43.悪心の予兆
残酷描写有。以降注意書きなし。
誰かがそれをせねばならない。
「総員抜剣!」
シェリフマックの号令に、総勢九名の兵士が応じた。続々と抜剣、掲杖にかかる剣士七名・魔術師二名――標準的な一個分隊だ。戦闘陣形を展開するのに、敵影はまだ認めていない。認めるまでない。
「ドールラン大佐!これはっ」
仰ぐ空からしておかしい、とても正常な感覚だ。女性剣士の伍長であった。
世界が赤紫に反転してゆく。不自然な靄が遠景をつつむ。不快な湿度だ、ひたひたと、どこからともなく異様な臭気が、袖すそをぬって忍び込む。毛穴という毛穴を、ぞっとねぶられる。本能からして人は拒絶する。この先、進めば"死"があるぞ。
英雄は敵を熟知していた。
「"果ての悪心"だ!心してかかれ!」
それも大きい。はじめての者もいるだろう。
「規模等級三から四!通信手、ただちに回せ!」
誤算続きの王国軍だ。尻ぬぐいを、シェリフマックはよくこなす。"システム"とて模造であって、女王の妙技には程遠い。敵はおそらく学んでしまった。
――おびき出されたのだ、我々は……。
穴だ。
そこには穴があった。
干上がる湖底も、ほぼ中央なのだと思われる。見立て直径十メル前後、巨大な穴だ。目前にしてようやく気づけた。高度な欺瞞が施されていた。
――泣き言も究明も今でないな。
見つけたからには、戦うほかない。こちらを侵かせるほどの穴と。
それはおそろしく正円である。とめどなく黒い。この世の構成要素たる重大な何らかを、欠落させて無理くり通ずる。闇の奥底に何があるのか?誰だって理解したがらない。人であるなら誰でも持つのに、すなおに向き合うことができない。
――俺はやらねばならんさ、しかし。
弁えるから、シェリフマックは苦しい。分隊付きの支援術師が、支援魔法をばら撒き終えた。彼らにもこれを背負わせるのか。
「特務!波長が合いません!」
「ならば伝令走らせっ!即応要請をぬかるな!」
通信手は手順を遵守した。場を後にして駆けだすのに、軍用緑の塗装で四角い背嚢――通信装置を残置している。
「いや……総員通達ッ。撤退だ!」
シェリフマックの決断だった。道連れとするのは、あまりにしのびない。行動規定を満たすため、栓がないから伴としている、現地兵装の一般兵らだ。
がんとして誰も動かなかった。
「聞こえんのか!」
「はい、聞こえております!」
腕利きの一等軍曹が、青ざめたおもてで怒鳴りかえした。シェリフマックがさっと睨むのに、冷や汗ひとつ、ぎこちなく笑むだけだ。見渡すと皆がうなずいた。代弁なのだと受け取れた。
シェリフマックほどの英雄でさえ、"果ての悪心"はおそろしい。それは心臓に素手でふれてくる。うわっつら気丈に振舞ったとて、どうしてもいざ、膝が震える。
「そうか……」
時間切れだ。シェリフマックは刹那によぎらす。感動、救い、切なさ、決意――見合うだけの働きを、俺はせねばならん。
闇の深淵をせりあがるのは、おぞましき絶叫の一塊だ。
---
君らが嫌悪するものを、思いつくだけ思ってごらん。頭のなかから、さぁ取り出すよ。るつぼで煮詰めて、できあがり。
それが僕たち悪心だ。
ちょっとやさしいこともある。
煮詰める前にひとつまみ、目立ってヤなのを選りすぐる。適当にぐちゃぐちゃかき混ぜてみる。神様みたいにご機嫌だとも、生き物を工作してるんだから。
きまって異形ができあがる。
"果ての魔物"と君らは呼ぶね。
自信があるよ!チツジョがない。リクツに合わない。フカンゼンで、フケンゼンで。なのに。
ああ、あれってもとはヒトなんだ。
ついつい察せてしまうくらいの、ほどよい匙加減だって。
うん、ほんとはなんにも知らないよ。べつに狙ってなんかもない。なのにどうして、「嫌」なのをかき集めると、ヒトの形を成すんだろう?
わからない?わからないの?すこしは頭で考えた?
君らが嫌うものなんて、だいたい君らで産むんじゃないか。
"果ての魔物"は、人間っぽい。
人型の魔物は、ありえちゃいけない?おかしなの!こちらとそちらじゃコトワリが別でしょ……。
ごめん、そろそろ疲れてきた。せめて友達を紹介するよ。あ!気をつけて、彼は理不尽で暴力的だ。僕らっていい加減だから、境目なんかないけどさ。
人の躯と蛭がいい。
ちょうど近くに転がってら、頭のそげた死骸がさ。首がないんじゃ間抜けくさい、物だってそれじゃ食えないだろう。
バカでかい蛭をくれてやる。くっつけてろよ、血ィが吸えるだろ。
剣なんてよせ、どうせ死ぬ前から下手クソだ。とびきり鋭い爪ならやるよ。ひっかけ!突き刺せ!捕まえろ!
はっ、これじゃあ格好よすぎだ?どうだーっ、皮を全身ひん剥いてやった!
