37.魔女の家 下
テルマー・ソロアステラと、魔女は名乗った。テルマと呼べと笑まれたら――ぎこちない、それがつくりものだとして、従順になるほか手立てはない。
「つくづくありがたい。夕食の世話まで」ハウプトマンはやはり礼を尽くした。
「どうぞ、ご遠慮、なさらずに。お子様も、いらっしゃること、ですし」
異様に長い机と、やたら背高の椅子椅子に、大人たちがおとなしくおさまるものだから、少年少女も観念だ。夕食の皿に、ダルタニエンの首はみたくない――念のため、いまのところの彼は無事である。魔女に歯向かえばわからないが。
ともる暖炉に、薪はとぼしい。さらしあげられた熊の大首が、食堂のしるしであった。大口をあけて、見開いて、その末期を嘆いている。誰だってもっと不安になった。せめてすきまの両隣に、子どもの首が似合わないといい。
鎧戸をたたき押し入る風に、闇の手勢がよろこび舞った。吊り燭台のお化けが落として、ゆらゆら踊る影である。橙色のくらがりが、つとに白むと轟音だ。天窓は高い。ひたすら雷雨にぶたれるばかり、逃げ口としては役にたつまい。
不思議さとは、かたちの次第でこんなにも、不気味さとなってくれるのだ。
大きな机に、数々の椅子。女のひとりで、どうしてこんなに。
大人たちは、ありがたがるだけ、大人しい。どうしてそんなに。大人しすぎだ。夕食を、待ち受ける席にしじまが深い。やたらと異様な無口であった。大人同士で、まず口をきかない。雨夜に消えた、あのがなり声や気さくさが、もはや恋しい。
もっと「うんちく」をたれてくれていいのに。のっぱな時計の仕組みとか、燭台のお化けの意匠とか、剥製たちの製法とか、イトーは語ってくれそうにない。
彼らは夫婦で、新婚旅行のはずなのに。ハウプトマンとジニーは、ひっそりうつむくだけだった。
おなかがへったよぉ。と、暇さえあれば口にする、ダルタニエンが言おうとしない。大仕事だって終えたあとなのに。
むっつりさんのヴィクトルはともかくとして。
どうして。
ゼンに解決の糸口はなかった。なにしろここは魔女の家。統べているのが、テルマーだ。しだく雨音と雷鳴だけが、かろうじて外界をつないでいる。
神妙にして「何らか」を、商隊は、雁首そろえて待っていた。テルマーがふっと姿を見せる。わからない。いついて、いつからいなかったのか。
「お食事の、仕度には、すこし、かかりそうです。洗濯場に、湯を、くふっ、ご用意、しましたので。お待ちの間、どうぞ、ご順に」
なんたるいたれりつくせりと、喜ぶべきが本来だ。アメイジアでは風呂場と呼ぶが、一等宿でもそうそう見ない。あったとしても湯に、清潔さに、よもや石鹸などというのは、期待するべくもなく――これがどうした、全部ある。魔女の家には、あってしまった。ジニーと一番風呂をすましたフランが、"掌熱"で熱ごてをこなした。
「替えの、お服も、ご用意、しましたが、必要、ありません、でしたね。くふっ」
どうしてそんな備えまで。衣類をかかえた魔女を目前にしても、大人たちは物を問えない。ならばひとまず倣わねば。あくまで一戦士として、来たるべき反攻のときにゼンは備えた。惜しくも、入浴のともはヴィクトルである。作戦会議がしたかったのに。
「す、すごいですね?おふろが、あって……」
「ああ……」
はずんだ会話の全容である。心もとないともしびだとして、ありえないほど湯は澄んでいた。毎度とりかえるらしい。いったい誰が……?
魔女の家は、どこを歩いても嫌な音がする。ちょっと油断した風呂あがり、廊下を、みしみし、みしみし、たしかめたのは、最後にともった子ども心である。すぐ吹き消された。
「よく、鳴るんです。こんな日は。なにぶん、くふっ、古くって……」
「……っ!」
飯の支度をしているはずでは。闇から湧きでたテルマーの形相に、ゼンは腰がくだけそうだった。
胸元においたランタンで、顔面に影がはびこっている。しな垂れた蛇の黒髪、病的なまでに白い肌。うすいくちびるが、にゅっと歪むと閃光だ。
おそろしや。
それはもう一目散であった。なにせ剣を帯びてない。やり合って、とても勝ち目はない。仲間のもとに逃げ帰ろう。食堂へ駆け込んだ。追いついたのは、雷鳴だけだった。
「こら坊主!めったに走るなよ」
後にも先にもはじめてである。怒られたのには安堵した。ハウプトマンはまだ喋れたのだ。
ヴィクトルには悪いことをした。置き去りで、しかし流石である。魔女は撒けたらしい。あとから廊下をついてきて、きちんと無事であった。
異様な長机はもはや、夕食の皿で埋まっていた。
豪勢なのだろう。
サルヴァトレスの仕業としても、骨を折ったなと思うほど。
だからますますにおうのだ。
おかしい。
女手ひとつで、これだけこなした?
嵐の晩に、予期せぬはずの来客に、七人分のもてなしを?「待たせた」といって、こうも手早く?
