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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:統べ手無き土地
44/106

44.遭遇


 路地裏にダチに、父親代わり。多くをまた得たあの町を、"雨の町"と、ゼンは胸のうち呼ぶことにした。

 旅つづき、たくさんの名を聞き過ごしてきた。目に焼きついた光景であれば、忘れたくとも忘れない。だから"雨の町"。

 以来、いろいろなものが、ちょっと変わった。つみかさなっても、ちょっとの変化だ。なにせ"商隊"はもとからやさしい。ほとんど変わらずいて、変わらないこともやさしさだった。

 故郷の思い出話がふえた。視線はまるくて、居心地よい。ジニーはとくべつで、おやすみのキスを欠かさない。

 もっとも気になる、あの人は?じっさいのところ、さぐりさぐりだ。


 しとしと雨は、ふったりやんだり。少年は御者台にいた。いまは灰色空模様でも、いつかは晴れ間をみせるだろう。じゃばらの(ほろ)と、ヴァンガードの親父くさい帽子が、どんなときでも味方だった。

「……要らん手間だ。王国語で事は足りよう」

 エウロピアの地も近いことだし、学ぶ言葉をふやすべきだろうか?と、ゼンは問うていて、(いら)える唸り声であった。ヴィクトルは手綱を握っている。

「こまりませんか」

「困らんな」

「公国の人たち、国のことばが、大切とききます」

「ああ」

「貴族と、商人……それに騎士だけが、外国語にくわしいのだと」

「……もっと先々を見据えるべきだ。でなくば順序を」もそもそと、ヴィクトルはつけくわえる。「時の浪費は選べ……若いうちなら猶更な」

 このとおり、さぐりさぐりは、お互い様だ。

 わからない?

 おもてだっては、わからないとも。

 不快でないが、視線は角ばる。ひょんな失敗をしでかして、また怒られたらどうしよう?ゼンはいまでこそ杞憂をしないが、"雨の町"から日を七つばか、おっかなびっくり(また)いだからだ。

 ヴィクトルは理不尽に怒ったりしない。もちろん、手だってあげやしない。

 ふたりきりで、お喋りだってまたできる。むしろ前よりよくしゃべる。けれど、親しさばかりか?よくわからない。

「ヴィクトルは、ふだんの口数すくなです。とても上手な王国語なのに」

「……人は好かんからな、俺の口利きを」

 自覚的な唸り声である。

「染みついた癖とは……左様」ふん。と、ヴィクトルは鼻で笑った。ご機嫌ナナメのそれとはちがった。「アレのダンコヨーテ語は妙だぞ」

 アレ、とはふたりの共通語だった。ヴァンガードである。

「どうです?」

「流暢なわり突飛な語選び……生来の話者にはおかしな調子。おのれの公用語も、ああかと思えてならん」とてつもなく鋭い目が、ゼンをとらえた。「わかるか、訛りが」

「ヴィクトルのは、むしろよいふうに、きこえます」

「……そうか」

「ふふ。ヴァンガードは、"さなか"もおもしろいですよ。お芝居の人みたいで」

「そうか」

 今一度の、ふん。が、ゼンには聞こえた。話題の切れ目であった。

 "分別"について、もう話してもよいころだった。

 ()()を生かすか殺すかだ。

 しこりはとつぜん消えたりしない。なかなか、たがいに触れられない。避けるだけ避けられたらいいが、不本意な遭遇とはあるものだ。せめて駆け足で勇むのに、間に合ってくれるのを祈ろう。


 ひとふんばりして、御者台ははずむ。ゆるやかな坂を、黒馬車は登り終えていた。のぞむだろう平原、そしてふたたびの大陸道。

「あ……町です?」

「そのようだ」

 ひとやすみする予定だった。聞こゆ"統べ手無き土地"も西部最大の町。

 "清涼なる湖畔の町"という。

 むこう一キロルそこら、さえぎるものは特になく、高々とした木柵外周がよく目についた。

 大陸道に近づくのだから、おのず往来も増すのであった。合流までの支道に、他所の馬車のおしりをさっそく見つける。黒馬車は、"時駆け"ならずも速いのだ。すいすいっと追いつけ、追い越すものかと、間近。