わッ、汚ったねぇ!ぼたぼたヨダレを垂らしやがって!てめーの肉まで美味そうかよ?ぐぐっとからだを柔らかくしてやる、これでどこでも食いつけよ!だけどよ、しゃぶんのは最後も最後だ。他のが全部くたばってからだ。
あーわかったか?きりきり働け!声ちいせぇぞ――うわぁ!今度はうるせぇな!くく、そんくらいでなきゃ面白かない。
ほれじゃあ行けよ!ギャーギャー騒げ!手当たり次第に喰い散らかせ!吸いつくした余りカスは、持って帰んのを忘れンな!ははは、はははは。
悪心は、そんな悪戯心で用意した。
「ギィィィィィィアアアァァァァ!」
"蛭頭"と、耳を聾せる金切り声を、嬉々と奏でるそれらを呼ぼう。
つかみどころのない闇に、爪を突きたて這い上がる。肌えを剥かれた人型で、ふつふつと湧く赤い影ども――深淵をのぞくシェリフマックが、はやくもみとめた光景だ。火力術師に手振りで合図し、穴のふちから跳び退いた。
『滅却せよマギヤの炎星!』
よくよく知られた締結句である。ドゥファスの遺した超高難度詠唱を、改良したのが当代"炎帝"。"王の杖"にして、魔導砲兵の父と呼ばれる。なにしろ分隊付きの火力術師をも、ちょっとの工夫の積み重ねで、"魔法使い"級に仕立て上げた。
顕現している、それは火弾だ。古典を慕えばメテオと表せる。不気味な空をおしのける、橙色の迫力で、降り注ぐのだけ緩慢だ。実体であれば、かくものろくない。簡便化の対価であった。しかし大きい。とかく巨きい。
上空五メル、四メル、三メル――シェリフマックの時計は正しい。赤い影どもが穴からこぼれる、はかってまさしく、いま弾着。
大爆風。
炎熱風がたけり狂った。最前線で受けて立つ、シェリフマックの外套の裾は、濃い青のままばたばた鳴った。爆心地から近すぎだ。時が時ではなかったら、至近爆撃の警告がなされた。
英雄だからものともしない。男は肌で感じたがった。これら熱波がすこしでも、瘴気を押し戻せればいい。
「冷却期間五分!」
火力術師が告げる、それが長いか短いか。火弾はいまだ効力発揮の途上にある。押し潰れるのに、時間を食うのだ。目視できずとも首尾は上々。金切り声がいくつも、いくつも、むこう側へと遠のいた。
士気にかかわる戦果であった。シェリフマックは胸で息をする。一帯をなめた火炎のうずが、やっとの趣きで晴れきった。
いっときの静寂。シェリフマックは拳をあげて、待てよ黙せよの指示をつらぬいた。
――侮るものか。
がっ、と境界線に突き立つ、いかにも凶悪な爪だった。四本一組で終わらない。
うかつに覗けば首が飛んだ。痺れをきらして、跳ね出る、躍り出る、"蛭頭"のもう大群だ。まだこれからが第一波、火弾を凌げた個体は多い。"果ての魔物"の闘気は強く、厄介なことに悪知恵がはたらく。
「ヴェエエェェェッアアアッッ!」
大柄の、まるで人である。蛭の頭部をぐにゃぐにゃしならせ、我が身に滴る血を振りまいて、四足で駆けるさま獣の如し。なのに思わせる、あれは人だ。
――まやかしだとも。
ととのった丸でおぞましい、吸盤口に敷き詰められた無数のぎざ歯まで、シェリフマックは直視できた。
とっくに両断されている、栄えあるはじめの一体だった。勢いのまま地面に転げる。右と左でわかたれてなお、耳障りな断末魔が出せた。のたうちまわり、やたらめったら泥を引っ搔き、それが生き物だとすれば――ようやく絶命を受け入れた。
「剣士三個一で各個撃破!術師の守護に注力しろ!」
「了解!」
采配しながら一振り二振り、仕留めた数はその三倍。シェリフマックにも楽でない。堅くて、しぶとい"尖兵"だ。頭部破壊で無力化できるが、即座ではない。支援魔法と戦術があるから、一般兵でも渡り合える。ぎりぎり、常識の範疇だ。
『棘に咲け茨の氷園!』
帯剣歩兵も魔術を使える。剣士の速さを、魔法理にも。"速攻詠唱"に運用思想は明らかだ。
氷の針が勢いよく交差した。泥から生えて、四、五本もある。腕ほど太くて、霜がうつくしい。魔物の行く手をいっときはばみ、砕け散るのに肉は貫けない。あくまで剣士の二の剣である。
『凍を制して氷と成す、傑、結するさま無垢なりし――棘に咲けよ、茨の氷園!』
時間稼ぎで上等だ、いまに術師が追いついた。浅くも穿てる今度のいばらを、"蛭頭"は、爪と怪力で抜け出そうとする。つまりは拘束できている。
「かかれ!」「おおっ!」「やっ!」
肉薄するのに、より確実を。剣士三人が囲んで突き刺す。さしかう棘と刃のさなか、"蛭頭"はじたばた暴れまわった。絶叫、絶叫。やっと息絶える。役目をはたして砕ける氷に、どちゃり、不快な脱力をした。
四人がかりでこれだけの手間。始末できたのは、ほんの一体。
――よい!よいのだ、それでっ!
かたや屠るのに、五十、六十はくだらない。シェリフマックはモノがちがった。それでいて兵らを侮りはしない。
効率よりも安全をとれ。教科書的で、手順通りで、まったく訓練の賜物なのだ。規格化された戦法だから、誰と誰でも再現できる。味方を死なさず敵はとる。言って実現できるなら、ふつうの兵士が相手どるのに、"悪心"というのは望外だ。
英雄が"英雄"たる所以であった。
シェリフマックが一振り薙いだ。触れないところで、"蛭頭"が裂けた。
――このっ、剣気の通らんことよ!
