45.騎士 上
五指の敬礼で向き合う時、髭の小男は兵士に帰った。
「おかえり、ティレルチノフ一等軍曹。こんな土地のこんな日に、よもや小銃歩兵とはね」
略式に、一時復役の手続きが終わって今、軍人には慣れた種類の喧騒が、広場に満ちている。よくない種類だ。不安にまみれて、人々は覆す術を持たない。立ち向かう、代わりの誰かが必要だった。
「軍には長く?」
コルゴッサ大尉が残された手隙の暇にまで語りかけるのは、階級を問わないよしみの気安さだと、下士官は汲みとっている。
「良くも悪くも、十年だ」
「素晴らしいな。所属は」
「第七十五陸歩兵連隊」
「"レンジャー"かっ!女王陛下のお巡り合わせと、貴君の奉仕に感謝する!」
五指の敬礼が再びあったのち、ふたりの軍人は別れる。仕事の時間だ。
「ケンジ!出してくれ!」
「屋根にご乗車の方々、くれぐれも安全ひもを手離さぬよう!」
"薄灰色"から黒い屋根まで、女子どもで埋まっていた。手間な"魔法の居間"開放をせずとも、そこらの荷台よりだいぶ乗せられる。ティレルチノフ夫妻が、小走りに後ろを守った。
「小銃を担いでえっさほいさに、よもや再会するとはな」
「現役を思い出すかい?」
ジニーリリーは、夫との出会いを懐古する。
「そうだな?正直、ちょいと面白い、なんて思ってる。お前とこうして走れるなんて」
「ふふふ、そうこなくっちゃ」
夫妻の和やかさは、町を覆う不穏さになど――悪心になど負けやしない。彼らには彼らだけの物語があって、"物語"とはあまねく、強さをもたらすものだ。
通りを南進する黒馬車は颯爽と、しかし、細心の注意を払う。両脇を家屋に囲まれて、上から下まで死角が多い。
「あっ、あれっ!」
御者席のフランが見張りをはたした。指さすのは、連なる軒の一角だ。
「今向かう!」と、ハウプトマン。
「進行方向二時!」イトーが補足する。
「見つけたよっ」
赤い影、目掛けジニーは射っている、白雲の矢がうつくしい。虹の光彩をまき散らし、縦横無尽に飛び回り、然るべき的へ炸裂した。
「ギャルウル!?」
「っ、とおりが悪そうさね……!」
標的健在。"蛭頭"は生物的強靭さと、"闘気"を――飛び道具、専ら矢と魔法に抵抗する、戦士相当の闘気を――備えている。貫く手立てをジニーは持てども、矢継ぎ早に、とはいかない。ともあれ、早撃ちなりの意義ならあった。動転させたのだ。ひっくり返って石畳をうつ、魔物は、びちゃあっ!と嫌な音がした。
「火の矢です!」
魔術師の心得として、フランは"呼びかけ"を欠かさない。友軍誤射を防ぐため、現わす何かれ申告するのだ。御者台から飛翔する"緋矢"は、馬車馬たちの耳をかすめて滑空、着弾。
「ロワアアア!」
「もう一回!」
二発目は横っ跳びに回避される。命中弾も、効果やいかに。
魔物は、なんと表せば適切だろう、そう、依然と元気いっぱいだ。
四つ脚で、家屋の壁面にはりついた。わしゃわしゃと、すばしっこく這い寄る奇怪さたるよ。じっくり観察するまでない。
不快そのもの。
避難民らが騒めいた。距離が縮むのに、喉がしまって身がすくむ、フランは次なる手がうてない。迎撃手段を、誰かが、講じなければならない。誰かが。
「頭下げてろぉ!」
バウ!と吼えた。ハウプトマンの散弾銃だ。
「ルゥア!?」
銃口から、吐き出されたのは散弾なるもの。具体、鉛の礫で九つそこら、鹿撃ち弾と呼ばれている。音速をまたぐ飛来物を、魔物とてそうそう見切れない。見舞われ、べちゃり!、それも落ちた。
「持っててくれ!」「わわっ」
二連発式の散弾銃は、少女の胸元にゆだねられる――刻印制御が有効だから、安全面に問題はない。
ハウプトマンは、前へ、をやめない。担いだ吊り紐をたぐりよせ、手もとに小銃を滑らせる。"蛭頭"が起き、唾をまき散らす。
「オアアアアッ!」
散弾は、"闘気"による距離減衰効果を著しく受け、せいぜい赤い肌を浅く穿っただけ。と、兵士は知っている。だからより強力な"物の理"で制圧すべく、底碪式を手に執ったのだ。ヴァンガードの銃だ。銃の引き金は、所有者にしか絞れないのが本来。さすれば、今は理の外。さだかに構え終えている。
轟く。
「ロゥッ」
初弾命中、的に跳ばせない。怯んでのけぞる人型なりに、胴部は急所のうちなのだ。
