36.魔女の家 上
商隊は進む。南へ南へ、これはちょっとした寄り道だった。
「つよさのくらいの、かぞえうた……?」
「そうさ!ちょいと待っててくれよ、すぐにでも思い出すからさ」
薄灰色の荷台で過ごせば、春の去り際を肌で感じる。のぞきこむ、昼下がりの陽で頬がほてるのだ。風を求める少年であれ、屋根上を光にゆずっていた。
大陸道をそれてしまって、かかる人目は一対となし。時を駆けるのを止めないかぎり、見張りも名ばかり、暇つぶしである。シェリフマック・ドールランの名がよぎったからだ。話題に弾みもつくのであった。
うんうん、うなった末である。お喋り役のヴァンガードは、咳払いのあとうたうのに、膝をたたいて節をつけた。
握りも 知らねば みな初心
見て習あっちゃえば すぐ入門
振りはじめった君 すわ凡常
飯が 食らいたきゃ 熟練級
専ら 一意に 心を 置けば、よろずが 至りし 専心級――
「……ここまでゃいい!続きがね、はて、どうだったかな……?」
熟練までが、ほとんど団子だ。歌の調子からそうだった。ずんずんと低くうねるようで、専心級から跳ね上がる。
ゼンも教わった。戦士の"位"で"専心"の意とは、なかなか大したものらしい。
曰く、「どれほど無能と思えても、一生涯を費やせば、いつかはたどり着けるくらい」である。とにかく言われた。侮るな、と。世にもありふれた戦場で、生きのびる目が勝つ線だという。
語るヴァンガードは事情通だ。けれど発揮していたたくさんの自信は、歌にかかってどこへやら。じっさい、尻切れトンボであった。
「なぁ誰か!続きがわかるかい」
"魔法の居間"の内側へ、助け舟を求めるのだった。結界のもたらす遮音効果は、同乗者にかぎって無効である。
「やぁ、僕には初耳ですね」境のすぐそば、イトーがこたえた。
「おや!この星にイトーの知らないものが?」
「恐れ多い!ただいまも興味深く拝聴しておりましたよ」
「……"範、となるには力を示せ"、だ」
ひとつ奥から、唸り声である。ぼそりといかにも不機嫌そうで、きちんと調子がついていた。ついでに説明してくれる。
「以後を同様、相手に取れる規模を比喩する……師範なれば、道場弟子が総出で敵わん」
しかも早口だから、上機嫌である。ヴァンガードが思いきり手をうつと、革手袋のよい音がした。
「それよ!力を示さなくっちゃ!"範、となるには力を示せ。かたるばっかりじゃろくでもない"――で、この先はどうだっけ……?」
すこしためらいがちだった。ヴィクトルにしては少ない方だが、座りをよじって、続きをくれる。
「……"長だと言うなら軍勢下し、国を背負うなら一夜で天下。果てに踏破せば陸も割り、天まで至れよ星砕き"」
「おー、終いまでよく歌えたね!」
「……貴様。道化に仕立てたな」
「や、ホントに思い出せなくて……」
「次で降りろ」
「嘘じゃあないって!」
音楽のことわりは、ときどきジニーが教えてくれる。上から下まで、ニオクターブと四度の幅だ。「星砕き」など、高く旋律がかかるから、歌とて練らないヴィクトルではない。まして地声が唸り声である。
「ふむ。位をゆくにつれ、比肩しうる規模とは飛躍するのですね……」
なにもかもかまわず、イトーは手帳に書き留めている。厳密な呼称を順に"初心級"、"入門級"、"一般級"、"熟練級"、"専心級"、"師範級"、"軍団長級"、"某国級"、"大陸級"、"星域級"といった。後の方ほど、直感からして人間離れだ。
「……非現実的だがな。軍団に増した多勢を相手にするなど」あらためて、非現実的な剣を振るう、剣士は鼻で笑うのだ。「くくりにおいては指折りの使い手。言わんとするのは、そんなところだろう……」
平野を一薙ぎできてしまう彼だ。ゼンからしてみれば、じゅうぶん星の域であった。
「孤独な武人が、わずか一夜で国落とし……聞かない文脈ではありません。おとぎ話の類にはなりますが」
「でかい拳が欲しくなるよな、陸くらい割りにかかるんならさ。もひとつ上なら、かえって潔いけれど」
「大陸のうえ?って、いちばん上だよね」
「そうさ」
星をも砕ける星域級。まるでことわりの外にきこえる。
「……ぜんぜん想像できないや。じつざいするの?そんな戦士」
「ん。そりゃあもちろん――」三つの知恵が口を揃えた。「勇者だろ」「勇者だ」「勇者ですね」
