38.花畑の町
少女のお気に召したのは、青色の花だった。
空の境界をとかすほど、見ごろには大地をいろどるという。
もうおしまいが近かった。
すっかり人気のない園道をゆくフランに、ゼンはつきそっている。
「残念だったね。せめて、あの大雨を追い越せてたら……」
「いいえ、いいんです。今でもとっても、素敵です」
居残った、白い瞳は悲しげなだけだ。案内人は勧めなかった。いまなら向こうの花畑がいい、まぶしいくらいに赤いんだ。
それでもフランが選んだのは、まだらに青い花畑。濡れた花弁で染まる道を、ふたりはなるべく丁寧に歩いた。
"花畑の町"、特別な町だ。統べ手無き土地にもかかわらず、遠く訪う客がいる。
有する結界が、稀にして強固だ。
花畑のやまないかぎり、安寧を約束してくれる。
その特性とは起源であった。むつみあう男女の物語である。今は正味をさて置こう。ふたりが生んだ、はじめはちいさな、けれどうつくしい花畑だった。愛され、栄え、町と成り当代、季節の花が絶やされることはない。
旅立ちに人は、生涯一度の勇気を振り絞る。観光とは、博打もかわいい道楽である。しかし「"花畑の町"へ」と行く先を告げれば、隣人のあざけりも、あこがれに変える。
幻想がそこに実在する。ふたつと同じ場所はない。なにものにも縛られず、無限と広がる花畑。比ぶるところがあるとすれば、大地の彼方の"光の神殿"か、空の彼方のおとぎ世だ。
観光客に庶民は少ない。願ってそうそうかなわない。東西に近しいこともあって、公国貴族のたまり場である。花をめでるはずで彼ら、買って帰るのは自慢話の種なのだ。
"商隊"は、はみ出し者になる。腕っぷしのわりお上品で、身なりは金持ちに及ばない。おつきの冒険者らに探るような目で見られながら、一仕事まですませてしまって、いまはめいめい観光中だ。ただしも花より何とやら。まだらに青い花畑には、ほとんど少年少女しかいない。
「青……青のが、フランは好きなの?その、赤よりも……」
思ったよりもつっかえて、ゼンは遠くを眺めるふりをする。
「どちらも好きですよ!でも……」
振り向くフランの笑顔の頬に、つやな黒髪がふわりとたまった。"神子の徴"を隠す髪留めは今も、ヴァンガードの贈り物であった。
「なんだか、かわいそうだなって。誰にも見ていてもらえないなんて」つっと彼女は膝をたたむ。さしのべる指で、花びらには触れなかった。「ほら、まだこんなにも咲いているのに」
「……そっか」
青、と呼んだが緑が多い。散りゆくばかりの花畑である。なだらかに起伏する丘だった。遮るものは数本の木陰くらいで、それぞれ園道のしるべにあたる。人影はまるでない。
こうした状況を、ゼンはわりと覚えたてだ。
――貸し切り状態だ……。
心持ち離れたうしろには、引率のジニーがみえた。ハウプトマンを商売にとられて、夫妻の観光は明日にあらためるとのことだった。
「ゼンは?」まともに視線があう。「どちらが好きですか?」
「……あ、色?」
訊いた手前でまごついた。
「どっちだろう……赤、かな」
さぐる後ろ手が汗ばんだ。好みとちがったらどうしよう。ゼンは思った。彼女は毎朝、鏡で梳かす。どうか見飽きていないでくれ。
「えへへっ」頬のあかさも可憐であった。「明日は、赤いお花も見に行きましょう!」
「うん……」
ゼンはこの方、ほかに見たことがない。かわいい、と思う。
ジニーなら、ハッと目も覚める美人(ハウプトマンの表現である)。
フランなら、誰もがやにさがる美人(ジニーの表現である)。
かような批評を、ゼンはふだんなら意識しない。フランはかわいい。日が昇るくらいとうぜんで、しまいだ。
いつも通りでない今が、調子をおかしくさせるのだった。
フランに髪留めを贈りたい。
ゼン・イージスの思うところである。
いつかの短剣のお返しだ。
贈り物に、対価はいらない。けれどお返しはしたっていい。
後ろ手に握る髪留めは、赤い。あしらわれている花柄の飾りだ。ためらわれるのは、気後れがためだ。
彼女にこれは、ふさわしいのか?
美しい彼女に、贈ってよいのか?
