28.贈り物?
ふとした時、人の中に悪心は差す。
たとえば、とある炎天下。
汗をかく。あなたはひどく渇いている。
瑞々しく輝く果実をみつけた。店番のない店先だった。
通りを見渡す。人影はない。
誰もあなたを見ていない。
果実は山とある。値札がぶらさがる。ひとつにつき、銅貨一枚。たったの一枚。
ズボンの内を、あなたは探った。上着の内を、念入りに探った。けれども、なにも持っていない。あなたは、なにも持っていない。
財布をどこかで落としたらしい。
ツイてない。
ああ。果実に手が伸びそうだ。
なぜって、渇いて仕方ない。
一口齧れば甘くて美味い。瑞々しくって、喉が潤う。
通りには誰もいなかった。
いいじゃないか、どうせ誰ひとり見ていない。
誰も自分を見ていない。
今日はツイていない。うめあわせだ。これくらいなら許される。
山ほどあるんだ、ひとつくらい、わけてもらって、バレやしない。
大手をふって食ったらいい。金なら払ったさ、みんなそう思う。
さあ、あなたは、手を伸ばし――。
ふとした時、人の中に悪心は差す。
もっともらしい言い訳をして、人はしばしばそれになびく。
悪心。誰しもが持ち、抗うべきもの。
例えばここに、盗みを働く心があった。
木陰で昼寝に耽っている。木の根を枕に、帽子で影を、男が昼寝に耽っている。
そこは憩いの場であった。
男に連れはいないらしい。誰もが傍を通りすぎ、不用心だなと一目みるだけ。
寝こけて、あまりに無防備だった。
それもそのはず。
寝こけて、男は考えもしない。
寝こけて、男はなにも盗られない。
男こそ、奪う側だから。
寝たふり、男は品定めをする。
道のほとりで、よりどりみどり。
男は、とっくに狙いを定めた。
あの黒馬車が良い。四頭立てで、屋根つきで。どうせ乗るのは金持ちだ。わけてもらって、罰は当たらない。
盗人は決して、立ち上がった。
あたりにいるのは旅人ばかり。道を行くにも、休むにも、まばたきするうち互いを忘れる。木陰で昼寝の男は何処へ?とうぜん、誰も見ていない。
旅人にしか、男は見えない。道行く人に、男は見えた。
足取り定かに胸を張る。故郷をしのぶ鼻歌を借りた。
黒馬車はとうに、もぬけの殻だ、そのはずだ。数まで覚えないが、たくさん降りた。ひょっと誰かと鉢合わせるなら。
ああ、失礼。ひとつ隣と間違えました。
紳士なふうに言ったらいい。互いの顔など、明日には忘れる。
誰もが誰もだ、気にしない。他人のことなど気にしない。どこから来て、どこへ行くか。誰が乗って、誰が降りるのか。
旅人然の盗人は、しれりと黒馬車に手をかけた。訝しむ者はいなかった。おあつらえ向きにその馬車は、乗り降りが人目につきにくかった。
薄灰色の荷台には、見越した通りだ、誰もいない。御者の亜人は向こうの林。馬の世話にはまだかかるだろう。
我が物顔で乗り込んで、盗人は物色しはじめる――乗った連中の荷はどこだ?
意外やアテが外れたか。外面からして安い内装だ。窮屈だから腰も折れた。それにしたって、狭かった。乗れてせいぜい只人六人。一席そこらはガラクタが占める。降りた頭はいくつだったか。
――おかしいな。
肝心の荷が見当たらない。金目のものが見当たらない。くまなく触って確かめた。木椅子を小突いて、隠しを探った。
ない、ない、どこにもない。
おかしな馬車だ。なんだこの造りは。二目と見ない、物好きの馬車だ。
――ああ。
やっと見当がつく。吊り幕が垂れている。獲物は奥で相違ない。どれどれさっそく覗いてむよう、前へ。
布を捲って、折しもだった。ドン、と男は後ろを押された。あらがいようなく、たたらを踏んだ。
「とぉッ」
事もなげ口にしてごまかした。不在は確か、足音も聞かない。つまずいただけさ。一体どいつが、俺の背を押せたって――?