「ああー……」
"勇者"の意味と存在くらい、少年だって知っていた。
せかいをくまなく探しても、たったひとりで、ひとつの称号。意味するところは、最強だ。
実感となると別である。
星砕き。許されてしまうその人に、とびきり不機嫌な日はなかろうか?もしも思いきり、星に対して、全身全霊、刃向かったなら?ゼンはひととき口を開け呆けた。そのとき、自分はどうすべきだろう。
「ははぁ、心配しなさんな!そんな破滅は起こり得ない。すべては星のため人のため、だから勇者は勇者であれる。星と人々も、その強さを許せる……」
わかるようでわからないことを言う。強い戦士はみなそうだった。けれどもゼンは、おぼえる頻度をましていた。得てきた知識と経験が、ふっと結びつく感覚だ。
――"星の理"なんだ。勇者のつよさって。
"星の理"は、人の「強さ」に干渉したがる。近頃、聞いて思っていた。たしか万能不到の悲話だった。
速攻詠唱の始祖にして、三大詠唱作家のひとり、ミシェルバーボン・モンゴメリは、剣魔両道にたいそう秀でたそうな。剣を握らば国一番。詠唱合戦の技前だけで、宮廷魔術師を負かせてしまえた。
非凡な才有り。誰もが認めた。しかしついには至れなかった。「それなり」の向こう、真の高みには、目指して終生至れなかった。
あるところまでのぼりつめて彼は、妙な法則に気がついたという。
剣に専心すれば翌日、酔ったように舌が回らない。机にむかって魔法理を練れば、今度は剣のキレが――剣気が――やたらと衰える。
不可解なほど転げ落ちる。と、当人は最期に書き残した。長年の一進一退に耐えられず、思いつめての服薬だった。依然と、剣を握らば国一番、宮廷魔術師を負かせる実力だった。人には人の悩みようだ。
せめて教訓として、あとの人々は導き出す。
"万能不到"、星の理だ。どんな天才、傑物だろうと、多分野にわたって欲張ると、行く手を阻まれることがある。
逆に許されたっていい。ゼンは思った。"勇者"も人の子、その手はきっと人の手だ。たくさん認められるからやっと、星を分かてる力に及べる。
「それで……ヴァンにはわかるの?シェリフがどれくらいの戦士だったか」
もとの話題であった。
「うん、団長級を優にしばくだろうね。厳密な"位"となると……やり合わなくちゃわからない。ぱっと見ただけ、適当なことは言えないや」
「……ヴァンやヴィクトルなら、どれくらい?」
「な、ヴィー、俺ってどれくらいだ?」
「……知らん。不毛な線引きだ」
唸り声である。今度は不機嫌らしかった。けれども、ちょっぴり親切さがある。
「講評は勝手しろ。無価値と俺には思えるだけ……増して測れん敵手の力量を、どうこう浮説する趣味はない」
「《ほんとうに知れる相手のことしか、ヴィーは口にできないってさ》」
「《うん》」
まわりくどいが、そういうことだ。ゼンもすんなり思いなおした。他人のひたいに不可視の値札を、勝手に張っては無礼だろう。
「歌のことにゃ詳しいくせな」ヴァンガードは庇うようだった。
「貴様には思い当たらんか。昨日よりずっと鮮明な過去が」
「……まったくないとは言わないね」
すこし間があった。気を取りなおしてからヴァンガードは「格付け」のむずかしさを言った。
「国級からは幅も広いから」
某国級、とはイトーも手帳に記したが、某とはつまり出身によりけりだ。王国級、公国級など、大国であれば箔がつく。小国であればかえって隠す。準じて、さなかの国級とは聞かないらしい。土地持ちなわり、武力をあまりもたないせいだ。
「アメイジアったらバカでかいもの。王国級と戴いたんなら、大陸級も同然だ。わかるだろ?気軽に国級とは呼べないよ。あてがって、それであってりゃいいが、でなくちゃ本物たちにも悪い」
つまりは作法の話であった。なおさら"勇者"は潔い。一番だ。と、誰でも言えた。
戦士の話がつづくから、聞きっぱなしの人がいる。彼女も輪に入りたそうだ。
「フランには"二つ名"がほしいよね」
魔術師に"位"はあてはめない。侮られている訳ではない。迫る脅威を未然に減らせて、戦士と道がちがうだけ、代わりに戴く"二つ名"である。
「まずは師匠が必要だな。どこかでうまく出会えりゃいいが」