用心鉄を上げて戻して、薬室に次弾を送り込む。
身を屈めている。狙いは外さず、踏みしめ、前進。
轟く。
「グゥ!」
反撃はもう許さない。
薬室に次弾を送り込む。引き金を絞る。
轟く。
「ラァウ!」
かなり至近だ、三発目。
「グ、ウ、ウ……」
頃合いだろう、弱っている。
「嬢ちゃん銃をっ」「は、はいっ!」
並進していた御者台から、二連発式を受け取った。散弾実包の残装填数は一、赤い魔物は目前に一体。
「ケンジ、止まるな!」「わかりましたっ」
飛び道具が「飛べば飛ぶほど」、"闘気"は威力を減衰させる。接射であれば、どうか?弓矢ですら、"勇者"の肌を貫ける。弾丸では、どうか。
王国では知られている。
散弾の超至近射撃は、「化け物殺し」の文脈をなぞったとき、聖剣の一振りにも匹敵する。
散弾銃が吼えた。
蛭の頭が、ざくろに散った。
ハウプトマンは慌てない。手練れの小銃歩兵として揺るがない。
中折れ式の散弾銃に、手早く再装填をすませた――石畳をはねた空薬莢が、自己分解にとりかかる。魔物が、ふらりと倒れ込む。
少し待った。経験と照らし合わせて、頭をなくした人型へ、銃口をつきつけている。
確かに死んでいた。
駆け足。主と離ればなれになると、黒馬車の魔法はとけてしまう。馬達も慌ててしまっていけない。追いつく。後方の見張りは妻に任せる。御者台に散弾銃をたてかけ、もはや身の一部じみた胸の弾薬帯から、小銃にも再装填する。安否確認を兼ねていた。
「大事ないか、お前たち」
「ごめんなさいっ!私、動けなくって……」
「いいんだ、誰でもそういうもんだ」
馬車は速度を上げている。並走するのに、ハウプトマンは息を切らさない。手綱を握るだけのイトーが、ずっと疲れた気色だった。
「なるほど、これが……"実際遭わねば、味わえまい"」額をぬぐう。「流石でした、ハウプトマン」
「がははっ、おだてたってぇ何も出んぞ!それにな、俺のいい格好しぃは、弾のあってくれる間だけだ……」ハウプトマンは言われて気がつく、どこかあの日をなぞらえていた。「いまのでいい、お嬢さん。頼りにしてる」
「は、はいっ。がんばります!」
後ろに戻ると、ジニーリリーが笑っていた。堪えきれず、といったふうに。
「お嬢さん、だってさ、うふふ」
長耳の年はしるしで読めない。出会った日にも事情は同じ、今ではずっと年上の妻だ。
「おお?……そうだな!"さなか"で言ったが、よく気がついたな?」
「ほら、ヴァンがいっつも呼ぶじゃないのさ?」
「たしかに!わははっ」「ふふふ」
夫妻の和やかさにあてられて、避難民たちがわずかでも安らげばいい。黒馬車が南門へこぎつけるのに、あとの道程は無事にすんだ。
馬車主夫妻には、はじめてではない。あの日も、ふたりで立ち向かった。
『弾丸が尽きれば、俺はそれまでだ。頼りにしてるよ、お嬢さん』震える長耳に、かつて兵士は言った。暗い空の下だった。
『あなた、怖くはないの』咄嗟に出たのは長耳の言葉だった。兵士は、長耳の言葉がわかる特別な兵士だった。
『おっかないさ、当然』何度目だって慣れやしない。兵士に兵士をやめさせた、もっとも悪い戦いだった。
『ここは、あなたの故郷じゃないのに、どうして』長耳は、政治を訊きたい訳ではなかった。
『どうして?ううむ、どうしてだろうな?なんせ驚き続きの日だったからな、びっくりついでに、ワケまでどっかに落っことしてきたか……どうだ、見つからないか?鞄の中にでも』見つかるだろう、長耳が置き去りにして二度と戻らないはずの、母の形見の夢笛が。
『おかしな人ね、おかしな人……』その日はじめての顔を、長耳はみせた。
『はははっ、君は、笑ってた方がいいな!』髭面の兵士は、その日も豪快に笑ってみせた。ひとしきりして、『質問に答えるよ。どうして、の中身さ。簡単だ。誰かが立ち向かわなきゃ、誰かがえらい目に遭う。俺が働いて"えらい目"を避けられるんなら、俺が立ち向かった方が良い……やっぱり、おかしいかな?』戦士の美徳を、兵士は唱えた。信条であり、本心だった。
ハウプトマンは同じく答える。「怖くはないですか」と、誰かに訊かれるこれからに。
ジニーは今日び震えていない。"長耳の森"を離れるのに、許されるだけ腕を磨いた。先だって始終、夫のうしろで備えていた。
