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戦う総合商社マン、異世界の大森林でスライム商会を興す  作者: 蒼月佳奈美


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第26話「狼の群れ」

夜明けは、遠吠えと共に来た。


カブトの見回りの警報――体を震わせる低い振動が、眠っていた俺を叩き起こした。雪原の向こう、森の縁に、七つの影。冬の飢えで痩せ細った狼の群れだった。先頭には、一際大きな頭目がいた。


狙いは備蓄だ。食料の匂いが、雪に閉ざされた森の中で、飢えた群れを引き寄せていた。


「カブトは備蓄小屋の前。ワカバは小屋の中から補給。俺が射る。――いつもの型で」


だが、群れは型の想定を超えていた。散開し、回り込み、同時に三方向から来た。カブトの「挑発」が届くのは正面の一角だけだった。


一射目、右翼の一頭を倒す。二射目、左翼を止める。だが頭目が、カブトの受けの限界を学習していた。フェイントで盾を釣り、脇を抜けて備蓄小屋へ走った。


カブトが、体を投げ出すようにして割り入った。「かばう」。頭目の牙が、カブトの体に深く食い込んだ。硬い表面に、大きな裂け目が走った。その内側に、スライムの核のような光が見えた気がした。


「カブト!」


――まだ。……守る。


裂け目を抱えたまま、カブトは頭目に体を押し付け続けた。ワカバが叫んだ。


――めぐる。雪。畑の、雪崩!


咄嗟の機転だった。畑の脇に積み上げた除雪の山を、ワカバが「耕す」で崩した。雪の塊が斜面を滑り、回り込んでいた二頭を呑み込んだ。農の技が、戦の技になった瞬間だった。


俺は、その隙に全てを賭けた。足踏み、胴造り、弓構え。裂けた盾の向こうで苦闘する相棒の姿を、視界の端に置いたまま、会へ入る。――時間がない。だが、焦れば外す。


引分け。会。頭目の喉元が、カブトの体の影から一瞬だけ覗いた。


離れ。


光の矢が雪を切り、頭目の喉を貫いた。巨躯が崩れ落ちると、残りの群れは一斉に散った。狼は頭目を失えば戦わない。雪原に、静けさが戻った。


だが、カブトの体は形を保てなくなっていた。裂け目は塞がらず、体の輪郭が溶けるように崩れていく。魔力の消費も、俺の残量を危険な域まで削っていた。


「カブト。しっかりしろ。……泉だ。泉へ運ぶ」


ワカバと二人で、崩れていく盾役を抱え、俺達は泉へ向かった。守る者の命綱は、今、一番細くなっていた。


泉までの数十歩が、異世界のどの道のりよりも長かった。抱えたカブトの体は軽くなっていた。体の一部が、もう雪の上に落ちて、形を失っていたからだ。


「……かぶと。……かぶと!」


ワカバの声が震えていた。片時も離れず、カブトの体を支え続けていた。


俺の手も、震えていた。魔力の残量は四割を切っていた。敗因の分析は後でいくらでもできる。頭目の知性を見誤ったこと、備蓄の匂い対策を怠ったこと、三方向の襲撃への予備策がなかったこと。だが今は、全部どうでもよかった。ただ、カブトを泉に届けることだけが、世界の全部だった。


――……まも、る。……まだ。


かすかな声。形の崩れた体の奥から、それでも「守る」の意志が届いた。


「もういい。もう守った。あとは休め、カブト」


泉に着いた。薄氷を割り、浅瀬にカブトの体をそっと横たえた。水が裂け目に触れた瞬間――泉の底の方が、かすかに光った気がした。


あの大きな影か。だが、確かめる余裕はなかった。


俺達の防衛戦は終わった。だが、本当の戦いは、ここからだった。相棒を、取り戻す戦いが。泉の水に浸したカブトの体は、微かに震えていた。生きている。その事実だけが、寒さの中で熱かった。


ワカバは泉の縁にへばりつき、カブトに話しかけ続けていた。ごはんのこと、畑のこと、春になったら街へ行くこと。返事のない会話を、それでも止めなかった。


――……かぶと。帰って、きたら。……石、並べよう。……わかばも、手伝う。


雪原の戦いの跡には、倒れた狼たちが残っていた。彼らもまた、飢えた冬の犠牲者だった。その始末と、拠点の直しは、明日の仕事になるだろう。敵への恨みは、不思議となかった。冬は、誰にでも牙を剥くのだ。だからこそ、備えと仲間の大切さを、身に染みて知る夜になった。


日が暮れる頃、カブトの震えは少しだけ落ち着いていた。だが、形はまだ戻らない。泉の水と、俺達の魔力と、時間。それらが彼を繋ぎ止められるかは、まだ分からなかった。


一夜を、泉の側で明かすことにした。ワカバは眠らず、俺も眠るつもりはなかった。守る者の帰りを待つ夜が、静かに始まった。泉の水音だけが、規則正しく響いていた。それが生命の音のように聞こえた。生命は、巡る水の中でこそ保たれるのかもしれなかった。巡る、という言葉の重さを、改めて考えた。今はただ、カブトの巡りを信じて待つしかなかった。待つことも、仲間の仕事の一つだった。その仕事を、俺達は全力で果たすつもりだった。夜の寒さが、二人の体に沁みていった。それでも、泉の側を離れる気にはなれなかった。離れることは、見捨てることと同じに思えたからだ。俺達の夜は、こうして始まったのだった。長い、祈るような夜だった。その祈りが届くかどうかは、まだ分からなかった。


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