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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:統べ手無き土地
33/100

33.迷宮 中


 ダルタニエンのまどろみをぶち破ったのは、身分不詳の大男だった。

「なぁダル、知らないか!」鼻と鼻まで迫られて、ヴァンガードだとやっと気がつく。昼寝にかかって、扉に錠はかけたはずだが。

「サルヴァと少年、どこ行った!」

 ともかく揺すられ、かくかくしかじか。ダルタニエンはなるべく急いだ。その大男はかつて見ないほど、苛立たしげで、おそろしかった。

「馬鹿野郎っ!なんで止めなかったッ」

 まだ説明の途中であった。預かった前金の袋をみせるや否や、男は部屋から消え失せた。扉は、冗談みたいに跡形もなかった。


 ヴァンガードは豪脚を発揮している。

 前金、なんと忌まわしい仕組みだ――よりにもよって()()()の発注で……!――お命代も同然である。

 サルヴァトレスとは行き違ったらしい。たまたまだ。ひとまず、そうして考えよう。依頼があがる掲示板には、今朝からずっと張りついていた。紙ぺら一枚も見逃しはしない。小用に席を外したひとときがあり、もしや、と思って的中だ。

 よほど割が良かったと見える。手をつけかねた競合冒険者らが、たむろしていて気がつけた。輪に加わったのは、好奇心から。調査名目の迷宮探索と聞く。ありがちだった。尻込みの訳も、みすみす逃した後悔も、ヴァンガードには理解できた。


 総べ手無き土地に「組合」はない。「もどき」があって、肩代わりする。

 必要だからだ。

 真贋そっくりなはたらきに、救われる旅人は事実多い。土地の人々もまた、冒険者を粗末にはしない。自助で負えない挑戦の、代行者だから必然だ。

 しかし相互利益は、不安定さを看過させている。

 組合なくして、"見届け人"なし。"誓約"の拘束力とは、行い主の保護までを本来言う。

 難易度の査定、情報の確度、なにがどこまで信用できるか、"もどき"はまったくわからない。必要だから、悪意はないとも。だが想定以上は覚悟されたし。苦闘のすえに得られるものが、古傷だけでも文句は言えない。古傷だけで、すんだらいいが。

 手前のケツは手前で拭け、だ。よほど面倒見のいい古参だけが、勇む新参に教えてくれる――よう新前!「もどき」は「組合」たァ勝手がちげぇぜ。

 なお踏み込むなら、せめて目を慣らせ。平和な国を出たばかりだから、ヴァンガードでさえ一日を費やす。まさか知らないサルヴァトレスではない。曇らせる何かがあったはず。

 迷宮探索、最悪だ。

 まことの危険の看破には、高度な専門性が求められる。その不都合も押しやるくらいに、仕事の次第は簡単で、子どもの使いも同然だ。散歩でしばらく飯が食える。思った奴から、何かを失う。依頼するのは「もどき」であって、「組合」ではないから。

『わかるぜ、尻込みも後悔も』

 ヴァンガードはまだ朗らかさだった。掲示板前の愚痴の輪で、取り損ね連中は悪態だ。

『ふてぇ野郎だったぜ、あれよあれよと』『惑う手先をスルリとな』『ま、早いもん勝ちゃ、そりゃそうだがよ』『俺らも丸めこまれたもんだぜ』

 微笑をたたえるヴァンガードだった。まだまだ落ち着き払っていた。『どんな人相のやつだった?』行き先のよぎる問いかけに、誰もすぐさま答えられない。

『たしか、口だくさんで』『そう、がなり声でよ』『ああ――』『『『詐欺師みてぇなツラだった』』』

 それで"もどき"をあとにした。ちくりと、嫌な予感に追い立てられても、まだとうぶんは平静だった。 


 ――……うまくやる。うまくやるさ、サルヴァなら。


 石畳を踏みしだいたのは、星と矢じりを見てからだ。王国軍の掲旗だった。駆けた数だけ、弁償をあとで騒がれる。跳んでいくのに遠慮はなかった。


 ――どうして俺を呼ぶのを抜かして……ッ!


