表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドリンクB  作者: マコ(黒豆大福)
プロローグ
56/78

56 知らないところで目覚めるとパニックになる


 赤い。


 世界が赤い。


 上下も左右もわからない空間の中、睦人は一人で漂っていた。普段の夢とは違って、いつもいてくれる女の子もいない。


 見たくない、と思いながらもいないと寂しさを覚える。

 

 しかし一方で、いなくてよかった、という安堵もあった。


「……ーん」


(誰だ……?)


 思考を巡らせようとするが、赤い世界に入ってきた声は睦人に簡単には届かない。


「……さーん、起きてよー」


(ああ、起こされてるのか)


 仄かに耳に残った言葉で自分が起こされてることはわかり、思考だけが緩く動き出した。


(でも、嫌だな……)


 拘泥に囚われた意識は目覚めを拒否する。赤い世界は、寂しくもあったが、寂しいからこそ誰も傷つけない、という安心感もあった。


 しかし、それも長くは続かなかった。


「大丈夫だよ、ここに篠崎さんはいないから」

「……!」


 幼馴染がいない、そのセリフに今まで感じたことの無い思いを覚え、睦人はゆっくりと目を開けた。


「あっ、みゃーこさん起きた」


 視界の中心に、横たわる睦人を見下ろす人物が見える。ぼんやりと見えた姿が徐々にはっきりとするとともに、自然とその名前を呟いた。


(わたる)……」

「おはよー、みゃーこさん」


 赤茶色のはねた髪に着崩した濃紺の着流し。いつもとは違った装いで弥こと桐生弥(きりゅうわたる)は嬉しそうに破顔した。そして、傍らに手をついた体勢で睦人を覗き込みながら首を傾げた。


「大丈夫?ちゃんと起きてる?」

「……ああ、まあ」


 まだどこか呆けている睦人に、弥は安堵と気の抜けた様子を滲ませる。


「良かったー。みゃーこさん全然起きないから、てっきり永眠してるかと焦ったよ」

「……勝手に殺すな」

「だから起こしたじゃない。あー、本当に生きててよかったよ。……病院、行った方が良かったかと」


 あはは、と笑う桐生は笑顔であり、緊張から解放されたような、睦人にはわからないものがそこには浮かんでいた。相手を慮るような、心底、という表現が相応しい笑みであった。


 言葉の最後は聞き取れなかったが、睦人は見たことの無い弥の笑みを訝るも反応を返さず、視線を巡らせて周囲を見回す。


 低い灰色の天井、薄茶色の砂壁、障子張りの装飾のされた蛍光灯。


 弥の自宅だろうか、とぼんやり思いながら睦人は起き上がろうと試みる。


「……っ」


 しかし、体を持ち上げようとすると頭がグラつき、体が重く感じる。よろめいたところを弥に支えられ、睦人は蹲る(うずくまる)ようにして上半身を起こした。


「っと、大丈夫 ?」

「あ、ああ。……すまない」

「いいよ、別に。なんだろう、貧血かな ? みゃーこさん、昨日から食べてないし」

「貧血……」


 回らない頭で、弥の言葉を繰り返す。


 霞がかかる頭が緩やかに動き出す。すると、白い靄の中に真っ赤な映像が浮かび上がってきた。


「嫌だ……」

「みゃーこさん ?」


 それを切っ掛けに次々に映像が脳裏を駆け巡る。


「嫌だ……こんなのは嫌だ」


 真っ赤に染まる世界。煌めく紅の濁流。


 溢れる澱みの真ん中、横たわる動かない肢体。


 睦人は顔色を失くし、自分を抱き締めるように腕を回した。


「嫌なのに……何で !?」

「みゃーこさん」


 パニックを起こし震える睦人の頭に、弥がポンと手を置く。


「……?」

「大丈夫」


 そのまま頭を数回撫で、手を滑らせて頬へと添える。


「大丈夫だよ」


 睦人と視線を合わせ、弥は瞳を覗き込む。


 恐怖と怯え、不安と憔悴。焦点が合わず彼方を見る睦人に、此方を見るように弥は促した。


 そして、弥は静かに語りかける。


「ねえ、みゃーこさん。……血、見ちゃったんだよね ?」

「…… !!」


 睦人はビクッと反応し、茫然と弥へ視線を送る。


 それを受け、弥は瞳で弧を描き微笑んで見せた。


「寝起きでこんなこと訊いて申し訳ないんだけどね。でも、教えて ? みゃーこさんが何を思ったのか。……それを見て、さ」


 何を、と睦人は思った。しかし、その思いは声にはならず、喉元で引っ掛かり消えていった。


「……」


 睦人は首を振って拒否する。


 しかし、その動きは睦人が思ったよりずっと小さく、弱々しいものだった。


「大丈夫だよ、僕、何があってもずーっとみゃーこさんと一緒にいるから」


 安心させるように、ただ慈しむように弥の声は柔らかい。


 弥の言葉を、睦人は頭では理解できなかった。


 ただ、涙が一筋、静かに頬を伝う。


「……嫌だ」


 気が付くと、睦人の口が動いていた。


「嫌だ……こんなのは嫌だ」


 言葉を追う様に涙は後から次々に落ちていく。


 そんな睦人を、弥は黙って見つめた。


「嫌なのに……何で」


 そこまで言うと、睦人の中で何かがプツリと切れる音がした。


 嗚咽交じりの声で、睦人は心中を初めて音にする。




「何で……――美味しそう、なんて !!」



 血濡れの幼馴染を見て、幼い睦人が抱いた感情。


 驚愕や心配なんて比べられなかった、すべてを凌駕する強い本能。



 ―――あの子から流れる血が、美味しそう。



「ぐすっ、うっ、ぐっ……ぉえっ」


 そんな自分にショックと罪悪感を覚え、そのことを後悔し、今日まで過ごしてきたのだ。


 泣き崩れる睦人の背中を撫でながら、弥は宥めるように優しく声をかける。


「大丈夫。……大丈夫だからね」


 そう言う弥の表情は、恍惚に濡れている。


 頬が桜色に上気し、浮かぶ歓喜の笑みはただ綺麗だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