39.悪魔の子 上
神子の少女に代わるよう、浮かない空はざあざあ泣いた。エウロピアの地を見るまでに、やんでくれるか、くれないか。北上中の"商隊"は、雨季をありのまま受け入れている。
模様はうつろい、そぼ降る雨の今日だった。日盛りに、"魔法の居間"のなかだけが明るい。
おもたい頭をフランが抱えるころ、ゼンも自分で手いっぱいだ。目下とりくむ仕事があった。
信じた少女がいたのである。ゼン・イージスが"光の騎士"だと。
自分は何者だっていい――甘んじたなら裏切りだ。
"光の騎士"に、ゼンはなりたい。
"守手"の先にある肩書きだ。こんな欲張りで、誰も傷つくまい。
"光の騎士"とはなんなのか、先人のありさまを読んで学ぶのだ。"魔法の居間"の小ぶりな本棚に、まつわる本が三冊あった。
その一、キー・ノイジェットなる作家の絵本。(フランが気にした"物語"だ)
その二、"聖巡礼"の物語集。
その三、やたらめったら分厚いの。「蒐集本」とか呼ばれるそれだ。
二冊目もたいがい分厚いが、三冊目とではお話にならない。ぼてっとした背表紙を見て、あたらしい武器かとサルヴァトレスはからかった。
――ある意味そうだ。
手ごわいやつから挑んでいる。一日一話で読破に四年。ゼンは一夏だってかける気はない。
透けそうなほど薄いページだ。すべすべの手触りである。おなじくらいに目が滑る。隅から隅まで、こむずかしい。なにより異国の言葉で書かれている。
十夏の少年が、これを倒せるのか?根気を尽くせばあるいはだ。暇さえあれば読み聞かせをする、黒馬車教育の賜物だった。
機微や暗示はともかくとして、話の流れくらいはつかめた。何度も何度も読み返してみた。物語調だし、筋は似通う。すぐに気がつく、大意はやさしい。わからなければ、大人に訊くまで。自分で読む、と言ったから、だいたい放っておいてもらえた。
して、"光の騎士"とはなんであろう。
一摘みくらい、ページを過ごした。繰り返される物語を知った。
"光の騎士"なる肩書きは、みずから名乗るものではない。うすぎたない剣士、みすぼらしい旅人、やつれた青年。「光の騎士」と彼らを明言するのは、蒐集本の表題だけだ。
曰く。
彼らはきまって剣を執る。技量に優れるかは二の次だ。星のため人のため、泥にまみれても立ち上がる。死は、戦わない理由にならない。いどむのは、勝ち戦とはかぎらない。
"光の鎧"ないし"白鎧"を得るには、"祝福"に応じるだけではだめだ。
覚悟と態度を、星は見ている。本は言った。それを備えるべきだと、きまった文句がある。
――善き心がけ……。
わかったようで、わからない。肝心なところであいまいだ。そもそも、鎧を得たなら、光の騎士か?光の騎士なら、鎧を得るのか?頼れる大人に、いちどは訊いた。
『獅子は竜に化けん。逆もまた然りだ』
『そりゃやっつけだ!聞いちゃいかんぜ。心がけ次第、そう言われる』
『気の持ちようなら万人が騎士だ』
『そうとも!俺はずぅっと言ってる』
『方便を……』
『鎧なんてな徴に過ぎんさ』『他にどうして騙りと見分ける』
『そりゃ行いさ、行いが真だ』『嘘偽りを重ねるまでだ』
『見て聞きゃわかるぜ、偽りも何も』『人は誤る。星は誤らん』『いつか言ったな?盲信だって?』『人の秤だと?歯牙にもかからん』
一足飛びの会話をするし、ふたりは白熱しすぎだった。誰と誰だか言うまでない。ゼンはそうそうにあきらめた。
『やっぱり、自分で見つけるよ』
答えの話だ。大の戦士らもだんまりだった。
――"祝福"は、僕をみとめてない。聖域でも、花畑でも。光の鎧があらわれないのは、フランじゃなくて、僕がわるいんだ。足りない、ってことだ……。
善き心がけ。
わからない。道徳をイトーに聞いた気がする。
説明しろ、と言われたら、首をななめにふりそうだ。