大きな勇気が必要だった。
どんな危険が相手でも、剣の一振りさえあれば、何をも構わず一歩を踏み込む。この花畑で無意味だった。
ただしよかれ、フランの視線を惹きつけてくれる、まだらに青い花畑でもある。戸惑うゼンはありがたい。戦いの自分を目覚めさせている。回想するのは朝方に、とっとと終えた一仕事である。
"商隊"ぐるみで取り組んだ。稼ぎが要るなら、いっそ全員で。"迷宮"以来の決めごとだった。これが功を奏してくれた。
結果だけみて大収入だ。経過を思えば、綱渡りである。しくじったのは、なんとヴァンガード。
我らが黒馬車なくしては、日帰りから無謀だっただろう。花畑を越え、丘を越え、平野を行った、森の間際で。
食虫植物、というのを学んだ。
巣食う彼らは、罠が得意だ。魔物ともなれば「食人」植物。蔦で足をとり、毒液を吐き、橙巨牛だって丸呑みにする。
それも火力が十分だから、必要なだけ、ちゃちゃっと終わった。死んだふりまで見逃さない。問題は、踵をかえすか、その折だ。
話がちがうと泡を食う。
"集団暴走"と見紛うもかくや、森からあふれてこようとするのは、魔物学者なら垂涎ものの、緑の植物軍団だった。
情報が古すぎたらしい。確認個体数と桁違いだ。ヴァンガードの見繕った依頼は、たなざらしもいいところであった。
必殺剣は本懐ではない、と、たびたび唸るヴィクトルがいてくれてよかった。一振りで薙ぎ払ってしまう。日に三度までが限度の技だという。さもありなん、時間対火力やすさまじい。森も一瞬で拓けてしまった。
「……貸しにしておくぞ」
ヴァンガードは平謝りであった。
けれどもゼンは思うのだ。ヴァンガードだってしくじりをする。無事に過ごした失敗を、サルヴァトレスも気に病むことはない。
組合もどきの受付台に、どくだみ臭い死骸をつきつけた。いやがらせでなく、仕事の一部だ。ついでに響いた、がなり声である。こちらはきちんと苦情にあたる。
「やたらと緑が濃くってよォ!?」
金貨の小山が追加で積まれた。正当な報酬だ。遠見の術師がみとめてくれて、別途「森の掃討作戦」の依頼まで、完了と相成った。開墾された森は明らかにあたらしい。それでも親切な"もどき"といえた。
「……半分をもらおうか」
全取りの資格者の、粋な唸り声である。隊費は余裕ときたものだから、あとは気楽に遊興できる。
ゼンはおこぼれの大金を、"商隊"にまるまる収めてしまった。髪留めは、もとの取り分で買おう。ぴゅーっと抜け出し、ささっと選んだ。決め手はいたって単純だ。
フランはつやな黒髪に、ひとすじの赤がうつくしい。
だから、赤い髪留めだって似合う。
男の子の考えることだ。
ゼンは相場に明るくないが、わりと値の張る買い物だった。お高くとまった土産物屋が、まともに相手をしてくれたのは、あらかじめ予算を伝えたからだ。けっして素直なばかりではない。手持ちを明かすか隠すかは、店のフンイキで決めたとも。
もろもろさしつかえないように、軽くて小ぶりでも、しっかりした一品を選べた。ものに自信はある。順調に順調を重ねたはずで――ためらっている今だった。渡せずいる。剣士の回想、瞬きの間であった。
ゼンはついついジニーを探した。変わらず、心持ち離れたうしろに見つける。念じてみた。
――ねぇ、どうしたらうまく渡せる?
ぷいっ、と視線をそらされた!
ずっとお花を見てました、など、ゼンには通用しないのに。
――もうっ、今日はいじわるなんだ……!
やさしいジニーがどうした訳か。あらわれている、この距離感だ。髪留めを贈りたいのだと、こっそり相談してからだ。
孤立無援の花畑だった。剣もとうてい役立たない。
しかしだ、何を恐れるというのか。ゼンは活路をむりくり見出す。小さかろうと、あますところなく戦士であった。
これは戦い、真剣勝負だ。
命を獲るか獲られるかだ。
おのれに言い聞かせている。
ぐずぐずしてはいられない。
刹那であれば、思いきりで負けない。
「ねえッ、フラン!」
「はい!なんでしょう?」
ばちりと目が合うたびに、こんなにも胸が撥ねるのはなぜ?
訳を、いつかは思い知る。
「これ、君に……っ」
あげる!と言うまでままならず、ゼンは不器用に差し出している。ちょん、と赤い髪留めだ。
「これ、って……」ちょっとした吟味の間も、ゼンにはつらい。「私に……?」
全部言わねばダメなのか。
ダメらしい。
異能でわかってしまうのだった。熱く視線に待たれている。もうひと頑張り、ゼンは進んだ。
「あげるっ。あのね!短剣の、お礼!」舌がもつれたので、きちんと言えたかさだかでない。「間に合ってるのは、わかるけど。何あげたらいいか、わかんなくて……」
しりすぼみから続くはずがない。おそるおそるに見上げてみると、赤茶のひとみはうるんでいた、気がする。
「わぁ!嬉しいですっ」
見逃さずに済んだ。とびきりの、笑顔が咲いた。
「そ、そう。よかった……」
なんと困難な戦いであった。勝てた分だけ"迷宮"よりマシだ。"腕試し"だってお話にならない。
「さっそく、つけてもいいですか!?」
うん、うん。ふぬけてゼンは頷いて、ハンカチをかぶるフランをながめた。たとえ人目がなかろうと、神子の徴はさらさないのだ。感心するだけ、思いもよらない。
「あ、そうですっ」
言い寄る男に女王陛下は、無理難題をよこしたという。
「ゼンがつけてください!」
「えッ……!」
"不死鳥の尾を獲ってこい"。ゼンは言われた思いであった。情けないことに手もとに残る、赤い髪留めが燃えて見えた。もとの髪留めを取りおえて、フランはぱっちり目をつぶってしまう。待たせている。
