53 夢ならよかったのに-2
雰囲気こそ柔らかくなったものの、話し始めた時点で帰路の大半を進んでいた。そのため、話の核心に触れる前に如奈の家についてしまった。
「今日はおばさん、いないのか ?」
「ええ、夜勤なんですって」
如奈が鍵を取り出したので睦人はそう尋ねる。普段なら如奈が鍵を取り出した時点で察するが、今日はわかっているがつい訊いてしまった。
「そう、か……」
「睦人、どうしたの ? お母さんに、えっと、何か用事があった ?」
「いや、そうじゃなくて。……何となく、気になったんだ」
「そうなの ? それなら、いいんだけど」
学校は明日もあるというのに、どこか離れがたい。話の核心が気になる、というのもあるが、折角仲直りしたのだから、というのが本音であった。
(もう少し、話したいのだが……)
そうは思っても、わざわざ口に出すようなことはしない。
如奈が家に入るまでは見届けようと、玄関の施錠を解く如奈の後ろ姿を見遣る。
しかし、如奈の口から出たのは別れの挨拶ではなかった。
「あ……そうだ、睦人」
「ん ? どうした ?」
「えっと、少し待っててもらえる ?」
「ああ、別に構わないが……」
「良かった。すぐ戻るから」
そう言って、如奈は扉の向こうに消える。
おとなしく待っていると、程なくして如奈が戻ってきた。
「よいしょっ」
大きな寸胴鍋を抱えて。
「睦人、まだあるから、えっと、もう少し待っててね」
「あ、ああ……」
どすん、と寸胴鍋を軒先に置くと、如奈は再び家の中に駆けていく。
寸胴鍋を見つめ、疑問符を浮かべていると如奈が再び戻ってきた。
「お待たせ」
そう言った如奈はタッパーを数個抱えており、それぞれ中身が違っているようだった。
「如奈……何だ、これは ?」
「ああ、えっと……お裾分け、です」
「裾……」
大きな寸胴鍋が一つと、中身が詰まったタッパーを数個。裾と言うには随分と豪勢な量であり、睦人もたじろぐ。
「睦人、えっと……迷惑だった ?」
「いや、有難い限りだが……こんな量を貰うのは、気が引けるというか、申し訳ないというか」
食料を貰えるのは正直に言って有難いことであるが、相手は付き合いが深いとはいえ関係は他人である。気を配って貰えてうれしい反面、遠慮するなと言う方が無理な話であった。
「いいのか、こんなに ?」
「いいの、睦人にはいつも送ってもらってるし、えっと、お母さんも、宮古ちゃんは息子みたいなものだからー、って言っていたし」
「おばさん…… 」
想像していたよりも深い情を持ってもらえていたことに、胸の奥が熱くなる。
どちらかというと迷惑をかけている自覚があるため、一層の申し訳なさも湧いてくるが、それ以上のものが込み上げてくるのを抑えることはできない。
目頭を押さえていると、如奈がさらに続ける。
「あとね、私も、お手伝いしたから……あんまり上手にはできなかったけど、えっと、食べてほしいな」
「食べる」
反射に近い速さで睦人は言い切った。
如奈が作った、正確には手伝ったものを食べられるなんて睦人にとっては僥倖でしかない。
遠慮ももちろんあったが、如奈の作ったものを食べたいという思いが勝ち、それ以上の気後れは見せなかった。
「そう、よかった……」
如奈は安堵すると、そのまま振り返り玄関を施錠した。
ん ? とそれを不思議に思った睦人をよそに、如奈は睦人の方を向いて笑いかける。
「じゃあ、睦人。行きましょう ?」
「いや……いや、え ?」
行きましょう、と言われてもここは如奈の家である。そして、睦人は如奈をここまで送ってきたのであった。
「睦人 ? お家、帰らないの ?」
「え……如奈、来るのか ?」
「ええ。だって、睦人だけにこれを、えっと、運ばせるわけにはいかないじゃない」
「いや、でも持てない量じゃないぞ」
「そうは言っても……持ちにくいでしょう ?」