「……故障でしょうか?」

「む……」

 あんまり早くに追いついた。止まっているから道理であった。休憩であれば、せっかく町も見えている、門前であればタダですむのに。

「何事か?」

 ぶっきらぼうで言葉足らずだが、「困っているなら手を貸すが」の意だ。唸り声である。 

「おお、こいつが妙なモン見たってな」

 二輪の荷台のはたで、立ち話をする男がふたり。歓談、とはゆかないらしい。旅に厄介(トラブル)はつきものだ。黒馬車も車輪をとめている。

「妙?何を見た」

「ピカって光ったんだとよ」狸の二部咲き、剣士であった。連れの小人を親指でさした。

「町だね、町の方さ。そらもうピカっ!……いや、ぐわっ!ってな」「さっきとちがうじゃねーの!」「ぴったなのをやっと思いついたんだ!」

 どちらもヴィクトルのぎろりにとりあわない。胆力からして冒険者だろう。 

「どうせ雷だい」狸が言った。

「馬鹿、何べんも!あーな薄すぺらな雷雲があるか!」灰色模様ではあるが、一理あるようにゼンは思えた。「小人(フロン)様だぜ、こちとらよ!」

「わーったわーったて!」

 不自然な輝きを見たのだと、小人がゆずらないものだから、剣盾礫(じゃん)負けを斥候に出したという。冒険者らしい警戒心だ。

 祭事に花火とゆかぬなら穏やかではない。おおごとに下手な首を突っ込んで、何かれ失ってはたまらない。

「問題か」

 ハウプトマンは昼番だった。察しておもてに繰り出した。

泥濘(ぬかるみ)にでもはまったかい?」おまけにしては大きすぎた、ヴァンガードである。「や、無事そうだね」

 冒険者らは、さすがにちょっと気圧されつつも、親切に繰り返そうとした。ぴか!だの、ぐわ!だの、ともかく折しも、みなで見ていたことになる。

「あッ!」

 むこうの空をカッ!と染めるのは――沈む夕日の輝き方だ……――ゼンの感性である。

「ほれ見ろ!?ありゃ炎熱術式だぞ!」詳しいらしい、小人はくわえた。「魔導砲兵が町にいる!」

「砲兵ってお前、こんな土地に……」

 晴れ間にしては強烈すぎた。しとしと雨はやんでいても、よどんだ雲は失せていない。観察もそこそこのうち、炎の色は物悲しく失せた。

「大将?」

「……あり得るな」

 大人たちがする目配せの意味を、ゼンはこれから学ぶところだ。

「おおーい!」

 向こうから駆けて、一党の斥候の帰還だった。愛嬌のある狼頭で、声が届くとみては必死にうったえた。

「空が、町の空が――!」

「ああ!こっちも見てたー!」

「暗くなってる!かげってるぞ!」

 せわしなくなる。

「待とうか」「すぐ戻る」

 剣士の俊敏さでヴィクトルが失せて、ゼンは御者台においてきぼりだ。

「ヴァン、どういうこと?」

「……避けられたんなら、よかったけどね」

 知らずに済むなら、知らぬがいい。遭わずに死ねれば、この世は花だ。知った誰もが、口をそろえる。

 とある古代語を当代に引こう。

 "地獄"とは、想像上の場所だった。

 悪行を省みない魂が、死後に幽閉される場所。落ちれば、きびしい責め苦が待つという。

 さりとて"地獄"に、行って戻った人間はいない。誰かが目で見て確かめて、恐ろしさを伝えた訳でもない。

 想像上の場所であるから、然り。

 なにより。

 想像上の場所であるから、誰であっても引きあいに出せた。

 ちいさな子どもをさとすのに、"地獄はこわいところだよ"。

 悪人が格好つけるのに、"先に地獄で待ってるぜ"。

 同じ文句を、当代言えない。めったなことでは口にできない。


 "果ての悪心"があるからだ。"果ての世界"があるからだ。


 この()に地獄は実在する。

 行って戻った人がいる。恐ろしさを、目で見て伝えた人がいる。

 地の奥底へ通ずる()()()、得体のしれない"穴"のむこうだ。

 魂はどこへゆくのだろう?実際の如何はともかくとして、死後をおそれる人々は、身の振り方をかえりみる。 

 生者は安易に触れたがらない。あると教えるのも、子どもに憚る。"呼べば影がさす"、"噂をすれば悪心"だ。

 ひいて「世界」なる言葉すら、時と場合で避けられる。

 代替として「星」を用いる。王さえ従う聖なる恵みだ。命と力の象徴だ。

