44.遭遇
路地裏にダチに、父親代わり。多くをまた得たあの町を、"雨の町"と、ゼンは胸のうち呼ぶことにした。
旅つづき、たくさんの名を聞き過ごしてきた。目に焼きついた光景であれば、忘れたくとも忘れない。だから"雨の町"。
以来、いろいろなものが、ちょっと変わった。つみかさなっても、ちょっとの変化だ。なにせ"商隊"はもとからやさしい。ほとんど変わらずいて、変わらないこともやさしさだった。
故郷の思い出話がふえた。視線はまるくて、居心地よい。ジニーはとくべつで、おやすみのキスを欠かさない。
もっとも気になる、あの人は?じっさいのところ、さぐりさぐりだ。
しとしと雨は、ふったりやんだり。少年は御者台にいた。いまは灰色空模様でも、いつかは晴れ間をみせるだろう。じゃばらの幌と、ヴァンガードの親父くさい帽子が、どんなときでも味方だった。
「……要らん手間だ。王国語で事は足りよう」
エウロピアの地も近いことだし、学ぶ言葉をふやすべきだろうか?と、ゼンは問うていて、応える唸り声であった。ヴィクトルは手綱を握っている。
「こまりませんか」
「困らんな」
「公国の人たち、国のことばが、大切とききます」
「ああ」
「貴族と、商人……それに騎士だけが、外国語にくわしいのだと」
「……もっと先々を見据えるべきだ。でなくば順序を」もそもそと、ヴィクトルはつけくわえる。「時の浪費は選べ……若いうちなら猶更な」
このとおり、さぐりさぐりは、お互い様だ。
わからない?
おもてだっては、わからないとも。
不快でないが、視線は角ばる。ひょんな失敗をしでかして、また怒られたらどうしよう?ゼンはいまでこそ杞憂をしないが、"雨の町"から日を七つばか、おっかなびっくり跨いだからだ。
ヴィクトルは理不尽に怒ったりしない。もちろん、手だってあげやしない。
ふたりきりで、お喋りだってまたできる。むしろ前よりよくしゃべる。けれど、親しさばかりか?よくわからない。
「ヴィクトルは、ふだんの口数すくなです。とても上手な王国語なのに」
「……人は好かんからな、俺の口利きを」
自覚的な唸り声である。
「染みついた癖とは……左様」ふん。と、ヴィクトルは鼻で笑った。ご機嫌ナナメのそれとはちがった。「アレのダンコヨーテ語は妙だぞ」
アレ、とはふたりの共通語だった。ヴァンガードである。
「どうです?」
「流暢なわり突飛な語選び……生来の話者にはおかしな調子。おのれの公用語も、ああかと思えてならん」とてつもなく鋭い目が、ゼンをとらえた。「わかるか、訛りが」
「ヴィクトルのは、むしろよいふうに、きこえます」
「……そうか」
「ふふ。ヴァンガードは、"さなか"もおもしろいですよ。お芝居の人みたいで」
「そうか」
今一度の、ふん。が、ゼンには聞こえた。話題の切れ目であった。
"分別"について、もう話してもよいころだった。
それを生かすか殺すかだ。
しこりはとつぜん消えたりしない。なかなか、たがいに触れられない。避けるだけ避けられたらいいが、不本意な遭遇とはあるものだ。せめて駆け足で勇むのに、間に合ってくれるのを祈ろう。
ひとふんばりして、御者台ははずむ。ゆるやかな坂を、黒馬車は登り終えていた。のぞむだろう平原、そしてふたたびの大陸道。
「あ……町です?」
「そのようだ」
ひとやすみする予定だった。聞こゆ"統べ手無き土地"も西部最大の町。
"清涼なる湖畔の町"という。
むこう一キロルそこら、さえぎるものは特になく、高々とした木柵外周がよく目についた。