ふたりの軌跡は――物語は尽きない。彼らの強さの源泉であるから、とうぜんだ。
避難野営地に横付けして、黒馬車は住民を下ろしている。安全ひもを頼る荷台の屋根には、ちいさな子どももいた。ハウプトマンが降車を手伝う。
「ありがとう、おひげのおじさん!」
「おう!」
「まほうつかいの、お姉ちゃんも!」
己の活躍ぶりを思うと、フランの笑顔はぎこちない。ひかえめに手を振り見送るのだった。とっつきやすい見た目のせいか、似た声を何度もかけられる。それは誰かの息子、誰かの娘、誰かの妻、誰かの母親のものだ。
「……あの方たちのご家族は、まだ町の中、なんですよね」
「ああ」
状況は、"商隊"だけで動いていない。ほかと足並みをそろえるのに、引き返す順番を待った。
野営地のおもてを見渡してみる。当面の安全が、確保されているのだろう。しかし、だからこそ、穏やかではない。
陣地の構築が完了し、逆さの岩杭――土魔術製の鹿砦だ――が乱立する。王国軍兵士は、設営・防衛指揮と救護に配置されたほんの数人、あとはいかにもな戦士たちが居並ぶ。顔に傷あと、鋭い目つき、一般、"冒険者"と言えば、荒くれを指す。町中ですれ違い、肩ひじを触れあえば、どつきあいのひとつやふたつが彼らの常で、今ばかりは、つまらない見栄の張り合いを、どこかに捨て置いていた。物々しく得物を抜くのは、迫る危険に備えるためだ。睨みを利かすのは、何も見逃さないためだ。空気を張り詰めさせるのは、彼らのうちのどれほどかが、「これ」を経験してきたからだ。もれなくみな、有志の防衛隊として、ここにいる。
"商隊"の知った面もあった。
「よぉ」意外に渋い声である。顎を下げれば、彼とは目があう。「髭のあんた、無事だったね。くたばっちまってたら、立派なそれをつけ髭に頂戴するとこだった」
行きがけに、町の異変を知らせた小人だ。
「おお?ここにいる、ってこったぁそっち……わははっ、引けちまってた腰が良くなったらしいな!」
軽口はねぎらいの代わり。ふたりして笑った。旅人同士、名乗りあうほどの間柄でもない。旅人同士、語らずとも心情を知りあう。
旅人と町は、共生関係にあるものだ。とりわけ"統べ手無き土地"において、どちらか欠けば、単なる不自由ではすまない。この世に尽きない厄介に、いざとならば身も挺そう。大事を避けたい口ぶりだった小人の一行も現状、馬車と人手を提供している。ふるまいがすべてだ。
小人は、鼻がしらをこすった。
「ええ?どんな具合だい、中は」
「そうさな、お世辞にも良いたぁ言えん。が、なんもかんも諦めちまうには、だいぶん早い」
「そりゃいい、や、よかーないが。わかるだろ」
「ああ」
小人がまた、鼻がしらをこすった。緊張の仕草だと、ハウプトマンは読みとった。
「あんた、はじめてか」
「……こんな近くはな、はじめてだ。終わり際なら、まぁ知ってるよ」
知らずに済むなら知らずが良い。と、弧大陸でも言えるようになった当代。王国軍が、幅を利かせるようになったからだ。内外の摩擦から目を逸らし、願望までを込めたなら、王国が実現する小人のような旅人こそ、ふつう、であるべきだ。と、兵士に帰った男は思う。
災厄は、見てみぬ振りを通すほど悪くなる。"清涼なる湖畔の町"は近公国領。統治者には無からずも、駆けつけるなら公国の騎士が一番手で、かつてだった。今日び王国の足の速さを鑑みれば、事情は現に異なっている。更なる援軍もこれから、遠からず、過たず、訪れる。ただ。
――良くも悪くも……良くも悪くも、か。
商隊の馬車は、旅路で乗せてきた。あるいは公国の騎士。あるいは比肩する戦士。あるいは巡礼の少年少女。
ふつう、は、ふつうでない、との裏表。どちらか欠けば、どちらも有れない。今度は共生関係とさて、呼べるものだろうか。
――強いられるなら、ただの残酷だ。
だから表裏を、人は選べる。選べるはずで、生まれを"彼女"は選べたか。ハウプトマンはいつかの夕陽を思い出し、かっとなった出会いの晩を今こそ悔いた。
――俺は俺に正直でありたい。だが、期待を、押しつけるのだけは、あっちゃならん。
ハウプトマンは事実そうする。フラン・フラムネルに対してだ。他ならない彼女を、ここまで少女として扱ってきて、神子として扱ってこなかった。男の信仰を思えばまた、良くも悪くもだった。