 "縁起"――王国の宗教概念だ――を信ずる人ならば、ましてこのあたり気にかける。

「おおごとでは済まんな、悪心とくれば」

 ハウプトマンは正視した。髭もじゃな口ではっきり告げた。そこにあるなら避けようはない。醜怪なあの世の片鱗を、いくばくか味わった戦士であった。

「ヴィーはほっときゃ一人で突っ込む。悪いが大将、俺も行くよ」

 あのヴァンガードがそなえていた。屈伸、伸脚、肩の柔軟。はたの一党を唖然とさせる。

「……まともか?アンタ」

 斥候の狼頭が、まもなく到着した。戦士らしく、息はだいぶととのっている。

「門の方、だいぶバタバタしてた。王国軍がたしかに来てる」

 市場とみえたが、ちがうらしい。即席の避難所なのだ。

「……陣容があやしいな」ハウプトマンは眉間をしかめた。

「ちゃっと手伝ってくるからさ、"商隊"はここらで待っててくれ」と、ヴァンガード。

「左様、貴殿の馬車には相応しくない」

 ヴィクトルが静かに戻っていた。戦装束だ。鎖帷子の着込みに、艶消し銀の脛当て、膝当て。左の籠手をいま着け終える。てなれた早着替えである。

「新婚の旅を穢してしまう」

 ハウプトマンは腕組みだ。

「言え、騎士(サー・)サンドバーン。これが人命に関わると」

「……悪心なればな」

「旅行は一時取りやめだ。リリーに悪いが、俺は今だけ兵士に戻る」

 少し待て、と大将は去った。

 大人たちのみなぎる意志に、ゼンはたずねる隙間を見つけられない。どのみち行くつもりであった。


 "魔法の居間(リビング)"は"薄灰色"のむこうがわだ。ヴィクトルは手短に伝えたのだろう、はりつめている。

「聞いたな?」

 越してのぞきこむ商隊長は、毅然と告げた。

「現時刻をもってこの馬車は、人命救助のために最大限運用される。

 予期せず重大な危険につっこむやもしれん。たいへん心苦しいが、承知しがたい者は、いっぺんここで降りてくれるか。誓って後で迎えに来よう――すまんな、リリー」

「いいんだ、あんたの馬車さ」

「だが旅は旅だ」

「今更さね?そっぽを向いて行けるなら、いい思い出は増えそうかい」

「それもそうだ」

「ふふふ」「ははは」

 夫妻が時間をつくるのに、誰も黒馬車を降りなかった。この馬車は、そういう馬車だ。


「待たせたな!乗ってけよ、戦士ども。万全は保てるだけ保て」

「甘えよう!」

 ヴァンガードとヴィクトルが、黒い屋根にて頼もしい。

「後ろはあたしらで見てるからねー!」「見てます!」

 ジニーとフランの声だ。誰かがあわてて裏から出てきた。

「ハウプト、まさか丸腰で?」「そうだな、しばらく頼めるか」

 御者を代わるイトーの拳銃は、れんこんみたいな弾倉である。

「やぁゼン君」

「うん、イトー」

 装填済みなのを、ゼンも確かめた。

「おいおいおい、女子ども連れで!?芝居じゃあるまいね!」

「持つ者の責務だ」

 ぶっきらぼうに、ヴィクトルは言った。小人の一党をよそ、"商隊"は前へ。

(てーかアレ何人乗せてんだ!?)

 遠く後ろできこえるものだから、くすりと、ゼンは肩の力がぬけた。




 ---




 門前に着く。過ぎた後ろに大陸道をまたいで、天幕がまさに打ちたった。王国兵らの手によって、みっつめ、よっつめ、更に、更に。町人らしい、数十人からたむろしており、有志冒険者に護衛されていた。

 適当な王国兵を捕まえて協力を申し出る。一も二もなく歓迎される。

「馬車一台から大助かりだ」

 門をくぐる。町の広場を目掛けて北上。避難活動が滞っているとの旨を、すれ違う自警団の馬車から聞く。何百人も住む町だ。

 町の中心へ向かうほど、空は不自然にかげっていった。遮る雲が厚くなったか?否だ。やがて気がつくかもしれない、色彩も心なし欠けてゆく。

「よほどデカいな」「ああ」

 大の戦士らは訳知り顔だ。

 気をしっかり保て、油断するな。住民を満載した避難馬車の、御者や護衛らが口をそろえた。

 広場に到着。あたり夕闇色で満ちている。イトーの懐中時計の針が示すのに、狂いがないなら昼前だ。

 石畳の六、七割を、住民が覆っている。騒々しくもかたや幸い、目立った混乱はない。守護するのは自警団、冒険者、王国兵からなる混成戦力。万全を期すなら、決して多くはない数だ。

