67 お風呂とご飯には癒される-2
せっかく用意してもらったのだから、と睦人は湯船に浸かる。乳白色の湯は柔らかく、体を芯から温めてくれた。
「……」
落ち着くと、睦人の脳内には多くの疑問が溢れてきた。
なぜ弥の家にいるのか。今はいつなのか。事故はどうなったのか。轢かれた方は大丈夫か。
―――如奈は無事なのか。
「如奈……」
呟くとともに、顔の半分ほどまで湯につける。
「……」
人の三歳以前の記憶は曖昧になると言われるが、睦人の記憶は二歳ごろからはっきりと残っていた。
二歳の冬に、初めて如奈と出会った。それから幼稚園、小中学校とずっと如奈とは一緒に過ごしてきた。
高校も一緒になったが、当たり前のことだと睦人は思っていた。
「……ぶぶ」
目の下まで浸かり水中で息を吐く。
唯一と言っていい、如奈について忘れていた記憶があった。できれば一生、忘れていたい記憶だった。
如奈が轢かれた、十年前の事故。正確には、その時の自分の心境を。
「……ぶぶぶ」
自覚した今、それは睦人の心に強く深く刻まれてしまっている。
―――あの子から流れる血が、美味しそう。
忘れていたと言ってはいるが、それは毎晩毎晩、繰り返し夢にまで見た状況だった。
本当は、忘れてなどいなかったのではないか。目を逸らしていただけで、心のどこかでいつも思っていたのではないか。答えのない疑問ばかりが睦人の心中に渦巻く。
―――一緒にいたのは、美味しそうだと、思ったから ?
―――如奈に会いたい。でも、それは、何で ?
「……ぶぶぶぶ」
思い返すとここ最近、睦人は如奈に迷惑ばかりかけていた。
大好きなはずなのに、目を閉じても笑顔が思い出せなくて。悲しませた顔ばかりが浮かんできて。その事実が睦人をさらに追い詰める。
―――血濡れの肢体なら、嫌でも見せられるのにな。
「……ぶぶぶぶぶ」
頭の上まで湯に沈んでいったが、睦人はそれに気が付かなかった。
「あれ、みゃーこさん、随分温まったんだね」
風呂から居間までやって来た睦人を見て、弥はそんな感想を漏らす。
睦人は全身が真っ赤になるほど茹っており、体からほこほこと湯気が上がっている。
文字通り全身を湯に入れた睦人は、寝起きかつ空腹の状態であったこともあり、危うく風呂で溺れる寸前にまでなったのだった。
「脱水になったら危ないからねー。はい、牛乳」
「……ああ、わるい」
湯あたりしふらつく睦人は、弥から牛乳の入ったコップを渡されると一息にそれを飲み切った。
冷たいそれは火照った体に染みわたり、睦人の空腹感も僅かに落ち着いた。
「美味しい……」
「そう ? おかわりいる ?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
「どういたしましてー。でも、みゃーこさんってお風呂はゆっくり入る派なんだねー。もしかしたら溺れてないかな ? って心配しちゃったよ」
あはは、と弥は笑うが、本当に溺れかけたとは言えず、睦人は苦笑を浮かべるに終わった。
「そうそうみゃーこさん。ご飯出来てるよ、食べよー ?」
「本当に、何から何まですまない……」
「気にしないでよー、好きでやってるんだし」
そう言って、すでに二人分の配膳が終わったテーブルに睦人を着席させる。
そこに並んだものを見て、睦人は思わず目を見開いた。
「弥」
「んー ?」
「これ、お前が ?」
「え、そうだよー。嫌いなものでもあった ?」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
並んだものに再度視線を送り、睦人は二、三度瞬きをする。
ほかほかと湯気を立てる卵粥は淡く色づき、散らされた白ゴマが上品に輝いている。
わきに並ぶ梅干しや山菜は、色味が薄く自家製であることが窺える。鶏そぼろは醤油と砂糖のシンプルながら馴染み深い薫りがし、空腹の胃を掻き立てる。
味噌汁は大きめに切られた根菜が数種類入っており、大きめの椀にたっぷりとよそられていた。
「……」
「冷める前に食べよー ? あ、みゃーこさん暫く食べてないから胃も弱ってるだろうし、食べられるだけでいいからね ?」
「あ、ああ。……いただきます」
「召し上がれー」
手料理であるという事実にに圧倒されながら、粥を少し口に入れる。
「…… !」
ふわりと優しい味が口に広がる。じわじわと遅れて卵の甘さと白ゴマの風味が舌に感じられ、嚥下すると胃にじんわりと温かさを覚えた。
久し振りに口にする、温かい家庭の味だった。
「弥」
「んー ?」
「……料理、うまいんだな」
「え、そう !?」
睦人の飾りのない感想に、弥は喜びを声にのせる。
初めは遠慮がちであったが、睦人は暫く無言で食べることに集中する。
色々と気になることはあるのだが、それ以上に体からの空腹の訴えが大きかった。




