表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:統べ手無き土地
41/106

41.父親代わり


 それでもと乞われるならば、三つのことだけ戒めよう。


 汝、偽ることなかれ。

 汝、溺るることなかれ。

 汝、大事を()ふことなかれ。


 底まで澄まして見透せる、水面に滴る人血が、どれほど清さを妨げたのか?"東の賢者"と呼んでくれるが、君と私とでなにがちがう。のぞいたところでうつるのは、結局のところ己のまなこだ。




 ---




 慣れたものだった。屋根など甘えてきたものだ。どんなに雨に打たれても、ちっとも堪えやしないからだだ。腰に一振りさえあれば、どこへ行こうと思いのままだ。

 行けずにいた。

 裏路地にも名前はつくのだろうか?軒先で越した雨夜もかまわず、ゼンは袋小路にいる。かさなる木箱の一部になって、帰らずにいた。帰りたくなかった。安心な場所があるはずだった。

 理不尽にぶたない大人たち。まちがいなく味方してくれる人々。なにも怯えずすむ居場所。

 いまではすべてがおそろしい。

 

 ――僕は"商隊"を敵にした……。


 みんながよこした、おかしな視線。少女のよこした怯えの視線。剣士のよこした敵意の視線。


 ――いやだ。


 どんな敵でも斬り捨てられる。"商隊"は別だ。戦いたくない。


 ――人を殺したからだ。


 思うに、それは悪事だったのだ。学ぶ対価は高くついた。

 光の騎士は悪党を斬る。だから斬っていい。

 ちがうらしい。


 ――かもしれない。に、おびえるくらいなら……。


 ひとりがいい。"商隊"は敵になった、かもしれない。


 ――エマをどうしよう……?黒剣は、おばばとの約束は……。


 黒馬車はじきに町を発つだろう。人殺しはもちろん置き去りだ。夜明けの雨曇りに光はささない。なにもえらべない。意志がさだまらないでいるから。




 ---




 路地裏の少年を、いちはやく見つけるなら誰だ。

 もっとも頼れるヴァンガード?

 可能性ならあっただろう。ただ、思いもまなこも曇らせている。駆けずり回って、まだ時間が要る。

「よぉ」

「あ……」

 気やすいものである。サルヴァトレスが目前で立つのに、声をきくまでゼンはわからない。うつらうつらとしてはいたが、なんにしたって逃げ損ねた。

「メシ()?」

「……いいえ。あ」

 不意に押し付けられたのは、ほんのりあたたかい油紙の包みだ。

 むいてみる。サンドウィッチである。

 一晩ぬかしたくらいで、ひもじい内には入らない。何もかもおもたく、食いたくなどない。けれども、からだは素直であった。ぐぅ。熱量をもとめている。

「ま、ひとまず食えや」 

 誰が作ったか、すぐさまわかった。ほんのちょっぴり、ぴりりと辛い。大人とおんなじではツンとしてしまう。まったくないでは物足りない。わかった彼の匙加減だ。

「そっち詰めてくれ」

 木箱に腰かけるサルヴァトレスだった。不思議な男である。いくつも特技を隠し持っている。短剣さばき、錠開け、交渉術、罠の目利きに忍び足。知らない土地での人探し。

「ったァ!シケたツラしやがって!ちったァ美味()そうに食えってンの」

「おいしいですよ……」

 嘘を言わない少年である。ちょっとだけ泣けた。粒辛子のせいではなさそうだ。

「ちと暇ァ潰すか、そンうち馬鹿が来らァな」

 サルヴァトレスは、いつもと変わらぬ調子であった。ガキを相手に面倒そうで、ツラはいかにも胡散臭い。

 そうとも、彼だけ変わらないのだ。

 人を殺してもけろりとしていた。めんどくせぇ。と視線で語るにせよ、どうにもこちらを向いていない。

「食ってろよ。勝手にダベってからよ」

 もそもそ()みながら、ゼンはこっくり頷いた。

「俺ほどむかねぇタチもなかぁが……"サルヴァトレス"じゃ、しょうがあるめぇ」

 サルヴァトレスと呼ばれる彼は、手遊みに、短剣を抜いては爪に当てた。斬れ味はどれも確かめるまでない。

「な」

「……はい」

 サルヴァトレスは何か隠している。どうだっていい。ゼンは思った。

「俺様がしてやれらぁな、ご大層(たいそー)な訓話じゃァねぇぜ。たとえばどうだ、薄汚ねぇ"殺し屋"の話とかよ」

「ころしや」

「あー、"暗殺者"ってぇーんだ」

 にかり。意外に白い歯の色を、ゼンは見たような気がする。

「仕留める相手はただの(マト)さ。剣士サマみたく正面斬って、(タマ)をとるこた選ばねぇ。ずるっこく背中を突くか、混ぜもん飲ませてコロりとやンのさ」

「人間を、ですか?」

「そうさ、他にねぇ人間サマだ。

 仕事だぜ、殺すのはよ。何かれ守ンのが目的じゃあねぇ。だが仕事にあたって"大義"ってなァ、意地汚く盾にするモンだ。そかぁ騎士サマなんかとご一緒だわな。ああ、ここまでァ前置きさ」