――……ど、どうしてこんなに、ふるえるんだ。
なにがなんでも傷つけてはならない。それは精密な挙動が求められた。なによりあった。
ためらいである。
フランの眼前で、手を泳がせるだけの時間がしばし。このときだ。
いたずら好きな一陣の風が、青い花畑に降り立った。
「「あっ!」」
彼方へ、風はゆくのだろう。布きれと舞い、どこか遠くの花畑へと。
ゼンは反応できずいた。時あたかも、ただの十かそこらの少年だった。刹那を越すから、別人になれる。
一歩をゆけば星の中心だ、二歩を踏んでは風など置き去る、三歩で跳んで、つかまえている。きっと、どんな丘より高かった。
なけなしの花弁が、天へそそいだ。少年がひらり舞い降りた。少女の長裾が鳴っている。つやな黒髪がなびきになびき、"神子の徴"たる火の色が、青い余韻の園で煌めいた。
「わ、わ。あかいお花が、まじってる……!」
"さなかの言葉"であったから、神子と守手は目をかわす。
ちがう。
この花畑は、貸し切りではない。満喫していた先客がいる。いつから寝そべっていたのだろう。
おさない女の子だ。
思うがはやいか、青ざめるのだ。残った命をちらさないよう、巡礼の少年少女は、その子のもとへ駆けつけた。
「怪我っ、たいへんな怪我を……!」
花畑の少女と、当面は彼女のことを呼ぼう。
酷く負傷しているかに見えた。黒く落ち込んで欠けた鼻だ。火傷だろうか、おもてがただれている。
むごかった。生きているのも奇跡と思えた。巡礼の少年少女は――やはり神子と守手と、当面は呼ぼう――おじけもなく直視した。相手は、ずっとおさない子どもであった。
「……あれ。そ、そんな」
ゼンには通じた。抱き支えるフランが視線で呈した困惑だ。
――"治癒の神秘"が効きません……。
一日に一度の制約が、神子を神子として保っている。冷却期間は明けていて、なお働かないなら、それは。
「……あ」花畑の少女は、ぼんやりわらった。「おねえちゃんたち、にげださないね」
神子と守手には意味がわからない。少女が言ってくわえるまでだ。
「スミカを、見ても……」
「痛みませんか」フランは半身を抱き支えたままでいる。
「このお鼻?えへへ、ぽろって、取れちゃったんだ……」
「ひどい火傷だ、どうしたの」ゼンは片膝立ちでそばにいる。意識をめぐらす。敵はいない。
「……やけど、じゃなくてね、びょうきなの」
"治癒の神秘"も万能ではない。欠損だろうと復元するが、遅すぎるとき、はたらかない。まわった毒には、およばない。
「おかーさんもね、同じびょうきでね……」
続きを待つ。
「おとうさんと、まってるんだ」
どこで?神子と守手は、すこしばかりした期待をのろった。
「お空にある、お花畑で……」
一息つくのも重たかった。
「スミカももうすぐ、そこへいくの」
「そんな……」
にこっと笑って、スミカは、苦しむそぶりをみせなかった。むしろすっかり言い終えて、ぱっ、とただれた瞼の奥に、強い光をとりもどした。
「ねぇ……!すてきなその髪のいろ、おねえちゃん、もしかして、神子さまなの?」
「……そうですよ。火の神の村の、火の神子です」
「じゃ、じゃあ、それなら!おにいちゃんは、光の騎士さま!?」
「……僕は」
光の騎士。肩書きがゼンをつまらせた。自分は何にも及んでいない。焦ることはない。けれど、いまにも求められるなら?
「どうしたんだい!」
ジニーが駆けつける。子どもたちは花畑にうもれたままだった。
「わあ、すごい!こんどは長耳さまだ!あはは!はは……」
「あっ」
へなへなとスミカはうなだれてしまう。
すぐにジニーが診た。呼吸はある。眠ってしまっただけのようだ。神子と守手といえど、少年少女は大人を頼った。
「空へ行く、スミカは言いました」
「……よくないねぇ」
僕がやります、とゼンは言ったのだが、スミカを抱いて場所を移すのに、ジニーはかたくなに譲らない。あとで聞ける、防疫のためだ。少年少女は聞き訳がなかった。
「すごい熱です……!」
「ほら、およしったら……」
この町に、医者の類はいてくれるだろうか。"治癒の神秘"より優れた医者が?望み薄だ。スミカは途中でめざめてうめいた。
「……このまま、いさせて。お花畑に……もうすぐ、もうすぐだから……」
必死に身をよじるのである。少年少女が通訳だった。
「スミカは、ここにいたいって……」
「そうかい……」
この子が望むのなら。ジニーは言って、せめて木陰の休憩所を選んだ。長椅子へ、そっと横たえる。連れ出されないのに安心して、スミカはかぼそく寝息をたてた。やせぎすの四肢がぐったりしていた。
「私が、なおせません、でした……」
「うん……ちょいと難しいかもねぇ」
ぽろぽろ涙する長耳ジニーのことも、少年少女は気の毒だった。
ジニーリリーにかぎらない、子どもを愛する"長耳"である。ちいさき命を尊び、尽くすのが、種族としての性なのだ。
長耳の森は、白く輝く森だという。"魂の大樹"とて例外ではない。まつわるすべてを、今こそ知っておくべきだろう。それと根元の、やさしくもおそろしい、"揺りかごの洞"についてである。腹から生まれ落ちた長耳は、十になるまで"かご"でねむる。飲み食いに世話はかからない。"大樹"が全てを補ってくれる。
長耳の親に課される仕事は、ねむる我が子に声を与えることだ。愛情をこめてさえいれば、どんな中身でもかまわない。
身の及ぶかぎり、ずっと傍で。そうするべきだ。そうしなければ?
