第二章:神魔首脳の土下座行脚と、灼熱の夏バテ愚痴
一:天界の泡吹きと、魔界の血便
天界直属の最高位隠密特務天使セラフィナと、魔界の影魔暗殺頭領アラクネが、ソラの放った「親指大の氷の粒ひとつ」によって空間ごと内爆粉砕され、寝室の隅で仲良く体育座りして団扇を仰ぎ始めたという怪報は、わずか数分で高次元世界の首脳陣へと伝達された。
天界の最高評議院。
「……は? 団扇を仰いでいる……?」
主神ゼウスライラは、黄金の玉座の上で白目を剥き、口からカニのように白い泡をブクブクと噴き出していた。
「我が天界の至宝、神の影たるセラフィナが……悪魔のタコ野郎と肩を寄せ合って、パジャマの小僧の足元で無音仰ぎの練習をしているだと……!?
氷粒ひとつ……! 空間を折り畳み、成層圏の冷気を取り込むための『スイッチの棒』として、神聖天使と上級悪魔をまとめて使い捨てただとォッ!?」
「主神様! お気を確かに! 聖なる血圧が三千を突破しております!」
天使たちが取り乱して羽を散らす中、ゼウスライラは玉座の肘掛けをへし折りながら立ち上がった。
「終わりだ……! 奴は怒っている! 『汚いから隅にいろ』とは、『貴様ら天界と魔界の本体ごと、私の部屋の生ゴミとして圧縮消滅させてやる』という最終警告に他ならぬ!
もはや謝罪しか道はない! 全天使に告ぐ、天界の全宝物庫を開放し、最上級の貢ぎ物を抱えて地上へ降下するぞッ!!」
一方、地下三万メートルの魔界『奈落煉獄パンデモニウム』。
「……ブフォッッッ!!!!」
魔王ディアボロスは、玉座の前でリアルに血便を催す勢いで真っ黒な胃液を吐き散らしていた。
「アラクネが……! あの残虐無比で鳴らした影魔の頭領が……『ソラ様の安眠のために風を送る風車になりたい』と魔導通信で遺言を残して音信不通だとォッ!?
勝てるわけがねえ! 氷の欠片で重力崩壊を起こすような規格外、もはや魔王とか邪神とかいう次元じゃねえ! 天災だ! 宇宙の意志だ!!」
ディアボロスは二本の巨大な角を自らヤスリで削り落とさんばかりの勢いで頭を抱えた。
「おい、魔将ども! 我が魔界が保有する旧文明の遺産、冥界の極上保冷鉱石をありったけ台車に積め!
今すぐ公爵邸の門前に土下座しに行くぞ! 首を差し出してでも奴の機嫌を取らねば、魔界全土が『日曜日の昼下がりのポカポカ広場』に浄化されて全員昇天しちまうぞォッッ!!」
光と闇の頂点に君臨する二大巨頭は、プライドも威厳も完全にドブへ投げ捨て、命乞いのためだけに地上へと緊急発進したのである。
二:真夏の地獄と、溶けかけの至高神
午後二時。
帝都ルミナリアを襲っていたのは、観測史上最悪の「猛暑日」であった。
前章の初夏の爽やかな冷風はどこへやら、太平洋高気圧とフェーン現象が悪魔合体したかのような熱波が帝都を直撃。外気温は早くも三十八度を突破していた。
完全防音・完全密閉を誇る公爵邸最上階の寝室も、さすがにこの異常熱波には耐えかねていた。
世界樹ベッドの上、冷感接触シーツにうつ伏せで倒れ込んでいるソラは、完全に「焼いた餅」のように平たく潰れていた。
「……あ、あちぃ……。死ぬ……。息を吸うだけで肺胞が火傷しそうなんだけど……」
パジャマのボタンは全開。
額には水で濡らしたタオルがペタリと乗せられ、舌を犬のようにチロチロと出しながら荒い息を吐いている。
神域化の余波で外に五百万人の巡礼者が押し寄せているせいで、熱気が公爵邸の周囲に異常な密度で滞留していたのだ。
(動けない……。指一本動かしただけで体温が零点一度上がる……。
クーラー……クーラーはないのかこの中世ファンタジー世界は……!