自称もまかり通る"位"より、"二つ名"はずっと厳格だ。一夜かぎりでも構わない。既に名のある先達と、師弟関係を結んで、授けてもらう通例である。授かると、授かったのだと自覚を得られる。"星の理"だ。系譜をたどれば、初代勇者の一党まで連なるという。
「椅子に座るのが、ひょっとはやいかな?はは」
"魔導称号"を、ヴァンガードは言うのだ。"勇者"と似ていて、星から授かる。"座"につくのだと、固有に言われる。
攻勢魔術の主流たる、六属性にそれぞれ一座、極みに至りし者が戴ける。当代、通じる"座"の名称は、クーネル・ドゥファスに統べられたものだ。曰く。
『時と所に、言葉までたがえても、我ら同族であるかぎり、響く音色はこう聞こゆ。すなわち。
炎帝、水君、土統、風王、氷傑、そして雷皇である』
くわえて曰く。
『第七の称号が、未だいずこかに在る。この先、何にも記されはしない』
ほのめかされる、未知の"空座"だ。魔術師たちの探求心をときめかす話であった。
「するとどうです?フランさんでは。可憐なる炎帝、なんて具合でしょうか」
"二つ名"に"魔導"がかぶさると、究極の魔術師をあらわせる。
歴史に顕著な例を見よう。王国七賢が一"魔術王"は、おそらく初代の"氷傑"であった。無声で築いた氷の巨城は、当代にもまだ健在だ。真名は失われて、「無音の氷傑」とだけ伝わる。肩書きが、生きたしるしとなったのだ。
「あんまり見た目を言っちゃ品に欠くよ。フランはもちろんかわいいけどね?……ほら、当代のヘンテコ風王みたく」
ジニーは夜番明けだった。ずっと長椅子でごろごろしている。
「あは、奇人風王ね。流石にホントの二つ名じゃなかろ?変わり者じゃあるらしいが」
「どなたか彼の自伝はお読みに?」イトーは本の虫である。
「自伝!そんなの出してるの」
「ええ。なかなかの大作でして……要点でしたらおぼえがあります。たしか、"絶対無敵の風王"ですよ」
「……大概に大それた名だ」
よほど師匠に甘やかされたか、本人の押しがよかったか。知れる機会は、いずれあるやも。
「私はせっかく頂けるなら、かわいい名前が嬉しいです!」
フランの欲などかわいいものだった。
「さ、ゼン?そろそろ代わろうか」
伸びあがってから、ジニーが言った。
「でも、夜番あとですよ?」夜の番人はたいへんだ。明けた昼番を免除されるものだし、ソファの優先権だってある。
「いいのさ」
かがんだままでそばに来て、ジニーはこしょりと耳打つのだった。
(ほら、あの子。あんたとおしゃべりしたそうだ)
"魔法の居間"の奥へひっこむと、フランも黙ってついてきた。"さなかの言葉"で相手がおらず、暇していたにちがいない。ダルタニエンは御者台であるし、ハウプトマンは円卓で金勘定、おまけだが、サルヴァトレスは自前の敷物でぐーすかしている。
いどころに、ゼンはフランと腰を下ろした。鞘をしずかに寝かせるのも、だいぶ馴染んだ手際であった。
「もうすぐ御者の――」「雨が降りそう――」「「あっ」」
ふふ、と笑うまでかさなった。
「雨、降りそうですか?」
「うん。ずっとぽかぽかしてたけど、吹き込む風がかわったから。次の御者って、サルヴァだよね?ぬれちゃうかも……」
ゼンはこのごろ不思議であった。フランの視線の感触だ。
どうやら"異能"の延長らしい。そもそも"異能"とは知らなかった。
視線に必ず気がつける。
ときどき、視線のふくみがわかる。
どれほどだろうか、強者であれば、敵視はつかめてふつうらしいが、特別なのだとヴァンガードは言う。
"異能"とは、意志をもとめない魔法理だ。"魔眼"が代表的である。"魔法"と異なり、継承性が欠如しており、授けられない、受け取れない。
先天・後天ともにあり得る。誰しも獲得の機会がある。「ふつう」を外れて生きることだ。望まぬ環境であれば、なおよい。順応する過程で、人は異能を得るかもしれない。
ゼンが思うに、"視線感知"は後天だった。長らくひとりで、危険にとりかこまれた。最たる脅威を逃れるために、視線を知るのは重要だった。敵と味方を識別するため、読心の域まで進化した――のちに聞けるだろう、推測がまじる。確実なのは"異能"のおかげで、今日びのゼンはまっすぐいられた。一因だ。味方を見分けて疑わず、信じ抜くことができてしまう。誰も、ゼンが打擲された過去を思わないほどに。