赤子は森へと還ってしまう。
忽然と"かご"から消えるのだ。どんなあかしも残さずに。
だから長耳の森で生まれた子らは、"精霊弓"を握れる日まで、精霊の子だとみなされる。
夜泣きもしない赤子なら、手がかからないと喜べようか。
罰であり、償いなのだと言い伝わる。先史の世界で長耳の祖は、生まれる幼子を大切にしなかった。「業」なのだと。
与えるべき愛情の分量に、しるべなどない。
子を授かるのも、まれな"長耳"だ。命を宿しただけで狂喜する。「これだけあれば足りるだろう」と、半端な子育てはしない。
我が身をすりつぶす覚悟で挑むのだ。昼夜を問わずつきっきりで、両親は、"目覚め"のときに備えてやまない。
名乗り、つたえ、うたい、おしえ、十年、たやさず繰り返す。
長命種の辛抱強さをもってして、それはこたえる日々だという。終えた長耳はこと身に染みていて、誰かの子どもも、他人と思わない。おのずと村の総力をあげた子育てがある。"語り手"とか呼ばれる年寄りが――老衰にこぎつけた長耳は、女王歴では数えるほどだ――"大樹"の根元に居座って、言い聞かせをする常である。
親の身分は気が気でない。支えがあってもやわらがない。もしも自分が寝こける間に、我が子が森へ還ってしまえば。不安にねむり、悪夢に目覚める。"九年九ヶ月のうたかた"はまことだ。
十の子どもがきちんと"目覚め"、親の名前を口にしてようやく、「子を授かった」と胸をはれる。長耳の子は"かご"ですべてを得る。十の身だから、弓も引ける。ねむる間の幼名、すなわち"精霊名"と、立ち上がった日の"目覚めの名"がある。「ジニーリリー」の訳である。
長耳にとってあたらしい命は、ふるびた命より明確に重い。たとえ種族を隔てようとも、道をあゆめる小さな人の尊さが、奇跡のようで胸を衝かれるのだ。
この子の親はどこだろう?子どもを見るたび、ジニーは思う。
スミカの境遇に打ちひしがれた。
長耳の子であってくれれば。"かご"が病を遠ざける。あらゆる危険から子は守られる。
守ってあげられたのに。
子どもは親を選べない。
なぜ死にゆかねばならないのか。この幼さで。それもたったの一人きりで。
ジニーは子どもをまだ授からない。いつか授かる気でいて、異種をかさねた「確率」にせよ、とくに心配していない。
すべて終えてからになるだろう。「弧大陸の東西横断」なる、野心的にもほどがある新婚旅行は、"かご"の子に聞かす、冒険譚の為であった。旅立ちに人は、生涯一度の勇気を振り絞る。理由としてよく満ち足りていた。
だが過去の物語にしてしまうには、悲しすぎるし、まだ早すぎる。いまある命に、ジニーは思っている。
「かわいそうに。かわいそうにね……」それも言ってやるほか術がなかった。フランの発起をうながした。
「私、もう一度やってみます……!」
立ち上がっている。まだ使えると実感したのだ。規定された行使数は減っていない。
「"治癒"のはたらきは、私の意識にやどります。病が理由とわかっているなら……」
神秘であらば救えると、フランは信じていた。信じたかったのだ。
たしかな意志に基づいて、神の仕業と見紛う神秘が、花畑の少女にほどこされた。
「んん……」
成功したかに思えたのだ。スミカは目覚めて、おしゃべりできた。悲しみが長耳の言葉をうばっても、できるだけゼンは通訳をした。かわらず四人は、木陰の長椅子につどっていた。
「赤いお花畑にはね、たくさん人がいるでしょう……?みんな、スミカをみつけたら、びっくりしちゃうとおもったの」
急に具合がよくなった、スミカはひとしきりよろこんで、青い花畑のわけを言った。
「でも、今日はへいきみたい……なんとなく、わかるんだよ」
聞き手が答えに何度詰まっても、スミカは楽しそうである。
「だれかとおはなしできるの、ひさしぶり!」
ゼンは村にいた日の自分をかさねて、口にできずいる。
スミカが信じきっていたからだ。
ゼン・イージスとは、"光の騎士"である。聖巡礼の道なかばにあり、いかな脅威がふりかかろうと、神子のフランを守り抜く。
「お話、ほんとうだったんだね。ほんとうだったんだ……」
それは感激してみせるのだ。病にふせった母親の、言い聞かせてくれた物語が、偽りでないと安心するのだ。
"光の騎士"がなんたるかくらい、黒馬車に乗ってじき、少年少女は学んでいた。
正義のために戦う人だ。
その高潔さに瑕疵はない。あってはならない。
巡礼の少年少女は、ほんの目配せをするともう、神子と光の騎士であった。とりわけ騎士は「穢れ」てなどいない。ひたすら剣の達人であり、星のため人のため身をとせるのだ。
明日も危ぶまれる花畑の夢を、むざむざ踏みにじってはならない。うそつきが嫌いな巡礼の少年少女は、すこしだけ多くの夏を見ていた。
「とんでもなく速い馬車なんだ。星の光も追い抜くくらい」
「どんな魔物さんが相手でも、私たちならへっちゃらです」
旅の物語に、うそはなかった。
星にも稀なる魔法の馬車、やさしくてたのもしい旅の仲間たち、乗り越えてきた冒険の数々。
もっぱら今朝の魔物退治について、スミカは大興奮だった。
「僕が前に出て、まずひきつける。蔦がびゅんびゅんうなるけど、すばしっこいから、あたらないよ。挟み撃ちだって斬り返しちゃう。おっと、足元にも気をつけなくちゃね!彼らは罠が得意なんだ。でも、逆の立場は得意じゃないみたい。ほら、一か所にみっちり集まりすぎてる。それをみて、僕はいまにも叫ぶ……フラン!」「はい!」「きこえた?そしたら、魔物はもういない。雲をつきやぶって降りそそぐ、光の柱があるだけだ。すごいでしょ、これがフランの"神秘"だ」
