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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:統べ手無き土地
39/104

39.悪魔の子 上


 神子の少女に代わるよう、浮かない空はざあざあ泣いた。エウロピアの地を見るまでに、やんでくれるか、くれないか。北上中の"商隊"は、雨季をありのまま受け入れている。 

 模様はうつろい、そぼ降る雨の今日だった。日盛りに、"魔法の居間(リビング)"のなかだけが明るい。

 おもたい頭をフランが抱えるころ、ゼンも自分で手いっぱいだ。目下とりくむ仕事があった。

 信じた少女がいたのである。ゼン・イージスが"光の騎士"だと。

 自分は何者だっていい――甘んじたなら裏切りだ。


 "光の騎士"に、ゼンはなりたい。


 "守手"の先にある肩書きだ。こんな欲張りで、誰も傷つくまい。

 "光の騎士"とはなんなのか、先人のありさまを読んで学ぶのだ。"魔法の居間(リビング)"の小ぶりな本棚に、まつわる本が三冊あった。

 その一、キー・ノイジェットなる作家の絵本。(フランが気にした"物語"だ)

 その二、"聖巡礼"の物語集。

 その三、やたらめったら分厚いの。「蒐集(まとめ)本」とか呼ばれるそれだ。

 二冊目もたいがい分厚いが、三冊目とではお話にならない。ぼてっとした背表紙を見て、あたらしい武器かとサルヴァトレスはからかった。


 ――ある意味そうだ。


 手ごわいやつから挑んでいる。一日一話で読破に四年。ゼンは一夏だってかける気はない。

 透けそうなほど薄いページだ。すべすべの手触りである。おなじくらいに目が滑る。隅から隅まで、こむずかしい。なにより異国の言葉で書かれている。

 十夏の少年が、これを倒せるのか?根気を尽くせばあるいはだ。暇さえあれば読み聞かせをする、黒馬車教育の賜物だった。

 機微や暗示はともかくとして、話の流れくらいはつかめた。何度も何度も読み返してみた。物語調だし、筋は似通う。すぐに気がつく、大意はやさしい。わからなければ、大人に訊くまで。自分で読む、と言ったから、だいたい放っておいてもらえた。

 して、"光の騎士"とはなんであろう。

 一摘みくらい、ページを過ごした。繰り返される物語を知った。 

 "光の騎士"なる肩書きは、みずから名乗るものではない。うすぎたない剣士、みすぼらしい旅人、やつれた青年。「光の騎士」と彼らを明言するのは、蒐集本の表題だけだ。

 曰く。

 彼らはきまって剣を執る。技量に優れるかは二の次だ。()のため人のため、泥にまみれても立ち上がる。死は、戦わない理由にならない。いどむのは、勝ち戦とはかぎらない。

 "光の鎧"ないし"白鎧"を得るには、"祝福"に応じるだけではだめだ。

 覚悟と態度を、(せかい)は見ている。本は言った。それを備えるべきだと、きまった文句がある。


 ――善き心がけ……。


 わかったようで、わからない。肝心なところであいまいだ。そもそも、鎧を得たなら、光の騎士か?光の騎士なら、鎧を得るのか?頼れる大人に、いちどは訊いた。

『獅子は竜に化けん。逆もまた然りだ』

『そりゃやっつけだ!聞いちゃいかんぜ。心がけ次第、そう言われる』

『気の持ちようなら万人が騎士だ』

『そうとも!俺はずぅっと言ってる』

『方便を……』

『鎧なんてな徴に過ぎんさ』『他にどうして騙りと見分ける』

『そりゃ行いさ、行いが真だ』『嘘偽りを重ねるまでだ』

『見て聞きゃわかるぜ、偽りも何も』『人は誤る。星は誤らん』『いつか言ったな?盲信だって?』『人の秤だと?歯牙にもかからん』

 一足飛びの会話をするし、ふたりは白熱しすぎだった。誰と誰だか言うまでない。ゼンはそうそうにあきらめた。

『やっぱり、自分で見つけるよ』

 答えの話だ。大の戦士らもだんまりだった。


 ――"祝福"は、僕をみとめてない。聖域でも、花畑でも。光の鎧があらわれないのは、フランじゃなくて、僕がわるいんだ。足りない、ってことだ……。


 善き心がけ。

 わからない。道徳をイトーに聞いた気がする。 

 説明しろ、と言われたら、首をななめにふりそうだ。

 わからなければ、確かめればいい。わかっていそうな大人なら、"魔法の居間(リビング)"にだってたくさんいる――甘い考えであった。一足はやく、自分で見つけるべきだった。後悔は先にやってこない。