――なんにせよ……。
男はどこまでも、一兵士である。
「よう、おい……」
「…………」
「なぁ!」
「…………」
「おいっ、髭のあんた!」
「おおうっ!?なんだっ」
「なんか妙だぞ!」
「何?」
ハウプトマンは、脛を蹴られて我に返る。眼下の小人が尖った耳をぴくり、ふるわせる。長耳種の横長に比べて、縦へわずかに鋭いそれだ。異音を聞き逃さないという点では、或る少年ほど鋭い。
町の門前だ、異変があったのは。ひらけた周辺、大陸道越し、遠目にうつる、先発で引き返す避難馬車の背中。耳利きがとらえたのは、御者の悲鳴、なのだろう。護衛までいて、ぜんぶ飲み込まれた。果ての魔物の大群に。
「敵ーっ!町の方ーっ!」
小人が叫んだ。ハウプトマンが駆け出した。防衛隊が鬨ぎ上がった。
「リリー!嬢ちゃんっ!援護だっ」
「あいよっ」「はい!」
「ハウプトッ、これを!」
「助かる!」
戦士なれば出陣の折、手に取る得物に付き物は、刃。兵士は違った――弾が尽きりゃ、俺はそれまでだ。
俊足たちが戦端を開く。圧倒的多数が、剣士。一割にも満たない"その他"、商隊の戦力や、まさにその内だ。
「火の矢ですっ!」
王国語で"呼びかけ"を発するフランは、魔術師だ。混戦で大きな術を自重せざるを得ない――でもっ!
「シャアアアッ!」
戦士らの死角を、その蛭頭は狙っていた。緋矢が穿つ、赤肌の胸部、胸部、胸部。「グウェッ!」急所にたたみかけ、なお倒せはせず、効果はあった。怯ませる、ひととき。矢の出所へ敵意が向き直る、ひととき。これだけあれば十分だ。"呼びかけ"で、戦士らは気がついてくれる。反転、一気にとびかかった。蛭頭が、数多の刃に貫かれた。
フランは深く息ついている――私にできること、私のできるだけ……っ!――魔術師の心得とは、集団戦の基本。火力を発揮できずとも、敵方の注意をひきつけ、仕事はできる。
共闘する冒険者たちは、みな反応が良い、目が良い、腕が良い。入り乱れても、即席の連携をこなす。大群をうまく堰き止めている。しかし。
「ギエエエエェェアアッ!」「うっ!?」
孤立し、動けねば、あっけない。金切り声に縛られた一人が、引き裂かれて倒れた。
「くそッ、死んだぞ!突っ走った若造が死んだ!」「ちっ、敵を何だと思ってやがる!」
戦訓とは、犠牲の上に共有される。人は叫ぶ。物語をなぞる。
「一人になるんじゃねぇ!」「"鎧"もねぇ分際だろうが!背を守りあえーっ」「数で囲め!」「英雄気取りの馬鹿から死ぬぞ!」
厄介を疎む者もいれば、厄介だと勇み立つ者もいる。血路を切り拓く強い戦士に憧れ、冒険者は"冒険者"になるものだ。物語が彼らを駆り立て、戦場へ誘う。実際、命と天秤にかけ続け、崇高な肩書きを戴くのは、ほんの一握り。
気にしない者もいる。己が、何たるかであるを。己の為せる最大限こそが、全てであるからと。
「まだ来るぞーっ!」
「取り逃がしたっ、取り逃がしたっ!」
「構うなっ、後ろでやる!」
ハウプトマンだ。戦闘集団をすり抜け疾駆する魔物へ、小銃の照準を、びたりと張り付けている。
轟く。轟く。轟く。
薬莢が舞った。蛭頭がすっ転び、泥をはねた。全弾が急所に命中している。二十メルは先、だいぶ距離がある、とどめは分担する。
「リリーッ!」
「ふっ!」
ジニーが射つ、それは光の奔流だ。じたばた喘ぐ赤肌は、上半身から消し飛んだ。
この"貫きの矢"は威力過剰ゆえ、普段使いをしない。"一息"を要するから、早撃ちにも適さない。持ち出すなら、強い闘気をまとった相手にだ。
「別の群れーっ!」知った小人がまた叫ぶ。「東の木柵ーっ!」
わらわら越えて来る。防衛隊はほとんど手一杯。一組ばかりの剣士らが、応ぜんと疾走しかける。真っ向ぶつかれば無事では済まず、みすみす逃せば野営地に被害が及ぶ。ここで、ひとりの魔術師が、手隙だった。味方に警告が必要だと、彼女は判断した。
「ジニーっ、大きな火を熾します!」「っ!みんな待ちなーっ!丸焦げになるよっ!」
フランは、"一息"――後衛術師にとってひとつの単位、基準、目安になる。息を、大きく吸って、大きく吐いて、この時間、はたして長いか短いか。剣士の間合いでは無論、"刹那"に敵うはずもなく。後衛の間合いでなら、何を実現できるか次第。
『焦熱燬然す螺旋の光鎚』