わからなければ、確かめればいい。わかっていそうな大人なら、"魔法の居間"にだってたくさんいる――甘い考えであった。一足はやく、自分で見つけるべきだった。後悔は先にやってこない。
もっとも頼れるのは誰か。
"魔法の居間"に、ゼンは視線をさまよわせた。がたん、と揺さぶられる。停車は予定外だった。
「敵襲ーっ!」
御者役のハウプトマンだ。がんがんがん!外壁が打ち鳴らされる。
ダルタニエンから飛び出した。その次がサルヴァトレス。ふたりは"薄灰色"にいた。ヴァンガードとヴィクトルが続く。一番奥のゼンは出遅れた。
ほの暗い、竹林の細道であった。小雨がささ葉をかきならしている。道を林とへだてる土手の、深いところで敵は待ち受けた。
「囲め!」「御者は丸腰だ!」「撃ぇっ!」
野盗である。
わらわら湧き出て、かなりの数だ。武装が行き渡っている。ひゅんひゅん矢が鳴る。黒い荷台の壁を打つ。ぎらつく刃も三十はくだらない。
ただの旅馬車であるならば、不運だったと諦めることだ。けれど"商隊"の黒馬車だから、運のありかなぞ逆さまにする。
ゼンが繰り出て抜剣するころ、とうに半分がノビていた。薄灰色が満載するのは、そんじょそこらの戦士でない。盗ろうと本気でたくらむのなら、頭数がまず二桁足りない。
――助けがいるのは……。
車体でいっぱいの細道だった。前か後ろなら、前方だろうか。荷台の屋根に跳びあがり、ゼンは御者台へむかって滑っている。刹那にさまざま見聞きした。
ダルタニエンがすっころばした。撃をいなして、顔面を打つ。
サルヴァトレスも矢くらい弾く。股間を蹴とばすのに愉快そうだ。
ヴァンガードの全力の"瞬歩"は、そばに立つだけで卒倒できる。行って帰るのに轟音である。うしろのことだが、きっと大猟だ。
ヴィクトルは刃さえ抜かない。鞘のまま撫でる。敵は倒れる。ちょうどゼンの目前であった。それも最後のひとりだ。ハウプトマンに組み付くやつを、踏んづけただけの出番だった。昼番であれば、もっと活躍できただろうが。
御者台を見かえすと、おそろしいかな矢のむしろだ。
「ハウプト、無事なの?」
「おう、小柄の功名でな!」
豪快にわらってみせるのに、肩口がほつれている。間一髪だ、ゼンには許しがたい。エマら馬車馬が無事なのも、盗るためにすぎない。
「リリー、おもてに縄を!あるだけ頼む!」
ゼンは御者席を片付けにかかるので、「あいよ!」と"魔法の居間"から聞けた。
次の町までほど近い。ふん縛って、地元組織に任せるという。魔物相手にはない手間だった。
「野盗とは久しいね。"さなか"ぶりか?もっと前か」
ヴァンガードの白々さは、ヴィクトルのほか察せない。少年少女が乗るようになって、「気」を巡らしていた張本人である。不逞の輩は、よほど近づけないでいた。土地柄からして増える頻度に、間隙をつかれたのであった。
「おーい、間抜けが一匹いやがるぜ!」
縛ってまとめてなんやらのひまに、サルヴァトレスが土手をのぞいている。耳を澄ますと、うめき声だ。誰やらずり落ちたらしい。
「加減しろッて。な、ダル坊」
「ぼ、ぼくじゃないよう?」
おおかた吹き飛ばされたのだ。ヴァンガードは視線をあつめて、肩をすくめた。
「どーれ、いま助けてやる」
皆まで言うなと先制具合だ、ひょいと身のこなしでくだってしまう。四メルそこらを戻るにも、けが人をかついでひとっ跳び。
四つ耳の野盗で、ひどいありさまだった。
「みごとな複雑骨折ですねぇ」
あとから出てきたイトーが診ている。変にまがった腕から、骨が飛び出て、血がにじんでいた。顔面が泥まみれだから、いかにも同情をさそう。
「いてぇよぉ、いてぇよぉ……」
「逆立ちで歩くワケじゃあるめぇ!」死にはしない。治療も町に任せればいい。サルヴァトレスは厳しいのだった。「なによか、手前の選んだ細道だろうが」
もっともだ。襲っておいて世話もない。こうしたときでも、慈悲深いのがフランだ。
「ちょっとかわいそうです……」
