気は凄まじい、側廊の窓硝子が一斉に砕け散った。
跳び退く先には整然と長椅子。座面を、しなやかに背中で転がるゼン。応戦するには足場が悪い。勢いとどめず、さらに退く、一回転。散らばる硝子が長靴で鳴った。鎧戸を背負って待ち受けた。
使徒は忌々しげ気に舌打ちをする。迫り歩くのに邪魔と見たらしい、打ちつけられた長椅子群を、力任せに振り払う。整然が乱雑に剥ぎ取られる、木片が宙に吹き荒れる。
――今!
生まれた隙、とゼンは上段攻めいるも迂闊、これこそ誘いであった。高く完璧に防がれる。ニヤリを見てから、間にあわない。
「らァッ!」「っ!」
押し蹴り。がらあきの胴に見舞われる。たちまち鎧戸をぶち抜いて、ゼンは外へと放り出された。慣れた受け身で五つは転がる。濡れた石畳の上、勢いをやっと殺して立ち上がる。湖の沿岸側だ。傍に聳え立つのは、五メル超の土魔防壁。沿って走って西へ引き返せば、誰かの力を借りられるやもしれない。ゼンは選ばなかった。使徒がおもむろ、割れ窓を乗り越えて来る。
「あーん?ケロっとしてんじゃん!ムっカつく」
痛みはあっても、支障はない。戦士でなくばこうはいかない。"闘気"を操る術を、ゼンは身につけている。開く"刹那"に教えをさらう。
旅人と競うことあらば、"専心級"を下限と思え。
あくまで、競う。ヴァンガードは手本をみせた。仕事の軽い取りあいで、勝負に応じることがあった。
例えばそれは腕相撲。例えばそれは、通りを駆ける速さ比べ。例えばそれは、互いに出す手をさらした剣盾礫。
ほほえましい。
刃を抜いて決闘はしない。訳は明らかだ。振りをすこしでも誤れば、一寸から先、取り返しがつかない。例外はある。彼我の力量差が圧倒的なとき。または"自由決闘巻物"を用いる場合。むちゃくちゃをしても、笑って終われる。
――これはちがう。
巡礼の少年は、人の命を知る少年だ。かつてなく構えていた。使徒の少年はわらっている。
「じたばたもっと痛がれってンだよ――」
挑もうとしている。挑まれようとしている。純然たる殺しあいに。
「なァッ!」
迫るは刺突。防壁まで一気、されどなんとか見切れる速さ、ゼンはかえって恐ろしい。足を運び、半身に躱せば轟音だ。分厚い防壁の一角が崩壊、土くれが撒き散らされている。物の理を飛び越えた、膨大な剣気でなくては為せない。
――なんてヤツ!力と技がちぐはぐだっ……!
もうもう粉塵舞う中に、ゆらりと揺れる異様な影は、光を負いし"少年"かの輪郭である。殺気。一撃をゼンは察知した。縦に引き裂かれる土埃。凌ぐ刃が唸りに唸る。
――重たい……っ!
余儀なく後退。繰り返される二振り目、まるで積年の恨みを晴らすが如く。
「オラァッ!」
ひたすら力の押しつけだ。なんとか往なす。更に後退する。防御と観察にゼンは重点している。せざるをえなかった――"専心級"を下限と思え……――もしもの覚悟を大人は含んだ。血気盛んな「敵」あらば、それはきまって同格か。
――僕より、格上だ。
此度やまさに。
力比べでお話にならない。
速さは、こちらの限界だ。
技ならしかし――わからないッ……!
三度目、やはり振り下ろし。何が何でも脳天かち割ってやる。と、剣筋で叫びかけてくる。ゼンの好んだ"疾風の構え"はよかれ、上段受けに強かった。力の流れも二度はみたのだ。とらえた。すくった。有利をとれた。すかさずに、首めがけて突いた。
――とった!