立ち昇るようにも、振り下ろされるようにも、"光槌"は見える。煌々とそびえ、あとには灰塵も何も残さない。気がつけば主戦場から四十メルはむこう、群れの影が消え失せている。防衛隊が湧いた。
「うおおっ!すごいぞこの嬢ちゃん!」「どこの"二つ名"だ!?」「術師を守れーっ!」「おおーッ!」
冒険者らの反応が物語るのは、どれだけの異質が実現されたかだ。"一息"のち大技までに、呪文の欠片も唱えない。ひときわの集中だけで事は為され、これは、ふつうと、だいぶ、かけ離れている。
フランは、為せる最大限を果たしたまで、のはずである。つまり魔術師の心得どおり、然るべきとき、存分に火力を発揮した。但し書くのなら、少女は、神子だった。
強い光が、みなを鼓舞したに違いない。防衛隊はその後、被害すくなに襲撃を抑えきる。
「……ダメそう、か」
御者も護衛も息絶えていた。最初に襲われた馬車を確認するのは、"治癒"を持つフランに代わって、ハウプトマンとジニーである。
「かわいそうに……巡りが悪かったねぇ」
凄惨だ、言わずもがな。割り当てられた順番ゆえ、同じ目に遭うのは、我らが黒馬車だったかもしれない。
戦闘の後処理で、一帯は慌ただしい。重傷者の後送、魔物の死骸の焼却処分、それから、あるかもしれない、次に備えて。不意とは、しばしこうして作られる。脅威は内側にはもう無い、などと。
夫妻は踵を返すところだった。しかし、たとえば誰か、荷台の下は覗いたか。たとえば誰か、ジニーリリーを気にかけているか――
「ギエェアッ!」「うおおッ!」「あんたっ!?」
夫たるハウプトマンがいなければ、躯がひとつ増えただろう。一匹、それで重大な脅威だ"蛭頭"、影に潜んで跳び出でて、長耳に爪つきたてようと刹那、兵士に阻まれる。
「ギアアアアアッ!」「ぐうううっ」
組みつくは果敢。無謀。蛮勇。正気の沙汰では再現なるまい。小銃は背に担いだままで、小男の筋骨隆々にせよ、あの大男ほど馬鹿げていない。いずれ待つのは敗北だけだ。重々承知が彼自身、以てなにもかも怯まなかった。もみくちゃに転げ、腰帯からすかさず引き抜くのは、装填済みの回転式拳銃。イトーが出がけに預けた一挺だ。のしかかられる。鋭利な爪が、喉元へ迫る。
「おおおおっ!」
強装弾で迎え撃つ、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。
「ウェエエエエッ!」
撃鉄を、叩きにたたいた五連発。轟くたび舞う魔物の唾は、ねばり、血反吐と化すのであった。しるしに秘める力とは、歴然と、必ずしも大小一致しない。大地に沈んでいた右ひじを、男は振り上げて打つ、銃口で打つ。腕づく押し返す、数秒の拮抗を実現した。
「さがってっ」
『火床奔る深紅の煌策』
フランが間に合った。
「グウェァァ……」
上下に灼き分かたれて、それはまだ動く。頭部に、"緋矢"を三つも突き立てられて、ようやく、動かなくなった。
「あんたっ、あんたったら!」腰を抜かしていたジニーが、這ってすがった。
「ハウプトっ、怪我を!?」フランは治癒の神秘を覚悟した。
「平気!平気だ!すりむいたのと、返り血だ!」
死骸を押しのけ、ハウプトマンはたしかめる。思ったよりも悪くなかった、左は爪をつかんだのだ。
「でもっ」「待て!」
血濡れたたなごころが、フランを制する。
「治る傷だ、取っときな嬢ちゃん。この空の下じゃ、もっと大事に必要になるかもしらん。な」
「……は、はい」
致命傷はない、たしかめ終わって。
「う、よかった、よかったよぉぉ」
思いはち切れさせるジニーがいた。どれほど長く生きたって、しゃくりあげる日があっていい。
「無茶っ、ムチャするんだからっ!」
「怪我はないか?」
「そりゃ、あんたでしょっ」
「わははっ、こいつぁいい勲章になる!お国に貰ったどんな勲章よりもいい」
「もう、おバカっ!このおバカっ!」
「おおう悪かった!悪かった。心配かけて……」
戦士たちがあたりから駆けつけても、夫妻はしばらく抱きあった。
強さ。その妥当性を、人は、物語から見出すものだから、きっと彼の話をせねばならない。
男の話だ。兵士の話だ。ハウプトマン・ティレルチノフの話だ。