 他人事のように、サルヴァトレスは語り続けた。

「つええ殺し屋がいたんだと!腕っぷし、まぁ剣の腕だわな。いらねぇ技だが、そいつにゃあった。さぞかし名の()()()やり手だった。

 んで、どんな考えなんだかよ、ある日とつぜん、足を洗って……わかッか?引退するってぇこった。そいつは、堅気になろうとした。

 馬鹿だね、もとの仕事が仕事だぜ。買ってる恨みァかぞえきれねぇ。身を引こうたって、敵も味方も許さねぇ。殺し屋は、飼ってた犬を殺される。本人を()れりゃよかったがな。そいつをねらう連中にかぎって、腕も度胸もありゃしなかった。

 とびきり可愛がってた犬っころだ、殺し屋はそりゃブチ切れた。引退したって、技は忘れめぇ。関わったやつらをたちまち見っけて、端から端まで皆殺しにしちまったとさ」

 サルヴァトレスは静かに、もてあそんでいた短剣をおさめた。彼は長剣を扱えないが、短剣さばきは誰よりもうまい。

「おう?わり、オチはそンだけさ。せいぜい"殺し屋"なめんなよ、ってとこだ」思いつきだったのか、真意はわからない。サルヴァトレスはふと言った。「おめぇ、聞いてどー思った?」

「え」

 意表をつかれた少年である。食うものを食ってうなずいて、あとは聞くばかりの心積もりでいた。ひたすら素直に物を言った。

「……復讐する、相手ちがいます。りふじんです。犬は、かんけいありません」

「おめぇが殺し屋なら、どーしちまう?手前の犬ころ殺されちまったらよ」

「それは……」

「犬は畜生で、人は人様だぜ」

 人殺しはいけないらしい。けれど少年はつらぬきとおした。

「天秤です」

「おん?」

「殺し屋は、天秤にかけました。大事な命と、かたきの命。大事な命は勝ちました。だから殺しました。犬か人か?かんけいないです」

「おー、なんだか賢けぇじゃねぇの。んじゃ、お前んなら仕返しの仕返しに、犬を殺したやつらを()るか?」

「そうと思います」

 人殺しは、まちがっているのかもしれない。それでもゼンは嘘をつけない。

「はん。狙うのは、()()()()()()()()()、ってな、ちっとも考えつかねぇか」

「え?」

 聞き間違えかとぎょっとする。論外だ、ゼンは思った。

「ありえません。それは、とてもすごく、おかしいです。りふじんです」

「そら、おめぇはとことんふつーだぜ」サルヴァトレスは傍ですわるのに、急に遠のくようだった。「まじぃ殺しはよっぽどしめぇ」

「まずい殺し……」

「おっと!ちぃと出過ぎたな。とやかく言わねぇ気でいたが……」

 サルヴァトレスはあやしくわらった。

「しょうがあるめぇ?これも俺様だ」

 真意はやはりわからない。

「ほれ、今度はおめぇが話のタネだせよ。だが、斬った斬るなは知らねぇぜ。後から()んのに教わりやがれ」

 無茶ぶりである。ゼンは人殺しに取りつかれていたし、サルヴァトレスの話だって、殺しだなんだでブッソウだ。

 それでも、やはり素直な少年であった。んんー、としばらく唸ってみて、あるものを必死にまさぐってみた。

 ききたいことならじき見つかった――"商隊"は敵になったのか?それはさすがに怖すぎた。

「あの。みんな、光の騎士になりたがりますね?」

「かもな!俺ぁ思ったこたねぇけども」

「どうしてか、サルヴァわかりますか」

「そりゃよ、つえ~ヤツってな、いつのどこだって人気のあるモンだ」

「つえ~、ですか」

「訳なんて、ロクな具ミソはねぇわな。思うんじゃあねぇの?つえ~なかっけ~、俺もああなりてぇ~、つってよ」

 光の騎士とは、強いらしい。

 そして強いのは格好いい。

 だからみんながあこがれる。

「なるほど……」

 強者の姿をゼンは思い浮かべた。

 ヴァンガードだ。

 たしかに、強くて格好いい。誰にだって好かれもする。

 けれど、ヴァンガードの格好よさとは、強さにばかり宿るのだろうか。

 次いでヴィクトルを連想した。

 なんなら今はこわさが勝るが、いざというときの格好よさは、そこら"物語"よりずば抜けている。

 とてつもない危険が近づくと彼は、走って、あるいはさりげなく、みんなの一歩前に出る。まるで当然と言わんばかりだ。あのふるまいは、格好よさは、(つるぎ)一本でなせるのだろうか?