手際の異様をのぞいても、異様さに欠かない席であった。ここは他人の食堂だから、"白昼灯"はのぞめない。皿には何がふくまれているやら。熟れて落ちかけた陽のようだ。凹凸を強いてみせるだけの灯が、食欲よりも疑念をくすぐる。やまもり盛られている肉は、なにからとった肉なのだろう。厩舎をいますぐのぞきたい。いや、やっぱりのぞきたくはない。
油蝋を節約するために、取り分け時だけ手元は灯った。なるほど、ふつうの料理らしい。あくまで見た目の話であった。やっぱり何かおかしいぞ。なにからなにまで、ゼンはひっかかる。
「どうぞ、お先に、お召し上がり、ください。わたくしは、用をすまして、まいりますので」
くふっ。と、魔女はわらって去った。今度はしかとたしかめた。ランタンの火が廊下を遠のく。
「いただきまーす!」とは、ダルタニエンだ。言ってから、はっとあたりを見渡した。犬歯をのぞかす意図は知れないが、本物の彼であるらしい。魔女にとりかえられた、ということはない。
取り皿に、ちょっとよそうのも、おずおずと、ゼンが役目をはたすのは、フランが口にする直前だった。
「まって……!」「待て……」かさなった唸り声である。彼にも気がつけたのだろう、それはもう深刻そうだった。ヴィクトルと実は特技が似ている。ゼンがこっそり知るように、四つ耳泣かせの利き鼻なのだ。
(ヴィクトル!やっぱり、そうですね……!)
「む……」
(りょうりに、どくが……!)
食べ物ならざる混ぜ物が、におって鼻についたのだ。謀り事を見抜いてやったぞ、と魔女に知らせてやることはない。声をひそめて、これが裏目に出た。
「あっ、ダル!いけません!」
食いしん坊は守れなかった。毒入りの、推するにそれはパイ料理である。誰より早くほおばっていた。猪なりに鋭い鼻も、食欲のまえで無力なのだ。卑劣な魔女のさくりゃくだ。
「そ、そんな……」
ゼンは心身のこおる思いであった。みしっみしっみしっ。廊下を急ぐ音の正体を、見返すまでなく知っていた。
「いけません、いけません。もう、お召し上がりに、なられてしまった、でしょうか」
白々しくも魔女が曰く「洗剤をこぼしてしまった」だとか。慌てて戻って、計算違いだ。というのも、腹が丈夫なダルタニエンである。効き目がなくて、けろりとしていた。
「くふっ、ごめんなさい。すぐに、おさげします……」
仲間を守れない無力な剣士を、くふっ、くふっ、嘲笑うかのようだった。毒入りの皿を下げるのに、配膳台が要るからと、もっともらしく魔女は消える。余裕さで物語っていた。始末の機会は、まだまだあるぞ。
こうした事件を前後して、食卓はやはり沈黙である。大人たちは、声を奪われてしまったのだろうか。ヴィクトルもまただんまりだ。
さもありなん、と、ゼンは気がつく。なにしろここは魔女の家。一言一句つつぬけと、思った方がよさそうである。下手を言えば、どんな目に遭わされるか。ヴィクトルでさえ、剣なくして手が出ない。誰も魔女にはあらがえない。手詰まりなのだ。ますます喋れなくなった。
せめても口を噤むのに、見るのに徹した少年だ。なえた勇気をふりしぼり、暗視を取り戻そうとした。これとて戦士の能である。守るべきものがあった。くじけてはいられない。だからこそもっと、とらえてしまう。
毒入りの皿が下げられる、そのときだ。さした雷、おちこむ白光。一時の明に満ちた食堂。
ぼんやりとした凹凸が、鮮明になる。よけいなものまで、みえてしまう。
その料理は、パイと呼ぶには禍々しすぎた。
焦げ目のついた生地から、いくつもいくつも飛び出している。
ぎんぎらとした、包丁の刃だ。
おそろしや。
常軌を逸した狂気のパイに、世界も震撼するようだった――雷は、家のすぐそばに落ちたらしい。
あまり食う気にならないで、もそもそ口を動かした。魔女が同席するのであった。そぶりをみせねば、機嫌を損ねる。始末のしかたには、こだわりがあるらしい。したなめずりする今が機会だ。最後のひとりになっても、立ち向かわねば。ゼンが牽制すると、魔女はぎくしゃくとした公用語で応戦した。
「テルマさん。ほんとに、ひとりで、すみますか?」
「主人は、今日、帰らないんです……」
そう簡単にはぼろを出さない。ゼンはそれきり攻めあぐねてしまう。恐怖の晩餐が終わると、飯の礼だけはみな言った。「ごちそうさまでした……」警戒を余儀なくされて、匂いも味もあいまいだった。
外見よりも広い家である。二階にあがって一番奥へ「子ども部屋です……」と案内される。大人たちとは離ればなれだ。結託させない意図にちがいない。白いおもてで、魔女は勝ち誇った。
「おやすみなさいませ」
とどめの決め台詞であった。扉はかたく閉ざされてしまう。統べているのが、真っ暗闇だ。
白状しよう。ゼンはもうおそろしい。魔女も、魔女の家も、おそろしい。悔やまれる。サルヴァトレスは短剣をおいていかなかった。丸腰で夜を越せるだろうか――?