 もっとも頼れるのは誰か。

 "魔法の居間(リビング)"に、ゼンは視線をさまよわせた。がたん、と揺さぶられる。停車は予定外だった。

「敵襲ーっ!」

 御者役のハウプトマンだ。がんがんがん!外壁が打ち鳴らされる。

 ダルタニエンから飛び出した。その次がサルヴァトレス。ふたりは"薄灰色"にいた。ヴァンガードとヴィクトルが続く。一番奥のゼンは出遅れた。


 ほの暗い、竹林の細道であった。小雨がささ葉をかきならしている。道を林とへだてる土手の、深いところで敵は待ち受けた。

「囲め!」「御者は丸腰だ!」「()ぇっ!」

 野盗である。

 わらわら湧き出て、かなりの数だ。武装が行き渡っている。ひゅんひゅん矢が鳴る。黒い荷台の壁を打つ。ぎらつく刃も三十はくだらない。

 ただの旅馬車であるならば、不運だったと諦めることだ。けれど"商隊"の黒馬車だから、運のありかなぞ逆さまにする。

 ゼンが繰り出て抜剣するころ、とうに半分がノビていた。薄灰色が満載するのは、そんじょそこらの戦士でない。盗ろうと本気でたくらむのなら、頭数がまず二桁足りない。


 ――助けがいるのは……。


 車体でいっぱいの細道だった。前か後ろなら、前方だろうか。荷台の屋根に跳びあがり、ゼンは御者台へむかって滑っている。刹那にさまざま見聞きした。

 ダルタニエンがすっころばした。撃をいなして、顔面を打つ。

 サルヴァトレスも矢くらい(はじ)く。股間を蹴とばすのに愉快そうだ。

 ヴァンガードの全力の"瞬歩"は、そばに立つだけで卒倒できる。行って帰るのに轟音である。うしろのことだが、きっと大猟だ。

 ヴィクトルは刃さえ抜かない。鞘のまま撫でる。敵は倒れる。ちょうどゼンの目前であった。それも最後のひとりだ。ハウプトマンに組み付くやつを、踏んづけただけの出番だった。昼番であれば、もっと活躍できただろうが。

 御者台を見かえすと、おそろしいかな矢のむしろだ。

「ハウプト、無事なの?」

「おう、小柄(チビ)の功名でな!」

 豪快にわらってみせるのに、肩口がほつれている。間一髪だ、ゼンには許しがたい。エマら馬車馬が無事なのも、盗るためにすぎない。

「リリー、おもてに縄を!あるだけ頼む!」

 ゼンは御者席を片付けにかかるので、「あいよ!」と"魔法の居間(リビング)"から聞けた。

 次の町までほど近い。ふん縛って、地元組織に任せるという。魔物相手にはない手間だった。

「野盗とは久しいね。"さなか"ぶりか?もっと前か」

 ヴァンガードの白々さは、ヴィクトルのほか察せない。少年少女が乗るようになって、「気」を巡らしていた張本人である。不逞の輩は、よほど近づけないでいた。土地柄からして増える頻度に、間隙をつかれたのであった。