大陸道に近づくのだから、おのず往来も増すのであった。合流までの支道に、他所の馬車のおしりをさっそく見つける。黒馬車は、"時駆け"ならずも速いのだ。すいすいっと追いつけ、追い越すものかと、間近。
「……故障でしょうか?」
「む……」
あんまり早くに追いついた。止まっているから道理であった。休憩であれば、せっかく町も見えている、門前であればタダですむのに。
「何事か?」
ぶっきらぼうで言葉足らずだが、「困っているなら手を貸すが」の意だ。唸り声である。
「おお、こいつが妙なモン見たってな」
二輪の荷台のはたで、立ち話をする男がふたり。歓談、とはゆかないらしい。旅に厄介はつきものだ。黒馬車も車輪をとめている。
「妙?何を見た」
「ピカって光ったんだとよ」狸の二部咲き、剣士であった。連れの小人を親指でさした。
「町だね、町の方さ。そらもうピカっ!……いや、ぐわっ!ってな」「さっきとちがうじゃねーの!」「ぴったなのをやっと思いついたんだ!」
どちらもヴィクトルのぎろりにとりあわない。胆力からして冒険者だろう。
「どうせ雷だい」狸が言った。
「馬鹿、何べんも!あーな薄すぺらな雷雲があるか!」灰色模様ではあるが、一理あるようにゼンは思えた。「小人様だぜ、こちとらよ!」
「わーったわーったて!」
不自然な輝きを見たのだと、小人がゆずらないものだから、剣盾礫負けを斥候に出したという。冒険者らしい警戒心だ。
祭事に花火とゆかぬなら穏やかではない。おおごとに下手な首を突っ込んで、何かれ失ってはたまらない。
「問題か」
ハウプトマンは昼番だった。察しておもてに繰り出した。
「泥濘にでもはまったかい?」おまけにしては大きすぎた、ヴァンガードである。「や、無事そうだね」
冒険者らは、さすがにちょっと気圧されつつも、親切に繰り返そうとした。ぴか!だの、ぐわ!だの、ともかく折しも、みなで見ていたことになる。
「あッ!」
むこうの空をカッ!と染めるのは――沈む夕日の輝き方だ……――ゼンの感性である。
「ほれ見ろ!?ありゃ炎熱術式だぞ!」詳しいらしい、小人はくわえた。「魔導砲兵が町にいる!」
「砲兵ってお前、こんな土地に……」
晴れ間にしては強烈すぎた。しとしと雨はやんでいても、よどんだ雲は失せていない。観察もそこそこのうち、炎の色は物悲しく失せた。
「大将?」
「……あり得るな」
大人たちがする目配せの意味を、ゼンはこれから学ぶところだ。
「おおーい!」
向こうから駆けて、一党の斥候の帰還だった。愛嬌のある狼頭で、声が届くとみては必死にうったえた。
「空が、町の空が――!」
「ああ!こっちも見てたー!」
「暗くなってる!かげってるぞ!」
せわしなくなる。
「待とうか」「すぐ戻る」
剣士の俊敏さでヴィクトルが失せて、ゼンは御者台においてきぼりだ。
「ヴァン、どういうこと?」
「……避けられたんなら、よかったけどね」
知らずに済むなら、知らぬがいい。遭わずに死ねれば、この世は花だ。知った誰もが、口をそろえる。
とある古代語を当代に引こう。
"地獄"とは、想像上の場所だった。
悪行を省みない魂が、死後に幽閉される場所。落ちれば、きびしい責め苦が待つという。
さりとて"地獄"に、行って戻った人間はいない。誰かが目で見て確かめて、恐ろしさを伝えた訳でもない。
想像上の場所であるから、然り。
なにより。
想像上の場所であるから、誰であっても引きあいに出せた。
ちいさな子どもをさとすのに、"地獄はこわいところだよ"。
悪人が格好つけるのに、"先に地獄で待ってるぜ"。
同じ文句を、当代言えない。めったなことでは口にできない。