 わからない。ゼンはわからないが。


『光の騎士か、成れるものか――あれは悪魔の子だ』


 一言一句が焼きついていた。大人は正しいことを言う。強者の言葉だから、説得力を増す。

「……僕はなれません。光の騎士に、なれるものか……ヴィクトル、言いました」

「おめぇもなりてぇーの?光の騎士に?ご大層なもんしょってまで」

 やると決めたらやり遂げる。ゼンは、嘘なら(まこと)にしてやる。しかし今では"悪魔の子"だった。持ってはならないのぞみなら?

 こくり、頷いてみせたのは、だいぶ弱気な抵抗だった。

「ハッ!ご大義が為に、ってか?ろくでもねー、やめとけ、やめとけ。無理するこたぁ、ねぇんだぜ」

 大義。サルヴァトレスはまた言った。「善き心がけ」に近い物やも。思ってもゼンは、わからない。わからないものは持てず、持たずしては、何もならないのだ。

「どちら()せよ、なれません。僕は、人殺しだから……」

「やるってェんなら止めねぇよ。なれるかどーか?そりゃスジ違いさ。わりぃが俺は俺様なんでな」

「そう、ですか……」

 どうにも毛嫌いするらしい。大義なるものの意味であれば、サルヴァトレスと呼ばれる彼は、ただしく教えてくれるだろうか?

 路地裏の逡巡に、なにかがよぎった。

「おっ?今なぁ、俺にも聞こえたぜ」木箱を立ち上がるのに、サルヴァトレスは音を鳴らさない。「とんずらすっかな、頃合いだ」

 どこか遠くでいて近い。知った大声が、知った名前を叫んでいる。だいぶ早朝であった。窓から飛び出す苦情もきこえた。あやまるのもまた大声だ。

「ドートクはよ、アレに訊けや。っと!お前は逃げんなよ。ここに居てやりゃ上等だ」

 袋小路の澱んだ空を、サルヴァトレスは見回した。何を探すのか、腰を浮かしかけたゼンにはわかる。表に出る気はないらしい。

「ありがとう、サルヴァ」

「お安い御用でェ、ダチだろ?俺たちゃ」

「はい」

「ダチならよォ、そーゆーモンだ。返す借りだって忘れちゃいめぇ」

 どうして身につけたのだろう?サルヴァトレスは、いくつも特技を隠し持っている。なによりも身軽であった。履物を脱いだりしないのに、とてもとても音微かであった。

「よっ」と木箱を蹴ったと思えば、雨どい、窓枠と器用に伝って、上へ上へとよじ登る。瞬く間。(へり)を手にして、身をひるがえし、ひっそりと屋根に立っている。あばよ、と視線で語ったら、ふっと姿は見えなくなった。


 お前は逃げんなよ。


 ダチが肩をおさえなければ、同じ道をゼンは辿ったかもしれない。




 ---




「ああっ、探したぞ……!」

 ついに見つけたのであった。

 闇夜を見通す目があって、ぜんぶの暗がりを覗いたつもりで、とうとう雨夜が明けきる今まで、男は見つけられないでいた。つもりでは、ならなかったのだ。向き合うだけの覚悟をそなえて、ようやく見落としに気がつけた。この()の巡り会わせとは、そういうふうに出来ている。

「……ヴァンガード」

 ぐしょぐしょになった大男は、湯気がたつほど熱かった。

「腹、減ってないか?」

 むかいに膝をつくと男は、いそいでポーチをまさぐった。革手袋を脱ぎ捨てた手に、やがてのっかる柔砂糖飴(キャラメル)だ。

「ううん」

「そうか……」

 男の顔色が気の毒で、やっぱりほしい、とゼンは言いなおす。焦げた砂糖味を舌でなぶるのは、ちょっとした言い訳になった。何を言うべきかわからない。男は隣にすわりなおすと、しきりに頭や背をなでた。