 よりにもよって少年である。察知・観察に秀でた彼を、連れて行かない道理もないか。ふたりの痕跡をつけた先、門の内側ふもとの森には、陽だまりが残るだけだった。

「俺もたいがい間抜けな野郎だ!」

 大門ですぐに待ち伏せれば、事態はもっと違ったかもしれない。いまさら西か東かもわからない。ダルタニエンが寝こける三人部屋を蹴破り、今度は、屋根という屋根を蹴散らしている。やたら人混みが邪魔くさかった。王国兵が眼下に目につく。

 女王の旗を目にしたところで、ふつうは、誰にも予期しえない。理性のうえでは、サルヴァトレスを責めまい。女王の兵が弧大陸までしゃばるとすれば、"集団暴走(スタンピード)"か、はたまた"果て"かだ。

 

 ――表か裏かで、なんて取り損ない(ファンブル)だッ。


 王国はそれをふさぎに来ている。王国がいるから、それは"先史"だ。"もどき"で迷宮。最悪だ。

 胸板と金にものを言わせて、門兵をゆすった。出入り帳にサルヴァトレスの家名を見つける。


 ――お嬢さんまで連れ出して……!


 "治癒の神秘"は神業だ。致命的な失敗を一度まで、まるでなかったことにできる。これ以上ない人選で、いまとなっては、よりにもよっての目白押しだった。

 王国軍は"先史"を封じる。おぼろな記憶の彼方から、ヴァンガードは訳を引き揚げていた――ヴィー!ヴィーはどこ行った……!――ひょっとひとりでは手に余る。上から数えて何番目だろう、"集団暴走(スタンピード)や"果て"と並ぶほど、"先史"は危険で満ちている。少年少女が、そのただなかだ。




 ---




 固有の武器と信じられている。王国だけが製造できて、運用できると、盲信されている。

 銃だ。

 先進的かつ、野蛮な武器だ。剣とちがって、撃つだけである。

 握りもつたない素人を、剣士と同じ目線に立たせる。あまつさえ圧倒するだけの力を貸し与える。絹のごとくに鋼板を引き裂き、矢雨をいとわぬつわものたちを、ことごとく赤子にかえしてしまう。

 銃だ。

 そのおそろしさを()に知らしめるのに、機会はさほど必要なかった。

 一度の大戦で事足りていた。我が腹を切るような戦いだった。

 銃は、アメイジアに固有の武器と信じられている。

 部分的には真実である。 

 ここ何百年かは揺るがずにいて、女王のなせる業だった。

 製法の秘匿性、その内実の高度さ、厳格な取り締まり、所有にありつくための資格に手間暇。いずれをとっても尋常ではない。

 鉄と火薬とで、どうして為るか、仕組みを知るのは単純だ。しかし堅牢にして柔軟で、精密にして過たない、ばねに銃身に薬莢に火薬に、打ち方となると単純ではない。"誓約"を経た特定技術者だけが知らされる。

 幾重の網をかいくぐり、「もしも」の話がありえたとしよう。

 実物が流れた、であるとかだ。あばくのはやはり非現実的だ。

 すべての銃と弾丸が、魔法理に監視されている。一挺(いっちょう)一発に至るまで、王国製なら逃れられない。"刻印"が付されているからだ。直径にして二セル未満の魔法陣が、銃のすべてを制約している。

 発砲。資格者だけが許される。時ところまでが逐一通知・記録される。

 分解。不正の検出で、内部機構は融解する。 

 盗難。発覚次第、所有者には処分義務が課される。刻印の同期ほか、複数の遠隔破壊手段が用意されている。 

 ()()。無期懲役の重罪だ。史上、検挙に漏れはない。

 王国の統計によると、銃器をもちいた犯罪は、千年で百に満たないという。十割近くが国内で、半分以上が公職者による。民間にはそうそう行き渡らないのだ。

 やかましい身辺調査がもちろんのこと、煩雑で膨大な申請作業を乗り越えたとして、誓約、誓約、誓約である。

 よっぽど剣か魔術がはやい。

 高価さが、最後の関門である。本体一式、弾丸一発、ばかばかしいまで高くつく。反銃火器運動の先鋒といえば、かねてから王国魔術協会が知られていよう。盛んで煽情的なその広告運動にもいわく、

「どうせ浴びせる礫なら、黄金よりも魔法理だ」

 これはなかなかに的を得ている。磨いた腕なら失われない。銃は、所持資格から簡単に失効しうる。


 おわかりだろうか。

 三挺も載せて、"商隊"は異常だった。

 イトーの大口径回転式拳銃。ハウプトマンの二連発式散弾銃。ヴァンガードの底碪式小銃(リピーターライフル)