得られる結果は不満ばかりだ。どう力んでも、一振り致命は三匹程度。だからとて数を逃せない、最前のシェリフマックである。兵らのうつわがあふれないよう、振った、振った、振ったとも。足の踏み場がとうになかった。かまわずそれは押し寄せて、終わりというのを弁えない。しかも"蛭頭"どもは気まぐれときた。一散向かってくるかと思えば、脇をすり抜けようともする。わずかでも見切りを誤ってみよ、分隊は苦戦を強いられる。ひいて待つのが、何であるかなど。
――どうか保ってくれよ、気概を……!
長引くほどに不利になる、より気がかりなのは胆力だ。むこうであればこの比でないが、それにしたって、おぞましさである。わずかでも心に隙を許せば、身はすくむ、手足はとまる。倒せた敵にも、むざむざやられる。
慣れてみて、これほど喜ばしくない。シェリフマックさえ対峙して、もよおす吐き気をこらえている。理性一本で御せるものなら、心臓だって意志で止められる。
強さとは所詮かざりであった。"蛭頭"など、間抜けなくらいの見てくれのはずで、汚らわしいすばしっこさに、おどかしてくる死にぞこないに、意識の外だとぎょっとする。深くで根ざす忌避感なのだ。焦燥を煽ってきてやまない。戦うよりも、逃げなければ。
――ならぬ。
誰かがそれをせねばならない。シェリフマックはむしろ自信がなかった。だから心底ありがたくおもっている。残ってくれた、分隊八名。誰だって、通信手の役目をうらやんだはず。
――彼らにも、戦って守れる何かがあるのだ。
試されるのは"心威"であって、実力どうこうなぞ二の次だ。ともに戦う者がいる――この事実がよこしてくれるバフは、どんな支援魔法にも勝る。
『滅却せよマギヤの炎星!』
開戦から五分を意味していた。二度目の火弾が一帯を照らした。
「冷却期間五分!」
「バフ持続、同じく残り五分!」
爆炎を見越して、シェリフマックは戦線をひとつ下げている。いま着弾する炎熱だった。一息つく間はあるだろう。通信装置を拾い上げ、ツマミの調整を忘れない。咽頭マイクに不具合はない。後ろの中隊と交信が復活すれば、なんら支援を要請できる。
――能うなら我らこそ下がるべきだが……。
悪いばかりの現状ではない。なにしろ異形の化け物どもを、町へ逃さず済んでいる。ただしこれらは、シェリフマックが推測するに、ほんの"尖兵"にすぎないのだ。
――なにしろこんな大穴だ。
一定の支持を得た仮説がある。
この星に、"集団暴走"は何故あるか?――防衛機構の一種ではないか。
当代それは頻度を減らして、ひとたびの規模を増している。"果ての悪心"が送り込む、何らの脅威と拮抗できるほど。
真相はとまれ、どちらも天災。どんな英雄といえど、一筋縄では過ごせない。独り生き抜くだけならせめて。けれども、兵士たちまでは。
――まだか、第一波の沈静。
みすみす退けば、追手に包囲を許すだけ。ただ侵攻には「波」がある。連中は死を象徴するくせ、どこか生き物くさいのだ。
通信はまだ繋がらなかった。炎熱風が晴れる先に、シェリフマックはかけた。胸のむかつく焦げ臭さである。死んだふりをする生焼けの個体を、さっと処理した。
「……止んでくれた、か?」
これ幸いと言えたらいいが。
「みな良く耐えた!後退だ!」
金切り声は聞こえなかった。この期を逃せばバフの谷間、第二波にして苦戦は必至――後方の避難は順調か?通信手は伝達をはたしたか?陣地構築はなされただろうか――さまざま懸念事項とてあるが。
――分隊まるごと勲章ものだ。本当によくやってくれた。
"集団暴走"を生きたに等しい。シェリフマックには、特務大佐として責務があった。
「かかれ、かかれ!俺がしんがりだ!」
ひとり、ふたりと穴から背を向け、いざ撤退。
とは、ゆかないものだ。
「あーあーあーあー!かったりぃ~……」
どこからともなく響く声である。子どもらしさと、陰険さがあった。シェリフマックの理解ははやい。
――隠蔽結界、もう一重の……!?
みとめている。つぶてに打たれた水面のよう、穴の彼岸の景気が揺らぐ。
あらわれるのは、よごれた裸足に、襤褸の外套、はざまにのぞかすやせた腕。
少年だ。
たったひとりの少年だ。惨くも千切れた"四つ耳"をしるしとする。
可能性をよく受け取ったとして、それをふつうとみなすには、すべてがあまりに不可解すぎた。
「あのさぁ~?クソつまんねぇの、やめてくんない」
おそらくずっとそこで見ていた、彼を魔物は襲わずにいた。結界がため?