思った。あやまりだった。奇怪。人体ならざる可動域に首をずらして使徒は、切っ先を際でかわしている。カッ、とそれは目を見開いた。
――ッ!?
想定される反撃に、防御すべきは脇腹だ。弾いたばかりの刃が近い、引いて下段で受けようとした。ところが意外、攻めてこない。焦燥交じりに、ゼンは後を追う。使徒は実際、巧妙だった。刃を踊らせ翻弄し、ついに突き立てたのはまさか石畳、柄を軸に跳び身をひるがえし、息をもつかせず回し蹴る。
「がぁっ!」
吹き飛ぶゼン。土壁に打ちつけられる。石畳に転げる。使徒はできるだろうに追撃しない。教会側へ跳び退いている。腹を抱えて嘲笑う。
「お前、よわすぎいいいいいい!」
――負けた、読みあいでまた……ッ。
一連、予測に難解すぎた。動揺もあった。みなぎる殺意で力任せに、かと思えば、好機をあえて外してくる。人体の仕組みも、剣術の定石も無視。ヴァンガードに学んだ戦い方にはなかった。
「よぉオイ、そのなよなよした剣!どんな馬鹿のを猿真似たんだァ?よほどのヘボにちげえねぇな!」
――取りあっちゃだめだ。
"見ざる聞かざる応えざる"が、悪心との対峙法だ。"戦士の分別"をぜんぶ話し損ねても、これだけは、と道中のヴィクトルは唸った。
『万一出遭えば、躊躇うな』
『ですが、それだと殺して……』
『忘れろ。分別の内に、使徒は数えん』
『……使徒かどうかが、わからなかったら?』
『常に戦いの自分を開け。第一撃を見逃すな。理不尽な殺意の有無で、奴らは容易に見分けられる』
教えに従い、致命を狙って二度振った。届かなかったのは、それさておいて。
『果ての魔物の対処を知ったな。使徒も同じだ。風貌に惑わされるな。人語を操っても、言葉と思うな、応じるな』
だからゼンは取りあわない。挑発に、全く取りあわない。弱すぎ、など、もってのほかで。たとえ、教えの親たちを悪く言われて、これほどなく腹が立とうとも。
――僕じゃたしかに、足りないかもしれない。それでも。
危険な戦いになる。ならばどうする、逃げるがいいか。逃げるがいいとも。そのはずだった、今日も野山にひとり生きるなら。
――僕が逃げれば、あの刃が誰かをまた殺す。
見過ごす訳にはいかなかった。迷いはなかった。ゼンは立ち上がっていた。握りを額へ。"疾風の構え"の切っ先は、立ち向かうべき脅威を外さない。
使徒がわらった。"雷の構え"をとった。弓を引き絞るよう、空手を前へ、握りを後ろへ。突きに優れた捨て身の構えだ。
――来る。
隙を許せば即死の一撃。刺突は先より、さらに加速して。
――まだッ!