誰かの手柄を横取りするまでない。真実を語るだけでよかった。
前のめりに聞きとどけたあと、スミカはすこし泣いた。
「おとうさん……」
神子と光の騎士がついに、父親のかたきを取ってくれたのだと。
きっかけにスミカは、身の上話をしてくれた。
ふたりになってしまっても、母親がいてしあわせだった。
「だけどね、おかあさん、がんばりすぎたんだ。スミカのために……」
はたらく母が病にふせってしまう。その次はおじが食わせてくれたけれど、あまり好きではなかったという。とうとう母が亡くなると、おじもどこかへいなくなってしまった。
スミカは、すっかり一人であった。どこかでかかり、むしばむだけの病がのこった。聞いたように、母親と同じ病であった。
「スミカ、もっとたのしいお話がいいな……」
「ええ。どんなお話をしましょうか?」
生まれた町柄もあるのだろうか、スミカは花が大好きだった。イトーだってこんなに詳しくないよ、ゼンは言った。
「あかより、あおがいいのはね、お花の意味もなの」
神子と騎士は、一言一句わすれまじと聞いた。
「青いお花はね、うまくいくよ!、とか、おねえちゃんみたいに、かわいい!、って意味があるんだよ。
スミカは、おとうさんと、おかあさんに、また会いたいから。うまくいったら、いいなって……それと……スミカは、かわいくないでしょう」
「そんなことありません」
「えへへ……じゃあ、もうかなったのかな?青いお花とねむったら、いつかお空でめざめたときに、かわいくなれるかなって、おもってたの……。
赤いお花はね?みためはすてきだけど、わすれちゃう……とか、おやすみなさい……とか、ちょっとかなしい意味がおおいの。でもね、でもね。おねえちゃんも、あかいもんね?いい意味だって、あるんだよ――」
まだらに青い花々は、季節の暑さに弱いのだそう。雨季を目前にしては盛んな方で、まだ咲くうちにねむれるのなら、どんなにしあわせかと、スミカはわらった。
「スミカがねむるときにはね、これをね、いっしょにもってくの」
スミカが大事ににぎりしめていたのは、ちいさな金の指輪であった。飾りがついている。
「青いお花がすてきですね」
「スミカがもっとちっちゃなときに、おとうさんがくれたんだ。もうきゅうくつだけど……こんなにぴかぴかしてるでしょ?ずっとたからものなんだ」
めっきの輝きだと、スミカは知らない。それで幸せだった。
「スミカ。"スミカ"ってなまえもね、あおいお花の、なまえなんだ……」
指輪をかかげて、ながめてみたり、さしだしてみたり、スミカは夢中だったが、やがてゆらゆらしはじめる。
「だからね……だから……んん、ふぅ……」
「スミカ……?スミカ!」
ぜい、ぜい、と息が荒い。座ってもいられなくなった。
「おしゃべりできて、たのしくって、えへへ……!」
夕暮れに染まる花畑があった。まだらでもいい、明日も青くいてくれようか?ジニーがささやいた。
「お家まで送ってあげようね……」
長耳におぶられて花畑をあとにするのに、スミカは抵抗しなかった。
それだけの元気が、なかっただけなのかもしれない。
帰り路も話を聞かせてやると、かよわくわらって喜びをしめした。声が聞けさえすれば、中身はなんだってよかったのだ。ジニーは涙をふけないでいた。
暗い裏路地に、スミカの家はあった。一部屋ばかりの木造だ。ものがなしいにおいがする。きしむ寝台に横たえる。
ばいばい。お話してくれて、ありがとう。
スミカの唇は、わずかに動くだけである。
「私たち、明日も町にいるんです。スミカちゃんさえ良ければ、またお話しませんか?」
つまった鼻でフランは言った。
スミカも、明日を信じているのだ。頬がゆるむのでわかった。息もたえだえにやっと伝えた。
スミカ、お花畑まで、いけるかな。
「夜が明けたら、必ず迎えに来る。約束だ」
これに少女は頷いた。持ちうるだけの力強さがあった。
どうしても、あの場所をのぞむのだ。かならず夜を乗り越えてくれる。
つきそいは、スミカ自身が拒むのだった。からだが痛むらしい。堪えているのを見られたくないと。
「《いけないね、あたしったらさ。勝手に親にでもなった気で……》」
水を一口だけふくませて、三人はとじまりと、火の用心をした。
単なる巡り会いであれば、よい土産話になったのだが。
夕食どきは重たかった。三人が沈痛なおももちで帰ったのだから、聞かない、言わない、ともいかない。
よかれ"商隊"につどうのは、今ばかり断言しよう、もれなく善人たちである。持つもの、持つすべ、総動員して、明日を疑わず備えるのだ。
期せず貸し切り状態の、宿の食堂の間であった。すこしは夜更かしするだろう。"白昼灯"をぶらさげると、雰囲気はすこし和らいだ。
「どうでぇ、ここは一芝居!」サルヴァトレスの提案が、たたき台になってくれる。「坊主が騎士サマ、俺サマが悪党役……あァ、タダ働きってなこれきりだがよ!」
うさんくさい面がはりきるのだから、様になるような気がしなくもない。ただ。
「大人の男の人、スミカは、こわいそうです」
おじが乱暴をするし、母親も町の男によく乱暴されたのだと。
"商隊"の男どもはやさしかろうと、見てくれはさほどやさしくない。イトーをひっくるめて、あやしいかこわいかの二択なのだ。すると役者が足りないだろうか。