集中を欠けば、ねむったままの"異能"であった。ちりちり、むずむずするような、敵意以外は分別しづらい。
ちょうどいい、とやはりヴァンガードは言う。一方的にわかるばかりは、きっと、つらいことだって増えるのだと。だからもろもろ満足していて、けれど不思議なゼンであった。
たえず見られて、どうしてだろう。ふりむいてみると、やっぱりフランだ――なにか用?目をみて返す。逸らされてしまう。
フランを見ない。じっと見られる。フランを見る。そっぽを向かれる。
ふくみがわかれば、不思議はないのだが。つとめてできれば苦労しない。くすぐったくって、陽射しみたいに、ぽかぽかして、なにを思って見るのだろう?いいかげん、解決しどきと思った。純粋な好奇心であった。
「あのね、フラン。きいてもいい?」
「はい!なんでしょう?」
慣性というのをこの頃おぼえた。馬車がとまると、"魔法の居間"もゆれる。御者を交代するのだ。おおあくびしたサルヴァトレスが、のそのそ武装にとりかかっている。
「どうしてずっと、こっちを見るの?」
「えっ!そ、それは……」
「うん?」
つい、とフランが伏せた目を、ゼンは小首をかしげて追った。一方そのころ、薄灰色で。
「よぉし、用を足すなら今だぞー。今……」
「おい」
「待てって!待って!剣は置いてけ!」
ヴィクトルに小突かれながら、ヴァンガードが外へ追い出された。
「ありゃ、怪しいじゃないの雲行きが。ちょっと!サルヴァ!一雨来るよ!」
ジニーは体をのりだして、空模様をのぞいている。
「ちぇ、合羽が入り用け。大将!かりっぞ」「んー……」
衣装かけからサルヴァトレスがひったくるのは、最新の撥水外套だ。もとはハウプトマンの私物であった。
「運がないなぁ、サルヴァ!」のしのしと、ダルタニエンが"魔法の居間"に帰る。槍を置くのが早いか言うのに、
「けッ、せいぜいしょりやがれ!」サルヴァトレスががなって、そのとき。
世界がひっくりかえったのだ。
ゼンはみとめた、異常事態だ。まばたきもなく景色が変わった。まっさかさまで抱かれている、あたり鈍色の空だった。
戦いの自分が、とうに目覚めている。訳などあとだ。状況把握だ。はるか眼下に黒馬車はある。二十メルそこら、落下がはじまる。最優先は決まっていた。腰をよじって、首をめぐらす。
――フランは!?
よかれ、宙に浮かんですぐ傍にいた。すかさず振って、腕は届かない――なら"煌策"をッ――ためらいはなかった。引き寄せた。しかと抱きとめた。
着地の都合は出たとこ勝負だ。"刹那"にいるから、余裕はまだある。
"魔法の居間"にいた全員だろう、やはりか空に放りだされていて――顔色まではみとめていない。爆音がきける。意識がそれる。
眼下であった。ヴァンガードだ。常識外れの拳をもって、大地を打ちのめしたらしかった。敵襲か、ゼンは構えたが。
ひとまず拍子抜けなのは、衝撃のない着地であった。あきらかに魔法理の干渉だ。ふっと速度が落ちたと思えば、羽毛のような踏み心地だった。落ちて全員、無事である。とくに誰彼かけてもいない。
もちろんいきつく、いったい何が?めいめい叫んだり、なんなりするのを、ヴァンガードがすぐさえぎった。
「荷台の床をやられちまった!まだ気をつけろ!」
穴だ。
そこには穴があった。
"薄灰色"がうがたれている。何があけたか答え合わせは、望むまでなくすぐなせる。
どっ!と地中から伸びて襲うのは、節くれた尾だ。びたん!びたん!脅かす間もなし、断たれている。ほとんど人知れずまであった。
かたやで、ずっと目立ったヴァンガードである。ずぼ!と拳をうずめるのには、地面も水面も変わらぬようだ。「そらッ!」と、たちまちひっぱりだした。黒々として、人のたけもある蠍であった。尖った尾っぽはちょんぎれている。しばらくはたで踊っていた。
「逃れたのは、こいつだけかな」馬鹿げた拳を槌にして、地中を掃討してしまったのだ。つかんで掲げた蠍にせよ、もう息がない。
「借りたぞ……」
襲い来た尾は、誰が断ったか?想像通りの唸り声である。短剣が、サルヴァトレスの手中に帰った。「およ!俺のお株がねぇな」技の世界とは紙一重である。
「や、油断しちまった!この道、"時駆け"が多かったから……」