見えた。"疾風"から"飛泉"へ、ゼンは派生させている。飛泉すなわち滝の如く、落とした刃で受け流す。鋼と鋼が火花を散らした。剣気と剣気が旋風を巻き起こした。刺突と防壁の激突、轟音。舞う土煙。ゆらり影。次なる一撃は――。
耐える。ゼンは耐える。約束があった。今日のゼンをゼンたらしめるのは、紛うことなく、約束の積み重ねだ。
『挫けそうなとき、忘れないでくれ。少年は、ひとりのときも、ひとりじゃない。かならず、俺らは駆けつける』
頼ることを今ひととき、少年は覚えている。ここで己が堪えたならば、いつか彼らは見つけてくれる。そのため最善を尽くす。つまり、勝てないのなら、負けないことだ。
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ヴァンガードが両の小脇からおろすのは、取り残された町の少年少女だ。よぎった予感は的中した。たまたま知った町であった。西部工房地帯の空き家を、遊び場とする子らがいたのだ。まさに思った一軒の、扉に爪をがりがりと鳴らす蛭頭を、二、三、弾き飛ばして容易、怯える子どもらを見つけ、なだめて容易、広場にて動転している親元に返すまで容易。
「敵襲ッー!」
折しも攻め入る蛭頭の群れを、ほぼ単身でことごとく蹴散らすのも、容易。
「大旦那!」
「大尉さん!ウチの誰かは戻ったかい――」
まだ、と知って、北へ引き返す。間もなく、サルヴァトレスとダルタニエンに出会う。避難民こそ連れていて。
「少年は?一人で行った!?」
悪心の空の下である。ざわつく胸が、石畳を踏み砕かせる。全力でいて、容易ではない。全力だからこそ、彼らの気を引いた。
――……しまった!隠し損ねたッ。
果ての魔物は狡猾だ。防壁も、防衛小隊もすり抜けたなら、それぞれ役目に潜伏していた。人の亡骸を「巣」へ持ち帰ろうと、路地裏を鼠のように徘徊する個体。ひとりでも多く殺すため、割れ窓から家屋に忍び込み、家主の帰りを待つ個体。はたまた水路の影に、ゴミ箱の裏に、軒の死角に。ときおり姿を見せ、町人や避難野営地を襲ったのは、あぶれたほんの一部に過ぎない。
ヴァンガードが刹那に見せた本気――まき散らした莫大な闘気は、彼らに役目を忘れさせた。"果ての世界"にとって重大な脅威が、まさに"穴"へと向かっている。と、認識させるのに十分だった。さながら閃光にあてられた黒虫、動転も狂乱に赤い影、飛び出し、はじめ一匹、ついで三匹、すぐ十匹、気づけばおびただしい数だ。洪水もかくや押し寄せている。
――クソッ!
先を阻まれる。無視はできない。殴り、蹴り飛ばし、引きちぎり、大男は真っ向突き進んだ。刃を要さぬ撫で斬りに、全力も全力。
「道を開けろぉぉぉッ!」
北通りを埋め尽くすことになる蛭頭の躯、かぞえて四百七十八。町に潜んでいたほぼ総勢になる。殲滅し尽くすのに、百数十秒。ヴァンガードにとって、はてしなく長かった。苦にもつかない程度の「処理」に、苦しめられる現実だ。刹那にも、戦士の命は潰えるもので、己がひとり孤立させているのは、義親を交わした少年なのだから。
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理不尽と暴力に、まみれた過去をもつ少年だ。こんにちの振る舞いに、狂気すら人は思うやもしれない。ゼン・イージスの話をしている。
泥中の蓮でさえ、咲く場所を選んで然るべきで、その少年は選ばなかった――選んだよ、と彼は言い張るだろうが――常軌を逸するほど真っすぐに、守るべきものを守りきる。危険を避けつくす性を抑えつけ、凶刃に立ちはだかれるのは、己が退けば傷つくかもしれない、大切ななにかれをおもう一条だ。夜に挫けず、春を迎えて、道をゆき、過酷なとくべつへ、更なる一歩を踏み出そうとしている。
ときに"星の理"を、いくつとなく明かそう。"説得力"に欠けるのを、この星は許さない。
ゼンは強さに「蓋」をされていた。少年が少年である限り、伸び悩みに直面して当然なのだ。なにせ現状で十二分、ちいさな体におおきな力。道理だと、人を納得させるのが難しいほどに。
"専ら一意に心を置けば、よろずが至りし専心級"。ゼンが閉じ込められている"位"だった。相応の技を身につけて、戦士としてながく生きるなら、もれなく誰しもいつかは成れる。だから少年もいて、なんとか許される。
より高みを目指すのに、肉体の成熟を待てず、抜け駆けを欲するのなら、静かにはとても生きられない。名声を得るべきだ。活躍を世に知らしめるべきだ。道場に押しかけ、格上とされる師範を破るべきだ。要は、認める心を増やすべきだ。