銃を巧みに操り、果ての魔物に肝っ玉で立ち向かい、生身で対峙するのも辞さない、この男は、異例の"戦士"と呼べるだろう。なにせ剣士としては平々凡々、熟練級相当の腕前にして、王国軍特殊部隊"レンジャー"にいた。非常に特異である。どれほど特異か。熟練級以下は、部隊に彼、ひとりだけだった。どう、おかしいか。剣が出来ねばならないのか――ならない。剣より強い、銃が、あるのではないか――あってもだ。もし二つ名級に優れた魔術師では、いけないか――いけない。"レンジャー"には、なれない。"闘気"で十全、肉体を強く保てる、専心級相当の戦士でなければ、ふつうは、なれない。
だから、ハウプトマンは特別である。
アメイジア陸軍特殊作戦軍の傘下に、ハウプトマンの属した第七十五陸歩兵連隊は置かれている。通称"レンジャー"、その名の原義を"辺境の守り人"とする。当代この星、彼らの務めは多岐に渡るが、ひとつこれだと指し示すのなら、「あらゆる危機への緊急即応」。より配慮に富んだ物言いでなら、「災害時人命救助」だ。働きぶりと、求められる能力から、とりわけ軍人から多大な尊敬を得る。彼ら、選りすぐりの兵士、と表せばはやいか、易しすぎるか、ふつうでは、とてもいられない。
常人離れした身体能力が、まず常識になる。入隊選抜過程に待ち受けるのは、飢えと渇きに寝ずの行軍、泥と寒さの生存自活。助けてくれるのが、しばしの"闘気"だ。ハウプトマンは持たざる者で、しかし、純粋、鍛え抜いた自己をもって、困難を――幾百人もの候補者、それも専心級剣士が音をあげて、脱落してゆく過酷さを、まったく突破してみせた。
肉体の強さが全てではないと、事実で物語る。レンジャーは認めた。限界を越え、なにくそと、前へ、進む意志の力を、男は備えている。
――……"見たいものだけ見るな"。俺もなまったな。
救護用の天幕でハウプトマンを出迎えるのは、またまた、知った小人だった。
「妙ちくりんな杖と思ったぜ、ええ?でっかい声で吠えるんだね、てっぽーてな」
掌を手当てする折に言う。先の戦いでは短杖の攻勢術式から、今に治癒針の治療術までを使いこなす、支援術師である。慣れた手捌きにハウプトマンは感心し、訊けば、一等の技術があって頷ける前身だ。
「医学院に?それもドラッドネルトのたぁ、中々の出じゃないか」
「は、王国のに比べちゃっちゃあヤブもいいとこさ。留学するにゃ、ほれ、金がなくってね。いつのまにやら小銭稼ぎの毎日だ」
「護衛業か、花畑街道の」
「そりゃありつけるんなら万々歳の部類だね!なんたって実入りがいい!他なんか、どれもしょうもない……や、言ったら全ェん部、似たり寄ったりか。さぁて、いつまでこんな冒険者紛いやってんだらぁね、俺ぁ」
話し過ぎた、とは、苦い面持ちが述べる。ハウプトマンは、続きを選んだ。
「ふむ……ほれ、謡うじゃないか、なんだったかな?そう……"跳ォ~べ!獅子の子よ、獲れよ士師の栄えを。濃い霧を裂き、闇に火を灯し"――」
「"吼えろ!為せるが針とて前を見よ、針よ!貫く其らもまた騎士なり"……おお?へへへっ、ウチの言葉の勇み歌なんて、よぅく知ってるね」
包帯をまき終える頃には、小人は笑っていた。良い腕だ。傷はおそらく、すぐに塞がりきる。
「縫合糸は勝手に溶ける。とうぶん、汚水にひたすなよ……って、あんたにゃ"盾に騎士道"か」
「んなこたない!気をつけるよ。治療を、感謝する」
「あいよ、お大事に」
旅人同士ゆえ、これで終わりの関係だ。続くかもしれない仕事の邪魔にならぬよう、ハウプトマンは丸太椅子を早々立った。
「髭のあんた」
背を呼び止める小人は、最後まで名を名乗らず、聞きもしなかった。
「あんたぁ、アメイジアの騎士だね」
「がははっ、だいぶ恐れ多い。剣はからっきしだ」
「からっきし!なら、"空手の騎士"ってぇんだ」
「なんだいそりゃ」
「公国域の言い回しさ。あんたみたいな守手を言うんだよ」
肩書きに、ハウプトマンは執着したことがない。小人は、真剣な様子で問うた。
「どうして剣を執らなかった」
「わかるだろ?」
「まぁな。剣術ってな、チビにゃ優しかねぇ」
この星の常識だ。ふたりして肩をすくめて笑って、本当に最後だった。
