46 寝落ちに抗うのは難しい-3
「あー、そういえば、如奈」
「うん、なあに?」
甘さを含んだ空気にこそばゆさを覚え、睦人は咄嗟に話題を替える。
「お前、最近木登りの練習しているんだよな」
「ええ、そうよ」
「それって、その……」
そこまで言って、睦人は言い淀む。
「いつ、どこで……」
今しようとしている質問は、睦人が前々からなんとなく気になっていた疑問が含まれていた。咄嗟にでる質問なんて、そんなものである。
「睦人?」
「いつ、どこで練習しているんだ?」
質問の重要な部分を繰り返し、如奈に問を投げかけた。
ただ、一番気になっていることは一切口にしなかった。
如奈は考える素振りをし、すぐに答えを口にする。
「えっと……時間は学校から帰ってきて、夕ご飯の後に一時間くらいで……あ、どこで、よね。えっと……」
睦人の質問に、しどろもどろではあるが、如奈は答える。勿論、前者の問に返すならば、後者のものにもきっちりと返した。
「そこの公園よ」
「え……」
ドクリ、と一つ鼓動が跳ねた。
そこ、と言って如奈は律儀に公園の方向を指す。
それ以上の説明はなく、不要と判断される程度には双方ともよく知る公園だった。
如奈は毎日行っており、そして、如奈の認識では睦人も登下校でそばを通っている場所である。
「あのね、最初は自分で色々とやっていたんだけど、この間からね……睦人?」
「え、あ」
脳裏を掠める夏の記憶に、睦人は気をとられ、心を捕らわれた。
「どうしたの ? 睦人も、眠たくなっちゃった ? 」
「いや……」
完全な不意打ちに、睦人は狼狽する。
普段の睦人ならば、例え公園の話題が出されようとも、如奈が夕飯の後に外出することへの心配も胸中を大きく占めたであろう。しかし、今は状況が悪かった。
西日で赤く染まる室内。黄緑色のワンピースを着た幼馴染。
手の平でぬめる真っ赤な液体。
「えっ、睦人 !?」
突然、如奈が悲鳴交じりに声をあげる。
「え?」
睦人が握りしめている手から、一筋血が流れ出ている。
如奈は慌てて立ち上がり、その手をとった。
「血 !? ひどい切り傷……」
確認が取れると、如奈はパッと睦人から離れる。
「あ……」
「ちょっと待ってて !! 消毒液と、えっと絆創膏、もってくるわ !!」
如奈はすぐさまに必要な対応を判断し、実行に移そうとした。
しかし、意識を半ば飛ばしている睦人が抱いたのは、場にそぐわない危機感だった。
――この子が、いなくなってしまう。
「如奈、待って……」
「あ、できれば布か何かで押さえておいて ! えっと、そこのハンカチ、使っていいから」
「いや、でも」
脳裏に浮かぶのは、地面に伏し、動かない幼子だった。
――嫌だ、そんなのは嫌だ。
「ティッシュは張り付いちゃうからダメだからね ?」
――どうしたらいい?どうしたら……
「じゃあ、私……」
「大丈夫だから !!」
睦人からあがった大声に、如奈はビクリと体を竦ませる。
「……睦人 ?」
「大丈夫だから、如奈は気にしなくていいから !! だから……」
だから、いなくならないで。
パニックに陥った睦人が、音にならない声で縋りつく。
「あ……」
爆発し、わずかに冷えた頭が焦点を結ぶ。
見えた現実は、その先にあったのは、やっと捉えた世界は、
「…………」
悲しげな表情を浮かべた、幼馴染が立ち尽くすものだった。
やってしまった、と自身の失態を悟り、睦人は顔色を失った。
「如奈、あの、すまな……」
「何で……?」
睦人の謝罪を遮り、如奈は端的な疑問を絞り出した。
「え……?」
「何でダメなの?」
「如奈?」
睦人は瞠目するとともに気が付いた。
如奈の綺麗な瞳から、一筋涙が流れ出ている。
「あ……」
沈黙と静寂が流れ、時の流れが止まる。
しかし、如奈の言葉でそれはすぐに破られた。
「ごめんなさい。変なこと、言って」
「いや、そんなこと、ない……」
睦人も何とか意味のある言葉を返す。
「でも睦人、えっと、傷は手当てしないといけないから……絆創膏、取ってくるわね」
そう言うと、如奈は扉を開け、逃げるように部屋から出て行った。
閉じられた部屋の中で、睦人は一人残される。
「如奈……」
睦人の頭には如奈の言葉が再び流れていく。
そして、流された涙の意味を睦人は理解させられる。
「……っく」
睦人は、自身の手を強く握りこんだ。
止まりかけた血が再び流れだし、睦人の足元に落ちていった。




