42.シェリフマック・ドールラン
そのしるしたる赤髭を、今では知らない人がいない。シェリフマック・ドールランにとって、これは二度目の帰郷となった。
――のぞむべくして訪れたかった……。
ここ"清涼なる湖畔の町"の冬、北部にひろがる広大な湖は、ぶ厚い氷に覆われる。はじめの帰郷は時季だった。親兄弟に連れられて、氷滑りにふける町の子どもたち。陽が暮れるまで、やまないはしゃぎ声。かつては己もそうして過ごした。シェリフマックは思いを馳せたのであった。
今やこの地に、ドールランの血筋はいない。はやまるなかれ、誰もかれもが健在である。
老いを兆した両親、働き盛りの兄弟たち、いたずら盛りの甥っ子ども。みなアメイジア連邦王国へと移住した――この星に絶対の聖域はありえたのだ。
シェリフマックが俗にいう、"英雄"の座にありつけたからだ。剣の実力をもってして、男は特権階級だった。
"王国級の五花剣士"、自称したとて誰が誹れる。むしろ謙虚なほどである。ながらく星の最前線に身を置いて、生きて帰った本物だ。大陸級とも声高い。
まったく知らん顔なのが、赤髭面の当人であった。世間の評価がどうだというのだ。まことの強者とは、往々にしてかくありなん。剣の師やまさにかくあった。
たったひとつの町道場から、シェリフマックを選びだした、その人は旅の剣客であった。逗留し、技をほどこすかたわらに、見かける見かけるまた旅人に、それも腕の立ちそうな、きまって剣士に、ずいとむかって声をかけた。
『腕試しをどうか』
この師というのが並外れていた。底知れない。おそろしい。圧倒的な勝ちを見せつけられるたび、まだ髭の生えないでいたおもてを、シェリフマックは白くした。それでも。
『まだまだである』
と、師は繰り返した。弟子とならんで剣を振るのだ。
てんで満足していない。
これでは、とうてい追いつけやしない。シェリフマックはあきらめなかった。よりにもよって随一のおちこぼれを、わざわざ選んだ師であった。『拙者を熨せるまで、それをやめてくれるな』はじめに言って、教える対価としてくれたのだ。
シェリフマックは剣をやめない。追った師の背は、いまでも見えぬ。ひょっと、そばにはいてくれるやも。構わない。ひとえにつとめる――まだまだだ。
シェリフマックは剣をやめない。強さのためより、仕事となった。無論、学びとはどこにでもある。まったくの本意であった。強き者となり、責務があった。
血族が、平穏無事に暮らせている。女王の加護があるからだ。
親の老後の健やかさたるや。兄弟たちは、働き盛りを終えそうにない。甥っ子どもは、教育と選択の自由を得た。
統べ手無き土地を去らないでいれば、どれもこれもがありえなかった。
英雄特権である。
王国は戦士を重んじる。力があるなら、なお重んじる。シェリフマックただひとりのために、アメイジアは、"ドールラン"のすべてを受け入れた。一族郎党、面倒をみよう。
かかる大陸道の大移動は、"巡礼"さながらの試練であった。年をも要する行程である。"清涼なる湖畔の町"は、"統べ手無き土地"も西端にあたる。アメイジアの端でも見ようとすれば、ほとんど東西大横断だ。
危険の尽きない道筋だから、シェリフマックは同道をねがった。許され、すぐさま気がつかされた。
――俺のつとめはここにない。
王国軍は強靭であった。護衛部隊に、どんな手抜かりも見当たらない。中央政府はそれを重々知るくせに、シェリフマックを自由にさせた。ただ、深い安心を与えるためだけに。
――見合うだけの働きを、俺は返さねばならんのだ。
そうせよ、と女王は命じなかった。しかし行いで示すのだった。千年かけてそれは築かれた。
アメイジア連邦王国は、"英雄"たちを必要としている。
揺るがぬ愛国心を持ち、国のため、星のため、死ねる強者を。
魔法のように巧妙だ。けれど、英雄たちは受け入れている。うつろでなくて、実をあじあうから。
シェリフマックが最たるひとりだ。英雄の英雄たる働きを、シェリフマックはまっとうしてきた。いつかおのれが散ったとて、国が家族を守り続ける。命を賭すのに迷いはない。まったくの本意であった。
いかなる任務も難敵も、酸鼻極まる大事変も、この剣にかけてはどうにかしよう。断言できて、それでいてなお、シェリフマックは此度の帰郷に、赤毛の眉をひそめるのだった。
――よもや英雄として、この地に求められるとは。
しるしの大湖に、氷は張るまい。なにしろ雨季のただなかである。男は、"清涼なる湖畔の町"に、仲間を率いて訪れた。
天気予報のようなものである。王国には、この星に迫る危機がわかる。急を要する迷宮封鎖、"集団暴走"の散り損ね処理、シェリフマックなら単独であれ、一から十までそつなくこなせる。もっとも秀でた"保安官"だった。オペレーターの声音も明るくさせて――長くは続かなかった。
『まるで霧の中だ……こんなコードは見たことがない』
「あてよう、湖方面か」
町外周を覆う魔防柵は堅い。しかし水深が増せば柵はたてられない。危険な魔物こそ生息しないが、まれに大物が泳いで迷い込む。冬にもぶ厚い氷が張ると、若い衆はあくせく割りにかかるのだ。氷滑りも、一日かぎりと決まっていた。
『北北西……はい。方角は同定』
擬装同化車両に流星旗をはためかせ、門をゆく。避難勧告を随伴中隊に任せた。一分隊を伴とするだけ、シェリフマックは前へ進んだ。
「悪い予感がする」
口走るべきでなかったのだ。
直後に町は水浸しになる。
「分隊各員、点呼!」通りのさなか、シェリフマックだけは一振りしのいだ――これが、"潜在危機"なのか……?――石畳までも押し流さんばかり、すさまじい洪水ではあったが。「オペレータ、情報確度は!」
『変動せず!依然と、危機はすぐそこに……!』
はやまったのかもしれない。未知を明らかにするために、シェリフマックは急行した。
「まだか!?」
『半径二キロル未満!』
まみえている、雨季のただなかにかかわらず、すっかり干上がる湖だ。北山脈からの水源は、どうにも堰き止められていた。今しがたぶちまけられたのは、これの中身で相違ない。
ちいさな湖でないはずだ。エウロピアにみる、名だたる湖も顔負けだ。景観の美しさたれば、清く雄大なシュワルコフ造山帯を思わせる。丘の緑の稜線のむこう、聳えているのが"白かぶり"。どこまでも覆う青き空。
突如として、どれも消え失せた。
シェリフマックと分隊が、湖底の泥をいくばくか、がむしゃらに踏み分けてからだった。
血濡れた宵闇が頭上を覆った。山丘はおぼろな影と化す。稜線、弧線が踊りはじめる。重たく蒸れた腐臭であった、どこからともなく噴きつけた。
これら全ては忌まわしき、この星ならざる歪つの前衛。想像するだにおぞましい。一帯を支配する禍々しさは、「清涼」とまるで対極にある。
『ッ。ただいま出ました、収束です!』
情報保全規定にのっとって、本国との通信は以後遮断される。最後の伝達内容を、シェリフマックは聞き届けるまでなかった。
『コード・アビス!コード・アビス!当地へ可及的速やかに、全保安部隊を結集させます!ご武運を、シェリマック・ドールラン――!』
天気予報のようなものである。王国は、ほかならぬこの"清涼なる湖畔の町"に、虐殺の予兆を読み取った。




