第3話「最初のスライムは、ワカバ」
指先から流れ出した魔力は、水紋のように草原へ広がった。
草が揺れ、光の粒が集まって、渦を巻く。やがて膝丈ほどの高さに、ぷるん、と何かが形を取った。
淡い緑色の、半透明の体。丸くて、柔らかそうで、中に小さな核のようなものが透けて見える。頭のてっぺんには、ちょこんと双葉。
スライムだった。本で読んだ通りの見た目で、現実に目の前にいると、情報量がまるで違った。
ステータスをちらりと確認すると、魔力は八二〇から七二〇へ減っていた。召喚のコストは百。なるほど、これが相場の最初の数字だ。倒したわけでも、怪我をしたわけでもないのに、一割以上が持っていかれる感覚は新鮮だった。
恐る恐る指でつついてみると、指先はすんなり沈み、ひんやりと心地よい弾力で押し返された。ゼリーに似ているが、もっと命の温度がある。
「……お前が、俺の相棒か」
スライムは体をぺこりとへこませた。鳴き声は「ぷる」という間の抜けた音だったが、不思議なことに、頭の奥に直接「意味」が届いた。
――うまれた。うれしい。あなた、だれ。
言葉ではない。感情の束が翻訳されて届くような感覚。これが、スキルを通じた意思疎通というやつらしい。
「俺はメグル。これから一緒に、ここで暮らす」
――めぐる。めぐる!
スライムは体全体を上下に弾ませて喜んだ。頭の双葉がぴょこぴょこ揺れる。その様子を見て、名前は即決だった。
「お前の名前は、ワカバだ」
――わかば。ぼく、わかば。
「ああ。ワカバ。よろしくな」
ステータスを開くと、表示が増えていた。
・ワカバ(スライム)Lv.1
ジョブ:未設定
農家(解放済み)
※次回解放はスキルレベル条件
ジョブの欄には、「農家」だけが光っていた。その他の欄は灰色で、まだ選べない。順番があるらしい。この異世界でまず必要になるのは、戦う力よりも、食うための力だ。女神の采配なのか、この森の仕様なのか知らないが、合理的な初期配置だと感じた。
「ワカバ。お前に、農家の仕事を任せたい」
――のうか。……ごはん、つくる?
「厳密には、ごはんの材料を作る仕事だ。畑を耕して、作物を育てる」
――やる。わかば、やる。
灰色のジョブ欄もざっと眺めておいた。並んでいる項目の文字まではぼやけて読めないが、数は多い。十や二十ではない。解放の条件がスキルレベルなら、いずれ「人員計画」ならぬスライム計画を立てる仕事になる。計画を立てる癖だけは、転生しても抜けないらしいと、自分で苦笑した。
ジョブを設定した瞬間、ワカバの体がほのかに光り、双葉が少しだけ背伸びした気がした。表示にも「ジョブ:農家 Lv.1」「技:耕す を習得」と出ていた。
そしてワカバは、迷いのない足取り――足はないが――で草原を進み、泉に近い、日当たりの良い一角で止まった。体を土に押しつけ、ぺたぺた、ぺたぺた。
――ここ。つち、いい。みず、ちかい。ここに、はたけ。
「……決めるの早いな」
呆れる俺に、ワカバは得意げに体を膨らませた。どうやら農家としての勘が働いているらしい。ついさっき生まれたばかりの存在が、もう「自分の仕事」を持っている。前世の職場で、配属初日にここまで迷いのない新人は見たことがなかった。
ワカバは土に体を沈め、小さな範囲の草を押し分けては、土を裏返し始めた。の技なのだろう。柔らかそうな体のどこにそんな力があるのか、土は確かに、少しずつ畑の顔になっていく。
作業の合間に、ふとワカバが動きを止め、こちらを向いた。
――めぐる。……すわって。やすんで。
「え?」
――めぐる、かお。つかれてる。うまれたときから、わかる。……やすむ、だいじ。
生まれたばかりのスライムに、休めと言われた。
前世の最後の日々を思い出して、俺は少しだけ笑って、素直に草の上に腰を下ろした。泉の水音と、ワカバが土を耕す小さな音。時計の針の音も、通知の音もない午後だった。
言われた通りに座っていると、不思議と体の奥の「何か」が満ちてくる感覚があった。ステータスを確認すると、魔力は七五〇まで戻っている。休息と、この泉の水。どちらが効いているのかはまだ分からないが、「回復の条件」をひとつ見つけただけでも今日の収穫だ。数字は、仮説があってこそ意味を持つ。
日が傾く頃、最初の一畝が姿を見せた。まだ何も植わっていない、ただの土の列。だがワカバは、その前に誇らしげに鎮座している。
――つぎ。たね。たね、いる。
「種か。……そうだな、種だ」
ワカバはもう、空っぽの畝の前で次の指示を待つように、こちらをじっと見ていた。生まれた初日から、相棒は働く気満々らしい。頼もしいやら、少し心配やら。
畑ができたなら、次は種がいる。営業の段取りで言えば、仕入れだ。その手段は、女神から受け取った「もうひとつの特典」の中にあった。
俺はステータスの端にあった項目、「農の市」に意識を向けた。
――「農の市」へようこそ。農業用品の注文を受け付けます。
異世界の通販サイトが、ゆっくりと開いていく。