「おーい、間抜けが一匹いやがるぜ!」

 縛ってまとめてなんやらのひまに、サルヴァトレスが土手をのぞいている。耳を澄ますと、うめき声だ。誰やらずり落ちたらしい。

「加減しろッて。な、ダル坊」

「ぼ、ぼくじゃないよう?」

 おおかた吹き飛ばされたのだ。ヴァンガードは視線をあつめて、肩をすくめた。

「どーれ、いま助けてやる」

 皆まで言うなと先制具合だ、ひょいと身のこなしでくだってしまう。四メルそこらを戻るにも、けが人をかついでひとっ跳び。

 四つ耳の野盗で、ひどいありさまだった。

「みごとな複雑骨折ですねぇ」 

 あとから出てきたイトーが診ている。変にまがった腕から、骨が飛び出て、血がにじんでいた。顔面が泥まみれだから、いかにも同情をさそう。 

「いてぇよぉ、いてぇよぉ……」

「逆立ちで歩くワケじゃあるめぇ!」死にはしない。治療も町に任せればいい。サルヴァトレスは厳しいのだった。「なによか、手前の選んだ細道だろうが」

 もっともだ。襲っておいて世話もない。こうしたときでも、慈悲深いのがフランだ。 

「ちょっとかわいそうです……」

 濡れるのに、けが人と聞いて出てきたのだ。溌溂さにはかかろうが、くよくよするのはもう終えていた。

「ダル、縛れそうか」ハウプトマンは事務的である。

「いちおうねぇ。でもころんだときは、ひどいよぉ」

「やっぱり、治してあげたほうが……」

 今度はみんな、サルヴァトレスをみた。

「あーったよ!よきにはからえ、てぇんだ!」

 連行するのに数が数ゆえ、見張りの手間がかかりそうだ。大人たちが段取りをはじめている。

 軒並み座した野盗を前に、ゼンは荷台へ意識をやった。目はこちら、耳はあちらである。邪魔だてするのは雨音と、ぶつぶつ文句を言うやつくらいだ。"治癒"にフランがかかっている。

「二列縦隊で先をいかせよう」広げる地図が濡れるといけない。"薄灰色"を、みんな見ている。

「どうせこの細道だものな」あまり急げない。ヴァンガードが言った。

「前一人、中二人、後ろ一人……」見張り手について、唸り声である。「後ろは御者が兼ねるか?」

「どこにせよ、俺はつききりでかかろう。言い出しっぺだ」あとを頼むと寝室へ、ハウプトマンは姿を消した。どんな道のりでも、得意の銃は厳重にしまっていた。

「ちぇ。ごろつき風情が為に、あまざらしたぁツカねぇな」

「褒美がたんまり出るかも知らんぜ?」

 誰かが鼻で笑った。サルヴァトレスだろうか?

「ゼン君、彼の具合はいかがです」

「うん……」

 イトーが寄ってくるのを待って、ゼンは視線までそらしてしまった。三十、四十の野盗を見張る、たったひとりの少年だった。大人たちみなの失態だ。

「きゃっ!?」

 たぶん頭領なのだろう、フランをかっさらったのは。ゼンは刹那をひらいて、もう遅かった。

「動くんじゃあねぇ!」

 立ちざまの印象は、"戦士長"とかさなる。握っているのが何かは知れない。鋭い何かだ。太い前腕にぶらさげた、フランの喉もとに押し当てている。

 武装解除はしたはずなのに。数が数だから、仕込みを見落としたのか。けれども、取り出すそぶりなど。なおさら縄を断つにしたって。


 ――……詠唱だったんだ、火魔術の。


 知らない言葉で文句とばかり。いまさら鼻につく、雨の抑えた焦げ臭さだった。

 どうでもいい。すべては過去だ。

 ならず者は縄をふりほどき、ゼンの守るべき人を盾とした。

「落ち着け」ヴァンガードがうしろで言った。「落ち着くんだ……!」

「《身のためだ、冷静になれ》」ヴィクトルは国の言葉で流暢だ。

「るせぇ!他をぜんぶほどけ!」男は興奮している。「今すぐだ!」

 ひかえめにみて、気の迷いだった。理不尽な暴力をくつがえす、もっと理不尽な暴力を、とくと味わったはずである。人質ありきで、ひとりきり。どうにもならない。馬鹿げている。