 獲得にいたる背景に、家柄、信用、功績と、さまざま事情を割愛するが、どこまでもひとつ明らかだ。

 もれなく王国製の銃だった。

 およそ銃は、アメイジアに固有の武器である。資格者がともにないかぎり、ひとりでに外を出歩かない。"刻印"が許す事態もなくして、常識的には、こちらを向かない。


 避けるだけなら避けられた。

 言い訳だ。

 私は撃たれた。まるまる太った弾頭だった。




 ---




 "にわとり"はもう動かない。死骸、とひとまずみなせるだろう。短剣を取りかえす折に、サルヴァトレスは仕留めなおした。漏れ出る黒い血液は、嗅ぐと重たくのどにはりつく。

 油だ。やはりか、これは機械(マシン)なのだ。迷宮探索者の噂話や、王国人の思い出話に、馴染みがまったくないでもない。"魔法の居間(リビング)"にせよ、その仲間はいる。"冷凍庫"だ。さいわい、夜中に起き上がって人を食ったりはしない。

「そういうことかよ、"先史"ってな……」

 煮えくり返るはらわたを、サルヴァトレスはのみくだした。手前の落ち度は、ひとまず棚上げする。順序、順序だ。筋立てだ。周囲の警戒にあたっている。四方間近が壁だった。


 かつがれて壁をよけるのに、ゼンは踏ん張った。ぺしゃんこも分断も避けられたが、ひとつの難を過ごしただけだ。傷は癒えていない。歯を食いしばって、やっと膝から座りなおす。支えるフランが所見をくだした。

「患部は、左肩ですね。出血はいまのところ少量。穴も小さいけれど。弾は……通り抜けてない!」

 非貫通銃傷がひとつ。間違えるわけにいかない。

「ほかに痛むところは?」

 ふるふる、とゼンは顔をしかめて応じた。治癒術師の目で、フランは見ている。こうした救護の行程は、王国人たちに教わって、見習いながら覚えがあった。

 ひとつも傷を見逃してはならない。あたり照明が赤暗かった。「右手で押さえていてください、そう……」安静に寝かせてから、念のため前面をまさぐっている。たしかめ終える。帷子(かたびら)の穴は既知の箇所だけだ。


 ――彼がこんなに痛がるなんて。


 荒く浅い呼吸、この照明下でも青ざめたおもて。たまの汗がひとつ浮かんで落ちた。

「死なない傷だよ……」

「またそんなこと!」

 "治癒"が要る。すぐ使うべきだとフランは判じた。うろ覚えながら、銃傷は悪い。外より内が深刻なはずだ。

「サルヴァ、治癒の神秘を使います!」

「あァ、気ィは配ってる……」

 定型句だから、"さなかの言葉"で伝わった。サルヴァトレスもまた言ったはいいが、とても偉ぶれる仕事ではなかった。

 "にわとりの丁字路"と、ここを呼称しよう。

 隔てる扉に三方をふさがれて、悪くとるなら、閉じ込められている。良くとるなら、束の間の安全を得ている。そこらから"にわとり"のつがいでも生えてこなければの話だ。

「これをふくんで……」

 革製の舌あてをフランははませた。にぎる互いの手が血濡れている。空いた片方を傷口にかざしてから、覚悟を問うた。

「……はじめますね」

 ゼンはうなずくだけだった。銃創ははじめてだった。

「ッ……が、あ。んんんァっ」「頑張って……!」

 痛みの逆流だと、経験者らはたとえる。ついて何より悪しきこと――負った時ほど素早く、痛み苦しみは去ってくれない。

「ふーッ、ふー……ッ!」

 もはやわからない。ふさいでいるのか、ひろげているのか、神秘は、弾丸をほじくり返す。肉が治っては引き裂かれた。


 ――頑張ってください、頑張って……っ!