「ヴァンガード、おこってないの」

「ハナから俺は怒っちゃないさ」

「でも、どなってた」

「それは、そうだな……悪かった」

 男がわざわざ探しに来たのも、叱るためだとゼンは思った。悪事をなして逃げてきたのだ。機嫌をもっとそこねないよう、やっぱりちらちら顔色をみた。

「驚いたから、大声だった。ゼンに怒ってたわけじゃない」

「……そう」

 訊きたいことがあふれそうでも、ゼンにはどれも躊躇われた。怒ってないと男は言っても、ふつうとちがうのがわかるのだった。

 サルヴァトレスとはうまく話せた。普段とおなじだったからだ。サルヴァトレスにも訊きづらいなら、ヴァンガードにはなおさら言えない。とくに「ドートク」についてだった。

「なあ少年、不安があるなら言ってごらん」

「不安……?」

「なんだって言っていい。俺はぜったい怒らないから」

「……約束してくれる?」

「約束するとも」

 足をぶらぶらさせてみると、踵がうって、ことん、ことん。中身のしれない木箱が鳴った。

「……僕のこと、きらいになった?」

「なってない!そんなはずない」ヘンな冗談はいうけれど、嘘を言わない大男だった。肩を抱きよせて、さすった。「これからも嫌いにならないさ」

 よかった。ようやくゼンは、なんでもきける。

「あのね、わかったよ」

「うん?」

「人を殺しちゃいけないんだ」

 ありきたりなこの命題は、ゼンの全てを奪うかもしれない。

「実はね、俺にもよくわからない」

「え……」

 あるいは、ゼンに全てをつかませるかもしれない。ヴァンガードは言う。

「感情がある。殺してほしくない。

 あるところには、法だってある。誰も殺しちゃならない。

 少年くらいの少年に、頭ごなしで言うのがふつうだ。けれど少年は、ふつうじゃない」

 男は注釈しなかった。それが良いのか、悪いのか。

「難しいけど、きいてくれるか」

「わかった」

「危ない森には近づかず、夜には家の外へ出ない。それですんだらよかったが……ちがうものな、少年は道を行くんだから。不本意な危険がごろごろしてる。少年には、おしのけるだけの力がある」

 ゼンは避けられる危険を避ける(さが)だ。ぶじで済むなら、戦いたくなどない。剣がうまくても、かわらない。

「難しいのはここさ。俺たち大人の言い訳だ」ヴァンガードがため息をつくと、大きな背中はすこしまるまった。「殺しちゃならない。言ってのけるのはたやすいとも。だが道々かかってくるのはさ、殺しにかかってくるのはさ……どうだい、これまた立派な大人だぜ。理不尽だよな。少年は、少年なのに……」

 男もさぐりさぐりなのだ。うすうすゼンは感じ取れた。だから、まもなく頷けた。

「例え話をしてもいいかな?」

「いいよ」

「主役は俺にしてみよう。知っての通り、そこそこ強かろう?」

「うん、すごく強いね」

「ははは。ま、その辺のやつにゃ負けないな。よっぽど返り討ちにできる。どんなにソイツが殺す気だろうと、鼻歌まじりで()()がままなる」

 ヴァンガードの拳ははかりしれない。剣を帯びると、むしろ枷になる。全力はゼンもまだ見たことがない。

「や、観念しよう。認めるよ、俺は圧倒的に強い。力の差だけ加減もできる。じゃあもし、相手がヴィクトルだったら……?」

 嫌なたとえだ。ゼンはどきりとした。

「ヤツがべらぼうに強いのを、少年はよく知ってるな」

「うん……」

「何かのいさかいで、俺らが本気になったとき、あとには何が残るかな?たがいに加減はならんだろう」

「どうするの」

「俺だって死にたくないからね。やるか、やられるかだ」

「かなしいよ」

「現実にはさせない。ただ、わかるだろう」

「…………」

「生き残るため、俺はヴィーを殺した。俺を責めるのは誰になるかな。

 そもそも、ヴィーが剣を抜いた訳は?先に手を出したのはどっちだ?どちらかが悪者と呼ばれたとして、誰にとっての悪者だ?命でつぐなうほど、悪かったのか?」

「犬だ……」

「ん?」

「ううん、なんでもない……」

「……誰しもにとって、俺が悪者なら、また命を狙われる。仕方ないかもな。

 だが実際は潔白で、理不尽に襲われた立場なら?それならむしろ守られるべきだ。

 みんなが責める返り討ち、正当な返り討ち……これが加減の向こう側だ」

 男は青いまなざしを、路地裏のしみや、雲り空にさまよわせた。しとしと雨は、ふったりやんだりだ。

「簡単にまとまるけどね、例え話の主役がさ、『俺』じゃなかったら大変だ。

 国に法律?この際なしだ。やり取りをするほんの刹那に、誰が正しさを定めてくれる。加減がために何を失っても、取り戻してくれる人はいない。弱者と弱者であるほど、コトは取り返しがつかない」