"果ての悪心"があるからだ。"果ての世界"があるからだ。
この星に地獄は実在する。
行って戻った人がいる。恐ろしさを、目で見て伝えた人がいる。
地の奥底へ通ずるような、得体のしれない"穴"のむこうだ。
魂はどこへゆくのだろう?実際の如何はともかくとして、死後をおそれる人々は、身の振り方をかえりみる。
生者は安易に触れたがらない。あると教えるのも、子どもに憚る。"呼べば影がさす"、"噂をすれば悪心"だ。
ひいて「世界」なる言葉すら、時と場合で避けられる。
代替として「星」を用いる。王さえ従う聖なる恵みだ。命と力の象徴だ。
"縁起"――王国の宗教概念だ――を信ずる人ならば、ましてこのあたり気にかける。
「おおごとでは済まんな、悪心とくれば」
ハウプトマンは正視した。髭もじゃな口ではっきり告げた。そこにあるなら避けようはない。醜怪なあの世の片鱗を、いくばくか味わった戦士であった。
「ヴィーはほっときゃ一人で突っ込む。悪いが大将、俺も行くよ」
あのヴァンガードがそなえていた。屈伸、伸脚、肩の柔軟。はたの一党を唖然とさせる。
「……まともか?アンタ」
斥候の狼頭が、まもなく到着した。戦士らしく、息はだいぶととのっている。
「門の方、だいぶバタバタしてた。王国軍がたしかに来てる」
市場とみえたが、ちがうらしい。即席の避難所なのだ。
「……陣容があやしいな」ハウプトマンは眉間をしかめた。
「ちゃっと手伝ってくるからさ、"商隊"はここらで待っててくれ」と、ヴァンガード。
「左様、貴殿の馬車には相応しくない」
ヴィクトルが静かに戻っていた。戦装束だ。鎖帷子の着込みに、艶消し銀の脛当て、膝当て。左の籠手をいま着け終える。てなれた早着替えである。
「新婚の旅を穢してしまう」
ハウプトマンは腕組みだ。
「言え、騎士サンドバーン。これが人命に関わると」
「……悪心なればな」
「旅行は一時取りやめだ。リリーに悪いが、俺は今だけ兵士に戻る」
少し待て、と大将は去った。
大人たちのみなぎる意志に、ゼンはたずねる隙間を見つけられない。どのみち行くつもりであった。
"魔法の居間"は"薄灰色"のむこうがわだ。ヴィクトルは手短に伝えたのだろう、はりつめている。
「聞いたな?」
越してのぞきこむ商隊長は、毅然と告げた。
「現時刻をもってこの馬車は、人命救助のために最大限運用される。
予期せず重大な危険につっこむやもしれん。たいへん心苦しいが、承知しがたい者は、いっぺんここで降りてくれるか。誓って後で迎えに来よう――すまんな、リリー」
「いいんだ、あんたの馬車さ」
「だが旅は旅だ」
「今更さね?そっぽを向いて行けるなら、いい思い出は増えそうかい」
「それもそうだ」
「ふふふ」「ははは」
夫妻が時間をつくるのに、誰も黒馬車を降りなかった。この馬車は、そういう馬車だ。
「待たせたな!乗ってけよ、戦士ども。万全は保てるだけ保て」
「甘えよう!」
ヴァンガードとヴィクトルが、黒い屋根にて頼もしい。
「後ろはあたしらで見てるからねー!」「見てます!」
ジニーとフランの声だ。誰かがあわてて裏から出てきた。
「ハウプト、まさか丸腰で?」「そうだな、しばらく頼めるか」
御者を代わるイトーの拳銃は、れんこんみたいな弾倉である。
「やぁゼン君」
「うん、イトー」
装填済みなのを、ゼンも確かめた。
「おいおいおい、女子ども連れで!?芝居じゃあるまいね!」
「持つ者の責務だ」
ぶっきらぼうに、ヴィクトルは言った。小人の一党をよそ、"商隊"は前へ。
(てーかアレ何人乗せてんだ!?)