大柄優位が剣の道。ハウプトマンは身をもって知っている。悟るのが早すぎたかどうか、今となっては知りようもない。レンジャー適性が危ぶまれたのも、最たる唯一に身長だった。今も昔も、"小さな大男"である。脱がずともあらわな、山盛りの力こぶをいくつとこさえて――弾丸尽きればそれまでだ。と、男は思っている。
「……今日だって、一日限りの復役さ。俺は、ただの兵士。分相応にな」
避難野営地を、すこしさまよう中、独りごちる。毛むくじゃらの胸に押された、透明塗料の一時復役印が、男を兵士に帰してくれている。レンジャーとしての信用が、あらゆる王国製火器の無制限使用を――刻印制御の無視を――許してくれている。
たいした、ただの兵士であった。
ハウプトマンに、広野を薙ぎ払う剣はない、魔物を爆ぜ飛ばす拳はない、飛来する弾丸を見極める目はない。けれど、レンジャーにいた。それも選抜射手の席にいた。射撃に長けた者だけが就ける、剣を必携としない役職だ。男は、剣を知らないが、男に、知らない銃はない。なにより今日、一発だって外したか。
レンジャーは国外活動にも備える。ひいて、現地戦力の教導と、共闘に備える。ゆえ複数言語に堪能だ。退役したとして、言葉を失うはずもない。
レンジャーは率先力、人心観察力に長ける。何故か。必要なときに、見ず知らずの誰かを奮い立たせ、手を取り合うためだ。正直者がこの能力を活かしたら、明るい未来だって生む。
戦う人のかたちには、千の呼び名があるものだから、ひとつこれと定めるのは難しい。ハウプトマンはきっと、兵士のままでいい。ただ。
いざ命の危機に、仲間を――大切を――守りに走れる人間を、人は"守手"と呼びたがる。其の守手が、力を持ち義務として仕事を全うするなら、人は"騎士"と呼びたがる――これらもまた、千の解釈の一に過ぎないが――背負う者たちは、"肩書き"の意味を何度も咀嚼する。
世人が考えるべきは。
命を賭して守らねばと、何人が、危険へ咄嗟に飛びつけるか。跳ね除けるのに十分な力を得るのと、はたしてどちらか容易いか。
騎士そして力には、剣が、不可欠で、常識だ。"光の騎士"こそが、騎士とは何たるか示す、この星の信仰からして、当然だ。
しかし、いる。"空手の騎士"はいる。剣なくして守る力を携えた人物は、現れる。現れた、その者を。
たとえば、その一兵士を。
守手と、騎士と。呼んでならない道理はあるか。
「魔術師さん、こっちにも火をもらえるかい!」
「はーいっ!」
「お……」
避難民のつどいの中に、兵士は見つけた。知った少女が駆けまわり、湿った薪に火種を配っている。芯の強い火を持つのが、彼女だ。
呼び止めるかを、男は迷った。理由は様々、立場の数だけある。一兵士として。見守る立場の大人として。"神子"を信仰する、人として。"空手の騎士"と、呼ばれた身として。
呼び止めないでいた。
結果。大きな気遣いは、些細なちがいも生まなかった。男が自身、思いもしないこの星の理を、ひとつ明らかにするのなら。
物語は伝播し、意志は波及する。
灯火は受け継がれる。
これからも。
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「ハウプト!」
「おう……嬢ちゃん」
フランがハウプトマンを見つけたのは、野営地の出入り口にて。
「どうでしたか、その……」
「ああ、すぐ回復する。いい医者に恵まれたんでな」
「そうですか、よかった……」
避難馬車の運行が、一時中断されている。道中、一定の安全確認がされるまでの措置だ。先の襲撃の規模を受け、悲観的な声もある。つまり、町は全滅したかもしれないと。
まさか。
"商隊"は、商隊の送り出した戦士らを信じている。過ぎらせもしない、悲観など。ともすれば、あとは何時、誰が迎えに行くかだ。
少女は兵士と、町門を見ている。空を見上げた。昼間にあるまじき暗さが忍び寄る。頭上はまだ深い曇りの範疇、しかし、人々は望まぬ夜を強いられつつある。
「私……火を、くばってました。ここでなにが、できるのかなって」
「ああ、見てたよ」
「見てたんですか!」
男は、やさしく微笑んだ。千の笑いを見せる髭面が、新たにとったそれを前に、どうしてだろう、フランは、機会だと思った。
「ハウプト、きいてもいいですか」
「……おう。俺に、答えられるもんならな」
腕組みを、ハウプトマンはといた。受け入れられたのだと、フランは感じた。