「……ひとまず剣舞はどうか」もっとも恐ろしい面の、唸り声である。「素人の目にも真贋は伝わろう」あんまり悪く言っても気の毒だ。まじめな案だった。
「剣舞、ですか?」
「ああ、型から型を取ってみせろ。澱みなくな。まことに洗練された一振りには、得も言われぬ美しさが宿る」
「なるほど……」
"光の騎士"が何かしてみせるのは、ほとんど決定事項であった。徴が今こそ必要だ。
「白いマント!マントがなくっちゃ!」ヴァンガードは、言い終えるなり姿を消すだろう。「とびきり白いのを買い取っちまおう!」宿の主人が寝につく前に、あるだけのシーツを品定めするのだ。
「そんなので喜んでもらえるかな……」
安易さに、ゼンはちょっと不安だ。
「だいじょうぶ、うまくいくよぉ!」背中をゆするダルタニエンは、六人きょうだいの長兄だった。「スミカちゃん、ウチのいちばん下の妹と、おんなじくらいの年かなぁ?お話ずきな、年ごろだもの……!」ふりしぼる声がかなしそうだ。
「なぁリリー」この呼び方は、夫しかしない。「俺達にはまだ時間があるな?」夫妻の観光は、更にあらためだ。ハウプトマンは、ジニーにしかできない提案をした。「見せてやったらどうだ、とびきりのを。きっと力を貸してもらえる」
「そうだね……やるっきゃないね」
"精霊魔法"をふたりは言っている。
あたりにすまう精霊のご機嫌で、はたらき具合を左右される。"精霊弓"をのぞいては、いざというとき頼れずに、我らが黒馬車も必要としない。
けれどジニーは"長耳"で、先祖代々"魔法の守護者"。秘めたる種は世人の比でなく、咲かせる魔法理は虹よりあざやかだ。対話の機会さえ、じゅうぶんにあってくれるなら。
「あたし、行くよ。すこしでも多く声を届けに……」
「待て。念のため銃を取ってこよう」
馬車主夫妻は、花園を巡りに繰り出した。夜を徹して準備する気だ。
「……イトー?スミカちゃんの病気は……むずかしいのでしょうか。その、たとえば、王国のお医者さんにかかっても……」
フランは諦めていない。アメイジア連邦王国は、およそ思いつくすべての分野で、いかなる国と比べても、千年先を歩むと謳われる。片鱗を、ひしひし感じるこの旅だ。どこかに希望があってもいい。
「あて推量もいいところですが……」イトーには医療・公衆衛生について、体系的な基礎知識がある。国民の義務の一環だった。「スミカさんの病は、感染症の一種と思われます。治療には、どんな医師よりも……抗生物質と呼ばれます、特殊な薬剤が相当量、必要になるでしょう」
意志さえあれば、専門の道も拓かれていたイトーだ。その推量で、なにも誤らない。
「この土地では、容易にのぞめない薬です。もしも入手に漕ぎつけたとして、ただいまの病状からして……」
王国じるしの薬局が、大陸道にはある。湯水のように金貨をとすれば、医者だって用意できるかもしれない。ただ時計の針はとまってくれない。たとえ時駆けをもってして、明日でいいとこ"魔女の家"だ。非現実的な「延命」だった。
数字がいくら得意でも、確率だってわかっていても、フランは納得していない。こうすれば?こうすれば?イトーはそのたび誠実に答えた。ほかに考えられる薬のありか、病状の具体、感染経路、ありえたとして、投薬の予後。
見かねて、サルヴァトレスがため息だった。
「なぁ……」漕いでいた椅子をそっとおろす。「さしずめその先ゃどーすんだ」
「……え?」
「どこまで面倒見る気だ、ってェの。薬をやって、ほんでスミカがよくなッたってよ……」残酷だろうか?真実だった。「行くとこアンじゃねぇの、嬢ちゃん」
「ドルトル……」
「斬るかい、旦那?俺が悪党さ」
スミカはひとりぼっちである。
王国人でさえ、不死の霊薬をまだ見ない。はじめの一滴の権利を得たとして、身よりのない少女を、どこへ行かす。
薬の世話、金の工面、費やす時間――現実はもっと細々だ。
治る、と確証を得られるのなら、西へ進むのをやめられるのか?
似た巡り会いがあるたびに?
サルヴァトレスの警句に、フランはおそまき衝撃をうけた。
連れてはゆけない。
神殿聖国はまだ遠い。"商隊"だからかすむだけで、ただ大陸道をゆくだけでも、生死のふちを見る過酷な旅路だ。
旅客に子どもを見かけようか?子どもだと呼ばれるくくりには、ほとんど「若い大人」しかいない。いるとして、貴族の子女で、屈強な護衛つきだ。
巡礼の少年少女は、特別すぎた。
旅立ちに人は、生涯一度の勇気を振り絞る。願ったところで、ふつうはかなわない。実現するだけの、力がないからだ。
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ねむれずとも夜は明けた。
きのうと同じ顔ぶれで、青い花畑に集まりたい。
はたせるかな、スミカはきちんと目覚めていた。願うように横たわり、あけはなたれた扉が放つ、まばゆい朝陽に目を細めた。
ほんとうにきてくれた。
と、ほんものの神子と騎士に涙した。
ゼンは物語に心得がある。きのうのお喋りをふまえて、お姫様みたく抱いてやった。あまりに軽々持ち上げるので、スミカははしゃいだ。
花畑へと向かう。
軽い少女だ。軽すぎた。鼻を利かせまいと思ってもゼンは、死を予兆するにおいをおぼえた。
すれちがう町人にじろじろ見られる。遠からず、そそくさと逸らされる。
想定される様々なもしもに備えて、大人がそばについていた。ヴァンガードとサルヴァトレスだ。
スミカに彼らはみえていない。"そこにいないものはいない"のだ。変な目をくれる連中だけが、殺気にあてられ慄くのだった。
