第29話「冬のカラム村」
厳冬の朝、俺たちは橇でカラム村へ向かった。
橇を引くのはカブトだ。雪上を滑る橇と、体を広げる雪上移動の組み合わせは、冬の輸送として想像以上に機能した。
荷物は、狼の毛皮と、村への見舞いの芋と肉。目的は様子見と、春の取引の打ち合わせだった。
村に着いて、まず驚いたのは子供たちの声だった。
雪の中を走り回り、雪玉を投げ合っている。去年の冬、この村の子供たちに、こんな元気が残っていただろうか。備蓄の蔵には俺たちの芋が入り、家々の煙突からは、細くても絶えない煙が上がっていた。
「おかげで、この冬は誰も飢えずに済みそうだ」
ユーノの言葉には、村長としての安堵があった。
毛皮は、村の冬着の補修に使われるという。襲ってきた狼の毛皮が、今度は村の人を寒さから守る。森の循環というのは、こういう形も取るらしかった。
カブトは到着するなり、子供たちの人気者だった。
橇に子供を乗せて村の広場を一周する遊びが始まり、盾役は文句も言わずに何周も引いていた。
――かぶと、乗り物。
「乗り物じゃない。……だが、悪くない気分だと言っている」
ワカバの通訳が入った。口では否定しながら、子供の歓声に体の表面を少しだけ柔らかくしているのが見えた。
昼食は、村の自慢の芋の煮込みだった。秋に俺たちが届けた芋が、村の味付けで戻ってきたのだ。
「出汁は魚の干物だ。塩は、大事に使っているよ」
取引の品が、食卓の上で感謝に変わる。この循環を見るのが、商いの何よりの報酬だった。
春の荷揚げ場作りの日程も決めた。雪解け後の最初の大仕事だ。村の労働力と、俺たちの資材と技術。持ちつ持たれつの関係は、計画の形を取り始めていた。
食事の終わりに、ユーノが見せてくれた村の備蓄帳も印象的だった。数字の付け方が、村の帳簿とは思えないほど整っていた。
――この人は、やはり何者か。
その疑念を確信に変える材料は、まだ無かったが。
帰り際、ユーノが言った。
「そういえば、妙なことがあってな」
何か、と聞くと、ユーノは村外れの畑の方を指さした。
「川に近い畑だけ、今年は雪解けが妙に早い。土も、例年より柔らかい気がする。……川の機嫌が良い年なのかもしれん」
俺は畑まで歩いて、土を手に取った。
確かに、川沿いの区画だけ土が黒く、湿り気を帯びていた。他の畑の土は、まだ固く凍っている。
念のため、三つの区画を歩いて比べた。
川に一番近い畑。次に近い畑。村の裏手の畑。
結果は、はっきりしていた。川に近い順に、土の解け方が進んでいた。グラデーションのある変化だった。
ワカバは、川沿いの畑の土に体を沈めて、しばらく静かにしていた。
――この土。……元気。泉の近くの土に、少し似てる。
農家スライムの感覚が、俺の仮説を補強した。土の「元気さ」が、川の上流から下流へ、薄まりながらも届いている。
偶然か、気候のせいか、それとも――。
俺の頭の中で、ある仮説が静かに形を取り始めた。
拠点で「農の市」を使うたび、俺の魔力は世界の循環に還っていく。その魔力は泉に満ち、川を下り、この村の畑に届いているのではないか。
証拠は、まだ弱い。だが、数字と観察は嘘をつかない。
手帳の観測欄に、今日の日付と畑の状態を書き留めた。仮説には印を付けた。「要・継続観測」。
村を出る時、ユーノがもう一件、言い淀みながら切り出した。
「……実は、熱を出して寝込む者が、二軒ばかり出ていてな」
冬の村の熱病。医者はいない。薬も、心許ない。
俺は橇の荷綱を握り直した。
「様子を、見せてもらえますか」
村外れの家では、老婆が一人寝込んでいた。隣の家では、若い母親と子供だった。
医者のいない村で、冬の熱は命取りになる。村人たちの顔の不安が、その重さを物語っていた。
俺に医術はない。
だが、泉の水と、拠点の保存食と、「農の市」の品目に薬草があった記憶なら、ある。
人助けは商いの本筋ではない。だが、取引先が倒れれば、商いも止まる。それに何より――目の前で困っている相手を、見捨てる商人は長続きしない。
「一度、拠点に戻って支度をします。明日の朝、また来ます」
ユーノの目に、安堵の色が浮かんだ。
帰りの橇は、来た時より速く雪を滑った。頭の中では、もう薬の手配の段取りが組み上がり始めていた。
ワカバが、橇の上から心配そうに言った。
――おばあちゃん、治る?
「分からない。だが、できることは全部やる」
商いの段取りと同じだった。状況を見て、手札を数え、最善手を打つ。助けられるかどうかは、やってみなければ分からない。
凍った川の上流で、俺はふと立ち止まった。
この川の下流で、畑の土が変わり始めている。もし仮説が正しければ、春の雪解けと共に、その変化はもっと大きくなるはずだった。
検証の計画も立てた。春になったら、川沿いの数ヶ所で土の状態を比べる。拠点、村、その下流。数字の並びが、仮説を事実に変えてくれるはずだった。
まずは目の前の熱病だ。
橇は拠点へ向けて、雪煙を上げて走った。