遠く後ろできこえるものだから、くすりと、ゼンは肩の力がぬけた。
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門前に着く。過ぎた後ろに大陸道をまたいで、天幕がまさに打ちたった。王国兵らの手によって、みっつめ、よっつめ、更に、更に。町人らしい、数十人からたむろしており、有志冒険者に護衛されていた。
適当な王国兵を捕まえて協力を申し出る。一も二もなく歓迎される。
「馬車一台から大助かりだ」
門をくぐる。町の広場を目掛けて北上。避難活動が滞っているとの旨を、すれ違う自警団の馬車から聞く。何百人も住む町だ。
町の中心へ向かうほど、空は不自然にかげっていった。遮る雲が厚くなったか?否だ。やがて気がつくかもしれない、色彩も心なし欠けてゆく。
「よほどデカいな」「ああ」
大の戦士らは訳知り顔だ。
気をしっかり保て、油断するな。住民を満載した避難馬車の、御者や護衛らが口をそろえた。
広場に到着。あたり夕闇色で満ちている。イトーの懐中時計の針が示すのに、狂いがないなら昼前だ。
石畳の六、七割を、住民が覆っている。騒々しくもかたや幸い、目立った混乱はない。守護するのは自警団、冒険者、王国兵からなる混成戦力。万全を期すなら、決して多くはない数だ。
指揮官らしき人物を、ハウプトマンはただちに見つけた。
「王国軍のコルゴッサだ!有志の避難馬車か!」階級章が大尉を語る。
「腕利きも乗せてるぞ!人手が要るのは!?」」
人々のざわつきに負けじと、声もおのずから張り上がる。イトーが馬車を切り返す間に、ほか一行は下車、コルゴッサ大尉に状況を聞く。
「敵は手強い、防衛線の死角をついてくる!護衛なくして馬車は出せん!」曰く数未詳、潜伏場所不明。そのしるしとは。「油断するな!よほど腕利きでも……」
「きゃあっー!」「わああぁぁあ!?」
東の人混みを、悲鳴が引き裂いた。
「ギィィァァァァアアア!!」
混じっている、身の毛もよだつ金切り声だ。
「俺が!」
ヴァンガードが消えている。ドン!と、石畳がはげた。のこった戦士らが余波をいなした。
過ぎたる大男の影を、そうそう追えた者はいない。人混みの頭上を疾うにまたいだ。自由落下を凌駕する、流星のような突撃だった。
「らぁっ!」
血濡れた魔物が爆散するのに、大男はちっとも汚れない。石畳が大波を打ち、出遅れた兵士らが腰を抜かした。
コルゴッサが目を疑うのには、ハウプトマンが微笑する。
「もっぺん訊こう、どこに人手が要る!」
分担はすぐまとまった。御者はイトーが続行。護衛はハウプトマンに、ジニーとフラン。
「近づけないったら、あたしらさね!」「はいっ」
女性陣は、荷台に安全ひもをとりつけにかかる。
「大尉?隙を見て復役印をもらえないか」ハウプトマンの入り用だった。
「退役兵か!心強いがね、あいにく肝心のモノが……」
「それがあるんだ。ヴァンガード!」
「すぐに出す!」
戻りたてのヴァンガードは、そのまま"魔法の居間"へ駆け込む。ハウプトマンはイトーに合図し、避難民の案内にかかる。
「あんたらもやり手なのか。あの大旦那ほど?」
コルゴッサが顎をしゃくるのは、むしろ親切心と言えるだろう。"商隊"の戦士もとくに、小中大のとりあわせである。しるしだけみれば頼りない、子ども詐欺師風ふくよかときた。
「問題ない」
割って、ヴィクトルは言い切るのだった。不愛想に真実を追求した。
「"穴"はどこに。北か?」
「ああ。だが聞いて何になる?下手な英雄願望は身を……」「私は……」
得体のしれない剣呑な剣士が、首元にのぞかせるその"徴"を、コルゴッサは認めたのである。
「公国騎士だ」
「これは、とんだご無礼を!」
王国軍人が、咄嗟に"騎士の礼"をとる――何を見せたんだろう?――ことの重大さを、遠からずゼンは実感する。
騎士は略式で応じるのだった。踵も鳴らさず、柄に手はやらない。右拳を胸にそえるだけだ。
「直ってくれ。状況の仔細を」
「はっ」
それからの伝達は、形式的で素早かった。