ヴァンガードが荷台をのぞきこむのに、商隊の面々は続いた。あるべきところに、"魔法の居間"がない。薄灰色と貨物室とを隔てる、垂れ幕ばかりが揺れている。
かわりにあるのが。
穴だ。
そこには穴があった。
「こりゃ大ごとだよ!大ごとだ」見分にかかって、ジニーは言う。「みんなが放り出されたのは、閉じ込め防止策さね」
十字を切ってたしかめるも、やはり結界はひらかない。
「どうしよう、もう入れないの……!」ゼンがとっさに思うのは、黒曜石の輝きであった。「お父さんの剣が……」
言ってただちに連想だ。普段使いの"ガズ"すら帯びない。闘気をまとえて戦士であれど、刃をなくして剣士であれない。いましがた存分に学べたように、外には危険がいっぱいだ。嫌な汗が出る。拳一本で、ふつうはすごせない。
「ふさげばもとに戻るはずさね?だけれども……」
「やべぇな、"砂漠も果ての井戸"じゃねぇか!」
潤う術ならわかっているのに、解決できない板挟みを言う。修理道具も板きれもぜんぶ、"魔法の居間"の中なのだ。
頼りの馬車が壊れてしまった。"商隊"にとって、帰るべき家だ。家だった。
まもなく、ぽつぽつ、ぽつぽつ、と、家無しの一行が、打たれて見上げる空である。ごつごつと大雲どもが、いまにも転げて落ちてきそうだ。
「大将いったいどうする、こいつは!」
むらさきに、明後日の景色がまたたくと、大地がふるえて、轟いた。「ほど近いですね……」会話のはざまにイトーがつぶやく。
「どうもこうもっ!近場の町まで早馬しかない!」
立ち尽くし、とうにずぶ濡れの一行であった。みあわせて、少年少女は"一条"を思う。道ゆきに、思いがけない雨とはかつて、不穏のしるしであったのだ。大人たちがいろいろと言った。
「"花畑"までになりますか!四、五十キロルはありますよ!」
「……野営の仕度にせよ中だ」
「っかぁー!飯の料々もご一緒さ!鍋の油でも舐めっかよ?」
「なぁ、馬車そのものは動かせるのかな!」
ここでいくつか、おさらいになる。我らが黒馬車は特別製だ。よそとを区別する内蔵魔法は、大きくみて三つ。
"魔法の居間"へと通ずる結界。諸条件下で行使可能な"時駆け"。所有者同伴による、速度および重量補正。
誰にも信じてもらえまい。これほど、ゆったりできて素早くて、快適な馬車旅があり得るのだとは。
もとをたどれば新婚旅行だ。さまざまお荷物をのせるのは、実益と趣味と信仰である。西への途上を逸れるとすれば、夫妻の意向の尊重だった。
"花畑の町"がそうだ。かつて旅程にあったのを、"集団暴走"でだめにされた。目途が立つから、また試みた。恵みの馬車の寄り道である。巡礼の少年少女にも異議などなかった。むしろ楽しみな寄り道で、もっと楽しくなるはずだった。
「ダメだぁ。みんな、すごくおもたいってぇ~」
ダルタニエンに頼まれて、黒馬車をひく四頭は、ふんふん鼻を鳴らしてくれた。甲斐はなかった。馬車は進まない。
「破綻どころか狂ってるね!こりゃ」たとえ魔法理の支えなくして、動かせていい重さのはずだが。「もとの"設計"がフクザツすぎなんだ。あたしじゃとっても手に負えないよ……!」
推論だけなら、ジニーははやかった。どうやら"魔法の居間"内部の重量までが、黒馬車に反映されてしまっている。
「……車輪をそなえた一軒家か」
明快なのはめずらしい。唸り声である。
要件を欠いて、こうなったのだ。つまりあるべきは四頭、四足、四輪に四角。整わずして、対価とならない。
「いくぞ、そらっ!」
「おおおおおお!」
しばらく馬脚と男手で、やれる術はみな尽くしてみた。ここをどうにか動いてくれ。
ふりしきる豪雨に、舗装などない泥道だ。空は暮れるばかり。暗黒が近い。雷は止むか、止まないか。いまのところはひっきりなしだ。
泥の轍に車輪がおちこみ、引き上げるのには難儀した。闘気ふんだんな戦士らと、優良馬たちの脚力だから、一軒家でも救い出せた。いつか作った毛皮の敷物を、噛まして進めて、とりわけゼンは大満足だ。
路肩の森へ寄せきる前に、イトーが膝に手をついた。息も荒い。どれほどか、参加していただけえらい。畑の違いを誰も責めはしない。得意は頭脳労働である。地図なら思い描いていたが、たがわずアテは見つからなかった。