濡れるのに、けが人と聞いて出てきたのだ。溌溂さにはかかろうが、くよくよするのはもう終えていた。
「ダル、縛れそうか」ハウプトマンは事務的である。
「いちおうねぇ。でもころんだときは、ひどいよぉ」
「やっぱり、治してあげたほうが……」
今度はみんな、サルヴァトレスをみた。
「あーったよ!よきにはからえ、てぇんだ!」
連行するのに数が数ゆえ、見張りの手間がかかりそうだ。大人たちが段取りをはじめている。
軒並み座した野盗を前に、ゼンは荷台へ意識をやった。目はこちら、耳はあちらである。邪魔だてするのは雨音と、ぶつぶつ文句を言うやつくらいだ。"治癒"にフランがかかっている。
「二列縦隊で先をいかせよう」広げる地図が濡れるといけない。"薄灰色"を、みんな見ている。
「どうせこの細道だものな」あまり急げない。ヴァンガードが言った。
「前一人、中二人、後ろ一人……」見張り手について、唸り声である。「後ろは御者が兼ねるか?」
「どこにせよ、俺はつききりでかかろう。言い出しっぺだ」あとを頼むと寝室へ、ハウプトマンは姿を消した。どんな道のりでも、得意の銃は厳重にしまっていた。
「ちぇ。ごろつき風情が為に、あまざらしたぁツカねぇな」
「褒美がたんまり出るかも知らんぜ?」
誰かが鼻で笑った。サルヴァトレスだろうか?
「ゼン君、彼の具合はいかがです」
「うん……」
イトーが寄ってくるのを待って、ゼンは視線までそらしてしまった。三十、四十の野盗を見張る、たったひとりの少年だった。大人たちみなの失態だ。
「きゃっ!?」
たぶん頭領なのだろう、フランをかっさらったのは。ゼンは刹那をひらいて、もう遅かった。
「動くんじゃあねぇ!」
立ちざまの印象は、"戦士長"とかさなる。握っているのが何かは知れない。鋭い何かだ。太い前腕にぶらさげた、フランの喉もとに押し当てている。
武装解除はしたはずなのに。数が数だから、仕込みを見落としたのか。けれども、取り出すそぶりなど。なおさら縄を断つにしたって。
――……詠唱だったんだ、火魔術の。
知らない言葉で文句とばかり。いまさら鼻につく、雨の抑えた焦げ臭さだった。
どうでもいい。すべては過去だ。
ならず者は縄をふりほどき、ゼンの守るべき人を盾とした。
「落ち着け」ヴァンガードがうしろで言った。「落ち着くんだ……!」
「《身のためだ、冷静になれ》」ヴィクトルは国の言葉で流暢だ。
「るせぇ!他をぜんぶほどけ!」男は興奮している。「今すぐだ!」
ひかえめにみて、気の迷いだった。理不尽な暴力をくつがえす、もっと理不尽な暴力を、とくと味わったはずである。人質ありきで、ひとりきり。どうにもならない。馬鹿げている。
「《息をつけ、まわりをよく見てみろ》」
もっとも傍で様子をうかがう、小さな剣士の実力だって、露ほども知りはしない。
だからこそ。
見くびっている。見くびりすぎだ。
「ほら、なにも遅くはない!悪くしないとも。その子をはなして……」
「黙れぇぇええ!」「いやっ……」
少女の首が強く締まる。鋭い何かが食い込んだ。
「あくしろっ、でなくちゃ――」
どうしてやる?続きは聞けない。
いけなかった。
明日を渇望するのであれば、わかるだろう、考え及びうる最悪手だった。
そぼ降る雨に、霧雨がまじった。それは赤くて、生暖かい。
「あっ……!」
フランは解放されている。
何故だか、すぐにはわからない。ひっつかむ、力がこぼれるようだった。砂利に手をつく。膝をつく。どっ、と鳴るのが、やたらと大きい。
ずしゃあ。と、つづけて鳴らすのは?フランは思う――私じゃない。
「フラン!大丈夫!?」
霧雨はまだやんでいない。たっと駆けよるゼンを見上げて、フランは頬が生暖かい。奇妙におもって、指の背で触れる。ついたしずくはうす赤い。
ぼちゃ。
それから、嫌な音であった。おかしなところで目があった。縛られたままの野盗どもから、生娘のような悲鳴があがった。