 フランはいじらしく思う。ゼンは握る手の力をゆるめたのだ。痛々しさのあまり、顔をしかめたばかりだった。

「あとすこし!」「ッ……!」「終わりますっ」

 ちりん、とか鳴って弾頭は、つるつるの床で揺れていた。べちゃりと咲いて、まがまがしい。

「……いけない。フランに怪我は、ないんだよね?」

「ありません。ありませんよ」

「なら、いいんだ……」まなじりに涙で笑って、ゼンは弾丸をつまみあげる。翔ぶさなかとは、かたちがちがっていた。「ふふ、これじゃ痛いはずだ」

 抱きしめることしか、もうフランにはできない。サルヴァトレスがつと振り向いた。

「平気か、坊主」

「ええ」

 しゃがみこむので、目線があった。鼻をしきりにこすっては、言った。

「どうやら俺ァ、とんでもねぇヘマをこいたらしい」

 失敗はクソだ。サルヴァトレスはこれから、折にふれては口にする。 

「すまねぇ……今更、ケツ拭く紙にもなりゃしねぇがよ」

 しくじりをのぞむ人などいない。ゼンにも言い分があった。

「行きたい。僕たち言いました。サルヴァがわるもの、ちがいます」

 まぎれもなく、みずからの意志で選んだのだった。フランも横顔でうなずいた。

「……ったく、見上げたガキどもだ」

 ひとまず息をつけるらしい。三人は状況の再確認と、認識の共有をした。

 いつしか静まり返った迷宮だ。声も喇叭(らっぱ)も今は響かない。赤暗さもまた一定している。

「たくさんうちます、気をつけないと」

 棲んだ機械(マシン)は銃を扱う。仲間もいるとみるべきだろう。現れるなら、いつどこからか?まったく知れない。脅威であった。

「ドン詰まりだな……」  

 待てども帰路は開きそうにない。"もと来た道"の隔てる壁も、"バケツの丁字路"方面も、"にわとりの隠し扉"もあかない。あいてくれてもその歓迎に、"にわとり"の大群ではまた往生するが。

「ビビるばっかじゃラチもあかねぇ。ちぃと具合を探ってみらぁ」

 休んでな、と言われるのに、ゼンは甘んじた。結果から言って道を得られはしないが、時間はなるべくうまくつかった。


 ――聞こえてる?僕のほうは、もうぜんぜんだ。


 まだそばにいてくれるかもしれない。「彼」は自分だ。頼りというより、気ばらしだった。

 

 ――僕たち、"精霊"をおこらせたのかな?ほら、女の人の声をしてた。


 "にわとり"のほかにも、どこからともなく聞こえてきたから、"姿形なき意志あるもの"だ。


 ――テイギを君は気にするよね。それから、そう、具体例も。精霊はさ、サカイをよくまたぐんだ。森とか、風とか、水とか……ばくぜんとしたものに宿ってて、ときどき人に話しかけてくる。気まぐれに形を現わせて、どこへだっていける。

 ほら、君とそっくり。

 森の精霊なら、僕も知ってるよ。御許を出た日だった。雨にふられて……ああ、君もあのとき一緒にいたね。聞こえてた?くすくすくす、って笑い声と、「火の神の子、火の神の子」ってささやきだった。 

 妖精だろうって、ジニーは言ってた。人にいたずらする精霊のことだ。この迷宮も、妖精のすみかなのかな?そうじゃないなら、きっと僕らが悪いんだ。

 思い出した。

 ジニーのこきょうの森にはね、"大精霊"のお話がある。この星のどこか、地下おく深くに住んでいて、ひとりぼっちで戦ってるんだ。人と星とを守るためだよ。いまでも仲間をつどってるって。

 ……この迷宮の持ち主が、大精霊じゃないならいいけど。


 じき、こぶりな(かね)の音が床をうつ。サルヴァトレスが針金をすべらせたのだ。先がひしゃげてしまって、七つ道具も引退だろう。

「ちぇ。どっこもかしこも通りゃしねェ、あれだけガシャゴショ鳴ってたくせによ」

 扉も床も壁も天井も、なめつくすように調べ終わって、サルヴァトレスのがなり声は、"にわとり"を思うかひかえめだった。

「出られないってことでしょうか……」

「ううん。きっとなんとかなるよ」

 ゼンはいよいよ立ち上がる。"治癒"してもらってこのかた、とっくに痛みもしないのに、ちょっと弱ったフリをしていた。フランがぬくくて、うれしいからだ。けれど不安げならば振り払おう。

「ためします?」

 それで剣をまた執った。小さくたって剣士であった。専心級の剣気なら、阻む鋼にも道をひらける。一振り、とまではいかないから、時間は要るかもしれないが。

「……ちと、考えさせてくれ」

 二択だった。

 ひとつ、強行突破する。"にわとり"のおかわりが懸念される。

 ふたつ、助けを待つ。"商隊"は探してくれるはず。しかし、どれだけかかるかわからない。

「扉がよ、とかく鍵ってワケだ」

 鍵でありながら、ふさぐものだ。おそらく、扉のむこうはまた扉。隔ててこちらへ迫るとき、迫ってみえて、続々と閉じていた。一枚やぶってどれほどかかるか。迎えにくるにも事情は同じだ。地図の写しは外にもあるが、居所までは伝わらない。