――まさか、まさかだ。
襲われずにいた、同族だからだ。当代称する。
――悪心の使徒。
深淵をなぞり、ゆるり少年は歩み寄る。活性化した大穴のそばで常人は、ああも正気でいられない。
「ザコはザコらしく死ねっての」
尋常ならざる狂気であった。いまいましそうに髪をかきむしる。あげたおもてはひきつっている。
少年がいる、とはもう思えない。
シェリフマックは記憶に新しい。ごく最近の仕事であった。出会って「剣士がいる」と思えた、見かけはたしかに少年だった。どちらもしるしは"しるし"に過ぎず、おかしな中身でかけ離れている。
私は、いかにもよこしまです。大した役者だ。洞察はもはや不要であった。
「大佐……?あれは民間人、なのですか」
分隊の誰かがつぶやいて、シェリフマックは我に返った。
「敵性存在だっ!構わうな、後退!」
「りょ、了解っ!」
「させるかよっ、バートリィ!」
少年が腕をはらうのに、シェリフマックは喉をつまらせる――何。
「な、なんだっ!?」「特務、影がっ、影が!」
誰しも捉えた、退路に湧き立つ影である。湖底を踏んで立ちはだかるのに、人型で、霞むなり実体を思わせる。
"影の傀儡"だ。
うつしとられた、つわものだ。おぼろになっても、しるしはしるし、二メル五十は優の"巨人"。剣を持つから、剣士と知れる。すらりと長くそった刃は、影と化しても見違えない、二目とみないあつらえだ。
影が動けば、ふちもたゆたう。刃を背中に負うかたち、"憤怒の構え"のあつかいが、手練れた熾烈剣士だと明かした。これまた特定できてしまう。
――五剣一槍も熾烈の座、バートリィ・アヴァカール……!
戦友だった。と、シェリフマックはくわえてよかろう。
「死ね、死ね、死んどけ!ザコども」
巨影がどっと踏み込むのに、シェリフマックは間に合った。分隊員らをかばうかたちで、割り込み、鍔競りあっている。
――"影"と化しても、これほどか……ッ!
"影"は影である。意志を持たない傀儡にすぎず、技はまことのその人に劣る。ただ、腕力に限ればわからない。
「むぅん!」
シェリフマックゆえ押し返せたのだ――負けん、単なる力比べなぞ!
「あ~。うざすぎ、マジで……」
「特務!」
「構うなっ、はやく退け!」
もう遅いやも、ということを、シェリフマックは察して言えない。
「そらッ、テメーら!いつまで寝てやがる!」
あたり散乱しているのは、黒焦げて、欠けた、"蛭頭"たち。少年がぐちゃりふみしだくまで、すべて死骸だと評価できていた。
「……グゥゥア、ロアアアアァァァッ!」
蘇りを錯覚するほどだ。
――……侮ったな。
伏兵、それも一方ならず。落ちかけた首、うがたれた胴、それで動くから際限しらずだ。かたやシェリフマックは"影"で忙しい。
「おおおっ!」
余儀なくかかる乱戦に、もはや戦法もへったくれもない。分隊はなんとかこなしてみせた。"蛭頭"どもは死に体で、せめて機敏さを失っていた。ひとたび、ふたたび、みたびまで、シェリフマックも巨人をおしのけ、援護の隙をみつくろった――この"影"、すわ決着とはままならんが……――ひとひら希望をよぎらせて――まだだ、いなせる……!
――オーイ、なんか忘れてね?
「……ぁッ!」
はじめの死者は、支援術師だった。胸からとびだす直剣である。慣れた手並みの少年がいた。襤褸のうちには剣柄のほか、ただならぬ悪意を秘めていた。
「あい、ザコ死亡。一匹目ぇ」
いよいよままならない。単なる一対多であれば、シェリフマックはどうとでもしたが。
――クソッ、なせるか!この俺に……っ!
シェリフマック・ドールランにも、不得意はある。
守る剣だ。
我が身なぞいい。そばの他人だ。己のそとを守り抜くには、とくべつな才が必要だ。長けた人々は、"騎士"とか呼ばれる。シェリフマックはそうでなかった。
影に頭をかち割られ、火力術師がつぎに死んだ。
女性伍長は泣きながら死んだ。半身にわかたれ息があるのを、少年はひぃひぃわらいころげた。
影と少年をなんとかたばねて、シェリフマックは相手取る。すると"蛭頭"がまた蘇る。死角をぬって跳びかかり、誰かの首を一噛みだ。
最後が一等軍曹だった。支援魔法には、設計上の制約がある。バフがある間は師範相当の腕前で、かなりもちこたえはしたが、無限につづくうつつではなかった。
あっけない。シェリフマックはひとりになった。
――俺が彼らを追いやった。
誰もかれも、ふつうの兵士であったのに。
――薄弱な意志で、みなを殺した……。
強い意志があってはじめて、人は悪心と渡り合える。シェリフマックなら、できてもよかった。たったひとりでも、なせるべきだった。
『聞こえんのか!』
『はい、聞こえております!』
時間だったら作れたはずでは。彼らの好意にあまんじた。心細いから、頷きかえした。
ぼてり。あしもとに転げ落ちるのは、少年が蹴とばした軍曹の首だ。うつろなひとみは意志を語れない。悪心は弄んでいる。
「……悪魔め」
「あぁ?」少年は、けだるそうにあごをつきだした。「アクマだァ?べつもんだっつーの!」
一対二、とみなしてよかろう。"蛭頭"はもう物の数でない。シェリフマックは巨人をおしのけ、跳び退いている。しきりなおしだ。