「ケンジ、やはり"花畑"のほかないか!」怒涛の雨と吼える雷に、立ち向かうため叫ぶのだ。
「はい。それも、往復三日は……っ!」眼鏡がぬれて曇っている。癖毛がくるくる、額にへばりつく。
「でぇ、誰をよこすってェ!?」
半減している戦力を、サルヴァトレスは叫ぶのだ。剣士と槍手が空手であった。当然ながら、銃もない。思えば"さなか"は穏やかだった。魔物と遭っても日に三度。この統べ手無き土地ではどうか。折っては指が足りないだろう。
旅人のない道だから、"商隊"は時を駆けてきた。助けはない。選べる手段は、おのずと少ない。追い打つように、夜は来る。見張りがどれほど優れていようと、雷雨は五感を妨げる。危険だ。行くも、とどまるも。
「俺が!俺が行くよ!大金貨もある!ひょっと潰れてなきゃいいが!」
どろどろの踵をみせて、ヴァンガードは挙手の代わりとした。
人選として正しそうだ。彼であるなら希望を持てた。先駆けるには、夜を徹する。"魔法の居間"なしでは、食うものがない。飲み水にせよ、御者役の鍋に溜めた雨だけ。飲まず食わずで人は萎える。泥障を蹴ってもまた萎える。単独行など、なおばかげているが、へっちゃらそうなヴァンガードである。
ただし。
「一騎じゃとても足りんだろう!床材に、工具に!ひょっと食料に!」ハウプトマンは道理であった。
「どなたかほかにも!馬を駆るのに慣れたのは……!」イトーはわきまえて、自分が行くとは言い出せない。
「僕!僕がいく――」「えっ……」
でかかる口をゼンはつぐんだ。袖をつかまれ、不安をつかむ。フランの背中は、黒くて深い森だった。
――のこった方が、役立てるかも……。
大人の相談を見守ることにした。嵐に紛れて、挙手は知れ渡っていない。
「ったぁ、しゃあねぇな!」雨具をフランに譲っているから、サルヴァトレスとてずぶ濡れだ。「俺っきゃねぇだろ!しぶてぇ部類さ!」間に合うだけの武装はしていた。
「そうだ、オルシがなついてたな!」
「するといよいよ置き場所だ!頼むぞみんな!もうひと踏ん張り!」
でん、と道にはいられない。切符をくれる警官だろうと、いまのいまこそ大歓迎だ。森と崖とのはざまにいるのだ。降らない間は良かったが、むきだしのやわい土の斜面に、だくだくとつたう雨水が、今晩もつかと急き立ててくる。
「おーい!あんたたち!こっち、こっちだよー!」精霊弓の輝きが、雨にも負けずうつくしい。ジニーは斥候に出ていた。「一軒家さ!すぐ目の前だよ!雨宿りさせてくれるって!」
「はァ!家だァ!?このクソど辺鄙な道にィ!?」
「……魔女の家か」
"魔女の家"、ある種の蔑称だ。人気をいとうように、ぽつんと、孤立した軒に旅人がさずける。
土地柄もあってなおさらだ。孤立とは、危険の代名詞にあたる。誰が好んで選ぶだろう。考えもすれば、人は囁きもする。決めごとを嫌い、人目を嫌う、憎まれっ子が住まうのだ。そして引用される、"魔女"である。
としふりた、いわくにまみれた彼女らは、やたらと魔法に親しみながら、うかつに近づく人を害する。と、もっぱら信じられている。その称号に、皮肉、嫌煙、揶揄、どれでも込めるがいい。あるいは妬みを言うかもしれない。
危険のたかには、きりなどない。この星で、孤独な生き方を許されるとすれば、相応な力の裏付けになる。そう、"魔女の家"には"魔女"が住まう。もとい「魔女だと煙たがれるほどに、はみでた才を持つ者」が住まう、とは、あながち遠からずな洞察なのだ。
「ま、魔女さんのおうち……歓迎してもらえるでしょうか?」
「大丈夫だフラン。おぼえてない?ハウプトマンが言ってたの」
ゼンに「イワク」は効き目がない。夕陽をのぞんだ旅立ちの御者台で、大将も教えてくれたのだ。見て見ぬふりの常識人より、不気味なほどに世話焼きの魔女が、旅人にとってありがたい。
一時間そこら黒馬車を押し進め、ゼンはますます思いを強めた。剣のない今、せめて屋根と壁とがあってくれたら。雨漏りしようと、まったく結構。どんなボロでもかかってこい。真心で――はて、いつまでだった。
さんざん泥雨にもまれた末に、商隊はたどりついた。
蔦のはびこる一軒家である。
森から生えた面をしながら、吹けば飛びそう、とはよそう。まさに激しい風雨の中だ。では、朝まで耐えてくれるだろうか?