「《息をつけ、まわりをよく見てみろ》」

 もっとも傍で様子をうかがう、小さな剣士の実力だって、露ほども知りはしない。

 だからこそ。

 見くびっている。見くびりすぎだ。

「ほら、なにも遅くはない!悪くしないとも。その子をはなして……」

「黙れぇぇええ!」「いやっ……」

 少女の首が強く締まる。鋭い何かが食い込んだ。

「あくしろっ、でなくちゃ――」

 どうしてやる?続きは聞けない。

 いけなかった。

 明日を渇望するのであれば、わかるだろう、考え及びうる最悪手だった。

 そぼ降る雨に、霧雨がまじった。それは赤くて、生暖かい。

「あっ……!」

 フランは解放されている。

 何故だか、すぐにはわからない。ひっつかむ、力がこぼれるようだった。砂利に手をつく。膝をつく。どっ、と鳴るのが、やたらと大きい。

 ずしゃあ。と、つづけて鳴らすのは?フランは思う――私じゃない。

「フラン!大丈夫!?」

 霧雨はまだやんでいない。たっと駆けよるゼンを見上げて、フランは頬が生暖かい。奇妙におもって、指の背で触れる。ついたしずくはうす赤い。

 ぼちゃ。

 それから、嫌な音であった。おかしなところで目があった。縛られたままの野盗どもから、生娘のような悲鳴があがった。

「っ……!」本物の彼女は声も出ない。

「痛むの!?」

 とっさにフランが首をおさえるので、ゼンは悪いところがあるかと思った。そっとあらためる。傷は浅い。

 脅威が去っても、彼女はおびえた。

「あ、あ……」

 見開いた目でうつすのは、死の恐怖なのだろう。ゼンはすこしだけずれている。


 ――僕がいけなかった。怖い思いをさせて……。


 砂利ぎみの細道に、男の躯が沈んでいる。なくした首から、とくとくと血だまりを広げている。

 ぬかりのない一撃だった。真横にすべって、抜き、跳び、一刺し。念には念を、すかさず刎ねた。必殺剣とはいかないが、必要なだけの威力はあった。なによりフラン傷つけなかった。

 おびやかす悪者はもういない。

「ゼン!なにを!」

 だからゼンにはわからない。ヴァンガードの慌て方が。わかって省いたような物言いが。

 なに、ってなにが?思うほかない。

 見張りを損ねた落ち度を言うのか?手前の尻なら手前で拭いた。だからいっそう、わからない。

 わからなければ、訊けばいいだけだ。

 思った通りに、言っている。

「なにって……なにが?」

「どうして殺してしまった!?」

 面を食らった。

 まばたきした。

「だって、フランがあぶなくて……」

 役目であると知るはずだ。のぞむ仕事と思えている。なおさらおかしい――助けたでしょう……?僕じゃなくっても。

「そうじゃない、俺たちは止めようとしたっ!」

「うん……?うん」

 止めようとした。わかっている。

 しかし、聞かなかったではないか。

 男は、フランの喉になにか突きつけた。説得するのに、もっと突き立てた。いたずらだったと見過ごせない。

「……本気でわからないか?」

「……うん」

 息をのむのが聞こえた気がする。見せない顔をするのは、ヴァンガードだけではなかった。

「いいかい……必要なかったんだ。なかったろう?殺しは……!そいつにできることは、もうなかった」

「だけど……」

 太い首をかしげ、ヴァンガードはたなごころで制した――まずは聞け、続きはもっと慎重に選べ――するどい視線から、ゼンは読みとれてしまう。 

「俺がいる。ヴィーがいる。お前がいる。できただろう?殺さずに。もちろん、お嬢さんも無事で」

 ヴァンガードだってしくじるのに?

 ゼンには思い描ける。

 指を落とすか、手首を刎ねる。ヴァンガードが駆けつけ、どうにかする。

 まず成功する。

 百回やったら九十九回。

 千回だったら九百九十九回。

 だめだ。

 腕を落としても、敵は息がある。隙を与えれば、フランが害される。かもしれない。

 かもしれない、は、あってはならない。避けられるなら、あってはならない。

 意表をつけるなら即決即断。戦士の(さが)として、ゆるがない。

 それに、ほかならないヴァンガードではないか。対人剣の稽古をつけてくれた。対魔剣に口酸っぱく聞いた。やはりそうかと、ゼンは納得していたものだ。(つるぎ)の理は言ってやまない。 

