55 救急車は早めに呼びましょう(できてないけど)
「睦人、睦人 !?」
如奈が呼びかけ体を揺するが、睦人からの反応はない。
一先ず呼吸があることと大きな外傷がないことは見て取れたが、それ以上如奈ができることは思いつかない。
「どうしよう……」
突然のことに慌て周囲を見回すが、そこで如奈はさらなる事実に気が付いた。
「え……何 ?」
離れたところに人だかりができている。
道路に人が集まっている。トラックがおかしな位置で止まっている。遠くからサイレンも聞こえてくる。緊迫した様子はただ事ではない何かが起きたことを示しており、如奈は自身の心拍が逸るのを感じた。
「まさか……事故 ?」
その言葉と同時に、脳裏には先まで自分たちを追ってきていた青年のことが浮かぶ。
その人が轢かれたのか、自分たちが逃げたから……。
そこまで考えたが、如奈は首を振って思考を散らした。
「……ううん。今は、睦人が」
青年が事故にあったことは、すでに救急や警察に連絡がなされているだろう。自分たちの責任や後処理については、後で考えればよいことだ、と如奈は一旦考えるのをやめた。
優先するべきは、自分しか気が付いていない睦人のことである、と如奈は優先順位をつけた。
「えっと、呼吸はある、心臓も動いてる、から、救急車……」
回らない頭で、学校で習った緊急時の対応を思い出す。そして、救急車を呼ぼうにも、自身が携帯電話を家に置いてきたことに気が付いた。
人を呼ばなくては、そう思い如奈は立ち上がろうとする。しかし、その膝は折れ、如奈は咄嗟に自身の口を手で覆った。
「……っ」
胃のあたりに鈍痛を覚え、急激に吐き気が催してきた。
突然の状況、公園で起こった交通事故。自身が過去に経験したものと重なって、雨に濡れた体が震えだす。しかし一方で額には脂汗が浮かんだ。
体には上手く力が入らず、立ち上がれそうになかった。
「……救急車、呼ばなきゃ」
そんな自分を奮い立たせるように、如奈は言いきかせる。
涙で滲む視界の先で、幼馴染が意識を失っている。何とかしなければ、睦人を助けなければ。
唇を引き結び、涙をこらえる。そして、息を大きく吸った。
「誰か救急車を、救急車を呼んでくださいませんか !?」
掠れ上ずりはしたが、如奈の声はしっかりと音になり周囲に響いた。
そしてその時、聞きなれた声が如奈を呼んだ。
「――篠崎さん !!」
如奈はその方向に首を向ける。そして、ぽつりと呟いた。
「……桐生君 ?」
「篠崎さん、どうしたの……え、みゃーこさん !?」
自転車に乗った弥が、二人のもとへと走ってきた。
突然現れたクラスメートに瞬間的に呆けるが、如奈はすぐに自分を取り戻し縋るような声をあげる。
「桐生君、救急車 ! えっと、電話、ある !? 救急車、えっと、救急車を……」
「篠崎さん、落ち着いて。救急車だね。……ねえ、救命措置とかした ?」
「ううん。えっと、けがは見えないし、呼吸もあるし……あと、心臓も動いてるの」
「わかった、ありがとう」
弥は鞄を探り携帯電話を取り出そうとする。
すると、そんな二人に声をかける存在があった。
「君たち、そこでどうしたんだい !?」
二人が向くと、そこには警官の制服を着た男性が立っていた。
「って、え !? そっちの高校生は確か……。一体何があったんだい !? 救急に連絡は !?」
その男性は睦人が向かおうとしていた交番の警察官で、以前に睦人がキリアを伴いお世話になった相手であった。
「えっと、私たちは、あっちの……事故にあった方に追われて……そうしたら、彼が急に倒れて……」
「救急には、今から連絡しようと。僕は今ここに来たものです」
二人はそれぞれ警官の質問に答えた。
事故、というワードに警官は反応し、如奈へと話をふる。
「何だって、じゃあ、君はあの事故を目撃したのかい !?」
「え、えっと、見てはいないんですが……えと……」
「あ、ああ、すまない、つい夢中に……。とにかく、目撃したことを……いや、その前に親御さんに連絡か。……そっちの君、救急への対応は任せていいかい ?」
「ああ、はい。大丈夫ですよ」
「そっか、ありがとう」
倒れた睦人の対応を弥に任せ、警官は再び如奈へと向きなおった。
「君、これから一緒に来てもらっていいかい ? 親御さんに連絡して保護してもらおう。……そのあと、よかったら少し話を聞きたいんだが」
「え、えと、でも……」
警官の突然の提案に、如奈は目を白黒させる。
心配そうに睦人へと視線を送るが、そんな如奈に今度は弥が声をかけた。
「篠崎さん、行ってきなよ。みゃーこさんのことは僕に任せて ?」
携帯電話を片手に、弥は如奈へと笑いかけた。
「桐生君、でも……」
「それに、篠崎さんもそのままじゃ風邪ひいちゃうよ ? 一回ご両親に来てもらって、君も落ち着いた方がいい」
「……」
「みゃーこさんが心配なのはわかるけど、篠崎さんもダメになっちゃうよ ?……そしたら、それこそ、みゃーこさんは卒倒ものだよ」
弥の言葉に、如奈はしばし黙考する。睦人に心配をかける、という言葉に如奈の心は大きく揺れていた。
少しして、如奈はぐっと唇を噛みしめる。そして、弥の方を向き口を開いた。
「桐生君」
「ん ?」
「睦人のこと、よろしくね」
「……もちろん」
真剣な表情と、強い瞳。そんな如奈からの頼みに、弥もしっかりと言葉を返す。
「――事故を目撃したという女性を保護しました。……はい。はい、わかりました。……じゃあ、そこの交番まで行こう。保護者の方への連絡先はわかるかい ?」
「はい。……あ、でも今は仕事中で」
「そっか……職場はわかる ?」
警官に保護されて、如奈はその場からいなくなる。
残された弥は、携帯電話を片手に睦人へと視線を送った。
「……事故、見たんだってね」
そして、おそらく事故が起きたであろうほうをチラと見て、ポツリと呟く。
「聞いてたのと違うけど、まあいいか」
そして再び睦人の方を向き、その苦悶を浮かべる表情を眺める。
そして、しばし考えたのち携帯電話を鞄にしまった。
「救急呼ぶの、やーめた」
外傷なし、呼吸あり、心拍問題なし。
倒れる直前に、事故を、おそらく被害者の状態を見た。
思い当たることがあり、弥は思わず笑みを浮かべた。
「みゃーこさん、確か一人暮らしなんだよね……」
そう呟き、未だ地に転がったままの睦人を弥は起こしあげる。
「意識ない人……じゃない、意識ないみゃーこさんって重いな。自転車でよかった」
その夜、事故現場に被害者以外を運ぶ救急車が呼ばれることはなかった。