彼は純粋な"少年"だった。剣をなくして、人の子なのだ。たとえ、誰も共感してくれなくとも。
ゼンはシーツにくるまりこんでいる。フランも一緒だ。寝台はひとつだけだった。
雨漏りのひどい部屋である。桶を鳴らして、しずくはやまない。
ぴちょん……。ぴちょん……。ぴちょん……。ぴちょん……。
真冬のように身を寄せ合った。たがいの瞳だけが、光をたくわえていた。ねむりとは何を意味するのだろう?どちらともなく、ひそひそ相談をはじめる。雷雨とシーツが、魔女の果てしない利き耳からかばってくれる、と信じていた。
(ダルったら、ぶじでよかったです……)
(うん……フランが食べちゃう前でよかった)
ふたりで思いは一緒とわかった。みなまで言わず通じあえた。
(ま……あの人、どこへ行ってたんだろう)
(とてもあわてて戻ってきました)
(どく、って言ったのを聞かれたんだ)
(みんなお喋りしてくれません……)
(魔法にかけられてるのかも。僕らは子どもで、あまく見られてる)
(動物さんの首をみました?)
(それより厩舎だ。おぼえてる?)
(はい。骨がかざって……)
(あれってたぶん、馬のだよ)
「えっ、エマちゃん!」
(しーっ!なにかあれば、いななくはず――)
おおいかぶさるのは、悲鳴を思わす遠雷だ。
(聞きのがさなければ、だけれど……)
(大人たちだって、平気でしょうか……?)
(たくさん部屋がありすぎだよね)
(ここも子ども部屋ですって)
(うん。子どもなんて、いない家なのに……)
首だけで、闇のはざまに目を凝らす。ふたりして闘気は利いていない。なれた分だけ、わかってしまった。
おそろしや。
壁はあちこちあざだらけ。おびただしいほど、補修の跡だ。よからぬ想像が、夜闇にはつきものだった。
(まえにも、閉じ込められた子どもがいたんだ……!)
(どうなっちゃうんですか、わたしたち……!)
想像をもっとふくらませるのに、タネならいっぱいもらっていた。"魔女の曰く"のかずかずだ。
もてなしの手際が、とにかく不気味に思われた。まるで、こうなることがわかっていて、じぜんに用意していたような。そうとも、曰く。
◆
魔法の儀式にいけにえを、欲する魔女は罠をもうける。辺鄙な土地をすみかとし、魔物を遣わし、旅人を襲う。あらあら大変でしたねと、手厚くもてなすやさしさは、油断をさそうみせかけだ。
食事にされた混ぜ物は、はたして洗剤だけであろうか。
最初の毒には、誰でも気がつく。すまなかったと魔女は取り下げる。手違いならばと安心し、のこりの料理を客は頬張る。ふくまれた、無味無臭の毒まではしらずに。
たとえば、ねむたくなるどく、であるとかだ。
魔女は長生き、待つのはお得意。あらがえない眠りへと、客が落ちるのを、いまかいまかと……。
◆
少年少女の手腕によった、こね、ころがしての創作である。
けれど、ありえない、と誰が言い切れるのか?なにしろ、ここは魔女の家。
良くも悪くも、目はさえていた。ひそひそ声で相談をつづけた。眠たふりをして、寝ずにつとめた。想像はもっとふくらんだ。
ねむりにおちたら、いけにえだ。はだしで逃げ出すべきなのだろうか。大人たちったら、どうしよう。いるはずの場所に、いてくれなければ……?
子どもふたりで行く先は、雷雨にしずんだ夜の森。危険からどう身を守るのか。もちろん、追手をふりきれるのか。
きまって、"魔女"とは実力者。剣も神秘も、今宵の守手はもちあわせない。火の神子に、対人戦の経験はない。
そうだ、そもそも、扉に鍵は?きっとかかっているのだろう。窓は鎧戸?釘と板?むりやり、壁なり、こじあけたなら?
勇気ある先駆者は、抵抗の跡だけ残してきえた。
恐怖という、あしかせがおもたい。少年少女は、年相応の言い訳をした。ぜんぶ保留で、なにもなせなかった。
待つしかなかった。なにを待つのか。
強い光を、魔女はいとう。
作りごとではない。どんな強者にも弱点はある。魔女なら光と、きいている。
少年少女は、夜明けを待った。想像のタネが品切れになって、内緒話もやむころだ。雨漏りの音がやかましかった。
ピチョンピチョンピチョンピチョンピチョンピチョンピチョンピチョンピチョンピチョンピチョンピチョン。
黙ってしまって、まずかった。ひとたび耳にはりつくと、あらたな音を立てられない。
さきほどまでした、ひそひそは、本当にひそひそしていたろうか?やたら大きな水音と、どちらが響いていただろう?なにより、ここは魔女の家。
ためらわれる。布擦れひとつ、骨をよじる音ひとつ、まばたきの音ひとつ――ためらわれる。さなかの少年少女は、おんなじ理由で口をひらいた。こればっかりは、しようがなかった。
(おしっこ、行きたくなってきちゃった……)
(私もです……)
汲み取り便所が、裏庭にはあるそうだ。
おそろしや。
と、用を足すのをすっぽかしていた。声を奪われたジニーでさえ、歯磨きのあとで気にかけてくれたのに。「トイレはすました?おやすみよ」ひたいに口づけをくれるとき、少年少女は首をよじった。
魔女の家、夜の野外で、汲み取り便所。
避けたい理由が、よりどりみどり。
でも。
ピチョン!ピチョン!ピチョン!ピチョン!