 指揮官らしき人物を、ハウプトマンはただちに見つけた。 

「王国軍のコルゴッサだ!有志の避難馬車か!」階級章が大尉を語る。

「腕利きも乗せてるぞ!人手が要るのは!?」」

 人々のざわつきに負けじと、声もおのずから張り上がる。イトーが馬車を切り返す間に、ほか一行は下車、コルゴッサ大尉に状況を聞く。

「敵は手強い、防衛線の死角をついてくる!護衛なくして馬車は出せん!」曰く数未詳、潜伏場所不明。そのしるしとは。「油断するな!よほど腕利きでも……」

「きゃあっー!」「わああぁぁあ!?」

 東の人混みを、悲鳴が引き裂いた。

「ギィィァァァァアアア!!」

 混じっている、身の毛もよだつ金切り声だ。

「俺が!」

 ヴァンガードが消えている。ドン!と、石畳がはげた。のこった戦士らが余波をいなした。

 過ぎたる大男の影を、そうそう追えた者はいない。人混みの頭上を()うにまたいだ。自由落下を凌駕する、流星のような突撃だった。

「らぁっ!」

 血濡れた魔物が爆散するのに、大男はちっとも汚れない。石畳が大波を打ち、出遅れた兵士らが腰を抜かした。

 コルゴッサが目を疑うのには、ハウプトマンが微笑する。

「もっぺん訊こう、どこに人手が要る!」

 分担はすぐまとまった。御者はイトーが続行。護衛はハウプトマンに、ジニーとフラン。

「近づけないったら、あたしらさね!」「はいっ」

 女性陣は、荷台に安全ひもをとりつけにかかる。

「大尉?隙を見て復役印をもらえないか」ハウプトマンの入り用だった。

「退役兵か!心強いがね、あいにく肝心の()()が……」

「それがあるんだ。ヴァンガード!」

「すぐに出す!」

 戻りたてのヴァンガードは、そのまま"魔法の居間(リビング)"へ駆け込む。ハウプトマンはイトーに合図し、避難民の案内にかかる。

「あんたらもやり手なのか。あの大旦那ほど?」

 コルゴッサが顎をしゃくるのは、むしろ親切心と言えるだろう。"商隊"の戦士もとくに、小中大のとりあわせである。しるしだけみれば頼りない、子ども詐欺師風ふくよかときた。

「問題ない」

 割って、ヴィクトルは言い切るのだった。不愛想に真実を追求した。

「"穴"はどこに。北か?」

「ああ。だが聞いて何になる?下手な英雄願望は身を……」「私は……」

 得体のしれない剣呑な剣士が、首元にのぞかせるその"(しるし)"を、コルゴッサは認めたのである。

「公国騎士だ」

「これは、とんだご無礼を!」

 王国軍人が、咄嗟に"騎士の礼"をとる――何を見せたんだろう?――ことの重大さを、遠からずゼンは実感する。

 騎士は略式で応じるのだった。踵も鳴らさず、柄に手はやらない。右拳を胸にそえるだけだ。

「直ってくれ。状況の仔細を」

「はっ」

 それからの伝達は、形式的で素早かった。

 広場より北北西およそ八百メルに湖。現在は干上がっているそれを、さらに二キロル弱進めば"穴"はある。

「第一遭遇は」

「意図せずも、我が国の特務と一個分隊が。現在も付近で交戦中と思われます」

「大したものだ」

 本気で感心するらしい、ヴィクトルは何度も頷いた。うしろが間に合う訳であった。

「最新の動向は沿岸部の防衛小隊にお訊ねください。防壁維持に注力中です」

「分担を片付け次第合流しよう。最短を期すため戦力を抽出したいが」

「ご随意に」

「手薄になるぞ」

「踏ん張りどころでしょう。最前はもっと気がかりだ」

「ああ」

 ヴィクトルとコルゴッサは、戦士を集いに喧騒へ紛れた。

「ちぇ、焼きが回ったモンだぜ俺サマも」サルヴァトレスは嘆息ついた。「避けて通れた面倒をよ」

 男は(いくさ)を好まない。まして相手が相手であった、"()の為、人の為"?うすら寒い。

「なんだかんだで、ここにいます」

「それな?坊主もテキトーにしとけ」

 小中大で見張りのさなかだ。機会ならあった、降りる機会だ。ただの"料理人"であれば、とんずらするのが相応しかったか。あいにく立ち向かう術を、サルヴァトレスと呼ばれる彼は、それなり持ち合わせてしまう。理解者であり友人として、ダルタニエンが笑った。