「っ……!」本物の彼女は声も出ない。
「痛むの!?」
とっさにフランが首をおさえるので、ゼンは悪いところがあるかと思った。そっとあらためる。傷は浅い。
脅威が去っても、彼女はおびえた。
「あ、あ……」
見開いた目でうつすのは、死の恐怖なのだろう。ゼンはすこしだけずれている。
――僕がいけなかった。怖い思いをさせて……。
砂利ぎみの細道に、男の躯が沈んでいる。なくした首から、とくとくと血だまりを広げている。
ぬかりのない一撃だった。真横にすべって、抜き、跳び、一刺し。念には念を、すかさず刎ねた。必殺剣とはいかないが、必要なだけの威力はあった。なによりフラン傷つけなかった。
おびやかす悪者はもういない。
「ゼン!なにを!」
だからゼンにはわからない。ヴァンガードの慌て方が。わかって省いたような物言いが。
なに、ってなにが?思うほかない。
見張りを損ねた落ち度を言うのか?手前の尻なら手前で拭いた。だからいっそう、わからない。
わからなければ、訊けばいいだけだ。
思った通りに、言っている。
「なにって……なにが?」
「どうして殺してしまった!?」
面を食らった。
まばたきした。
「だって、フランがあぶなくて……」
役目であると知るはずだ。のぞむ仕事と思えている。なおさらおかしい――助けたでしょう……?僕じゃなくっても。
「そうじゃない、俺たちは止めようとしたっ!」
「うん……?うん」
止めようとした。わかっている。
しかし、聞かなかったではないか。
男は、フランの喉になにか突きつけた。説得するのに、もっと突き立てた。いたずらだったと見過ごせない。
「……本気でわからないか?」
「……うん」
息をのむのが聞こえた気がする。見せない顔をするのは、ヴァンガードだけではなかった。
「いいかい……必要なかったんだ。なかったろう?殺しは……!そいつにできることは、もうなかった」
「だけど……」
太い首をかしげ、ヴァンガードはたなごころで制した――まずは聞け、続きはもっと慎重に選べ――するどい視線から、ゼンは読みとれてしまう。
「俺がいる。ヴィーがいる。お前がいる。できただろう?殺さずに。もちろん、お嬢さんも無事で」
ヴァンガードだってしくじるのに?
ゼンには思い描ける。
指を落とすか、手首を刎ねる。ヴァンガードが駆けつけ、どうにかする。
まず成功する。
百回やったら九十九回。
千回だったら九百九十九回。
だめだ。
腕を落としても、敵は息がある。隙を与えれば、フランが害される。かもしれない。
かもしれない、は、あってはならない。避けられるなら、あってはならない。
意表をつけるなら即決即断。戦士の性として、ゆるがない。
それに、ほかならないヴァンガードではないか。対人剣の稽古をつけてくれた。対魔剣に口酸っぱく聞いた。やはりそうかと、ゼンは納得していたものだ。剣の理は言ってやまない。
首をとれ。
脅威が即時にやむからだ。
だからわからない。ゼンは本気でわからない。
光の騎士だって、同じようにした。
言い方はもっとちがったかもしれない。対するヴァンガードは、言葉が出ないようだった。かわりとばかり、ヴィクトルが吼える。こんなに大きな声ははじめてだ。
「《イトー、さなかの言葉にしろ!》」
「え、ええ……」
イトーのほうがそばにいて、困惑気味に左右を見た。雨に打たれてゼンは待つ。どうして言葉を変えるんだろう。
「《以前に、人を殺めたことは?》」
「ないよ」
嘘を言わない少年である。嘘が嫌いだと、このごろ気がついた。スミカについた大嘘に、夜も眠れぬほど苦しい。
「《これが初めてか》」「人を殺めるのは……」
「そうだね、はじめてだ」
ゼンは気がつく。ヴァンガードもヴィクトルも、たぶん言葉をくわえるイトーも、人殺しにこだわりがある。
「《何故、殺した?》」
「フランを危ない目にあわせるから」
殺めた。殺した。まるでいけないみたいだった。