広場より北北西およそ八百メルに湖。現在は干上がっているそれを、さらに二キロル弱進めば"穴"はある。
「第一遭遇は」
「意図せずも、我が国の特務と一個分隊が。現在も付近で交戦中と思われます」
「大したものだ」
本気で感心するらしい、ヴィクトルは何度も頷いた。うしろが間に合う訳であった。
「最新の動向は沿岸部の防衛小隊にお訊ねください。防壁維持に注力中です」
「分担を片付け次第合流しよう。最短を期すため戦力を抽出したいが」
「ご随意に」
「手薄になるぞ」
「踏ん張りどころでしょう。最前はもっと気がかりだ」
「ああ」
ヴィクトルとコルゴッサは、戦士を集いに喧騒へ紛れた。
「ちぇ、焼きが回ったモンだぜ俺サマも」サルヴァトレスは嘆息ついた。「避けて通れた面倒をよ」
男は戦を好まない。まして相手が相手であった、"星の為、人の為"?うすら寒い。
「なんだかんだで、ここにいます」
「それな?坊主もテキトーにしとけ」
小中大で見張りのさなかだ。機会ならあった、降りる機会だ。ただの"料理人"であれば、とんずらするのが相応しかったか。あいにく立ち向かう術を、サルヴァトレスと呼ばれる彼は、それなり持ち合わせてしまう。理解者であり友人として、ダルタニエンが笑った。
「でもぉ、おっかなかったなぁ、あの魔物!ほうっといたら、"魔法の居間"のお肉、ぜーんぶたべられちゃうかもぉ?」
「ん……そりゃ聞き捨てならねぇぞ!」方便も捨てたものではない。不器用な生き方には、相応の盾が不可欠なのだ。「気色の悪ィ化け物どもがよ、べろっべろヨダレ垂らしやがって!俺サマの領分に手ェ出してみろ!?かかってこいオラ、黙ってねぇぞ!」
小芝居も白けないうちに、ヴァンガードがおもてに飛び出した。
「大将、これであるだけ全部だ!」手をやってむこうに叫ぶと、どこからともなく「おう!」と聞こえる。
「みんなも待たせたね」大腕は抱えていたものを、"薄灰色"に並べて置いた。底碪式の小銃に、八割埋まった弾帯に、中身のさびしい弾薬箱に。「ちょいと余分な探し物がさ」
「これって、肩当て?はじめてみた」
剣士の防具に相違ない。革の三叉帯に、艶消し銀の左肩用。色をたどれば、主を察せる。八名そこらの戦士を率いてその人は、広場を発とうとする間際だった。
「おっと……ヴィー!おいヴィー!」肩当ては、少年の手から大男の手へ。今では高く放られる。「忘れもんだぞっ!」
あるべきところへ輝きは、鈍いなり整然とおさまった。遠くともわかる。ぎろり、が返事だ。ふん、と空耳だってする。
――また会おう。
口を動かすだけで答えて、かの剣士は東へ発った。
ゼンも言うなら今だと思った。フランとはしばし別々になる。
「僕らも行ってくる」
「気をつけてくださいね、ゼン」
「うん、フランも」
やろうと思えばなせてしまう、これが"商隊"の功罪だ。
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北北西の通りを、ゼンは駆けている。ダルタニエンとサルヴァトレスをともなう。道中、ヴァンガードだけ西に別れた。「すぐ合流する!岸より向こうは踏み入るな!」
取り残された住民は、東と北に多いという。西側は工房地帯であり、避難の初動がはやかった。およそ無人だとコルゴッサは判じたが、ヴァンガードは依然気がかりにしたのだ。
「いますかー!誰か!」
折をみてあたりに呼びかける。どんな応答もない。
「金切り声ばか聞くより良かァな」
裏路地をのぞいた。締め切られた扉を叩いた。しんとしたものだ。
「いがいと安全、なのかなぁ……?」
頷きたくなるのと裏腹に、不穏な気配は濃くなるばかり。ムッとするのは蒸すのと別で、一挙一動、身にのしかかる。空は一段と狭くなった、漆黒にちかい微妙な赤だ。夜空はこんなに不快でない。
水たまりを蹴る。のびた魚が泥くさい。窓硝子がどこも砕けていた。植木鉢が土をぶちまけて、果物屋の棚も逆さまだ。もれなくみんな水浸し。湖の中身はひっくりかえったという。どんな力がなせるのだろう?