「……ヴァンガードは、僕が強いと信じてたんだ」

「勝手な都合だった。俺たちにとっての当然を、ゼン、お前にも押しつけていた」

 ゼンはこのとき、はっきり感じたのであった。もう"少年"ではいられない。

「ただ全力だった、そうだね。フランを傷つけまいと」

「……ただしいと思ってた」

「俺たち戦士の先達の非だ。そいつを斬るか、斬らないか、強者の分別をだまってた。はやく教えるべきだった。お前は"守手"ときたもんだ、話はもっとこじれてくる」

 圧倒的な強者にさえ、世のことわりとはフクザツらしい。

「それだけじゃないでしょう」ゼンは正体をつきとめている。「ヴァンガードが、僕にがっかりしたのは」

「勘違いだと俺は思ってる」ふたりは、部分的に通じ合いはじめた。「人と獣はちがう、そうだよな」

「ちがうにきまってる……」

「ああ。殺しなんて、気持ちのいいもんじゃない」むこうとこちらで繋がりきる前、とつぜん橋は落ちるのだった。「やんなるだろう、人を剣にかけちゃさ」


 ――……なんとも思わなかったよ?


「獣と同然とはいかない……」

 理性をもって聞き届けられた。そのこと自体に、すこし身震いする。ゼンはやはり、ふつうではなかった。

「気が利かなかったね。あたたかい場所を探そうか」

「ちがうんだ……」

 隠し事が苦手な少年だった。怒らず、嫌わずいてくれる、となりの男に伝えなければ、この先ずっと隠し事だ。それはきっと、とてつもなくくるしい。

「ヴァンガード、僕はやっぱりおかしいね」ゼンはひととき歯をくいしばった。上あごが変にこわばった。「なんにも思わないでいるよ」

 ヴァンガードはすこしだまってしまった。かまわずに、ゼンはつづきを言った。

「もっと殺してた。昼番席にいたのが僕なら、ためらわないでもっと殺せてた。悪い人間は悪い獣とおなじだ。すこしちがう、悪いことをする人間は、どうしてとくべつ扱いされるの」

 命を獲って生きるのは勝手だ。しかし報いとは死であるべきだ。狩人にはその覚悟が要った。ゼンとて一面的な少年ではない。富める強者として、人からは、なにも奪わず生きてきた。