響いてよくない。もよおした。おねしょか魔女か選ぶときだ。
ゼンは勇気をひねりだす。そろり寝台を抜け出そうとして、
みしぃ。
よく鳴るらしい、こんな日は。
――しまった!
思ってとっくに、あきらめている。割り切り上手である以上、限界がだいぶ近かった。鳴るぶんはもう仕方ない。魔女が怒りに来る気配はない。
ありがたい。扉に錠も忘れたようだ。逃げ出すべきかの算段をよそ、とにもかくにも今は便所へ。これ幸いと少年少女は、指先をぎゅっとむすびあって、あやしい廊下にくりだした。
あかりはひとつもともらない。階段をくだる。壁も手すりも、じめじめしていた。やっとようやく玄関広間へ。待ち伏せはない。魔女は余裕だ。
ごっとん、ごっとん、ごっとん、ごっとん。
のっぽな振り子時計であった。闇にもたがわず時を刻むのだ。
ごっとんを、まともに頬で受けたあたり、よけいなことにゼンは気がつく。
足元にさしこむ、薄明りである。
(……ここって、壁じゃ)
主廊下も階段下だった。扉があった覚えはない。
(かくし、とびら……?)
あってせいぜい物置きだ。むこうで、なにを灯すのか?要らないことをゼンは試みる。この期に及んで、燃えかすの好奇心である。未知の扉に、耳をあてた。フランがぴたりと背中にくっつく。はやく便所に行きたいのだ。おんなじ気持ちで、だったらどうして聞き耳なんか。
「――っ!?」
聞こえてしまって、おそろしや。
ひそひそひそひそ。
呪文のような早口だった。知った大人の声とはちがった。物置きで何をささやくのか――ふたりはとっくに裏口を出た。
過ぎた雨勢はしとしとと。あたりの森が、さあさあと鳴く。あってないような木柵の向こうだ。
やっと後ろを振り向けた。何かが追ってくる気配はない。
「ぜ、ゼン。なにを聞いたんですか……!?」
「い、いけにえの――」
「い、いけにえの……?」
知らない方がよいこともある。
「……な、なんでもない。なんでもないよ」
「うそです!ゼンがうそをつくなんて!」
少年少女は夜闇にまぎれた。ささやきあって、ひっついて、その小屋を見つけてしまうのは、ぶつかるほどの間近であった。
「わっ。ここ、かな……?」
「ええ。お手洗い……」
屋根が高くて幅広だ。糞尿のいやな臭いもしない。
雨がそそいでしまったのだろう。
あさはかに思って、ゼンは戸に手をかけた。
闇がより濃い。「穴」はどこだろう?足を滑らせ落ちてしまえば、いけにえなみに笑えない。"指先に灯火"を、フランが行使した。
「あれ……」「え……?」
どうやら便所でないらしい。
倉庫の類だ。
穴はなかった。机に大棚、鎖が垂れて。ゼンに思わせる。これまたなにか、におわないか。よせばいいのに、すんすんすん――ぶら下げて、何に使うんだろう。鉄くさい……だけじゃない。このフキツなにおい、どこかで。
「きゃっ!?」「わっ!?」
先に見てしまうフランであった。
「血が!」
灯った指とはまた別でさす、小屋のまんなかの木机だ。脚に黒ずんだ染みがある。
ふたりは正体をもっとたしかめたがった。外は星月のない雨曇り。魔女が来ないから、調子にのった。
「……あれを出せる?」
「は、はい。あれですね……」
ゼンの頼みならなんでも「はい」だ。神子の神秘に唱えは要らない。
『赫灼する幻日の火球』
雷光ほどに、白くてまばゆい。火の手を気にして小さく出した。綿毛のようにふわふわと、土に飲まれるまであと二、三秒。知り尽くすのに、十分であった。
おそろしや。
おびただしいかな、血痕である。
「「あ、あ……!」」
ぶちまけた後に、拭き取られたのだ。木机は、人が寝ころび、ちょうどいい。
血だまりを、なした道具と仲間たちが、火球でにぶく輝いている。
斧に、鋸に、とりどりの刃物だ。鎚に、刺股に、狐罠に、なににつかうのだ、大きな檻に。
鎖のわけが判明していた。ありありと、それは吊るしている。
肉塊である。
赤味の肉が、氷漬け。子どもの等身大はある。
ゆたかな想像力だった。少年少女は確信している。ここは、いけにえの。いけにえが――。
「お探しですか、お手洗い。くふっ」
火球がふっとたち消えたのに、ぼんやりうしろが明るかったとき、少年少女の五感といえば、肉塊もよろしく凍てついていた。
テルマー・ソロアステラは、魔女である。
作りごとではない。でなくては何も説明つかない。
なんと都合よく現れたことだ。見られてまずい血濡れた現場の、目撃者を導く場所といえば。
「あちらに、なりますよ。ご案内、しましょう」
そう、汲み取り便所である。