「指折り三日はかからァな。晩に知って、明朝に探し始める。ぶち破って、ぶち破って……最短でよ」はたまた、もっとも遠回りなら。「ミイラもよろしくからからだ」

 黒馬車産の携行糧食で、一日ちょっとは食いしのげる。不安があるのは水筒のほうだ。心強いのはたぷたぷ鳴るうち、鳴らなくなったら、それは来たる。砂の国の出のたとえを借りると――渇き。おそろしい死神サマだ。

 いずれにしても、戦うのなら。

「一枚やぶって、考えよう」 

 三人の出した結論だった。まず安全確認にとりかかる。

 隔てる扉にいろいろ仕掛けた。ひっかいてみたり、小突いてみたり、おしたり、おしたり、蹴っ飛ばしたり。

「何も起きませんね……」

 ひとまずこちらは安全だ。であれば、これから行く先だ。

「……どうだ?」

 ゼンはほっぺを押しつけて、能うかぎりの聞き耳を立てている。扉のむこうで音はしない。もちろん、"もと来た道"方面だ。

「やれます」

「よし……」

 隔てる扉に突き立てるのに、それはすさまじい音が出た。鋼で鋼をしごくのだから、甲高く、おぞましい音であった。

 一度鳴らして、やや待った。ゼンも"水面(みなも)の構え"で刺したままだ。

「……なンも、平気、か」

 無遠慮に響かせたのに、迷宮の「声」は怒らない。見過ごされている、今が好機だ。

「つづけます」

 それも一筋縄ではいかなかった。突き抜けただけ、上等だった。隔てる扉は相当ぶ厚い。"ガズの剣"とゼンの剣気で、やっと出来の悪い缶切りだ。

 刺し穿ち、よじる。抜く。刺し穿ち、よじる。抜く。何度も何度も繰り返した。繰り返さなくてはならなかった。折を見てフランは耳栓をとりだした。王国製だ。ゼンの稽古の見学も、これをなくして許されていない。

 暑くもなくて、寒くもなくて、せめて親切な迷宮だった。くり抜き終わって、ゼンは汗ばむ。 

「……こりゃ相当ホネだぞ」

 かがんでようやくの抜け穴を、ひとつこさえて、やはりまた扉。"にわとり"がいないだけ儲けものと思う。

 もろもろ得られる数字から、フランが計算をはじめている。

 扉と扉の幅、五メル。"もと来た道"にかかる歩数は、サルヴァトレスが覚えていた。ふにゃふにゃの地図も参照しながら、概数であれば割り出せる。

 どうやったって避けられない、隔てる扉の枚数だ。 

 数を覚えた今だとて、ゼンは聞いて、また見て、思わずもらした。

「……すごくたくさんだ」

 けれど、帰還はわりにゲンジツテキやも。夜まで進めば、それなりに数を抜けるはず。きっと疲れて眠くなる。助けを待つ間に休んだら、ただ待つよりも、コーリツがいい。だから三人は決めた。

「前へ進むか、進めるだけよ」


 赤暗い照明が眠気をさそった。

 サルヴァトレスが言うように、失敗はクソだ。取り返すために何かしら、無茶な選択を強いられる。

 はてしない缶切りのさなか、ゼンは雑念がよぎって仕方ない。


 ――こんなところにも、銃はある……。


 経験があって、あのざまだった。ふつうの人より恵まれるはずだ。後ろを守ってしのぐのに、魔法理のたとえば、木の実に棘に、氷塊に土くれ、それらで学べてせいぜいで、ゼンはちがった。銃だ。本物でずっと慣らしてきたのに、ひとつふたつでしくじった。


 ――だめだ、集中。集中しないと……。

 

 剣気をなくせば剣が折れる。剣をなくして、ただの人の子だ。 

 手順の確立がなされていた。聞き耳をたて、扉をぶちぬく。ぶちぬく仕事は、もちろん分担した。

「フラン、代われる……?」

「はい……!」

 どっと、ゼンは座り込む。もう何枚やぶったか覚えていられない。かく汗は全力の稽古もさながらだったし、肩でするほど息が上がった。

「わりィ……俺の刃がもっとたちゃな」

 およそ十セル、隔てる扉はぶ厚いのだ。サルヴァトレスは長剣で剣気がうまく放てず、自前の短刃にせよ、ここまで二振りだめにした。「ひつよう、です。たたかうため」残りまでむやみに折ることはない。進む手立てにせよ、まだ潰えていない。