氷嚢が欲しい……冷たい麦茶が浴びるほど飲みたい……アイスクリームをタライ一杯食わせろ……)
ソラは心の中で血の涙を流しながら、ベッドのシーツの「まだ生温かくなっていない冷たい部分」を求めて、芋虫のようにミリ単位でズリズリと這い回っていた。
完全なる夏バテ。至高神の威厳など欠片もない、ただのエアコンの壊れた六畳一間で伸びている大学生の姿であった。
その時である。
――ズズズズズズズズズズズンッッッッ!!!!
公爵邸の真上、帝都の上空五千メートルの成層圏が、突如として真っ二つに裂けた。
三:光と闇の土下座合戦
天空の裂け目から現れたのは、黄金に輝く十万の天使軍団を従え、純白の六枚翼をこれ見よがしに広げた主神ゼウスライラ。
そして、大地の底から溶岩を噴き上げて現れたのは、十万の凶悪な魔族軍団を従え、漆黒の覇気を撒き散らす魔王ディアボロス。
両軍が帝都の空を埋め尽くした瞬間、大気は神聖気と暗黒闘気の凄まじいスパークに包まれ、五百万人の巡礼者たちが「世界の終わりだァッ!」と絶叫して逃げ惑い――かけるはずだった。
「――ソラ様ァァァッッッ!!!!」
「神竜帝ソラ閣下ァァァッッッ!!!!」
天空から響き渡ったのは、威厳に満ちた宣戦布告ではなく、聞くに堪えない二大巨頭の泣き叫ぶような絶叫だった。
ドスンッ! ドスンッ!
ゼウスライラとディアボロスは、空中で靴を脱ぎ捨てると、公爵邸の前庭の芝生へ向けて音速でダイブ。
そのまま摩擦熱で煙を上げながら、芝生の上に五体投地のスライディング土下座を同時に敢行した!
大理石の敷石がバキバキと砕け散り、二人の額が地面に深々とめり込む。
「我が天界の愚かな配下が、貴方様の尊き換気扇を汚しました大罪……万死に値いたしますッ!」
ゼウスライラが鼻水を垂らしながら叫ぶ。
「お詫びとして、天界の秘宝【至高の天冷氷晶(触れるものを永久に零下十度に保つ神の氷)】十万トンを献上いたします! どうか……どうか天界の消滅だけはお見逃しをォッ!」
「魔界もだッ! 我が配下がゴミのように転がり落ちてご迷惑をおかけしましたァッ!」
ディアボロスも負けじと角を地面に擦り付け、咆哮する。
「地底最深部より採掘いたしました【万年冥府黒氷(溶けることなく冷気を放ち続ける魔石)】二十万個を差し上げます! ですから……魔界を日だまり広場にするのだけはご勘弁をォォッ!!」
天界と魔界の頂点が、庭先で額を血みどろにしながら、互いに「ウチの氷のほうが冷たいです!」と競い合う異様な光景。
出迎えたエレノアとセレスティーナは、冷え切った目で手帳を開き、
「静粛にしなさい。声の音圧でマスターの寝返りリズムが乱れたら、貴方方の魂ごと極刑ですよ」
と氷のように言い放っていた。
だが――。
二階の寝室で、暑さにうなされていたソラにとっては。
(……うるさい。外で誰かが叫んでる……。
熱い……うるさい……。もう限界だ……)
ソラの脳味噌は、三十八度の室温によって完全にオーバーヒートを起こしていた。
ゼウスライラやディアボロスの言葉など、一文字も理解できていない。
ソラの頭の中を支配していたのは、ただ「暑苦しい現実への憎悪」と、「冷たいものを全身に浴びたい」という原始的な欲望だけであった。
ソラは、だるそうにベッドの縁から上半身をずり落とし、床に垂れ下がっていた冷感毛布の端を握りしめた。
そして、開け放たれた窓の向こう――庭先で喚き散らしている「暑苦しい声の発生源」へ向けて、心底からの怨嗟の籠もった、虫の息のような声を絞り出した。
「……おい……」
ピキィィィィィィィィィィィンッッッッ!!!!