わがままにも、どれも好まないというなら、ヴァンガード・アーテルのしたとある提案は、これほどなく正解に近い。ここに、かの導き手が伝えた経験則がある。また、"星の理"だ。
死線をいくつも乗り越えて、戦士は己の"位"をのぼる。
重要なのは命のやり取り、その質と数である。重ねたならば人知れずでも、「蓋」をぶち破れる。
"雨の町"以来、ゼンにとって変わった実際に、ヴァンガードの稽古はあった。厳しくなった。剣を扱わなくなった――厳密には、扱えなくなった。覚悟を問われ、少年が頷いたからだ。加減のならない剣を置き、男は拳を振り抜いたのだ。専心級をとうに凌ぐべきちいさな戦士に、命を保障された鍛錬では不足だから。
"位"をのぼりつめた戦士は、大きな闘気を身に宿す。闘気のもたらす強靭性は、更なる死線を生き長らえさせる。
馬の襲歩に匹敵する脚は、瞬間、弾丸をも追い越すだろう。魔法理の炎では肌も煤けず、降り注ぐ矢も雨も大差がなくなる。見る"刹那"など凡人にとって全知も同然で、得物を振るわば軍勢もひとりでなぎ倒す。
おとぎ話や誇大ではない。類稀なる戦士の背中を、旅路に何度も見たはずだ。少年にはまだ、及ばぬ域で、わずか、踏み入りつつもある。
闘気を駆使して、肉体の強靭性を跳ね上げる。目には見えない力の話だ。実戦に即実践など易くはない。ゼンはやってのけた。稽古で秘訣を教わっていた。己になら為せると信じ、戦いの自分を保つこと。すなわち、集中、集中、集中だ。
二度の被撃をうまく耐え――しかし、"闘気"元来の弱点は補えなかった。すなわち鋼の刃であった。最高位の戦士ならば、あるいはともかく。ゼン少年では、まだ足りない。背後から脇を、ついにかすめた第二の刃に、物の理は従順だった。
「フィルデーッ!」
「ちィ、手ぇ出すなっダミアン!」
ゼンは己の失態をのろった。使徒もひとりと、どうして限られる。思い込みだ。あやまちだ。土防壁にこじあけられた穴のひとつから、水なき湖に躍り出たのもあやまちだ。防戦一方では"使徒の少年フィルデー"が勢いづくと考えて、攻めるそぶりをしたのもあやまちだ。
「俺が斬ってから殺せッ!おめぇーらもッ!」
フィルデーは戦いの手を止めて、噛みつかんばかり喚き散らした。この隙にゼンは、すべてを飲み込む必要があった。とくに、あらたな敵情を。
――剣士が三人、槍手が一人……。
最低限のしるしにとどめる。壁の裏側に控えていたのは。のっぺりとした仮面をつけた偉丈夫、ダミアン。禿頭の巨人。顔に痣のある女。以上が剣士。鼠のたぐいの五分咲きにして小人は、槍手。
傷の具合まで、じっくり確かめられたらよかった。服をまくるには、多勢を前に悠長すぎた。
――熱い。
熱いだけ。と、誤魔化した。集中、集中、集中だ。右の脇腹をまさぐりたい手で、ゼンは剣柄を握りなおす。戦場に、鎖帷子の着込みを忘れてしまった。ヴィクトルに怒られるかもしれない。
「もうそろぶちコロがすからよォっ!」
再開するのが命の取りあい。幸か不幸かまだ、一対一。あらたな使徒らは怒鳴られて、抜き身のやり場に戸惑うらしい。"ダミアン"のたった一突きの援護すら、フィルデーは疎んだのだ。彼らを「仲間」で括れるものなのか、ゼンはよくわからない。"悪心の使徒"について寄る辺とする教えが、警鐘を鳴らすばかり。
『わかったよ。"見ざる、聞かざる、応えざる"、だね……でも、聞きたくなくても、声は聞こえちゃう』
『鵜呑みにするな、ってことさ』
『常に裏を思え。挑発も、命乞いも、口にしようものなら策略だ』
油断ならない。あまりの四人は、観戦よろしく囲ってくる。いずれも戦士には瞬きの距離だ。
――やりづらい。
無論だ。剣が鳴るたび、傷は引き攣る。凌げていたフィルデーの一手一手が、苛烈さを増す。振り下ろし、振り下ろし、振り下ろすのに、力任せをやたらと好む。大振り後は隙に思えても、もれなく対応されてきた。反撃もじき、ままならなくなる。鍔迫り合いに発展していた。余力を振り絞って、足らない。弱っているのを見抜かれる。狙われたのは傷口。横蹴りが鋭かった。
「うぅっ!」
一面の泥に打ちつけられる。転げる受け身も苦しまぎれ、なかば、冷めない熱は激痛へ、不覚にも剣を取り落とす。
「はッはぁっ!」
にまりと、フィルデーはわらうのだろう。跳ねる泥の音に追撃を察しつつ、立ち上がるのが間にあわない。
――まだやれるッ、まだ……!
