第24話「行商人バルト」
現れたのは、荷橇を引く中年の男だった。
「おや。こんな森の奥に、人が住んでいるとは」
男はバルトと名乗った。雪で街道が閉ざされる前に、辺境の村々を巡って冬物を買い付ける行商人だという。橇には毛皮や乾物が積まれ、首の鈴が歩くたびに鳴っていた。あの音の正体はこれだった。
バルトの目は、俺の小屋と備蓄の山を一瞥して、値踏みするように動いた。
「若いのに、良い暮らしぶりじゃないか。……魔石も、溜まってるんじゃないかね」
俺は、小さい魔石を一つだけ出して見せた。全部の手札を見せる商談はしない。
「こんな小物なら、銀貨一枚がいいところだなあ」
ユーノの噂話では、街のギルドの相場はその数倍だった。吹っかけであることは明白だった。だが、ここで怒っても得はない。俺は笑って、別の質問を投げた。
「バルトさん、逆に聞きますが。リーヴェの冬の芋の値段は、今いくらですか」
「……ほう」
「魔石の値段は街で確かめられます。でも、俺が知りたいのは物価の全体像だ。教えてくれたら、この魔石はあなたの言い値でいい。情報との交換でね」
バルトは目を細めた。しばし沈黙があって、それから愉快そうに笑い出した。
「はっはっ。参ったな。辺境のガキに、足元を見られるとは」
その後の時間は、価格の講義になった。芋、肉、毛皮、魔石の大きさごとの買い取り相場。銅貨、銀貨、金貨の換算。商業ギルドの鑑定の仕組み。バルトは結局、小さい魔石三つを「学生への授業料だ」と言って、正規に近い値段で買い取ってくれた。銀貨九枚。俺にとって、異世界で初めて手にする「貨幣」だった。
そして帰り際、バルトは橇から塩の袋を一つ降ろした。
「不足分の塩だ。タダとは言わない。春、お前さんが街で店を構えたら、仕入れ先に俺を選んでくれ。それで元は取れるさ。――投資だよ、投資」
「春になったら、リーヴェの商業ギルドへ行くといい。若いのに面白い商いをする」
橇の鈴の音は、雪の森へ遠ざかっていった。俺の手の中では、銀貨が冷たく光っていた。
手帳に、物価表の第一版を書き起こす。情報は、値段そのものだった。
実際、学んだことは物価だけではなかった。使い魔――スライムを連れて街へ入る際の手続き、冒険者ギルドでの素材売却の形式、旅の安全の常識。バルトの話は、全部「春の旅の設計図」の材料になった。俺は質問を重ね、要点をその場で書き留め続けた。バルトは苦笑しながら言った。
「お前さんみたいに聞き上手な客は初めてだ。こっちが商売上がったりだよ」
昼には拠点の燻製肉を振る舞った。バルトは一口食べて、目を見開いた。
「……この燻し加減は、素人の仕事じゃないな。街に出せば、いい値が付く」
プロの評価は、そのまま商品開発の資料になった。煙の強さ、塩の量、乾燥の時間。改善点を三つ、その場で聞き出した。
カブトの小石の列にも、バルトは気づいて笑った。橇の荷から丸い石を一つ取り出し、「店の守り石にどうだい」と並べてくれた。カブトは無言で石を受け取り、列の一番端に、大事そうに据えた。行商人の粋な計らいだった。
別れ際、バルトは言った。
「冬の間にもう一度、村の方へは来る。何か要る物があれば、村長に言伝を」
橇の鈴が遠ざかるのを、三人で見送った。冬の森に、街への道筋が一本、はっきりと見えた日だった。銀貨九枚は、小さな革袋に入れて宝物入れにしまった。商いの最初の現金だった。
その夜の手帳は、びっしりと数字で埋まった。物価表、旅程、ギルドの手続き、塩の仕入れ見通し。来春の計画は、夢の段階を終えて、実行計画の段階に入っていた。あとは冬を越し、力を蓄え、春を待つだけだった。雪は、その夜から本格的に降り始めた。拠点の冬が、本当の意味で始まった夜だった。だが、心はもう春の計画で温かかった。その計画を練る長い夜が、冬の楽しみになるのだった。ワカバは炉辺で、カブトは戸口で、それぞれの場所で丸くなった。三人の定位置が、冬の小屋にもできていた。その定位置こそ、家の形そのものだった。外は雪、内は静けさと計画の熱だった。長い冬の使い道は、もう決まっていた。稽古と、計画と、記録と、休息。その四つだった。地味だが、春への最短路だった。商いは、派手な一手より地味な継続で決まるのだった。それは前世で学んだ、一番確かな教訓だった。雪の音を聞きながら、俺は眠りについた。明日は雪かきから始まる、静かな冬の一日だった。冬の日々は、こうして積み重なっていくのだった。積み重ねの先に、春の街が待っていた。その待つ時間さえ、仕込みの一部だった。俺は雪の夜に、それを実感していた。炉の火が、小さく爆ぜる音がした。その音を聞くのも、冬の楽しみの一つだった。前世では、味わう余裕のなかった楽しみだった。この世界では、それを取り戻しつつあった。ゆっくりと、しかし確実に取り戻しつつあった。それがこの生の、一番の収穫かもしれなかった。数字には、表れない収穫だった。