「でも、殺しはならない、気がつけたって……?」 

「ちがう、ちがうよ……いけないって思ったのは、みんなに嫌われるからだ……」

 むせび泣くさまは少年なりだ。ヴァンガードにも懸念はあった。

「境の町で、技会に出ただろ?」男は首をかがめて、のぞきこむ。「誰にも大怪我させなかったろ?」

「っうん……そう、だね……」

「殺しちゃならない。考えただろ……?」

「……ヴァンガードがっ、いった、から……」

 どこまでも素直な少年なのだ。言いつけを守ったまでだった。

「……それに、相手は悪者じゃ、ないよ」

 分別ならばあるはずだ。男は記憶にもっとすがった。

「俺とはじめて出会った時は?あの人さらいどもを、ゼンは斬って捨てれたのに」

「あれは……だめって、思ってて。銅の剣が、なまくら、だから……」

 "剣気"を知らずにいたからだ。すこしの意識の問題だ。剣に合理な少年だから、刺して抜けねば、次にやられる――思い込んでいて殺さず済んだ。

 喉を突いてしまうつもりだった。

 あとの二人がノビるのを、しっかりたしかめ、ふりむいて、"ガズ"から殺してやる気であった。ヴァンガードがたまたまさせなかった。居合わせた大人は、また居合わせた。

「わかった、わかった。大丈夫だよ。すこし、息をととのえて……」

「うんっ……」

 小さくたって戦士であった。ほんのつとめてみるだけで、かなしいくらいあっというまに、ゼンは平静をとりもどせた。

「悪者はちょっとおいておこう。道行く人をどう思う?もし間違えて、怪我させちまったら」

「しないよ!そんなの……」

「そうだろうとも、わかってる。もしも、もしもだよ」 

「あやまるよ……ちがう、怪我してるんでしょ?それなら、まずは助けなきゃ……」

「考えただけで()になったろう。たとえ、殺してなくたって」

「……すごくなった」

「まして、隊のみんなや、お嬢さんなら……」

「ぜったいやだ!」

「大丈夫だ、大丈夫……」

 この子の善性は強すぎるのだ。信仰めいた確信を、ヴァンガードは得た。

 さっと危険を除けてしまわねば、死ねる時間を生き抜いてきた。刃を振るった先にあるのが、敵か否かで全てなのだ。

 味方そのほかに慈悲を尽くすが、敵であるなら容赦はしない。「敵」とは、生半可な相手を言わない。殺さないなら殺される。放っておけば、自分はよくとも、誰かが傷つく。

 一線を越える方が悪い。人も獣も変わらない。躊躇いはない。呵責もない。そうでなくては失うことを、経験からして忘れない。

 悔しいが、ヴィクトルの見立ては部分的に正しい。ヴァンガードは、しかし信じた。こうした態度を皮肉屋は、盲信と呼んで嫌うのだろう。

「ゼンは命を知っている。スミカのことが悲しかったよな」

「うん……」

「おさないのに理不尽で、かわいそうだと思えただろう」

「うん……」

「よし、よし、いいんだ、それで」

 どこも曲がってなどいない。まだ間に合う、なにも遅くはない。

「これから頑張ろう……」

 酷な話である。男は思った。

 持たざる大人がかかってくるのに、分別をもって生かしてやれと、この子に強要していくわけだ。それも何かを守りながら?

 宿命なのか。

 誰かが導かなければいけない。奇遇にも、ヒトの前衛たる戦士であれ、男は先駆け(ヴァンガード)であった。

「みんなの見る目が、かわってね……」

「……異能でかい」

「ぜんぶじゃない。でもわかる」しょんぼりして、気まずそうで、ゼンは解釈した。「見たくないものを見た、って……」

「俺たちは悲しかっただけだ。自分らが情けなかったんだ」

「きらわれたって、おもった」

「みんな心配しているよ」

「敵じゃない?商隊は」

「お前の味方だ、この先も」

「でもヴィクトルはぶった。あのとき、僕は敵だった」

「それは……」また正しい見立てだ。ヴァンガードはまごついた。「あいつも気がはやったんだ……ゼンが剣柄(けんつか)にかけた手を見て」

「復讐にそなえただけだよ……」

 殺しを避ける唯一の原理、だった。と、どうにか言わせるべきなのだ。

「……ヴィクトルと、なにを喧嘩してたの?」

 ヴァンガードは正直にふるまった。ゼン・イージスに嘘をついてはならない。

「そう、悪魔の子……」

「ゼン、お前はもう間違えないよ。信じてる」

 正しい道しるべが要った。悪魔の子になどさせるものか。

 ヴィクトル・サンドバーンの正体、ゼンの剣を高く評価していた事実。ヴァンガードはその親友として、必要とあらば何もかもあばいた。

「……もう怒らない?」

「ぶったりもしない。俺がさせない。あいつは素直じゃないからね、やり過ぎたって胸では思ってるはずだ」

 必要とあらば、戦うまでだ。

「ゼンは悪魔の子なんかじゃない」

「……フランは、どうしてる?」

「いちばんお前を心配してる」彼らの事情はとくに繊細だ。ヴァンガードは最小限にとどめた。「人が死ぬのを見た後だから、ちょっと動揺してたんだ。はやく帰ってやらないと、町からはだしで飛び出すぜ」