「怖くは、ないですか」
「おっかないさ、当然な」
「どうやったら、震えず立ち向かえますか」
「そりゃ……」
ハウプトマンの思ったところに、フランはとうにいなかった。彼女は、選んだあとなのだ。
「昔な、リリーにも言ったんだ」
戦士の美徳を、ハウプトマンはまた口にする。
「誰かが立ち向かわなきゃ、誰かがえらい目に遭う。俺が働いて"えらい目"を避けられるんなら、俺が立ち向かった方がいい……」本心だが、問いの答えとしては不足していると、男は気がついた。だから、付け加える。「そんでな、俺が竦んじまってる間に大切を損なうのは、ずっとずっとおっかない……ってな思ったら、いつだってよぅく、踏ん張れる」
どうして、ではなく、どうやって。が、求められていた。何を選べばいいかと、もしも少女が訊いたなら、兵士はうまく答えられなかった。
「よく、わかりました……ありがとう」フランは前を見据えている。はじまりの一節を、つぶやいた。「"我ら、今日の日も心命を賭して果ての悪心に立ち向かい、星を守る"……」
「……それは?」
汲むのはイトーだ。すこし前からそばにいた。
「聖国からの手紙に、あったんです」
辿りつき、先に待つのが、"悪心"のはずだった。はやくも今日、遭った。
「おばあさまは、悪心がなんなのかを、教えてくれませんでした。いえ……知らなかったんだと、思います。私、私たち、知らなかったんです。本当になにも」
全てに言えた。
火の神秘を、神子は巧みに操れる。操れるだけの鍛錬をした。衆目を驚かすほど大きな火を、何度だって熾せる。それから、何節もの"御言"を諳んじられる。
訳は、なにも知らないでいた。
使命と伝え聞き、使命と思い、ゆくばかり。無知の霧を払うのが"聖巡礼"の前進だとすれば、順調だ、今のところは。
「……不思議な、ありかたですよね」
「彼らが、ですか」
「はい」
生き物は、怒ればどれも恐ろしい。しかし、殺戮を本能とはしない。腹が膨れぬとき、生を脅かされたとき、他を殺す。窮地に潜めば、機を見て逃げる。
押し寄せ、奪って終わるのは。破れかぶれに刺しちがえるのは。まるで。
「"果ての魔物"は兵器だと、しばし例えられます。借りた言説ですが……有ると無いとでは、ちがいも出ましょうか」
醜悪が模す形は、人、いやらしい。不可解さが、不快さを後押しする。何故、に、人は答えを用意する。嫌悪を催すよう、彼らは創られた。
納得は、解決ばかりを生んでくれない。
立ち向かう誰かが、必要だ。覆せるだけ、大きな力を持った、誰かが。
「これの事なんですね、きっと。聖巡礼の試練って……」
神子の悟りに、否、と言えないのが、王国人らの信仰だ。積み重ねられる物語だ。
「斥候が帰ったぞ!」
「無事だ!広場はぜんぶ無事だった!」
あたりに響く歓声の色には、安堵が半分。あとには、恐れ。ただでさえ我先に、とは言い出し辛い空模様が手前。より酷いなにかが、深くでは待ち受ける。
見張りについていたジニーが、詳細を持ち帰る。さいしょは陽気だった。
「なんでもね、大男が暴れまわったおかげだってさ!うふふ、それも剣を持ってなかった、って言うじゃないかい。なんだか……」
「お迎えの馬車の再開は、すぐなんでしょうか」
「うん?すぐだと、思うけど。フラン……?」
目を見て、察するのには十分だった。次行けば、単なる避難支援ではすまないと。
「フランは。このまま防衛に、いてもらった方が、いいんじゃないかい、ねぇ?」
「リリー……」
「ほら、ここなら、ひらけてるもの。町中とちがって、火柱だってめいっぱい使えるし……」
「行かせてください」
はっきりと。
「私、やれます。強がりなんかじゃ、ありません」
戦う術なら持っている。旅のはじまりから、そうだった。さらに重ねて、培った。わずか、わずかに、されど確かに。足りぬとするなら、良くも悪くもの、機会。
「ずっと、守ってもらってきました。必要ないなら、私は行かない……でも、もうちがいます。ちがうと思うんです」
神子、使命、巡礼、試練。出遭った、悪心。
「守手のゼンが、あの空の下で戦っています。私だけ、行かない訳にはいきません」
闇を払いに、商隊の馬車が、先陣を切る。
火の神の村より出でし、火の神子フランを伴なって。




