29 途中報告は大切
昼休みは、各々の生徒が自分の好きなように休憩時間を過ごしている。
昼食を食べる者、課題をこなす者、外で遊ぶ者に教室で眠る者と特に決まった過ごし方があるわけではない。
睦人もそんな生徒の一人で、紙パックの牛乳を片手に、思いつくままにとりとめもないことを考えていた。夕飯は何にするか、最近やたらお腹がすくのは成長期だからだろうか、如奈は運動するからか昔から食事量が多かったよな、と。
その時、部活の同級生と学食で食事をし、日替わり定食ときつねうどんを完食してきた如奈が教室に戻ってきた。
「睦人、今大丈夫?」
「ん、ああ。どうした?」
如奈の呼びかけで睦人は思考を現実に戻される。もとより時間を持て余していた睦人にとって、如奈と過ごす以上に有意義なことはない。
睦人は言葉の先を待つが、如奈はすぐに続きを発することはなく、えっと、と一呼吸おいてから言いにくそうに視線を彷徨わせる。
「えっとね、今時間があったら、その、ちょっと付き合ってもらってもいいかしら?」
「別に構わないが、どこにだ?」
紡がれる言葉に真意を図りとれないまま、睦人は遠慮がちな態度を不思議に思った。
「それは……体育館の裏、なんだけど」
「体育館の、裏?」
睦人が如奈の言葉を鸚鵡返しにする中、睦人の後ろの席の人物がピクッと反応した。しかし、そのことに二人は気が付かないで会話を進めていく。
「ああ、わかった。すぐ行って大丈夫なのか?」
「ええ。あ、でも、私ちょっと準備があるから、先に行っていてもらえる?」
「そうか、じゃあ待ってるな」
「ありがとう。それじゃあ、準備してくるわね」
言うだけ言うと、如奈はパタパタと小走りで教室を出て行った。
如奈の真意がわからないまま、とりあえず行くか、と席を立った睦人に、背後から一人の生徒がすかさず話しかけた。
「みゃーこさーん、これはさー、もしかして、ってやつ?」
「……弥」
神妙に、しかし口元には隠し切れない笑みを浮かべて、弥はわざとらしく間延びした声をあげた。
「お前、ケータイ見てたんじゃなかったのか……。ていうか、何だもしかしてって?」
「あー、うん。みゃこにゃこ動画だよ、猫の動画専門の無料動画投稿サイト。……そうじゃなくて、もしかして、っていうのはさー、まあ、告白?だよー」
もったいぶりながらも弥は曖昧な言葉を直球な表現に直すが、睦人は特に大きく反応することもなく、ああ、と応じる。
そんな睦人の態度を意外に思い、弥は目を丸くした。
「あれ?みゃーこさん、結構落ち着いてるね」
「何だ、その残念そうな反応は」
「だってー、みゃーこさんなら顔真っ赤にして取り乱して、その牛乳パック潰しちゃうくらいするかなーって思ってたのに……」
弥の具体的な発想に色々と物申したくはなったが、睦人はふっ、と鼻で笑い努めて冷静に対応する。
「弥、俺が何年、如奈といると思っている?」
「え、何急に……えっと、十三年、だったっけ?」
「ああ、それだけ長い付き合いなんだぞ。人生の大体は一緒にいる。だからな……」
そこで言葉を切ると、睦人はスッと遠くに視線を向け、憂いを湛えて瞳を細めた。
「そんな期待は……とっくの昔に打ち砕かれてる……」
「…………」
悟ったようなその口ぶりと、諦観を滲ませる哀愁漂う背中に、弥は何も言わなかった。正しくは、何も言えなかった。
「……ドンマイ」
辛うじて絞り出した言葉とともに、睦人の肩にポンと手を乗せる。心なしか凹んでいる睦人は、その言葉に促されるように溢れる思いを吐露し始めた。
「今回で、二十六回目だぞ……」
「うん」
「さすがに、最初の時は期待した……」
「うん」
「猫が、迷い込んだ、だった……!」
「え、そうなの?どんな猫さんだった?」
「可愛かった……!!」
「そう……」
いいなあ、という言葉を弥は空気を読んで自重した。
よしよし、と睦人を宥めつつ、これ以上聴いていては昼休みが終わってしまうので項垂れる睦人を現実に引き戻す。
「みゃーこさん、そろそろ行った方がいいんじゃない?篠崎さんも多分行ってるし」
弥の言葉に、睦人は弾かれたように顔をあげて時間を確認する。
「それもそうだな……すまない、弥。行ってくるな」
「はーい、いってらっしゃーい」
言うが早いか、睦人は慌てて昇降口へと向かい始める。先に行っていてと言われているのに如奈を待たせるわけにはいかなかった。