「どうぞ、落ちない、ように。足元に、くふっ、お気を、つけて。くふっ」
不気味な笑いとランタンをあたえて、魔女は根城に踵をかえした。
もてあそばれている。
もう手遅れだということだ。なにしろここは魔女の家。立ち入って、すべては魔女のてのひらの上。わざわざ小雨に打たれて出てきて、よっぽどあざけりたかったらしい。
三方に森の輪郭がおぼろだ。駆け込んで、逃げられないのだろう。
魔女は見ている、聞いている。いつもどこまでも。
少年少女は黙りこくった。おたがい、ちょびっとした粗相の事実が、黙りこくるうち、ふくまれている。
ありついた、汲み取り便所の奇怪さたるや。もはや多くを語るべくもない。まったく「無臭」で、異常な便所だ。
言ってられない。"商隊"ゆずりの紳士さを発揮して、ゼンの番が後だった。嫌なものをまた見てしまう。用をすませてからでよかった。設けられた深淵を、ちらとのぞくと。
「っ!穴に、穴に……!」
うごめいていた。肥溜めに溺れるねずみにしては、ちょっと大きな影である。
みなまで言おうか、一目散だ。
少年少女は何もわからない。帰る場所がまた魔女の家。もはや、ただただおそろしや。
雨脚は威勢をとりもどしそうだ。最後の夜を、せめて屋根の下ですごそう。
寝室めがけて突っ走るのに、ランタンだけは欠かさずに、少年少女はまたまた出遭った。ふたりして足が廊下でとまる。とまってしかるべきだった。
異界の扉がひらかれている。ごっとん時計の隠し扉だ。
魔女の家には、地下室がある。
物置きではない。階段をくだり、また扉。のぞき格子がまばゆかった。
見てみぬふりをするべきなのだ。
あてがわれた部屋へ帰るべきなのだ。
これだけ恐怖におそわれながら、少年少女は見つめてしまう。
ごっとん、ごっとん、ごっとん、ごっとん。
響くなかで、何を待とうというのか。正気であっても答えに窮する。けれど何人が、同じ状況で立ち去れた。
地下の扉が開きかけた。
「「あっ……」」
誰かいる。むこうに誰かいる。思い直したよう、扉はしずかに閉じられた。
「……て、テルマ、さん?ランタン、を」
もっともらしい言い訳である。魔女だって、勝手気ままな火はゆるすまい。返事はきっと、ぎこちなく――。
ドン!
疑問はもはや不思議とよばない。殴打する音が、返答だった。
少年少女はすくみあがって、もちろん動けるはずがない。
えてして人は目を逸らせない。ひとたび開いて閉じたような、見ない間に何かあふれてきそうな、扉のなりをしたような、えたいのしれない――未知なる恐怖の根源からは。
さらに打たれるまで、釘付けだった。
ゴーン!
何度目だろう、一目散だ。
意識の外から一撃だった。ごっとん時計の鐘の音である。なんにせよ、理性の針はふりきれた。
ゴーン!ゴーン!ゴーン!
子ども部屋へと転がり込んだ。ふたりでただちにシーツにくるまる。すばらしい盾だ。ほかには術がないだけだった。ランタンは隠し扉に置き去りだ。
恐怖の夜は終わってくれない。もう、どこにも逃げ場はない。
ひっきりなしの怪奇現象だ。もっぱら音で襲ってきた。
とことことことこ。とことことことこ。
廊下を鳴らして迫りくる、思うにそれは足音である。
急ぐらしい。
具合よろしくも、部屋の目前で止まってくれる。
正体が何であるかだとか、何のために走るのかだとか、少年少女に理屈はいらない。
フランがかざす、両のてのひらが、最後の対抗手段であった。押し入るようなら、あるだけ放つ。効くか効かぬか二の次だ。屋根が吹き飛ぶ?知ったものか。丸腰のゼンはせめて前へ、大事な人の盾となった。一息かせげば、フランは二発撃ってくれる。
シーツをかぶって待ち受けて、鳴ったりやんだりの、とことこに、今か!と思うときが来たる。神子の神秘に、唱えは――
「……え。あれっ!?」
要らないはずだった。
「フラン!?」
「神秘が!神秘が撃てません!」
わからない。訳がわからない。わからないというのは、どうしてこうも恐ろしい。
とことことことこ。とことことことこ。とことことことこ。
扉をぶち破らないだけ、足音は、廊下をかき鳴らしてやめない。屋根壁を打つ雨音と、きそって数を増すようだ。
キェーッ!
追い打ってくれる。家外からだ。奇声であった。何者の?やはりわからない。ひたすらわからない。どうやったってわかるはずもない。
少年少女は抱き合うしかなかった。ただただ扉をにらみつけ、こっちへくるな!と念じるのだった。
とことことことこ。とことことことこ。
やがて。
ドドドドドドドドドドドドドドド!