『火床奔る深紅の煌策』
薙ぎ払って牽制、火の粉が舞った。立ち上がっている。左に現したまま、右で短剣を引き抜いた。フランの贈り物である。あわせて一撃を、かろうじて受ける。
「ちょこざいがッ!」
刃に絡めた"煌策"だったが、でたらめな力で振り解かれる。硝子のように、深紅は砕けた。押し蹴りを、ついでにもらう。
「っ」
吹き飛ぶ。泥と苦痛にいくらまみれても、最後の武器をなくしていい理由にはならない。
――フランが守ってくれてる。
転がる勢いざまに、今度はうまく立ち上がれた。
――短剣……サルヴァにそのうち教わらなくちゃ。
窮地にゼンが思うのは、今日より明日の出来事だった。凪いでいる。なにも諦めてはいない。
「んーなちゃちい一振り、マジでやる気か?」
「……剣は剣だ」
尋常には断ち打ちならない――それでも――と、耐えるのだ。如何なる手段をもってしても、一瞬を、ときを、稼ぐのだ。
「心臓を突けばいい。刺しちがえるには、足りてるよ」
「死んどけ」
"雷"の凶刃が、大上段"烈火"に置きなおされる。足らない刃も"闘気"を貫く。フィルデーがそれを恐れたかなど、どうして知れよう。なんであろうが、ゼンにはよかった。今こそ、つよく信じるからだ。
湖底の泥が飛び散った。駆けだしたフィルデーに由来する。かたや土防壁の裂け目に、疾風が吹き抜けた。そちらは何に由来する?巻き起こすのに、弾丸もかくや、それは。人だ。戦士だ。
「よく耐えた」
騎士、ヴィクトル・サンドバーンだ。"烈火"の振り下ろしを、片手の握りで阻んでいる。悪心などは見向きもせずに、ゼンの脇腹の血を、ぎろり。唸り声である。
「剣はまだ執れるか」
手ぬかりを怒りはしなかった。
ずっとだ、ゼンは聴き澄ましていた。不利を重ねたのは、気配の探りを怠ったから。足りない実戦の、目前にとらわれすぎた。同じあやまちを、繰り返しはしない。だから捉えていた。石畳を蹴る戦士の靴音を。実際に訪れるそれが、見るまでどちらと知れずとも、今におおきな背中が、おおきな安心をもたらすのだ。頷いた。
「はいっ……」
「そうか」
なによりゼンは信じていた。己が敵わぬ相手でも、倒せる彼らは来てくれる。拳士と剣士、どちらが先でも、構わなかった。
「なんだ、コイツっ!?」
名実ともに間が抜けている。ようやく、といった体である。わなわなと震えるフィルデーは、刃を押しつけ、圧しつけて、ヴィクトルをぴくりとも動かせない。振り向き睨め返すその、ぎろり。は、悪心にだって恐ろしかろう。
「ダミアンッ!」
加勢を許す呼びかけだった。仮面の偉丈夫が泥を蹴った。ヴィクトルがフィルデーの剣を跳ね除けて、きっかけだ。
「お前の得物を拾いにゆくぞ」
「はいっ」
ゼンは脇腹をかばうから、だっと素早く走れない。一歩、一歩、と進む間に、使徒は二人がかりで襲いかかる。ヴィクトルが、難なくひとりで捌ききる。
「守護剣ッ!公国騎士かっ」
仮面が驚愕をくぐもらせた。隣を歩むヴィクトルに、ゼンはすべてを委ねている。敵に目もくれず、夢中でありつく、拾い上げる――剣さえあるなら……ッ。
「ちッ!オイっ、突っ立ってないで手伝えってのっ!弱ェガキから潰せッ!」
全てが動き出す。禿頭の巨人、痣のある女、槍の小人が加わり状況、二対五。二のうち一は手負いの一だ。少数が不利も甚だしい、窮してさぞ然るべきだ。ゼンだって、はじめ考えた。