 捜索網は外へと向かい、宿ではサルヴァトレスが番するだけだという。ダチのことなら、ゼンはだまっておけた。

「あとの不安は?ほかに訊きたいことは。欲しいものだっていい」

「……お父さんに、はやく会いたい」

 いくら独りで道を往けようと、少年は少年だった。

「この旅のあいだでよければ……」

 わしゃわしゃ頭を撫でるのだって、このままでは無責任だ。ヴァンガードには覚悟があった。

「俺が父親代わりになろう」

「どういうこと……!」

 輝くひとみにたじろぎかけて、すたらぬように男はふんばった。

「物語ならしてやるけれど、俺の話はしないでいたね?義親に育てられたんだよ、俺は」

 いてやるべきとき、いてやれないのに、横取りするのは罪になろうか?必要とあらば、また戦おう。

「結局、親は親のままだ……本当の親父さんに会えるまで、どうかな」

「お父さん、いなかったらどうしよう……?」

 はじめて口にだせたのだった。生き別れてから夏三つ。"贈り物"のほか伝手はなく、ゼンはぬくもりをもう思い出せない。

 会ったところで、わかろうか。むこうもわかってくれようか。この()に、いまでもいてくれようか。言える相手は、いなかった。

「絶対いるとも。万が一なら、俺が親父だ」

「なってほしい、ヴァンガードに!」

「……いいかい?これは半端じゃないぞ。稽古の約束とは訳が違う」

「わかるよ、それくらい」

「よしきた」

 本物の意志に、"星の理"は味方する。ヴァンガードは記憶をまたひとつ取り戻した。いつか授かった中つ名だ。

『我、ヴァンガード・"カムパネラ"・アーテルは、ここに()()する……』

 ヴァンガードがにぎる右の拳は、手袋をなくして傷跡だらけだ。切り傷、焼け跡、ひとつひとつが、過去の存在の証明だった。

『かの聖巡礼のさなかの少年、ゼン・イージスの義父となろう。彼が悲願を達する日まで、我が子として育み、愛してやまない。我が心命そして拳にかけて、この誓約は(まっと)うされる』

 淡い白光であった。男の過去は、包み込まれた。

「見えるかい」

「うん」

「ゼンにだけ見える輝きだ」

 "誓約"だけが有する聖性、"本心の表明"の顕在であった。ヴァンガードはゼンに、応答の術を伝えた。

「諳んじるんじゃ、ダメだからね」

「もちろん」

 こつん。小さな拳が、大きな拳をむかえうつ。

『その誓約、たしかに聞き届けた!』

 成就するのに、白くて(まばゆ)い。輝きは増すと、ふっと途絶えた。ゼンには全てが理解できた。ことの大事さ、意味の強さ。なるほど、"星の理"であった。 

「本物だったな」

「うん!」

 ゼンの飛びつく胸板はぶ厚い。もしかすると、ずっと親かもしれない大男のだった。

「ふふ、甘やかしもこれからは考え物だ?」

 しがみつくから顔色はうかがえない。一息つくのに、ヴァンガードは説いた。 

「『少年』、俺はそう呼ぶだろう。覚えてるかな?信仰だよ。悪しきものから守るためだ。これからも、同じく呼んで構わないかい」

 黙ってこくりと頷いて、少年はひしと離れなかった。

「ふふん、俺のオヤジったら、厳しかったなァ~。稽古も厳しくしないとか?」

「いいよっ」

「ん?」

 えらい鼻づまりであった。横から男がのぞきこむと、それはもうぐずぐずの少年だ。

「……もう、たくさん頑張ったよな」

「うんっ……」

 ふたりが出会って三月(みつき)にたらず、それが長いか短いか。

 ゼンが死に物狂いで過ごした三夏は、だいぶ"精霊"が食ってしまった。それでも長い。どちらも長い。導いてくれて、どこまでいっても、"精霊"の声――「彼」は「自分」だ。信頼はできて、どうしようもなく、少年は長らくひとりであった。

 本物のように、魔法はふるまう。水面にうつった己と話すのは、さながら魔法理の生成水で、渇きを癒さんと試みるさまだ。口にふくんで、腹に落ち、その先は無で、身にならない。

 真の渇きは癒えてくれない。

 使い道なら山ほどあっても、見晴らし果てのない孤独の砂漠で、寂寞をしりぞける盾とはならない。

 どうにか凌いで今がある。

 友達も、仲間もできた。家族ではなかった。こらえてこらえた三年間を、ぶつけてしまえる相手でなかった。そんな分別を、おかしなゼンはできてしまう。

 どころか失うところであった。

 ひとりでも前へ進めるが、独りが好きなのとはちがう。

 ぶたず、笑いかけ、教えあい、必要とあらば困難に、ともに立ち向かえる誰かが、これからは傍にいてくれる。

 少年は、えんえん泣いた。はじめてのことではないけれど、なにもはばからなかったのは、家の焼けた日が最後であった。七つかそこらで止まっていた、なにかがふたたび動き出した。あっというまに、それは加速する。