「《者を殺めて、思うところはないのか》」
「どうして人ばかり。悪い魔物はみんな殺すのに……」「《なんだと?》」
怒気をはらんだ、唸り声である。ほんとうに機嫌が悪かった。
すこし奇妙な間ができる。ゼンは必死に考えた。
「あ、わかるよ!」
「わかるか?」
食い違っているだけだ。ヴァンガードは信じたい。胸をなでおろす。実際そうだ、食い違っている。
「うん。人の群れは、"復讐"をするもの」
ヴィクトル・サンドバーンだけが動いた。通訳は間に合っていない。
ゼンが、じろ、と見た先には、縛られ座した野盗どもだ。そっと指先をかけるのは、払っておさめていた柄だ。
ゼン・イージスの性なら知り尽くせた。と、ヴィクトルは思い込んでいる。激しく疾い。早くて速い。
「っ!」利き手を鞘でうたれて、ゼンはひるんだ。「いたいよ、ヴィクトル」
応戦できたかもしれない。今日びのゼンが、その気であれば。そんな気はない。戦いたくない。
「どうして……」
のみこむのにも、ゼンは苦しい。異能がちりりと告げている。背筋が焼ける。怒れる狼みたいなかおで、ヴィクトルは本気だ。
――敵意。
今こそ剣を抜くべきである。けれど、ゼンにはそれができない。どうして、どうして。戦いたくない。
助けを求めて、フランをつい見た。彼女は――僕よりヴィクトルと仲がいい――気の毒に、まだ立てないでいた。
「ねぇ、フラン……?」
みんな、どうしてそんな目で見る?フランなら何か教えてくれる?
「私、私は……」
まだ怯え切っている。脅威なら、とうに去っているのに。
おかしいのは、たぶん自分だと、察しながらも、ゼンはこたえを求めつづけた。すくなくとも、フランに嫌われたくない。
――こわいのかも、人の死骸が。きっとそうだ。ほら、魔女の家では、僕も思った……。
止まった時が動き出す。
「ぉし、だいぶ待たせたな!」"薄灰色"からだ。「錠番を押し違えてな、えらい目だ!わはは。どんなもんだ首尾は……」
ハウプトマンは砂利を鳴らす。中折れた散弾銃を肩に担いでいる。
「ん……何事だ?」
"薄灰色"の前に群れた、"商隊"の面々をかきわけた。
野盗どもを追い立てる仕事は、没交渉ぶれて人気があった。告げ口するのはイトーである。夫妻が小声で話し合う。
ヴィクトルがフランを抱き起し、"薄灰色"まで連れ帰る。ゼンもとぼとぼあとに続いた。すれ違うイトーの眼鏡は、雨粒で白く曇っていた。何か抱えている。
「こちらを使ってしまっても?その後は処分になりますが……」
ゼンのお手製のつぎはぎだった。思い出がある。ただ「うん」とだけ、答えてみせた。
フランを"薄灰色"にやって、ヴィクトルはまだ乗り込まない。立ち尽くしたヴァンガードを、どんな目で睨むのだろう。ゼンはうかつに近づけなかった。一足飛びに、ふたりは会話する。
「貴様の敗北だ」
「それ、は。まだわからない」
「無理だ。ありえない」
力のない目で、ヴァンガードは見返すのだ。
「笑わせる。ふふ、光の騎士か、成れるものか」
あきらかにヴィクトルの優勢だ。
「あれは悪魔の子だ」
なるほど――僕は、悪魔の子なんだ。
「俺の選択は正解だった。稀代の虐殺者を打ち立てる幇助はできん」
ヴィクトルはさっさと"魔法の居間"に消えた。
ゼンはヴァンガードと目が合いそうになる。そらしてしまう。歯ぎしりが聞こえる。怒られたくない。
「お前ッ!」
ヴァンガードが怒鳴って追うまで、間があった。よかれヴィクトルの方だった。
黒馬車が発っている。
"魔法の居間"は、おかしな空気だった。
積み荷の香水で鼻がまがりそうだと、ヴィクトルと忍び笑いしたのは昨日であった。仕入れたばかりの瓶が割れてはいまいか?ふたりして大げさに言って、ハウプトマンをからかった。
今はたいして、においもしない。ゼンはどうしてか鼻がきかない。それでいて、おかしな空気だった。