ひらく"刹那"にも、世界は侵食されてゆく。なまぬるい腐臭が肺にこべりつく。血色の空は、やがて暗黒に染まるだろう。ゆがんでふるえる遠景は、もとの在り方を思い出せるのか。不快な羽虫の音、湖底にうごめく蛆に蚯蚓――最後ふたつは錯覚だ。いまのところは。
ここはあの世にもっとも近しきところ、誰だって一秒を多く過ごしたくはない。
けれど信じた者たちがいた。英雄が、必ず邪悪を打ち倒す。
――たとえ、たったのひとりだろうと……。
付け込まれるのが、なにより危うい。激情に隷属するものか。シェリフマック・ドールランは、英雄だった。
過ぎたるはもはや青い影、シェリフマックが消えている。巨影にぶつかる、攻め立てている。泥と死骸が余波で吹き飛ぶ。遠慮会釈ない"剣気"の衝突に、刻まれずにすむ肉はない。ここに小さな影は突っ込めた。
――使徒の少年……"少年"、か。
突きを往なしたシェリフマックは、握りを蹴とばし柄を放棄させた。少年の方だ。復帰に二秒はかかる。
影の刃を受けるには、力より技がよく生きる。掬う、押して押す。刃もとで二度は弾き合った。これとて技だ、形がよかった。優勢のうちに刺しこんで――これで浅いかッ――生身の首ならとれたものを、影を斃すには足りていない。もう押しのけている。
猛然、斬り上げる少年だった。"長尾"で駆け寄る時合いが読めた。はやめの中段で勢いを殺せている。"手首落とし"も視野――欲張らない。
うしろをとるから妙な間があく。影が頭上におろす刃を、"地平の構え"でしのぎきる。少年の突きは慢心気味だ。ほんの半歩で躱してみせ、影を押し蹴る。吹き飛ばす。やみくもな払いで間合いを濁し、少年も乱暴に退いた。
「だるっ!お前」
不気味な手ごたえだった――いまのところは力任せだが……――技がないでもないらしい。巨影の方も悪しきことに、実物とさほどそん色ない。
ただでさえ、"刹那"がみえるし、撃を察せる、剣士と剣士の戦いは長い。一対二なら順当に不利。くわえては。
「ギィィィェェェオオオァァァァ!」
到達するまで秒読み開始、身の毛もよだつ絶叫である。第二波だ。それでも――やるさ……!――最悪、生き抜いてみせる。シェリフマックの可能性は勝つ。
「あー、もういい、もういい!あーきた!」
むしろ少年が付き合わなかった。おそらく高位の使徒なのだろう、さらす手札は、第二波よりも厄介である。
「代われ、ザガスティン」
更なる"影の傀儡"だ。
只人なりの長身で、剣を持つから剣士と知れる。霞むなり、胸部鎧がしるしであった。やはりかシェリフマックには、見覚えがあってしまう。
――消息不明と聞いたが、そうか……。
それも"影"なら、いくつも斬った。むこうでだ。こちらではない。せいぜい、大穴ひとつにつき一体。古い常識だ、と理解するほかない。
――せめてもだ。
"影"は影である、その人ではない。シェリフマックは憚らない。
戦況は拮抗した。
二体の影を往なしながら、"蛭頭"をさばいてさばく。さほど悪転しようもない、攻め手はたかだか四方なのだ。少年は遠まき、にやにやしていた。大挙してあまりある波の半分は、とうぜんのように町へとむかった。
――受けてたとう、既に術中というならば。
後ろの中隊を信じるべきだ。あの使徒を放っては下がれない。
"影"、それも強個体の複数使役。湖底に突如と現した大穴。
たくらみだ。
"穴"は針先ほどの大きさで生まれる。人の目のない暗がりで、時間をかけて徐々に育つ。ドンと大きくあいたりしない。なにより、水底には生成されない。
――だが現れた。
未曽有のたくらみだ。あっても精々、半メル級か。シェリフマックをはやまらせたのは経験だった。"システム"にせよ万事を知り尽くせたなら、こんな半端なマネをしない。"英雄"を、十人と言わず呼び寄せた。
誤算続きの王国軍だ。しかし、こぼれた血は身にかえらない。誰かがそれをせねばならない。尻ぬぐいである。良くも悪くも、シェリフマックは、ひとりだとして、英雄たる英雄であった。やろう、と思えば、とどきそうなだけ、適当な希望をみてしまう。
――むっ!
既知の新手も見逃さない。"目玉蝙蝠"とか呼ばれている。巨大なひとつ目を腹に抱えて、不器用に宙をかく紫の羽根。穴からそっと、一匹だけが、"蛭頭"にまじって飛びたった。
最優先をいっとき更新。あれにとられて"影"は成るのだ。
「ふっ!」
身を翻してシェリフマックは、影らの剣域を離脱した。目標を再補足。はやくも頭上十メルほどになる――間に合えッ――剣気を振りまき、からくも消し飛ばす。距離減衰の懸念があって、渾身の一撃を強いられた。
――サイコーだよな、イキった剣士のどタマぶち抜くの!
「!」
シェリフマックは、わかる剣士だ。耳目を介さず、より確実に。殺気がうんぬん、頼らずに。
飛翔するそれは、音より速い。
ひとつ行えば、ひとつ隙になる。連なるのだから一撃のうちだ。上げておろしざま背面へ薙ぐ。ひぃん!と、刃は爽快に鳴った。遅れて鈍い破裂音が、湖底のしじまにとどろいた。静けさというのは、なにも波がもよおすはざまを言わない。
「はぁ!?」
シェリフマックとて驚愕である。むろん少年に目をやった。"影"をまたいだ安全圏で、彼は片手で照準している。
――銃だと!?馬鹿な!