魔女の家が鳴動をはじめた。
誰か説明してほしい。世界は終わってしまうのだろうか。
ふるえて、ふるえて、目を見開いて、少年少女はなにもわからない。わからなかった。どうすればいいのか、それからどうしたのか、ねむりに落ちたのは、いつだったのか――。
ひとつ、さだかな真実がある。子ども部屋はもう雨漏りしていない。ぴちょん、と鳴らない。どうしてなのか?そこまでは、やはり。
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「うりうり!ねぼすけ坊やにお嬢さん!気のすむまで寝かしてやりたいが、昼飯までも食いのがすぜ」
「ん……」
いるべき人がいてくれないとき、いないべき人がいてしまうとき、どちらの方がおそろしや。まどろみから、ゼンは跳び起きた。
「あえっ!ば、ばんがーど!?」
「おう、お化けでも見たみたく!昨日の今日でも、本物さ」
数日会えないはずであった。どころか、ここは魔女の家。二度と会えないものかとさえ。
「にしても芸術的な寝相だね!膝が枕で?首だけシーツ!はは、それこそお化けと大戦争だ」
笑い事ではない。ヴァンガードは知らない。こんこんこん、と男の背後で扉が鳴った。きっと来る。来てしまう。やはりのぞくのだ、蛇の黒髪だ。
「うぇっ!ま、まじょ――!」
「《失礼します。アーテルさん?馬車の準備がよろしいようです……》」
横顔で、ヴァンガードはにこりとしてみせた。
「《ああ、どうもすみませんね!》さっそくだけど、行けそうかい?」しゃがむまま、こちらとむこうを交互に見ては。「《あんまりお邪魔しちゃわるい》」
「《とんでもない。可愛らしいお客様たちが、もう行ってしまわれるなんて、とても寂しい思いです。くふっ》」
磨りガラス越しの陽光が、廊下をさんさんと満たしている。光の中にたたずんで、魔女テルマーは健在であった。
家のおもてはにぎやかだ。"商隊"の顔がそろっている。
「《修理の礼を重ねて申し上げる》」唸り声である。
「《なぁに、これしき手間にもならない。雨季にそなえて間が良かったね》」知らない巨人種が黒馬車のそばだ。
「すばらしい、どこを直したかもわからんよ。《できばえ、職人。一等です》」ハウプトマンまで聞かない言葉だ。ちょうど荷台を降りてきた。
「《いやはや自宅もロクに直さんで、お恥ずかしいかぎりですよ。せがれも雨漏り嫌って出てきやしない》」
テルマーの夫は実在した。ドダイクンという名の巨人である。ヴァンガードらとでくわしたのは、資材調達の帰途であった。
猟師を生業とし、大工は趣味という。手並みのほどは、どちらも察してあまりある。"薄灰色"の修繕など、少年少女が寝こける朝方で、完璧にすませてしまっていた。
善良なソロアステラ夫妻である。大金貨二枚を押しつけるのにも、なかなか苦労した。対価としては、すくないくらいだ。
少年少女はぽかんと眺めて、黒馬車が発っている。疑問符だらけであった。やがて言葉をとりもどせても、魔女が、魔女が!と、大人たちを困らせる。"魔法の居間"が元通りだ。
「こら、あんまり失礼だぞ。何から何まで世話になったのに」みんな同じようなことを言った。援護してくれるのはサルヴァトレスだけだ。
「魔女ってぇたら、ありゃ見物だったぜ」
黒馬車が今ゆく道は、よほど昨日より整っている。雨後にも、まったくかかわらない。
テルマーが整えたからだ。
魔女の家を昨晩、ドドドド!と鳴らしたのは、むかいの崖の土砂崩れであった。一キロルほど、道もふさがった。
誰がなおしてしまったか。
テルマー・ソロアステラである。
「唱えもねぇでよ!ちょい、と腕をはらったらしめぇさ。たしかに大した魔女サマだぜオイ」
さんぽもさながら、つっかけで、ヴァンガードたちを迎えたそうだ。もちろん、さわやかな朝陽を浴びながら。
「あはは、"西の悪い魔女"ですか」イトーは言った。
残忍なその魔女は、ひとつ目に強い光をあびて溶けた。さぞおそろしい笑い方をしたという。
「すべての魔女が光を嫌うのか、悪い魔女だけが嫌うのか……探求の余地がありそうですね?ふふ」
青空のもとの見送りで、夫妻して手を振っていたテルマーだ。顔色はむしろ昨日よりよかった。