 首をとれ。

 脅威が即時にやむからだ。

 だからわからない。ゼンは本気でわからない。


 光の騎士だって、同じようにした。


 言い方はもっとちがったかもしれない。対するヴァンガードは、言葉が出ないようだった。かわりとばかり、ヴィクトルが吼える。こんなに大きな声ははじめてだ。

「《イトー、さなかの言葉にしろ!》」

「え、ええ……」

 イトーのほうがそばにいて、困惑気味に左右を見た。雨に打たれてゼンは待つ。どうして言葉を変えるんだろう。

「《以前に、人を殺めたことは?》」

「ないよ」

 嘘を言わない少年である。嘘が嫌いだと、このごろ気がついた。スミカについた大嘘に、夜も眠れぬほど苦しい。

「《これが初めてか》」「人を殺めるのは……」

「そうだね、はじめてだ」

 ゼンは気がつく。ヴァンガードもヴィクトルも、たぶん言葉をくわえるイトーも、人殺しにこだわりがある。

「《何故(なにゆえ)、殺した?》」

「フランを危ない目にあわせるから」

 殺めた。殺した。まるでいけないみたいだった。

「《者を殺めて、思うところはないのか》」

「どうして人ばかり。悪い魔物はみんな殺すのに……」「《なんだと?》」

 怒気をはらんだ、唸り声である。ほんとうに機嫌が悪かった。

 すこし奇妙な間ができる。ゼンは必死に考えた。

「あ、わかるよ!」

「わかるか?」

 食い違っているだけだ。ヴァンガードは信じたい。胸をなでおろす。実際そうだ、食い違っている。

「うん。人の群れは、"復讐"をするもの」

 ヴィクトル・サンドバーンだけが動いた。通訳は間に合っていない。

 ゼンが、じろ、と見た先には、縛られ座した野盗どもだ。そっと指先をかけるのは、払っておさめていた柄だ。

 ゼン・イージスの(さが)なら知り尽くせた。と、ヴィクトルは思い込んでいる。激しく疾い。早くて速い。

「っ!」利き手を鞘でうたれて、ゼンはひるんだ。「いたいよ、ヴィクトル」

 応戦できたかもしれない。今日びのゼンが、その気であれば。そんな気はない。戦いたくない。

「どうして……」

 のみこむのにも、ゼンは苦しい。異能がちりりと告げている。背筋が焼ける。怒れる狼みたいなかおで、ヴィクトルは本気だ。 


 ――敵意。


 今こそ剣を抜くべきである。けれど、ゼンにはそれができない。どうして、どうして。戦いたくない。

 助けを求めて、フランをつい見た。彼女は――僕よりヴィクトルと仲がいい――気の毒に、まだ立てないでいた。

「ねぇ、フラン……?」

 みんな、どうしてそんな目で見る?フランなら何か教えてくれる?

「私、私は……」

 まだ怯え切っている。脅威なら、とうに去っているのに。

 おかしいのは、たぶん自分だと、察しながらも、ゼンはこたえを求めつづけた。すくなくとも、フランに嫌われたくない。

 

 ――こわいのかも、人の死骸が。きっとそうだ。ほら、魔女の家では、僕も思った……。


 止まった時が動き出す。

「ぉし、だいぶ待たせたな!」"薄灰色"からだ。「錠番を押し違えてな、えらい目だ!わはは。どんなもんだ首尾は……」

 ハウプトマンは砂利を鳴らす。中折れた散弾銃を肩に担いでいる。

「ん……何事だ?」

 "薄灰色"の前に群れた、"商隊"の面々をかきわけた。

 野盗どもを追い立てる仕事は、没交渉ぶれて人気があった。告げ口するのはイトーである。夫妻が小声で話し合う。

 ヴィクトルがフランを抱き起し、"薄灰色"まで連れ帰る。ゼンもとぼとぼあとに続いた。すれ違うイトーの眼鏡は、雨粒で白く曇っていた。何か抱えている。

「こちらを使ってしまっても?その後は処分になりますが……」

 ゼンのお手製のつぎはぎだった。思い出がある。ただ「うん」とだけ、答えてみせた。

 フランを"薄灰色"にやって、ヴィクトルはまだ乗り込まない。立ち尽くしたヴァンガードを、どんな目で睨むのだろう。ゼンはうかつに近づけなかった。一足飛びに、ふたりは会話する。

「貴様の敗北だ」

「それ、は。まだわからない」

「無理だ。ありえない」

 力のない目で、ヴァンガードは見返すのだ。

「笑わせる。ふふ、光の騎士か、成れるものか」

 あきらかにヴィクトルの優勢だ。

「あれは悪魔の子だ」

 なるほど――僕は、悪魔の子なんだ。

「俺の選択は正解だった。稀代の虐殺者を打ち立てる幇助はできん」

 ヴィクトルはさっさと"魔法の居間(リビング)"に消えた。

 ゼンはヴァンガードと目が合いそうになる。そらしてしまう。歯ぎしりが聞こえる。怒られたくない。

「お前ッ!」

 ヴァンガードが怒鳴って追うまで、間があった。よかれヴィクトルの方だった。


 黒馬車が発っている。

 "魔法の居間(リビング)"は、おかしな空気だった。

 積み荷の香水で鼻がまがりそうだと、ヴィクトルと忍び笑いしたのは昨日であった。仕入れたばかりの瓶が割れてはいまいか?ふたりして大げさに言って、ハウプトマンをからかった。