単発式の大口径拳銃。王国製の"刻印"が、薄暗がりにほの青い。模造品でない、真品だ。
――ありえんッ!
それがありえてしまうのだ、今にはじまる話でなかった。ただちに迫る"巨人"と"鎧"に、シェリフマックは再戦している。
「ちッ……まぐれがよ」
少年の憤り方だった。なるほど「まぐれ」だ、未来予知でもないかぎり、人が銃弾を捌く術はない。"星の理"も語りかける。なんぴとも、確実な未来を知ることはできない。
より厳密に改めよう。
なんぴとも、確定した未来を口にはできない。どれほどだろう、制約のもと、抜け道をゆく人々ならいる。
――……いよいよもって退くべきか。
シェリフマックに知れるのは、刹那のそばの危険だった。ずっとおおきな尺度のむこうで、なにが蠢くかはわからない。
――悪心の使徒が引き金を……王国外の、それも子どもで。
ありえない。に、ぶつかり通しで、目にしているのが現実だった。中折れ式の拳銃に、少年は弾丸を込め直している。思惑が交錯する。
――ひきつけとけ!次はぜってぇ当てる。
――銃の奪取。この一点だけは!
シェリフマックはあらためている。銃の回収、影の処理、使徒の拘束、後方の援護、すべて為そうとはもう思わない。
穴が遠のけば"影"は弱まる。戦線をさげつつ、使徒をさそった。やはり射程にとらわれている。当面は"影"を相手どる。
――右、右、左。右、そらきた、左……!
知った弱みにつけこんで、はやくも"鎧"の利き腕をとった。束の間に"蛭頭"を除けて、"巨人"と三つ打ち鳴らす。うまくかためた。また"蛭頭"を除け、"巨人"と押し合う。じきに"鎧"が復帰する。
――見ているな!
シェリフマックはドン!と消えた。"蛭頭"の波のなか降り立って、たちまち五つ薙ぐ。むくろの山だ。"影"たちからは距離ができている。直前までいた空間を、弾丸がいま、むなしく過ぎた。
「お前、きもすぎいいいいい!」
流れ弾は、そこら"蛭頭"で血煙をたてる。
――あと何発だ?さほど多くはなかろうが……。
おもちゃにお熱な今が勝負だ。穴からまもなく五十メル、うまく後退できている――あるいは、次の再装填で……!――逆襲し、銃を奪取する。それだけすっかりはたせてもいい。明らかに、シェリフマックの優勢だった。
「ああああ、まじムカつく!ムカつく!チョーシこきやがって!」
"蛭頭"を薙ぐ。利き腕落ちの"鎧"なら、片手の握りでも御しやすい。ながらに"巨人"の剣を一歩、二歩で避け、掌打と足掛けで転倒させる。"鎧"を押しのけ、"蛭頭"を断つ。
少年が狙いを定めている。射線は通らない。
"鎧"は突きだ。腰がくだけたままの"巨人"は、焦ったような足払い。わずかに跳ねてよけ、"鎧"をかためてかえす。"巨人"を足蹴に、"蛭頭"を断つ、断つ、断つ、断つ――。
『特務!ここは我らにお任せを!』
断つ。うつろな瞳と目があった。"蛭頭"がくわえていたものだった。とうとつな思考が、シェリフマックの脳裏を埋めつくす。
――"英雄"として三十余年、そばでは誰も死なせなかった。
――どうして帰さなかったのか。ふつうの兵士らだと、知っていたのに。
――ここやもしれんな、俺の死に場所とは……。
ないものをあるとしてしまう、それは魔法のようなものである。そば道を懸命にゆく人に、ない道筋もけしかける。
ここは"悪心"の傍だった。
端から公平な勝負はない。シェリフマックなら、もしや返せた。ただしどこまでも、ひとりきりで、"悪しき縁起"とは曲がらないものだ。
ゆきてかえりし、その道に、穴のふちみて独り活てば、其は――"勇者"か"光の騎士"である。
シェリフマックは、どちらでもない。ただ英雄たる英雄であった。
抑圧されなお無意識で、すべての脅威と渡り合う。
"巨人"と"鎧"を押し返す。"蛭頭"を断つ。"蝙蝠"を裂く。弾丸をはじく。
逆襲のときこそ逃したが、この男がどれだけおかしな男か、理解するのに不足はないはず。
肩書きでもっと飾ってもいい。
"王国五剣一槍"は、アメイジアも戦士最高峰。五花のシェリフマック・ドールランといえば、"竜も一殻ぬぐ"あいだ、盤踞して譲らぬその主席であった。
王国人の精神的支柱である。彼より勝る、と断定口調で判ぜる剣士は、じっさいのところ、一人しか見つからない。つまり。
殺せば傾く何かがあった。
彼は奮戦したのである。それ以上のことは推測の域をでず、記録にも残っていない。
シェリフマックはじわじわ死んだ。とっさに死ねる男ではなかった。
おのれの両脚をからめとるのは、地中から出でた未知の脅威だ――シェリフマックの意識は回帰した。
触手である。巨人の腕よりたくましく、濁った血潮の色をしている。泥をかき分ける怪力だった。
ふりほどけない。
"剣気放出"を、シェリフマックは敢行した。後先を顧みない、ちゃぶ台返しのような技である。"巨人"と押し合うさなかでもあった。もろもろ抜き差しままならないから、不覚にも選んだ手であった。
空間が爆ぜた。
"巨人"がよろける。"鎧"が怯む。跳びかかっていた"蛭頭"どもが裂けた。まとわりついていた触手も裂けた。思い出せている。