帝都全土の空気が、一瞬にして音を失った。
庭先で土下座していたゼウスライラとディアボロスの背筋を、絶対零度の死の悪寒が貫く。
ソラは、濡れタオルを目元に乗せたまま、窓の外へ向けてだるそうに右手をピッと振った。
そして、夏バテの極限に達した人間の、魂の底からの「適当極まりない愚痴」を吐き捨てたのだ。
「……あちぃんだよ。上も下も、まとめて凍りついて雪でも降らせろ。……あと、かき氷持ってこい」
バフッ……。
そう呟くと、ソラは力尽きたようにシーツの上へ突っ伏し、二度と動かなくなった。
「あー、頭痛い。アイス食いたい」という、ただの小学生並みの八つ当たりである。
だが――。
その言葉を聞いた、主神と魔王の脳内では、全宇宙が裏返るレベルの超絶神話解釈のビッグバンが炸裂していた。
四:天変地異と、神魔の絶対凍結
「……っ……!!」
「……ぐ、あああ……っ!!」
ゼウスライラとディアボロスの顔面が、同時に土気色へと変色した。
(……『上も下も、まとめて凍りついて雪でも降らせろ』……!?)
二人の脳裏で、戦慄の方程式が超光速で組み上がっていく。
(『上』とは天界……! 『下』とは魔界……!
あのお方は……あのお方は、我ら両陣営の謝罪など端から歯牙にもかけておられない……!
『貴様らの持ってきた氷など生ぬるい。私の暑気を払うため、天界も魔界も、その全エネルギーを冷却魔力へと変換し、全世界に絶対零度の神罰を降らせてみせよ』と……!!
そして……『かき氷を持ってこい』……!
それは……『貴様ら神魔の存在そのものを粉々に削り砕き、私の掌の上でシロップのように平らげてやるぞ』という、究極の捕食宣告……ッッ!?)
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ……!!」
「やるしかねえ! 全魔力を冷却に回せェッ!!」
主神と魔王は狂乱の叫び声を上げると、持参していた十万トンの天冷氷晶と二十万個の冥府黒氷へ向けて、自らの全神力と全魔力を一斉に注ぎ込んだ!
ドゴォォォォォォォォォォォォンッッッッ!!!!
帝都の上空に、信じられない規模の魔力変換フィールドが展開された。
天界の光と魔界の闇が融合し、ソラの放った「雪でも降らせろ」という言霊に同調。
三十八度の猛暑日だった帝都の天空から、突如として――純白のダイヤモンドダストと、真夏の大雪がシンシンと降り注ぎ始めたのだ!
パラパラパラ……ザザザザザッッッ!!
地表の熱気が一瞬にして吹き飛ばされる。
公爵邸の屋根には瞬く間に十センチのパウダースノーが積もり、庭の池はカチコチに凍結。
帝都の気温は、三十八度から――完璧な避暑地レベルの「涼冷十八度」へと強制冷却された!
さらに!
