第27話「泉の加護」
一晩中、俺は試行錯誤し続けた。
自分の魔力をカブトへ流す。だが、水が漏れるように効率が悪く、大半が霧散した。理論は単純でも、技術が追いついていなかった。それでも、やらないよりはましだと手を当て続けた。
ワカバは、泉の水を何度も汲んできては、カブトの体に静かに注ぎ続けた。自分の魔力を、種に与える時のように、少しずつ分け与えているようにも見えた。
真夜中過ぎ。異変は、泉そのものから起きた。
泉の底が、淡く光り始めたのだ。水中の光は脈打つように明滅し、その光がカブトの裂け目に触れるたび、傷の縁が、目に見える速さではないが、確かに寄り合っていった。泉の水に溶けた濃い魔力が、スライムの体を編み直していくような現象だった。
――泉の、底。……誰か、いる。
ワカバの呟きに、俺は頷くしかなかった。先日見た、あの大きな影。影の主が、直接姿を見せることはなかった。だがこの泉は――この始まりの泉は、間違いなく「何か」に守られていて、その何かは、静かに俺達へ力を貸していた。
祠の刻印の言葉を思い出した。巡り。止まるな。
女神の加護なのか、泉の主の意思なのかは分からない。だが、この巡る水がカブトを救いつつあることは、事実だった。
夜明け前。カブトの裂け目は、最後の一筋まで塞がった。体は一回り小さくなったままだが、輪郭はしっかりと形を取り戻した。表面の硬さも、触れれば以前のそれだった。
目が合った。カブトが、ゆっくりと体を震わせた。
――……ただいま。
短い、静かな一言だった。だがワカバは泣きそうに体を震わせ、俺は思わず、両手でカブトの体を抱え上げていた。
「おかえり、カブト。……よく、帰ってきた」
泉の加護は、この日初めて、はっきりと俺達に顕れた。始まりの泉と、その底に棲む大きな影。解くべき謎が、また一つ深くなった朝だった。
その朝、カブトはさっそく見回りに行こうとした。俺とワカバ、二人で止めた。
「今日は休め。これは命令だ」
――……わかった。
素直に頷く姿に、少しだけ安心した。体の戻りは、十分な食事と休息で時間をかけて取り戻す計画だった。盾役の回復もまた、工程管理の対象だった。
俺は祠へ向かい、燻製肉の一番良い部分を供えた。泉と、その底の存在への、礼のつもりだった。手を合わせ、頭を下げた瞬間、祠の刻印が、朝日を受けて一瞬だけ光を返した気がした。気のせいかもしれない。だが、礼は伝わった、と思うことにした。
帰って、再生の記録を手帳に付けた。泉辺での一晩、魔力の直接供給は効率が悪いこと、泉の水の魔力濃度が回復を助けたこと。数字と条件を残せば、次に誰かが傷ついた時の手順書になる。経験を記録に変える。それが二度と同じ危機を繰り返さないための、俺の流儀だった。
そして、敗因の総括も書いた。今回の被害は、俺の見積もりの甘さが招いた。カブトには、そのことを正直に告げた。
「俺の計画の失敗だ。すまなかった」
――……めぐるは、悪くない。……かぶと、守るのが、仕事。
「それでもだ。計画を直すのは俺の仕事だ。次は、お前をここまで追い込ませない」
盾役は無言で、体の表面を硬く光らせた。了承の印だと、俺には分かった。
ワカバが、朝食に特別な蒸し芋を用意していた。カブトの分の皿には、一番大きな芋が載っていた。言葉にしない看病は、ワカバの流儀だった。その芋を、カブトはゆっくりと平らげた。復調の第一歩だった。その日のうちに、拠点の片付けと狼の始末も終えた。毛皮は貴重な冬物資として残し、肉は丁寧に処理した。襲ってきた相手でも、命は無駄にしないのが森の作法だった。この経験の代償は大きかったが、得た教訓も同じくらい大きかった。その教訓を計画に落とす作業が、明日から始まるのだった。防衛の再設計が、冬の次の仕事だった。強さの作り方を、根本から考え直す時が来ていた。個人の頑張りに頼る防衛は、もう卒業だった。仕組みで守る。それが次の設計方針だった。その夜は、三人並んで早めに休んだ。全員が無事でいる夜の、ありがたさを噛みしめながらだった。当たり前の夜こそ、一番の宝物だった。それを守るための明日が、やってくるのだった。その明日へ向けて、静かに目を閉じた。眠りは、すぐに訪れてくれた。体も心も、限界まで働いた一日だったからだ。夢も見ないほどの、深い眠りだった。その眠りの深さが、疲労の証明でもあった。だが朝は、回復と共にやってきた。新しい一日の、澄んだ朝だった。その朝日に、防衛再設計の決意を新たにした。その作業表を、朝食の後に広げたのだった。三人で囲む、復旧会議の食卓だった。議題の最初は、敗因の共有からだった。誰も責めず、事実だけを並べる会議だった。それが、俺の考える強い組織の姿だった。その姿を、冬の間に形にしていくのだった。時間は、まだ十分に残されていた。その時間を、無駄にする気はなかった。会議の最後に、全員で頷き合ったのだった。