――少年がいない。
後ろをとられたのだ、撃を予知してすかさず背を払う。判断として至極まっとうで――もちいる得物が不幸であった。"剣気放出"でその直剣は、あるべき"剣気"を失っている。
「ぐうぅ!」
ただの少年の剣であれば、シェリフマックはまだやれた。もうひと"刹那"の猶予があれば、シェリフマックは無傷ですんだ。
ならなかった。
もはや振り向けば、みずからを引き裂く。わき腹を貫かれている。折れた刃が鳴らすよりはやく、泥から更なる触手が出でて、シェリフマックの両腕にまきついた。万力さながらの締めつけだ。のこった剣柄も指からこぼれた。
終局である。
「はい、はい。お疲れ、お疲れさん!」
くるくる踊って少年は、とてもにんまりしてみせた。濡れた直剣をはらっては、赤い飛沫をあびせかける。
何ら"果ての魔物"の一部と思われる、触手はがんじがらめにかかって、シェリフマックを跪かせた。さっと第二波は止み、影らは剣を引き、いよいよあたりは静まりかえった。
――……なるほど、ここが死に場所だ。
これで正気の沙汰である。覚悟であれば、シェリフマックは決めていた。それはもう、"英雄"を肩書いた日から。
「だっせぇ~の!足元留守だな、くそひげじじい」
襤褸のうちがわに、少年はなんでも秘めている。くすくすわらいで取り出すのは、千枚通しだ。
「……すぐさま死ねるた思ってないよな?」
ちょんちょんと、鋭さをたしかめ少年は言った。
剣士の目は良い。突き立たんとする太い針を、まったく見ない、ではいられない。
「ぐ……」
触手が抵抗を許さない。
少年は、ほじくり返した眼球を、一眺めして、唾を吐き、泥へ打ち捨て、つま先でにじった。
「おお、こわいこわい。こいつでぜーんぶ見えちまうもんな!」
"剣士"が何を恐れるか、悪心はよく知っていた。けれど"英雄"が何を恐れるかまでは、あまり詳しくないようだ――先に逝った者たちには、痛みを感じる術もない……。
「なぁ?いちおーさ、聞いてやるよ。返して欲しいか?めんたま」
「いらん……」「あっそ」
「がっ」
シェリフマックの右腕を、"巨人"がすかさず斬り落とす。触手が傷を塞ぎにかかった。止血のつもりらしい。
「左もいけんの?」
「ぐううっ」
苦痛にうめくのだけが、のこりの命の使い道ではない。めきめきと骨を粉砕される音に、シェリフマックの希望はまぎれた。
「――――――――する……」
両の肺を、触手がいくつも貫いた。心臓はうまく外されている。
「詠唱か?させねぇよ」
息苦しい。
で、シェリフマックは済んでしまう。まだ当分は生きていられる。破壊しつくされた通信装置が、背中で火花を散らしていた。
「あんま長くてもダレんだわ。最後だぜ、もいっこ聞いてやる」
悪心がわらった。
「こっちに来るなら、お前は助かる。めだまと腕も元通りさ」
これが"悪魔の囁き"だ。
頷けば最後、人の形をした、人ならざる者に、シェリフマックはなってしまう。それがどれほどこの星に仇なすことやら、当人がもっとも弁えている。
最期の務めだ。抗うこと。恐れないこと。たとえおのれが負けたとしても、おのれの後ろは傷つけないこと。
少年は、いびつな笑顔でのぞきこむ。
「どーする?」
――俺は悪心になど屈さん。
血ぶくにまみれて、英雄は意志を表明した。覆るはずがない、彼はシェリフマック・ドールランだ。
半端な瞳の輝きが、悪心にはさぞ気に入らなかった。
「カッコつけやがって、間抜けがっ!」
老けた赤髭面を蹴りとばす。蹴りとばす。唾を吐きかける。蹴りとばす。
なんにしたって一度は殺す。このムカつく髭ジジイが頷くはずはない。わかっていても、何もかも、構わず怒ってみせるのは、そっちの方がらしくって、ずうっとおもしろそうだから。
「……ん?」
そうして人をまねたがるのが、しばしば知られた彼らの弱みだ。
頭上が一面輝いた。悪心の空を押し返す、橙色が心強い。
――舐めるなよ、アメイジアの魔導砲兵を……。
"マギヤの炎星"である。
とても大きい。とかく巨きい。標準の、推定十倍はくだらない。なにせうしろに控えた中隊には、もう十人の火力術師がいる。座標誘導さえままなれば、総力をあげた一撃をくれた。
魔法理に落下し、にじりよる炎熱を、シェリフマックは直接みないが、どこへ落ちるかなら知っている。
「チッ、ぶつくさ小細工を……!」
――御名答。
気がつけば波が通っていた。自分を目がけて打てと伝えた。支援のためと、信じた彼らに心苦しいが、シェリフマックは自決する気でいる。
使徒は選択を迫られるだろう。"炎星"が降り注ぎきる前に、ここを守るか逃れるか。
――広く焼くぞ。潜れば、すぐには帰ってこれまい……。
おのれだけでも消し炭に、シェリフマックの狙いであった。肺はつぶれても脚がある。触手をほどいて「連れてゆく」気なら、どうにか隙をみつけてやるだけ。
「んー、どうする……?あー。えーっと、えーと……そうじゃん!こいつ」
少年はあたふたしてみせた。それから何度も指をさした。