――僕が足手まといじゃ、負ける……。
杞憂であった。二のうち一が、強大すぎた。刃の入り乱れる中で、ゼンの相手はせいぜい一振り。何なら、手隙に休めるまである。
「ぐぅッ!?」
仰け反ったのは仮面の偉丈夫だ。たたらを踏んで隙だらけ。ヴィクトルは払いを見舞えども、膂力に任せた剣筋ではなかった、疾うに他方を相手にしている。これがまた、続けざま圧倒的だった。こんな理不尽があって良いものか、守られるゼンが思うほどに。
みな、騎士と刃を交えた直後になる。巨人が、振り上げたままで固まった。女剣士は虚ろを見やり、切っ先をへなり落ち込ませた。槍手のみせた硬直は、たっぷり三つ数えられた。誰もかれもが隙だらけ、人形遊戯の人形なみだ。それぞれ、柄頭で打たれ、足を払われ、無視をされ、ようやく、我を取り戻す。いずれもいずれ復帰できてこそ、理解の追いつくツラではなかった。ゼンとて気持ちはさほど変わらない。自分の知った「剣」では、理屈をまるで見出せない。
――魔法だ。ヴィクトルは、魔法の剣技を使ってる。
やがて察した。答えを、誰か呟いたではないか。まさにおのれは「守られて」いる。
――ああ……"守護剣"?これが……。
ヴィクトルの本領は"必殺剣"にあらず。聞いて、にわかに信じ難かった。平野を掃討できる一閃がおまけなら、本気はどれほどおそろしい。しかし、なるほど。第三花"守護剣"。これは、おそろしい。おそろしいすら通り越し。
――ずるだ。強すぎる。
培ってきた戦いの常識が、何度目だろう、がらがら音を立て崩れゆく。多勢に無勢で、拮抗。否、優勢。形ばかり背を預かるのに、ゼンは必死であったから、演出するのはひとりの剣士。
――僕さえ、まともに、うごけたら……。
早々勝者は明らかだった。開く一方で癒えない傷を、いったい何度かばってくれた。ヴィクトルの背には目がついている。あわや、を救ってくれるのに、なにも剣ばかりを用いない。着込んだ鎖帷子や、まとった籠手で、敵方の刺突なり大上段なりを、ゆうゆう押しのけ叩きのけ、なかったことにしてしまう。当代、これは離れ業だ。
――ぜんぶ、みえてる。ヴィクトルには、すべて。
鎧を廃れさせたのは、"剣気"だ。戦場に、刃をふりかざす者達は、鋼で鋼を断つのが常識ゆえに、防具は所詮着飾りとわらう。現状をみれば、笑みも失せよう。何人が、さて事実を見極めている。使い手が「斬る」と意識せぬ方に、"剣気"はうまくはたらかない。鋼で鋼を凌ぐのみなら、物の理は忠実だ。戦場で、馬鹿げた話に聞こえるだろうが、刃の運びを読みきれるなら、今日びの鎧も命を守れる。
使徒らは相応、使い手のはずで、誰ひとりとして、貫けなかった。どんな刃でも及べなかった。ヴィクトルが、透徹者のひとりだからだ。かの騎士が戦に欠かさぬ鎧とは、夢見たおとぎ話の模倣ではない。戦うため、また守るため、持ち得るすべてを理詰めに講ずる、意志の力の顕現なのだ。
「……ふん」
戦況を整えきった頃合いに、息つき統べ手はわらうのだった。
「所詮は威を借る輩ども。素養もたかが知れている……」
使徒のうち四人が一斉に打ち入った。打ち入るべくよう、仕向けられている。万全なる迎撃の、招く結果は硬直、仰け反り、放心だ。自由を得た騎士の切っ先が、のこされた襤褸の少年をさし示す。