すると、テルマー・ソロアステラは、よい魔女だった……?なおさらどうして、奇怪な出来事のあれは、これは。
「鼻が曲がりそうなにおいがしてね……!」
「パイに入ってた、おさかなの具だねぇ」
"星見のパイ"と呼ぶのだそうだ。ぎんぎらとした包丁の刃にみえて、魚の頭であったらしい。幸運を招くとされる、公国域の縁起物だ。
「でもパイにはどく、洗剤が……」
「手元がおぼつかなかったのでしょう。ご夫人は風邪気味だったそうで」
くふっ。あれは咳だったのだ。
「もったいないなかったなぁ。ぼくならぜんぜん、食べちゃえたのに!でも、ほかはごちそうだったぁ~」
「ええ、よくもあれだけもてなしていただきました」
ついでにヴィクトル談である。「……両人ともシュワルコフの出だな」だれでもはじめはちんぷんかんぷん、外国語学習のことわりである。ゼンだって丁寧にしゃべろうとすると、まだまだぎくしゃくする。便利な呪文で、とはいかない。
「じゃ、じゃあね?厩舎にあった、馬の骨は……!」
「見たとも!歴代の愛馬だそうだね」
馬はかしこく、剥製の首に怯えてしまう。しかし骨ではそれと気がつかない。妥協案だ。
「剥製もご自身の製作だそうで、壮観でしたねぇ」
首を獲ったのも、掲げたのも、猟師で巨人のドダイクンである。
「血まみれの小屋があってっ!こわい道具がたくさんあって……!」
「そりゃ七つ道具と秘密の部屋さ。へっへっへっ」
猟師の仕事場、解体小屋と、大工にも用いる仕事道具だ。血抜きにしたって、おびただしい血痕といえば。
「そういや赤の一号を買い足したって?屋根を真っ赤に塗りたいんだとさ!」
ダルタニエンにも言えることだが、巨人の指先は、領外の仕草で急にぶきっちょだ。力が強すぎるのである。試し塗るのにドダイクンは、あやまってぶちまけてしまったのかもしれない。それから、"赤バツが先へ続いている"。嫌な思い出だ。ゼンは"迷宮"で、おなじ塗料を嗅いだのだった。
「どうしてみんな、しゃべらなかったの!」
「ああ、それはね?」ジニーが説明してくれる。地下室の真相であった。
ソロアステラ夫妻には、ひとり息子がいるそうだ。むずかしい時期、というやつで、来客をとてもきらっている。
「せめてあたしらは、できるだけ静かに、ってね」
押しかけて泊めてもらう身だから、ハウプトマンはおふれをだした。「屋内での会話は最小限とすること」少年少女をのぞく全員が、これを聞いては遵守した。
「ど、どうして私たちには内緒に!」
「そりゃねぇ!ふふ、聞いたらお話ししたがるだろう?男の子はどこ!地下室はどこ!って、興味津々でさ」
少年少女は否定できなかった。おなじくらいの「子ども」というのに、旅立ってから知り合えていない。
「それじゃあ、隠し扉のむこうの声は!」「叩いたのも、その男の子……!」
趣味と善意の家であった。
旅人をもてなすことが、ソロアステラ夫妻の生きがいなのだ。
ねらって家をかまえたという。交通量と距離のわり、大陸道から"花畑の町"間は、行き人を支える手立てが少ない。ようは不便だ。
夫妻は困った旅人に、喜んで手を差し伸べる。そのための備えも欠かさない。
おおきな厩舎、おおきな食卓、意外なほどにある部屋数。提供するのは最上級のもてなしで、雨漏りは時期がわるかった。
ひとり息子もご機嫌ななめだ。
折り合いとしてせめて夫妻は、このごろ客を選ぶのだそう。
本当に困っているかどうか。いたずら好きの旅人でないか。
"商隊"は資格十分だった。
ジニーは黒馬車の秘密を明かしていたし、めったにない子ども連れの馬車は、「善人の馬車」とみとめてもらえた。
ハウプトマンは気にかけて問うた。少年少女のいない間だ。
「誰もかれもを招いてしまって、なにかと不用心じゃないかね」
テルマーは、よくわらったという。
「ご心配には及びません。この家は、わたくしの"陣地"です」
実力者である。この星で、孤独な生き方を許されるとすれば、相応な力の裏付けなのだ。
キェーッ!と聞こえた、謎の奇声も解決しよう。テルマーのほどこした何らかの迎撃措置と、侵入者――おそらくは魔物の悲鳴、そんなところだ。頼りない木柵ですむ訳だった。
よろしい。疑問は全部、解決だろうか?