――スミカは穢れてなんかない。
長袖に手袋の着用、事後の消毒、いろいろ言われた。病のせいであって、スミカは悪くない。
暑い一日になりそうだった。
ほとんどしおれた青い花畑である。誰も終わりを見に来ない。
できるだけ楽しい思い出のために、神子の少女は騎士にならった。笑顔でつとめるのだ。大人によく学ぶ少年がいて、彼も言った。"光の騎士"なるものが、真に頼れる戦士なら、そうして安心させてくれるはず。
園道のさなかの木陰で、ジニーがひとり待っている。遠目に振る手は、なかばでしおれた。ふっと、うしろを向いてしまう。くくった灰色の髪を揺らしてから、はれぼったい目でふりむいた。元気よくまた手をあげるのに、笑っている。"長耳"にまつわるお話だって、もっとしてやりたかったが。
昨日の椅子にスミカを寝かせると、騎士は、どこからともなくマントを羽織った。
快晴にくらむほどまぶしい。純白で、よく似合っている。とうぜんだ。彼は"光の騎士"だから。
執った剣の、刃は黒い。不思議な輝きだ。すらり切っ先が揺れるだけで、色とりどりの星がまたたく。陽のもとに夜空を刻みつける。
未明に練った演目を、ゼンは披露しにかかった。騎士にあるべき心構えとは――自然体でいろ――指南されたのははじめてだ。唸り声であった。
たがえようもなく、本物の「剣」である。スミカはとてもよろこんでくれた。つらいだろうに、座って見届けようとする。腰かけるのに、フランとジニーが並んでささえた。
「あっ……!」
まだこんなにも大きな声が出る。スミカは指をさしさえした。
「なんでっ……お花畑なのに……!」
あろうことか、たしかに彼らは現れた。魔物だ。むこう、丘の稜線に整列している、白い狼の一隊だった。
「まかせて」
純白のマントをはためかせ、騎士は、自信に満ちたまなざしでこたえた。向きなおるのに、夜空の剣をぐるりと回す。慣れた仕草で、高く構える。
遠吠えをすませた一隊が、青い花畑を駆け巡った。白い尾で描いて目がける先は、光の騎士にほかならない。はじめの一頭が、跳びかかる。
一閃。
息をのむほど美しい獣だ。黒い刃で流す血にせよ、青い花畑をけがさない。虹をほのめかす光の粒へ、白い狼は霧散した。
ここは花園、どんな魔物も近づけはしない。"精霊"であればちがっていた。むしろどうやら、活気づいている。
どこにでもいて、どこにもいない。姿形なき意志あるものたち――彼らとの対話、そして依頼が、"精霊魔法"の原則であった。ジニーはお願いしただけなのだ。"かご"の子の明日を思う気で、どうか一秒をいろどってやりたい。しかしこんなに期待しなかった。故郷の森の誰だって、同じだけ見たことあるものか。
騎士が一隊をさばくのを、精霊たちは小手調べとした。もうなにも隠そうとしない。
様々ななりの白い影が、ぞくぞくと稜線を越えてくる。あっというまだ。しなびた青い花園が一面、白雲色でかがやいた。
ひととき、騎士に猶予をくれる。ゼンはささやきを聞いた気がする。
――そなえはよろしいか?
――やる気満々だね。いいよ!
ぶっつけ本番、造作もない。うしろの全てを守り抜こう。ゼン・イージスとは、"光の騎士"なのだ。
「たいへん、おねえちゃん……」
スミカはとなりの神子にすがった。
「しゅくふくを、騎士様にしゅくふくをあげないと……」
「ええ、そうですね……」
魔物の軍勢に、騎士は、たったひとりで立ち向かう。
彼には鎧が必要だ。おとぎばなしの光の鎧が。
正真正銘の神子が唱えた。
「我は神子……尾と鱗の在りし火の神司る、火の神の村の火の神子!」
まことの神子ここにありと、よどみのなさが説得している。
「まさに時とは人の命、脅かされし危急の時也。まろび窮したとて汝、勇猛果敢と剣を執るか」
「然り!」
戦いへ挑む騎士がこたえた。母から授かり、忘れずいた句だ。父から授かり、磨きあげた剣だ。息をするのと同じことだ。
白いカラスの大群を、一羽のこらず迎撃した。高く飛ばれても、跳んで逃がさない。あれほど空に人は近づける。
「――振るう者善しくば人を助き、振るう者悪しくば理を蔑す。さなか汝ば振るう力、如何として振るわれん」
「善きものとしてであるっ!」
吼えつつ、騎士は薙ぎ払った。ぶんぶん唸る蜂の大群。突進、突進、猪の猛突進。返す剣で脇も見逃さない。狐の奇襲を撫で斬った。ひらりかわして、豹を断つ。真っ向うけて、巨牛を突き抜く。どれもあざやかな光に還元される。
「ここに強きものあり、弱きものあり。
ここに愛すものあり、厭うものあり。
よろず等しく命を灯す。汝が守らん者とは何れか!」
「その、全てである……!」
機敏になにかを読みとって、残った雲が集結をはじめた。しめくくるだけに相応しい、ひとつのかたちをとろうとする。
騎士も後ずさりするほどの、大きなおおきな熊であった。二本の脚で立ち上がるのは、これでもか!と言わんばかりだ。
仰いで見ても、角度がたりない。脚で跳ぶにも際限がある。これでは急所を攻めあぐねる。
その時。
騎士の眼前に、一本の槍が飛来した。巨熊とはざまの園道だ。花園の外れ百メルうしろに、たのもしい仲間だっていた。
「――我らが祝福、これにて終えり。汝が誓いよ、達て続け」
「我が剣に誓約する!我は騎士、終末の世に訪れし白銀の守護者!」
光の騎士は、夜空の剣を宙に預けた。槍を執っては――ほんの手慣らしの真似事だ――腰で回して、脇にかかえる。巨熊を睨んで、助走をつけた。唱えるのだって、やめていない。