角度をかえた正面は、ばりばりとした外壁だ。夜更けのごとき夕暮れに、怪物がきざんだ爪痕とみえた。かこう木柵は、子どもが跨げる。天の方々をわがままに刺し、まっすぐ立つ気をまず見せない。人だけだ。この先ゆくのをやめようか、と、賢明に踏みとどまれるのは。
ギィィィィィ。さぞ心温まる、玄関の鳴き声であった。
「まぁ、まぁ、この雨のなか、大変でした、ねぇ」
くふ、くふっ。と、魔女は笑った。失敬。出迎えたのは女主人だ。死人さながら白いおもてを、揚げたランタンで明かしている。
「すまないね今晩は。女手ひとつのところ」ハウプトマンは礼を尽くしている。
「平気かい、こんな大所帯だ」ヴァンガードもありがたそうだ。
「厩舎の屋根でもこちとら足りる。朝にゃ勝手にお暇するが」ハウプトマンの言う通りがいい。ゼンはぎりぎり、まだ思わない。
「いえ、いえ、人様を、お泊めするなら、やはり、人の家で、なくては。お馬さん、はどうぞ、あちらに」
くふっ。異様な笑いを継ぎ足して、女主人は庇から出た。風雨にさらされかまわずに、奥の別棟を指さしている。
「もっとも、どちらも、雨もりの、ひどいこと。くふっ。お恥ずかしい、かぎり、ですが、どうぞ。どうぞ」
大人たちは段取りがよかった。女主人の都合した糧食と合羽で、ヴァンガードとサルヴァトレスは出仕度をすませると、
「そんじゃちょっくら!」「任しとけ!」
やすませていたヒィロとオルシをそれぞれ駆って、雨闇の奥へ姿を消した。
「シズカとエマちゃん、あずけに行こっかぁ」
少年少女は、ダルタニエンの後にすがった。横目ではあとの大人たちが、魔女の家へと吸い込まれてゆく。
――こわくない。魔女の家なんて。
強く認めないことは、認めることの第一歩である。野宿よりいい。ゼンは、おのれに何故か言い聞かせていた。
只人の、女主人のしるしがよぎる。しな垂れた黒髪は蛇の群れのよう。やけに白くて、くまがひどくて。ぐりっとしたあの目に、敵意は宿っていたろうか。
人は見かけによらないものだ。ゼンほど忘れない者もまれである。だからなおさらわからない――こわくなんてない――思いたくなる、訳がわからない。
ぐでりとうねる足元だった。厩舎を前に、襲われた。
「うっ……」
ゼンは反射で我が身を守った。鼻づらをひじに埋めるのだ。
――くさい!
雨で隠せない臭気とは。山野で明け暮れ、馬と寝起きし、よほどの方面に耐性がある。
「げほっ……」
それでも吐き気をもよおした。いつだか参った喧騒がちらつく。どこの記憶だろう?