 フランは頬で息つくと、(てのひら)にちょろりと"煌策(こうさく)"を出した。さすがに見慣れた短さだ。強度を保つための最適化だった。

 はじめもはじめのフランの出番に、手法をめぐって思案があった。"煌策(こうさく)"を試すまでは早い。そのあとだ。赤にも赤い灼き跡が、丸く描いて美しかったが、どうにもそれで足りなかった。

 浅かった。

 蹴とばしてみても、抜けてくれず、また焼き直しと相成った。フランは言った。「うう、"光鎚"が役に立てれば……」

 やれるなら無論やっている。上下をあまねく支配できても、前後はならない"光鎚"だ。天井を抜いて出せはするやも、しかし"迷宮"をきっと「不安定」にする。骨子の壁・床・天井を、ヘタにぶち抜いては命取りなのだ。

 不安定になった"迷宮"では、今以上に、何が起こるかわからない。たとえば、内部に居残るにもかかわらず、出入りの口を、魔法理に失ってしまったり。

 "もと来た道"の扉だから、容赦なく抜けている。間違えないよう気を使う。そうした点で、"煌策(こうさく)"は器用だ。ただし、晒すほど熱を失う。神子は無尽蔵の魔力を言われても、術の"強度"とはまた別である。"冷却期間"の問題だ。使いたおして「溶かさぬ炎」と化した"煌策(こうさく)"は、見た目はいかにも灼熱で、物の理に――隔てる扉に、なんの干渉もおこせなかった。

「《あ、もう熱が……あとちょっとなのに》」「サルヴァ?やれます?」短剣のうち戦闘用(エドガー)の方を、ゼンは貸していた。「まぁしとけ!」

 適材適所だ。万能はない。剣士の休憩と術の冷却に、多くの時間が費やされた。


 前へ進むのに、ただならぬ根気が要った。よかれ少年少女が持っていた。

 次の隔てる扉を抜けば、"最初の通路"のはずである。

 水筒はもうたぷたぷ鳴らない。進むしかない。もとよりその気だ。

 ほとんど最後のつもりになって、ゼンは聞き耳がなぁなぁだった。流れでそばだて、流れで剣を執る。"にわとり"とはだいぶご無沙汰だから、過ぎた痛みを忘れている。

「……ん」

 "構え"をとって、やっと思い出す。何か変だった。首をかしげた。かわりましょうか、とうしろでフランが、火の尾をチロッと灯してみせる。

「ちょっと待ってね」また聞き耳にかかっている。「これまでと何か、ちがうかも……」

 ひょっと助けならよかったが。わからないものに、ゼンは期待しない。

 溶け込むくらいに、耳をあてている。「聴く」ではなくて「探す」のだ。隔てる扉は、音も隔てる。向こう側より、こちらで吐息がうるさかった。三人分だ。フランに耳栓を借りようかと思った。彼女、おちゃめに聞き耳をまねて、扉にほっぺを押しつけている。すると。


 シャコンシャコン!


「あうっ!?」

 フシューッ!と、どうして脅かさない。隔てる扉が勝手にひらいて、フランはぺちゃりと床につっぷした。 

 見当通りに行きあたりだった。右曲がりになる。すぐさまゼンは角をのぞく。"最初の通路"で、最後の通路だ。手間もはぶけてよろこばしいかな、一直線にひらけていた。

 いや。はたして本当によろこべるのか?あるいは、最後の通路となってくれるか。


 ガション、ガション、ガション、ガション。


 遠くで、それは大群だった。


 ――……"にわとり"なんかじゃない!


 只人大の機械の群れだ。

 二本の脚で、ひとつの頭部。人の(なり)だと判ずるのには、"徴"もだいぶカクばっていたが、そんなこと些事だ。仰天だ。遠目に凝らして、ゼンならわかった。


 ――銃だ!