「でもぉ、おっかなかったなぁ、あの魔物!ほうっといたら、"魔法の居間(リビング)"のお肉、ぜーんぶたべられちゃうかもぉ?」

「ん……そりゃ聞き捨てならねぇぞ!」方便も捨てたものではない。不器用な生き方には、相応の盾が不可欠なのだ。「気色の悪ィ化け物どもがよ、べろっべろヨダレ垂らしやがって!俺サマの領分に手ェ出してみろ!?かかってこいオラ、黙ってねぇぞ!」

 小芝居も白けないうちに、ヴァンガードがおもてに飛び出した。

「大将、これであるだけ全部だ!」手をやってむこうに叫ぶと、どこからともなく「おう!」と聞こえる。

「みんなも待たせたね」大腕は抱えていたものを、"薄灰色"に並べて置いた。底碪式の小銃に、八割埋まった弾帯に、中身のさびしい弾薬箱に。「ちょいと余分な探し物がさ」

「これって、肩当て?はじめてみた」

 剣士の防具に相違ない。革の三叉帯に、艶消し銀の左肩用。色をたどれば、主を察せる。八名そこらの戦士を率いてその人は、広場を発とうとする間際だった。

「おっと……ヴィー!おいヴィー!」肩当ては、少年の手から大男の手へ。今では高く放られる。「忘れもんだぞっ!」

 あるべきところへ輝きは、鈍いなり整然とおさまった。遠くともわかる。ぎろり、が返事だ。ふん、と空耳だってする。


 ――また会おう。


 口を動かすだけで答えて、かの剣士は東へ発った。

 ゼンも言うなら今だと思った。フランとはしばし別々になる。

「僕らも行ってくる」

「気をつけてくださいね、ゼン」

「うん、フランも」

 やろうと思えばなせてしまう、これが"商隊"の功罪だ。




 ---




 北北西の通りを、ゼンは駆けている。ダルタニエンとサルヴァトレスをともなう。道中、ヴァンガードだけ西に別れた。「すぐ合流する!岸より向こうは踏み入るな!」

 取り残された住民は、東と北に多いという。西側は工房地帯であり、避難の初動がはやかった。およそ無人だとコルゴッサは判じたが、ヴァンガードは依然気がかりにしたのだ。

「いますかー!誰か!」

 折をみてあたりに呼びかける。どんな応答もない。

「金切り声ばか聞くより良かァな」

 裏路地をのぞいた。締め切られた扉を叩いた。しんとしたものだ。

「いがいと安全、なのかなぁ……?」

 頷きたくなるのと裏腹に、不穏な気配は濃くなるばかり。ムッとするのは蒸すのと別で、一挙一動、身にのしかかる。空は一段と狭くなった、漆黒にちかい微妙な赤だ。夜空はこんなに不快でない。

 水たまりを蹴る。のびた魚が泥くさい。窓硝子がどこも砕けていた。植木鉢が土をぶちまけて、果物屋の棚も逆さまだ。もれなくみんな水浸し。湖の中身はひっくりかえったという。どんな力がなせるのだろう?