ゼウスライラは震える手で自らの神剣を抜き、天冷氷晶の最高純度の一角をシャリシャリと削り落として黄金の器に盛り付けた。
ディアボロスは自らの暗黒炎で地底の特産果実を煮詰め、極上の紫色のシロップを作り出してその上からドバドバとかけ回した。
「で、できましたッ! 神魔合一の至高の氷菓――【天冥神冷かき氷】でございますゥッッ!!」
主神と魔王が、汗と涙まみれの全裸同然の姿で、巨大な器を捧げ持って公爵邸の階段を駆け上がっていった。
五:至高の冷気と、勘違いの極致
数分後。
公爵邸最上階の寝室。
窓から吹き込んでくるのは、真夏の熱気ではなく、サラサラとした心地よい雪混じりの涼風。
室温は見事に十八度へと安定し、世界樹ベッドのシーツはパリッと冷え切っていた。
「……ん……? あ、涼しい……」
ソラは目元のタオルを外し、むくりと起き上がった。
息を吸い込む。冷たい。気持ちいい。
窓の外を見ると、なぜか真夏の日差しの中、チラチラと綺麗な粉雪が舞い散っていた。
(……え? 雪? なんで夏に雪が降ってんの?
まあいいや……涼しくなったから全部許す……)
ソラが満足げに息を吐いた、その時。
ガラリと扉が開き、エレノアとセレスティーナ、そしてその後ろに恐る恐る控えるゼウスライラとディアボロスが姿を現した。
銀の盆の上には、山盛りの削り氷に、美味しそうな紫色のシロップがかかった器が載せられている。
「マスター、お望みのかき氷でございます」
エレノアが優雅に器を差し出した。
「あ、かき氷だ! ちょうど食べたかったんだよ!」
ソラは歓喜の声を上げ、スプーンを引っ手繰ると、山盛りの氷をサクッとすくって口へ放り込んだ。
シャリッ……。
「――んんんんっっっ!! うまーーーーいっっ!!」
頭の芯にキーンと響く極上の冷たさと、甘酸っぱいベリーのようなシロップの風味が、夏バテの身体に染み渡っていく。
ソラは夢中になってかき氷を貪り食った。
「ふぅ……生き返ったぁ……。誰が作ったか知らないけど、天才だなこれ」
ソラは空になった器をコト……と置き、満足げに世界樹ベッドの冷たいシーツへダイブした。
涼しい。お腹も冷えた。
完璧な二度寝のコンディションが整ったのだ。
「おい、エレノア。部屋涼しくなったから、もう誰も入ってこないように鍵閉めとけよ。……夕方まで起こすなよ……zzz」
ソラはそれだけ言い残すと、冷感毛布を鼻先まで引き上げ、秒速で深い深い眠りの底へと沈んでいった。
部屋の隅でそれを見届けていたゼウスライラとディアボロスは――床にへたり込み、魂が口から抜け出たような顔で抱き合って号泣していた。
「……た、食べた……! 我らの魂の結晶たるかき氷を……あのお方は、笑顔で完食してくださった……!」
「許されたんだ……! 天界も魔界も、消滅を免れたんだァッッ!!」
エレノアは手帳を閉じ、冷酷な笑みを浮かべた。
「お分かりいただけましたか、天界と魔界の愚かな首脳陣。
マスターにとって、貴方方の領土争いも神魔の確執も、ただの『夏バテの不快感』以下の塵芥に過ぎないのです。
さあ、マスターがお眠りになられました。
貴方方は今すぐ本国へ戻り、マスターの安眠を乱さぬよう、天界と魔界の全軍を動員して『全世界・常時適温空調維持ネットワーク』の敷設工事に従事しなさいッ!!」
「「は、はいッッ!! 直ちに全軍を空調工兵として配備いたしますゥッッ!!」」
主神と魔王は涙を拭いながら手を取り合い、真夏の雪が舞う帝都の空へ向けて、新たな「安眠のしもべ」として飛び去っていった。
ベッドの上で、ソラは「むにゃ……頭キーンとする……」と小さく寝返りを打った。
本人はただ夏バテで「あちぃから雪降らせてかき氷食わせろ」と八つ当たりしただけなのに、天界と魔界が完全降伏し、世界の気候変動システムがソラの室温に合わせて永久固定されてしまった――。
神々の領域すら昼寝スペースに変えてしまう深淵の怪物の暴走は、もはや全次元の誰も止めることができなかったのである。