 フランの首根を必死にかかえて、通路から身をしりぞけている。

 チュイン!といくつもあたりが鳴った。ダダダダ!と奥から轟く。

 銃だ。弾丸だ。銃声だ。

「いいいっ!?」サルヴァトレスが目をひんむいた。

「きょり、五十!」黒馬車流でゼンは報告する。「数、たくさん!」

 迷宮中で、鐘と喇叭がまた騒ぎだした。赤暗さがまた明滅しだした。

「フラン、走って!」どこへ?とにかく、ここ以外のどこかへだ。「もどっぞ!」戻ってどうする。しかし選べない。

 汗水たらした辛苦の道を、あてどもなく三人はさかのぼる。駆けては何度も穴をもぐった。先頭はゼンだ――なんなの。機械(マシン)って、"先史"って……!――敵意をみせずに攻撃してくる。あのおそろしさは、自然と似ている。

 苦労が嘘のようだった。もう"にわとりの丁字路"だ。もちろん誰も掃除しないから、ひとつ転がる骸がしるしだ。

 なおさら間違えようもない。むかいの"にわとりの隠し扉"と、左手"バケツの丁字路"方面が、あけっぴろげになっている。これさいわいかと、ゼンは眠るにわとりをまたぐ直前で、

「っ!」

 もときた角に飛びのいた――機械(マシン)だ!ここにも!?

 "人形(ひとなり)"と呼ぼう。三人もいた。八メルそこら、"バケツの丁字路"方面である。


 ガション、ガション。


 明らかに見られた。ゼンもまた見た。

 腰だめに三丁の小銃だった。

 後ろ手でゼンはフランを制する。遅れてまさにでてきたところだ。しんがりはサルヴァトレスがつとめている。まだ現れない。俺のタッパじゃもたつくからと、フランの背中をかばってくれていた。


 ――どうしよう、どうしようっ。どっちに逃げる!?どう逃げる!?フランは、"にわとり"をぶじで渡れる……!?

 ――螂エ繧峨b()()()()()鬆シ繧!()()螢√〒隕也阜繧()()縺偵▲。

 ――何て言った?とどいてる!もっと大きな声で言って!

 ――轤弱?螢√□!轤弱?()()()縺ァ縲()()繧偵?遮繧九s縺?!


 ガション、ガション、の足取りは、重たさばかりで遅くない。間近に六つ三対で、はるか後ろのは数えるだけ無駄だ。


 ――……やるしかない!今ここで!

 

 ゼンは首を出してすぐ引っ込めた。のぞいた角がいくつも撃たれる――見てろ、僕らはこっちだよ――サルヴァトレスが追いつくのをみとめて、鐘と喇叭に負けじと叫んだ。

「フラン、火の壁を!《サルヴァ、待て!》」

「は、はいっ」「おう!?」

 剣で道を、手でおこないを。有無を言わせずゼンはしめした。ととのうなりに駆けだした。


赤気(せき)揺蕩(たゆた)(ほむら)明幕(めいまく)


 神子の神秘に唱えはいらない。ゆらり焔は目くらましである。天井までを覆っても、機械はこちらを見通せるのか?知ったことか。危険の沼には()かりどおしだ。

 "隠し扉"の角に、まんまとゼンは転がり込んだ。撃たれず済んだ。息をのんでいるふたりに告げる。(敵数、距離、三!援護を!……下げてッ、今!)身振り手振りで完結していた。

 ガションの数を聞きはからって、まっさきに飛び出している――いいぞッ――人形(ひとなり)たちはそろいもそろって、"もと来た道"の角をねらっていた。そう、"隠し扉"は見ていない。

 左から右へ、銃口がおよぐ。ゼンにはこの間で十分だ。肉薄している。振っている。

 むかって右の個体であった――鋼のほねほね人間だ――もはやこうべを失って、倒れるこれを一番とする。二番、三番が横並びである。


火床(ほど)(はし)深紅(しんく)煌策(こうさく)


 ゼンとて神秘に唱えはいらない。二番の銃を縛って御した。やみくもに引き金が絞られる。弾丸が壁に浪費される。

 三番の銃も火を吹いた。しかと少年をさだめはしても、射線上では二番がはばかる。(かね)(かね)とが激しく撃ち鳴り、それとて数発だけだった。

「っらぁ!」サルヴァトレスが三番をやった。「火の矢です!」二番の頭に"緋矢"が立った。ついでにゼンが刎ねるから、三つのこうべが仲良く落ちた。がらがら、人形(ひとなり)の墓場ができた。