よかれ小中大は怯えず進めた。取り残された誰かがいる。戦ってやまない人々がいる。
まさしくみつけた、沿岸部である。そびえる土防壁のいただきを、炎がひらめき、終わったところだ。
噂の防衛小隊だった。東西に散って四、五十名はくだらない。一段落を迎えたとみえ、魔物の死骸で点々と赤いなか、指示が飛び交い慌ただしい。
「君たちっ危ないぞ!」
王国兵の制止に構うほど、小中大はおとなしくなかった。間に合わせるため、むしろ突っ込んだ。
「……グウェアアアアッ!」
複数体いる。死んだふりだ。
槍手が投擲で撃ち落とす。短剣使いは飛び蹴りにかかった。
「気をつけて!もっといます」
ゼンは守護に専念している。負傷者につききりな術師の背中が、すっかり無防備であった。
先の兵士がすぐさま号令、ほかのとどめにめいめいかかる。ひとまず手前は片付いた。
「こりゃー、たしかにアブね~ぜ?」
「おてつだいに、きたんだよ~」
「すまない、助かった!」
話のわかる兵士であった。腕を見込んですぐ言った。
「東の教会、西に舟倉庫だ」
逃げ遅れた住民たちは、頑丈な建物に立てこもっているという。
「どちらも相当数がいる。連れ帰るのが困難であれば、当面の安全確保を頼みたい。我々もすぐに戻る」
湖の浅部には木柵が既存する。それを第二防壁に仕立てるのだと、防衛小隊は一時前進を宣言した。
「気ィつけろな坊主!」
「はい、ふたりも!」
戦士が三人、行く手はふたつ。得意をはかって、少年がひとりになる。
兵士が曰く"蛭頭"は、叫ばないとき、不気味なほど潜める。防衛小隊とて尽くしたが、沿岸部全域は補えなかった。忍び込まれた総数とはいかに。
――生き物だったら、見逃すもんか。
ゼンは五感を研ぎ澄ましている。分担は東の教会だった。助けを待ち望む人々に、理不尽を退ける術はない。急いだとも。
駆ける沿岸部も、いまや防壁沿いだ。教会の形なら学んでいた。しるしの尖塔とほぼ同時、かんばしくない音をとらえた。
――人の声!だけど。
おかしい。近づくにつれ、おとろえてゆく。
この土地の人々の信仰は、水の神に捧げられるという。ゼンがとりつく教会の、おもての扉は重厚だった。
(――!―――――!)
言語の垣根を、悲鳴は越える――魔物がもう中にっ?
――焦るな。まずは己を守れ。
言いつけだって忘れていない。
「ウェグロオオオオ!」
「ハッ!」
さっと後ろに跳び退いて、ゼンは一振り両断できた。一匹ばかりの"蛭頭"が、腰折れ屋根から降ってきたのだ。
視界の端に転がって、躯になっても鳥肌が立つ。いまさらながら身が凍る。"刹那"を開いて、ゼンは立ち向かった。
『理屈じゃないよ。じっくり姿を見ちゃだめだ。ぼんやりと、必要なだけ、影を捉えるようにするんだ』
『敵は、あの手この手で戦士を陥れる。外見はその一環、しかし所詮はまやかしに過ぎん。屈するな。お前ならば斬れる』
道中、教わったのである。ひとりであっても、ゼンはやれると確信できた。もう動ける。更なる脅威がないかを探って――僕は平気だ――教会の扉に手をかける。引く。
「ふっ……!」
重たい。
ゼンでそれなのは、襲撃に耐えるつくりだから。なのに。
――どうして泣くの。あの人は、あの子は……!
「《どうかお慈悲を!この子だけでも……!》」
オンギャア、オンギャア!赤子の声だ。じれったい、時間が要った。それほど重たい扉であった。
「《どーしよっかな~?》」
「《ううううう》」
くすくす笑い。すすり泣く女性。言葉がわからず、想像できない。どんな光景が広がっている?――うッ、この臭い……!――不吉すぎた。
「《……どうか、どうか!》」
「《あー、何べんもうっせぇ!》」
「《どうか、アっ……》」
扉がやっと開け放たれて。
少年は、少年を見た。
襤褸をまとっている。剣を薙ぎ払っている。黒い霧雨に浴している。
いずれ幾晩も、ゼンはうなされる――彼女の目に、僕はああしてうつってた。
「何してる!?」
「んー?」
オンギャア、オンギャア!赤子は泣いた。襤褸の少年は振り向かない。跪く女性の胸元に、そっと刃をさし伸ばす。
あってはならない静寂が、教会を満たした。
ごとり、ごとり。
やぶるのは母親の首であった。
闘気が利く目に鮮やかになる。壁を、床を、絨毯を、乱雑に塗りたくる黒が、実際、どんな色なのか。
いくつも転がり、かさなりあって、どうして彼らは物言わないのか。
ただ中に。
立っている。
たったひとりの少年が。
刃にしたたる血を振り払い、やっと向き合うそぶりをみせた。
にたり。
「はっ!ガキのくせに剣もってんじゃーん!?おーもしろいモン、み~っけ」
解せる言葉で、それは言った。