「どしたの、だいじょうぶぅ?」
「ダルは平気なの。このにおい」
ダルタニエンは、すんすんと、猪鼻を鳴らして言った。
「おさかなさんの、においがするねぇ!」
「さかな……?」
「雨のにおいで、わかんなかったぁ」
なるほど、腐したはらわただ。それにしたって臭すぎだ。
――気にしすぎかな……。
フランも眉をひそめているが、蔦のはう家を思ってらしい。よけいな不安を与えずともよい。
おとろえ知らずの雨音に混じって、
ブブーン、ブンブンブン。
さかえる不吉な羽音を、ゼンはつとめて無視することにした。
「え……」
またまたゼンはとらわれる。三度は見ざるを得なかった。厩舎に立ち入ったばかりだった。目にした物を順序だてよう。
灯っているから、あたり薄明るい。少々の雨漏りにさえ目をつむれば、立派が過ぎる厩舎であった。六頭入れても広々だろう。町の一等宿並みだ。
女主人の手際のよいこと、寝藁はよく整っている。桶の水はなみなみと澄んでいる。飼い葉は青くかおるほど。シズカはかわらず静かだが、なにも知らずにエマはよろこんでいた。彼女たちには、わからないのだ。壁面に、それらが見せびらかされているのに。
腕に抱けて、撫でやすそうで、ちょっと黄ばんで、「歯」があって。狩人の知恵をひくまでない。
馬の頭骨である。
勇気ある少年には、確かめる勇気が湧かなかった。
ダルタニエンにきいたら良いのだ。なんだろうあれ、どうしてあるの。どうして厩舎に、馬がいないの。こんなに広々してるのに?
しかしエマらを拭いていた。立場が逆なら知りたいだろうか。同族のこうべが見下げる寝室で、人なら寝たいと思うだろうか。
ついぞ黙って拭き終えて、ゼンは、なんだかひどく不安になった。これまでないくらいエマを撫でた。
「また明日ねぇ!おやすみぃ」
「おやすみ、エマ……」
「ぶふふ」
疑問だ。彼女たちに明日はくるのか。火の始末に、女主人がやって来ていた。背中をとられて、ゼンは何も言いだせなかった。
魔女の家に吸い込まれるのも、なりゆきだ。ただフランの手を握ると、しかりと握りかえされた。
――こわくない。魔女の家なんて。
嘘のつけない少年である。強がりくらいは許してやろう。この家、なにかがおかしいぞ――思いはつのることこそあって、減ることはなかった。
「ダル、すこしいいか?」
「ん。どしたのぉ~」
玄関口で少年少女が拭かれるあいまに、ダルタニエンは呼び出された。
ハウプトマンは何の用だろう。
少年が耳をすましても、きこえてくるのは雷ばかり。それにイトーもジニーも、拭いてくれるのにやけに無口だ。
仕方がないから観察にかかる。燃料代も惜しむ土地に、時と天気で、ほとんど暗い。やがて闘気が利いてくる。意外にまともな内装である。
玄関広間は三手に別れた。左手にダルタニエンの呼ばれた食堂、右手がのぼり階段。奥へとつづく主廊下のわきには、のっぽな振り子時計が鎮座する。
ごっとん、ごっとん、ごっとん、ごっとん、と、頭を拭かれる間にきいた。顔をあげると、目が合った。
生首だ。
高くあったし、蝋のあかりの暗がりである。闘気が利いて、いま見えた。ずらと主廊下の片側から、みさげてくるのだ。剥製だ。
なんのことはない。少年はすでに学んでいた。それらは狩猟の戦利品である。"麓の町"の宿にしたって、大きな角鹿の首があった。
ただ、馬の頭骨がいまのさっきである。ぎょっとしたのは否めない。こんどは狐に、狼もいる。どれも立派な首ばかり。
――獣頭の人の首……とは、ちがうよね。
ありえない、と誰が言いきれるのか。なにしろここは魔女の家。
燭台の、橙色の炎がなめると、うつろな目をした首たちは、ぎょろっ、と睨んでくるようだ。
恨めしそうに見下ろす彼ら、誰が何から獲ったのだろう。
どうして飾った剥製だろう。梯子をかけてご苦労なことだ。
女主人のひとりでで、山野を駆けずり回るにしたって、ちょっと得意でなさそうだが。
そうとも。
ダルタニエンの声は、まだ聞こえてくれるか。
ゼンは無性に、いやな予感だ。
握りも知らねばみな初心
見て習あっちゃえば、すぐ入門
振りはじめた君、すわ凡常
飯が食らいたきゃ熟練級
専ら一意に心を置けば、よろずが至りし専心級
範、となるには力を示せ。かたるばっかりじゃろくでもない
長だと言うなら軍勢下し、国を背負うなら一夜で天下
果てに踏破せば陸も割り、天まで至れよ星砕き