「我が心は星の剣!我が身体は星の盾!眼前の魔を打ち斃すその時まで……」
驚くほどよくしなる名槍である。くわえて巨人のあつらえときた。思うがままに大地を突くと、錐揉みに、それは高く跳べた。
巨熊の頭を見下ろせている。これなら落ちざま急所が撃てる。
しかし肝心の武器がない。
わかって、騎士は手繰り寄せるのだ。一番高くで物体は、刹那、物の理に静止する。花園で浮く夜空の剣は、狙いすまして跳ね上がった。互いに信じて、疑っていない。
騎士が剣を執っている。
「我が心命は、光と共にあらん!」
ずうん。巨熊がつっぷすと、のこった青い花々はふるえた。とける白雲の舞わす光が、花園にきらめきを思い出させている。
どれほど届いてくれただろう。スミカの心に、あやふやな耳目に。
どうせならせめて、終わりを知らない花畑に、本物の騎士が居てくれたらいい。
もっとも馴染んだ"疾風の構え"を、ゼンは戦いの残心とした。背には純白がなびくだけ、祝福を経て"鎧"がなくとも、さだかに、騎士の物語の一幕だった。
花畑の空に虹がかかる。スミカはこれにハッとした。きちんと見えたにちがいない。
「お天気雨だね……」
やさしい声でジニーが言った。さぁっと、木陰にしずくが舞った。精霊たちの仕業ではない。気の利く悪役が、ほかにもいたらしい。
すべてを見届けて、横になりたいとスミカは言った。花にうずもれてはなかったが、今の彼女はそれでよかった。もうひとりぼっちではなかった。
頑張って、頑張って……。
口の端からつい漏れた。フランはスミカの手をとっている。
治癒の神秘はまだ"明けない"、この様子では間に合わない。
はたとつきつけられもする――がんばって……?――なんと愚かな真似、物言いだ。
苦しみを長引かせただけだ。
食いしばると、顔の歪むのがわかった――笑顔で、笑顔でいなくちゃ……。
「おねえちゃん……」
「……はい」
「おねえちゃんが、神秘で、スミカをよくしてくれたんだよね」
「ごめんなさい、ごめんなさい……治せないのに、ごめんなさい」
"治癒の神秘"も万能ではない。手遅れはある。なにより、死者には施せない。
「ううん、ありがとう。スミカと、あそんでくれて……きしさまも、ながみみさまも……あのね、これ――」
思いのほか、スミカははっきりしゃべる。束の間だ。ひらこうとする手が弱々しい。握っているのは、おもちゃの指輪。金のめっきに青花の装飾。
「あげる……おねえちゃんに」
「……いいんですか?お父さんの、大事な指輪……」
「そのほうが、おぼえてて……だれかに、おぼえてて、もらえるかなって……んん……」
すぅ、ぜぇ、すぅ、ぜぇ、と、スミカはそれきり口を閉ざしてしまう。うつろなまなざしと思えたが、彼女には何か見えていた。
――スミカの代わりにこの指輪を、"光の神殿"まで連れてって。
少女の願いをどこからか、三人は聞き届けたのだった。満足げににこりとしたまま、スミカは目をつむる。
もう目覚めないものかと。
「赤いお花……」
ほんの淵までの満ち引きが、一言だけを少女に許した。かわした視線が最後になった。
青い花弁を伴として、風が彼女を連れていく。ここではない、どこか遠くの花畑へと。
きのうのことだ、忘れもしない。フランの髪に咲く火の色に、スミカは意味を託していた。
『赤いお花はね?みためはすてきだけど、わすれちゃう……とか、おやすみなさい……とか、ちょっとかなしい意味がおおいの。でもね、でもね。おねえちゃんも、あかいもんね?いい意味だって、あるんだよ――』
笑顔で、必死につとめたのに。みすごせず、だから伝えてくれた。
『ありがとう、泣かないで、って……!』
◆
人は、己の死期を悟れるという。
この星で、死人は蘇らない。
どちらも、"星の理"である。
花畑の少女がおそれたように、人は二度死ぬ。これは、いにしえからの理だ。
その身に宿すぬくもりを、取り戻せなくなったとき。
誰からも忘れ去られたとき。
"神子"の肩書きの代償は、それら近傍にありつづけること。"守手"の真の役割は、それらをなるべく遠ざけること。
死と忘却を、遠ざけること。
◆
土葬は禁ぜられていた。悪しきものに憑かれるからだ。葬儀の火は、フランがくべた。灰を撒くのが慣習だという。天国はあると、公会堂の司祭は言った。彼らも神には詳しくなかった。
すっかり散った花畑である。とくに親しい三人は訪れた。空の青さしかもう見れないが、スミカはここで眠りたがった。
「私、とんでもないあやまちを……」
苛まれるフランの肩を、ジニーが抱いた。長耳にとってはいつまでも、守るべき子どもであった。
「苦しませたのかもしれない……でもね」正しさのありどころは、ジニーにもあいまいだ。「スミカはたくさん感じたと思うよ。フランの愛情を……」
「……僕は、彼女をだましました」
大嘘をついて、ゼンはくるしい。己は何にも及んでいない。
「あの子にとっては、本物だったとも」どれだけ剣が達者でも、その少年には、導いてやる大人が要った。「今が道半ばだって、きっとスミカは怒らないさ」
連れてはゆけなかった。
少女の遺した指輪だけがある。フランは大切に、首紐でくくっていた。ならばせめて。せめて。
「フラン、もう行こう……雨の匂いがするよ」
ぐずぐずな鼻を鳴らして、騎士を志す少年が言った。
「はい……」
ひとりになった少女がこたえた。
雨の季節がやってくる。
誰かが言った。この先も言われる。当人たちが思っている。"前へ進むのをやめてはならない"。どんな道のりだとしても。