「ごきげんよう」
眼鏡がしるしの只人であった。
「いつの間……はッ」
盗人は知らない。知るはずがない。魔法の馬車の存在を。"魔法の居間"の所在を。その出入り口の原理を。
魔法理が背中を突き飛ばしたのだ。人と人とで、重ならないよう、思いやりからできている。
「おやおや、口が滑りましたか?けれどもあなたはまだ手ぶら、穏便な解決も視野ですよ」
眼鏡の只人は、紳士なふうに告げるのだった。"商隊"は、彼をイトーと呼んだ――"薄灰色"だけなら見逃しましたが、貨物室立ち入りとは看過しかねます。
「……馬車主、か」しまった、盗人は思っている。不意をつかれて、演じ損ねた。自己紹介は不要だった。
「ええ、置引き未遂殿。どうぞ表へ、あわてずに」
眼鏡を押し上げるのとは、別の手中におさまるモノに、盗人は更に驚かされる。ぎょっ、と懐に手をやると。
「動くな。前言撤回です」
それは胸先半メルに突きつけられた。
「もしや初見ですか?こちらは」
「へ、へ。そりゃな。だけどよ、おもちゃに決まってる……」
ねばつく唾を飲みこみながら盗人は――なまっちろい東方人だ。ぐさっと押しやって、林に飛び込めば屁でもない。ほとぼり冷めたら昼寝に戻るさ――思っただけで、できないでいる。
眼鏡の武器を、知っていた。半ば虚勢で、おもちゃと言った。真贋をどうして判別できた。高価で、稀で、しかし在る。もしも本物なら困る。短剣を抜き、中腰で二歩、それで殺せる?いや殺される。眼鏡の得物に、腕力は要らない。
「ほぅ」あやしく、眼鏡はわらってみせた。さながら呪文をつづけて唱えた。
「マイス社製五○〇型回転式拳銃、認証番号三七三七三一四。正式認可をうけた王国銃砲店にて、正当な資格もと購入しました。ただいま実包五発が装填されています。この意味がわかりますか。この薄暗さですから、淡光りする刻印が美しいですね。安全装置解除のしるしです。もっと丁寧に言い換えてもいい。僕が指先に二キログそこら込めるだけで、亜音速の弾丸があなたを討ちます」
盗人はひるんだ。意味不明でも、拘束の呪文だ――よせっ、聞いてる場合か、何か手立てを――思うばかりでやはり動けない。銃手が「動くな」と言ったからには。
銃は女王の軍を破ったという。手練れた剣士の軍勢だった――剣を執るなら、誰しも風に聞く。いまや盗人にして、得物は短剣。間に合う呪文も、とうてい持たない。だから盗みなどやっている。処せる手立ては多くはなかった。震えた口端で強がった。
「これでもこっち"専心級"だぜ。おたく、よーいでズドンといける口かい」
「やや、専心級!おそろしいですねぇ。腕前の程ならよく存じ上げますとも、剣域にはとても立ちあえません」
眼鏡はおどけて構わない。不銹鋼製じみた銃口にせよ、ぴたり定まったままでいる。だいぶ度胸があるらしい。盗人は賭けた。眼鏡の話につきあった。
「それにだ。五発、言ったよな。足りてくれるか?俺のツレたぁ、林にごろごろ潜んでる。頭数ったら、ちょっとした騎士団並みさ。そっち御者のイノシシも今頃どうだか……」
「なるほど、なるほど。これまたあり得るお話ですね……すると?他の乗員の顔ぶれにせよ、もちろんあなたは御覧になっている」
「ああ、そりゃ見たとも。たっぷりな」今さら嘘のひとつやふたつ。寝たふりだから、顔なぞ見ない。やたら多かった気がするくらいだ。
「そうでしたか!なら話も早い」
「なんだってんだ」冷や汗が出る。あとすこしだ。
「相手が悪い、と申し上げるのです。見てなお、あなたは見逃した。もしも銃声が轟けば、一度ならずあなたは驚く。我らが戦士の駆けつけるさまたるや、雷の如く迅速です。麗しき弓師の矢は必中ときた、果ての果てまで逃げられましょうか。可憐な魔術師のたなごころが放つ光たれば、炎帝の火をも凌駕するほど。それこそ、林のひとつやふたつ、灰塵もなにも残しません。ですから……この手中に込めた弾丸五発は、余さずあなたに差し上げられます」
「け、好き勝手モノを言いやがる!それにしたって、ここまで」――長話を垂れたな馬鹿が!
「動くな!背後の貴方がたに言った!」
それで盗人の望みは潰えたのだ――"暗歩"の看破をッ、この眼鏡!?
「全部で三人、死角と侮りましたね。次の一歩は慎重にどうぞ、お仲間に風穴があきかねません……忍び歩きで、ご立派な騎士団だ」
「おいおいおいおい、だけどよどうだ。抜き差しならねぇたこのことさ」
まだわからない。悪あがきだ。
「言ったよな?手打ちとしよう、穏便に。ズドンときても、あんたはぶさり。もとはた誰のモンだろな?長槍が背を狙ってるぜ」
「ぶさり?いやはや、愚人には見えぬ槍でしょうか。二部咲きがふたり、只人がひとり、肝心の得物は誰にも見つけられません。おっと!そのたじろぎは多めにみますとも。剣も帯びずに正解でしたね、あれば引き金は軽かった」
盗人はついに膝がふるえた。ぞっとした、ではすまなかった――目の当たりみたく何でもかんでも……!神か悪魔だ、この野郎。
「さて……時間稼ぎもこんなところでしょうか?まったく、お互いさまでした」
「おーい。あんたたち、うちの馬車に何か用かい?」ほがらかに、それは投げかけられている。
「あ、いや……」騎士団のひとりが、泳ぐ目で応じた。乗員らしき一行の帰還だ。ずん、ずんと先頭で迫る、大男などさぞ恐ろしかろう。
盗人はとくに袋の鼠だ。"薄灰色"を逃げ出しようがない。刺し違えたなら優がつき、そうはさせないイトーがいた。
刮目したとも。盗人は見た。銃手が忽然と消えてしまった。一歩踏み出て、霞も残さない。唐突に、袋の封が開いた訳で――なんだかわからんが、逃げるなら今……!