「ザガスティン!おまえがやりゃいい!」
胸部鎧の影である。ザガスティン・ルートフェルダ、かつては王国五剣一槍も守護の座。
――しかし今や影。
こちらは"巨人"ほど忠実ではない。本物であればいざ知らず、まして――片腕落ちでは、荷が重かろう……。
「あ!?どーすんだ、利き腕ねーじゃん!?剣士のくせに!?んな馬鹿ほかにゃそうそういねぇ~……」
シェリフマックは気がつかなかった。
『や、いたわ。ここにも』
いまでは、"穴"のすぐそばにいる。
ぞぞぞっ。
少年はなにかをおびき寄せた。
おぞましくて、みえないなにか。
むこうの理屈だ。むこうの力だ。
それは湖底を這い寄って、シェリフマックの落ちた右腕を、鎧の影にすえつける。
どんな構えを"鎧"がとったか、シェリフマックにはわからない。けれど、かつては"五剣"の守護剣士らしく、役目をはたしてしまったのだ。
のぞみの炎が、たち消えた。予感の熱から、もうそこにない。
「あい、残念無念!っと……あぁ?」
シェリフマックは欠けた視界で、"巨人"が霧散するのをみとめた。おそらく反対の"鎧"もだ。
「こき使い過ぎた~……」
あちらの理屈を、どれだけこちらへ押しつけられるかは、穴の大きさに依存する。英雄に果てがあるように、悪心にだって果てはある。
シェリフマックは、自分にはない明日を語った。
――いつか誰かが、貴様を斃す。
つぶやくのにも、血ぶくはやまない。
「まだいたの、お前?もーあきたよ……」
睥睨する少年の目に、命をおもう心はなかった。
「さぁでも倒す、ってか!うわごとじじいの最後に、いいもんくれてやる。見えるおめめなら残してやったろ」
少年は半身で穴をみた。るんるんと手を振り上げるのに、喜劇の開幕仕草らしい。
――な……。
舞台はこちら側なのだ。隠蔽結界がとかれたのである。"穴"の彼岸には、もう六人いた。
シェリフマックには分かってしまう。それは、悪心の使徒の群れなのだ。
「やれるもんならやってみろ」
いずれどこかで殺し合うから、"悪心の使徒"は、徒党を組めない。
古い常識だ。
もしも実現しうるとすれば?アメイジアはすでに仮定している。
徒党を御する"統手"がいるはず。
たくらみだ。有史に見ないたくらみだ。すべてを知ったシェリフマックには、生き残る術がかけていた。
だから少年は明かすのだった。剣を握れない剣士の末期を、なるべく楽しませてやるために。
「まずはこれでも、よけてみな」
額へ向かう大口径。ゆったりと絞られる引き金。とびきりいびつな少年の笑顔。
優れた剣士の一瞬は長い。
剣がなくとも英雄だった。シェリフマックはひらく最後の"刹那"に――仲間への謝罪、配慮に懸念、さまざま思い浮かべたが、むしろ血族に安心をみいだし、ついで意外にも道をゆく、わずかながらの縁をおもった。
――あとに妻はなく、子もいない。顔もおぼろな大甥に、剣をとるには、まだはやい。と、笑ってやったが悪かった。
剣だこのない子どもたちが、笑っていられる世の中なら良い、本気で思っていたのだよ。
俺の尻ぬぐいは、誰かがしてくれる。
……特別な一党をみた。
無限な先行きをかかえていた。彼らに望むのは、酷かもしれない。
俺たちはずっとずるをする。即応部隊が先になるとも。
なのにどうして思い浮かべたか?
彼らには、遭わずにいて欲しいからだ。けれど、彼らならやってのける。どうしても確信するからだ。
もしもがあれば、よかろうか。
後を何もかも託しても?
"刹那"を補いあえる味方が、たったひとりでもいればよかった。それが、強き心を持つものであれば、たとえば、シェリフマックもよぎらせたような、かの"少年"だってよかったはずだ。
シェリフマックはひとりで死んだ。
一瞬は、剣士に長く、救いを待つのに短すぎた。
「ったく、てめぇの!せいで!三発も!無駄に!したじゃ!ねぇか!」
触手は地中へ引っ込んだ。力なく崩れた剣士のむくろを、少年は何度も踏みつけた。
うざいのを殺せて、せいせいしたか?実際はべつに、どうだっていい。死者の冒涜は、ちょっとしたおやつだ。
「ふぃ~」
芝居がかって少年は、かいてもいない汗をぬぐった。
「あーあ、最後の一発になっちまった~……こいつは"とっておき"にしなくちゃな」
銃に弾丸を込め直す。入れちがいにとびだして、空薬莢は、湖底を打つなり速やかに溶けた。
「なぁー、誰かこれ使う?」
首をさかさに、少年は問う。誰も答えはしなかった。
「ってー、ぐしゃぐしゃにしすぎ?それもそっか」
ひとりわらった。
「じゃ、もらっちゃおー」
ずずず。ひとすじの影が穴から伸びた。おぼろでなくて、とめどなく黒い。シェリフマックのむくろを飲み込む。影が引いたなら亡骸は、忽然と消えてしまっている。
「さーてさて、そろそろお出かけするとしますか?」
少年は、ゆかいにもろ手を振り上げる。次の演目の合図であった。
前へ。
のこったザコどもの残骸を目ざとく見つけ、それはていねいに踏みにじりながら。
「お~もしろいモン、ないっかなぁ~」