「ぼくっ、人を、ころしちゃった」

「ああ、悪かった。助けてやれなくて」

 悪者だからと斬り捨てた。何も感じはしなかった。しかし、いけないことだと学んだら、ゼンは本心で謝れる。

「ごめん、なさいっ、ごめんなさいっ」

「大丈夫、大丈夫だよ」

 この星で人はよみがえらない。謝って、だからどうにもならない。

 少年だって知っている。

 それでも謝る。謝った。

 父親代わりがいなければ、謝る相手が見つからなかった。

「俺はお前のことが大好きだ、ほんとの親父じゃなくたって……」

 そのとき一番、子に必要なものを、ヴァンガードだけは届けてやれた。

(せかい)の全部が敵に回っても、俺は味方だ。一緒に戦おう」


 ヴァンガード・アーテル。都合の良い男だ。

 なぞめいた過去は、当人にさえあやふやときた。

 はたと気づけば、野にひとり。(なり)こそ今の大男であり、名前のほかを失っていた。

 記憶を求めて歩み出し、日月のわり、得たものはすくない。

 あらゆる武技を心得ること。

 最も得意が、肉体技であること。

 流行と、だいぶそぐわない。ヒトは剣を執るから強い。馬鹿げた"龍"の真似ごとだ。

 名うての騎士と決戦をこなした。東だ西だと喧嘩もしてみた。"商隊"の黒馬車にありついた。

 さなかの国、さなかの町、"一条の道"、巡り会うのが、巡礼の少年少女であった。友との先約がなかったら、ついてくるなと言われても、こっそり後をつけたかもしれない。またの窮地をしれっと助けて、「おや奇遇だね」と、帽子のつばでも押し上げるのだ。

 石尻尾の酒場での再会は、"巡り会わせ"を男に信じさせた。この()で出会うべきもの同士、出会うべくして、かならず出会う。

 少年を贔屓にするわけは、おさない自分と重なるからだ。同じくらい、少女をおろそかにしないのは、幸せな記憶と重なるからだ。

 とんだ偶然、偶然、偶然である。人は誰しも訳ありだが、男には訳がありすぎた。

 銃を執っては子を思い出し、少年少女で幼年期を思い出し、子を救わんとして、親を思い出した。

 それは本当に「思い出した」のか?

 都合の良い男であった。

 ただヴァンガード・アーテル、その力は本物であってしまう。ただいまも目覚めて、嘘偽りがない。立つ瀬をまこととしてしまう、()のようなおそろしき人格を、古い哲学や物語では、主人公、とか呼んだりもした。


 やがてふたりは裏路地を出る。帰る場所があった。雲は変わらずぶ厚いが、光の梯子がおりている。

「な、肩車するか」

「うんっ」

 厳しくするのは稽古だけでいい。男にはかわいい少年だった。

「ほんの三月(みつき)ばかで、ずいぶん大きくなったね、少年?」

「そうかな」

 自分のちがいなぞ、子にわからない。けれど、よく見てきた大人は言った。

「サルヴァのメシがそんなにいいかな?」

「わかんないや、僕は僕しか知らないもの!」

 肌色は冴えてもちろんだが、十夏にしても幼年並みが、今ではだいぶ年相応だ。少年なりで、それどころか、肉付きが気持ち大人びだした。

「……まさか"時駆け"のせいじゃあるまいね?」

 長耳が曰く検証上は、とくに不利益ないというが。

「大きくなれるなら、はやいのがいいよ!」

「そうかい?」

「うん!はやくヴァンガードみたいな大人になりたい!」

「はは、かわいいこと言うね」

 腹の空き具合は、車輪が回る間もまともだし、髪や髭の伸び具合にせよ、月の満ち欠けと矛盾していない。問題はないはずだ。見落としがあるとすれば、少年が、少年であるということだった。長耳たちは、ゆりかごの外に子どもを持たないのである。

 そういえば――食材の足がどうにもはやいと、料理番は嘆くのだったか。冷凍庫を半ドアにするせいだろう……おそらくは。


 大欠伸をこくサルヴァトレスが、宿でふたりを出迎えた。広間の机で頬杖をかき、なんもしらん、という素振りであった。入れ違いざま、すっと出て行けば、あっというまに"商隊"の面々を呼び戻した。

 黒馬車なりの誠意があった。一言一言をつぶさにするより、これからのおこないを信じるとしよう。特筆するなら、ヴィクトル・サンドバーンの向き合い方だ。低頭と謝罪はまことであったし、しかり少年をとらえていた。「分別」について、きちんとあらためる旨を、互いに約束だってした。

 フランはがまた、えんえん泣いた。あやまることなどなんにもないのにと、ゼンは思った。黒髪で輝いている、赤い髪飾りがうれしかった。もしも嫌われたとしても、かならず意志をつらぬいた。


 ――僕がフランを守るんだ。もっと正しいやり方で……。

 

 あらたにむすばれた縁故を祝して、ちょっと豪勢な晩餐があった。やはり雨天による順路確認のため、さらに一泊をとり"商隊"は、ふたたび道を行くだろう。

 長い旅路で、果てしない。しかし"統べ手無き土地"には終わりがみえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