盗人はまたも、つんのめる。背中に大音を受けたせいだ。降りようとして、降りかけで、顔から落ちて、気がついた。あげた面の真横にめり込む、耳を掠めた弾丸だ。
あっという間に取り囲まれた。応じる術がまるでない、という意味で、天災のもたらす理不尽さに似ていた。
"商隊"は走った。"魔法の居間"は遮音されている。わざわざ銃声とどろかすなら、危険を知らせるイトーの仕業だ。おもてに三人、飛び出た一人、剣帯なくして欺瞞の手法、「敵」と判じて間違いなかった。油断せずいた。全力だった。
大小の剣士が長剣を抜いた。駆け来た草土は、それからめくれた。逆方面に逃げ場はなかった。大男が消えて、現れ、立ちはだかった。料理番は、短剣を投擲してやってもいい。逃げるそぶりなら、羽を生やせる。野次馬は白矢に目を奪われるだろう。長耳が精霊弓に番えるのだ。少女の真価は"商隊"だけが知る。いまは指先に"緋矢"をそなえた。林の奥から駆けつける、巨体は槍と無事だった。
最後に"薄灰色"からのぞくのが、火力に似合わぬ短銃身である。盗人騎士団に銃手は告げた。いかにも紳士なふうだった。
「穏便に……とはなりませんでしたが、得物を抜かずに幸いでしたね。この期に及んであなたは選べる。つまり……用心棒の詰め所まで、歩かれますか?担がれますか?」
「どうした!いまな銃声か!?」大将が、ちょっと遅れて駆けつけた。
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奇しくもイトーは悪名を馳せた盗賊団の残党退治をこなした訳だが、罪状誓明にあたっては、彼らの更生を望む以上の、とくべつな付言をすることはなかった。
「ああ、いまさら手に震えが……」
興奮物質を切らしたのだ。記録はしばらく後回しになる。
「け。クソ度胸だな、四ツ目先生よ。鏡の手前にむけた芝居たァ」
"商隊"を信じた捕り物であった。姿見を"魔法の居間"開口部にそなえて、足先だけを中に入れておく。すると魔法の原理上、奥の盗人との障壁になる。いざ逃走経路の確保にもなる。つまりイトーには"魔法の居間"しか見えていなかった。第一盗人とはさして対面しておらず、鏡越しに背部の林を眺めていれば、騎士団の接近がよく見えた。一網打尽と相成った。
「はは、寝ぼけた思いつきがうまくはたらきました……」
黒馬車はとうに憩い場を発った。ふたりは"薄灰色"にいる。
「太っ腹だぜ、弾代までもくれてやって。ありゃ案外高んだろ?」
「そこは、ささやかな贈り物ということで」
「いい趣味してやがる」
「いえ、すなわち教訓を。侮るなかれ、奪うなかれ……」
「へ、目には目を、がオチだわな」サルヴァトレスは言うのだ――模造品を増やすだけ。
「なるほど、ごもっともな指摘です……反省せねば。人は見たいものしか見ない」
「あァ、《見し者、必ずしも開かれず》だ」
「おや珍しい、香砂語ですね?ええと?見えるとて、その目は開くと限らず――」
「その四ツ目につける良薬さ。そこにねぇものはねぇ、ってぇんだよ」
「ははぁ!不在盲心理までをかけて仰る?これは一本と言わずとられました」
単純明快な"暗歩"の基本原理でもあった。
"統べ手無き土地"の道を、黒馬車は行く。おもに"さなかの国"から"公国"間の、統治空白地帯だ。どうして誰も領有しないか?統治には無論、責任が伴う。当代、統べ手はだれもが弁え、いたずらに領土を拡げたがらない。
人民を守れずば人心は乱れ、遠からず統べ手を討ちに来たるのは、人でなくして、悪であるから。
"統べ手無き土地"には、統治者がない。奔放に人は生き、あちらになびく。
悪心。誰しもが持ち、抗うべきもの。ともすれば人は、それが己に根差すと気がつかない。
inattentional blindness:非注意性盲目