「救いようのない、最たるが貴様だ。弱いガキめ」
母語話者でなくば、ときに"含み"の理解を欠かす。かつてヴィクトルもそうだった。アメイジア標準語で「ガキ」は、「子ども」を言いつつ嘲りを含む。同道の教養人にそれとなく指摘されたなら、身近な少年少女に近頃用いず、いままた用いるその意図とはすなわち、挑発に、これほどなく適切な語選びだから。効果覿面とはこのことだ。
「はああああああっ!?」
ゼンを苦しめた凶刃も、ヴィクトルにとってはガキのそれ。激昂に任せた刺突、愚かである。
「なァっ!?」
使徒の少年の手首は落ちた。
主をなくした直剣が、湖底に突き立つやも刹那、選べたのはヴィクトルだけだった。
殺しきるのか、守りきるのか。
フィルデーを、ヴィクトルは押し蹴り飛ばした。刃では、うしろのゼンに加勢する。"仮面"の復帰がいち早かった。阻み阻まれ、間ができた。
「退くぞっ、フィルデー!」
「ああッ!?俺に指図すんなっ!」
力に伴う制約を、強者はしばし秘密にしている。今度の"仮面"は、騎士の刃でとまらない。守護剣技にも、なんらかの制約があるのだ、と、朦朧のさなか、ゼンは気がつく。傷の深さにまだ自覚がない。
"仮面"の指揮で、使徒らは包囲をあきらめた。湖の奥へ退くそぶり。フィルデーだけが抗った。
「ガキを殺せよ!虫の息だ!」「何をッ!わからんのか状況が!アレを――!」
続かない諍いだった。何故ならまさに。凄まじく轟音、ぶち破られたが魔防壁、くゆる土煙を肩幅で押しのけるのは、待ちに待たれた筋骨隆々。
「遅くなったっ!」
「まったくだ」
ヴァンガード・アーテル。大きな戦士だ、さもありなん。露骨にしたその莫大な闘気たるや、ただでさえの巨躯を、"星へと至る丘"をも凌がせて見せる。かさねてもっとだ、大きくなる。ゼンの負傷に瞠ったら、ふくらみ天も突き破る。瞬間、広がる支配域。もしも戦士の端くれなれば、この音なき音を聴けただろう、有れども不可視の重圧に身を沈めただろう。ぶわり、全身の毛を逆立たせる幾人かがいて、立つのがやっとのゼンもそのひとり。剣を湖底に突き立てて、眠気をこらえていたのであった。叩き起こされる。劇薬だった。
戦士は、戦士と出会ったならば、おおよそ互いの"位"を察せる。闘気を、"闘気"と知らずとも――ちょうど出で立ちの少年のように――無意識下で読み取るからだ。
大きく過ぎる闘気とは、あらゆる生物を萎縮させる。有るだけで、「危険を及ぼす何か」だと、本能に脅威を思わせて、はたまた「どこか癇に障る挑発」だと、要らぬ争いを招いたりもする。ゆえ、上品な強者ほど隠したがる。
作法のある大男であった。闘気を自在に操れる。平素隠しもする。加減してばらまき、忠告もする。ちょっと脅しが必要なとき、鋭い矢印をもたせたりする。
"殺気"は、実在する訳だ。「我が有らん限りを、貴様にぶつけてやる」伝えるために必要なのは、強烈な意志だけである。
お化けでも見た子どものように、使徒らは竦み上がったのだった。ゼンを目覚めさせたのは、ヴァンガードが溢れさせた殺気の、ほんの片鱗に過ぎない。
「アレを相手にはできん!」
「チッ、化け物が……」