 "対魔剣"の序、この()のことわり――頭をもげば、動物は死ぬ――あてはまったのは、幸運にすぎない。

「だしぬけに馬鹿やりやがる!」がなり声である。「気ィでも狂ったか!?おい!」

「わかってくれます。くれました」

「ったく!」

 やりすごしても背中を撃たれただろう――相談の余裕はとてもなかった。

「ゼン……!」

 名を呼ぶほかになにができる。危険へ率先する性を、咎める資格を持てる日はくるのか。フランは駆けより抱きしめた。

「っ、聞こえた!?もう行かないと……!」

 さほど余韻にはひたれない。うしろでガションと無数に鳴るのは、いまや右手も左手も。反響したって聞き取れる。"隠し扉"も選べなくなった。

 ほかに道がない、(すべ)がない。残されている"バケツの丁字路"方面へ、三人は走った。魔法理異象(アノマリー)もとっくに忘れて、こぎつける。バケツの向こうに、赤バツはない。地図もなくして未知の領域。左右をのぞけば、すぐ行き止まり。角があるだけましである。直線に身をさらさずに済む。長らくすごして区別もついた、邪魔だてするのは隔てる扉だ。

「左手だ!ぐるっと戻るにゃそれしかねェ」

 構造からして、あてずっぽうだ。それでも賭けて続けるしかない。"にわとり"から"バケツ"のぶん、距離が稼げた今のうち、すこしでも前へ進むしかない。

 何がわかって、わからない?どれほどで群れはやってくる。数にしたって三ではすまない。ゼンは剣をつきたてながら、鐘と喇叭の間隙に聴いた。

 ヤツらが押し寄せてくる音がする。

 もう"にわとり"のあたりだ。墓場を踏むので、違いがわかった。追いつかれたなら?結果もわかる。

「フラン、続きをお願い」 

「はいっ……」

 五十メル、たしかそれくらい。"にわとり"から"バケツ"までの距離だ。人形たちは駆け足こそせず、隔てる扉をあいだに持たない。バケツの中身をけっちらかすまで、たいした時間を必要としない。

 穴をひとつもあけないうちだ。ゼンは丁子へつま先をむけた。

「おい!」

 サルヴァトレスが行かせない。

「鍵はおめぇが持ってんだろがよ」肩をつかんではゆさぶった。「とっとと穴をこさえて、むこう側から塞ぎやがれ。四辺を焼くのも忘れるな」

 押し返されるのに、ゼンはあらがう。腰帯(ベルト)を掴んで、今度は自分が行かせなかった。サルヴァトレスが代わろうとするのだ。

「やられます。サルヴァじゃ」ただの(まと)である。弾避けだって訓練しないのに。

「いいやがる。ケツ拭く紙にもなりゃしねぇってな?」 

 サルヴァトレスが言うように、失敗はクソだ。取り返すために何かしら、無茶な選択を強いられる。今がそうだった。なにがなんでも術が要る。時間稼ぎの術が要る。

「ひょっとわからねぇぜ。俺様が実際どんな野郎かも知らなかろ、坊主」

 サルヴァトレスは何か隠している。そうかもしれない。どうだっていい。迫る理不尽を覆す、たしかな術があるならば、"最初の通路"をつっきれた。いまごろ宿の寝台だ。


 ガション、ガション、ガション、ガション。


 群れの行進はどうどうと、はじめに聞くより盛んになった。たくさん、とただ呼ぶしかない、大群相手だ。どうにもならない。

「やらせろよ。野良猫だって、クソの始末は手前でつけンだ」

 不毛な順序の相談である。ゼンが腰帯の手を滑らせる。サルヴァトレスはむこうへ、一歩。ついでいぶかしむのは、離れた手の行き先。

「まって、なにか……」両耳にゼンはあてている。

「あんだってんだ?なんべんも」

 呼び止めるための口実ではない。ゼンは耳利きで、間違えない。迷宮中で鳴り渡る、鐘に、喇叭に、ガションガションに。

 まだある。見つけた。あらたな音だ。音の方から、網にかかった。

「なにか来ます」

 どこから?奇妙だ。正面だった。バケツをはさんで、丁字のむかいだ。選ばずにいて、隔たれていて。隔つ扉は十セルもある。そんなぶ厚さを越せるとしたら、いったい、どんな大音だ。

「……もうたまげるタマが残っちゃねぇぜ」

 サルヴァトレスもとらえたらしい。遠慮なく、それは大きくなった。ゆるやかに、さだかに、拍動のように。


 ドン……ドン……ドン!……ドン!


 右手のガションとかちあいそうだ。戦士ふたりして、釘付けだった。わからないものに、期待はできない。

「フラン!」

 名を呼ぶほかに何ができる。ゼンは悔しくてたまらない。もう何も選べない。


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