「それは……いや、でも如奈も折角帰って来たんだし」
「それなら大丈夫よ。今日は、えっと、この後に用事もないもの」
天気が悪くなるから、と今日の修行はキリアが中止にしていた。
しかし、そう言われて素直に頷く睦人ではない。
睦人は、如奈に必要以上に夜道を歩かせたくはない。一方で、如奈は睦人にお裾分けを全て運ばせようとは毛頭思っていない。
互いに譲りたくない部分はあるが、平行を辿る言い合いに終わりは見えない。
若干の空気の悪さが窺えてきた頃に、睦人が先に譲歩を示し口論は終わりを迎える。
「……わかった。俺も、手伝ってもらえると助かるからな」
「睦人…… !」
「でも、帰りは送るからな」
「うん !」
渋々譲った、という態度ではあるが睦人も如奈の提案には賛成したい気持ちはあった。
離れがたい、と思っていたところに一緒にいたいと如奈から言われたのだ。如奈に夜道を歩かせたくないのは事実であるが、帰りに送れば大丈夫ではないか、と言い聞かせる自分も確かにいた。
睦人は寸胴鍋を持ち上げ、タッパーは如奈に任せることにした。
「睦人……それ、重い ?」
「いや ? 全然」
中がいっぱいに入っている寸胴鍋を、睦人は軽々と持ち上げる。
聞かずともわかるだろうに、と睦人は思ったが、如奈が真に問いたいことは別にあるようだった。
「えっと、それなら……少し、遠回りで行かない ?」
「え ?」
「あのね、私、睦人に話したいことがあって、その、わがまま言って申し訳ないんだけど……今なら、話せると思うから」
「……そう、か」
そう言われたら、睦人としても聞き入れないわけにはいかない。
了承の意を示すと、睦人と如奈はようやく歩き出す。
遠回りの道、すなわち睦人が普段帰っている道のほうへと二人で足を向ける。
賑わう表通りを片や寸胴鍋を、片やタッパーを数個抱えた高校生が進む様子は人目を惹くが、それも一瞬のことで興味はすぐに離れていく。
それでも人ごみの中、大きな荷物を持って進むことは注意を払わなければならない。
結局、裏道にかかるまで大した話はできなかった。
「ふう……」
「睦人、大丈夫 ?」
「ああ、大丈夫だ。……ところで、この鍋の中は何なんだ ?」
「えっと、筑前煮よ」
「筑前煮 !? この鍋いっぱいに !?」
「ええ。……あ、嫌いだった ?」
「いや、好きだ。……もう、俺はおばさんに頭が上がらないな」
そんな雑談をしながら裏道を進む。
しかし、ただの世間話のためにわざわざ遠回りをしているのではない。そのことは二人とも十分にわかっている。
如奈は頃合いを見て話を切り出そうとした。
「えっと、それでね、睦人……」
決意したように、如奈は口を開く。
しかし、それ以上は話すことが出来なかった。
「…… !」
細い路地裏を先に進んでいた睦人が、突然立ち止まる。
如奈もそれに倣い立ち止まるが、その理由はわからない。
「睦人…… ?」
「……」
呼びかけるも、睦人から返事はない。
それどころか、睦人は一歩たじろぎ、何やら緊張感を滲ませているではないか。
「…… ?」
不思議に思い、如奈は睦人の肩越しに先へと視線を送る。
すると、向こう側から人影が一つ、こちらへと近づいてきているのがわかった。
「如奈、下がって……」
小声で指示を出され、如奈はそれに従うが、その意図までは汲み取れない。
月に照らされる路地裏に、剣を含んだ空気が満ちる。
ゆっくりと近づいてきた人物は、その姿形がはっきりとわかる距離で足を止めた。
「こんばんは」
発せられた声は柔らかく、如奈にとっては月夜がそのまま話しかけてくるようであった。
しかし、睦人は違った。背筋に悪寒が走り、腹の底から這い上がる苦い物を感じる。
「えーっと、一応、はじめまして……だよね ?」
確認するも、おそらく返事は求めていない。
白い髪に、赤い瞳。
真っ赤なハイヒールを履いたその人物に、場の空気は完全に支配されていた。




