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戦う総合商社マン、異世界の大森林でスライム商会を興す  作者: 蒼月佳奈美


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第15話「川下に、村がある」

証拠は、三つ集まっていた。


一つ目。首輪の小客が去っていった方角。下流へ、迷いなく進んだあの足取りは、「帰る場所」を知っている者の動きだった。


二つ目。ある夕方、川下の空に細く立ち上る煙を見た。焚き火の煙ではない、かまどの煙の立ち方だった。翌日も、その翌日も、夕方になると同じ場所に煙が上った。人が、定住して、食事を作っている証拠だった。


三つ目。今朝、川の浅瀬に引っかかっていた木の籠。漁の仕掛け籠だが、俺の作ったものではない。葦の編み方が違っていた。人の手の、別の流派の仕事だった。


「村がある。川下に、人の村が」


――ひと。……あえる?


「そのうちな。だが、今じゃない」


接触の判断は、商談のセオリーで決めた。


今の俺は、素性の知れない十五歳で、喋るスライムを連れている。手ぶらで姿を見せれば、相手はまず警戒する。だが「売る物」を持って行けば話は変わる。食料が不足しているというこの世界で、食料の余りを持ち込む人間は、それだけで交渉の席に座れる。


リスクの洗い出しもした。第一に、拠点の場所を知られる危険。聖域の秘密は、俺達の生存の土台だ。村には川を下って近づき、拠点の位置は言わない。第二に、素性の説明。森で暮らしているとだけ言い、深くは語らない。第三に、最悪の場合の撤退。川沿いに逃げ道を確保し、怪しまれたら即座に距離を取る。


対策も決めた。最初の訪問では「売る」のではなく「見本を無償で置いていく」こと。警戒している相手に、いきなり価格交渉は逆効果だ。品物を置いて、味を見てもらい、相手から「買いたい」と言わせる。前世でも、新規開拓の飛び込みはその順番だった。


そして、その「売る物」はもうすぐ畑から上がる。


畑の芋は、収穫の時期を迎えつつあった。葉の色が深まり、株元を試し掘りすれば、白い芋が掌いっぱいの大きさに育っていた。あと十日もすれば、本格的な収穫が始まる。初年度の出来としては、上々どころの騒ぎではなかった。


「収穫が終わったら、川を下る。最初に持っていくのは、見本の芋と、燻製の肉。それで様子を見る」


――わかばも、いく。


「ああ。お前は荷物の運搬と、畑の留守番……いや、二つは両立しないな」


そこで小さな問題に気づいた。ワカバが同行すれば、拠点は無人になる。畑は収穫後だから被害は限られるが、水やりも見回りも止まる。滞在は短く、日帰りできる距離であってほしい。偵察がてら、翌日、川沿いを少しだけ下ってみることにした。


川沿いの道は、森の縁を抜けていくにつれて、魔物の気配が薄れていった。拠点から離れるほど弱い気配ばかりになる構造は、女神の説明とも合っていた。半日歩いた地点で、川辺に古い石の標柱を見つけた。人の手で立てられ、文字のような刻印が風化していた。里まで、あと少しの距離を示す標柱なのだろう。


その向こう、夕方の光の中で、屋根らしき三角が二つ、三つ、木々の切れ間から覗いていた。


近づかなかった。今日はここまで、と決めていたからだ。


だが、その屋根の並びを見た瞬間、俺の中で何かが切り替わった。「開拓者の暮らし」の物語が、「商いの物語」に変わる分岐点だった。


帰り道、畑の試し掘りの芋を齧った。ほっくりと甘く、文句なしの出来だった。


夜、ワカバは新しい言葉の練習をしていた。


――こんにちは。……こんにちは、です。


「お前、人間に挨拶する気か」


――わかば、はじめての、ひと。……上手に、言いたい。


相棒は、来たるべき出会いに向けて、もう準備を始めていた。俺も負けてはいられない。村へ持っていく品物の選別と、値段の仮置きと、聞かれた時の受け答えの想定問答集を、手帳にまとめ上げた。前世で大きな商談の前夜にやっていたことと、まったく同じ作業だった。


緊張はしていた。だが、それ以上に――楽しみだった。半年近く、人間と話していないのだ。


「……いい商品になる」


畑の芋が、収穫の色づきを見せ始めていた。交渉の席に載せる「品物」が、もうすぐ揃う。


その夜、数字だけも整理した。収穫見込みは、株数と試し掘りの重量から概算して、食用と種用を差し引いても、百キロ以上が「余り」になる計算だった。一人と一匹では、到底食べきれない量だ。余りは、届けるためにある。その当たり前の結論が、この世界のどこに出口を持つのかは、村に行けば分かる。


ワカバは畑の真ん中で、収穫を待つ葉の波を誇らしげに眺めていた。生後半年の農家の、最初の大仕事が近づいていた。収穫祭は、もう目の前だった。二人きりの、小さな祭りが。畑に残しておいた無事な葉が、夕日の風に波打っていた。その波の向こうに、まだ見ぬ村の夕餉の煙が重なって見えた気がした。まずは収穫。それから、出会いだ。その順番を間違えないことが、この商いの最初の約束だった。ワカバと顔を見合わせて、小さく頷き合った。明日からは、畑の実りを数える日々が始まる。秋の本番は、すぐそこだった。胸の高鳴りは、隠しきれなかった。


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