 今はたいして、においもしない。ゼンはどうしてか鼻がきかない。それでいて、おかしな空気だった。

 おかしさから逃れるみたく、大人たちは外へと消えた。昼番だってのこらない。見張りの交代にしては遅い。

 濡れたフランを二階で世話して、ジニーも外へ行ってしまった。一番最後だった。

 発ってすぐ、ヴァンガードとヴィクトルの喧嘩をみた。喧嘩だったと思われる。

 知らない言葉と知らない言葉で、ヴィクトルがこわい顔だった。

「《"腕試し"から危うかったのだ。まともな子どもは躊躇なく打てん。まして縛った初見の相手の急所を》」

「《後出しも大概に!みとめただろうがッ、立派な剣の才だって!》」

「《正しければな。ヤツはそうでない。貴様も早々とりやめろ、剣の手ほどきを悪魔の子になど》」

「《黙れ!二度と言ってみろ!ぶん殴ってやる!よくもわかる言葉で聞かせやがって!》」

「《二人ともよして!ここで、ここでは!》」間に入ったイトーも、このとき逃げた。

 最後には、どつきあいだった。もっともヴァンガードが本気なら、ヴィクトルだってただではすまない。


 ――本当にたたかうわけじゃ、ないと思うけど。


 これまでないくらい嫌な気持ちだ。ふたりの喧嘩がそうさせた。腹の底がこわばり、胸がちぎれそうになる。自分がぶたれた方がいい。魔女の家で、明けない夜をすごした方がいい。

 ひとつだけ思い出せた。

 御許でエマに矢が放たれたとき、おなじくらいに嫌な気持ちだった。

 おかしな空気の"魔法の居間(リビング)"だった。

 フランとふたりきりでもそうだ。

 一番奥のいどころに、ちょっとはなれて座している。

 ゼンは気がつく。火の色があらわだ。彼女、髪留めをしていない。

「ねぇフラン、髪留めは……」

「あ……」

 そっと、フランは応じてくれた。

「落としちゃったみたいです……」

 どさくさのせいだ。悪いやつならもういない。思って取り出すのは、赤い花柄の髪飾りである。スミカのことで、これもどさくさだった。

「あのさ!これっ……渡しそこねてたよね」

「……そうでしたね」

 励ましてやるつもりだった。純粋な少年だった。喜ばせてやりたかった。


 つけてあげる。


 今ならうまくやれると思った。

 不用意な火に触れたよう、フランは身ごとに遠のいた。

「あ……」

 いけないことをした。と、上目遣いで語っていた。すっかり縮こまっている。

「……ごめん」

「あ、あの……」

 それから、おかしな空気の"魔法の居間(リビング)"に、ゼンは髪飾りを置き去りにした。

 誰も昼番をしないなら、誰かがかかるべきなのだ。

 縄につながれ、ざりざりと細道をかく、すまきの男のなきがらだけが、"薄灰色"の伴だった。フランの首につきつけた凶器は、ささくれた竹のかけらだった。


 ――転ばすだけでも、人は殺せる……。


 誰も交代にこなかった。大人たちはずっと雨に打たれていた。

 "異能"だとは知らないでいた。 

 視線に必ず気がつける。

 ときどき、視線のふくみがわかる。

 今も背中にうけている。中身はわからない。知りたくない。知りたくないとき、うまくはたらかない。

 敵意だったら、みのがさない。異能でなくとも、たぶんわかった。


 ――僕だ。フランは僕におびえてた。


 "守手"。いまや遠のく肩書きである。守るべきものに怯えられる、まして"光の騎士"などいるはずがない。

 読心の術は気を病みかねない。今かもしれない。ゼンは思った。

 "商隊"の視線がおかしかった。

 野盗を殺してからだった。

 世界がひっくりかえってしまった。

 訊ける大人は帰ってこない。しかし、今ならわかるのだ。


 ――人を殺すのは、いけないことだ。


 わかって晴れない日ははじめてだ。雨脚はしげく、まっくらな感情にとぐろを巻かせた。


 ――僕は"商隊"を敵にした。


 わかってうれしくないのは、はじめてだ。

 ついた町では宿をとる。予定変更を、大将は言う。

 続く雨天につき、慎重をとって、先の路面状況を確認する。

 ゼンはみなまで聞かなかった。宿の広間のすみに隠れ、なにか大事な話がはじまる前に、ますますけぶる雨中へ逃げた。

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