おかしさから逃れるみたく、大人たちは外へと消えた。昼番だってのこらない。見張りの交代にしては遅い。
濡れたフランを二階で世話して、ジニーも外へ行ってしまった。一番最後だった。
発ってすぐ、ヴァンガードとヴィクトルの喧嘩をみた。喧嘩だったと思われる。
知らない言葉と知らない言葉で、ヴィクトルがこわい顔だった。
「《"腕試し"から危うかったのだ。まともな子どもは躊躇なく打てん。まして縛った初見の相手の急所を》」
「《後出しも大概に!みとめただろうがッ、立派な剣の才だって!》」
「《正しければな。ヤツはそうでない。貴様も早々とりやめろ、剣の手ほどきを悪魔の子になど》」
「《黙れ!二度と言ってみろ!ぶん殴ってやる!よくもわかる言葉で聞かせやがって!》」
「《二人ともよして!ここで、ここでは!》」間に入ったイトーも、このとき逃げた。
最後には、どつきあいだった。もっともヴァンガードが本気なら、ヴィクトルだってただではすまない。
――本当にたたかうわけじゃ、ないと思うけど。
これまでないくらい嫌な気持ちだ。ふたりの喧嘩がそうさせた。腹の底がこわばり、胸がちぎれそうになる。自分がぶたれた方がいい。魔女の家で、明けない夜をすごした方がいい。
ひとつだけ思い出せた。
御許でエマに矢が放たれたとき、おなじくらいに嫌な気持ちだった。
おかしな空気の"魔法の居間"だった。
フランとふたりきりでもそうだ。
一番奥のいどころに、ちょっとはなれて座している。
ゼンは気がつく。火の色があらわだ。彼女、髪留めをしていない。
「ねぇフラン、髪留めは……」
「あ……」
そっと、フランは応じてくれた。
「落としちゃったみたいです……」
どさくさのせいだ。悪いやつならもういない。思って取り出すのは、赤い花柄の髪飾りである。スミカのことで、これもどさくさだった。
「あのさ!これっ……渡しそこねてたよね」
「……そうでしたね」
励ましてやるつもりだった。純粋な少年だった。喜ばせてやりたかった。
つけてあげる。
今ならうまくやれると思った。
不用意な火に触れたよう、フランは身ごとに遠のいた。
「あ……」
いけないことをした。と、上目遣いで語っていた。すっかり縮こまっている。
「……ごめん」
「あ、あの……」
それから、おかしな空気の"魔法の居間"に、ゼンは髪飾りを置き去りにした。
誰も昼番をしないなら、誰かがかかるべきなのだ。
縄につながれ、ざりざりと細道をかく、すまきの男のなきがらだけが、"薄灰色"の伴だった。フランの首につきつけた凶器は、ささくれた竹のかけらだった。
――転ばすだけでも、人は殺せる……。
誰も交代にこなかった。大人たちはずっと雨に打たれていた。
"異能"だとは知らないでいた。
視線に必ず気がつける。
ときどき、視線のふくみがわかる。
今も背中にうけている。中身はわからない。知りたくない。知りたくないとき、うまくはたらかない。
敵意だったら、みのがさない。異能でなくとも、たぶんわかった。
――僕だ。フランは僕におびえてた。
"守手"。いまや遠のく肩書きである。守るべきものに怯えられる、まして"光の騎士"などいるはずがない。
読心の術は気を病みかねない。今かもしれない。ゼンは思った。
"商隊"の視線がおかしかった。
野盗を殺してからだった。
世界がひっくりかえってしまった。
訊ける大人は帰ってこない。しかし、今ならわかるのだ。
――人を殺すのは、いけないことだ。
わかって晴れない日ははじめてだ。雨脚はしげく、まっくらな感情にとぐろを巻かせた。
――僕は"商隊"を敵にした。
わかってうれしくないのは、はじめてだ。
ついた町では宿をとる。予定変更を、大将は言う。
続く雨天につき、慎重をとって、先の路面状況を確認する。
ゼンはみなまで聞かなかった。宿の広間のすみに隠れ、なにか大事な話がはじまる前に、ますますけぶる雨中へ逃げた。