いや、まだまだある。
便所をもとめる少年少女に、テルマーはなぜ気がつけたのか。「穴」でうごめいたものの正体とは。便所がまったく臭わない訳は?臭いと言えば、裏手はもう、魚くさくなかった。
それぞれ答えをひねり出せなくもない。感知は結界魔法の得意だ。溺れる鼠は、よほど肥えていたとしよう。便所はたまたま新品で、テルマーは隙を見て掃除をがんばった。
では、では。
とことことことこ。
あれはなんなのだ。二階の廊下を、行ったり来たり、やりたい放題。
「地下室の男の子なのでしょうか……」
「どうだろうねぇ?」知らない方がよいこともあるのに、ジニーは親切だった。「よっぽど出てこないし、挨拶もなくてごめんなさいって、テルマさんは言ってたよ」
「……男の子って、としはいくつなの」
「十五かそこいら?」ヴァンガードが見回すと、みなうなずいた。「だったかな」
少年少女は顔を見合わせた。同じような推理をしている。
テルマーは只人で、夫のドダイクンは巨人。遺伝の法則なるものから、子どもは只人か巨人種である。十五と言えば、村では成人。しるしと数と魔女の家、あわせて廊下を歩かせてみよう。「とことことこ」では、とてもすまない。このごろ年並みに追いついてきて、やっとフランと背比べするゼンが、どんな忍び足でも、
みしぃ。
と鳴ってしまう床だった。
ではなんなのだ、あの、とことことこは。
「そういえば……」イトーがとつぜん、変なことを言う。「昨夜テルマーさんは、二階で雨漏りの修繕を?」
少年少女は喉がすぼんだ。
「い、いつ?」
「時計の鐘より前かねぇ」
ゴーン!と、あれは九時を知らせる鐘だったという。
「ええ、鐘が鳴るより前ですね。階上から、それは大きな物音でした」
「……喧しかったな」
「廊下の時計が……」「鳴るより前、ですか……?」
おっかなびっくり便所の時間だ。子ども部屋には誰もいない。いてほしくはない。
「……聞きまちがいじゃない?」
「まちがえないよぉ!ぼくらの部屋の、まうえだったものぉ」
「……テルマーさんなら、裏手に……いた、よ。いたよね……?」
「はい……」
「おや、そうでしたか?」
一人息子は地下にこもりきり。便所に導いたのはテルマー。
同時刻、何かがあった。
誰もいるべきでない、子ども部屋で。
とうてい、疑問はつきそうにない。
神秘の使えない部屋だった。
どうして。
少年少女は何度目だろうか見合わせて、それきり、ものを問うのをやめてしまった。
もと通りになった"商隊"がある。大人がお喋りしてくれる。蹄が鳴って、車輪がまわる。
ありがとう、魔女の家。ありがとう、テルマーさん。もう満足です。
不満はないのだ。問題もないのだ。魔女が怖いのでは、ないのである。
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"魔女の家"、ある種の蔑称だ。
愛称でもある。
不気味なほどに世話焼きの魔女こそ、旅人にとってありがたい。"魔女の家"には"魔女"が住まう。この星で、孤独な生き方を許されるとすれば――たいへんな贅沢だ。
「魔女」の定義を、しばらく経って僕はあらためた。
史実をさかのぼってみるとわかる。原初には、人知を越えた魔法をモノにする、「女性魔術師」全般を呼んだのだ。
どこにも悪しき要素はない。けれど、悪名とは美名より轟かすに容易いもの。いつの間にやらだ、「気まぐれに人を脅かす」までが、その肩書きには付加されつつある。
いたしかたないやも。"好奇心で猫を殺す"と私欲を戒めることわざは、一部の魔女が起源だそうだし、その魔女らにとっての猫とは、おそろしや、人間だったりしたらしいから。
真なる「悪い魔女」ともなれば、"星の理"に逆らえる。
冒涜的なおそろしさだ。
"時の魔女"を知らない者はない。なにもかもを逆さまにしてしまえた。彼女を封じるのに東の賢者は、数百余年を対価とした。
時間の遡行、因果の逆転……。
めっきり見られなくなった、時の魔法だ("商隊"の黒馬車が特別な由縁である)。
僕は可能性をまだ捨てきれない。
テルマー・ソロアステラは、これを自在に行使できたのではないか。
すると、わるい魔女の末裔――?
疑問は解決させないままだ。
テルマーさんは、もう怖くないはずだけれど、もしも、もしもだ、わるい魔女だなんて言いふらしたら、どこからともなく聞きつけて、本当の怖い目に遭わされるかもしれないから。
この星は広い。
剣技に、魔法に、科学に、曰くに――どれだけ知見をひろげても、未知という棒にひたいをぶたれる。
魔女の家。"商隊"のした寄り道で、不思議な雨夜の出来事だった。
ああ。
ほんのちょっぴり、余談を付そう。
"魔導"の定義なら、ちょうど覚えたてだった。攻勢魔術の主流たる、六属性にそれぞれ一座、極みに至りし者が戴ける。
どの座も、世代交代が近いと言われている(言われていた)。あのころもっとも注目されたのが、なにをさておこう、土の座だ。候補者の名と居所を、大国はもう見出していた。
その「少年」と呼んでおこう。
歴代推定最年少で、ゆくゆく彼が座に及んだ日には、"千手采配の土統"の名も、晴れて二代目となる。
天才少年と呼ばれる身の、きゅうくつさなら覚えがある。おのずと日常に反映されるもの。やたらめったら剣をふったり……地下室にこもる彼であれば、寝相の悪さであるとかだ。後者の少年が寝ぼけてまき散らす岩弾などは、家を穴ぼこにしてしまうものだから、母親にして師をだいぶ悩ませたという。
ときに、魔法理の設計・行使を阻害する、結界魔法はまだあたらしい。汎用化に先鞭をつけた者とはたしか……初代"千手采配の土統"であったはず?
それから、そう、お披露目にあたって祝福されるべきだろう。例の「守護人形」には、試作機段階でお目にかかって、たいそう出来に驚かされた。"千手采配"が、二代にわたって完成させたという。後世に残る功績だ。
おや、おわかりいただけただろうか。まったくの余談だったでしょう?