 よかれ小中大は怯えず進めた。取り残された誰かがいる。戦ってやまない人々がいる。

 まさしくみつけた、沿岸部である。そびえる土防壁のいただきを、炎がひらめき、終わったところだ。

 噂の防衛小隊だった。東西に散って四、五十名はくだらない。一段落を迎えたとみえ、魔物の死骸で点々と赤いなか、指示が飛び交い慌ただしい。

「君たちっ危ないぞ!」

 王国兵の制止に構うほど、小中大はおとなしくなかった。間に合わせるため、むしろ突っ込んだ。

「……グウェアアアアッ!」

 複数体いる。死んだふりだ。

 槍手が投擲で撃ち落とす。短剣使いは飛び蹴りにかかった。

「気をつけて!もっといます」

 ゼンは守護に専念している。負傷者につききりな術師の背中が、すっかり無防備であった。

 先の兵士がすぐさま号令、ほかのとどめにめいめいかかる。ひとまず手前は片付いた。

「こりゃー、たしかにアブね~ぜ?」

「おてつだいに、きたんだよ~」

「すまない、助かった!」

 話のわかる兵士であった。腕を見込んですぐ言った。

「東の教会、西に舟倉庫だ」

 逃げ遅れた住民たちは、頑丈な建物に立てこもっているという。

「どちらも相当数がいる。連れ帰るのが困難であれば、当面の安全確保を頼みたい。我々もすぐに戻る」

 湖の浅部には木柵が既存する。それを第二防壁に仕立てるのだと、防衛小隊は一時前進を宣言した。

「気ィつけろな坊主!」

「はい、ふたりも!」

 戦士が三人、行く手はふたつ。得意をはかって、少年がひとりになる。

 兵士が曰く"蛭頭"は、叫ばないとき、不気味なほど潜める。防衛小隊とて尽くしたが、沿岸部全域は補えなかった。忍び込まれた総数とはいかに。


 ――生き物だったら、見逃すもんか。


 ゼンは五感を研ぎ澄ましている。分担は東の教会だった。助けを待ち望む人々に、理不尽を退ける術はない。急いだとも。

 駆ける沿岸部も、いまや防壁沿いだ。教会の(なり)なら学んでいた。しるしの尖塔とほぼ同時、かんばしくない音をとらえた。


 ――人の声!だけど。


 おかしい。近づくにつれ、おとろえてゆく。

 この土地の人々の信仰は、水の神に捧げられるという。ゼンがとりつく教会の、おもての扉は重厚だった。

(――!―――――!)

 言語の垣根を、悲鳴は越える――魔物がもう中にっ?

 

 ――焦るな。まずは己を守れ。


 言いつけだって忘れていない。

「ウェグロオオオオ!」

「ハッ!」

 さっと後ろに跳び退いて、ゼンは一振り両断できた。一匹ばかりの"蛭頭"が、腰折れ屋根から降ってきたのだ。

 視界の端に転がって、躯になっても鳥肌が立つ。いまさらながら身が凍る。"刹那"を開いて、ゼンは立ち向かった。

『理屈じゃないよ。じっくり姿を見ちゃだめだ。ぼんやりと、必要なだけ、影を捉えるようにするんだ』

『敵は、あの手この手で戦士を陥れる。外見はその一環、しかし所詮はまやかしに過ぎん。屈するな。お前ならば斬れる』

 道中、教わったのである。ひとりであっても、ゼンはやれると確信できた。もう動ける。更なる脅威がないかを探って――僕は平気だ――教会の扉に手をかける。引く。

「ふっ……!」

 重たい。

 ゼンでそれなのは、襲撃に耐えるつくりだから。なのに。


 ――どうして泣くの。あの人は、あの子は……!


「《どうかお慈悲を!この子だけでも……!》」

 オンギャア、オンギャア!赤子の声だ。じれったい、時間が要った。それほど重たい扉であった。

「《どーしよっかな~?》」

「《ううううう》」

 くすくす笑い。すすり泣く女性。言葉がわからず、想像できない。どんな光景が広がっている?――うッ、この臭い……!――不吉すぎた。

「《……どうか、どうか!》」

「《あー、何べんもうっせぇ!》」

「《どうか、アっ……》」

 扉がやっと開け放たれて。


 少年は、少年を見た。


 襤褸をまとっている。(つるぎ)を薙ぎ払っている。黒い霧雨に浴している。

 いずれ幾晩も、ゼンはうなされる――彼女(フラン)の目に、僕はああしてうつってた。

「何してる!?」

「んー?」

 オンギャア、オンギャア!赤子は泣いた。襤褸の少年は振り向かない。跪く女性の胸元に、そっと刃をさし伸ばす。


 あってはならない静寂が、教会を満たした。


 ごとり、ごとり。

 やぶるのは母親の首であった。

 闘気が利く目に鮮やかになる。壁を、床を、絨毯を、乱雑に塗りたくる黒が、実際、どんな色なのか。

 いくつも転がり、かさなりあって、どうして彼らは物言わないのか。


 ただ中に。

 立っている。

 たったひとりの少年が。


 刃にしたたる血を振り払い、やっと向き合うそぶりをみせた。

 にたり。

「はっ!ガキのくせに剣もってんじゃーん!?おーもしろいモン、み~っけ」

 解せる言葉で、それは言った。

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