弥は、その背をにこやかに送り出すと、睦人がいなくなった時点でスッと表情を戻した。そして、ポツリと呟く。
「へえ、篠崎さんには、あんまり期待してないんだ……」
そして、席に戻ると先までと同じように携帯電話を弄り始めた。
睦人が体育館の裏に着くと、そこでは如奈がすでに到着して待っていた。睦人が来たのを確認すると表情を明るくする。
「すまない、遅くなった」
「大丈夫よ、私も今来たところだもの」
待たせたのでは?と不安に思ったが、睦人は如奈の言葉を信じてホッとする。
そして、如奈の格好が明らかに変わっていることに気が付いた。
「……ジャージ?如奈、着替えたのか?」
「ええ、この着替えに時間がかかってしまったの」
睦人が興味を示したのを無意識に感じ取ると、如奈は嬉しそうに先を続ける。
「あのね、睦人に見せたいことがあるの」
「見せたいこと?」
「ええ。えっと、外に来てもらって悪いんだけどね、睦人が眠くなる前に終わらせるわ!」
睦人は如奈の言葉に、ははは、と乾いた笑みを浮かべた。
(ああ、だからか……)
先ほど如奈が遠慮がちに言葉を選んでいたことだが、体育館の裏がいつも睦人が眠っている場所だからだ、という確信にも似た予想が睦人の中に立つ。
如奈は早速はじめようと睦人に声をかけた。
「睦人、そこで見ていてね?」
如奈はそう言うと、睦人をその場に立たせたまま建物から離れはじめる。
自分から遠のく如奈がアスファルトの外の、一本の木に駆けていくのを見て、睦人は如奈が何をしようとしているかを感じ取った。
「おい、如奈……」
「睦人ー、見ていてねー!」
如奈は睦人に念を押すと、睦人の予想通りに、その木に登り始めた。
睦人は、はじめこそ心配そうに見ていたが、如奈が登るにつれて自然と言葉を失う。
如奈はするすると上へ上へと向かい、睦人がポカンと口を半開きにする頃には木の一番上へと達していた。そして、上から睦人の存在を確認すると満足そうに自分の成果に納得する。
「……速い」
睦人は、思わずポツリとそう漏らす。睦人にとっては高くそびえる木を、如奈はあっという間に登り切ってしまったのだ。そのことは、純粋な驚愕に値する。
しかし、その先の行動に、今度こそ睦人は度肝を抜かれてしまった。
「如奈……⁉」
如奈は木肌を軽く蹴って、ふわりと体を宙に浮かせた。
睦人がぞっとするのをよそに、如奈は地面に綺麗に着地しその場で大きく腕を振って見せる。おそらく、やり遂げたということを睦人に伝えたいのであろう。
睦人は一瞬の間を持って、やっと頭が回り始めた。
(そういえば、この間木登りを練習するといっていたな……)
はあ、と睦人は一気に脱力した。時間にすれば数分もかからず一瞬で終わったと感じられることについて、精神的になかなかクるものがあった。
(じゃあ、これはその成果か)
根が真面目な如奈は、睦人に宣言したとおりに木登りの練習をしており、今日見せられたのはその成果の一端であった。睦人は頭の中で点と点が繋がり、妙に納得したような気持になった。
「睦人、見ていてくれた⁉」
「ぉわっ⁉」
いつの間にか目の前まで戻ってきていた如奈に、睦人は驚き声をあげる。思わず身構えてしまうが、如奈だと気が付きすぐに力を抜く。
「えっと……もしかして、見ていなかった?」
「いや、そんなことはない!とても速くて、思わず呆けてしまった」
不安げに瞳を揺らす如奈に、睦人は慌てて否定する。如奈の表情に明るさが戻るとホッと安堵し、己の不手際を恥じた。
(しかし、今の感覚は覚えがあったな……)
ふと今抱いた感覚を反芻すると、睦人の脳内を金髪に黒のロングコートの人物が掠める。初対面時に襲い掛かられた際も、睦人が意識を外した一瞬のうちに近づかれたのであった。
不快に思いその考えをすぐに打ち消すと、睦人は眼前の如奈に向き合う。無邪気に、どこか誇らしげにしているその姿には睦人の頬も思わず緩む。
「あのね、まだ片手では登れないけど、その、私も少しは上手くなったのよ?」
「ああ、練習したんだな。すごいな。綺麗な動きだったから、つい見惚れてしまった」
「ふふ、やったわ。睦人、片手でできるようになったら、また見てくれる?」
「もちろん。でも、部活とかも忙しいんだから、無茶はするなよ?」
「ええ、わかっているわ」
満足そうにコロコロとほほ笑む如奈に、睦人も暖かく充たされた気持ちになる。
如奈が喜んでいる、そのことを睦人はどこか誇らしく思った。