悪心にすら言わしめる、ヴァンガード・アーテルとは何者だ。かの到来は最良に足らずも、最低限ならゆうゆうこなす。すべての使徒が湖の奥――北北西へと逃げ去って、ゼンはいよいよ危機を免れた。
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「ここは任せる」
言葉足らずに、ヴィクトルは含む――追跡は俺が、お前はゼンを――艶消し銀の肩当て越しに、ぎろりと挨拶。いまにも前へ。
「ヴィクトル!」
ヴァンガードは、真名を好んで口にはしない。悪しきに盗まれてはならないからだ。まして地獄の戸口のそばである。貴重な時間も割いている。だとしても、と切実性を訴える。それは仕草だ。傷痕まみれの手で、己の胸を二度たたいたら、騎士の心臓をさし示す。視線がまじわった。
――何かまだ、足りてないんじゃないか?
――ふん、余計な世話を……。
公国騎士の"徴"たる肩当てが、三叉の革帯を交差させる胸部で、何か、をおさめるべき空間をつくるのに、何も、おさめられてはいない。
――だが、そうだな。
騎士が行く。大男が踵を返す。両者とも"誓約"に背かぬために。
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致命傷をしぶとく生き延びるのは、優れた戦士の特権だ。腹をかちわられ、なおも剣が執れるなら、類稀なる意志の力の賜物だ。
「なんとなくね……さいしょに、来てくれるのは、ヴァンガードかなって、おもってた……」
「わるかった、約束に遅れて」
「ううん……」
責める意図など、ゼンはもたない、むしろ信頼の表明だ。わかるから、男はよけい心苦しい。走っている。全力だ。子どもを抱え、走っている。はらわたがあぶれないよう、大切に抱かねばならなかった。傍目に思うより、傷はひどかった。
「ねぇ。ヴィクトルは、僕に、おこってなかった……ちゃんと、たすけてくれた……」
「怒ってるワケないさ、言ったろ?もう平気だって」
「でも、きこみも、わすれたし……」
防具にうるさい戦士がいるなら、格下に不意を突かれるのを嫌う慎重派である。同格以上との戦いに、身を守れる鎧はそう多くない。
「使徒と、くちをきいたんだ……」
言いつけに素直な少年だった。
「そう……それでね、ヴィクトルもね、はなしてた。使徒を、ちょうはつして……」
「ああ、守護剣士はさ、相手を怒らせるのが得意なんだ。そっちの方が、強いからね」
「すごかったよ、つよかった……」
あいまいに笑って、ゼンは瞼を落としつつある。
「ゼン!ゼン!眠っちゃだめだ!お前はまだ戦ってる!」
「うん……」
闘気はなにも万能ではない。強く働かすには、明瞭な意識が欠かせない。
「なぁ、教えた通り、闘気を上手く扱えたな」
「うん……」
「今もやれてる、その調子だ。頑張れよ、もうすぐだ。頑張れよっ……」
非情に徹した稽古があった。拳を完全に「受ける」まで、少年ゼンはやってのけた。だから今がある。文字通りその血の努力の甲斐も、待ち受ける次第で水泡に帰す。
――頼む、頼む、頼む!あってくれよッ、治癒の神秘……!
ひた走る男はまだ知らない。ゼン・イージスの"巡り"は、どこまでも強い。かけがえのない戦士の資質を、ここに示そう。いかに良いかみあいを生涯、持てるかだ。幸運、と人は呼ぶ。




